今年の桜は、ツボミがふくらんでからとてもゆっくりペースですね。
目黒川の800本たちはようやく準備がととのったようで、この週末が本番でしょうか♪
(バックに青空がいないのがちょっと残念!)
今年の桜は、ツボミがふくらんでからとてもゆっくりペースですね。
目黒川の800本たちはようやく準備がととのったようで、この週末が本番でしょうか♪
(バックに青空がいないのがちょっと残念!)
期間中、ヒプノセラピーのいずれのセッションも【 10パーセント割引 】でお受けになれます。
いよいよ春本番!
新しいことを始めたり、環境が変わったりする方も多いこの季節。また、とくに大きな変化はないけれど ・・・でも寒くて縮こまっていた冬が終わって、手足を思いっきりのばしたい! のびのび自分を解放してあげたい! ・・・ そんな気分にもなりますね。
あるいは、ちょっと気分を変えてみたい、気になっていた問題をクリアにしたい、自分のこころのホコリを払いたい、なんとなくスッキリしない気分を一掃したい、とくに何もないけれど新しいことを学んでリフレッシュしたい ・・・ そんなあなたにヒプノセラピーをオススメいたします。
ヒプノセラピーは、楽しく気づきながら、自分のこころの中のホコリを払い、本来の自分らしさに気づいていくセッション。自信がついたり、自己肯定感や自尊心がましたりすると同時に、こころが映しだしている「この世界のしくみ」を理解することで、ムダな恐怖心を取りのぞき、より人生に対してリラックスして前向きになることができます。
自分のこころの勘違いを正す機会になったり、自分の本当の姿を理解したり、なによりも生きるのがよりラクチンになる方法を学ぶことができます。
【ヒプノセラピーでリフレッシュ! 春の割引きキャンペーン】
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キャンペーン期間: 4/1 〜 4/30
対象になるセッション:
・ヒプノセラピー1セッション・・・¥30,000→ ¥27,000
・ヒプノセラピー1クール(3回)・・・¥74,000→ ¥66,600
・ヒプノセラピー追加セッション・・・¥20,000→ ¥18,000
桜も開きはじめて、いよいよ春本番ですね。部屋の観葉植物もぐんぐん新芽がのびています。
このところ「春眠・・・」ではありませんが、二度寝のクセがついてしまいました。それは計画的二度寝で、一つめの目覚ましをいつもより30分ぐらい早くかけているからなのです。
次が鳴るまでまどろんでいると、昼間覚醒しているときには使っていないアンテナがオンになるのか、ふだんキャッチできないインスピレーションがやってきます。つまり、高い意識とのコミュニケーションのための二度寝。(^_^)v
それは特別なことではなく、誰にでもインスピレーションやメッセージは平等にやってきます。まるで陽射しがさんさんとふりそそぐように、絶えまなく、じゃんじゃんと。でも、どのチャネル(どんな方法)でやってくるのかわからないと受けとれなくって、「わたしには来ないんだ」と決めてしまったりします。
あるいは、アタマのなかのおしゃべりがうるさかったり、即座に判断を下してしまうクセで受けることができない場合もあります。来ているのにはじかれちゃってるのです。
メッセージというと、まるで言葉でくるようなイメージですが、どちらかというと閃いちゃった感じや、ワクワクする感じ、ゆるぎない確信という感情や感覚だったり、あるいは ・・・人や本のなかの言葉、テレビやラジオで語られていること、街の看板や車の広告までもがすべてメッセージだったりします。(わたしの場合、セッションにいらっしゃる方の名前を、走りさる車の屋号などでよく教えられます。あるいはお顔が浮かぶので、どなたから予約が入るかわるのです。)
なので、ちゃんと受けとる気になって気をつけていると、さまざまなことをとても丁寧に教えられているのにびっくりします。
さて、二度寝メッセージですが、「わかっちゃった!」という感覚でやってくるので、具体的な言葉ではないのですが。すっかり目が覚めてしまうと消えさってしまうので、半分まどろんでいるような状態で急いでメモをとります。(幸い暖かくなってきたので、助かります。笑)
「全部わかった気がする!」「そうだったのか!」と思ったこともこれを逃してしまうと、あっというまに姿を消してしまいます。雪片が溶けさっていくように・・・。
よく臨死体験をした人が、「すべてがわかってしまったと思ったのに、からだに戻るやいなや消え去った」といいますね。そうですね。毎晩の眠りもからだを放棄する臨死体験のようなものです。(今のところ、よくぞ一回も失敗せずに毎日からだに戻ってこられるものですが・笑。)眠りのなかでも、いっぱい教えられているのでしょう。だったら、せっせと持ってかえってこなくちゃ!
