16-12-06 ニコラスさんとユダヤ人の子どもたちの再会のお話

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

以前、テレビで観たことがありました。ニコラス・ウィントンさんの話。

第二次大戦直前、ユダヤ人の子どもたちを救うべく特別な列車を計画したイギリス人男性。もう一人のシンドラーとうたわれています。

しかしウィントンさんの偉業は戦後50年、奥さんはおろか誰も知らなかったそうな。奥さんが自宅の屋根裏から当時の古びた資料を発見するまでは。

彼は、ホロコーストでユダヤ人が命をおとしていくなか、せめて子どもたちをなんとか救出したいと思い、列車でイギリスの里親へと子どもたちを送り出す「キンダートランスポート」計画を行ったのです。救われた子どもの数は、じつに669人。(イギリスに無事到着したこどもたちは、トランクを持った小さくけなげな姿がパディントン ベアのモデルになったそうです。)

その子どもたちはのちに世界中へと飛び立ち、化学者や教育者、学者などのさまざまな職業につきます。そして、そのうちの一人であるカナダ人ジャーナリストが、このドキュメンタリー映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」を作成しました。救われた子どもが作った、まさにその当時を語るフィルムです。

50年以上たって、消息が確認された子どもたち(すでにおじいちゃん、おばあちゃんたち)は再び集まり、当時を再現するチェコからイギリスへの列車の旅に出ます。

それぞれが驚くほど鮮明に、半世紀以上前となった両親との別れの様子や、国境を越えるまでの恐怖、列車のなかの様子、里親に迎えられた安堵感などを覚えていて、詳しく語っています。とくに両親との別れを回想するシーンは、まるで昨日のことのようにありありと語られていて胸がいたみます。

BBC放送はニコラスさんを招いて、当時のフィルムを見ながら彼の偉業をふりかえる番組を作成します。救われた子どもの一人一人の顔がスクリーンに映し出され・・・なんとそのうちの一人は番組でニコラスさんのとなりに坐っている女性でした。命の恩人に出会ったその女性はニコラスさんの手をとり、ほんとうに嬉しそう。ハグをしたりキスをしたりと、感動的な再会シーンが映し出されます。

さらに司会者が、「この他にもニコラスさんに救われた人はお立ち願えますか?」とスタジオの観覧者に声をかけると ・・・ざざっ・・ と音がしたかと思うと、なんとそこにいた全員が立ちあがったのです。ニコラスさんを囲んで坐っていた人たちは、じつはみんな当時の子どもたちだったのです。涙、涙の再会シーンでした。

そしてこのストーリーはニコラスさんとその子どもたちだけのものではなく、孫の代までいろいろな活動として今も広がっている様子をうつしだします。ニコラスさんの影響は戦後70年の今も、さまざまな活動としてその心がうけつがれているのです。

ニコラスさんは当時、「するべきことをしている」という感覚だったようですが、50年以上たって生きのびた子どもたちに再会することで、あらためて自分がなしとげたことの大きさに気づかれているようでした。

以前わたしは、東洋のシンドラーといわれる杉原千畝さんのリトアニアにある領事館兼お家を見にいったことがありました。

千畝さんが何千人ものユダヤ人のビザを発行したデスクに坐ってみたとき、「どんな気持ちで行っていたのだろう?」と思いを馳せたことがありましたっけ。ニコラスさんにしろ、千畝さんにしろ、自分の身に危険が及ぶことだって十分考えられたはずなのに、なんという決断、勇気。

ホロコーストの悲しみのなかできらめく命のストーリー。きっと名前は知られることはなくても、尊い命に貢献した人たちはもっとたくさんいたのでしょうね。

ニコラスさんのドキュメンタリー、ご覧になるかたはハンカチ必携です!

 

お茶の間シネマトーク「ニコラスさんとユダヤ人の子どもたちの再会のお話」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

以前、テレビで観たことがありました。ニコラス・ウィントンさんの話。

第二次大戦直前、ユダヤ人の子どもたちを救うべく特別な列車を計画したイギリス人男性。もう一人のシンドラーとうたわれています。

しかしウィントンさんの偉業は戦後50年、奥さんはおろか誰も知らなかったそうな。奥さんが自宅の屋根裏から当時の古びた資料を発見するまでは。

彼は、ホロコーストでユダヤ人が命をおとしていくなか、せめて子どもたちをなんとか救出したいと思い、列車でイギリスの里親へと子どもたちを送り出す「キンダートランスポート」計画を行ったのです。救われた子どもの数は、じつに669人。(イギリスに無事到着したこどもたちは、トランクを持った小さくけなげな姿がパディントン ベアのモデルになったそうです。)

その子どもたちはのちに世界中へと飛び立ち、化学者や教育者、学者などのさまざまな職業につきます。そして、そのうちの一人であるカナダ人ジャーナリストが、このドキュメンタリー映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」を作成しました。救われた子どもが作った、まさにその当時を語るフィルムです。

