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優雅なボトルは・・・

涼しげなブルーのガラス瓶をいただきました。

アンティックの香水入れみたい。

これ、アロマランプなのですよ。

中に専用のエッセンシャルオイルを入れて、セラミックに火をつけるとアルコールランプのようになります。1〜2分で火を吹き消すと、その余熱でアロマが蒸発、そしてふんわりと香るしくみです。

今までランプタイプ、デフューザータイプといろいろ使ったけれど、あまり使い勝手がよくなかったのすが、セラミックを温めるこのタイプは簡単、安全、香りも長持ち。なによりもこの瓶の雰囲気がステキなのです。

きょうはレモングラス。今度はもう一本のラベンダーにします。

カウンセリングルームにも置いてみたら、「呼吸がラクになる♪」「癒される♡」とクライエントさんにも好評。よかった♪

ちょっとづつじゃないの・・・

 

急に変わるんだ〜♪

 

あなどるなかれ、きょうのじぶん。  ♡〜٩( ╹▿╹ )۶〜♡

みやびな天ぷら屋さん

ひさ〜しぶりにとってもおいしい天ぷらをいただきました。

ご近所の小さな道を入った先にひっそりとある天ぷら会席のお店、「天雅」」さん。こんなステキなお店がこんな路地に隠れているなんて。

さっぱりとおいしく揚がった極上の天ぷらと、初夏のみずみずしさを感じさせる美しい季節のお料理が全部で11品あまり。

こちらは八寸。雨にぬれたような紫陽花が彩りをそえています。

お造りもかわいらしく、おままごとみたい。どの器もていねいに集められた様子でステキです。

海老の天ぷら。このあと、きす、穴子、アスパラ、茗荷などが続きますが、まったく油っぽさがなく、あっさり軽くてどんどん食べられちゃいます。天つゆにつけるのが惜しくて、全部さっぱりとお塩でいただきました。

最後に、わたしはいちばん出汁の天茶。これだけたくさんいただいて、それでも天茶をべろりと平らげられるのは、いかにおいしい天ぷらかが実感できます。右は天丼バージョンです。

デザートのスイカとパインのゼリーは白ワインのシャーベットととカスタードのトッピングが絶妙。最近の和食屋さんはデザートもかなり進化していますね。

どれも繊細で素晴らしいお料理。お店のご主人ももの静かでとても控えめな方で、そこからまた静かなプロ意識が伝わってきました。

身も心も豊かになる、心のこもったみやびやお食事、ほんとうにおいしかったです。ごちそうさまでした。m(__)m

お茶の間シネマトーク「なりきんレオ様」

「華麗なるギャツビー」を観てきました。

映画も楽しみましたが、そのあとのゴハンを食べながらの大ツッコミ大会ももうひとつのお楽しみ。

ブラピでもなく、ジョニデプでもない・・・今やあぶらののりきったレオ様にしかできない美しい成金に、Sちゃん、「別にファンではない」といいつつもけっこう目が♡になっておりました。

わたしも観ていて、うわっっ、こんな迫りかた、レオ様しかできないでしょ!(汗)・・・とその存在感というか、迫力とうか、ゴリおし感に圧倒されましたもの。

このレオさま扮するギャツビーは、かなりアブナイです。ナイーブで内に秘めた想いが強いぶん思いこみが激しく、妄想癖があり、そのうえ隠しもった強いコンプレックスを刺激されようものなら逆上気味・・・。

そうです、大富豪でなかったら、あれだけカッコよくなかったら...おそらく箸にも棒にもかからない、思いこみ激しいただのストーカーおじさん・・・汗。(お金と美貌はすべてを救う・・・?)

「華麗なるギャツビー」というと、わたしはロバート・レッドフォード版をビデオで観たことがあります。かなり昔で詳細はすっかり忘れましたが、とにかくギャツビーが ♡ステキ♡ だったことだけは印象に残っているのです。ぎらぎらレオ様バージョンはあれとはまったく別ものに感じてしまいます。

ゴハンを食べながらのツッコミどころは、「デイジーはダンナとレオ様を目のまえにして、あそこまでの二股修羅場劇を繰り広げておきながら、なんであんなに涼しい顔で元サヤになれるのか!?(怒)」というところ。

まあ、NYにつぎつぎとビルが立ち並び黄金時代といわれたバブリーな時代で、それでもまだ女性は解放されていなかったからこそ、こんな恋愛観が成り立つのでしょうね〜。

すべてがレオ様のお金と美貌というマジックに包まれて、なにやらハチャメチャな話しも美しく感じてしまったりして・・・汗。そんなThe great Gatsbyなのでありました。