例えばこんなメッセージ・・・。
「あなたは文句を言うべき出来事があるから文句を言っているのではありません。文句を言いたいがために、文句をつけたくなることがらを目のまえにせっせとつくりだしているのです。文句を言えば、何か変化をもたらせると信じています。文句はあなたの世界を変えることはありません。自分を傷つけるだけです。その思いを捨てなさい。そうすれば、もっと平和になります」
そんなに文句を言っているつもりはまったくなかったのですが、じつはお腹の深いところでは小さな文句がけっこうあることに気がつきました。「このテレビキャスターはセンスが悪い」とか、「なんでこんな忙しいときに電話をしてくるの?」とか、「この人、文句が多いわ」とか(←自分のことは棚にあげて!)。たわいもないようなつぶやきが、じつはれっきとした文句 (トホホ・・・)。
さらに最近、ドレッシングの瓶を落としてぶちまけたかと思ったら、お醤油の瓶までひっくりかえし・・・「なんなの〜、いったい!」と文句たらたら。 ・・・なるほど、なにがなんでも文句を言いたいがために瓶をひっくりかえしていたということね。(文句を言うためだったら何でもしちゃう。エスカレートすると、これが事故や災難になったりします。)
文句は、「人やものごとは、わたしのルールに従うべきだ」という主張そのもの。「わたしが王さまだ!」と。・・・自分の思いどおりにならない人・モノを攻撃しているのでした。これでイライラするのは自分だし、無意識のうちに人との距離もつくってしまいます。
ときには、他のひとのためのメッセージがくることもあります。病をわずらっている友人をサポートしていたときには・・・
「そのやり方では解決できないようにできています。解決しようとするのはやめなさい」 ・・・わかったようでわからないこのメッセージ。
つまり、「病」というかたちのあるものをいじくりまわしてもムダです。それは身体になどありません。こころが映しだしている影にすぎないのですから。その「病」の原因となっているこころの誤解をときなさい、ということだったのです。
まだ解釈能力が乏しいせいか、「わかった!」と思った感じを自分なりにちゃんとした言葉にするのに時間がかかるときもあるのですが・・・。最近は聞きたいことを眠るまえにしばし考えたりすると、二度寝タイムにミートしてお答えが受けとれます。
ここ2〜3日は、パズルのように少しづつメッセージがきて、ひとつにつながりつつあります。それはセラピーのやり方についてのメッセージで、「え〜!目からウロコ。そうだったの?もっと早く教えてよ」というようなもの。(←笑・また何がなんでも文句が言いたい!)
聞きたいことがふえたら、一日じゅう寝てることになりかねませんね〜!(^^;; (それも困るね!)
