furukawaさんのブログ

気づきの日記「セラピーをはじめたら不安を感じます」

 

Q: セラピーを受けはじめたら、以前よりも怖れや無力感、自己否定的な気持ちを強く感じるようになってしまいました。それは、朝起きたときや、ぼーっとしているときに感じます。なにが起きているのでしょうか?

A: セラピーを開始したとたんに今まで感じたことがない感情に出くわす、というのは「セラピーあるある」なのですが、安らぎや自己肯定感を高めるためにセラピーを受けているのにびっくりしてしまいますよね。

セラピーをはじめると、今まで何重にも強固にロックされていたこころの砦が緩みはじめるからなのです。

私たちは誰もが、こころの無意識の部分に巨大な怖れの塊を隠しもっています。ここに暮らす人で、それをもっていない人はいないのです。

私たちはその塊に直面するのがあまりに恐怖だったために、こころの奥底に埋めこみ、しまいには自分でもそれをすっかり忘れてしまったのです。

それが無意識というこころの城塞で、そこにカギをかけることで出くわさないようにはしているのですが、ふとこころが幸せのなかでくつろぐとそれが勝手に浮上してきてしまうのです。

ほんとうは、幸せのなかで、自分でないものは手放したいだけなのですが・・・。そしてやはり、クサイものはどこに置こうとも、隠しきれないということなのです。

その怖れの塊に怯えている私たちは、出くわさないようにするためにはなんだってするのだ!という心構えです。

私たちが怖れをさけるためにすることといえば、忙しくすることです。

なぜなら、怖れは安らぎのなかで浮上してくるので、とっちらかっているほど安全だ!とエゴは信じているからです。

そして、忙しくする口実は「誰かのため」という、一見よいことのようにも思えることも含まれています。しかし、結局は怖れから逃れるための手段です。

また、過度に刺激を求める(娯楽、嗜好品、恋愛、キケンなこと)というのも怖れを煙にまく方法のひとつでもあります。

じつは、怖れの下には大いなる安らぎや喜び、光が隠されています。

逆にいえば、怖れはエゴが真の自分の輝きを隠すためのラッピングとして使っているものなのです。

これを使えば、ぜったいにほんとうの自分には近づいてこないだろう、そして身勝手なエゴの姿をほんとうの自分だと信じて苦しみつづけるに違いない、と。

だから、「怖れに出会う」ということは、じつはほんとうの自分の輝きに向かってまっすぐに進みはじめている、ということなのです。

自分がためこんでしまった怖れは、その存在をちゃんと認識し、「これは私のもちつづけたいものではないのだ」という正気の判断によって、ようやく手放されるのが可能になります。

怖れに対して「これはいるものなのか、いらないものなのか」という選別ができるようにならなければなりません。

「こんな怖れは私には必要ない! これは私じゃないから」と怖れを握りしめる手を緩めることこそ、自分が解放されることになるのです。


だからまずは、「隠していた怖れが浮上してきてそれを感じることができるようになった」ということは、じつは逃げずにちゃんと直面する準備がととのった、という喜ばしいサインなのです。

怖れはたんにエネルギーなので、じつはドキドキ、ワクワク!というエキサイティングな感覚と中身は同じものです。

しかし、「これは私が避けてきた怖れであって、こんなものはぜったい感じたくない」と、その感じに「怖れ」という拒絶のレッテルをはってしまうと、それを直視できず、逃げることになってしまういます。