50年以上たって、消息が確認された子どもたち(すでにおじいちゃん、おばあちゃんたち)は再び集まり、当時を再現するチェコからイギリスへの列車の旅に出ます。

それぞれが驚くほど鮮明に、半世紀以上前となった両親との別れの様子や、国境を越えるまでの恐怖、列車のなかの様子、里親に迎えられた安堵感などを覚えていて、詳しく語っています。とくに両親との別れを回想するシーンは、まるで昨日のことのようにありありと語られていて胸がいたみます。

BBC放送はニコラスさんを招いて、当時のフィルムを見ながら彼の偉業をふりかえる番組を作成します。救われた子どもの一人一人の顔がスクリーンに映し出され・・・なんとそのうちの一人は番組でニコラスさんのとなりに坐っている女性でした。命の恩人に出会ったその女性はニコラスさんの手をとり、ほんとうに嬉しそう。ハグをしたりキスをしたりと、感動的な再会シーンが映し出されます。

さらに司会者が、「この他にもニコラスさんに救われた人はお立ち願えますか?」とスタジオの観覧者に声をかけると ・・・ざざっ・・ と音がしたかと思うと、なんとそこにいた全員が立ちあがったのです。ニコラスさんを囲んで坐っていた人たちは、じつはみんな当時の子どもたちだったのです。涙、涙の再会シーンでした。

そしてこのストーリーはニコラスさんとその子どもたちだけのものではなく、孫の代までいろいろな活動として今も広がっている様子をうつしだします。ニコラスさんの影響は戦後70年の今も、さまざまな活動としてその心がうけつがれているのです。

ニコラスさんは当時、「するべきことをしている」という感覚だったようですが、50年以上たって生きのびた子どもたちに再会することで、あらためて自分がなしとげたことの大きさに気づかれているようでした。

以前わたしは、東洋のシンドラーといわれる杉原千畝さんのリトアニアにある領事館兼お家を見にいったことがありました。

千畝さんが何千人ものユダヤ人のビザを発行したデスクに坐ってみたとき、「どんな気持ちで行っていたのだろう?」と思いを馳せたことがありましたっけ。ニコラスさんにしろ、千畝さんにしろ、自分の身に危険が及ぶことだって十分考えられたはずなのに、なんという決断、勇気。

ホロコーストの悲しみのなかできらめく命のストーリー。きっと名前は知られることはなくても、尊い命に貢献した人たちはもっとたくさんいたのでしょうね。

ニコラスさんのドキュメンタリー、ご覧になるかたはハンカチ必携です!

 

16-12-03 小さなレッスンから学ぶ

「小さなことからしっかり学びなさい。そこから、ゆるぎない確信が育ちます」

そんな声が聞こえてきました。

これは先日、友人と静かにくつろげるカフェ探しをしていたときのこと。じっくり話したいことがあるから、居心地のいいところでなくちゃ!

そこで、いつものカフェにご案内しようと思ったら、なんと満席。じゃあ、その数件先のおしゃれカフェにしよう・・・ と向かってみたら、これまたいっぱい。なら、路地裏カフェなら大丈夫でしょ!・・・ あらら、こんどはまんまとお休みです。

お気に入りのところにご案内したかったのに、三件とも全滅とは・・・。じゃあ、なりゆきにまかせよう・・・ と歩きだしたら、すぐ隣のお洋服屋さんの上に見たことのないカフェが出現(まるで、この事態のためにたった今あらわれたみたいな・・・)。

で、「ここにしてみよっか・・・」と若干あきらめ気分で入ったら、

これが大当たり!

ウッディーで暖かみのある店内、落ちうける角っこのソファー席、上からほんのりライトがあたってて、静かにおしゃべりするにはもってこいの雰囲気。そのうえ、スウィーツもと〜ってもおいしかった!(これ、かなり重要!)

そこで、例の声が聞こえてきたわけです。「小さなことからしっかり学びなさい。そこから、ゆるぎない確信が育ちます」と。

その声は「小さいことも、大きいことも、まったく同じです」と。

たしかに・・・。この場合、カフェだから三回ダメでもなんということはないけれど、これがもっと自分にとって重大な問題で、一回目、二回目、三回目、その次の期間が一年とかもっと長きにわたっているとなると、おそらくすぐにあたふたしてしまうのです。

つまり、こんな感じです。

仕事を探していて、「これだわ♡」と思う会社にラブコールを送って試験を受けたのに、あっさり無碍に落とされて・・・。まあ、一回目だとなんとか前向きになって、もう一回頑張ろうと思えます。

で、また「これに違いない!」と思う仕事を見つけてチャレンジするも、またもや失敗。・・・人は二回目の失敗ぐらいから腐ってきます。「なんでなんだ〜」と。(ホントは失敗じゃないんだけどね)

