気づきの日記「こころのキモチと、あたまのキモチ」その2

(その1より)

このココロの声を無視して大丈夫なフリをしていると、外から見るとどこか不自然な感じと不正直さが伝わってしまいます。わたしたちの醸しだす雰囲気って、本人がそれを隠しているつもりでも、かなり的確にまわりに伝わってしまうものです。なので、大丈夫なフリをすればするほど、態度と言葉が一致していない不安定さを感じさせてしまいます。

それと同時に、自分を大切にしていないと、相手にもOKを出せるようにはなりません。(「わたしがこんなにガマンしているんだから、あなただってこのぐらいはガマンするべきでしょ!」と同じレベルのつらさを相手にも要求するようになってしまうのですね。)

A子さんにおうかがいすると、やっぱり小さい頃から自分の感情は押し殺す「いい子」を演じてきたようです。きっと、人生のとても早い時期に、感情表現をしたら傷つく体験をしたのでしょう。

・・・ということは、もしかするとA子さんは、「自分の感情がわからない人」ではなくて、じつは「誰よりも感情に敏感な人」、つまり「感情が豊かで、感情を感じやすくたくさん表現していた人」だったのかもしれません・・・だから、よけいに傷つきやすかったのかもしれません。

そうなんですよね〜。幼いころ傷ついた部分は、性格が反転してしまうのです。いっしょうけんめいいろんなことをお喋りをする子だった、けれど父も母も耳を傾けてくれなかった → もう、彼らには喋らないを!と決める → 無口な子、というように・・・。なので、「わたしの性格のこの部分が嫌いで・・・」というクライエントさんには、「大丈夫ですよ〜。もともとそういう方じゃないですから」と、今は反転しておおい隠されてしまっている本当の自分がいることをお話しします。

A子さんには日々の生活の中で、まずは「自分が何を感じているのか」を折々の場面で自覚する練習をしていただくことにしました。

「ねえ、今、あなたはどんな気持ち?」と一日に何回も自分に問いかけます。

的確に自分が感じていることを捕らえるのはむずかしいと感じるかもしれませんが、「なんかモヤモヤしてるな」とか、「落ち着かないよ」と漠然とした感じならわかるかもしれません。

そうしたら、それが身体のどこにあるかもうちょっと調べてみます。「う〜ん、そのモヤモヤは胸のとこかな?・・・あ〜、さっき言われたことに納得していなくて、ムリやりおしつけられたことに悲しんでいるかも」。

そうしたら、それに対しては「いい」とも「悪い」とも価値判断することなく、ただ受けとめてあげます。「そっか〜、さっきの言葉で傷ついちゃったんだね〜」と。

人とのコミュニケーションの中でもそうですが、わたしたちは全面的に、無条件に、真剣に「受け入れてもらう」ととても安心します。すると、何も状況は変わっていないけれど、「よし!頑張ってみようかな」と前向きな気持ちになることができます。

気持ちにおいてもしかり。自分の気持ちを「いい」「悪い」の判断なして、しっかりと受けとめて、認めてあげると、その気持ちは安心します。ちょうどドッヂボールをしていて、正面からきたボールをお腹でドスンと受けとめるような感じです。正々堂々と、真っ正面から真剣に受けとめてあげます。

そうするとなんかいったん落ち着いて、その後にどうすればいいのかも見えてきたりします。「やっぱり、納得していないな〜。ちゃんと気持ちを伝えて、できませんって言ってみようかな〜」というふうに。

なんでもそうですが、姿がはっきりしない得体の知れないものはイヤな感じがしますよね。でも、いったん「それが何であるか」を見きわめることができると、わたしたちはホッとするのです。(気持ちを文字にして書き出してみるのも、オススメです。)

A子さんは自分の気持ちをちゃんと文字にしてはっきりと認めてあげる習慣をつけたら、娘さんとのコミュニケーションも変化したそうです。一方的に押しつけることはなくなって、かならず娘さんの気持ちを聞いて、しっかりと受け入れてあげてから、さてどうしようかと二人で一緒に考えることができるようになったそうです。そうすると、娘さんもたくさん気持ちを話してくれるようになり、A子さんも素直に「ママ、きょう疲れてちょっとイライラしてるかも」と自分の弱さを出せるようになりました。

こんなふうに、決してなくなることがない感情エネルギーをうまくガス抜きする習慣を持つと、自分が自分の感情にホンロウされて「人生、こんなはずじゃなかったよ〜」と後悔することが少なくなるかもしれません。

やっぱりいつでも大切なことは、理屈をこねくりまわして「オッケー!」といいそうになるウソつきなあたまのキモチはおいておいて、まずは自分のこころのキモチをていねいにひろってあげて、自分を大切に尊重してあげることなのですね。

やさしくするのは、まずは自分から!

この姿勢を持てるようになると、外側を気にしてブンブン振りまわされることも少なくなり、だんだんと自分のペースができてくるし、自分のことが信頼できるようにもなってくるのです。(^_^)v

 


「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

13-06-07 こころのキモチと、あたまのキモチ その1

クライエントのAさんは30代のシングルマザー。お仕事をしながら5歳の娘さんを育てています。

ところがいつからか、熱がでたり、頭痛がしたり、体調がすぐれない日が多くなったとか。風邪かな? とほっておいたら、ついには何をする気力もなくなってしまい、夜、娘さんのためにゴハンを作らなくちゃと思っても、キッチンの床にぺったりと座りこんだまま、ただハラハラ涙をこぼすようになってしまったとか。

「わたしの人生、こんなはずじゃなかった」「娘のことも苦しめている」「両親だって心配しているし」・・・「それも、これも、わたしがいけないからだ」・・・と、自分自身を責める気持ちに苦しみながらセラピーにいらっしゃいました。

Aさんはふだん、まわりを気遣うとても優しい性格。職場でも明るく雰囲気を盛りあげていました。

しかし、「なんとかこの職場で、好かれながらうまくやりたい」という意識が強くなりすぎたせいで、注意が外を気にすることばかり注がれ、自分を気遣ってあげることがすっかりお留守になっていたようです。

じつは、家のことと職場のことですご〜く疲れているのに「必要以上に元気にふるまったり」、同僚のちょっとしたひとことに傷ついてしまったのに「まるで気にしていないふりをしたり」、理不尽な残業をおしつけられても全然大丈夫ですと「笑顔で引き受けてしまったり」・・・明らかにこころと態度に大きなずれが生じていたのです。

これは意図的にそうしていたわけではなく、無意識のうちに大丈夫な自分を演じていたため、自分の内側の気持ち、こころの叫びを汲みとれなくなっていたのです。

わたしたちは小さい頃から、「もっとアタマを使いなさい」と理性的であることをよしとされます。そのまま気持ちを出そうものなら、たいてい親に嫌がられるのです。

「なにめそめそしてるの?」
「いつまでスネてるつまり?」
「文句ばっかり言って」

こどもは上手な感情の伝え方を知らないのでそのまま感情を爆発させるわけですが、それをちゃんと受けとってもらったためしがありません。いつも否定される反応が戻ってくるのです

すると、感情はいけないものだ、これは嫌われる、と「飲みこむ」クセがついてしまうのです。(飲みこまず、人にぶつけ続けるパターンもあります。)「飲みこんだ」感情はなくなりません。感情はしっかりと受け止めない限り、潜在意識にしっかりと抱えこまれてしまいます。

抱えこむといっけん無くなったように見えます。「おお、わたしって、立ち直り早いわ!」「何言われてもぜ〜んぜん平気じゃないの」と。

いえいえ、そんなことはありません。ちゃ〜んとためこまれていて、ある引き金を引かれたときに、いっぺんに全部が飛び出してくることがあるのです。「え〜、あの温厚な人が?」「え?あのおとなしい彼女が?」と、手をつけられないぐらいの爆発ぶりに周囲はアゼンとします。

いったん火がついたら、大爆発にいたるわけです。あるいは、ためこんでいた同じようなものに引火して手が付けられなくなることも。(ははは・・・そんなこともありましたって、思いあたっちゃったりして・・・(^^ゞ   )

自分の感じていることに関しては、アタマよりもカラダの方が正直です。自分では気がつかなくても、カラダは一生懸命、メッセージを発してくれているのですね。たとえば、眠れない、胃の調子が悪い、頭痛がする、下痢・便秘になる・・・など、心身症としてカラダがメッセージを伝えてきます。それでも、わたしたちは自分のこころの叫びに気づくことができません。

アタマはまるで、「わたしの言うことをきけ!」「ちゃんとやるんだ!」「イヤだなんていわせないぞ」と、いやがる馬(こころとカラダ)にまたがりビシビシとむちを打ちこむ暴君のようですよね。

「元気なふり」「なんでもないふり」・・・「ふり」をするのは、ある種、自分への虐待です。こころやカラダが何を言おうと、ぜったい耳を傾けず、いやがることを強いるわけです。一方、自分以外の人の気持ち、意見にはとても敏感に反応して、気遣ってあげるわけです。(これじゃ、ココロが反乱をおこしても仕方がありません・・・。)

(その2につづく)

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

気づきの日記「こころのキモチと、あたまのキモチ」その1

クライエントのAさんは30代のシングルマザー。お仕事をしながら5歳の娘さんを育てています。

ところがいつからか、熱がでたり、頭痛がしたり、体調がすぐれない日が多くなってきたとか。風邪かな? とほっておいたら、ついには何をする気力もなくなってしまい、夜、娘さんのためにゴハンを作らなくちゃと思っても、キッチンの床にぺったりと座りこんだまま、ただハラハラと涙をこぼすようになってしまったとか。

「わたしの人生、こんなはずじゃなかった」「娘のことも苦しめている」「両親だって心配しているし」・・・「それも、これも、わたしがいけないからだ」 ・・・と、自分自身を責める気持ちに苦しみながらセラピーにいらっしゃいました。

Aさんはふだん、まわりを気遣うとても優しい性格。職場でも明るく雰囲気を創り盛りあげていました。

しかし、「なんとかこの職場で、好かれながらうまくやりたい」という意識が強くなりすぎたせいで、注意が周囲を気にすることばかり注がれ、自分を気遣ってあげることがすっかりお留守になっていたようです。

じつは、家のことと職場のことですご〜く疲れているのに「必要以上に元気にふるまったり」、同僚のちょっとしたひとことに傷ついてしまったのに「まるで気にしていないふりをしたり」、理不尽な残業をおしつけられても全然大丈夫ですと「笑顔で引き受けてしまったり」・・・明らかにこころと態度に大きなずれが生じていたのです。

これは意図的にそうしていたわけではなく、無意識のうちに大丈夫な自分を演じるクセがついていたため、自分の内側の気持ち、こころの叫びを汲みとれなくなっていました。

わたしたちは小さい頃から、「もっとアタマを使いなさい」と理性的であることをよしとされます。そのままの気持ちを出そうものなら、たいてい親に嫌がられるのです。

「なにめそめそしてるの?」
「いつまでスネてるつもり?」
「文句ばっかり言って」

こどもは上手な感情の伝え方を知らないのでそのまま感情を爆発させるわけですが、それをちゃんと受けとってもらったためしがありません。いつも否定される反応が戻ってくるのです

すると、感情はいけないものだ、これは嫌われる、と「飲みこむ」クセがついてしまうのです。(飲みこまず、人にぶつけ続けるパターンもあります。)「飲みこんだ」感情はなくなりません。感情はしっかりと受け止めない限り、潜在意識にしっかりと抱えこまれてしまいます。

抱えこむといっけん無くなったように見えます。「おお、わたしって、立ち直り早いわ!」「何言われてもぜ〜んぜん平気じゃないの」と。

いえいえ、そんなことはありません。ちゃ〜んとためこまれていて、ある引き金を引かれたときに、いっぺんに全部が飛び出してくることがあるのです。「え〜、あの温厚な人が?」「え?あのおとなしい彼女が?」と、手をつけられないぐらいの爆発ぶりに周囲はアゼンとします。

いったん火がついたら、大爆発にいたるわけです。あるいは、ためこんでいた同じようなものに引火して手がつけられなくなることも。(ははは・・・そんなこともありましたって、思いあたっちゃったりして・・・(^^ゞ   )

自分の感じていることに関しては、アタマよりもカラダの方が正直です。自分では気がつかなくても、カラダは一生懸命、メッセージを発してくれているのですね。

たとえば、眠れない、胃の調子が悪い、頭痛がする、下痢・便秘になる・・・など、こころの声をカラダに映して心身症としてメッセージを伝えてきます。それでも、わたしたちは自分のこころの叫びに気づくことができません。

アタマはまるで、「わたしの言うことをきけ!」「ちゃんとやるんだ!」「イヤだなんていわせないぞ」と、いやがる馬(こころとカラダ)にまたがりビシビシとむちを打ちこむ暴君のようですよね。

「元気なふり」「なんでもないふり」・・・「ふり」をするのは、ある種、自分への虐待です。こころやカラダが何を言おうと、ぜったい耳を傾けず、いやがることを強いるわけです。一方、自分以外の人の気持ち、意見にはとても敏感に反応して、気遣ってあげるわけです。(これじゃ、ココロが反乱をおこしてもムリもないですね・・・汗s。)

(その2につづく)

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

ミートパイと床屋さん

市村正親さんのミュージカルにお誘いいただきました。

何年ぶりかな〜、市村さんの舞台。「四季」以来です。

今回、と〜〜っても楽しみであり、興味しんしんだったのが共演の大竹しのぶさん。彼女の演技というか、女優としての「憑依度」はピカいちですよね。是非、なまで観てみたいと思っていました。

演目はブロードウェイミュージカル「スウィーニー・トッド」。ジョニデプとH・ボナムカーターで映画にもなっていましたね。

おいしいミートパイを出す店がある。しかし、パイ屋の二階にある床屋からは客が二度と出てこない・・・(汗)というストーリー。市村さんが床屋で、大竹しのぶさんがパイ屋の女主人。オドロオドロしくって、コワさいっぱいのストーリーですが、それにはとっても哀しいワケがあるのです。ときにコミカルで、旬の話題もさらりともりこまれていて、まさにいろいろなお味が楽しめる舞台でした。

今回、席がとってもよくって四列目の真ん中。市村さんの迫力は言うまでもないのですが、大竹しのぶさん、「ありゃ〜、どうしちゃったの??」というぐらいのすごい憑衣度でした。歌って踊って、出ずっぱりりなのですが、深く深く役柄と一体化している様子で、はじめからアンコールの最後の最後まで魂がこもっていました。スゴいといわれるゆえんを目のあたりにした感じでした。

市村さんも大竹さんも、プロの極み!あっばれです。

上質の舞台に満腹でした。(@青山劇場)

♡ 花かご ♡

バラ、カーネーション、ガーベラ、マーガレット・・・やさしい色合いのお花がたくさん。

ながめているとふんわりとした雰囲気に癒されちゃいます♪

この花かごにこめられたメッセージは、”希望 ”だそうです。

ありがと〜♡

きんどるクン

うちにはお届けものがしょっちゅうやってきます♪

なんのことはない、気になる書籍があるとすぐに amazonで注文するので、それが届くだけなのですが・・・。

さて、きょうのこのハコは何だっけ?? といさんであけると、アレ?アレ?何かちがうものが出てきました。

リボンがついてる・・・ってことは、プレゼント?!

あ〜!!  Kindle くん です!電子書籍。わ〜い♪

欲しい本が次の瞬間には手に入り、好きな文字サイズで読めて、何冊でも持ち歩けて便利。

アメリカでは Kindle はだいぶ前からポピュラーですが、日本語版はやっと最近のこと。

なので、書籍のチョイスはまだ十分とはいえません。ってことは、洋書で読みなさいってこと?さいわい、辞書機能もついてるし・・・(汗)。

まずは、使うまでの「設定」段階です。必要以上に手こずって、「?」マークの嵐。ん〜・・こんなんで Kindle 使いこなせるんだろーか・・・。(^^;; (と言うと、「どこに悩むのか、まったくわかない」と言われましたよ〜・汗)

もうひとりのピカソ

真っ黒な背景、ゆがんだ顔、画面に多く登場する枠・・・もし、こどもがこんな絵を描いていたら、すぐさま精神科に連れていくかもしれません。それぐらい心に問題がありそうに見えちゃう作品の数々・・・。英国の画家、フランシス・ベーコン展です。

絵のイメージとは違って、フィルムに登場するベーコンさんはいたって健康そうで、ちょっと哲学的な方でした。それもそのはず、同姓同名の哲学者、フランシス・ベーコンと血縁があるそうな。

ベーコンさんいわく、下絵だけ描いて「チャンス」「偶然の出来事」の到来をじっと待つそうです。すると、「自分が何をしているのかわからなくなる瞬間がやってくる」そうな・・・(これは著名なアーティストやアスリートがよくいう、「まったく自分がなくなる」フロー体験のことですね)。

なるほど、なるほど、たしかに、彼の絵は頭で考えて描いているような絵ではありません。何かが舞いおりた瞬間をキャッチしてカンバスに写しとっているのでしょう。

会場出口のグッズ売り場で、彼の作品をプリントしたスマホケースが売られていました。う〜ん・・・かなりシュールな絵柄ばっかりです。

ひとつ、売り切れになっている絵柄が・・・。なにかと思ったら、ナント、ベーコンさんの荒れ果てたアトリエの写真がプリントされたもの。今でいう「片付けられない人」の部屋、そのものの散らかり具合。なんでこれが人気なの?

だからって、わたしの部屋のちらかり具合を披露しても、だれもスマホケースをほしがらないでしょうね〜(汗)。

しらす丼をもとめて・・・

江ノ島にしらす丼を食べにお出かけしてきました。連れて行っていただいたお店で「名物 まかない丼」というのがあり、なんともおいしそう♪急遽、心がわり。

「まかない丼」とは、いろいろなお魚に特製のごまだれがからめてあり、のり巻きにして食べたり、お魚のお汁でお茶づけにも。

ちょっとひっこんだロケーションにもかかわらず、行列ができている「江ノ島 小屋」というお店でした。

食後はシマに渡り、興味をひいた「しらすアイスクリーム」にチャレンジ。カップに盛られたアイスのなかに、いる!いる!しらすくんたち。ちょっとしょっぱい濃厚バニラアイスで、アイスがとけるとたしかに口の中にしらすくんが何匹も。う〜ん・・・びみょ〜なコンビネーション・・・でも、だんだんなれてくるのがオソロシイ。アイスクリーム屋さんのおじさんに、「大丈夫でしたか〜?」と声をかけられ、この声かけにも苦笑したわたしたち。

その後、葉山方面にドライブ。空気が澄んでいて、海がキラキラ・・・☆ 日本には海辺の町はたくさんあるのに、葉山ってなんでこんなにココロひかれちゃうのでしょう?

葉山のおいしいコロッケ屋さんとパン屋さんにもたちより、しっかりお土産もゲットしました。東京を離れてリフレッシュな一日。楽しかった!感謝です♡

13-05-16 どぉぉ・・・〜っさり(表参道)

ある日の朝ゴハンで〜す♪

Cafe Kaila のトッピング全部のせパンケーキ。

大きなパンケーキが三枚。その上にイチゴ、ブルーベリー、バナナ、そしてリンゴを甘く煮たカラメリゼが力いっぱいのっています。結構な迫力!(もはや正体不明・・・)

パンケーキじたいがふんわり甘く、メープルなしでもいけちゃいます。ハワイの味だわ♪

そして、巨大オムレツも!こちらは、ベーコンとハムでぱっつぱつ。

PK(パンケーキ)集会の同志三人で平らげました。

いつもは三皿たのんで、アメリカサイズに朝から意識がふっとびそうになるのですが、この日は二皿でここちよく満腹。

おいしかった〜♡ 開店前から50m以上の行列だったけど、早起きしたかいがありましたん。一日、ご機嫌♪

PS  女子グループでにぎわう店内に、ひとりスーツ姿で全部のせパンケーキを頬ばる若いビジネスマン。出社前なのでしょうね。なんかほほえましかったな〜。

どぉぉ・・・〜っさり

ある日の朝ゴハンで〜す♪

Cafe Kaila のトッピング全部のせパンケーキ。

大きなパンケーキが三枚。その上にイチゴ、ブルーベリー、バナナ、そしてリンゴを甘く煮たカラメリゼが力いっぱいのっています。結構な迫力!(もはや正体不明・・・)

パンケーキじたいがふんわり甘く、メープルなしでもいけちゃいます。ハワイの味だわ♪

そして、巨大オムレツも!こちらは、ベーコンとハムでぱっつぱつ。

PK(パンケーキ)集会の同志三人で平らげました。

いつもは三皿たのんで、アメリカサイズに朝から意識がふっとびそうになるのですが、この日は二皿でここちよく満腹。

おいしかった〜♡ 開店前から50m以上の行列だったけど、早起きしたかいがありましたん。一日、ご機嫌♪

PS  女子グループでにぎわう店内に、ひとりスーツ姿で全部のせパンケーキを頬ばる若いビジネスマン。出社前なのでしょうね。なんかほほえましかったな〜。