だから、せっかく怖れの感情があがってきたのなら、ただあるがままに受け入れて、感じてあげる必要があるのです。

すべては、無防備に受け入れてあげたときに、自分自身とひとつにとけあい、とけあったからには脅威であるものは存在しなくなります。

まずは、浮上してきた怖れのようなものは、解放のさきがけとして受け入れてみましょう。

そして、その感情に「怖れ」のレッテルをはることなく、ただ「その感じ」をそのままに受け入れ、愛でてあげましょう。

せっかく、今まで強固に閉じていたバルブがゆるんで、いらない感情が浮上してきているのなら、それを歓迎してあげましょう。

感情をそのままに感じることができるようになると、自分のなかがどんどん静かになり、その静けさのなかで真の安らぎや喜びや光に出会うことができるようになります。

だから、今までに感じたことがないような感情や思考が浮上してくるときは、解放が起こりはじめたことを喜び、高い意識であるハイヤーセルフに委ねて、解放を安らかに導いてもらいましょう☆

 

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

お福わけ♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

「イイコトがあったから、お福わけ♪」と、お友だちがプレゼントを送ってくださいました。

シャンプーとトリートメント♡

お友だちも使っているブランドだそうで、いくつかある香りのなかから「こんなイメージであってほしい」という願望をこめて香りを選んでくれたそうで、「楽しみにしていて♪」 と。

こうあってほしい?? いったいどんな香りなのでしょ?

きました〜、こちらで〜す!

なになに・・・? 香りは、「Femme fatale (ファム・ファタール)」。

ファム・ファタールっていうと、ロセッティの絵画を思い出します。ちょっと魔性のひとのイメージ??

説明書きには、「魅惑のティーバ」とありました。

げっ!!!めっちゃハードル高っっ!!(大汗)

フランスの香水で有名な街 グラースの調香師がつくり出した香りで、オリエンタルフローラル。ライチ、リリー、バニラの香りだそうです。

さっそく使ってみました。

ああ〜、日本にはない香りで、まさにヨーロッパを感じます。

泡立てるとダリの香水(あの唇型のビン!)のベースにあるムスクの香りに似ていて、すすぐと白檀のようになり、洗い上がりは甘い香りへと変化します。

香水は使わないけれど、髪だけでもほんのり香ると気分も変わります。

しかし ・・・ファム・ファタール ・・・はるかに遠し(トホホ・・・)。

Kちゃん、お福わけありがとうございます。シャンプー楽しませていただきます♪

 

 

 

気づきの日記「appreciate 〜 愛でる生き方」

 

FMを聴いていたら流れてきたことば。

「たとえば、苔を守ろうとして芝生を刈ってしまうと、とたんにシッペ返しがくる。・・・生態系はそれ自身でバランスを保っているから、ひとつを変えてしまうと(コントロールしようとすると)とたんにダメになる。大切なのは、状況を appreciate すること ・・・」と、研究者の森田真生さん。

「状況を appreciate する」・・・ appreciate とは、味わい愛でること、認めること、受け入れること、それでよしとすること。

ああ~、ホントそうですね! 状況をただ受け入れること。

生態系と自分の生きる世界はまさにイコールなので、私たちの生き方においても目のまえのことをコントロールしたり、取り除こうとするよりも、ただ appreciate (受け入れ、そのままにする) ことこそが大切なのです。

自分個人として、自分の願望に基づいて、自分の益のために、自分の時間軸で、自分のアタマにたよって、すべてにひとりで対応しようとすると ・・・ どうしたって「全体のために」とはならないものです。

こちらを立てれば、あちらが立たず・・・。

すでに完璧なバランスを保ちながら粛々と進んでいる宇宙の秩序というものは、超ド近視的な個人の視野では理解できないものなのかもしれません。

ヨイことも、時分にとっての恐怖としてしか解釈できないほどこころは怯えているのです。

だから真の問題は、あるがままをあるがままとして appreciate できない自分のココロそのものです。

なんせ、ピンポイントの近視眼でほぼ盲目状態の私たちにしたら、どうでもいいものも脅威となってしまいます。(はい、近視の私は陽が短くなると、暗がりの中で疾走する○-ber 配達自転車がメッチャ脅威です)