で、三回目ともなると、「私って拒絶されているんだわ」「やっぱり、私は選ばれない」「どうせ価値がないし」「私ってダメなのかも・・・」と、自分のアイデンティティを疑うところまでいってしまったりします。つまり、隠しもっていた痛みや自信のなさが一気に浮上してくるのです。

仕事探しのみならず、恋愛やら、試験やら、チャレンジやら ・・・自分の希望が三回も打ち砕かれると、かなりヘコみます。

でも、この声に教わったことは「起こることに反応しないで、用意されているものを受けとる気持ちで流れるように通り抜けて行きなさい。そうすれば、必然的にあなたにとって最善のポジションに行きつきます。いちいち価値判断したり不平を言うことが、その流れを遅くしたり、停滞したように感じさせるのです。すべてのことはもとからある完璧さにたどりつくのです」と。

カフェ探しのときには、目指すところが三件だめでも、「ありゃ!目指すことろが全部ダメなんてついてないわ〜」とあきらめて、手放して(この程度だと手放すのが簡単)、ま、なんかあるでしょ!と委ねて、「あ!結局、いちばん素敵なところに出会っちゃった」というオチがわりやすいのです。

「ダメに見えても、結局いちばんうまくいくんだ!」という法則に納得します。

その声は、「その小さなことのなかで起こっていること(法則)にちゃんと気づいて、大きなことがやってきたときにもあてはめられるように意識的になっていなさい」ということでした。

そう思うと、ちょっと気をつけていると、日々のなんでもないことのなかに、いろんなレッスンとコツが潜んでいるのだと思います(ボ〜っとしていて、レッスンをいっぱいとりこぼしていますが・・・)。

それに気づくか気づかないかもわたしたちの選択。

「リラックスして、ただ委ねる(まかせる)とき、あなたはいつでもいちばん良い場所に導かれます。ぞのとき、あなたが自分でやろうとする必要はまったくありません。そして、価値判断がないほど、それはスムーズに起こります。

すべてのことに学びが含まれています。小さなことに気づき、日々のレッスンからしっかりと学んでください。そうすれば、それはしだいにあなたにとってあたりまえのこととなり、大きなことにもまったく同じようにあてはめるようになります。あなたにとって、ささいなことと大きなことはまったく変わりがなくなるのです」

カフェ選びで学んだレッスンでした♪

TRITONカフェ@代官山 私はいちごのタルト♡ チーズケーキもひとくちいただいたけど、とっても美味でした。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「小さなレッスンから学ぶ」

「小さなことからしっかり学びなさい。そこから、ゆるぎない確信が育ちます」

そんな声が聞こえてきました。

これは先日、友人と静かにくつろげるカフェ探しをしていたときのこと。じっくり話したいことがあるから、居心地のいいところでなくちゃ!

そこで、いつものカフェにご案内しようと思ったら、なんと満席。じゃあ、その数件先のおしゃれカフェにしよう・・・ と向かってみたら、これまたいっぱい。なら、路地裏カフェなら大丈夫でしょ!・・・ あらら、こんどはまんまとお休みです。

お気に入りのところにご案内したかったのに、三件とも全滅とは・・・。じゃあ、なりゆきにまかせよう・・・ と歩きだしたら、すぐ隣のお洋服屋さんの上に見たことのないカフェが出現(まるで、この事態のためにたった今あらわれたみたいな・・・)。

で、「ここにしてみよっか・・・」と若干あきらめ気分で入ったら、

これが大当たり!

ウッディーで暖かみのある店内、落ちうける角っこのソファー席、上からほんのりライトがあたってて、静かにおしゃべりするにはもってこいの雰囲気。そのうえ、スウィーツもと〜ってもおいしかった!(これ、かなり重要!)

そこで、例の声が聞こえてきたわけです。「小さなことからしっかり学びなさい。そこから、ゆるぎない確信が育ちます」と。

その声は「小さいことも、大きいことも、まったく同じです」と。

たしかに・・・。この場合、カフェだから三回ダメでもなんということはないけれど、これがもっと自分にとって重大な問題で、一回目、二回目、三回目、その次の期間が一年とかもっと長きにわたっているとなると、おそらくすぐにあたふたしてしまうのです。

つまり、こんな感じです。

仕事を探していて、「これだわ♡」と思う会社にラブコールを送って試験を受けたのに、あっさり無碍に落とされて・・・。まあ、一回目だとなんとか前向きになって、もう一回頑張ろうと思えます。

で、また「これに違いない!」と思う仕事を見つけてチャレンジするも、またもや失敗。・・・人は二回目の失敗ぐらいから腐ってきます。「なんでなんだ〜」と。(ホントは失敗じゃないんだけどね)

で、三回目ともなると、「私って拒絶されているんだわ」「やっぱり、私は選ばれない」「どうせ価値がないし」「私ってダメなのかも・・・」と、自分のアイデンティティを疑うところまでいってしまったりします。つまり、隠しもっていた痛みや自信のなさが一気に浮上してくるのです。

