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お茶の間シネマトーク 「アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生」

女性写真家のドキュメンタリー・・・・と、いうよりも劇場版写真集。

たぶん、彼女の写真を見ると「ああ、これ知ってる!」という知名度の高いものがいくつもあります。とくに、ジョン・レノンが殺される数時間前に撮影されたヨーコとの最後の写真。構図の大胆さとはうらはらに表情がとても自然なふたり。わたしも、「この作品は、誰のだろう?」ととても気になっていたものです。

ファッション誌の表紙やグラビアというとヘルムート・ニュートンの作品が頭に浮かびますが、ハーパースバザー誌でのアニーの作品はさらにドラマチック。インパクトがあります。彼女の写真は被写体が自然体であっても、独特な存在感を醸し出しています。彼女のイメージどおりに空気の色を染めあげてレンズにおさめてしまうような。

インタビューの中で、彼女にかかわる誰もが口をそろえて、「仕事に対する姿勢はすごく真剣」、「あそこまでしなくても、いくらでもできるはず・・・」というような発言をしています。でも、撮影している本人を見ると、いたって気楽で飄々としているのです。力がぬけて「我」がなくなってしまってる状態。結局、芸術にしろ、どんな仕事にしてもそうですが、自分を捧げつくす、すると勝手に高いところのドアが開いてしまって天につながってしまうようです。

五十をすぎて子育てに目覚め、今や三児の母に。その生き方の柔軟さはいつも自分の気持ちに正直な証拠でしょう。女性というよりも人として魅力的です。

カウントダウン、はじまりました〜♪

目黒川のさくら並木。きょう突然、「もう、待ちきれませんっ!」とばかりに、ほころびはじめました。

今年は、あさって(25日)以降が見ごろとなりそうですよ〜。

ダンゴのご準備を!

 

 

 

 

あのっ!

「るん」から恵比寿方面に向かい、あっちに曲がり、こっちに曲がり、はてはどっちに向いてるかわからなくなったころ到着する住宅街の和食屋さん「すがわら」。

お店に足をふみいれて驚いたのは、こんなロケーションでまだ七時前だというのに、カウンターとテーブルのほとんどがネクタイ姿の中年男性で占領されているということ。その後、まもなく満席。なんだか、不思議です。和食屋さんらしからぬこのにぎわい。なぜ?取材かなにかで有名?

・・・こっそり教えてもらった答えは「ミシュラン」! なるほど〜。

出てくるお料理は、旬の食材がた〜っぷり。春キャベツやら筍、菜の花・・・。どれも和食のお店にしてはしっかりした味つけです。でも、いちばん驚いたのは、そのボリューム。ギャル曽根ちゃんとまではいきませんが、大食いを自負するわたし。いつもは、出してくださったものはおいしくすべて平らげ、そのうえデザートのおかわりもへっちゃらのはず。

しかし、非常事態発生。春キャベツのサラダが大皿にうずたかく盛られ、その上にタレのしみこんだ柔な牛肉がいくえにも。このあたりからお箸の動きがにぶりましたね。さらに新じゃがと筍、菜の花の炊き合わせ、金目鯛の姿焼き、そしてお食事へと続くのですが。さすがにご飯とお味噌汁はギブアップぎみ。一週間分のおかずと一度にいただいてしまった気分。

と、いいつつも、最後のアマレットのかかった杏仁風牛乳かんがとびっきりおいしくて、しっかり立ちなおってすべていただきました♪

つくづく、最近の恵比寿は多種多様に洗練されてきているのを感じます。こちらのお店にいらっしゃるときは、よ〜くよ〜くお腹をぺったんこにしておくことがポイント!旬の食材のおいしいご飯をた〜っぷり堪能できることでしょう。

PS 常連さんは別ですが、一見さんだと接客に多少緊張感をしいられる・・・という感じでした。

あっちも、こっちも花盛り

本日は熱海に出稼ぎ♪

春の祭日だというのに朝から冷たい雨。

せめてお弁当ぐらい春爛漫で・・・と、お花見弁当をふんぱつ。桜ご飯に桜のお麩、そして桜餅まで入って、お弁当箱も桜模様。

いつものように新幹線から富士山は臨めませんが、あちこちの畑が雨にぬれて青々していいる様子に春を感じます。

熱海に着いたら、ヒプノルームもなにやら華やか。いつもと雰囲気が違います。

桜が満開の美しいラグが出現!部屋中ほんわか春気分です。

あいにくのお天気&お仕事DAYでしたが、一足早い桜に囲まれた一日でした♪

お茶の間シネマトーク「君のためなら千回でも」

ひたむきな少年たちのちょっと泣ける友情もの・・・かと思いきや、舞台はアフガニスタン、そして少年から大人へと時をこえた物語。

強い絆で結ばれていた二人の少年。しかし、純粋さゆえの残酷さから、ある出来事によってふたりの友情はあっけなく失われてしまいます。いちばん自分を気づかい愛してくれていた人をふみにじってしまうのです。