結局は、個人も、時間軸も、理由も、あれやこれやもとっぱらって、ずっと引きの目線でものごとを見られたとしたら、

自然の生態系が完全にバランスをとっているように、じつはパズルのピースがみごとにおさまって、遅かれ早かれ全員にとってそのままであることがいちばん益があるということがわかるかるようになるのでしょう。

全体から切りはなされた自分のちっちゃなエゴが何かに怯えて「これを変えるべきだ!」と騒ぎ立てるとき、

それをコントロールしようと四苦八苦するよりも、「なぜ、それが自分にとってそんなに脅威に感じるのか?」「なぜジタバタしたいのか?」「いったいどうなっちゃうと思っているのか?」「そうなっちゃう自分ってどんな自分なのか?」

そちらのほうをじっくり調べて、その原因をどうにかしたほうがよさそうです。

完全さがそこにあるのなら、超ド近視的になってしまう視野(ものの見方)を修正して、すべてをリラックして appreciate できるようにすることこそが解決策です。

すべてのバランスを壊さない、状況を appreciate(味わい愛でる)生き方ができるように、「そんなことムリ!」と言っているエゴのセリフを探求してみましょう。

また、appreciate して(味わい愛でて、あるがままに)見られるようになるためには、自分の都合でものごとを解釈して意味を決めることをやめなければなりません。

自分の都合による意味は、自分にしか意味をなしません。そして、自分の都合は、全体の秩序とは相容れないようです。

だから、ものごとに自己都合の意味をあてはめるのではなく、いったん自分にとっての意味は手放して、高い自己であるハイヤーセルフに尋ねて意味を教えてもらいましょう。

そうすると、完全な秩序という流れにのれるのでしょう。

それが起きているのならば、今のところ、それはそれでよいのです!

だから、状況を appreciate 〜認めて、味わい愛でて、受け入れて〜 リラックスいたしましょう♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

お茶の間シネマトーク「血のお茶と紅い鎖」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

キモかわはお好き?

いえ、これはキモかわをとおりこしてグロかわです☆

不思議な世界観に目が釘づけで、最後までガン見してしまいました。

お人形を少しづつ動かしながら撮影するストップモーションの作品で、ナント製作年月は13年だそうです(汗)。

あやとりやお裁縫のシーンがあるのですが、細かい指の動きが描写されていて、それだけでもどれだけ時間がかかったことでしょう?

あやとりは、私たちがしていたあやとりとまったく同じでビックリ☆(万国共通なの?!)あなたも、小動物さんたちのあやとりに ↓ 加われますよ〜!

小動物に白ネズミ、カメにカエルに麦畑にお月さま・・・ まるで手作りの人形劇のような可愛らしい雰囲気なのですが、随所にグログロ要素が散りばめられています。

カラスのような小動物が、貴族である白ネズミから女の子の人形の作成を依頼されるところからはじまります。

小動物はせっせと制作にはげむのですが、出来上がったあかつきには白ネズミに渡したくなくなってしまったのです。たとえいくらお金をつまれても。

そこで白ネズミは夜中にやってきて、その人形を盗み去ります。それに気づいた小動物は、まるで愛する人をさらわれたかのように悲しみ、人形を取り戻すべく白ネズミの住む館へと旅立ちます・・・そこで起こるあれやこれやの物語。(→予告を見る

私が鑑賞した翌日にお友だちも観たので、おもわず二人で一時間も語りあってしまいました。(ハイ、語りあいたくなります!)

これはまったくセリブがないので、ちょっとはずれた笛の音や、自然の水音、布や食器の物音、動物の鳴き声のみ。

ことばがないぶん、ダイレクトに感覚が刺激されるよね〜と話していました。

まるで、幼い頃のコワい空想や夢のつづきのようで、無意識に抑圧されている感情をユサユサされるようです。

シュバンクマイエルやクエイ兄弟ほどのいっちゃってる感はありませんが、摩訶不思議なグログロワールドに遊びたいときには是非どうぞ〜☆

 

 

 

新しいパン屋さん、発見!

