ブログ

風にふかれて朝ゴハン

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

昨日は20度だなんて! 寒いのなんの。あの倒れそうな暑さがウソのようでした。

きょうもまだ涼しいです。お外カフェするには、もってこいの気候。

お友だちのMちゃんが2本も電車を乗りついで、早朝から朝カフェに来てくれました。なので、いつものお店にご案内。テラスで風に吹かれながら、気持ちのいい朝ゴハンのひととき♪

この季節のお外は爽やかだけど、Mちゃんはめいっぱい蚊にくわれてました。

蚊は、二酸化炭素をたくさん出している人のところに行くそうな(ギセイになってくれてありがとう)。でも、新陳代謝がよくって健康な証拠!!(^。^; 

わたしは蚊よりもスズメちゃん攻撃。ふと気がつくと、わたしのコップに三羽もとまってることも・・・。(あなたたち〜!ほかで遊んできなさいね〜!)

朝早くに来たはずが、気がつけばお昼! 気持ちのいい時間は、あっというまです。

@代官山 IVY PLACE

 

お茶の間シネマトーク「わたしに会うまでの1600キロ」

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

試写会に行ってきました〜♪

歩く歩く・・・女の子がたったひとりで、1600キロの道のりを三ヶ月も。砂漠をつっきり、雪をかきわけ、森にわけいり・・・ カリフォルニアからオレゴンのはずれまで。山歩きの経験すらないのに。

これはベストセラーになったノンフィクションの映画化。

この彼女は、いったいどうしたというのしょう?

日々の生活で直面するさまざまな悲しみや痛み、不条理を、なんとか飲みこむようにやりすごし ・・・けれど「わたしのすべて」であった最愛の母の死にいたって、ついに制御不能に。こみあげてくる悲しみや孤独感をを麻薬やゆきづりの関係でうめようとするものの、お腹のこどもの父親すらわからない状態までに・・・。

そんな自分をどうにかするには、こんなみそぎしかない・・・それは過酷なコース、1600キロを歩きづつけること。

たった一人でもくもくと歩く日々。抑圧してきたいろいろな場面が走馬灯のようによみがえり、その痛みをひとつひとつ手のひらにのせるようにこころのなかで追体験していきます。まさに浄化、癒しのプロセスそのもの。

わたしたちはだれもがさまざまな悲しみ、痛み、折りあいのつかない気持ちをどこかに抱えつつも、それに気づいてしまったら大変! とばかりに、知らないフリを決めこみます。「そんなツライことはなかったのだ!」「わたしは大丈夫!」と。でも、平気なんかじゃないのです。・・・で、あるとき、もうどうにもそのすべてを押さえきれなくなってしまう日がやってきます。

見たくないものばかり放りこんできた押し入れがパンパンになって、ふすまがついには吹っ飛び、今まで見ないフリをしていた醜いものたちがせきを切ったように部屋全体にぶちまけられるような。そしてそれを目の当たりにして、アゼンとする自分。

そんなとき、セラピーに行く人もいれば、また再びおなじ押し入れに詰めこもうとする人もいます。

彼女はまるで「行」をおこなうように歩いたのです。

この映画を見ながら、スクリーンのなかの過酷な道を彼女と一緒に歩くことで、少しは自分のこころのみそぎになるかもしれません。

主演のリース・ウィザースプーンって、キュートでオシャレなイメージの役が多かったけど(シャネルスーツにチワワをつれたバーバードビジネススクール生なんていうのもありましたっけ)、今回はノーメークで過酷な自然をサバイバルします。

邦画の女優さんたちはこんなシチュエーションであろうとも、ご自分の美しさのほうを優先されてばっちりと美しく画面におさまっていたりします。リアル感よりも、女優さんとしての見た目のほうが大切? その点、ハリウッドの女優さんはけっこう容赦なくボロボロです。

そのむかし、シャーリーズ・セロンの「モンスター」という映画があったけど、すごい役作りでした。あの美しい方がデブデブぶよぶよ、おそろしく人相が悪い。こんなになって大丈夫なの?というぐらい迫力ありましたっけ。スゴイね。

PS 「わたしに会うまでの1600キロ」は、8/28から公開されるようです。

 