少年の一人はアメリカに亡命し、それから二十数年。そこに一本の電話が入ります。昔の親友の消息について。そして、電話をうけたその青年は愛する家族をも残して、かつての親友のためにタリバン政権下のアフガニスタンへと向かいます。親友は、もうこの世にいないにもかかわらず・・・。

長い時がたって、やっとんほんとうの答えが出ることもあるし、見えなかったものも見えてくる・・・。だからこそ、人生は深みがあるし愛おしいのでしょう。
予想外に泣けました。

涙壷度: ★★★★☆(ハンカチ必携)

どういう心理か・・・

巨大ぷちぷちパッキン。全部ぷちぷちしないと捨てられない人・・・っていたい?!(笑)

 

 

 

 

 

 

Ebi・Thai - Day♪

夕べ、街で目にとまったのが、手提げ袋。ユーハイムとか、ウエストとか、お菓子のお店のロゴや模様が入った袋。それを提げているのは男性。一人や二人じゃなかったので「アレ?」と気になったのです。

今朝になって納得!きょうは「ホワイトデー」なのですね♪世の男性はなんと心優しく律儀なことか。みなさん、ちゃんとリキを入れて品選び。女性が喜びそうなものをご用意されているようです。

かくいう私も、まずは午前中から大きな宅急便がドカンとふたつ。ひとつは父から。もちろん、チョコのお返しです♪もうひとつのさらに大きなのは、いつもお世話になっている方から。

おもわず「ぎゃ〜ん!」と叫びましたよ。だって、あまりの「エビ・タイ*」ぶりに穴があったら入りた〜い。じつは、感謝の気持ちでチョコをお送りしたのですが、「大きくても、持て余すよな〜」と手のひらサイズをチョイス。いざ、お店で受けとったら「えっ?カラじゃない?」というぐらいの存在感のなさ。いつもお世話いただいているのに、あまりに軽すぎ。
*「エビ・タイ」(海老で鯛を釣る)

なのに、いちばん大っきなお返しをいただいてしまいました。恐縮ですっっ(汗)。

いっけん帽子の箱のように見えますが、これ新潟のおいし〜〜いお煎餅。 箱のおしゃれさからもわかるように、「おせんべ」と呼んでしまうのがおこがましいほど上品で美味で今までの「おせんべ」概念をくつがえします。

いつもながら、結局「与える」よりもさらにた〜ぷっり「受け取って」しまうという幸せを再確認した「ホワイトデー」でした。

気づきの日記「気分って、選べるって知ってた?」その2

どうしても、「あいつが悪い!」「私は被害者だ」といいたいときは・・・・、結局戦いのゲームが好きなだけ。誰かを悪者にして、じつはコッソリみずからの劣等感のうめあわせをしているのです。

ネガティブな感情を感じるとき、そう感じたいならどうぞぞんぶんに感じてみましょう!脇にどけて無きものにしたとしても、決してなくなりません。でも、感じるときは、いさぎよく5分だけね。しっかり向きあって感じていると、あんがい数分で跡かたもなく消えてしまったりします。そして、必ずしもそう感じる必要がないことを自分に教えてあげてください。

幸せって、こんなちいさな感情のコントロールから手に入るもののようです。

真綿で首をしめるようにあなたを苦しめる「真実の感情」のフリをした「エゴのささやき」にご用心。そんな真綿は拒絶して、堂々と幸せの王道となる考え、感じ方を自分で選ぶこと。いらない感情は無視してやりすごし、感じたい感情のために自分にとって健全な考えを選びましょ♪そう!「選べる」んです。でも、「今、カッカと感じている自分の感情から離れるのはむずかしい」と感じるかもしれません。

そんなときには、「幽体離脱モード」を使ってみましょう。

つまり、自分をいきなり「彼」とか「彼女」とか「それ」にしちゃって、ちょっと身体の外から感じてみます。「なるほど〜。彼女は今、怒っているんだな。大切にされていないと感じているんだな」というように。

ちょっと外に出て自分をながめてみると、自分の怒りや落ち込みの理由が見えてきたりします。怒っている裏側には、じつは自信のなさがある・・・とか、落ち込んでいる裏側には無力感があるなど。

そうすると、自分の外にあるものに腹を立てていたのが、実は「自分で自分が限りなくふがいない」と信じてあたりちらしていたことに気がつきます。そんな気持ちを見つけたら、自分自身が愛してあげてください。「ああ、そんなふうに感じてたんだね。そっか〜そっか〜。こわかったんだね」と。

べつに何かすごいアドバイスをしてあげる必要はありません。ただ、「うん、うん」と耳を傾けて、理解してあげれば十分。

なぜなら、外側にあたりちらして被害者になりたいときには、じつは自分で自分のことを好きになってあげてないときだからです。外に見える不快なものは、すべて自分の映し絵。自分の影帽子。自分で自分を足蹴にして、切り刻もうとしてるわけです。

こんな自分の弱さ、ふがいなさをちゃんと見て、気にとめて、受け入れてあげる。そんなプロセスの中で、小さいころの癒されていない感情の数々に気づくことになるかもしれません。ただ気づいて、受け入れることによって、外側の世界は少しづつ平和になってゆくのが感じられることでしょう。

気づきの日記 「気分って、選べるって知ってた?」

クライアントさんとのやりとりの中で、あるいは自分の心の中のつぶやきに耳をかたむけて・・・つくづく思うのですが、どうして人は「自分を幸せにしない考え」に固執するのでしょう?

「あの人ったらヒドすぎる」「なんで私ばっかり」「どうせ私なんて」・・・自分をみじめにさせ、イライラさせ、未来もない絶望的な気分にさせる考え方・・・それをいつまでも手放そうとしません。たいてい、みなさんこうおっしゃいます。「だって、それは今私がそう感じているんだから、まぎれもなくホントのことでしょ!」と。

「感じている」からホントのことなのか・・・?
「感じ」ってそんなに普遍的な真実なのでしょうか?そのわりには、その日の天気や、寝起きや、他人の言葉でころころ変わるような・・・。

「感じてるからホントなの?あんがい違うかもよ〜」とわたし。
その場面で、そう感じなきゃいけないルールなんてないんですもの。同じシチュエーションで十人の人に気分を聞いたら、たぶんみんな違うはず。

「気にもとめない」人もいれば、「一生の大事!」とあたふたする人もいたり・・・。ということは、そのものごとよりも、その人の「経験」から生み出される「考え方」が人を苦しめたり楽しませたりしている正体ということです。

そして、たいていネガティブな感情の裏には「たくらみ」があります。腹をたてることによって、まんまと被害者になりすまし相手に罪悪感をおしつける。「ひっひっひっ。あなたってじつは、こ〜なにヒドイ人だったのよ〜。知ってた〜?」と相手を無言で脅迫。あるいは、落ちこんで無力な自分を装うことによって、優しい誰かさんをまんまとコントロール・・・。こんなたくらみの上によい人間関係がきずけるはずもありません。

「ある感情」を感じたとき、ちょっと考えてみてください。
「この感情は、私をハッピーにしてくれてる?」
もし、そうじゃないとしたら、じゃあ何でやっているんだろう?ほんとうは、どんな感情で自分の人生を満たしたいのだろう?と。

(次回に続く)。

はるだ〜♪

毎年かわりばえしないセリフですが、「確定申告が終われば、春♪」。

ほんっと、「何年やってるのぉ〜?」と我ながら苦言を呈したくなるぐらい一年に一度の作業は遅々として進みません。

去年の申告書を参考にするも、「えっ?いったいこの数字はどっからどうやってはじき出されたのだ?」「なんでここがゼロなの?」と、小一時間は首をかしげるばかり。まったくはかどりません!これじゃ、十五年以上やってやっと一人前?まるで職人芸の世界だわ(笑)。

とにもかくにも、ポストに押し込み終了!あとは同じく自営業の友人が終了するのを待って、築地にお寿司をたべに行くのがごほうびです♪

とりあえず、スタバのキャラメルマッキアート、本日はTallで乾杯っ!