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お花ギフト

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ギフトが届きました。

お店の名前だけで、依頼人の名前がありません。だ〜れ??・・・

でも、箱をあけてすぐにわかっちゃいました!

この色合い、このテイスト、このチョイス・・・考えるまでもなく、すぐにお顔が浮かんじゃいました。こりゃ Sちゃんでしょう。

そのあとで LINE が届き、答えあわせをすることができました(ビンゴ!)

ローズのいい香り。

じつは、これソープなんですって。

ブーケのかわりにボックス入りのお花のギフト、はやっていますが、これはとってもリアルで長持ちするので嬉しいです♡

どこに飾ろうかな〜?
ありがとうございます♡

 

 

 

久しぶりの生演奏会♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

まだ梅雨いりまえなのに、この一週間はしとしと雨模様でした。爽やかな五月は年々短くなってゆくようです。

ふと気づけば、生け垣の紫陽花もすっかり色づいていました。

声楽家のお友だち、瀬尾美智子ちゃんのコンサートにお招きいただきました。

コロナ禍で精神的にも身体的にも環境的にも、さまざまなことで開催はとても大変な道のりだったと思います。

会場に入るまえには、手指の消毒だけでなく靴裏もきれいにし、 客席では私語は慎み、そしてステージと客席のあいだには大きなビニールシートがはりめぐらされ万全の構えです。

こんなときだからこそいっそうしみいる美しい調べに、客席のみなさま方は涙を浮かべていらっしゃいました。私も最初から最後まで、涙腺がゆるみっぱなし。

コンサートが終わって開場をあとにされる方々が、「よかったわね〜♡」「すばらしかったわね〜♪」と口々に歓喜の感想をのべあっているのを耳にして、「ほんと、こんなときに素敵な生演奏を聴くことができて幸せよね〜♪」とこころのなかで勝手に会話に加わっておりました。

選曲も、どこか今の私たちの閉塞感やら痛みに寄りそうものが多く(意図したわけではないそうな)、優しく背中を押されて「大丈夫だから!」と勇気づけられているのを誰もが感じとっていたようです。

(声楽家の瀬尾美智子ちゃんと伴奏の名取典子さん。いつもながら息がぴったり!)

美智子ちゃん、大きな愛とやさしさに抱かれるようなすばらしい時間をありがとう♡

 

 

 

気づきの日記「ニセの自分を見張りましょう!」

 

腹を立てたり、落ちこんだり、いちいちモノ申したり、なんでも思いどおりにしたい、できる! ・・・ と信じているのは、あなたではありません。

ニセモノの自分です。

ニセモノの自分とは、エゴのこと。その自分は、つねにざわめいています。ざわめいていることこそがニセモノの証拠なのです。

ホンモノの自分は静けさそのものだから。山深いところにある湖のように、シンと静まりかえって、微動だにせず、澄みきっている存在。

ニセモノ(エゴ)の自分は、いつも大騒ぎすることで注意をひこうとしています。

その注目の集め方は、「不都合、不公平がそこにある!」と叫んだり、「動揺」「怒り」「恐怖」などの強烈な感覚を使ってマヒさせること。

そのやり方は、いっぺんに注意をうばって、クギづけにすることができるから。

注意をうばわれる・・・ということは、じつは「我を忘れる」「自分の正体をなくす」ということと同じです。自分が誰だかわからなくなり、身じろぎもしない存在だったことをすっかり忘れてしまうのです。

そして、注意を奪った対象に脅威を感じ、怖れるようになります。

すると、ニセモノであるエゴは、混乱を糧に注意をひき、エネルギーをたくわえ、パワーアップしてゆきます。つまり、乗っとっちゃうわけです。

大騒ぎしているもの、うるさく意見や批判を述べるもの、怖がってちぢみあがっているもの ・・・ それらは、自分ではないことを覚えておきましょう。

それに対する対処法は、ただスルーすることだけです。相手をしないことです。

相手をしようとすれば、すぐさまからめとられます。スルーすれば、自分のまえを通りすぎるだけです。

静めようとする必要も、正そうとする必要も、助けようとする必要もありません。

ニセモノは、いちいちかまう必要はないのです。注意という栄養をもらえなければ静かに消え去る運命にあります。

ただ「ふう〜〜ん、そんなこと言っているのね」「そんなふうに感じているのね」と存在していることを認めたら、静かにながめていましょう。もうすぐに、消えてゆくのがわかるかもしれません。