セラピーはコワくない♪

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

「じつは、ここにくるまで悩みました。何をするのかわからないし。ちょっとコワかったんですよね」

セラピーセッションにいらしたクライエントさんが、そんなふうにおっしゃるのをたまに耳にします。

「大丈夫ですよ〜。噛みつきませんから」なんて笑いますが、無理もないですよね。はじめてのセラピーって、やっぱり躊躇するし、ちょっと敷居が高い感じなのだと思います。

でも、ご安心ください♪

一回来ちゃったらみなさん、「セラピーって、すごく楽しい!」「自分を知る、よりよい生き方を知るって、ワクワクする!」っておしゃいます。

さらに、セッションの最後の日には「今日で終わりなんてさびしい・・・」とも。(ど〜ぞ、ど〜ぞ、いらしてくださいな♪)

そうなんです!セラピーは、ほんとうの自分の輝きを妨げていたホコリをはらって、そこで待ちわびていた自分の光に出会うもの。楽しくないはずがありません。ほんとうの自分に出会うことはこころからの喜びです。

先日、セラピーにいらしてくださったクライエントの敦子さんが、「オフィス・るん」の セラピューティックカウンセリング をお受けになった体験をブログに書いてくださいました。

敦子さんの体験談を読んでいると、「なるほど〜」と自分がセッションを受けている目線であらためて見ることができましたよ。

敦子さんの軽快な体験談ブログはこちらから。(たのしい四部作です。)

→ 1)オフィスるんで心の大掃除 思い切り好きな様に振舞うことが、私の最大限の愛である♪ その1

→ 2)オフィスるんで心の大掃除 思い切り好きな様に振舞うことが、私の最大限の愛である♪ その2

→ 3)オフィスるんで心の大掃除 ハイヤーセルフと繋がるとは

→ 4)追記しました!オフィスるんで心の大掃除 セラピーの効果は

PS 敦子さんは、以前もヒプノセラピーをお受けになっていらっしゃるセラピー体験者。カウンセリングといえども、わりとディーブにセッションをしております。

それぞれのクライエントさんの問題、セラピー経験、理解と気づきの段階によって、セッション内容はまったく違ったものになります。その方にベストなセラピーを行わせていただいています。

 

 

旧友とゴハン会♪

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

20数年来のお友だち二人と、ひさびさの再会。

両氏ともに「50にして惑わず」の年齢ですが、なんせ若い!!(魔法を使っているな!笑)  でも昔にくらべて、いい感じにチカラが抜けて、お仕事でも本領を発揮しつつも楽しんでいるご様子。

あの頃はお互い目指すものもあり、どこかカツカツと頑張っておりました。今は日々を大切に楽しむことのほうが大切で、それ以外幸せはないんだということがようやくわかるトシになったのかもしれません。

「あれこれさんざんやって、いろいろ回り道してここまでたどりついたけれど、じつはすべて必要なかったかも。ホント全部いらなかった ・・・」とわたしが言うと、「全部やったからこそ、そう思えるんじゃないの?」と言われ、たしかに・・・ですね。

長い時間の目線で見ていてくれる友人って、自分ではわからない視点から客観的にすんなりと教えてくれたりします。ありがたいです。

さてさて、来年はおひとりが転勤になりそうなので、その南の国での三人の再会を誓ったのでした。(案内するために、お勉強しといてね!)

ひさびさにタイ料理いただきました。カラフルです!

むかしは辛いのがすごく苦手で、タイを訪れたときにはたった一日で逃げだしたかったものです(暑いのも苦手だし!)。けれど、トシのせいで味覚がかわったの? 今回の甘酸っぱ辛いお味、とてもおいしく感じました。

@サイアムセラドン銀座
雰囲気がオシャレでエキゾチック。生春巻きに、ピリ辛サラダや炒めもの、さつまあげ、野菜カレー、ピスタチオアイス・・・リーズナブルでおいしかったです。

 

 

手元においておきたくなるモノ

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

こどもの頃、母が刺繍糸やらボタンをしまっていた洒落たビスケットの缶がとっても好きで、「あの缶を見せて!」とよくせがんでいました。

その頃のお菓子の缶には夢があったな〜。

今は、大切に使いたくなるようなお菓子の缶にはめったに出会いません。選択の余地もなく、サッサと資源ゴミ行き。

でも、コレは可愛い♡ 夢がある♡ さすがフランス!

