めざせ、熱いオンナ?!

長々と続いた心地よい秋もここ数日ですっかり様変わり。「冷え込む」という言葉も聞かれるようになり、本格的に冬だな〜と感じます。

冬は好きなのですが、なんせ体温の低さが災いして、うっかり冷えると凍りつきます。今年はなんとか体質改善を計ろうと、「ショウガ」プロジェクトに取り組んでおります。

とりあえず片っぱしからショウガを使います。たとえば、ジンジャーティー。近所のハチミツ専門店に飛んでいって、ジンジャーティーにあうハチミツを調達。リンゴ、アカシア、レンゲ、ミカン・・・と香りがよくて主張が少ない種類をすすめていただきました。はしから味見したら、「ん?これはおいしいぞ!」・・・中国の高地に生息する貴重なバーブからとれる高山ハチミツ。よし、これに決定!

もちろん、ジンジャーティーに入れているのですが、ちびちびなめるクセがついてしまって。これって、ちょっと妖怪ちっく?笑。

そして、次ぎなるショウガドリンクは、甘酒。さっそく酒粕を調達してきました。子供の頃、酒粕ってなぜか野菜売り場に売ってたな〜。今は・・・野菜売り場になし・・・魚&肉売り場、あるわけないか・・・おお、あった!あった!豆腐売り場でした。

さっそく、刻んでお水を入れて寝かせておきましょう。明日にはおいしくできるでしょう。楽しみ♪どうせ甘酒飲むなら、めちゃ寒くなってほしい。(後日談・・・おいしかったけど、頭がズキズキ・・・これって、酔っぱらってる?)

ショウガドリング、あとは何があるでしょね?おすすめがあったら是非教えてくださいね〜。

09-11-18 お告げランチ

わたしたちの周りは、わたしたちをヘルプしてくれる天からのメッセージに溢れているといいます。受けとる気さえあれば、そこここにメッセージが見つかり、それは人生をサクサクと導いてくれる大切なカギになったりします。道の真ん中に障害物があろうとも、ぽっかりと穴があいていようとも、ちゃんと迂回してへっちゃらに進んで行けちゃう、そんなお助けメッセージも多数含まれていることでしょう。でも、メッセージは繊細なエネルギーなので、きらん・・・と静かにやってきます。そして、たいていそのあとに「いやいや、思い過ごしだ〜」と打ち消しのエゴが登場するのがつねなのですね。

と、そんな話しをクライアントさんにはよくするものの、じっさい自分はどうよ??・・・と考えてみました。まあ、耳は傾けている方だとは思うのですが・・・じゃあ、もっとマジメになってみることにしました。

つまり、「毎日、天からのメッセージのどじょうすくい(?)」。

なので、きらり☆とひらめくものがあればソク足を運び、ちらり♪とお顔がちらつけばランチに誘い・・・。

先日も、ある心理学のスクーリングのあと、どうしても「スタバ」に立ち寄りたくなりました。それも、遠い方の「スタバ」。「なんで遠い方に行かなくちゃいけないのよ〜。雨がふっているのに」とブツブツしつつ遠い方へ。ひとつ席があいていたのでさっそく荷物をおきつつ、お隣の男性と目があった。「ありや〜?Mさん!」そして、その男性の前にすわっていたのも友人のC子ちゃん。お二人まとめて会えてしまったわけです。はい、たしかにその朝、お顔がちらついておりました。

おもしろいもので、メッセージをすくう気まんまんになっていると、足を運んだり、連絡をとる前にむこうからやってくることがふえてきます。

「ここ2~3日、Lちゃんが気になるな〜」と思っていたら、案の定連絡あり。さっそく「お告げランチ」と称して、ミーティング。おもしろいもので、お告げにしたがっていると「こっちの話しが、あっちにつながり・・・」というように、なんだかどれもつながっているぞ・・・。そして、ひとつのアイデアが浮かんできたりします。