当時のアールデコの雰囲気や、全面的に宝飾品に協力しているティファニーの時代もののジュエリーを見るのも楽しいですよ。

PS1 3Dだと思って買ったチケット、お隣の劇場のふつうバージョンでした。・・・いつまでたっても、レオ様、とびださず・・・(失態)。
PS2 個人的にはレオ様よりはジュード・ロウが好みですが、彼ではこんなギラキラ・あまあま感は出せないけど、もっとアブナイひとにはなっていたかも。

ゆるキャラ?点心

蒸籠のフタをあけたら、湯気とともにたち現れたその姿の可愛さに「わ〜、ゆるキャラみたい!」と友人。

ほんと。なんだかなごむ・・・白菜の点心。

白菜の点心なんてシンプルすぎる・・・と思っていたけど、小龍包、春巻き、ブカヒレ、エビニラの餃子、シューマイ・・・と飲茶のスターたちの濃い面子がつづいたあとには、以外にもサッパリ、おいしいです。

そっか〜、にんげんも全員「濃ゆい」キャラになる必要もないよね〜。うすいのも、シンプルなのも結構イイかも。・・・(なんの“気づき”だ、いったい?!)

がっつりパニーニ

仕事を終えて、午後からお出かけ。

途中、以前友人と来たことがあるカフェで軽いランチを。

表参道にある「パンとエスプレッソと」というお店。

ここのパニーニがね、やみつきになるおいしさで、ツボにはまっています!

よくあるゾウリ型のパニーニではなく、ごろりと大きいハード系のパンをぱりっと焼いたもの。

はさんである生ハムがおいしいのか、モッツァレラチーズがおいしいのか、はたまたパン自体がおいしいのか・・・とにかくとっても美味。

結局まるまる全部がおいしいわけですが、とくにパン!握ったらあと形もないような日本独特のパンよりも、ヨーロッパのしっかりがっつり系のパンが好きなわたしにはぴったり。

なんといっても、お粉の香りがほんとうに香ばしいのです。フランスに行くと「ああ〜、パンだけでこんなに幸せ」と感動しますが、そんなシンプルなパンだけの満足感をしみじみと味わえます。パン好きは、ほんとうにおいしいパンに出会えるとつい熱狂しちゃいます(笑)。

いや〜、熱く語ってしまいましたが・・・(汗)。もうちょっと近所だったら、毎朝通っちゃうな〜。

本日はあわただしくパニーニをいただきました。ああ、またパニーニ、食べたい♡

気づきの日記「ニュータイプのうつ、“新型うつ”って?」

最近、働く現場では若い世代を中心に「新型うつ」というのがふえているそうです。

「うつ」の新型、とはいったいなんぞや・・・??

そこで「新型うつ 傾向と対策」セミナーに行ってきました。

従来の「うつ」は脳内のセロトニンの不足などが原因で不眠、気力の低下、食欲不振など、生体エネルギーが著しく低下した状態になります。

一方、「新型うつ」は脳内ホルモンうんぬん・・・というよりは、生育環境、親との関係、性格などが原因だそうな。つまり、過保護、過干渉、母子密着、愛情飢餓、父親不在、自己愛着性、未熟な人格が職場や学校のストレスと絡むことで起っているのですよね。「うつ」っていうよりはセラピーによく持ちこまれる典型的なココロのお悩みのように映ります。

症状も、見るからに「うつ」という一般的な「うつ」状態とは違い、まずは「自分大好きの自己中」で、「いやなことは一切やらない」「人間関係では空気が読めなず」そして「すぐ人のせいにしちゃう」など。たんに「これってワガママじゃないの?」と受けとられてしまうような症状。

つまり、勤務中はうだうだ、でもアフター5はめちゃ元気、気に入らない仕事は平気でスルー、認めてもらえないとガマンができず、失敗したら人のせい、ちょっと強めにしかられるともう欠勤、・・・などなど、そこから休職、ひきこもりへ。

「うつ」というカテゴリーに入れられていることじたいが不思議な「新型うつ」。こんな方がいたら、こりゃ適応障害だわ、と思っちゃいます。だから、職場では「ワガママ病」のレッテルをはられて相手にされず、改善するどころか事態は悪化するばかり。

性格的な傾向とストレスが絡んでいるので、クスリはあまり効かないそうな。カウンセリングとストレスをやわらげることで対処します。だから、何がストレスになっているのかを見極めずに、「ワガママな!」と叱ろうものならもっと悪化するのです。

また、従来の「うつ」は「うつですよ」という診断が下されると「自分がうつのはずがない」と拒絶反応を示すのですが、「新型うつ」はかえって喜んじゃう。つまり、堂々と休める口実ができた!じゃあ、休みますのでよろしく、という具合に。

「新型うつ」をみていると、あまりに「うつ」っぽくないので、もともと「うつ」って何だっけと思っちゃいます・・・汗。

職場や学校で、ワガママ、無責任、自己中気味、すぐ調子悪くなって休んじゃう  +  なんとなく抑うつ気味の人がいたら、ご注意を!