おみやげでいただきました。

なかには、ガレットとフルーツティーが入っています。

ティータイムを楽しんだら、こんどは缶を楽しみましょ! なにを入れようかな? 自分で焼いたクッキー入れにするのもいいかな♪

Mさん、ありがとうございます。

 

お茶の間シネマトーク「ピクサーさん、エライね! インサイド・ヘッド」

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

いや〜、ピクサーさんはエライです。

こんなセラピスト好みのようなトピックを、堂々とこども向けアニメにしちゃってるんですから。それもけっこう、手加減なしです。

人の頭の中、感情がどうなっているか? なんて、そんな哲学的なテーマ、休日のとっておきの一本としてあまり見たいとは思いませんよね。でも、アニメにしちゃったからこそ、そしてピクサーならではのカラフルさとオチャメさがあるからこそ、立派なエンターテイメントになっているのだと思います。

潜在意識やら、抽象と具象、1次元、2次元、3次元・・・こんな言葉をならべられても、こどもはさっぱり・・・? でしょうに。もし日本でこの映画を作っていたら、きっとモロにおこちゃま向けになっていたかもしれません。こどもが見て、こどもがちゃんと理解できるようにって、やさし〜く、わかりやす〜く、そしてつまらな〜く、なっちゃっていたかも。

この「インサイド・ヘッド」は手加減なし、むしろ大人が、それも心理を扱うものが「そうそう、そうなのよ〜」と共感できるのですが、でもこのキュートなキャラクターやらめちゃくちゃカラフルな色やら設定のおもしろさから、言葉ではなく感覚から入っていけるので、こんなテーマであっても、こどもにもおとなにもウケるのかもしれません。

劇場はこども1、おとな2ぐらいの割合でした。

頭のなかでは、まさにここに登場するキャラクターたち、Joy(喜び)、Sadness(悲しみ)、Anger(怒り)、Disgust(ムカつき)、Fear(ビビリ)がせめぎあっているわけです。

セラピストのお仕事としては、このキャラクターたちがそれぞれ自分流のやり方で、その人を守ったり幸せにしようとすることで生みだされる混乱や葛藤を整理整頓していきます。それぞれのキャラクターには悪気はなく、ただご本人を幸せにしたいだけなのですよね。

たとえば、Angerは攻撃によって守ろうとするかもしれないし、Fearは引きこもりこそ最善策と考えるかもしれません。指揮官がいなくって、それぞれが勝手な幸せへの道へと驀進し、とりとめがなくなっているのを、セラピーではとりまとめてひとつの方向性を見つけていくわけです。

それにしてもこの映画、意外にも泣けるのです!(涙壷度・・・★★★☆☆)

誰もが感じたこども時代のこころの揺れを再体験できちゃう。

この主人公のライリーが成長していく日々は、観る人それぞれにあてはまり、「そうそうあのときAngerが出てきて、わたしのなかの大切な家族の思い出の島が崩壊したときがあったな〜」とか、「わたしもあの出来事でFearのいいなりになって、自分のなかの信頼の島を無くしたな〜」なんて、自分のことを顧みる機会になったりします。

これを観たこどもは、自分がいろいろな感情を感じる場面にであったときに、きっと以前よりも冷静になれるのではないかと思うのです。

最近見たDVDに「6才のボクが、大人になるまで。」という映画がありました。

6才の男の子が18才になるまでの、こころの成長と家族との葛藤を描いた作品。なんと同じ男の子が6才から18才までを演じているので、とってもリアル。(両親、おばあちゃん、兄弟たちもみんな12年間、同じ人です。)

「インサイド・ヘッド」でもライリーという女の子がいろいろなことを体験しながら、様々な感情に直面してく様子を描いているけれど、こちらもそれに通じるものがあります。

人生って平坦にうまくいくことが成功だと考えられがちですが、こうやって長い目でみると、ひとつひとつの体験がその人の色を染めあげていくのがよくわかります。

自分をもっと理解したい方、そしてこどもの成長が気がかりなお父さん、お母さんにもオススメの二本です。

 

そのお姿は・・・

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

夕ぐれの空に浮かぶそのうしろ姿は・・・

まぎれもなく、ドラえもん!!