というわけで、しばし「お告げライフ」に身をゆだね、どんな方向に流れてゆくのか楽しんでみましょう。

PS  「お告げ」に従って選んだLちゃんとのランチのお店。これはちょいとカラぶり気味。あ、これは「お告げ」ではなくって、「新しいお店は要チェック!」のエゴが選んだのでした〜(笑)。

お告げランチ

わたしたちの周りは、わたしたちをヘルプしてくれる天からのメッセージに溢れているといいます。受けとる気さえあれば、そこここにメッセージが見つかり、それは人生をサクサクと導いてくれる大切なカギになったりします。道の真ん中に障害物があろうとも、ぽっかりと穴があいていようとも、ちゃんと迂回してへっちゃらに進んで行けちゃう、そんなお助けメッセージも多数含まれていることでしょう。でも、メッセージは繊細なエネルギーなので、きらん・・・と静かにやってきます。そして、たいていそのあとに「いやいや、思い過ごしだ〜」と打ち消しのエゴが登場するのがつねなのですね。

と、そんな話しをクライアントさんにはよくするものの、じっさい自分はどうよ??・・・と考えてみました。まあ、耳は傾けている方だとは思うのですが・・・じゃあ、もっとマジメになってみることにしました。

つまり、「毎日、天からのメッセージのどじょうすくい(?)」。

なので、きらり☆とひらめくものがあればソク足を運び、ちらり♪とお顔がちらつけばランチに誘い・・・。

先日も、ある心理学のスクーリングのあと、どうしても「スタバ」に立ち寄りたくなりました。それも、遠い方の「スタバ」。「なんで遠い方に行かなくちゃいけないのよ〜。雨がふっているのに」とブツブツしつつ遠い方へ。ひとつ席があいていたのでさっそく荷物をおきつつ、お隣の男性と目があった。「ありや〜?Mさん!」そして、その男性の前にすわっていたのも友人のC子ちゃん。お二人まとめて会えてしまったわけです。はい、たしかにその朝、お顔がちらついておりました。

おもしろいもので、メッセージをすくう気まんまんになっていると、足を運んだり、連絡をとる前にむこうからやってくることがふえてきます。

「ここ2~3日、Lちゃんが気になるな〜」と思っていたら、案の定連絡あり。さっそく「お告げランチ」と称して、ミーティング。おもしろいもので、お告げにしたがっていると「こっちの話しが、あっちにつながり・・・」というように、なんだかどれもつながっているぞ・・・。そして、ひとつのアイデアが浮かんできたりします。

というわけで、しばし「お告げライフ」に身をゆだね、どんな方向に流れてゆくのか楽しんでみましょう。

PS  「お告げ」に従って選んだLちゃんとのランチのお店。これはちょいとカラぶり気味。あ、これは「お告げ」ではなくって、「新しいお店は要チェック!」のエゴが選んだのでした〜(笑)。

うららかな午後

木枯らし一号がやってきて、季節はいつしか冬へ。

きょうはこの秋さいごのお散歩日和。落ち葉をカサカサいわせながら、暖かな午後を楽しんできました。

 

「私の中のあなた」

わずか11才の女の子が自分の権利を守るため両親を訴えます。なぜなら、この子は白血病の姉を救うため、遺伝子操作で生まれてきた妹、つまりドナー。「わたしはボディーパーツを提供するためにデザインされた」と弁護士を訪ねるのです。

でも、母は母として「娘を一人失うかもしれない」という絶望に直面しきれず、救うためなら手段をいとわない。というか、何が人を傷つけるのかわからない状態。また、ドナーのその娘は、「わたしはもう切り刻まれるのはごめんだ」という思いと「姉が病気じゃなかったら、わたしは生まれてこなかった」という事実に深く傷つきます。そして、白血病の長女は長女で、じつは両親に隠している本心、意図があり、それを達成したい。それをドナーの妹は知っているのです。母と姉妹の思いが交錯し・・・さてどうなる?