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
桜も開きはじめて、いよいよ春本番ですね。部屋の観葉植物もぐんぐん新芽がのびています。
このところ「春眠・・・」ではありませんが、二度寝のクセがついてしまいました。それは計画的二度寝で、一つめの目覚ましをいつもより30分ぐらい早くかけているからなのです。
次が鳴るまでまどろんでいると、昼間覚醒しているときには使っていないアンテナがオンになるのか、ふだんキャッチできないインスピレーションがやってきます。つまり、高い意識とのコミュニケーションのための二度寝。(^_^)v
それは特別なことではなく、誰にでもインスピレーションやメッセージは平等にやってきます。まるで陽射しがさんさんとふりそそぐように、絶えまなく、じゃんじゃんと。でも、どのチャネル(どんな方法)でやってくるのかわからないと受けとれなくって、「わたしには来ないんだ」と決めてしまったりします。
あるいは、アタマのなかのおしゃべりがうるさかったり、即座に判断を下してしまうクセで受けることができない場合もあります。来ているのにはじかれちゃってるのです。
メッセージというと、まるで言葉でくるようなイメージですが、どちらかというと閃いちゃった感じや、ワクワクする感じ、ゆるぎない確信という感情や感覚だったり、あるいは ・・・人や本のなかの言葉、テレビやラジオで語られていること、街の看板や車の広告までもがすべてメッセージだったりします。(わたしの場合、セッションにいらっしゃる方の名前を、走りさる車の屋号などでよく教えられます。あるいはお顔が浮かぶので、どなたから予約が入るかわるのです。)
なので、ちゃんと受けとる気になって気をつけていると、さまざまなことをとても丁寧に教えられているのにびっくりします。
さて、二度寝メッセージですが、「わかっちゃった!」という感覚でやってくるので、具体的な言葉ではないのですが。すっかり目が覚めてしまうと消えさってしまうので、半分まどろんでいるような状態で急いでメモをとります。(幸い暖かくなってきたので、助かります。笑)
「全部わかった気がする!」「そうだったのか!」と思ったこともこれを逃してしまうと、あっというまに姿を消してしまいます。雪片が溶けさっていくように・・・。
よく臨死体験をした人が、「すべてがわかってしまったと思ったのに、からだに戻るやいなや消え去った」といいますね。そうですね。毎晩の眠りもからだを放棄する臨死体験のようなものです。(今のところ、よくぞ一回も失敗せずに毎日からだに戻ってこられるものですが・笑。)眠りのなかでも、いっぱい教えられているのでしょう。だったら、せっせと持ってかえってこなくちゃ!
例えばこんなメッセージ・・・。
「あなたは文句を言うべき出来事があるから文句を言っているのではありません。文句を言いたいがために、文句をつけたくなることがらを目のまえにせっせとつくりだしているのです。文句を言えば、何か変化をもたらせると信じています。文句はあなたの世界を変えることはありません。自分を傷つけるだけです。その思いを捨てなさい。そうすれば、もっと平和になります」
そんなに文句を言っているつもりはまったくなかったのですが、じつはお腹の深いところでは小さな文句がけっこうあることに気がつきました。「このテレビキャスターはセンスが悪い」とか、「なんでこんな忙しいときに電話をしてくるの?」とか、「この人、文句が多いわ」とか(←自分のことは棚にあげて!)。たわいもないようなつぶやきが、じつはれっきとした文句 (トホホ・・・)。
さらに最近、ドレッシングの瓶を落としてぶちまけたかと思ったら、お醤油の瓶までひっくりかえし・・・「なんなの〜、いったい!」と文句たらたら。 ・・・なるほど、なにがなんでも文句を言いたいがために瓶をひっくりかえしていたということね。(文句を言うためだったら何でもしちゃう。エスカレートすると、これが事故や災難になったりします。)
文句は、「人やものごとは、わたしのルールに従うべきだ」という主張そのもの。「わたしが王さまだ!」と。・・・自分の思いどおりにならない人・モノを攻撃しているのでした。これでイライラするのは自分だし、無意識のうちに人との距離もつくってしまいます。
ときには、他のひとのためのメッセージがくることもあります。病をわずらっている友人をサポートしていたときには・・・
「そのやり方では解決できないようにできています。解決しようとするのはやめなさい」 ・・・わかったようでわからないこのメッセージ。
つまり、「病」というかたちのあるものをいじくりまわしてもムダです。それは身体になどありません。こころが映しだしている影にすぎないのですから。その「病」の原因となっているこころの誤解をときなさい、ということだったのです。
まだ解釈能力が乏しいせいか、「わかった!」と思った感じを自分なりにちゃんとした言葉にするのに時間がかかるときもあるのですが・・・。最近は聞きたいことを眠るまえにしばし考えたりすると、二度寝タイムにミートしてお答えが受けとれます。
ここ2〜3日は、パズルのように少しづつメッセージがきて、ひとつにつながりつつあります。それはセラピーのやり方についてのメッセージで、「え〜!目からウロコ。そうだったの?もっと早く教えてよ」というようなもの。(←笑・また何がなんでも文句が言いたい!)
聞きたいことがふえたら、一日じゅう寝てることになりかねませんね〜!(^^;; (それも困るね!)