巨大ドラえもんが、テレ朝から六本木の街をながめていました。

わあっ! こっちにもたくさん。

みんなお道具もっています。

@六本木ヒルズ

 

 

気づきの日記「受けとるレッスン、お姫さま編」

セラピーセッションの最初の頃、クライエントさんに「自分で自分を大切にする」という宿題をだします。

自分自身におもてなしをして与える練習をすることで、ついつい外に求めてしまう「気づかいや愛情、思いやり、豊かさ」を自分で自分に与えるということを学び、受けとる習慣をつけるためです。

愛情にしても、物質にしても、何にしても、それらは「外の世界から調達すべきものである」と勘違いしてしまうことが間違いのはじまり。すると、「得ること」=「与えてもらう」ことにエネルギーを注ぎすぎて、卑屈になったり、臆病になったり、装ったりと違う自分になってしまい、本来の自分のよさをのびのび表現できなくなってしまいます。(違うものをつくりだしてしまうと、本来の豊かさの「流れ」からはずれてしまいます。)

すべての起源、生まれ出るところは、じつはただひとつ、「自分のこころ」からでしかありません。それらがたんに外の世界に映しだされて、自分に与えられるように見えるのです。

その「自分を大切にする」宿題は、「まるでお姫さまにおもてなしをするような気持ちで、ご自分にいろいろとやさしく気づかってあげてくださいね」とお話します。

たとえば、自分のうちにどこからかやってきたお姫さまが滞在していたら ・・・ きっと気持ちよく過ごせるように、いろいろと気づかいをしてあげると思うのです。

リラックスできるように、お風呂にはいい香りのバスソルトを入れてあげましょうとか、とっておきのふっかふかのタオルとお客さま用にしまっておいた石けんとか。お茶をいれるカップも、大切にしてたブランドもの。もちろんお茶の入れ方もていねいにおいしく ・・・。自分のためにはしないけれど、きっと特別なお姫さまのためなら、いろいろなおもてなしを思いつくことでしょう。

それを全部、自分に与えてあげます。

わたしたちは、人のためにはたいそうやさしくしてあげるけれど、つい自分のこととなると、キツイひとことをあびせたり、ムチうつような無理をさせたりと、決してやさしいとはいえません。(たまに何かおいしいものをプレゼントしてあげても、次の瞬間には厳しいひとことや皮肉を言い放っていたりします。)

だから、「ほんとうに自分にやさしく接する」「自分を尊重して大切にする」ということを、正しく、習慣的にするのはむづかしかったりします。

クライエントさんのM子さんにも、セラピーセッションの流れのなかで「自分におもてなしをして大切にしましょう」という宿題を出していました。

後日、M子さんがいらしたとき「先生、今おもしろい本を読んでいます」と一冊の本のことを話してくださいました。それは「お姫さまごっこ」をするという本で、M子さんはその本のおかげで「自分を大切にする」ということが体験的によくわかったとおっしゃっていました。

宿題どおりに自分を大切にしようとするとき、じつは今ひとつ「どうしていいのか」わからなかったそうな。

この本では、イメージで自分をお姫さまにしたてて(あるいは自分のなかにお姫さまのイメージをつくって)、そこに執事や王子さまを登場させながら、自分を大切にすることを学ぶという、いわばイメージトレーニング。

姫が執事や王子さまに大切にされ見守られながら、自分の正直な気持ちに気づき、自分の望むことを自分に与えることに躊躇しなくなる・・・つまり、価値のあるものを受けとる力をつけていくのです。

おもしろいのは、自分に対して手厳しくなりがちな「自分の考え」をイジワルな執事に見立てて、その厳しいことを言う執事にはおヒマをだしてしまうのです。

そのかわりに、お姫さま(自分)に忠実で、いつも好意的に励ましたり、気づかったり、やさしく仕えてくれる新しい執事を雇います。(それは自分に対する好意的な自分の声。)

そして、ロマンチックで姫にぞっこんの王子さまも登場させます。(自分をほめて励まし、いいところを見つける自分の声。)