この物語を見る限り、キャメロン・ディアス演じる母親はエゴのかたまりのよう。でも、娘を救える可能性が少しでも残されていたら、母親として素直にその道を選ぶのかもしれません。それは、その立場に立ってみないとわからない。誰も裁くことができないのです。

上の娘の病がすすめばすすむほど、家族の関係はすさんでゆきます。結局のところ、それぞれの思惑をこえて、いくら母親がジタバタしようとも現実はなるようになってゆくのですが・・・。すべてのいさかいも愛するためであり、最後には現実を受け入れて純粋な愛へと昇華してゆきます。

わたしたちは、愛する人がどんな状態でも少しでも長く生きてくれることを願います。本人の意向とは関係なくチューブや器具につなぎとめ、ありとあらゆる投薬を施し、なんとか息だけでもさせ続けようと努力します・・・。でも、もしそれが本人の魂が決めた終わりのときであるなら、本人が決めて去って行くのを尊重してあげなければならないのですよね。生かしておこうと不自然な努力をするのは、結局失う悲しみからのエゴであったりします。

涙壷度:★★★★☆(かなり泣けます)

ドナー役の娘を演じているアビゲイル・ブレスリンはスゴイです。すごい存在感。同じく子役からスタートしたジョディ・フォスターを彷彿とさせます。アビゲイルもきっと同じようなカリスマのある女優さんになりそう。そういえば、ジョディとアビゲイルは「ニムズ アイランド(邦題、忘れた・・・)で共演していまたね〜。

お茶の間シネマトーク 「私の中のあなた」

わずか11才の女の子が自分の権利を守るため両親を訴えます。なぜなら、この子は白血病の姉を救うため、遺伝子操作で生まれてきた妹、つまりドナー。「わたしはボディーパーツを提供するためにデザインされた」と弁護士を訪ねるのです。

でも、母は母として「娘を一人失うかもしれない」という絶望に直面しきれず、救うためなら手段をいとわない。というか、何が人を傷つけるのかわからない状態。また、ドナーのその娘は、「わたしはもう切り刻まれるのはごめんだ」という思いと「姉が病気じゃなかったら、わたしは生まれてこなかった」という事実に深く傷つきます。そして、白血病の長女は長女で、じつは両親に隠している本心、意図があり、それを達成したい。それをドナーの妹は知っているのです。母と姉妹の思いが交錯し・・・さてどうなる?

この物語を見る限り、キャメロン・ディアス演じる母親はエゴのかたまりのよう。でも、娘を救える可能性が少しでも残されていたら、母親として素直にその道を選ぶのかもしれません。それは、その立場に立ってみないとわからない。誰も裁くことができないのです。

上の娘の病がすすめばすすむほど、家族の関係はすさんでゆきます。結局のところ、それぞれの思惑をこえて、いくら母親がジタバタしようとも現実はなるようになってゆくのですが・・・。すべてのいさかいも愛するためであり、最後には現実を受け入れて純粋な愛へと昇華してゆきます。

わたしたちは、愛する人がどんな状態でも少しでも長く生きてくれることを願います。本人の意向とは関係なくチューブや器具につなぎとめ、ありとあらゆる投薬を施し、なんとか息だけでもさせ続けようと努力します・・・。でも、もしそれが本人の魂が決めた終わりのときであるなら、本人が決めて去って行くのを尊重してあげなければならないのですよね。生かしておこうと不自然な努力をするのは、結局失う悲しみからのエゴであったりします。

涙壷度:★★★★☆(かなり泣けます)

ドナー役の娘を演じているアビゲイル・ブレスリンはスゴイです。すごい存在感。同じく子役からスタートしたジョディ・フォスターを彷彿とさせます。アビゲイルもきっと同じようなカリスマのある女優さんになりそう。そういえば、ジョディとアビゲイルは「ニムズ アイランド(邦題、忘れた・・・)で共演していまたね〜。

田舎っ子

「好きだといってた紅玉、送りますね〜」

米沢を訪れていた友人が地元のリンゴを送ってくれました。わ〜い、覚えていてくれたのね♪ありがとう!