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

気分転換にお散歩コースを大幅に変更してみました。

慣れている道は、景色には目もくれずに競歩のごとくひたすらスタスタ歩くのみ。

新しいお散歩コースは少し歩いては足をとめて店先に見とれてみたり、ちょっとしたお上りさん気分。

すると、ずいぶんと新しいカフェやスウィーツショップがオープンしていることに気づきました。行きつけが全滅して悲しんでいtので、灯りがともったようです(喜)。

そのなかのひとつ、軽井沢で人気のパン屋さん「SAWAMURA」さんを発見。

こちらはカフェもあるのが嬉しい。

イチジクやくるみ、レーズンの入った固めのパンを買ってみました。

ついでに、カフェでスウィーツも♪

ピスタチオクリームと木いちごのジャムのケーキ。しっかりとした味わいのコーヒーによくあいます。

テーブルに「クリスマスシュトーレン、予約開始」のお知らせがあり、「もうクリスマスか〜」とびっくりしていたら、

向こうのテーブルのママ友らしきグループが、クリスマス会や新年の打ち合わせをしておりました。確実に年の瀬が近づいております(汗)。

今年は、SAWAMURAさんのシュトーレンを買ってみようかな〜♪

帰りに、「禁断果実」というカフェも発見。こちらはフルーツサンドのお店のようで、中目ではダイワさんに並んで人気のようです。次回、偵察入店したいと思っています。

 

 

一日一日、深まる秋

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

暖かな小春日和。

お散歩コースもすっかり秋が深まりました。

 

風がふくといっせいに枯葉が舞い散る様子に、ちょっぴり映画の登場人物の気分♡

 

 

 

気づきの日記「これでいいのだ〜♪」

 

すべては今、起きているままで大丈夫!

そのまんまで大丈夫!

自分にとっての一大事においては、「そう、これで大丈夫なんだわ!」とわりとすんなり手放して、なりゆきを見守ることができるように思うのですが、

逆に、ささいなことに関しては、あっというまにコトに巻きこまれていたりします。

ささいなことのほうが、「なんでも私の思いどおりになって当然なのだ!」という支配者の剣をふりまわしやすいのかもしれません。

たとえば・・・

先日、長年愛用していた加湿器がついに動かなくなり、新調することに。

ショッピングサイトを見ていたら、900ものレビューがある加湿器には千円の割引クーポンがついていて、なおかつタイムセール祭りでもっと安くなるかも?!

ワクワクしつつ、ときおりサイトをチェックしていたら・・・タイムセールになることもなく、なぜかいつのまにかクーポンがはずされていて、正規の値段に戻ってしまいました。

あちゃ〜・・・もっともっとと欲を出したら、やっちゃいました!(汗)あのときポチっておけば・・・(泣)。「これでいいのだ〜♪」なんて1ミリさえも思えない、残念感と失敗感。

(こういうときに感じている失敗感って、じつは千円うんぬんについてではないのですね。→文末 PS をみてね)

気をとりなおして、その加湿器をしぶしぶ正規の値段で購入しようとしていたら、フトすみっこに表示されている類似商品が目にはいり・・・

あら、こっちのほうがずっとお安い。それにフォルムも機能もシンプル。同じぐらいたくさんレビューがあったのでのぞいてみると、どれも「オススメします!」と星5つレビューばかりで、なおかつクーポンもついているではありませんかっ!

のがした魚は大きかった!と思っていたけれど、こっちのほうがずっと大きな魚の様子。(この失敗に見えるプロセスを経てきたからこそ、見つけた獲物なのでした!)

