16-08-18 もっと楽しめるようになるには?

そのむかし、私には理想がいっぱいあった気がします。たくさんのゴールをかかえていて、それを達成することが人生であり、生きることだったのです。

それにくらべて ・・・ 今は、理想も目標もゴールも、明日やることリストさえ存在しません。べつに無気力になったわけでも、人生を放棄しているわけでもないのです(苦笑)。穏やかに、やる気まんまん! (´▽`)

私たちはみんな、ものごころつくころから、「何かを達成すること」= 「生きること」になってしまいます。

幼稚園の「アンパンマン体操が上手にできるようになること」にはじまって、小学校にはいれば「九九を全部覚えること」 ・・・ 「テストで満点をとること」、「○○高校に合格すること」、「○○ちゃん(くん)を恋人にすること」、さらにある資格をとることや、昇進すること、家族をもつこと、家をもつこと、痩せること、もっと健康になること・・・ひとつが片付けばすぐに次が提示されて、人生の終わりまで延々と続いていって、頑張ったあげく、はい、おしまい! というかんじ。

で、どこかでそれがもくろみどおりにいかないとなると、いわゆる「挫折」というものがやってきます。つまり「挫折」とは、思うようにならないこと、何かが間違っている感じ、私が悪い、私には足りない、という罪悪感そのもの。

ひとたび「人生とはゴールを決めて、思うようにするべきものだ」と信じてしまうと、「思うようにならない」経験があらわれると自分の能力や価値を疑うようになります。

「自分でうまくできない」「何かが間違ってしまった」「どうにかしなくちゃ」「立て直さなくちゃ」 ・・・ すべてを自力でどうにかしようとするので、「どうにかならない」と自分に対する不信感・罪悪感が深まります。

でもね、長〜い目で見たとき、おそらく誰もが、「過去のあのことは失敗だと思ってヘコんだけど、いまとなってはあのことがあってこそうまくいている。あれでよかった」といえることがきっとあると思うのです。

なのに、私たちは「長い目でみる」という忍耐をついつい忘れてしまって、ピンポイントでじっと見つめ、目のまえのことが思いどおりにならないと「なぜなのだ!?」と苦しみます。「 こんなに努力しているのに。やるべきこともやっているのに」と。

そもそも私たちの人生というのは、もっと違った目線でプランニングされている・・・ということ。そしてそれは、力を抜いて、なるようにさせてあげるときにしか、つまり「私」というエゴが邪魔をしないときにだけ、完璧さという真実をあらわしてくれるもののようです。

だから、コントロールも抵抗も疑いも価値判断も手放して、ただリラックスしてほっておくこと。楽しんで過ごすこと。

そして、「起っていることは、あるがままですべて完璧だ」を自分の絶対的な唯一の信念にすること。

「おもいどおりにならない」ことでどれほど自分が守られているのか(もしかしたら、とっくに命をおとしていたかもしれないし)、「おもいどおりにならない」ことでどれだけうまくいく方法を早く学んでいるのか ・・・ ということなのです。

誰もが隠しもっている「自分は間違っている」という罪悪感こそ、なにげで私たちの人生に様々なトラブルを引き起こしています。

意識できていなくても、私たちはほんとうにたくさんの怖れや罪悪感という間違った感情を隠しもっていて(本当はまったく的をえない不要なものですが)、それを抱えているのがツラいあまりにいろんなことをやらかします。

たとえば、ツライ状況もイジワルな人もうまくいかないことも、じつは、自分のなかのイヤな感情が先にあって、でもそんな感情が自分にあるなんて認めたくないから、外側のものを悪者にでっちあげて、そのせいで私はこんなにツライ感情を味わっている、と原因をすりかえてしまいます。

たとえば、せっかくおいしくお酒を飲んだのに、暴れたり、ひどい感情をぶちまけたり、ひどい結末になる場合。ひとはお酒のせいで・・・というけど、そうじゃない。どうにもならない感情が先にあって、それが苦しすぎて、それをなんとか放出してしまいたいがためにお酒にかこつけてぶちまけたまでなのです。お酒が悪さをしたわけではないのです。