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
世の中の重要な変化って、じつはここ百年ぐらいで急速にもたらされているように感じます。
たとえば、心の病気の治療。フロイトが現れるまでは心の病は悪魔払いの分野だったし、まっとうな人権や男女平等だって真剣に問われるようになったのは、つい最近のこと。パソコンや IT の技術革新も、三十年まえには今のような普及は思いもよらなかったし。
トランスジェンダーの問題も、医学的な性別と本人の自覚が違うことを、本人や周囲が受けとめる風潮ができたのも昨今ですよね。
この「リリーのすべて」は、1930年代にはじめて性別適合手術を受けた男性のお話です。
デンマーク人の画家のカップル。ある日、モデルが来なかったことで、妻が夫にモデルになるように頼みます。「足だけデッサンさせて」と。そこで彼ははじめて絹の靴下をまとい、膝に美しいドレスを抱えてじっとしているうちに ・・・ 彼のなかの別な誰か、「リリー」がむくむくと目を覚ましてしまったのです。
突如そうなったわけではなく、彼は幼少の頃に自分のなかの女性に気がついていたものの、大人にとがめられたために隠し続けてきたのでした。でも抑圧が強かったぶん、一回目覚めてしまったその欲求はもう後戻りができません・・・。こっそりとドレスをまといお化粧をするように。その体験に彼は恍惚感をおぼえるのです
妻にとっては無二の親友リリーが姿をあらわし、もちろんそのリリーを心から愛しているのですが、リリーを見るたびに夫が永遠に消滅してしまったという事実をつきつけられるようで、葛藤を経験します。今までどおりに愛したい・・・けれど彼女を見ていると悲しすぎる。
一方リリーもどんどん女性化して美しく着飾るようになるのですが、自分の身体という現実を見てしまうとそれを殺してしまいたい衝動にもかられ、でもそうすればリリーも死んでしまう・・・と苦しみます。
夫婦でなんとかしようと次から次へとドクターを訪ねるのですが、診断は「狂人」「精神分裂」「脳の病気」・・・はては精神病院に監禁されそうになるし。
たったひとりのドクターだけが、リリーのことを「頭のおかしい人」ではなく「Miss」と呼んで、ほんとうに彼の心のなかで起きていることを理解してくれたのです。それが、世界ではじめての性転換手術を行ったドクターでした。
エディ・レッドメイン演じるリリーが、とってもチャーミングで抱きしめたくなります。エディは決してオネエではないので、繊細な表現力です。レオ様の鬼気迫る演技におされて、残念ながらオスカーは逃しましたが・・・。
苦悩するリリーを、自分も苦しみながらも必死で支えようとする奥さんの姿も美しいです。愛する人は変わらずにそこにいるのに、でも今までどおりには愛せないなんて・・・切ないですね。 (;_;)
さてさてみなさまは、愛するひとがある日突然、性別が転換してしまったらどうしますか? え?! いっそ、夫がおネエ化してくれたほうがわかりあえるに違いないって? (^。^;
世の中の重要な変化って、じつはここ百年ぐらいで急速にもたらされているように感じます。
たとえば、心の病気の治療。フロイトが現れるまでは心の病は悪魔払いの分野だったし、まっとうな人権や男女平等だって真剣に問われるようになったのは、つい最近のこと。パソコンや IT の技術革新も、三十年まえには今のような普及は思いもよらなかったし。
トランスジェンダーの問題も、医学的な性別と本人の自覚が違うことを、本人や周囲が受けとめる風潮ができたのも昨今ですよね。
この「リリーのすべて」は、1930年代にはじめて性別適合手術を受けた男性のお話です。
デンマーク人の画家のカップル。ある日、モデルが来なかったことで、妻が夫にモデルになるように頼みます。「足だけデッサンさせて」と。そこで彼ははじめて絹の靴下をまとい、膝に美しいドレスを抱えてじっとしているうちに ・・・ 彼のなかの別な誰か、「リリー」がむくむくと目を覚ましてしまったのです。