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

雨のなかで踊ってる?

気づきの日記「こころのキモチと、あたまのキモチ」その2

(その1より)

このココロの声を無視して大丈夫なフリをしていると、外から見るとどこか不自然な感じと不正直さが伝わってしまいます。わたしたちの醸しだす雰囲気って、本人がそれを隠しているつもりでも、かなり的確にまわりに伝わってしまうものです。なので、大丈夫なフリをすればするほど、態度と言葉が一致していない不安定さを感じさせてしまいます。

それと同時に、自分を大切にしていないと、相手にもOKを出せるようにはなりません。(「わたしがこんなにガマンしているんだから、あなただってこのぐらいはガマンするべきでしょ!」と同じレベルのつらさを相手にも要求するようになってしまうのですね。)

A子さんにおうかがいすると、やっぱり小さい頃から自分の感情は押し殺す「いい子」を演じてきたようです。きっと、人生のとても早い時期に、感情表現をしたら傷つく体験をしたのでしょう。

・・・ということは、もしかするとA子さんは、「自分の感情がわからない人」ではなくて、じつは「誰よりも感情に敏感な人」、つまり「感情が豊かで、感情を感じやすくたくさん表現していた人」だったのかもしれません・・・だから、よけいに傷つきやすかったのかもしれません。

そうなんですよね〜。幼いころ傷ついた部分は、性格が反転してしまうのです。いっしょうけんめいいろんなことをお喋りをする子だった、けれど父も母も耳を傾けてくれなかった → もう、彼らには喋らないを!と決める → 無口な子、というように・・・。なので、「わたしの性格のこの部分が嫌いで・・・」というクライエントさんには、「大丈夫ですよ〜。もともとそういう方じゃないですから」と、今は反転しておおい隠されてしまっている本当の自分がいることをお話しします。

A子さんには日々の生活の中で、まずは「自分が何を感じているのか」を折々の場面で自覚する練習をしていただくことにしました。

「ねえ、今、あなたはどんな気持ち?」と一日に何回も自分に問いかけます。

的確に自分が感じていることを捕らえるのはむずかしいと感じるかもしれませんが、「なんかモヤモヤしてるな」とか、「落ち着かないよ」と漠然とした感じならわかるかもしれません。

そうしたら、それが身体のどこにあるかもうちょっと調べてみます。「う〜ん、そのモヤモヤは胸のとこかな?・・・あ〜、さっき言われたことに納得していなくて、ムリやりおしつけられたことに悲しんでいるかも」。

そうしたら、それに対しては「いい」とも「悪い」とも価値判断することなく、ただ受けとめてあげます。「そっか〜、さっきの言葉で傷ついちゃったんだね〜」と。

人とのコミュニケーションの中でもそうですが、わたしたちは全面的に、無条件に、真剣に「受け入れてもらう」ととても安心します。すると、何も状況は変わっていないけれど、「よし!頑張ってみようかな」と前向きな気持ちになることができます。

気持ちにおいてもしかり。自分の気持ちを「いい」「悪い」の判断なして、しっかりと受けとめて、認めてあげると、その気持ちは安心します。ちょうどドッヂボールをしていて、正面からきたボールをお腹でドスンと受けとめるような感じです。正々堂々と、真っ正面から真剣に受けとめてあげます。

そうするとなんかいったん落ち着いて、その後にどうすればいいのかも見えてきたりします。「やっぱり、納得していないな〜。ちゃんと気持ちを伝えて、できませんって言ってみようかな〜」というふうに。

なんでもそうですが、姿がはっきりしない得体の知れないものはイヤな感じがしますよね。でも、いったん「それが何であるか」を見きわめることができると、わたしたちはホッとするのです。(気持ちを文字にして書き出してみるのも、オススメです。)

A子さんは自分の気持ちをちゃんと文字にしてはっきりと認めてあげる習慣をつけたら、娘さんとのコミュニケーションも変化したそうです。一方的に押しつけることはなくなって、かならず娘さんの気持ちを聞いて、しっかりと受け入れてあげてから、さてどうしようかと二人で一緒に考えることができるようになったそうです。そうすると、娘さんもたくさん気持ちを話してくれるようになり、A子さんも素直に「ママ、きょう疲れてちょっとイライラしてるかも」と自分の弱さを出せるようになりました。

こんなふうに、決してなくなることがない感情エネルギーをうまくガス抜きする習慣を持つと、自分が自分の感情にホンロウされて「人生、こんなはずじゃなかったよ〜」と後悔することが少なくなるかもしれません。

やっぱりいつでも大切なことは、理屈をこねくりまわして「オッケー!」といいそうになるウソつきなあたまのキモチはおいておいて、まずは自分のこころのキモチをていねいにひろってあげて、自分を大切に尊重してあげることなのですね。

やさしくするのは、まずは自分から!