先日も笑っちゃいました。友人とスウィーツをいただいたとき、「おいしい!おいしい!」と楽しんでいたはずなのに、そのうちに「クリームが気持ち悪い ・・・」と具合わるそうにしているのです。 ꒰⁎×﹏×⁎꒱ ༘ ありゃりゃ?! おいしくいただいたはずなのに・・・。

ちょうど友人は自己探求をしていたので、ちょっとアドバイスさせていただきました。

「スウィーツは攻撃してこないよ」と。つまり、スウィーツが「気持ち悪くしてやる〜!」と意地悪するのではなく、スウィーツには何の罪もないということ。それは、自分のなかにあって、折りあらば解放したいとチャンスを狙っていたいやな感情が、スウィーツにかこつけて放出されて、あたかもスウィーツにやられたかのように誤摩化された・・・ということ。(スウィーツと一緒に、その感情が解放されたということ。)

気づきが早い友人は、納得するとともに笑っておりました。(よかった!よかった!そうやって、ひとつひとつ自分に何が起きているのかを意識することが大切なのですよね。気づいたら、もう終わりにできるから。)

私たちは自分のいらない感情を捨てるためだったら、どんなチャンスでものがしません。「最近、イヤな状況、イヤな人など、さまざまな問題に遭遇するな〜」と感じるときは、自分のなかで捨てたい感情がいっぱいいっぱいになっていて、何かや誰かのせいにしないとやっていられないわ!というときなのです。

そんなふうに、せっかくの楽しい場面を台無しにするがごとく現れる罪悪感の巧妙なカラクリに気づくことができるようになると、楽しむべきものごとにいちいち汚点をつけなくてもすむようになります。ただ楽しめばいいものを、わざわざ何かツライ経験にする必要がなくなります。

そして、自分に起ることすべてを宇宙からの嬉しい贈りものとして素直に受けとれるようになると思うのです。

 


「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

気づきの日記「もっと楽しめるようになるには?」

そのむかし、私には理想がいっぱいあった気がします。たくさんのゴールをかかえていて、それを達成することが人生であり、生きることだったのです。

それにくらべて ・・・ 今は、理想も目標もゴールも、明日やることリストさえ存在しません。べつに無気力になったわけでも、人生を放棄しているわけでもないのです(苦笑)。穏やかに、やる気まんまん! (´▽`)

私たちはみんな、ものごころつくころから、「何かを達成すること」= 「生きること」になってしまいます。

幼稚園の「アンパンマン体操が上手にできるようになること」にはじまって、小学校にはいれば「九九を全部覚えること」 ・・・ 「テストで満点をとること」、「○○高校に合格すること」、「○○ちゃん(くん)を恋人にすること」、さらにある資格をとることや、昇進すること、家族をもつこと、家をもつこと、痩せること、もっと健康になること・・・ひとつが片付けばすぐに次が提示されて、人生の終わりまで延々と続いていって、頑張ったあげく、はい、おしまい! というかんじ。

で、どこかでそれがもくろみどおりにいかないとなると、いわゆる「挫折」というものがやってきます。つまり「挫折」とは、思うようにならないこと、何かが間違っている感じ、私が悪い、私には足りない、という罪悪感そのもの。

ひとたび「人生とはゴールを決めて、思うようにするべきものだ」と信じてしまうと、「思うようにならない」経験があらわれると自分の能力や価値を疑うようになります。

「自分でうまくできない」「何かが間違ってしまった」「どうにかしなくちゃ」「立て直さなくちゃ」 ・・・ すべてを自力でどうにかしようとするので、「どうにかならない」と自分に対する不信感・罪悪感が深まります。

でもね、長〜い目で見たとき、おそらく誰もが、「過去のあのことは失敗だと思ってヘコんだけど、いまとなってはあのことがあってこそうまくいている。あれでよかった」といえることがきっとあると思うのです。

なのに、私たちは「長い目でみる」という忍耐をついつい忘れてしまって、ピンポイントでじっと見つめ、目のまえのことが思いどおりにならないと「なぜなのだ!?」と苦しみます。「 こんなに努力しているのに。やるべきこともやっているのに」と。

そもそも私たちの人生というのは、もっと違った目線でプランニングされている・・・ということ。そしてそれは、力を抜いて、なるようにさせてあげるときにしか、つまり「私」というエゴが邪魔をしないときにだけ、完璧さという真実をあらわしてくれるもののようです。