仕事探しのみならず、恋愛やら、試験やら、チャレンジやら ・・・自分の希望が三回も打ち砕かれると、かなりヘコみます。

でも、この声に教わったことは「起こることに反応しないで、用意されているものを受けとる気持ちで流れるように通り抜けて行きなさい。そうすれば、必然的にあなたにとって最善のポジションに行きつきます。いちいち価値判断したり不平を言うことが、その流れを遅くしたり、停滞したように感じさせるのです。すべてのことはもとからある完璧さにたどりつくのです」と。

カフェ探しのときには、目指すところが三件だめでも、「ありゃ!目指すことろが全部ダメなんてついてないわ〜」とあきらめて、手放して(この程度だと手放すのが簡単)、ま、なんかあるでしょ!と委ねて、「あ!結局、いちばん素敵なところに出会っちゃった」というオチがわりやすいのです。

「ダメに見えても、結局いちばんうまくいくんだ!」という法則に納得します。

その声は、「その小さなことのなかで起こっていること(法則)にちゃんと気づいて、大きなことがやってきたときにもあてはめられるように意識的になっていなさい」ということでした。

そう思うと、ちょっと気をつけていると、日々のなんでもないことのなかに、いろんなレッスンとコツが潜んでいるのだと思います(ボ〜っとしていて、レッスンをいっぱいとりこぼしていますが・・・)。

それに気づくか気づかないかもわたしたちの選択。

「リラックスして、ただ委ねる(まかせる)とき、あなたはいつでもいちばん良い場所に導かれます。ぞのとき、あなたが自分でやろうとする必要はまったくありません。そして、価値判断がないほど、それはスムーズに起こります。

すべてのことに学びが含まれています。小さなことに気づき、日々のレッスンからしっかりと学んでください。そうすれば、それはしだいにあなたにとってあたりまえのこととなり、大きなことにもまったく同じようにあてはめるようになります。あなたにとって、ささいなことと大きなことはまったく変わりがなくなるのです」

カフェ選びで学んだレッスンでした♪

TRITONカフェ@代官山 私はいちごのタルト♡ チーズケーキもひとくちいただいたけど、とっても美味でした。

 

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お散歩 @恵比寿ガーデンプレイス

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

今年も恒例のバカラ シャンデリアがお目見えしました。

このまえ見にきたばっかりなのに!(汗) あれから一年?! 早いです。

まだ並木の紅葉が残っているけど、クリスマス模様です。

今年は寒さが早くやってきたので、クリスマスらしいクリスマスになりそうですね。あと一ヶ月です!!

 

16-11-18 きょうのメッセージは・・・ ノーテンキのススメ

セッションのとき、クライエントさんにお伝えします。

「ご自分の高い意識に、なんでもたずねてみてくださいね。自分でやるよりもずっと早いし、安心ですよ。人やものに依存するのは耽溺するという問題があるけど、自分の高い意識にはどれだけ依存しても大丈夫。もともと自分の一部ですから。高い意識にいつも答えを出してもらうのがいいのです」と。

高い意識とは、直感やひらめきがやってくる自分の「正気」の部分。時空をこえてすべてを俯瞰してる、なんでも知っていて答えてくれる存在です。

すると、「たずねても、答えがこないんですけど・・・」とクライエントさん。

ひとはみんな同じように、どんなときでも高い意識から絶大なるサポートを受けて見守られています。気づこうと、気づくまいと・・・。

以前にも「メッセージを受けとるには・・・」というお題で同じようなブログを書いたことがありましたけど、もういちど!

答えがこないと感じられるときには、「答えとは、こういうふうにやってくるものだ」という決めつけがあるため、きているのに無視してしまっているのです。つまり、人とのコミュニケーションのように「ちゃんとした声で聞こえるべき」とか、何かが起こったときのように「目に見えるかたちでわかるべき」と信じていたり。

どんなときでも、高いい意識はその人の全知覚をとおして、総力をあげてメッセージを送ってくれています。だから、かりにイメージで受けとれた場合でも、他の五感にも働きかけられているのです。知覚するものすべては自分の「こころ」のあらわれなので、目に見えるもの、感じるもの、聞こえるものが全部「答え」だといってもいいかもしれません。

わたしの場合は以前書いたように、アタマのなかの声や、まどろみのなかの感覚でやってきます。

アタマのなかの声としてやってくるときは、「それは必要ありません」とか「やめたほうがいいです」とか、とっさのシンプルなメッセージのことが多いのです。

もっとこみいった疑問や問題の場合には、朝のまどろんでいる時間に声ではない「情報」としてやってきます。

「情報」と表現したのは、「わかった!」といういう感じの塊が自分のなかにやってくるので、はっきり言うと「なにがどうわかったのか」はよくわからず、「でも、わかったぞ!」とあとでそれを解釈することになります。