突如そうなったわけではなく、彼は幼少の頃に自分のなかの女性に気がついていたものの、大人にとがめられたために隠し続けてきたのでした。でも抑圧が強かったぶん、一回目覚めてしまったその欲求はもう後戻りができません・・・。こっそりとドレスをまといお化粧をするように。その体験に彼は恍惚感をおぼえるのです
妻にとっては無二の親友リリーが姿をあらわし、もちろんそのリリーを心から愛しているのですが、リリーを見るたびに夫が永遠に消滅してしまったという事実をつきつけられるようで、葛藤を経験します。今までどおりに愛したい・・・けれど彼女を見ていると悲しすぎる。
一方リリーもどんどん女性化して美しく着飾るようになるのですが、自分の身体という現実を見てしまうとそれを殺してしまいたい衝動にもかられ、でもそうすればリリーも死んでしまう・・・と苦しみます。
夫婦でなんとかしようと次から次へとドクターを訪ねるのですが、診断は「狂人」「精神分裂」「脳の病気」・・・はては精神病院に監禁されそうになるし。
たったひとりのドクターだけが、リリーのことを「頭のおかしい人」ではなく「Miss」と呼んで、ほんとうに彼の心のなかで起きていることを理解してくれたのです。それが、世界ではじめての性転換手術を行ったドクターでした。
エディ・レッドメイン演じるリリーが、とってもチャーミングで抱きしめたくなります。エディは決してオネエではないので、繊細な表現力です。レオ様の鬼気迫る演技におされて、残念ながらオスカーは逃しましたが・・・。
苦悩するリリーを、自分も苦しみながらも必死で支えようとする奥さんの姿も美しいです。愛する人は変わらずにそこにいるのに、でも今までどおりには愛せないなんて・・・切ないですね。 (;_;)
さてさてみなさまは、愛するひとがある日突然、性別が転換してしまったらどうしますか? え?! いっそ、夫がおネエ化してくれたほうがわかりあえるに違いないって? (^。^;
きょうは寒いですね。
近所の目黒川のサクラもテレビなどで開花の状況が逐一レポートされています。が、また花咲爺さんは来ていないようで、800本のサクラはいまだし〜んとしています。
この寒さを乗りこえたら、サクラも満開、そして新緑の季節ですね〜!
チューリップ@六本木ヒルズ
「セラピーを受けたいけれど抵抗があります。自分のなかにコワイものがあるようで」 ・・・こんなお問い合わせをよくいただきます。
醜い自分、怖がりな自分、やたら怒る自分、利己的な自分、けっこう残酷な自分、自信のない自分、特別になりたい自分、人を見下す自分 ・・・それらは自分がなりたい理想の自分とはかけ離れているので、そんな邪悪な自分の片鱗を感じるとわたしたちは必死でこころにフタをし封印しようとします。だからこころをのぞかれるのは困っちゃう。本当の自分なんて見せられないし、見たくない。・・・
この考え自体が、そもそも間違った考えから生じているのです。
わたしたちは誰もがもれなく、自分のなかにいるダメな自分を怖れています。だからでっちあげの自分像を完璧にするために、日々頑張ることに人生を費やします。それが幸せになるためのモチベーションであり、自分磨きであり、自己啓発とも呼ばれています。「足りないダメな自分」が前提になっていて、それを必死で繕うわけです。
なので、セラピーも「足りない自分につけ足すもの」あるいは、「ダメなところを修復すること」というように、何かを正したり、つけ足すものだと思われがちです。
しかし、セラピーは「足し算」をするものではないのです。じつは限りなく、せっせと「引き算」をしていくもの。「引き算」こそセラピーです。そう、こころのゴミだし。
誰のなかにも、完璧なその人らしさ、輝きがすでにあります。まったくキズのない宝石そのもの。ピカピカ!
しかし生まれてから様々な環境におかれ教育を受けるなかで、「人と同じにならなくちゃ」「あれもできなくちゃ、これもできなくちゃ」とあらゆる比較や価値判断にさらされた結果、自分は「人並みじゃないダメな人間だ」「完全に足りてない人」というレッテルを貼ってしまいます。
その間違ったレッテルを基準にしてその後も生きていくので、どんどん「わたしはダメ」という闇が深まります。「ダメさ」をメイクアップするためにすべての行動をとるようになります。
(余談ですが、「すんごく明るい人」というのも、じつは深いところでダメさを深く感じているがゆえに、それを繕うための偽りの明るさだったりします。その場合、無意識にそのように振る舞っているため、本人も気づいてない場合が多いのですが。)
自分の輝く宝石がその間違った思いですっぽりと被われてしまうと、自分がじっと見つめるのは間違ったレッテルだけとなります。
つまり、自分のキラキラの完璧な宝石のうえに邪悪な醜いプロジェクトマッピンクの映像を投影してしまった感じです。見えるのは、その恐ろしい自分の映像で、本当のことは隠されてしまいます。
だからこそセラピーの目的は、その間違ったプロジェクトマッピングをストップすること(自分の本当のアイデンティティ、完璧さを思い出すこと)。そして、本来の輝きがあわわれるようにホコリを払ってあげること(さまざまな間違ったものの見方を訂正すること)。
自分が怖れを感じていた自分の本性とは、じつは恐ろしいものではなく輝かしいものなのです。本当の自分のうえにかぶせていたプロジェクトマッピング(誤解されたアイデンティティ)こそが恐ろしいものだったわけです。
こんなふうに「こころ」のうえにゴミがたまったり違うイメージをかぶせてしまつことが、すべての問題の元凶。
だからこそ、「引き算」が大切。「引き算」こそがセラピーなのです。
「こころ」こそが、そして「こころ」のみが、このように問題をつくりだし、抱えることができます。。
そして、このホコリと間違ったイメージを取り去ると、なにもつけ足したり修理することなく、自分の宝石の輝きが外側に広がります。この自分の輝きが広がる視界こそが、愛や安らぎ、喜び、平和、満足、豊かさを映し出してくれます。これが安定した安らぎをもたらしてくれるのです。
この自分のこころの完璧さを知ることでしか、ほんとうの幸せ、安らぎはえられないのですね。
セラピーは怖いものに直面するのではなく、こころのジャンクをお掃除して、ほんとうの自分の完璧な輝きに出会う方法なのです。
クライエントのみなさまの感想は、「セラピーは楽しい♪」「もっと本当の自分をしりたい♡」・・・そうなのです! 本当の自分に出会うのは喜びです。ワクワクします。だからセラピーはエンターテイメントなのです ♬
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
「セラピーを受けたいけれど抵抗があります。自分のなかにコワイものがあるようで」 ・・・こんなお問い合わせをよくいただきます。
醜い自分、怖がりな自分、やたら怒る自分、利己的な自分、けっこう残酷な自分、自信のない自分、特別になりたい自分、人を見下す自分 ・・・それらは自分がなりたい理想の自分とはかけ離れているので、そんな邪悪な自分の片鱗を感じるとわたしたちは必死でこころにフタをし封印しようとします。だからこころをのぞかれるのは困っちゃう。本当の自分なんて見せられないし、見たくない。・・・
この考え自体が、そもそも間違った考えから生じているのです。
わたしたちは誰もがもれなく、自分のなかにいるダメな自分を怖れています。だからでっちあげの自分像を完璧にするために、日々頑張ることに人生を費やします。それが幸せになるためのモチベーションであり、自分磨きであり、自己啓発とも呼ばれています。「足りないダメな自分」が前提になっていて、それを必死で繕うわけです。
なので、セラピーも「足りない自分につけ足すもの」あるいは、「ダメなところを修復すること」というように、何かを正したり、つけ足すものだと思われがちです。
しかし、セラピーは「足し算」をするものではないのです。じつは限りなく、せっせと「引き算」をしていくもの。「引き算」こそセラピーです。そう、こころのゴミだし。
誰のなかにも、完璧なその人らしさ、輝きがすでにあります。まったくキズのない宝石そのもの。ピカピカ!