だから、コントロールも抵抗も疑いも価値判断も手放して、ただリラックスしてほっておくこと。楽しんで過ごすこと。

そして、「起っていることは、あるがままですべて完璧だ」を自分の絶対的な唯一の信念にすること。

「おもいどおりにならない」ことでどれほど自分が守られているのか(もしかしたら、とっくに命をおとしていたかもしれないし)、「おもいどおりにならない」ことでどれだけうまくいく方法を早く学んでいるのか ・・・ ということなのです。

誰もが隠しもっている「自分は間違っている」という罪悪感こそ、なにげで私たちの人生に様々なトラブルを引き起こしています。

意識できていなくても、私たちはほんとうにたくさんの怖れや罪悪感という間違った感情を隠しもっていて(本当はまったく的をえない不要なものですが)、それを抱えているのがツラいあまりにいろんなことをやらかします。

たとえば、ツライ状況もイジワルな人もうまくいかないことも、じつは、自分のなかのイヤな感情が先にあって、でもそんな感情が自分にあるなんて認めたくないから、外側のものを悪者にでっちあげて、そのせいで私はこんなにツライ感情を味わっている、と原因をすりかえてしまいます。

たとえば、せっかくおいしくお酒を飲んだのに、暴れたり、ひどい感情をぶちまけたり、ひどい結末になる場合。ひとはお酒のせいで・・・というけど、そうじゃない。どうにもならない感情が先にあって、それが苦しすぎて、それをなんとか放出してしまいたいがためにお酒にかこつけてぶちまけたまでなのです。お酒が悪さをしたわけではないのです。

先日も笑っちゃいました。友人とスウィーツをいただいたとき、「おいしい!おいしい!」と楽しんでいたはずなのに、そのうちに「クリームが気持ち悪い ・・・」と具合わるそうにしているのです。 ꒰⁎×﹏×⁎꒱ ༘ ありゃりゃ?! おいしくいただいたはずなのに・・・。

ちょうど友人は自己探求をしていたので、ちょっとアドバイスさせていただきました。

「スウィーツは攻撃してこないよ」と。つまり、スウィーツが「気持ち悪くしてやる〜!」と意地悪するのではなく、スウィーツには何の罪もないということ。それは、自分のなかにあって、折りあらば解放したいとチャンスを狙っていたいやな感情が、スウィーツにかこつけて放出されて、あたかもスウィーツにやられたかのように誤摩化された・・・ということ。(スウィーツと一緒に、その感情が解放されたということ。)

気づきが早い友人は、納得するとともに笑っておりました。(よかった!よかった!そうやって、ひとつひとつ自分に何が起きているのかを意識することが大切なのですよね。気づいたら、もう終わりにできるから。)

私たちは自分のいらない感情を捨てるためだったら、どんなチャンスでものがしません。「最近、イヤな状況、イヤな人など、さまざまな問題に遭遇するな〜」と感じるときは、自分のなかで捨てたい感情がいっぱいいっぱいになっていて、何かや誰かのせいにしないとやっていられないわ!というときなのです。

そんなふうに、せっかくの楽しい場面を台無しにするがごとく現れる罪悪感の巧妙なカラクリに気づくことができるようになると、楽しむべきものごとにいちいち汚点をつけなくてもすむようになります。ただ楽しめばいいものを、わざわざ何かツライ経験にする必要がなくなります。

そして、自分に起ることすべてを宇宙からの嬉しい贈りものとして素直に受けとれるようになると思うのです。

 


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クラクラするのはこれのせい?! (@ . @)

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

今まで食べたワッフルのなかでも「超」がつくメガ盛り!

ワッフル3枚に、2スクープのアイスクリーム、砕いたオレオ、山盛りの生クリーム、イチゴのソース。さすがの私ものけぞりましたよ!

以前、スウィーツパスをプレゼントしてくれたMちゃんが「そろそろ期限がきれるから・・・」と新しいスウィーツパスを下さったのです♡。そこで、期限が重なっているから二人で使えるじゃない?!と、表参道東急プラザのハンズカフェにやって来ました。(コーヒーセットで、1440円が1000円!)

