節分前後のこの時期は、からっ風の中を背中をまるめて歩く一年でいちば〜ん寒い季節。それが、どうしたことか、この陽射し、この風。「あったか〜い!」なんて喜んでいられない危機感すら感じます。
気候があったかくなると、植物はもちろん、人間も何やらコトをおこしたくなります。そんなわけでつかのまの春風にさそわれて銀座まで、3ヶ月ぶりにたてがみ(?)を刈りこんでまいりました。
形状記憶頭髪の持ち主である私は、どんな髪型をオーダーしようが一夜限り。洗ってしまうときっちりかっちり元の形にもどってくれちゃうのです。まあ、きょうのところは今風のおねえさんヘアで、サラリ、フワリと春風になびいております(いつもの天パーは決してなびかないのだ)。
たしかに、こ〜んなサラサラヘアは憧れなのですが、これってデパートの化粧品売り場で美容部員さんに眉毛を描いてもらったときのような妙な居心地の悪さも感じます。確かにステキなんだけど、「これって、ダレだ??」という落ち着かなさ。(たいてい、そのときの眉毛って、その美容部員さんとおそろいなんですよね〜)。
よく整形手術で、顔の一部のパーツをいじるとアンバランスが生じて不思議な顔になるというように、髪質もその微妙なバランスに含まれるのでしょう。だから、直毛にしろ、天パーにしろ、そのままがその人にいちばんピッタリくるのかもしれません。そうですよね〜。もともとは、自分の魂が今回のパーソナリティにお似合いの髪はこれ!と注文してそうなっているのですものね。だから、完璧なのですね、この天パーも!