なので、自分が行き詰まっていて「答え」が必要なときには、わざと二度寝、三度寝をして、半分夢見状態のなかで答えのほしいことをイメージしてみます。

臨死体験をされて、半分アチラの世界をかいま見た方は、「あちらにいたときにはすべてがわかった!と思ったのに、こちらに戻ってきたらどんどん失われていく」と話していたのを聞いたことがあります。

寝ている状態というのも身体が消えてスピリットになっているので、ある意味じゃ臨死体験そのもの(そうなんです、わたしたちは毎日死んでは、わざわざ夢の続きに戻ってきているのです)。身体がないスピリットの状態になると全体性にアクセスできるので、言葉ではなく感覚で全部知って「わかった!」となるのでしょう。

でも、身体がリアルになると、どんどん全体性が失われるようで、あのまどろみのなかで「そっか〜!」と叡智に似たものを受けとるのですが、お昼まえには「なにが、そっか〜!だったのか」さっぱりわからなくなります。シラフに戻ったような感じ(いえ、ほんとうは「この世」という催眠状態に再び引き込まれたというのが正しいのですが・・・)。

ところで、きょうの情報の塊を翻訳してみるとこんな感じでした。

「未来に幸せになろうとして、努力したり期待してもムダです。たった今しかありません。いつかなんて存在しません。たった今、幸せになってかまわないのです。今のなかに幸せを、即座に見て下さい。今は完全に満ち足りているのに、将来が心配なのではありませんか? あなたが見ようとするものこそが、あなたに見えるものです。見るというのはそういうことです。外にあるものを漠然と目にしているのではなく、あなたが完璧であるか不完全かを決めて、それを外に映しだしているのです。あながた決めたものしか見ることはありません」

この考えはわたしにとっては新しいものではなく、すでによく「知っている」ものでした。

でも不思議なことに、そのまどろみのなかでは「知ってる」レベルのことが、おなかの底から全細胞レベルまで「ほんとうにわかっちゃった!」感になっていて、あ〜そうか!って完璧さのなかで確信できるのです。

難解な本でも、二回、三回読んでいいると、突然、「あ、これってこういうこと?」と、理解のレベルが全然変わっていて感激することがあります。そんな感じ!

すでに「知っている」ことが、もっともっと深いレベルから、叡智の感覚でわかるような体験なのです。一部でわかるのではなくて、他のすべてとつながってまるごとわかったという感じでしょうか。

人によっては、起きるまえのまどろみの時間帯には、怖れなどのいやな感情がたくさん出てきてしまうことがあります。

それは抑圧されて感じるのを避けていたものが、まどろみによって扉の制御がきかないため、じゃんじゃん放出されている状態。そのときには、怖がってそれを押しもどそうとするのではなく、ただ「感覚」として無防備に感じてあげます。そうすると、半開きの扉のすきまから、きれいにサヨナラしていってくれるのです。

隠しもっていたものの、せっかくの浄化のチャンスなので、くれぐれももとの場所に引き戻さないようにいたしましょう。

きょうの気づきから、「そっか〜、わかったつもりだったけど、たった今、このときにはなんの問題もないよね(未来を持ちださないかぎり・・・)。だから、ノーテンキでいて、たった今、幸せになっていいのね♡」とわたし(じっさいノーテンキになってみると、どれだけ身体に力が入っていたのかあらためて気がつきます)。

みんなそうですが、どっか「ノーテンキはダメ!」 「生きるってもっとまじめにシリアスにしなくちゃ、バチがあたる!」、とくに問題があるときには「襟を正して、正座して、真剣に向き合わないと解決しない!」って思っているみたいです(小さいときからイゾップや日本むかし話などで、勤勉、マジメをたたきこまれていますからね〜・笑)。

問題って、じつはこころがでっちあげたイメージでもともと存在していないので、真剣に向き合うと注意が注がれて、どんどん現実味をましてしまうのですね。

ノーテンキな生き方のススメ・・・これが今朝の高い意識さんからのメッセージなのでした。

では、たった今、まったりすることにいたします。お茶でもいれよっと♪

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「きょうのメッセージは・・・ ノーテンキのススメ」

セッションのとき、クライエントさんにお伝えします。

「ご自分の高い意識に、なんでもたずねてみてくださいね。自分でやるよりもずっと早いし、安心ですよ。人やものに依存するのは耽溺するという問題があるけど、自分の高い意識にはどれだけ依存しても大丈夫。もともと自分の一部ですから。高い意識にいつも答えを出してもらうのがいいのです」と。

高い意識とは、直感やひらめきがやってくる自分の「正気」の部分。時空をこえてすべてを俯瞰してる、なんでも知っていて答えてくれる存在です。

すると、「たずねても、答えがこないんですけど・・・」とクライエントさん。

ひとはみんな同じように、どんなときでも高い意識から絶大なるサポートを受けて見守られています。気づこうと、気づくまいと・・・。

以前にも「メッセージを受けとるには・・・」というお題で同じようなブログを書いたことがありましたけど、もういちど!