結局は全部の役を自分でやるのですが、自分の気持ちを尊重したり、とことん尽くすのは、自分自身だとなかなかうまくいかないものなのです。が、やさしい執事として自分が自分にしてあげると結構なんでもできちゃうし、自分も姫として受け取りやすくなります。

王子さまだって自分ですから、バッチリとかゆいところに手が届く理想の王子さまとして、歯が浮くような褒め言葉だって口にさせることができるのです。 (^。^;

たとえばこんな感じ。

昨日、わたしはお休みだったのですが、「貴子姫とやさしい執事の休日のひとこま」(笑)。

「姫さま、本日はお休みでございますね。お好きなランチをご用意いたしますが、何がよろしいでしょうか」
「そうね、ほうれん草とチーズのカレーがいいかしら」(じつは、以前から食べたくてレトルトを買ってあったけれど、なかなか食べる機会がなかったもの。)
「かしこまりました。それでは、ナンとグリーンサラダ、ラッシーもご用意いたします」(って、ナンはそれから自力で買いに行きました。ラッシーなんて、ふだんはめったに作らないけれど姫さまのためだから、これも自力で作っちゃいます。ヨーグルトと牛乳と蜂蜜でOK!よし、サラダもだ!・・・とふだんは面倒くさくてやらないレベルのこともやっちゃう。)

(食後)「姫さま、午後はどのように過ごされますか?」
「そうね、お願いしておいたDVDは手に入ったかしら?」
「はい、届いております」(って、それから自力で借りに行きましたが。姫さまのためと思うとやってしまう・苦笑。)
「姫さま、DVDとお茶をお持ちしました」
(お客様用カップにとっておきのお茶葉でお茶をいれ、きれいなトレーにうやうやしくのせる)

・・・という具合で、尽くしてくれる執事がいると、自分に対してはふだんはしないおもてなしや気づかいがいろいろとできるのです。

たしかに、やりながら「何をやっているんだ」とおかしくなるときもあります。でも、たしかに自分に対して丁寧になってくるのがおもしろいのです。

自分を大切にするって、そうそうお金もかからないけれど、やってみるととっても心が豊かに感じられるのに気がつきます。

よく「宇宙はあなたに無条件にすべてのものを与えている」というような言葉を耳にしますが、正直「それって、どこに??」と思ってしまうこともあります。でもこれをしてみると、「確かに、受けとる側に問題があったかも」と気がつきます。「受けとります」と言いつつ、全然、受けとれる態勢になっていないことが多いのです。

つまり、本当に受けとるということは、「受けとってもいい自分の価値」というものをちゃんと認めているということ。それがわかっているからこそ、フルに「受けとれる」し、受けとるべきものに気がつくようになります。

執事や王子さまに尽くしてもらっている姫は、自然と受けとり上手になるのだな〜と思いましたよ。

そして、執事や王子さまが問いかけたり提案してくれたりするおかげで、ついつい単調になりがちな日々の生活に色どりも出てくるのだと感じます。

日々の平和な生活をこころから楽しめることこそ、ほんとうのしあわせ感です。

M子さん、役に立つご本教えてくださってありがとうございました。

こちらのご本です。(Kindle もあります)→ 「1日5分のお姫様ごっこ」幸川玲巳さん著

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

何日ねむれてない?

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

連日おもいっきり暑いですね〜。本日も35度越え! 猛暑日、ついに記録更新です。

「クーラーはからだによろしくない」と、夜はきって寝る派。・・けれど夜中、何度も目をさましてそのたび汗だくで、まさに暑さとの戦い。まったく熟睡できません!(大汗)

ボタンを押せばかんたんに涼しくできるのに、まるで修行僧のようだわ(笑)。

この夏、というか最近の夏にいたっては、就寝中にクーラーをかけないのはタブーだそうな。建物がたっぷりあったまっているので、夜も部屋はあたたまり続けるそうです。熱中症の危険度がさらにアップ。

本日より観念して素直にクーラー使いましょう。

そんな汗だくの日々、ぬるいお風呂にゆるゆるつかるのが気持ちいい。

きょうはコレにしよう!