しかし生まれてから様々な環境におかれ教育を受けるなかで、「人と同じにならなくちゃ」「あれもできなくちゃ、これもできなくちゃ」とあらゆる比較や価値判断にさらされた結果、自分は「人並みじゃないダメな人間だ」「完全に足りてない人」というレッテルを貼ってしまいます。
その間違ったレッテルを基準にしてその後も生きていくので、どんどん「わたしはダメ」という闇が深まります。「ダメさ」をメイクアップするためにすべての行動をとるようになります。
(余談ですが、「すんごく明るい人」というのも、じつは深いところでダメさを深く感じているがゆえに、それを繕うための偽りの明るさだったりします。その場合、無意識にそのように振る舞っているため、本人も気づいてない場合が多いのですが。)
自分の輝く宝石がその間違った思いですっぽりと被われてしまうと、自分がじっと見つめるのは間違ったレッテルだけとなります。
つまり、自分のキラキラの完璧な宝石のうえに邪悪な醜いプロジェクトマッピンクの映像を投影してしまった感じです。見えるのは、その恐ろしい自分の映像で、本当のことは隠されてしまいます。
だからこそセラピーの目的は、その間違ったプロジェクトマッピングをストップすること(自分の本当のアイデンティティ、完璧さを思い出すこと)。そして、本来の輝きがあわわれるようにホコリを払ってあげること(さまざまな間違ったものの見方を訂正すること)。
自分が怖れを感じていた自分の本性とは、じつは恐ろしいものではなく輝かしいものなのです。本当の自分のうえにかぶせていたプロジェクトマッピング(誤解されたアイデンティティ)こそが恐ろしいものだったわけです。
こんなふうに「こころ」のうえにゴミがたまったり違うイメージをかぶせてしまつことが、すべての問題の元凶。
だからこそ、「引き算」が大切。「引き算」こそがセラピーなのです。
「こころ」こそが、そして「こころ」のみが、このように問題をつくりだし、抱えることができます。。
そして、このホコリと間違ったイメージを取り去ると、なにもつけ足したり修理することなく、自分の宝石の輝きが外側に広がります。この自分の輝きが広がる視界こそが、愛や安らぎ、喜び、平和、満足、豊かさを映し出してくれます。これが安定した安らぎをもたらしてくれるのです。
この自分のこころの完璧さを知ることでしか、ほんとうの幸せ、安らぎはえられないのですね。
セラピーは怖いものに直面するのではなく、こころのジャンクをお掃除して、ほんとうの自分の完璧な輝きに出会う方法なのです。
クライエントのみなさまの感想は、「セラピーは楽しい♪」「もっと本当の自分をしりたい♡」・・・そうなのです! 本当の自分に出会うのは喜びです。ワクワクします。だからセラピーはエンターテイメントなのです ♬
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
エレキギターをかかえてサングラス ・・・外タレ、ロックバンド風の写真がYちゃんの年賀状に!
最近、ギターを弾きはじめたそうな。おうちで手を叩きながらリズムをとっていると、家族に「老人ホームみたい!」とチャカされるとか。(^。^;
「たかちゃんも、ピアノ弾く時間ができるといいね」と言われたけど、なかなかね・・・。
すると、Sちゃんも最近オーダーメイド三線を注文したんですと。まあ! 浦島さんみたいに弾き語り? ステキ♡
あと、サックスの人とか、縦笛とか・・・。みんな急にどうしちゃったの?
そんな話しを思い出しながら部屋を掃除していたとき、ピアノのホコリを払いながらちょっとフタを開けてみたくなった。(もう、十数年ぶリぐらいで!)
鍵盤のホコリをひとつひとつ拭きとっているうちに、ムクムク弾いてみたくなって楽譜を開いてみたけれど、もはや宇宙語のようにさえみえるんですけど〜。さらに指も動こうはずがありません。
でも、不思議と指はちゃんと覚えていてくれて、さわっているうちにどんどん感覚がもどってきます。
なんか楽しくなっちゃって掃除もそっちのけで、気がつけば一時間経過。
あれから、一週間、結構はまりまくっています(空き時間をみつけてはピアノへ直行!)。このさい、上手か下手かなんてどうでもいいのです。ただ弾くのが楽しくって時間を忘れちゃう ♬
でも、昔のようにひとつの曲を地道に探求するエネルギーはなくって、飽きないようにむかし好きだったショパンのワルツ6曲ぐらい同時に少しづつ練習 しています。その昔、ピアノの先生に「ショパンは演歌と同じ。情感をこめてね!」と言われていたけど・・・ 。今だったら、情感はたっぷりありますよ〜。技術はからっきしですが。
しばらくしたら、みんなで発表会でもしましょうかね?(うまく弾けるかはおいといて、どれだけ自己陶酔できるかが大切! 笑)
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