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謹賀新年 2021

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

今年もみなさまにとって、穏やかでよろこびあふれる一年となりますように。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

オフィス・るん
古川貴子

 

 

今年もありがとうございました♡

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

だいぶまえからお友だちと約束をしていたので、近所でサックリとお疲れさまのお茶を。

そうはいっても、東京 感染者1300人ごえの速報に、ありゃりゃ〜!(汗)。そそくさと帰宅いたしました。

今年もお友だちや皆さまに支えられ、元気に笑顔で過ごすことができた一年でした。

ほんとうに感謝でいっぱいです。

来年も、安らぎのなかで丁寧に日々をかさねてゆけたらと感じています。

どうぞ、みなさまもよいお年をお迎えになってください。

 

 

 

仕事おさめ

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

みなさまはもう、年末のお休みに入ったのでしょうか?
私は、きょうが仕事おさめ。

午前中にセッションを終え、午後は一年間お世話になったセッションルームのお掃除を。

椅子やテーブルをどけて掃除機をかけて、ソファカバーを洗って、窓をふいて・・・どんどん無心になり、それがまた心地よく、やりはじめたらけっこう止まりません。

お掃除は不思議です。

なんでしょ、このスコーンと空気が澄みわたる清々しさは! お部屋の雰囲気がバージョンアップしたよう。

こんなプチ大掃除であっても、背筋をただして新年を迎える気分になりました。

いよいよ、今年も残すところ明日一日となりましたね。

おっと、 こころの年末大掃除もあなどるなかれ! です。

こころのホコリも、すこ〜しづつすこ〜しづつたまって、気がついたら機能不全、なんてことになりかねませんからね  (^_^;)

 

 

 

気づきの日記「身体の調子が悪いとき」

 

体調が悪いとき、私たちはそのことばかりを気にしてしまいます。

心配することこそが癒しのように感じてしまい、あれこれ考えたり、それに対してさまざまなことを試みたり・・・。

じつは、始終それに気をとられてしまうことが、その解決を難しくしてしまうのです。

なぜなら、いつも気にすることでそこにエネルギーが注ぎこまれ、それを大きくし、自分でそれを「手におえない大きな問題」にまで仕立てあげてしまうからです。(いつも気にする、ということは、じつはそれを「愛している」ということと等しいのです。)

そうすることで、真の原因がそのまま温存され、その結果である具合の悪さもそのまま保たれつづけることになります。

目にしているものは、ほんとうの原因の影にすぎません。

真の敵と戦わずその影帽子と戦っても、何の成果も期待できません。

架空の敵と戦うと疲弊します。なぜなら、相手はぜったいに倒れないからです。(起きあがりこぼしと戦っているようなものですね!汗)

私たちは、ついつい目にしているものを信じ、そればかりを相手にしてしまいがちです。

しかし、そもそも目に見えるものは、見えないものから生まれた現象(かたち)にすぎません。

たとえば ・・・ 高速道路に蜃気楼のようなものがあらわれることによって事故が多発したとします。

その問題を解決するために、蜃気楼を片づけに向かっても意味がないのと同じです。

問題はそこじゃないよ!と笑われてしまいます。蜃気楼が発生する原因を調べて、その原因を排除しなければならなかったのです。

体調が悪いときに私たちがせっせとしていることも、蜃気楼退治と同じです。

かたちは必ず、かたちのないものから生まれます。それは、こころです。

だから見えないものこそが重視されなければなりません。

もし、見えるものにこだわってしまうと、大切でないものが自分にとって重大になり、自分を支配するパワーを与えてしまうことになるのです。

いったん、見えているものから注意をはずして、それを生み出しているこころへと戻り、そこに注意を注いであげることが必要です。

こころの本来の性質である「安らぎ」のスペースへと戻って、そこにとどまってあげることが正気を取り戻すことになります。

そこに落ち着けば、すべては自ずとそこの力に導かれてゆきます。そこは答えのあるスペースだからです。そこにこそ、すべてを解決する力があります。

蜃気楼に注ぎ込んでいた注意を逆向きにして、こころの静けさのスパースに戻り、そこをリアルにしてあげましょう。そのスペースを愛してあげましょう。(私たちはそこをカラッポにして、影にばかり向かっています!)

その静けさのスペースのなかから外をみるとき、こころの静けさと同じものが見えるようになります。

かたちに囚われていたこころをかたちから退かせると、かたちのないものが力を取りもどすことができるのです。かたちのないものこそが、すべてを統治する源です。

目にみえるものから退いて、静かなこころのスペースへと安らいだら、そこから与えられる直感を受けいれて、それに従ってみましょう。

ただそこから生まれる考えや行動について行ってみましょう。努力なく導かれる感覚が生まれます。

そのスペースでこそ、こころは正気を取り戻すことができ、正気のこころからは正しい知覚が生まれます。

正しい知覚には、愛と安らぎと喜びだけが存在しているはずです♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

☆Merry Christmas☆

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「がぶっといってください!」とツリー型の大きなチョコレートをいただきました。

Ericaさんのチョコレート、おいしいのですよね〜♡ クルミとかマシュマロが入っているようです。

はい、お言葉どおり、こころおきなくがぶっと至福のときを楽しみたいと思います (´▽`*)

 

 

お友だちからのあったか便

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お友だちがお庭の柚子を送ってくださいました。

きょうは冬至でしたね〜! ありがとうございます♡ さっそく柚子湯にしましょう。ハチミツであったか柚子ドリンクも。

ここのところバタバタと忙しかった私に、激しくツボにはまる癒しのコーヒーとクッキーつき。(どちらも、私たちがいつも熱く語ってしまう大のお気に入りです。ウレシ〜〜♡)

冬至とともに、天空でも土星さんと木星さんの新しいスタートへの一大イベントが繰り広げられつつあるとか。あったかお風呂につかって、美味しいコーヒーとクッキーで癒されて、新たな扉へと向かいたいと思います。

C子ちゃん、いつもありがとう♡

 

 

 

お茶の間シネマトーク「モノクロ クリスマス映画」

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クリスマスの時期になると観たくなる古い映画のひとつが、「クリスマス・キャロル」。

DVDで観ていた頃は、このシーズンはいつも出はらっていて観られませんでした。

ディケンズ原作の「クリスマス・キャロル」は何度もリメイクされているクリスマスの定番ですが、今回は1938年(ふるっっ!!)のモノクロ版。

手作り感と素朴さにあふれていて、温かみがあってヨイですよ〜。

こどもたちはみんな素直でいい子、そしてパパは一家の大黒柱として尊敬されていて大人気、ママはみんなを包みこむ愛情と優しさにあふれていて・・・そんな幸せな家族の原型を目にすることができます。

主人公は、グリンチという超ひねくれもので嫌われもののおじいさん。彼の身に起こるクリスマスの奇跡を描いています。

クリスマスイヴの晩、三人の精霊がグリンチのもとに現れて、彼の過去、現在、未来に連れてゆきます。

いくらひねくれものであっても、こどものときはやっぱり傷つきやすく愛らしい少年だったグリンチ。そんな自分を眺めながら目をうるませます。

さらに、彼の現在も客観的に見てみることに。すると、彼の気難しさのせいでどれほどの人が悲しくつらい思いをしているのかに改めて気づき、はじめてこころに痛みを感じます。(渦中にいると自分のことしかわからなくっても、ちょっと距離をとり外から眺めてみると冷静になれるものです。)

さらに未来の自分も見せられたとき・・・グリンチはそこに横たわる自分におもわず目をそむけます。

そして、寂しい結末を招いた今までの自分を悔いはじめるのです。

ストーリーはとってもシンプルですが、クリスマスの温かな雰囲気にあふれていて、あたりまえだけど忘れがちな人に対する思いやりやつながりを大切にするこころを思い出させてくれます。

クリスマスにオススメの古い映画もう一本は、「三十四丁目の奇跡」。

こちらは1948年版のモノクロです。

デパート主催のパレードでサンタ役に雇われていた老人が、「自分はサンタクロースだ!」と主張しつづけているうちに、やっかいな問題に巻きこまれ、ついには精神病院にまで送られ審議にかけられてしまうというお話。

こどもたちには絶大な人気を博すこのサンタ老人、彼はいったいアタマがおかしいのか? あるいは、ほんとにサンタなのか?

そして、このゴタゴタはどうなる?(・・・ ああ、やっぱりリアル サンタか?!)

このおじいさんのサンタっぷりにほっこりします。

また、その当時の人々や街の様子も見ていて楽しいです。男性も女性も、髪型がかっちりしていて、今どきこんな髪型をしている人がいたら古いマネキン人形かと思ってしまうかもしれません。(あ、「マネキン人形」という言葉でさえ死語の世界?!笑)

二本とも、昔ながらのクリスマスのわくわくを感じさせてくれる映画で、「そうだよね、こどものときはクリスマスってこんなふうにワクワク待ちどおしかったよね!」って思い出します。

私も、こどものときのクリスマスをふと思い出しました。いくつまでだったか、サンタは毎年来てくれていましたっけ。

あるクリスマスの夜、寝たフリをしてサンタを待ちかまえていたら、案の定サンタはやってきて枕元にプレゼントを置いて去って行きました! それをいいことに、寒い真夜中にガバっと飛び起きて、兄まで起こして一緒にそのオモチャで遊びはじめちゃったのです。そうしたら、仰天したサンタがあわててもどって来たのを思い出しました(笑)。

プレゼント、待ちきれなかったのですね~。

今年も・・・昨日、予期せずにサンタさんからの玉手箱が届きました。きゃ〜、嬉しい♪ いくつになってもわくわくします。ありがとうございます♡

こんなコロナ禍だけど、今年はちゃんとクリスマスケーキを買ってクリスマス気分を味わおうっと! みなさまも楽しいクリスマスを☆

 

 

気づきの日記「なかなか問題が解決できないとき 〜渦の外に出てみる〜」

 

渦のなかにいると、目がまわってしまいます。

 

目がまわれば、具合が悪くなります。正気を失います。できるはずのこともできなくなります。

 

以前、たけしさんの番組で、回転椅子でぐるぐる回されてからゴルフをする、という企画がありました。誰ひとりとして立っていることはおろか、地面にはいつくばってふだんの実力を発揮することができませんでした。

 

 

私たちが問題のなかにいるとき、それはまさに渦に呑まれて正気を失っているときなのです。

 

ふらふらになってゴルフに挑んでいたように、私たちもすでに問題を解決できるポジションにはいません。

 

それでも平静を装って、問題を解決しようと試みてはみます。またそうできる、と信じているからです。

 

冷静な状態だったらすんなりできることも、渦のなかにいては状況に対してコントロールを失い、怖れから反応するため、さらに混乱が深まります。

 

渦のなかでは問題は解決できないし、そもそも解決すべき場所にはいない、ということです。

 

解決を望むなら、まずは渦を離れてみること、解決が可能な場所へと移動することが先決なのです。

 

 

渋谷のスクランブル交差点を渡っているとき、あちこちから人が押し寄せてきます。そっちに行きたいわけではないのに、あれよあれよというまに人混みに流されてしまいます。

 

しかし、いったんそこから離れれば、さきほどの雑踏がウソのように平静さを取り戻すことができます。

 

問題が起きているときも、その状況という渦から離れてみましょう。

 

目にしている画面全体から数歩、感覚的に退いてみるのです。カメラが引きのショットになるように、少し距離をとって俯瞰してみます。

 

目にしている画面全体に気づいてみることで、こころのスクリーンに映っているもの全体を見渡すことができます。

 

すると、止まることを知らないように見えたアタマのなかのセリフや考え、ストーリーがしだいに静かになってきます。

 

目にしている場面も、少し距離ができて、まるで過去の物語を見ているような人ごと感が生まれてくるのです。

 

この渦の外側の静かなところから眺めることで、さきほどまで「これは大変なことだ!」と深刻モードにおちいっていたことが、さほどでもないと感じられてくるのです。

 

この静けさのなかにとどまっていると、思考や感覚が落ち着いてきて、それにともなって怖れや不安も鎮静化してきます。

 

 

私たちは問題という渦に遭遇すると、あわててそれに抵抗したり、闘おうとしたり、排除しようともがいてしまいます。決して渦から逃げてはいけないと思っているのです。真正面からぶつかって行くべきだと信じています。

 

そのため、簡単に渦のなかに呑み込まれてしまいます。

 

じつは、渦のなかには答えがありません。なぜなら、そこは自分がいるべきところではないからです。正解など見つからないのです。

 

だから、問題という渦に遭遇したら、目にしている世界から数歩下がって、全体を俯瞰するようにし、静かなスペースから眺めてみましょう。

 

この渦から離れた静かな空間には、あらゆる答えが存在しています。そこのみが、答えが受け取れる場所なのです。

 

私たちが問題の答えを受け取りたかったら、問題という渦から脱して、静かなスペースにとどまり、そこにチューニングする必要があります。

 

ただ渦から距離をとってみましょう。そして、その静けさと一体になってみましょう。

 

こころはすぐに、怖れや焦りから開放されはじめ、穏やかでくつろいだ状態になってきます。

 

そのスペースとひとつになり、そのスペースとして呼吸し、ただ深くくつろぎ、とどまってみましょう。

 

あとは、ただ静かな安らぎのなかで過ごしてみます。すでに渦から脱して、解決の流れに乗っている状態です。

 

やってくる直感や感覚にまかせて、こころが広がる感じがする方向へと舵をきってみましょう。

 

こころの混乱が鎮まり、答えの源とつながることで、ものごとは自然に流れはじめます。これで、必ずうまくいきます。

 

 

私たちは外側に答えを探しているだけで、ぐるぐる目がまわってしまうのです。なぜなら、そこはいろいろなものがせめぎあう渦そのものだからです。

 

渦の外に出るというのは、混乱が混乱を呼んだ状況のなかから距離をおき、静けさのなかで正気を取り戻すことです。

 

そして、答えを受け取りたいという意志をもって、答えそのものである叡智(静けさ)とつながることで、答えが自然と目のまえに映し出されるのをゆるすこができます。

 

難しいことはありません。ただ、見ている画面から少し離れて俯瞰して、こころに安らぎを取り戻し、静けさのなかにとどまってみましょう。

 

中目をはなれて

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いつも中目、代官山に来てくださるお友だちと武蔵小杉のカフェでデート。武蔵小杉って、最近人気の街ですよね。私はお初です!

中目を離れると、なんだか時間の流れがゆったりしているのを感じます。お茶代も二割ほどお安いしスウィーツもひとまわり大きめ(笑)、人もずっと少なく、ほっとできる雰囲気があります。

長らくお家カフェだったので、人さまにいれてくださる珈琲のおいしいこと♡

コロナを気づかい、パワー全開で大笑いのおしゃべりタイムとはいかないけれど、

おいしいスウィーツ(本日は塩キャラメルパンケーキとブルーベリークレープで〜す!)をわけあい、あれこれ近況報告をしながらのひととき。

やっぱり、直接お顔をあわせてお話することの大切さを感じます。こころのビタミンタイムでした♪

 

 

気づきの日記「大切なのは・・・素直さ!」

 

こころの学びをしてゆくとき、自分を癒そうとするとき、問題を解決しようとするとき・・・ いちばん大切なことは何ですか? と聞かれることがあります。

ズバリそれは ・・・ 「素直さ」かなぁと思います。

素直なこころの方は、プライドに執着することがないので、こころにためこんだジャンクをじゃんじゃん解放してゆくことができます。

私たちは誰でも、こころのまわりに城壁を築きあげて自分を守ろうとしています。その城壁を取り除かない限り、ゴミ屋敷になってしまったお城(こころ)の掃除もにっちもさっちもいかないのです。

しかし、学びたい、癒したいといいつつも、この城壁をガッチリと守っている方が多いのです。いざ近づこうものなら、攻撃されかねません。

学びも癒しも解決も、既存のものを取り壊すことこそが目的なので、ここを守ってしまってはもともこもありません。

まるで取手のない引き出し、ドアノブのない家 ・・・ 攻め入られないためには役立ちますが、なかをお掃除したいときには困ったことになります。

もし抵抗などなく扉がオープンであれば、あっというまにいらないものを吐きだして、身軽になったらそこに宝ものを発見することができるかもしれません。

学びがすすまない方、癒すことができない方、問題を解決できない方の共通点は、自分の間違った正しさにしがみつき、それをかたくなに守ろうとしてしまうこと。

「自分の考えこそが正しい」ということが前提となるので、進むことよりも守ることにエネルギーを費やします。そうなると、不必要なものを手放すどころか既存のものを守ってしまいます。

自分こそが間違っていた、だから苦しいのだ、と気づけなくてはならないのです。

「自分が自分を苦しめていた。だから、間違いをリセットしたい!」と素直に認めてしまえる人は早いです。

どうせここにいる全員が、ものの見方や感じ方については決定的に間違っているのですから(全員ですよ〜!みんなで間違っているならコワくない!笑)、そこに執着して時間とエネルギーをムダにするより、すべてを開け放してしまったほうがよいのです。

間違っていました!とさえ言ってしまえば、ゴミ屋敷がきれいに片づけられて、光がみちあふれた安らかな空間を手に入れることができ、そこにこそ自分が望んでいた答えがすでにあることに気づくことができます。

私たちの高い自己であるハイヤーセルフは、私たちの「変わりたです!」というこころからのひとことを待っています。

そのひとことが発っせられるまで、なにひとつ無理強いせずに、たとえ泥沼の格闘でさえも味わい愛でてくれるのです。

「そんなのひどいじゃないですか、さっさとひっぱりあげてくれればいいのに!」って?

どんな状態であろうとも、私たちにとって自分の意志でないことはなにひとつないからです。その意志は、いつも大切に尊重されています。

私たちにとってあまりにも昔にくだした決断は、自分でも何を決めたか思い出せなくなっているのです。だから、泥沼の格闘であっても今それをしているならば、その昔それを愛していて、望んでいたらしいのです。

いったんこころに決めてしまったことは、もう一度自分で決め直すことによってしか流れを変えることができません。

だから、決め直すことこそがセラピーのお役目であり、決め直せばハイヤーセルフは全力でバックアップしてくれるのです。

セラピーのなかですることは、自分が無意識のうちに執着している苦しみのプログラミングに気づいて手放すこと。(この苦しみのプログラミングこそが、ゴミ屋敷にたまっているゴミです!)

片づけるためには、いさぎよく「間違っていたけれど、正す意欲はあります」と言えるならば、

ハイヤーセルフの大いなる力を自分のものとして、無意識のうちにためこんだこころのジャンクをくまなくお掃除してもらうことができます。

すると、そこに見たこともないような宝が輝いていることにびっくりするかもしれません。

ということで、自分の問題を解決したい、ラクになりたい、より幸せになりたい、というときには、とりあえず白旗をかかげましょう。「私は完全に間違っていました~!自分を正したいで〜す!」と。

ここからスタートすれば、スポンジが水を吸うがごとく天からやってくるサポートを自分のものにすることができます。

素直になれれば、川の流れをボートに乗ってスイスイと運ばれていくように少ない労力で進めるものです。

手こぎのオールという「自分の正しさ」は手放して、すべてを委ねて、ほんとうの自分にむかってハイヤーセルフのラクちんモーターでスイスイ進ませてもらいましょう!

自分が扉を開きさえすれば、あとはハイヤーセルフが強力なお掃除ロボットでじゃんじゃんお片づけをして正気にもどしてくれるのですから!あとはおまかせです。

素直さだいじです♡

 

 

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