答えがこないと感じられるときには、「答えとは、こういうふうにやってくるものだ」という決めつけがあるため、きているのに無視してしまっているのです。つまり、人とのコミュニケーションのように「ちゃんとした声で聞こえるべき」とか、何かが起こったときのように「目に見えるかたちでわかるべき」と信じていたり。

どんなときでも、高いい意識はその人の全知覚をとおして、総力をあげてメッセージを送ってくれています。だから、かりにイメージで受けとれた場合でも、他の五感にも働きかけられているのです。知覚するものすべては自分の「こころ」のあらわれなので、目に見えるもの、感じるもの、聞こえるものが全部「答え」だといってもいいかもしれません。

わたしの場合は以前書いたように、アタマのなかの声や、まどろみのなかの感覚でやってきます。

アタマのなかの声としてやってくるときは、「それは必要ありません」とか「やめたほうがいいです」とか、とっさのシンプルなメッセージのことが多いのです。

もっとこみいった疑問や問題の場合には、朝のまどろんでいる時間に声ではない「情報」としてやってきます。

「情報」と表現したのは、「わかった!」といういう感じの塊が自分のなかにやってくるので、はっきり言うと「なにがどうわかったのか」はよくわからず、「でも、わかったぞ!」とあとでそれを解釈することになります。

なので、自分が行き詰まっていて「答え」が必要なときには、わざと二度寝、三度寝をして、半分夢見状態のなかで答えのほしいことをイメージしてみます。

臨死体験をされて、半分アチラの世界をかいま見た方は、「あちらにいたときにはすべてがわかった!と思ったのに、こちらに戻ってきたらどんどん失われていく」と話していたのを聞いたことがあります。

寝ている状態というのも身体が消えてスピリットになっているので、ある意味じゃ臨死体験そのもの(そうなんです、わたしたちは毎日死んでは、わざわざ夢の続きに戻ってきているのです)。身体がないスピリットの状態になると全体性にアクセスできるので、言葉ではなく感覚で全部知って「わかった!」となるのでしょう。

でも、身体がリアルになると、どんどん全体性が失われるようで、あのまどろみのなかで「そっか〜!」と叡智に似たものを受けとるのですが、お昼まえには「なにが、そっか〜!だったのか」さっぱりわからなくなります。シラフに戻ったような感じ(いえ、ほんとうは「この世」という催眠状態に再び引き込まれたというのが正しいのですが・・・)。

ところで、きょうの情報の塊を翻訳してみるとこんな感じでした。

「未来に幸せになろうとして、努力したり期待してもムダです。たった今しかありません。いつかなんて存在しません。たった今、幸せになってかまわないのです。今のなかに幸せを、即座に見て下さい。今は完全に満ち足りているのに、将来が心配なのではありませんか? あなたが見ようとするものこそが、あなたに見えるものです。見るというのはそういうことです。外にあるものを漠然と目にしているのではなく、あなたが完璧であるか不完全かを決めて、それを外に映しだしているのです。あながた決めたものしか見ることはありません」

この考えはわたしにとっては新しいものではなく、すでによく「知っている」ものでした。

でも不思議なことに、そのまどろみのなかでは「知ってる」レベルのことが、おなかの底から全細胞レベルまで「ほんとうにわかっちゃった!」感になっていて、あ〜そうか!って完璧さのなかで確信できるのです。

難解な本でも、二回、三回読んでいいると、突然、「あ、これってこういうこと?」と、理解のレベルが全然変わっていて感激することがあります。そんな感じ!

すでに「知っている」ことが、もっともっと深いレベルから、叡智の感覚でわかるような体験なのです。一部でわかるのではなくて、他のすべてとつながってまるごとわかったという感じでしょうか。

人によっては、起きるまえのまどろみの時間帯には、怖れなどのいやな感情がたくさん出てきてしまうことがあります。

それは抑圧されて感じるのを避けていたものが、まどろみによって扉の制御がきかないため、じゃんじゃん放出されている状態。そのときには、怖がってそれを押しもどそうとするのではなく、ただ「感覚」として無防備に感じてあげます。そうすると、半開きの扉のすきまから、きれいにサヨナラしていってくれるのです。

隠しもっていたものの、せっかくの浄化のチャンスなので、くれぐれももとの場所に引き戻さないようにいたしましょう。

きょうの気づきから、「そっか〜、わかったつもりだったけど、たった今、このときにはなんの問題もないよね(未来を持ちださないかぎり・・・)。だから、ノーテンキでいて、たった今、幸せになっていいのね♡」とわたし(じっさいノーテンキになってみると、どれだけ身体に力が入っていたのかあらためて気がつきます)。