この姿勢を持てるようになると、外側を気にしてブンブン振りまわされることも少なくなり、だんだんと自分のペースができてくるし、自分のことが信頼できるようにもなってくるのです。(^_^)v

 


「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

気づきの日記「こころのキモチと、あたまのキモチ」その1

クライエントのAさんは30代のシングルマザー。お仕事をしながら5歳の娘さんを育てています。

ところがいつからか、熱がでたり、頭痛がしたり、体調がすぐれない日が多くなってきたとか。風邪かな? とほっておいたら、ついには何をする気力もなくなってしまい、夜、娘さんのためにゴハンを作らなくちゃと思っても、キッチンの床にぺったりと座りこんだまま、ただハラハラと涙をこぼすようになってしまったとか。

「わたしの人生、こんなはずじゃなかった」「娘のことも苦しめている」「両親だって心配しているし」・・・「それも、これも、わたしがいけないからだ」 ・・・と、自分自身を責める気持ちに苦しみながらセラピーにいらっしゃいました。

Aさんはふだん、まわりを気遣うとても優しい性格。職場でも明るく雰囲気を創り盛りあげていました。

しかし、「なんとかこの職場で、好かれながらうまくやりたい」という意識が強くなりすぎたせいで、注意が周囲を気にすることばかり注がれ、自分を気遣ってあげることがすっかりお留守になっていたようです。

じつは、家のことと職場のことですご〜く疲れているのに「必要以上に元気にふるまったり」、同僚のちょっとしたひとことに傷ついてしまったのに「まるで気にしていないふりをしたり」、理不尽な残業をおしつけられても全然大丈夫ですと「笑顔で引き受けてしまったり」・・・明らかにこころと態度に大きなずれが生じていたのです。

これは意図的にそうしていたわけではなく、無意識のうちに大丈夫な自分を演じるクセがついていたため、自分の内側の気持ち、こころの叫びを汲みとれなくなっていました。

わたしたちは小さい頃から、「もっとアタマを使いなさい」と理性的であることをよしとされます。そのままの気持ちを出そうものなら、たいてい親に嫌がられるのです。

「なにめそめそしてるの?」
「いつまでスネてるつもり?」
「文句ばっかり言って」

こどもは上手な感情の伝え方を知らないのでそのまま感情を爆発させるわけですが、それをちゃんと受けとってもらったためしがありません。いつも否定される反応が戻ってくるのです

すると、感情はいけないものだ、これは嫌われる、と「飲みこむ」クセがついてしまうのです。(飲みこまず、人にぶつけ続けるパターンもあります。)「飲みこんだ」感情はなくなりません。感情はしっかりと受け止めない限り、潜在意識にしっかりと抱えこまれてしまいます。

抱えこむといっけん無くなったように見えます。「おお、わたしって、立ち直り早いわ!」「何言われてもぜ〜んぜん平気じゃないの」と。

いえいえ、そんなことはありません。ちゃ〜んとためこまれていて、ある引き金を引かれたときに、いっぺんに全部が飛び出してくることがあるのです。「え〜、あの温厚な人が?」「え?あのおとなしい彼女が?」と、手をつけられないぐらいの爆発ぶりに周囲はアゼンとします。

いったん火がついたら、大爆発にいたるわけです。あるいは、ためこんでいた同じようなものに引火して手がつけられなくなることも。(ははは・・・そんなこともありましたって、思いあたっちゃったりして・・・(^^ゞ   )

自分の感じていることに関しては、アタマよりもカラダの方が正直です。自分では気がつかなくても、カラダは一生懸命、メッセージを発してくれているのですね。

たとえば、眠れない、胃の調子が悪い、頭痛がする、下痢・便秘になる・・・など、こころの声をカラダに映して心身症としてメッセージを伝えてきます。それでも、わたしたちは自分のこころの叫びに気づくことができません。

アタマはまるで、「わたしの言うことをきけ!」「ちゃんとやるんだ!」「イヤだなんていわせないぞ」と、いやがる馬(こころとカラダ)にまたがりビシビシとむちを打ちこむ暴君のようですよね。

「元気なふり」「なんでもないふり」・・・「ふり」をするのは、ある種、自分への虐待です。こころやカラダが何を言おうと、ぜったい耳を傾けず、いやがることを強いるわけです。一方、自分以外の人の気持ち、意見にはとても敏感に反応して、気遣ってあげるわけです。(これじゃ、ココロが反乱をおこしてもムリもないですね・・・汗s。)

(その2につづく)

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)