お菓子によく使われるこのリンゴ。わたしは甘酸っぱさと香りを楽しむためにそのままいただきます。適度なやさらかさと、みずみずしさ、そしてなつかしいようなこのお味、癒されますね〜。

大きさもほかのリンゴよりも小ぶりでまんまるで真っ赤っか。フジやムツが、スマートなお兄さま、お姉さまなら、この子たちは元気な田舎っ子です。

「りんご一個の医者いらず」、なにやらあやしい風邪がはやっておりますが毎日ビタミンいっぱいとって元気に過ごしましょう。

「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」

五十才になる男性を想像してみてください。それなりに脂がのって貫禄がついてきて、それとともにオツムもちょっと涼しげだったり・・・。まだ日本の男性は若く見えますが、アメリカ人男性だったらビア樽まちがいなし!・・・なのに、この人はどうしちゃったのでしょう?このスレンダーボディに風に舞うような動き。まるで時が止まったような。まさに永遠のピーターパン。

「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を観てきました。よかったです。とっても。涙・・・。

ずっとずっとスキャンダルばかりで、そこにしかスポットライトを当てられなかったマイケルだけど、これぞマイケル。この、人となり、やさしさ、純粋さ、この謙虚さ、この才能。実際のところ、歌って踊っているか、スキャンダルしか知らず、彼がどんな人なのかは知らなかったのだと感じます。それに、10年のブランクもなんの、その歌声もダンスもすごいです。一世を風靡した頃よりも、ずっと深みがあるしオーラを放っています。

まわりの若いダンサーたちはまさに必死にダンスをしてるけれど、マイケルはといえばダンスをするというよりはまるで音の中にとけ込むように動いていて、とても自然で軽くて美しい。まったくムダのない動き。どのダンサーもかなわない存在感。たいてい、過去のスーパースターがリバイバルしてステージをすると、どこかムリな感じがあったりしますが、マイケルは確かに進化しています。過去の焼き直しではないのです。

それに、このフィルムを見ていると、せっぱつまっているはずのリハーサル中にマイケルはいちいち相手を思いやります。「これは文句を言っているのではなくて、ただ音が聞こえにくかったと伝えたいんだ」とか、いちいち「I love you!」「God bless you!」のメッセージ。かかわる一人一人をほんとうに大切にしていて、スタッフのひとりから「ここは教会かい?」というコメントまで。

人はたまたま死んでしまうことはないといいます。表面の意識では気づけなくても、すべてそれは自分の計画の中。きめられた時がやってきたのです。彼はこんな素晴らしいステージ(ほんとうにこれが完成していたらどうなっていたことか)を、ひとにぎりのファンのためにするのではなく、劇的な人生の幕切れをすることによって本来だったら伝わらなかった人たちにもメッセージを残したのだと感じます。

これだけ純粋な人だったからこそ、世の中と戦うこともなく、彼の中の研ぎすまされた感覚はひたすら自分に向けられたのかもしれません。

自分への愛、人への愛、そして自然や地球への愛があふれています。・・・これはリハーサルフィルムにとどまることなく、もしかするとコンサート以上にマイケルからたくさんの贈りものが届けられているように感じます。心があたたかくなりました。そして、ますますマイケルが恋しくなりますよ。

お茶の間シネマトーク 「THIS IS IT」

五十才になる男性を想像してみてください。それなりに脂がのって貫禄がついてきて、それとともにオツムもちょっと涼しげだったり・・・。まだ日本の男性は若く見えますが、アメリカ人男性だったらビア樽まちがいなし!・・・なのに、この人はどうしちゃったのでしょう?このスレンダーボディに風に舞うような動き。まるで時が止まったような。まさに永遠のピーターパン。