みんなそうですが、どっか「ノーテンキはダメ!」 「生きるってもっとまじめにシリアスにしなくちゃ、バチがあたる!」、とくに問題があるときには「襟を正して、正座して、真剣に向き合わないと解決しない!」って思っているみたいです(小さいときからイゾップや日本むかし話などで、勤勉、マジメをたたきこまれていますからね〜・笑)。

問題って、じつはこころがでっちあげたイメージでもともと存在していないので、真剣に向き合うと注意が注がれて、どんどん現実味をましてしまうのですね。

ノーテンキな生き方のススメ・・・これが今朝の高い意識さんからのメッセージなのでした。

では、たった今、まったりすることにいたします。お茶でもいれよっと♪

 

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お姿がみえない・・・お月さま

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

68年ぶりの特大のお月さまだそうですね。

昨夕、ふと空を見あげたら「あ、大っきい! 近いっ!」って思った(ホントに大きいのね・笑)。

おもわずパシャリ! きょうは雨がふってるので、見ておいてよかった。

大きく満ちて、かけていくお月さま。

ひとつの大きななにかが完了して、さて次の新月までちょと一休み。呼吸をととのえて、また新しく元気にスタートしてね!・・・ そんな感じでしょうか?

あるいは、風船がおっきくおっきくふくらんでパーン! とはじけるイメージもあります。

じゃあ、お月さま風船とともに、なにを手放しふっとばしちゃいましょうか?

今夜はそんな儀式ごっこをするのも楽しそうです♪

 

16-11-12 トランプさんはセラピストなみだった!

アメリカ大統領選、気になっちゃいました? 誰かと感想をのべあいました?

あのビックリな結果がでた翌朝、スタバに行くと年配の男女のグループがトランプ新大統領についてそれは熱く語りあっておりました。

さらに、その帰りにスーパーに立ち寄ると、男性のお客さんがアメリカ産98円の激安ブロッコリーを握りしめ「これもトランプになったら高くなっちゃうわけ?」と店員さんと話してたし。とても、他国ごととは思えません。

誰も安倍さんが総理になったとき、こんなリアクションしなかったのにね・・・。

トランプさんが共和党から声をあげたとき、わたしはジョークかと思いましたよ。つまり、億万長者にも飽きて、気晴らし、エンターテイメント気分で立候補したのかと。だからあんなに言いたい放題なの? って思いました。

ところが、いちばんあぶなっかしい人がじつはいちばん強くって、あれよあれよというまに大統領になっちゃいました。

私たちは無意識のうちに抑圧されていた感情がついに解放されたときに、とてもスッキリ!!します。気持ちがよくなります。心のお荷物がなくなったことで、ふたたび前向きになれます。

それがセラピーなわけですが・・・。これは自分でやらなくても、他人がそうしているのを見ても同じように浄化が起きてスッキリすることができます。

どうやら・・・ トランプさんは、このセラピー効果を人々に与えちゃったのかもしれないな〜、浄化作用を起こして気持ちよくさせちゃったのかもしれないな〜と思うのです。

つまり、トランプさんの歯に衣きせぬ毒舌を見ているうちに、抑圧されていた自分の「不満」「怒り」「攻撃性」が同調し、みずから浄化が起こるということ。「あの人が言いたい放題言ってくれて、すごくいい気分になる。軽くなる。前向きになる。もっと言ってくれ!」というように。

それだけ、みんなの「いいかげんにしろよ!」感と、「もう、我慢の限界!俺(私)の邪魔をするやつはすべて抹殺だ!」という激しい怒りがマックスに達していたのでしょうね。

それぞれがそれぞれのことで圧力釜のフタが吹っ飛ぶ寸前まできていたのが、トランプさんによってうまくガス抜きと浄化ができたということのようです。

あら〜、トランプさんって上級セラピストじゃありませんこと?!認定証をさしあげましょうか。(笑)

私たちは自分が弱く感じて、強さを取りもどしたいとき、その解決方法として「怒り」や「攻撃性」を使うけれど。それは強さとはじつは違うもの。弱さがねじ曲げられたもの。弱さから脱して、とりあえず強くなりたいと思って、間違った方向に走ってしまいます。

なぜから、「怒り」と「攻撃性」を使ったあとは、「仕返しされるかも!」と怖れるようになるので、結局弱く感じることになるのです。

でも、抑圧していたものは、いったん表面化されて意識にのぼり気づくことによって、終わりにすることができます。

だから、ある意味では、ふっ飛ぶ寸前だった「怒り」「憎悪」「不満」はトランプさんによってうまく意識化され、収束に向いつつあるのかもしれません。

そのあとは・・・自分が目にしているものを、どうするのか? それを使ってなにを体験するかを決めるのはいつも自分です。たとえ、なにが目のまえにあろうとも。

常にあるたった二つの選択肢は、「愛」か「怖れ」か。

つまり、それを「愛」つまり安らぎや喜びのために役立てるのか、それとも「怖れ」の気持ちにとらわれるあまりに、目にするものすべてに怖れを見るのか。オセロをどんどん白に変えていくのか、パタパタ黒に変わっていくのをただ眺めているのか。

なにが目のまえにあろうと関係なく、じつはこの選択だけが大切なのですね。ここからどちらを選んでいくのかを決めることが。

圧力釜の弁が抜けるように、全世界みんなのネガティブさがブシュッとガス抜きされてスッキリしたところで、さて仕切り直し。そう、セラピーでもネガティブさをじゅぶん出したところで、新たに選びなおします!