コレ、お菓子のように見えますがSちゃんにいただいたバスソルト。

薔薇の花びらがたくさん入っていて、ナチュラルローズの香りに癒されます。きょうは薔薇のお風呂にはいって、素直に涼しい部屋で爆睡するぞ〜! (^O^)/ オ〜ッ!!

 

 

気づきの日記「だんなさんはイヌ以下?!」

このあたりではよく見かけるバギーにのせられてお散歩するワンちゃんの光景。

奥さんがバギーを押しながら、お洋服を着ておめかしたワンちゃんに話しかけています。そのすこしあとから、だんなさまと見られる男性がトボトボ・・・とついてくる。

かつてはきっと、ワンちゃんのリードをひきながら、ふたり肩をならべて歩いていたでしょうに。今や、ワンちゃんとだんなさんのポジションが完全に入れかわったような・・・。

奥さんの言い分としてはきっと、「愛がなくなったわけじゃないのよ。あの人、なにをしてあげても無反応なの。でもね、この子はいつも機嫌がよくて、シッポをふったり跳びはねたりして全力で喜んでくれるのよね」。

ダンナさんにしたら、「そもそもシッポなんてないし・・・  跳びはねるなんて腰が痛くってもってのほか!」といわれそう。(ハイ、ごもっとも!あなたは犬ではありません!笑)

「愛してあげても、わたしの期待と要求にこたえようとするどころか、感謝すらしてくれないし・・・。それなら今後、愛の供給はストップさせていただきます」・・・そんな奥さんのセリフが聞こえてきそうです。

わたしたちはその関係から自分が欲しいものが手に入っているあいだは「愛」があるように感じています。が・・・ いざ、そこからなにも吸いとれるものがなくなると「愛は冷めた」といわんばかりに、かつて愛していたはずのひとはワンちゃんよりもランクが下になっちゃう。

ワンちゃんのゴハンのほうが先!ワンちゃんの洋服代はだんなさんよりも多い!いつも見つめてもらって、たくさんの愛の言葉もかけてもらえる!

「愛」ってそんなにあったり、なくなったり、あっちに行ったり、こっちにきたりするものでしょうか?

それは「愛」と思っていたものが、じつは「必要性」が「愛」のフリをしていただけでは?!・・・世で俗にいう「愛」(とくに恋愛)とは、「必要性」を「愛」と呼んだもの。だから、この彼氏(夫)から自分の必要性が満たされなくなると、「そろそろ他をあたる時期かしら?」と乗りかえの作業(別れ)がはじまります。(たんに、自分の欲しいものが以前にくらべて手に入らなくなっただけなのですが。)

人はそれぞれ自分の人生を生きていて、自分の人生を生きることこそが人生の目的。だから、相手の必要性を期待どおりに満たせるはずもなく、また相手の必要性を満たすことばかり考えていると自分の欲求がお留守になり、犠牲した感が強まり、相手に対して怒りが湧きあがってきます。(相手に尽くしすぎると、いつかは相手に対して怒りを抱きます。これも「ここまでやったのに、なにもなしか!」という策略したのに思うように手に入らなかったというがっかり感です。)

ハイ! 自分の必要性は自分で満たしましょう! 他に期待したり、依存すると、常に失望か怒りへ行きつきます。

奥さんがだんなさんに「愛の供給はストップさせていただきます」と言おうとも、わたしたちはもともと「愛」の存在。本質は「愛」。だから、「愛」を止めると苦しくなってくるのです。

その結果、どこかにそのたまっていた溢れんばかりの愛を注ぎたい! それこそが、近頃のワンちゃんへの溺愛なのでは?! と思ってしまいます。(外国人が、あのバギーやお衣装を見ると「ウソだろ?!あれはイヌだぜ!」といいます。海外では動物は動物。決して人間と同じレベルにはなれないのですね、)

そう考えると、日本人は人間関係における愛の交流に、なにか問題があるのだろうか? と思わざるをえません。だって、このあたりの朝のオープンカフェはワンちゃんを抱えた人たちが集まってきて、椅子にブランケットをひきワンちゃんが坐りお茶会がはじまります。そんなグループがあちこちに。

もちろんワンちゃんをかわいがるのは問題はないけれど、溺愛はどこか大切な人間関係における愛の欠落を感じてしまうのです。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー