14-06-03 悩めば、ものごと解決する・・・?

問題があるとき・・・わたしたちは、「あ〜でもない」「こ〜でもない」と考えて悩むことでそれを解決できると信じています。

ちゃんと心配しないと、問題を放置しているような、真面目にやっていないような、サポっているような後ろめたさがあるようです。問題があるんだから、ちゃんと悩まなくっちゃ・・・って。あれこれ悩めばきっと解決策があるのでは・・・と考えるのです。

悩んだり考え続けるのって、ものすご〜くエネルギーを消耗します。だから、頭も身体もぐったり疲れるし、新たなアクションを起こすエネルギーも奪われかねません。

でも残念なことに、ひっきりなしに考えるということは「それにエネルギーをがんがん注ぎ続ける」ということなのです。次の瞬間も、そしてその次の瞬間も・・・同じものを持続させているようなもの。解決したいと思っているのに、逆にいっしょうけんめい創りだしているなんて・・・これは悪循環。

わたしたちは「未来はどうなるんだろう」「過去のあのことさえなければ」と悩んでいるときには必ず、「今、ここ」に存在していません。あ〜だ、こ〜だ、と心配しているときには、自分がいるべき時間から消えていなくなっているのです。

でも、「時間」というのは、「今、ここ」「この瞬間」しか存在しないといいます。物理学的にも。

だから、わたしたちがすべてのものを手にできる源も、「今、ここ」この瞬間においてしか存在しません。わたしたちは自分のパワーを「ここ」でしか供給できないのですね。「今、ここ」こそパワーの供給源なのです。

「あ〜だ、こ〜だ」の瞬間は、いつもその人はからっぽです。心はここに存在せず、未来や過去にお出かけ中。となると、あらゆるものを創り出せる「今、ここ」から残念ながら脱落しちゃっているわけです。パワーも供給されず、宙ぶらりん。これはなおさら不安定になります。

問題があるときこそ、エネルギーを消耗して、パワーの電源から切断されちゃう「考える」ことをしっかりとストップして、「今、ここ」に戻ってくるときです。

「考える」必要があるときだけしっかり考えるようにして、思考のスイッチはいったんオフに。

そして、せめてたった今だけでも「悩みはすべて解決された」「わたしには何の問題も存在しない」という感覚をつくりだしてみます。そうするとより「今」にいやすくなります。

風を感じて、光を感じて、匂いを感じて、音を感じて、温度を感じて・・・ここにいる感覚を強めてあげると「頭」の中から出てきて、ここにしっかりといられるようになります。「今、ここ」は頭の中にくらべたら、ぜんぜん怖いところではありません。

さあて、じゃあ、「今」「きょう」できる小さなことを見つけて、こころをこめてやってみましょう。

何にしても今に集中してできることをはじめると、次のステップが自然と姿をあらわします。・・・ちゃんと「今、ここ」にいるとこころが軽くなってきます。

かならずや、「今、ここ」がエネルギーを供給してくれて、次にしっかりと導いてくれるのです。

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

気づきの日記「悩めば、ものごと解決する・・・?」

問題があるとき・・・わたしたちは、「あ〜でもない」「こ〜でもない」と考えて悩むことでそれを解決できると信じています。

ちゃんと心配しないと、問題を放置しているような、真面目にやっていないような、サポっているような後ろめたさがあるようです。問題があるんだから、ちゃんと悩まなくっちゃ・・・って。あれこれ悩めばきっと解決策があるのでは・・・と考えるのです。

悩んだり考え続けるのって、ものすご〜くエネルギーを消耗します。だから、頭も身体もぐったり疲れるし、新たなアクションを起こすエネルギーも奪われかねません。

でも残念なことに、ひっきりなしに考えるということは「それにエネルギーをがんがん注ぎ続ける」ということなのです。次の瞬間も、そしてその次の瞬間も・・・同じものを持続させているようなもの。解決したいと思っているのに、逆にいっしょうけんめい創りだしているなんて・・・これは悪循環。

わたしたちは「未来はどうなるんだろう」「過去のあのことさえなければ」と悩んでいるときには必ず、「今、ここ」に存在していません。あ〜だ、こ〜だ、と心配しているときには、自分がいるべき時間から消えていなくなっているのです。

でも、「時間」というのは、「今、ここ」「この瞬間」しか存在しないといいます。物理学的にも。

だから、わたしたちがすべてのものを手にできる源も、「今、ここ」この瞬間においてしか存在しません。わたしたちは自分のパワーを「ここ」でしか供給できないのですね。「今、ここ」こそパワーの供給源なのです。

「あ〜だ、こ〜だ」の瞬間は、いつもその人はからっぽです。心はここに存在せず、未来や過去にお出かけ中。となると、あらゆるものを創り出せる「今、ここ」から残念ながら脱落しちゃっているわけです。パワーも供給されず、宙ぶらりん。これはなおさら不安定になります。

問題があるときこそ、エネルギーを消耗して、パワーの電源から切断されちゃう「考える」ことをしっかりとストップして、「今、ここ」に戻ってくるときです。

「考える」必要があるときだけしっかり考えるようにして、思考のスイッチはいったんオフに。

そして、せめてたった今だけでも「悩みはすべて解決された」「わたしには何の問題も存在しない」という感覚をつくりだしてみます。そうするとより「今」にいやすくなります。

風を感じて、光を感じて、匂いを感じて、音を感じて、温度を感じて・・・ここにいる感覚を強めてあげると「頭」の中から出てきて、ここにしっかりといられるようになります。「今、ここ」は頭の中にくらべたら、ぜんぜん怖いところではありません。

さあて、じゃあ、「今」「きょう」できる小さなことを見つけて、こころをこめてやってみましょう。

何にしても今に集中してできることをはじめると、次のステップが自然と姿をあらわします。・・・ちゃんと「今、ここ」にいるとこころが軽くなってきます。

かならずや、「今、ここ」がエネルギーを供給してくれて、次にしっかりと導いてくれるのです。

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

最近人気のミニブレンダー

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

オシャレなキッチングッズ屋さんの前をとおるたびに気になっていたのが、ちっちゃなブレンダー。

少しまえまではミキサーが通称で、それはふ厚いガラス製で持ち上げるのも大変でした。(そのわりには、地震でこっぱみじんに・・・汗。)

でもこれは軽〜いプラスチック製。ジュースを作ったらそのまま一人分のグラスになるタイプ。ちょっと手間がはぶけるだけで、ぜんぜん使い勝手が違うものです。

そんなブレンダーをいつもジッとながめては調べていたのですが、本屋さんの帰りだったり重たい荷物がいっぱいで、「じゃあ、この次ね」とその場を離れることに・・・。

そうしたら・・・ブレンダーさんから来てくださいました♪

本当にいつも思うのですが、「純粋な注意」(興味を持ったり、よく調べたり) を注ぎつづけると、それはすみやかに現実になるのですよね〜。注意とは、ものごとを創造するエネルギー!

ブレンダーの場合は、「いいな〜、これ便利」という純粋な注意と、それを使っていることろが簡単にイメージできます。そこには「よ〜し、ぜったい手にしてみせる」という力みも、「いや、ムリかもしれない」という葛藤も、「でも、どうしても欲しいんです〜!」という執着もありません。相反する気持ちが少なければ少ないほど、すんなりと現実がやってきます。

このブレンダーに向けたぐらいの「これいいな」という純粋な注意と、使っているところのシンプルなイメージ、そして「あ〜だ、こ〜だ」の葛藤さえなかったら、ここまで簡単にものごとって現実になるものなのですね〜。

わたしたちは「どうしても叶えたい」と思ってしまうと、力みや、期待や、葛藤や、執着が入り混じって、シンプルに注意というものを使えなくなります。たんに強〜く興味をもって、ワクワクして、そしてすんなり忘れちゃう・・・ブレンダーで覚えたこの感覚を、もうちょっと大きなものにも試してみることにいたしましょう!

プレゼントしてくださった方も、以前からサイキック体質でちゃんとわたしのイメージをキャッチしてくださったのでした。ありがとうございます!

14-05-23 大学生のお悩み相談 その2

(その1より)

先日、大学で授業をしたとき、Q&A タイムにとくに多かったご質問。

「人のことをどうしても見下して、バカにしてしまうんです」、そしてもうひとつは、「人がこわいんです」というご相談。

 

●「人がこわいんです」

ある特定の人に対して「こわさ」や「脅威」を感じる人はあんがい多いもの。「こわさ」とまでいかなくても、苦手意識であるかもしれません。

じつは「こわい」と感じる目のまえの相手は、その「こわさ」の直接原因ではありません。そして「こわい」と感じているときは、幸いにも「より自分がバージョンアップする」ための「サイン」を受けとっているときでもあるのです。

さて、それはどういうことでしょうか?

「こわい」と感じるからには、たしかに傷ついた経験があるのです。しかし、それはもっともっと昔のこと。無力な子どもだったときのことです。

目のまえの人や状況は、そのときに似ているのです、なにかが・・・。たんに顔が似ているだけかもしれないし、状況がどこか似ているのかもしれません ・・・。その昔、幼い自分がその体験に圧倒されて、湧き上がってきたおそろしい感情をどうしていいのかわからなかったため、そのこわさを心の奥にねじ込んでもう無いことにしようと決めたのです。「ほ〜ら、目のまえにもうないじゃない。だからぜんぜ〜ん平気。傷ついてなんかいないし」・・・って。 でも、それはどこかに行ったわけではなくて、いまも心の中にありありと存在していて、ちょっとした共通点があると痛みが浮上してくるのです。

いま目のまえの人はその「こわさ」とは関係がないので、ここで勘違いをして「相手を変えよう」としたり、その人から「逃げても」まったく解決策とはなりません。その「こわさ」はいつも自分と一緒で、どこまでも追いかけてきます。そのたびに、無力感やおそろしさが甦ってくるのです。

放置しておいたこわさは、時間の流れとともに肥大化します。もうこころの押し入れには収まりきれなくなって、意識の表面に浮かび上がってはうろうろします。何度も、何度も・・・。

それは、「もう押し入れを掃除しましょうよ!そろそろ身軽になってもいいんじゃないですか?」というメッセージです。「向き合っても大丈夫なぐらいあなたは成長したし、強いし、もう荷物を整理して自由になるときがきましたよ」と教えてくれているのです。次のステップへの、成長へのご招待状。

解放してあげるためには、「認めて」「感じて」「安心させる」・・・
1、 ああ、この怖れは今のことじゃないんだな〜。自分の過去のどこかからきてたマボロシなんだ〜と「認め」ます。
2、 解放するために、その怖れをあるがままに「感じて」あげます。すべては体験するために存在します。なので、ただ受けとめて、「ああ、こんな感じか〜」と体験してあげると感情の任務が終わって消えていきます。(ここでは、言葉は使わないで感覚だけで感じてあげるとラクです。)
3、 そして、自分の中のこわがっている子どもをイメージして、「もう、大丈夫。わたしがあなたを守るから。もう一人じゃないよ」と声をかけて安心させてあげてください。

幼い頃のわたしたちは、手に負えないように感じる自分の感情に対して、どうやって向き合ったらいいのか誰も対処法を教えてくれませんでした。そうなると、わからないものは無視してほっておくしかなかったのですね。

またわたしたちは、まわりの期待に答えることが愛されることだと勘違いして、自分の感じている正直な感情を無視して一生懸命大丈夫なふりをしようとします。ほら、「さっきの感情jはもうない!わたしはもう大丈夫!」と言い聞かせるけれど、じつは痛みの塊をこころの奥深くに押しやって見ないふりをしていただけなのです。

日々の生活の中でこころに痛みを感じるときはいつでも、幼い自分がこわがって泣いているときです。本当は「今」の自分はぜんぜんOKなのです。

そして、その痛みは成長しなさい、といつも促てくれています。その痛みを手離すチャンスが訪れているということです。もうあなたはこわさに支配される必要はありません、身軽になりなさいと。痛みは、こころの荷下ろしをして軽くなって、本来のくったくのない自分に戻る作業を促しているといえます。

痛みを感じたら、ネガティブにとらえるよりも、「ああ、またひとつむかしの痛みの残骸を処分するサインだな〜。これをちゃんと感じて片付けて、より軽やかでくったくのない自分になろう」と前向きにとらえてみましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

気づきの日記「 大学生のお悩み相談 その2 」

(その1より)

先日、大学で授業をしたとき、Q&A タイムにとくに多かったご質問。

「人のことをどうしても見下して、バカにしてしまうんです」、そしてもうひとつは、「人がこわいんです」というご相談。

 

●「人がこわいんです」

ある特定の人に対して「こわさ」や「脅威」を感じる人はあんがい多いもの。「こわさ」とまでいかなくても、苦手意識であるかもしれません。

じつは「こわい」と感じる目のまえの相手は、その「こわさ」の直接原因ではありません。そして「こわい」と感じているときは、幸いにも「より自分がバージョンアップする」ための「サイン」を受けとっているときでもあるのです。

さて、それはどういうことでしょうか?

「こわい」と感じるからには、たしかに傷ついた経験があるのです。しかし、それはもっともっと昔のこと。無力な子どもだったときのことです。

目のまえの人や状況は、そのときに似ているのです、なにかが・・・。たんに顔が似ているだけかもしれないし、状況がどこか似ているのかもしれません ・・・。その昔、幼い自分がその体験に圧倒されて、湧き上がってきたおそろしい感情をどうしていいのかわからなかったため、そのこわさを心の奥にねじ込んでもう無いことにしようと決めたのです。「ほ〜ら、目のまえにもうないじゃない。だからぜんぜ〜ん平気。傷ついてなんかいないし」・・・って。 でも、それはどこかに行ったわけではなくて、いまも心の中にありありと存在していて、ちょっとした共通点があると痛みが浮上してくるのです。

いま目のまえの人はその「こわさ」とは関係がないので、ここで勘違いをして「相手を変えよう」としたり、その人から「逃げても」まったく解決策とはなりません。その「こわさ」はいつも自分と一緒で、どこまでも追いかけてきます。そのたびに、無力感やおそろしさが甦ってくるのです。

放置しておいたこわさは、時間の流れとともに肥大化します。もうこころの押し入れには収まりきれなくなって、意識の表面に浮かび上がってはうろうろします。何度も、何度も・・・。

それは、「もう押し入れを掃除しましょうよ!そろそろ身軽になってもいいんじゃないですか?」というメッセージです。「向き合っても大丈夫なぐらいあなたは成長したし、強いし、もう荷物を整理して自由になるときがきましたよ」と教えてくれているのです。次のステップへの、成長へのご招待状。

解放してあげるためには、「認めて」「感じて」「安心させる」・・・
1、 ああ、この怖れは今のことじゃないんだな〜。自分の過去のどこかからきてたマボロシなんだ〜と「認め」ます。
2、 解放するために、その怖れをあるがままに「感じて」あげます。すべては体験するために存在します。なので、ただ受けとめて、「ああ、こんな感じか〜」と体験してあげると感情の任務が終わって消えていきます。(ここでは、言葉は使わないで感覚だけで感じてあげるとラクです。)
3、 そして、自分の中のこわがっている子どもをイメージして、「もう、大丈夫。わたしがあなたを守るから。もう一人じゃないよ」と声をかけて安心させてあげてください。

幼い頃のわたしたちは、手に負えないように感じる自分の感情に対して、どうやって向き合ったらいいのか誰も対処法を教えてくれませんでした。そうなると、わからないものは無視してほっておくしかなかったのですね。

またわたしたちは、まわりの期待に答えることが愛されることだと勘違いして、自分の感じている正直な感情を無視して一生懸命大丈夫なふりをしようとします。ほら、「さっきの感情jはもうない!わたしはもう大丈夫!」と言い聞かせるけれど、じつは痛みの塊をこころの奥深くに押しやって見ないふりをしていただけなのです。

日々の生活の中でこころに痛みを感じるときはいつでも、幼い自分がこわがって泣いているときです。本当は「今」の自分はぜんぜんOKなのです。

そして、その痛みは成長しなさい、といつも促てくれています。その痛みを手離すチャンスが訪れているということです。もうあなたはこわさに支配される必要はありません、身軽になりなさいと。痛みは、こころの荷下ろしをして軽くなって、本来のくったくのない自分に戻る作業を促しているといえます。

痛みを感じたら、ネガティブにとらえるよりも、「ああ、またひとつむかしの痛みの残骸を処分するサインだな〜。これをちゃんと感じて片付けて、より軽やかでくったくのない自分になろう」と前向きにとらえてみましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

14-05-23 大学生のお悩み相談 その1

先日、大学で授業をしたとき、Q&A タイムにとくに多かったご質問。

ひとつは、「人のことをどうしても見下して、バカにしてしまうんです」というもの。もうひとつは、「人がこわいんです」というご相談。

じつはどちらも、「自分の小ささ」「不十分さ」というところで根っこは同じものなのです。

●「人のことをどうしても見下してしまうんです」

「見下す」ということは、相手を自分よりも下においておきたい気持ちです。同じレベルであってはいけないし、ましてや自分よりも上だなんてもってのほか!

「見下して」自分よりも下におくことで、自分よりもデキの悪い人をしっかりとつくっておく必要があるのです。すると「自分よりも下」な格付けができて、自分は偉い人になれる。

それは「自分の価値」を自分自身で認めてあげることができず、つねに劣等感でくすぶっている証拠です。自分よりもデキが悪いと言い放っておけば、おのずと自分の価値があがるし、そんなひとことを言えちゃう自分も偉いのだわ・・・と錯覚します。なので、相手を批判したり、ダメだししたり、あるいはコントロールすることで、自分の傘下においておけば優越感が感じられて安心なわけです。

これって一見、自分のために役立っているように見えますが、じつはとんでもないことが起っています。なぜなら、「こころの中は一人称である」という大切なことを忘れているからです。つまり、「こころは人に対して考えたことは、自分に対して考えたこと」として受けとるということ。

そうなると、「人を見下す」というのは自分の価値をおとしめる行為で、自分をバカにして自分の首を締めていることになります。わたしたちは自分に対する価値を外側に投影して、それが人からの扱いという形をとって戻ってきます。となると、自分の価値を下げて、いいかげんに扱われる原因をつくっていることになるのです。

本当に自分に対して「ありのまま」の自分を認めてあげると、おのずと他人のことはどうでもよくなります。他の人がどのような生き方をしていようとも、「ああ、それがその人の生き方なんだな〜」「その人の自由なんだな〜」とそのままにしておくことができます。

気に障るのは、自分の中の劣等感も相手の中に見えちゃうと、何か言いたくなっちゃうのですね。

どんな生き方であろうと本人が納得しているのなら、その人にはその人を生きる権利があり、誰からも指図をされたり侵害されたりするものではありません。わたしたちは、あまりにも安易にそれぞれの人が持っている「境界線」というものを踏みこえて、「あ〜だ、こ〜だ」と言ってしまいがちですなのですね。

まずは自分に注意を向けて可愛がってあげることで、自分が心地よく安心できるようになります。すると、おのずと人へのちょっかいは減ってくるのです。

---------

もうひとつのお悩み相談、「人がこわいんです」はまた次回に!!

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

気づきの日記「 大学生のお悩み相談 その1 」

先日、大学で授業をしたとき、Q&A タイムにとくに多かったご質問。

ひとつは、「人のことをどうしても見下して、バカにしてしまうんです」というもの。もうひとつは、「人がこわいんです」というご相談。

じつはどちらも、「自分の小ささ」「不十分さ」というところで根っこは同じものなのです。

●「人のことをどうしても見下してしまうんです」

「見下す」ということは、相手を自分よりも下においておきたい気持ちです。同じレベルであってはいけないし、ましてや自分よりも上だなんてもってのほか!

「見下して」自分よりも下におくことで、自分よりもデキの悪い人をしっかりとつくっておく必要があるのです。すると「自分よりも下」な格付けができて、自分は偉い人になれる。

それは「自分の価値」を自分自身で認めてあげることができず、つねに劣等感でくすぶっている証拠です。自分よりもデキが悪いと言い放っておけば、おのずと自分の価値があがるし、そんなひとことを言えちゃう自分も偉いのだわ・・・と錯覚します。なので、相手を批判したり、ダメだししたり、あるいはコントロールすることで、自分の傘下においておけば優越感が感じられて安心なわけです。

これって一見、自分のために役立っているように見えますが、じつはとんでもないことが起っています。なぜなら、「こころの中は一人称である」という大切なことを忘れているからです。つまり、「こころは人に対して考えたことは、自分に対して考えたこと」として受けとるということ。

そうなると、「人を見下す」というのは自分の価値をおとしめる行為で、自分をバカにして自分の首を締めていることになります。わたしたちは自分に対する価値を外側に投影して、それが人からの扱いという形をとって戻ってきます。となると、自分の価値を下げて、いいかげんに扱われる原因をつくっていることになるのです。

本当に自分に対して「ありのまま」の自分を認めてあげると、おのずと他人のことはどうでもよくなります。他の人がどのような生き方をしていようとも、「ああ、それがその人の生き方なんだな〜」「その人の自由なんだな〜」とそのままにしておくことができます。

気に障るのは、自分の中の劣等感も相手の中に見えちゃうと、何か言いたくなっちゃうのですね。

どんな生き方であろうと本人が納得しているのなら、その人にはその人を生きる権利があり、誰からも指図をされたり侵害されたりするものではありません。わたしたちは、あまりにも安易にそれぞれの人が持っている「境界線」というものを踏みこえて、「あ〜だ、こ〜だ」と言ってしまいがちですなのですね。

まずは自分に注意を向けて可愛がってあげることで、自分が心地よく安心できるようになります。すると、おのずと人へのちょっかいは減ってくるのです。

---------

もうひとつのお悩み相談、「人がこわいんです」はまた次回に!!

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

14-05-20 Happiness and Positive Thinking Course @ 東京国際大学

 心理セラピスト、古川貴子

昨日は東京国際大学でお仕事。「 Happiness and Positive Thinking Course 」で授業をしてきました。

留学生を含む2年生から4年生までが参加しているクラス。先日授業をした4年生のクラスとはまた違った雰囲気があります。

わたしたちは日々の生活のなかで、目のまえの出来事に対応することに忙しく、なかなか自分自身に意識を向けたり、自分の気持ちをありのままに感じる機会がありません。それゆえに、まわりにホンロウされやすく、まわりとの比較でしか自分というものを考えられなくなってしまいます。「どうしたいのか」よりも、「どうしたら好かれるのか」とか「どうしたら受け入れられるのか」というように、外側の尺度にあわせるためのサバイバル的な行き方、まわりにパワーをあけわたした考え方になってしまうのです。

このレクチャーでは、自分こそが自分の人生の中心であり、自分本来のパワーに気づいて自分らしく生きられるように・・・自分の手にしっかりとパワーを取り戻す、そんなお話しをいくつかのエクササイスを交えてさせていただきました。

60分のレクチャーのあとは、Meet & Greet 、生徒さんとの Q&A を含めた交流タイム with ドーナッツ&お茶。(^_^)v

楽しくって、パワーあふれるみなさまとのあっというまの時間でした。ありがとうございました。

See you next semester!

大学でレクチャー

昨日は大学でお仕事。「 Happiness and Positive Thinking Course 」で授業をしてきました。

留学生を含む2年生から4年生までが参加しているクラス。先日授業をした4年生のクラスとはまた違った雰囲気があります。

わたしたちは日々の生活のなかで、目のまえの出来事に対応することに忙しく、なかなか自分自身に意識を向けたり、自分の気持ちをありのままに感じる機会がありません。それゆえに、まわりにホンロウされやすく、まわりとの比較でしか自分というものを考えられなくなってしまいます。「どうしたいのか」よりも、「どうしたら好かれるのか」とか「どうしたら受け入れられるのか」というように、外側の尺度にあわせるためのサバイバル的な行き方、まわりにパワーをあけわたした考え方になってしまうのです。

このレクチャーでは、自分こそが自分の人生の中心であり、自分本来のパワーに気づいて自分らしく生きられるように・・・自分の手にしっかりとパワーを取り戻す、そんなお話しをいくつかのエクササイスを交えてさせていただきました。

60分のレクチャーのあとは、Meet & Greet 、生徒さんとの Q&A を含めた交流タイム with ドーナッツ&お茶。(^_^)v 

楽しくって、パワーあふれるみなさまとのあっというまの時間でした。ありがとうございました。

See you next semester!

"こころのストレッチ”、録音開始

「オフィス・るん」オリジナル ダウンロードコンテンツ、「たった5分、こころのストレッチ(仮題)」の録音テストを行いました。

これは、日々の生活の中で疲れてちぢこまってしまったこころを、5分間のやさしいストレッチングで快活さとエネルギーを取り戻し、こころ本来のパワーを感じられるようにするイメージング。

リラックゼーションや日々のストレス解消に役に立ったり、体調の回復や癒し、悩みの解決、自信がもてて愛される自分になるなど・・・さまざまなバージョンがあります。

そのときのご自分にあったものをお選びいただき、ワンコインでダウンロード。必要なときにいつでもお手軽にお聴きいただけるようなヒーリングコンテンツ。只今、作成中です! しばらくお待ちくださいませ。

****

本日はスタッフ Yちゃん、Sちゃんとともに、音声の調整をしながらの録音テストやジングル、BGMの選択を行いました。

日々バージョンアップしているY ちゃんの匠の録音技術と、ディレクター Sちゃんの感性鋭いダメ出しのおかげで、わたしの稚拙なしゃべりもなんとか形になりました。1バージョンだけですが、つつがなく完成!まずまずの出だしです。 (๑・ิ◡・ิ๑)

現在、12バージョン作成予定ですが、まだまだ日々ふやしております。

「こんなときに聴ける”こころのストレッチ” コンテンツがあったらいいな〜」というご希望がありましたら、是非お声をお聞かせくださいませ。m(__)m(ご希望はこちらから)