しょせん、そんなはかないものだったのです。

ニセモノはいろいろなかたちであらわれます。

あるときは、軽蔑していたり、残酷だったり、身勝手だったり、冷酷だったり、こどもっぽかったり、怯えていたり、ずるかったり・・・。

それを自分だと思えば、恥ずかしく感じ、罪悪感を抱きます。

そんなふうに感じる必要も、裁く必要も、抵抗する必要も、正す必要も、取り除く必要も、悪く思う必要もありません。

自分ではないものとかかわるのはやめましょう。自分とは、静けさのなかで愛をたたえて、穏やかに微動だにしない存在です。

通りすぎるものの後ろに、静かに、だけど微動だにせず、ど〜〜〜んと構えている存在です。

自分のこころの状態に敏感になることによって、その静かな湖のようなこころを波だたせるものに逐いち気づけるようになりましょう。

気づけたとき、それは終わりにすることができます。

ただ認識し、静かに観ていることで、それは失速して姿を消す運命になるのです。

なので、「人」や「世界」についてつねにあれこれ言いたいニセモノについて、それが姿をあらわる自分のこころを静かに見守る習慣をつけましょう。

 

 

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お茶の間シネマトーク「パーソナル・ソング」

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最近は、YouTube でひと昔まえの音源を気軽に検索して楽しめるようになりました。

お友だちと学生の頃に聴いていた曲をメールで送りあっては、「あ〜、これ懐かしいね〜!これ聴いていた頃、お互いこんなだったよね〜♪」なんて、ふだんは思い出すこともない話がつぎつぎに語られたりして。まるで当時に戻ったような気分になります。

昔お気に入りだった曲を耳にすると、そのときどんな状況で聴いていたのかとか、どんな生活をしていたのかとか、どんな気持ちだったのか、はたまたどんな服を着てどんな香りが好きだったのかまで、その当時をありありと思い出すことができます。

音楽が呼び水となって、こころの底にうもれていた記憶の箱のフタが開くよう・・・。

昨日観た作品「パーソナル・ソング(ALIVE INSIDE)」は、そんな昔の記憶をよびもどす力のある音楽を認知症の改善に役立てている方たちのドキュメンタリーです。

ホームで暮らす認知症が進行したお年寄りの方々は、家族や介護の方が話しかけてもほぼ無反応で感情を失ったように見えます。

瞳はうつろで、存在自体がすでに抜けがらのよう。ただ最低限のことに反応するだけです。

ところが! ・・・そのご老人たちに、それぞれが好きだった思いいれのある音楽をアイポッドで聴かせてみると、

あらあら、不思議!

ダラ〜ンとしていた操り人形に魂がふきこまれたよう!

瞳がパッと明るくなり、まるでいっきに電源スイッチが入りなおしたように生命がみなぎるのがよくわかります。

ずっと無反応だったある人は、ヘッドホンを耳にするやいなや目を大きく見開いて、過去の思い出話しをほとばしり出るがごとく語りはじめ、それがもう止まらないのです。まるで自分が誰であるのか思い出したかのよう。

ある人は、力なく歩行器にもたれかかっていたのに、音楽を耳にするやいなや顔は輝き、歩行器そっちのけで楽しそうにダンスのステップを踏みはじめます。

うつむいたきりだった人も、高らかな美声で歌いはじめたり、「(アイポッドに)何曲はいるの?2000曲いれて!」とすっかり前向き!

もぬけのからだったような方々がいきいきと生命と感情を取り戻し、まさに覚醒してしまうのです。

脳内で音楽を司る部分は、認知症になっても破壊されにくいそうです。

記憶の衰えや日常にうまく対応できないだけで認知症というレッテルを貼られ、あっというまにさまざまな薬を与えられ、刺激の少ない単調なホームのなかでただ起きて、食べて、寝るということをくりかえしているうちに、正常だった部分もどんどん失われてゆくようです。

認知症をはじめとして、身体や精神の不具合についての対処は、たんに表面にあらわれている結果(症状)に対して投薬するだけの治療だったりするので、目に見えないところにある原因の改善とはほど遠いようです。