トランプセラピストによる浄化が完了したところで、それぞれがあらためて「愛」の見方、優しいこころにフォーカスできるようになるといいですね〜。

もちろん、トランプさんも! ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 


「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング )

気づきの日記「トランプさんはセラピストなみだった!」

アメリカ大統領選、気になっちゃいました? 誰かと感想をのべあいました?

あのビックリな結果がでた翌朝、スタバに行くと年配の男女のグループがトランプ新大統領についてそれは熱く語りあっておりました。

さらに、その帰りにスーパーに立ち寄ると、男性のお客さんがアメリカ産98円の激安ブロッコリーを握りしめ「これもトランプになったら高くなっちゃうわけ?」と店員さんと話してたし。とても、他国ごととは思えません。

誰も安倍さんが総理になったとき、こんなリアクションしなかったのにね・・・。

トランプさんが共和党から声をあげたとき、わたしはジョークかと思いましたよ。つまり、億万長者にも飽きて、気晴らし、エンターテイメント気分で立候補したのかと。だからあんなに言いたい放題なの? って思いました。

ところが、いちばんあぶなっかしい人がじつはいちばん強くって、あれよあれよというまに大統領になっちゃいました。

私たちは無意識のうちに抑圧されていた感情がついに解放されたときに、とてもスッキリ!!します。気持ちがよくなります。心のお荷物がなくなったことで、ふたたび前向きになれます。

それがセラピーなわけですが・・・。これは自分でやらなくても、他人がそうしているのを見ても同じように浄化が起きてスッキリすることができます。

どうやら・・・ トランプさんは、このセラピー効果を人々に与えちゃったのかもしれないな〜、浄化作用を起こして気持ちよくさせちゃったのかもしれないな〜と思うのです。

つまり、トランプさんの歯に衣きせぬ毒舌を見ているうちに、抑圧されていた自分の「不満」「怒り」「攻撃性」が同調し、みずから浄化が起こるということ。「あの人が言いたい放題言ってくれて、すごくいい気分になる。軽くなる。前向きになる。もっと言ってくれ!」というように。

それだけ、みんなの「いいかげんにしろよ!」感と、「もう、我慢の限界!俺(私)の邪魔をするやつはすべて抹殺だ!」という激しい怒りがマックスに達していたのでしょうね。

それぞれがそれぞれのことで圧力釜のフタが吹っ飛ぶ寸前まできていたのが、トランプさんによってうまくガス抜きと浄化ができたということのようです。

あら〜、トランプさんって上級セラピストじゃありませんこと?!認定証をさしあげましょうか。(笑)

私たちは自分が弱く感じて、強さを取りもどしたいとき、その解決方法として「怒り」や「攻撃性」を使うけれど。それは強さとはじつは違うもの。弱さがねじ曲げられたもの。弱さから脱して、とりあえず強くなりたいと思って、間違った方向に走ってしまいます。

なぜから、「怒り」と「攻撃性」を使ったあとは、「仕返しされるかも!」と怖れるようになるので、結局弱く感じることになるのです。

でも、抑圧していたものは、いったん表面化されて意識にのぼり気づくことによって、終わりにすることができます。

だから、ある意味では、ふっ飛ぶ寸前だった「怒り」「憎悪」「不満」はトランプさんによってうまく意識化され、収束に向いつつあるのかもしれません。

そのあとは・・・自分が目にしているものを、どうするのか? それを使ってなにを体験するかを決めるのはいつも自分です。たとえ、なにが目のまえにあろうとも。

常にあるたった二つの選択肢は、「愛」か「怖れ」か。

つまり、それを「愛」つまり安らぎや喜びのために役立てるのか、それとも「怖れ」の気持ちにとらわれるあまりに、目にするものすべてに怖れを見るのか。オセロをどんどん白に変えていくのか、パタパタ黒に変わっていくのをただ眺めているのか。

なにが目のまえにあろうと関係なく、じつはこの選択だけが大切なのですね。ここからどちらを選んでいくのかを決めることが。

圧力釜の弁が抜けるように、全世界みんなのネガティブさがブシュッとガス抜きされてスッキリしたところで、さて仕切り直し。そう、セラピーでもネガティブさをじゅぶん出したところで、新たに選びなおします!

トランプセラピストによる浄化が完了したところで、それぞれがあらためて「愛」の見方、優しいこころにフォーカスできるようになるといいですね〜。

もちろん、トランプさんも! ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 

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