「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を観てきました。よかったです。とっても。涙・・・。

ずっとずっとスキャンダルばかりで、そこにしかスポットライトを当てられなかったマイケルだけど、これぞマイケル。この、人となり、やさしさ、純粋さ、この謙虚さ、この才能。実際のところ、歌って踊っているか、スキャンダルしか知らず、彼がどんな人なのかは知らなかったのだと感じます。それに、10年のブランクもなんの、その歌声もダンスもすごいです。一世を風靡した頃よりも、ずっと深みがあるしオーラを放っています。

まわりの若いダンサーたちはまさに必死にダンスをしてるけれど、マイケルはといえばダンスをするというよりはまるで音の中にとけ込むように動いていて、とても自然で軽くて美しい。まったくムダのない動き。どのダンサーもかなわない存在感。たいてい、過去のスーパースターがリバイバルしてステージをすると、どこかムリな感じがあったりしますが、マイケルは確かに進化しています。過去の焼き直しではないのです。

それに、このフィルムを見ていると、せっぱつまっているはずのリハーサル中にマイケルはいちいち相手を思いやります。「これは文句を言っているのではなくて、ただ音が聞こえにくかったと伝えたいんだ」とか、いちいち「I love you!」「God bless you!」のメッセージ。かかわる一人一人をほんとうに大切にしていて、スタッフのひとりから「ここは教会かい?」というコメントまで。

人はたまたま死んでしまうことはないといいます。表面の意識では気づけなくても、すべてそれは自分の計画の中。きめられた時がやってきたのです。彼はこんな素晴らしいステージ(ほんとうにこれが完成していたらどうなっていたことか)を、ひとにぎりのファンのためにするのではなく、劇的な人生の幕切れをすることによって本来だったら伝わらなかった人たちにもメッセージを残したのだと感じます。

これだけ純粋な人だったからこそ、世の中と戦うこともなく、彼の中の研ぎすまされた感覚はひたすら自分に向けられたのかもしれません。

自分への愛、人への愛、そして自然や地球への愛があふれています。・・・これはリハーサルフィルムにとどまることなく、もしかするとコンサート以上にマイケルからたくさんの贈りものが届けられているように感じます。心があたたかくなりました。そして、ますますマイケルが恋しくなりますよ。

団長、またまたヨロシク!

オバケがカボチャとともに消えさったかと思ったら、もうサンタさんを迎えるイルミネーションが街を染めています。ここからの一日一日はどんどん陽が短くなるだけでなく、時間の早さが加速してゆきますよね。アセアセ!!

ところで、まったく話しは変わりますが、あなたには人生の応援団がいますか?

というと、まるでどっかの生命保険のCMみたい(笑)。わたしの友人の一人には「古川貴子応援団長」を名乗りつづけてくださる奇特な方がいらして、ひさしぶりに団長とその奥様におめにかかりました。

自称団長の氏とはかなりの長いおつきあい。でも、そうそう会っているわけでもなく、なぜか人生の節目の大切な時期が近づくと静かに登場して、いつも心強いサポートをしてくださいます(ほんとうに、ありがたいですm(__)m)。

なんせ長いおつきあい。その間、一般未公開のわたしの情けなさを氏には思いっきりさらしてまいりました。完全に足もとを見られているというか・・・そのぶん、ヘコンだときに素の状態でたよりにできるおひとりなわけです。(情けないところって・・・、たとえばラフティングをしていてライフジャケットを着たまま溺れているとか、楽しいはずのバナナボートに顔面蒼白無言でしがみついているとか・・・。そんなときにはいつもしっかり見ていて、「おう、たかちゃんでもそんな顔するんだ!」と嬉しそうにわざわざちゃかしに来ます。)

今回は一緒にゴハンを食べていて「やりたいこと」がとても似ていて、「ちょっとそれやってみようか」になったこと。そうなんですよね。わたしたちは人とのつながりという化学反応の中で、アイデアが出てきたり、勇気をもらったり、行動のボタンを押してもらったり・・・ひとりではできないことができはじめちゃったりするわけです。

「みんながみんなの応援団になって、心強い応援の輪を広げてゆけたらいい」・・・ただいま化学反応進行中です♪