でも、この音楽療法は、結果に対処することによって忘れさられてしまっていた原因の部分(こころ)を活性化することに役立っているようです。

たった一回でも、その方が好きだった音楽を聴くことで、まるで置き去りにされてホコリをかぶっていたロボットが急に電源につながれて息をふきかえすがごとく、まさにシャキーーーンという音がきこえてきそう。

その劇的な様子は、忘れさられて眠ってしまっていたこころが、あざやかに復活をとげるようで、それぞれのご老人から溢れ出す喜びの様子を目にして涙が出てしまいました。

やはり、どのような身体や精神の不具合でも、こころを置き去りにして治療も回復もないことがよくわかります。大切なのは、あたたかな愛の思い以外にはないようです。

そのためには、こころをもっとストレッチしてあげることが大切なのですね。
→予告を観る

 

 

 

気づきの日記「川べりのバカンス」

 

川は、ただ鑑賞(観照)いたしましょう。

その流れを楽しみましょう。

多少、気に入らないものが流れてこようともそのままにしておいていいのです。

私たちがやりがちなのは、気に入らないものを目にすると、すぐさまタモを手にして片っぱしからすくいあげようとしてしまうこと。

すくいあげるにとどまらず、みずから川に突入してバシャバシャしてしまいます。

すると、予想外のおそろしいもの(ピラニア? ワニ?)に出くわして悲惨なめにあうことも・・・。

川に何がひそんでいようとも、そこでジャブジャブしてしまわなければ安全です。

退いてながめているだけだったら、それらとはなんの関わりもないのです。

どんなゴミが流れてこようとも、

それに文句を言ってちょっかいをだしたり、抵抗してわざわざ川から引きあげて自分のもとにもってくる必要はないのです。

ゴミは流されて、そのうち川のなかで姿を消してゆきます。

だから、ただ行かせてあげましょう。

私たちがするべきことは、ただ川べりでリラックスして、何が流れていようとも鑑賞(観照)してあげることだけ。

それが私たちがするべきこと。

川べりでバカンスを楽しむ人になりましょう。

*川は、私たちの人生そのもの。
そして、流れてゆくものは日々のさまざまな出来事です。*

 

 

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ひさしぶりに深呼吸

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だ〜れもいないのに、しっかりかっちりマスクをしている自分に気づき、苦笑してしまいました。

すでに、マスクと一体化してしまったようです。

そっとマスクをはずしてみると、新緑と風があまくて懐かしい、いいい匂い。

それと同時に、木々が風にそよぐ音があざやかに耳にとびこんできました。

(マスクでフタをしていると、他の感覚まで鈍ってしまうのかしらん?)

太陽クンも風にふかれてゴキゲンです♪

 

 

 

お茶の間シネマトーク「グレムリン」

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ひさしぶりに「グレムリン」観ました〜♪

愛らしい声で歌うふわっふわのギズモしか印象にのこっていなかったのですが ・・・ 観てみたらそのグロさにびっくり仰天☆ これってホラーではありませんかっ?!

とくにギズモをもらってきたおうちのお母さんときたら!

家のなかで得体のしれないグロテスクなものが孵化しはじめたら、誰もが一目散に逃げそうなものですが・・・ このうちママはちがうのです(汗)。

「私のうちにそのようなものは許さない!」とばかりに、キッチングッズを駆使してつぎつぎグレムリンを殺ってしまうママの鬼気迫る様子には、目をおおうものがあります。

一匹をグラインダーですりつぶしたかと思えば、もう一匹を電子レンジにとじこめ爆発させ、さらに他のを肉切り包丁でまっぷたつ ・・・(ひゃ〜〜、もうやめて!汗)。

グレムリンよりも、このお母さんのほうがよっぽどコワいよ〜〜〜(汗)。

もちろんグレムリンも、そうとうグログロですが。でも、懐かしさをかんじるグログロさ。

この時代の気持ち悪さって、「エイリアン」とか「ザ・フライ」にも見られるように、グロテスクなサナギのようなものがカサカサカリカリ音をたてて、スモークとともにネバネバと糸をひくわけのわからないものが生まれてくる ・・・ というパターン。

今はどうなのでしょう? もっと心理的、生理的なイヤさかげんに変わっているのかもしれません。

あんなに可愛いギズモちゃんから分裂して生まれてくる超凶暴で残酷で強欲なグレムリン。

これって私たちのなかに存在する二つの自己のようです(グレムリンは欲望にかられて闘争にあけくれるエゴの自分、ギズモは安らいで幸せでいるほんとうの自己)。

エゴエゴグレムリンは、エザをあげることでいったん欲望に火がついてしまったら大変なことになります。利己的で凶暴で、智恵は欲望を満たすためのキケンな凶器となり・・・。

どんどん増殖してゆくさまは、まさにエゴが欲望とともに大きくんなってゆく様子と同じです。

ほんとうの自分を失わないためにも、過度な欲望(夜中のエサ)にはご用心!

グレムリンは光にだけはどうすることもできないのですが、それはエゴが光(真理)にさらされるとひとたまりもなく消え去ってしまうよう。

グレムリンを自分のなかのエゴの象徴として見ていると、その凶暴さに笑ってしまいます。

「バックトウザフューチャー」やら、「インディジョーンズ」「フラッシュダンス」など、この時代のハリウッド作品って、今の作品にないようなワクワク感がありました(シンプルでわかりやすい?)。

「グレムリン」もとっても懐かしいでした(→予告を見る)(→かわいらしいギズモちゃんはこちら!)。

 

 

ようやくオンラインお集り会

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コロナ自粛も一年たって、ようやくオンラインお茶会や飲み会を始めるようになりました。(みなさん、と〜っくに始められていることでしょう!)

オンラインでのお仕事(オンラインセッション)はすぐに開始したものの、それでも慣れるまであれこれ大変。画面が突然固まったり、タブレットをひっくり返したり・・・ お友だち相手に予行練習をしておりました。

灯りをふやしすぎて「あなた誰?」というほど能面ちっくになってしまったり、逆に暗すぎて「ホラーですか?」というぐらいあやしい雰囲気になってしまったり・・・(汗)。

ようやくベストポジションが見つかりましたが、今でも画面と音声のズレにはなかなか慣れることができません。

そうは言っても、もののふた昔まえぐらいまでは、国際電話のような遠方の電話代はめちゃくちゃかかっていたので、まったくタダで顔を見ながら話せるのはかなり画期的な進歩ですよね。

さて、今夕はオンライン飲み会です!(なんせ、東京はふたたび蔓延状態ですからね〜)

きょうは、あらかじめ飲み会の設定を決めてあります。イタリアンパブ風♪  おつまみはピザとか、それっぽい洋風おつまみで。私はお茶け派なので、ブラッドオレンジジュースかな?(焼き鳥屋さんの設定だと、焼き鳥や和風小鉢など。)

オンラインだと、「それ、おいしそうだね!」と言われても、「ひとくちどうぞ!」ができないのが残念です。

先日のお茶会でも、「明日は何スウィーツにする?」なんてあらかじめおうかがいたててみたりして。

結局、私は最近ごひいきのコンビニスウィーツでショコラチーズケーキ(でさっぱりしてて美味しかったです♪)。

お友だちは、白玉とホイップクリームののったゴマプリンでした(めっちゃ美味しそうでした〜♡)。

お互いのお部屋がうつっていると、なんか同じ空間にいるようなリラックス感で、あれこれお話しているうちにあっというまに二時間半も経過!

オンラインの飲み会、お茶会は、「じゃあまたね〜!」と手をふって解散したら、ソク帰宅しているところが便利です。

酔っぱらった方は、そのままバッタリいってしまっても路上のゴロ寝にはなりませんからね〜。

こんどの飲み会のときにはまったく同じメニューでデリバリーをとって、同じテーブル感を演出してみようか?なんて話しています。

 

 

 

花&ダンゴ、ふたたび♪

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所用で東北へお出かけ。

途上、ふたたびサクラを楽しむことができました。

花、とくればダンゴもね!

みちのくのおいしいお弁当をゲット♡

私は、春の食材たっぷりのタケノコご飯。カニめしと炭焼き牛たんもお味見させていただきました〜。(最近のお弁当は、ヒモひとつであっつあつ〜!)どれもおいしい  ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

コロナですっかりお出かけと縁がなくなっておりましたが、ささやかながら遠足気分です♪

 

 

 

気づきの日記「占いとのつきあい方」

 

Q: パートナーが占いにはまっています。いちいち占いに頼り、「あっちの方向はよくない」とか「今は時じゃないとか」、何を決めるのも、何をするのも占いの結果しだいで、以前よりも神経質になり、自由がなくなったように感じ息苦しくなってしまいます。

A: 占ってもらった方向、日時でしか行動を起こせない・・・。よくないことを言われると「そうなんだ」と丸ごと受け入れてしまう・・・。自分の感覚よりも占いの方がずっと重要・・・。

こうなると、占いを自分よりもずっと高いポジションに奉ってしまっています。自分よりもパワーのある源にしてしまっているのです。そうすると、自分はさらにヨワヨワになるのが当然で、思いのままに生きる自由や喜びがなくなってしまいます。

占い師の方が、かなり断定的なもの言いだったり、自分がひそかいに思っていることと同じことを言われると、さらにパワーを与えてしまういがちです。

占いにしても何にしても、この世に存在するものは、それはたんなる道具です。

道具は「自分」が使うものであって、それに支配されるものではありません。

だから、占いを使うときには、自分の道具であることを認識して「どのように」使うのかを決めなければなりません。なぜなら、道具は自分を傷つけるために使うこともできるし、自分の可能性を広げるために役立てることもできるからです。

占いに頼ってしまっているとき、「自分が感じるままに行動したらよくない結果になる」という自分への不信感や、「未来に光がないように思える」という現状へのガッカリ感がこころに潜んでいます。

「自分には自分を幸せにする力がない」と感じているのです。

だからといって占いが自分を幸せにできるかというと、そんなことはありません。自分にできないことは、誰にもできません。ここにいる自分を救えるのは、自分だけなのです。

だから、その主導権は決して誰かに渡してしまってはいけないのです。

道具であるはずの占いも、確信と自信のない自分にとっては危険な道具になりかねません。

占いという道具が自分を傷つけてしまう使い方は、それをそのまま受け入れてしまうこと。

「いつ、こんなことが起きますよ」と言われ、誰かや、ものごとという外側の世界にパワーを与えてしまうことです。

それは、占いこそが力をもっていて、それが自分の未来を予測し、自分はそうなるしかないのだ、と運命の奴隷になってしまいます。

一方、自分のための道具として役立てるためには、言われたことをいったん自分のこころに戻してみることです。そして、自分がどう反応しているのか、感じてみることです。

あまりよくないことが起こると言われたとき ・・・ いったい自分はどんな状況に抵抗し、また恐怖を感じているのかを知ることができます。そんな状況に呑み込まれてしまう自分をイメージしているのです。

でも、その状況に抵抗しているからこそ、この言葉を聞いたともいえます。

逆に、いいことを言われて喜んでいるとき ・・・ そのような現実を未来に望んでいる自分は、たった今、安心して満ち足りてはいない、今、幸せになることを自分にゆるしていないことがわかります。

どちらの場合も、そのがっかり感こそを癒さなければなりません。

占いによって伝えられる未来には、意味がありません。なぜなら、私たちがいられるのは、たった「今」のこの瞬間以外ないからです。

未来の何かは、今の自分のこころの状態を写しだしてくれています。

いったん自分が「欠乏感を感じている」ということを認めることができたなら、たった今、それを癒すことで、「今」この瞬間に満ち足りることもできるのだ、ということがわかります。

いちばんよい占い師さんは、「あなたにはこういう問題があるから、まずそのこころを癒しなさい」と問題をこころに戻してくれる方です。たった今の改善点を、こころという原因で改善できることを教えてくれる方です。

自分の目にするものは、占いであろうと何であろうと、自分のこころから出てきています。

占いでも、人から言われたことでも、うまく活用するには、「これを言われて落ちこんでいる自分って・・・? これを言われて喜んでいる自分って・・・? いったい何を感じているのだろう?」というように、自分の反応を冷静に見て、自分がどういう状態であるのかに気づくことです。

気づいたら、「ああ、そんなふうに私は感じていたのだなぁ」と、そのヨワヨワ感に抵抗したり、否定することなく、ただ受け入れて感じてあげましょう。認めて、受け入れることが大切なのです。

否定や抵抗がなくなれば、ものごとがスムーズに流れるようになり、いちばんよいときにいちばんよいようになることを信頼できるようになります。

また、抵抗感がなくなることでこころに新たなスペースができ、そこに自分を幸せに導いてくれるインスピレーションがふんだんにやってくるようになります。

あるいは、インスピレーションだと感じるまでもなく、ただすべてがうまく運んでいくように感じることかもしれません。

占いの機会があれば、冷静に自分の反応を観察してみることにしましょう♡

 

 

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