失敗も、失敗じゃない。じつは、まだストーリーは決着していなかっただけでした。

あとで気づきましたが、最初に買おうとしていた加湿器。たくさんあるレビューはじつは、みんな星1つの苦情ばかりで、「動かない」「すぐこわれる」「詐欺?」とまで書いてあるし・・・(汗)。

失敗と思ってたことは、じつはしっかりと粗悪商品から守ってもらっていたのでした。

そのとき起きていることが自分の思惑にそっていないと、「失敗した」と挫折のレッテルをはってしまいがちです。

でも、じつは守られていたり、よりよいところに導かれていたり、さらにバージョンアップしている最中だったりします。

だから、どんなときもリラックスして ♪これでいいのだ〜、これでいいのだ〜♪ と受け入れながら、その結末が見えてくるのを見届けなければなりません。それがマスターへの道。

そして、それはこのような小さなことからはじめなければならないのですね!(汗)

「なんでこうなの?」と思うときこそ、まずはリラックス。これもいちばんよいことへの伏線と信じて、「さあ!ここからどうなるのかな?」と楽しみに見守っていましょう。

体験がちゃんと教えてくれるはず。かならずうまくいく! きっと大丈夫!って。

すべては、すでに完全なストーリーになっています。

それを確認するように、自分が目にしている物ごとから数歩退いて、ちょっと人ごとな気分で、「これでいいのだ〜」と完全さが見えてくるのを待ちましょう。

巻きこまれずにそこから離れ見ていれば、ストーリーは自ずとベストな結末を見せてくれるはずです。

PS♪ さきほどの、「千円のクーポンをのがしたガッカリ感」について、じつは千円とガッカリ感は関係がないのです。

私たちのこころのなかには、過去の失敗感、残念な思いのオリがたまりにたまっています。

なぜなら、こどものときからそういう気持ちを「ちゃんと受けとめる」という習慣がなかったから。こころの奥深くに押し込んで、「ほら、もうぜんぜん大丈夫!」とうそぶいて生きてきたのです。

その感情は中途半端に抑圧されているため、ちょっとした「失敗」の感覚の刺激でダダもれになってしまいます。

そして、そのときの気持ちがリバイバルしてきます。それも、ためにためているからじゃんじゃん出てくる。だから、とっもイヤな気持ちになるのです。千円の損失以上に。

これはちょっとした引き金で起こるので、人間関係でも、あるいはテレビの報道を見ているときでも、ささいな出来事もで起こります。しかし、私たちはその感情の原因は、目のまえのことではないのです。

この加湿器の件も、過去の失敗感が滲みでてきたイヤさ加減でした。

このような過去の感情は浮上してきたときにこそ廃棄することができるので、イヤな気持ちが浮上してきた折りには、ただ受け入れて感じきり、ハイヤーセルフに渡して取り除いてもらいましょう。

これでようやく成仏することができます。イヤな気持ちもまた、こころをきれいにするためのグッドチャンスとなるのです。(これも、これでいいのだ〜♪)

 

さらにPS、壊れた加湿器、捨てるまえにもう一度作動してみたら・・・

あら?!なにごともなかったように動くではありませんかっ!

寝室専用がほしかったので、よかった〜〜♪

すべて、「これでいいのだ〜♪これでいいのだ〜♪」

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

あのお方は、もしや?!

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

今月のはじめまで夏のような暑さでしたが、さすがにもう11月。朝晩はだいぶ気温が下がってきました。

一日ごとに日脚は短くなり、空も高くなってきました。

今朝、ふと窓の外に目をやると ・・・ 見慣れぬ景色が・・・。

あれって、もしや・・・富士山?!

今まで気がつきませんでした。少しづつ空気が澄んで、遠くまで見渡せるようになってきたからでしょうか?

冬にむかって、きっともっときれいに見えそうです。

なんで、富士山見えると、こんなに嬉しくなっちゃうのかしらん♬

 

 

 

ひさびさ夜のお出かけ♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

お友だちのバースデー祝いで、ひさびさ夜のお食事会。

お店はステキな和食屋さん ・・・っぽい雰囲気ですが出てくるお料理はイタリアンです。

イタリアンといってもひとヒネリもふたヒネリもある、和の食材やエスニックのスパイス、そして旬の食材をふんだんに組み合わせた季節感あふれる10皿ほどのお料理。

そんななかから、いくつかご紹介を・・・

こちらはカルパッチョのようなお料理なのですが、パっと見、まるで蓮池のよう!

ビジュアルにすっかり気をとられ、お料理の説明がすっかりアタマから抜け落ちました。(いえ、この希薄な記憶力はトシのせい?!)泡あわの部分はカルダモンソース、お魚はマグロ、ソースはたしかチーズだったかな・・・?! お味が絶妙に調和していてとてもおいしかったです。

こちらはトリュフをスリスリしてもらっているニョッキ。

栗のニョッキにソースはお味噌がかくし味、そしてトリュフがたっぷり。

トリュフの登場の仕方が楽しくて、「まるで、石庭だわ!!」と笑いました。

ちなみに、これは石ではなくお米にのっているのです。香りがうつったら、リゾットに使うそうです。

そしてこちらは、フォアグラのブリュレのほうじ茶クレープぞえ。

クリームブリュレがフォアグラなのですが、と〜ってもステキなお味です。人気メニューだそうで、コースには必ず入っているそうな。

フォアグラはまったくクセがなく、クレープに包んでいただくとふつうのブリュレよりも深みがあって、苦みのあるカラメルがとてもマッチして幸せなお味でした。

その他、お魚料理は鰆のチーズ韮ソース、お肉は鴨のポワレ、イカすみパスタのカラスミぞえなどでした〜♪

このお店もしばらくお休みしていたようなので、無事お友だちと一緒に来ることができてよかったです。ステキなひとときでした♪(@代官山 LegaRE)

Mちゃん、Happy Birthday、楽しい一年を♡

 

 

お茶の間シネマトーク「エセルとアーネスト」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

おおらかな性格のアーネストは牛乳配達。しっかりもののエセルはメイドさん。

ふたりは出会い、恋をして結婚し、ウィンブルドンの小さなおうちで暮らしはじめます。

ささやかな日常をすごすなか、息子のレイモンドが生まれ、戦争という荒波にもみくちゃにされつつもそれを乗りこえ ・・・ やがて老いを迎える日々の暮らしを描いた物語。(→予告をみる

手書きの絵本のようなタッチの画面から、あたたかさがあふれてきます。

ふたりの生活はいつも互いを思いやり、質素であってもこころ豊かです。

一軒家の広いベッドルームに大喜びするものの、最初はカーテンを買うお金もなくシーツを張りめぐらしたり。猫の額のような小さなお庭に椅子を並べて、お茶を楽しんだり。

ときの流れのなかで、少しづつ生活も上向きになってゆきます。

イギリスの小さなお家で営まれるどこにでもある日常。平凡だけれど、誰もがこころを重ねられる日常の風景のように感じます。

観おわったとき、やさしい気持ちに満たさるとともに、切なさと寂しさも残ります。あの有名な絵本「スノーマン」を読みおわったときのような気持ち。

「スノーマン」は、少年と彼が作った雪だるまのお話。彼らは夜どおし、ふたりでワクワクするような体験をするのですが、夜があけて少年がベッドからでてみると、日の光のなかにスノーマンの姿はないのです。

じつは、このエセルとアーネストのお話は、「スノーマン」の作者であるレイモンド・ブリッグズのご両親のお話なのです。

冒頭でレイモンドさん本人が、スノーマンのマグでミルクティーをいれている姿が映しだされます。

イギリスではミルクティーを飲むとき、冷たい牛乳を使い、紅茶よりも牛乳を先に注ぐといいます。

レイモンドさんが紅茶を入れている様子はまさにそうでした。けっこうドドっと牛乳を注いでいます。

でも、イギリスの硬いお水で紅茶をいれると、アバウトにいれてもおいしい気がします。

「スノーマン」、また読みたくなりました。ミルクティーを飲みながら♡