写真ではもっとふつ〜に見えたけど、出てきたらかなりすごかった。Mちゃんはスウィーツが大得意ではないので、大丈夫でしょうか? このサイズ。

「けっこうさっぱりしていておいし〜♪」と二人とも余裕のすべりだし。

でも途中で、なんかクラッとしたのです。まさか、目まい? さすがにメガ盛りはすごすぎたかしら?

と、思っていたらMちゃんが、「今、地震がきた? 私、目まいがしたかと思ったんだけど・・・」と。あらあら、同じ症状(笑)。

すかさずケ〜タイで地震情報を調べたら、「あ〜、やっぱり地震だ〜!目まいじゃなかった!」とふたりして笑ってしまいました。

いや〜、スウィーツで意識がとびそうになったのははじめてですよ〜。とんでなかったけどね・・・  (;´∀`)

この新しいスウィーツパス。期限は来年1月までなので、たっぷり楽しめそうです。付箋をいっぱいつけて、行く気満々!

Mちゃん、 いつもありがと〜♡

 

 

16-08-11 音楽あり、冒険あり、「シング・ストリート」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

友人に誘われて予備知識ゼロでお出かけした映画。それが、朝いちにもかかわらずメチャ混み。なんと満席ですと(かなり早く行ったのに・・・)。無事、次の回で観ました。

観たのは「シング・ストリート 未来へのうた」。'80年代のダブリン、コナー少年の人生は早々と崩壊しはじめていた。両親の失業、離婚話、転校、いじめ・・・。

そんな心痛の日々に、街角でひとめぼれした女の子。自分にはとうてい不釣りあいな大人びてミステリアスなその子に、「ぼくのバンドのPVに出てくれ」とウソぶいてしまったコナーくん。それもすべて、連絡先をゲットするための口実。

さあ、そこからが大変! バンド結成に走りまわります。集まった面子はまったくパっとしないオタク集団。 ・・・ ところがオタクゆえにすごかった! ひきこもりで鍛えた音楽の知識、楽器の演奏。

憧れの女の子を迎えてPVを撮るためだったら、がんばる!がんばる! あっというまにオリジナル曲を作って、その女の子にも気に入ってもらえて、無事街角でのPV撮影にこぎつく。

このバンドの成長を通して、超ダサダサだったコナーくんやメンバーたちがだんだんロッカーらしく垢ぬけてくるとともに、イジメにも負けない自信をつけて輝きはじめる・・・。

これはジョン・カーニー監督がこんな青春時代をやりたかった! という妄想&願望実現ストーリーだそうな。

コナーくんたちがギターをつまびきハミングしながら、どんどん紡いくオリジナル曲が、'80年代のUKロックの匂いがぷんぷんしていて、とってもリアリティがあります。「あれ?こんなのむかし流行っていたんじゃない?」というような耳なじみのいい曲。

バンドに人気がでるかどうかって、たんにカッコいいだけじゃダメだし、ただ歌がうまいだけでもダメ。バンドは、ボーカルの声の質に魅力があることがすごく大事だと思うのです。このコナー少年はとってもステキな声をしています(彼はじつはソプラノのソリストだそうな)。ビジュアルも適度にキュートでスター性があるので、もし '80年代にバンドとしてデビューしていたらけっこうな人気者になっていたかもしれません。それぐらい、この「シング・ストリート」バンドは完成度が高いのです。そのどんどん垢ぬけていく様が楽しい♪ ワクワクします♪

満席のお客さんたちは、10代からシニアまで年齢層が広いのが特徴。'80年代の青春をなつかしむ方々から、音楽あり、ロマンスあり、冒険ありのストーリーに目をきらきらさせる若人まで。

ストーリーにおりこまれたデュラン・デュランやAhaの楽曲も楽しめるけど、このバンドの完成度の高いオリジナル曲がイイです。'80年っぽいPVの出来も楽しいです。

DVDが出たら、また観たいな〜♪

涙壷度:★☆☆☆☆(ちょいホロリ・・・)

 

 

お茶の間シネマトーク「音楽あり、冒険あり、“シング・ストリート ”」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

友人に誘われて予備知識ゼロでお出かけした映画。それが、朝いちにもかかわらずメチャ混み。なんと満席ですと(かなり早く行ったのに・・・)。無事、次の回で観ました。

観たのは「シング・ストリート 未来へのうた」。'80年代のダブリン、コナー少年の人生は早々と崩壊しはじめていた。両親の失業、離婚話、転校、いじめ・・・。

そんな心痛の日々に、街角でひとめぼれした女の子。自分にはとうてい不釣りあいな大人びてミステリアスなその子に、「ぼくのバンドのPVに出てくれ」とウソぶいてしまったコナーくん。それもすべて、連絡先をゲットするための口実。

さあ、そこからが大変! バンド結成に走りまわります。集まった面子はまったくパっとしないオタク集団。 ・・・ ところがオタクゆえにすごかった! ひきこもりで鍛えた音楽の知識、楽器の演奏。

憧れの女の子を迎えてPVを撮るためだったら、がんばる!がんばる! あっというまにオリジナル曲を作って、その女の子にも気に入ってもらえて、無事街角でのPV撮影にこぎつく。

このバンドの成長を通して、超ダサダサだったコナーくんやメンバーたちがだんだんロッカーらしく垢ぬけてくるとともに、イジメにも負けない自信をつけて輝きはじめる・・・。

これはジョン・カーニー監督がこんな青春時代をやりたかった! という妄想&願望実現ストーリーだそうな。

コナーくんたちがギターをつまびきハミングしながら、どんどん紡いくオリジナル曲が、'80年代のUKロックの匂いがぷんぷんしていて、とってもリアリティがあります。「あれ?こんなのむかし流行っていたんじゃない?」というような耳なじみのいい曲。

バンドに人気がでるかどうかって、たんにカッコいいだけじゃダメだし、ただ歌がうまいだけでもダメ。バンドは、ボーカルの声の質に魅力があることがすごく大事だと思うのです。このコナー少年はとってもステキな声をしています(彼はじつはソプラノのソリストだそうな)。ビジュアルも適度にキュートでスター性があるので、もし '80年代にバンドとしてデビューしていたらけっこうな人気者になっていたかもしれません。それぐらい、この「シング・ストリート」バンドは完成度が高いのです。そのどんどん垢ぬけていく様が楽しい♪ ワクワクします♪

満席のお客さんたちは、10代からシニアまで年齢層が広いのが特徴。'80年代の青春をなつかしむ方々から、音楽あり、ロマンスあり、冒険ありのストーリーに目をきらきらさせる若人まで。

ストーリーにおりこまれたデュラン・デュランやAhaの楽曲も楽しめるけど、このバンドの完成度の高いオリジナル曲がイイです。'80年っぽいPVの出来も楽しいです。

DVDが出たら、また観たいな〜♪

涙壷度:★☆☆☆☆(ちょいホロリ・・・)

 

 

ふれあい(?)の一日

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

お出かけしようと外にでたら、玄関まえにナントひとが倒れてる!

見慣れない光景に一瞬、「ケータイからの119番って?」と通報の仕方にアセったけど、あまりにきれいな大文字焼きスタイルで倒れているので、これはどちらかというと寝ているのか!?

それは30代ぐらいのスキンヘッドの男性で、そのいでたちはかなりなオシャレさん。近くには帽子と白いサングラスもふっとんでいる。

帽子とサングラスを拾いあげながら「大丈夫ですか!」と声をかけてみたら ・・・・ カッ!と両目を見開くなりガバッと起き上がって、「アラ〜、だじょうぶよぉぉ。だいじょうぶだったらぁぁ!」といいながら、スキンヘッドのエアヘア(?)をかきあげるしぐさ。 ・・・ おネエさん系おにいさん?!

帽子とサングラスを渡すと、あれこれひとしきり喋りまくって、「あなた、じゃあまたね〜♪またね〜♪」とおもいっきり手をふってさって行った。 ・・・ ま、またね!って言われても?! ・・・ (苦笑)。

その午後、買い物帰りにファッションビルの一角の小さなカフェでアイスコーヒーを飲んでいたら、年配の品のいいご婦人がやってきて「こちらよろしい?」とまえの席に腰かけた。

わたしは静かに携帯をながめていたら、そのご婦人、バッグからなにやらゴソゴソ取りだして「どうぞ♡」とわたしの目のまえにおいた。

保冷剤とよく冷やされたゼリー2個。(ご婦人のおやつタイムのおすそわけ?!)お言葉に甘えていただいてみたら、果汁か濃くっておいし〜♪ (高級ゼリー?)

このご婦人、近所の山種美術館で日本画を見てきたという日本画ファン。若沖がお好きとか。ちょうど友人から9月にある若沖の箱根の展覧会に誘われていたところだったのでその情報をさしあげたら、お礼に山種美術館の割引チケットをくださった。

なにやら、知らないかたとふれあいの一日なのでした〜。(笑)

 

 

16-08-02 あるがまま♪ あるがまま♪

「私はゆるす。だから、これは消えてゆく」(ACIM L193)

「ゆるす」とは ・・・ それがそのように存在することをゆるすこと。自分がそんなふうに感じていることをゆるすこと。それがそのままであることをゆるすこと。受け容れること。味わいめでること。

「あるがままに感じてくださいね」 ・・・ これはセラピーでもよく口にする言葉であり、じつは癒しにおいてはとても大切なこと。

でもそう言われて、「そうなんですね!わかりました。そうします」とはなりません。たいてい、「え?あるがまま?それより、変えたいんですけど?!」ということになります。

だから、「あるがまま」ってすごく不人気なんです。みんなやりたくない。(やりたくないからこそ、そこに問題の原因があるのですが・・・。)

なぜ「あるがまま」がそんなに不人気なのか・・・

わたしたちがなにかをするとき、それはほとんど「あるがままになにかを感じること」を避けるためだから。

「やだ〜! わたしは、自分が気分がよくなるように感じたい!」 「あるがままなんて、つまらないし退屈。もっと違うなにかがいいんだ!」 「それをあるがままにほっとくなんて、すごく無抵抗で無力で、無能に感じる。まるでダメ人間みたい。変えるために挑むことこそ人生でしょ!」・・・ こんなセリフが聞こえてきます。

だから、わたしたちの日ごろの活動や思考は、このあるがままから逃れるためにする抵抗そのものであり、つねに違った自分になろうとする努力なのです。自力でもっと違う自分になる、もっと違う体験をする、もっと違う感じ方をする・・・。だから「あるがまま」なんてゴメンなんですよ〜 ・・・と。

じつは、これこそが「苦しみ」の元凶。

たとえば思考を例にとってみると、思考は一日に何万個も意識にあらわれます。もしも、そのひとつひとつにかまっていたら、実際、しなければならないことがなにひとつできなくなってしまいます。

だからというわけではないけれど、わたしたちはじゃんじゃん出てくる思考をそのまま行くにまかせています。「一瞬まえの思考ですって? 覚えてませんよ〜」と。つまりスルーしてるのです。

目のまえのさまざまなものごとも、日々感じる感情も ・・・ じつはこの思考と同じ原理です。意識のなかにやってきては、自然に消え去っていく。現れては、また去って行く。そのくりかえし。

どうでもいい考えに対してはすぐにスルーするすべを身につけているわたしたちですが、ついものごと、人、感情など、よりリアルに見えるもの、そして自分が好まないと決めたものに対しては、どうもスルーができません。同じように扱えないのです。

そう、あの「絶対かえてやるぞ!」モードに入っちゃう。

この「変えてやる!」モードのちょっかいが、ただ現れては消えてゆくものをじつはよりリアルなものに変えてしまうのです。

つまり、「変えるべきものだ」と抵抗することで、それをガン見して、判断して、いじくりまわして、さらにそのなかに飛びこんで、格闘して、離れられなくなって、まるでひとつになっちゃう。

抵抗してるときって、じつはこんなふうに問題に完全に食われている状態です。「スルー」どころではありません。

現実をささえているもの、ものごとをよりリアルにするもの ・・・・ それはじつは「注意」です。

だからこんなふうに抵抗して、問題をガン見して、いじくりまわして、かかわり続けることこそが、問題にしっかりと注意という栄養を与えることになっちゃうのです。ほんとうだったら、現れては自然に消え去っていくもののはずなのに・・・。

そこで「あるがままに感じてくださいね」という言葉が出てくるわけです。注意をめいっぱい注いでそれを育てずに、あるがままにしてあげ注意が注がれずにすぐになくなります。本来の場所へと消え去えさっていきます。

リラックスして、ただ「あるがまま」。

こんなに簡単に言うけれど、問題が起きているときにこれをするととてつもなくキョーフを感じます。言うほどにやさしくないのですね〜。

それでも、そんな気持ちさえ「あるがまま」「あるがまま」、ただ自分の意識のなかで両手を広げてそのまま感じてあげます。

すると、ちゃんと消えていきます。あのどうでもいい思考が知らないうちに消え去っているように。

そして、いつもそこに居座っているように感じていた慢性的な問題も、この「あるがままに感じる」ことを続けていくと、だんだん台風の精力が弱まるように弱体化してきて、自分を捕らえて放さないようなパワーななくなり、ついには姿を消していきます。

けれど、このプロセスの途上は「きゃ〜、死んじゃう」っていう気持ちに直面するかもしれません。この「死んじゃう」思いこそが、わたしたちが全力でものごとに抵抗する原因です。怖すぎるからこそ、今まで全力で避けてきたのです。思いっきり抵抗してきたのです。そして、その気持ちこそが、問題を慢性化させていたのです。

さあ、「死んじゃう」も両手を広げて感じてあげてください。新しい体験です。大丈夫、バッタリ死にません!

「死んじゃう!」が迫ってきたとき、それをよけないと、体のなかを通過してゆくのです。「あれ?すごいパワーがありそうだったけど、透明だった?」みたいな。

そして、「死んじゃう!」をそのままにしてあげると、新しい自分、自分のなかにあった平和とか愛とか幸せ感とかが新しく誕生してくるのです。

もしかすると、ちょっと難産に感じるかもしれません。でも、チャレンジするんだったら、「抵抗」にエネルギーを使うよりも、「死んじゃう!」に挑んでみましょう! Welcom 死んじゃう感じ! そして、あるがまま♪ あるがまま♪

 


「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「あるがまま♪ あるがまま♪」

「私はゆるす。だから、これは消えてゆく」(ACIM L193)

「ゆるす」とは ・・・ それがそのように存在することをゆるすこと。自分がそんなふうに感じていることをゆるすこと。それがそのままであることをゆるすこと。受け容れること。味わいめでること。

「あるがままに感じてくださいね」 ・・・ これはセラピーでもよく口にする言葉であり、じつは癒しにおいてはとても大切なこと。

でもそう言われて、「そうなんですね!わかりました。そうします」とはなりません。たいてい、「え?あるがまま?それより、変えたいんですけど?!」ということになります。

だから、「あるがまま」ってすごく不人気なんです。みんなやりたくない。(やりたくないからこそ、そこに問題の原因があるのですが・・・。)

なぜ「あるがまま」がそんなに不人気なのか・・・

わたしたちがなにかをするとき、それはほとんど「あるがままになにかを感じること」を避けるためだから。

「やだ〜! わたしは、自分が気分がよくなるように感じたい!」 「あるがままなんて、つまらないし退屈。もっと違うなにかがいいんだ!」 「それをあるがままにほっとくなんて、すごく無抵抗で無力で、無能に感じる。まるでダメ人間みたい。変えるために挑むことこそ人生でしょ!」・・・ こんなセリフが聞こえてきます。

だから、わたしたちの日ごろの活動や思考は、このあるがままから逃れるためにする抵抗そのものであり、つねに違った自分になろうとする努力なのです。自力でもっと違う自分になる、もっと違う体験をする、もっと違う感じ方をする・・・。だから「あるがまま」なんてゴメンなんですよ〜 ・・・と。

じつは、これこそが「苦しみ」の元凶。

たとえば思考を例にとってみると、思考は一日に何万個も意識にあらわれます。もしも、そのひとつひとつにかまっていたら、実際、しなければならないことがなにひとつできなくなってしまいます。

だからというわけではないけれど、わたしたちはじゃんじゃん出てくる思考をそのまま行くにまかせています。「一瞬まえの思考ですって? 覚えてませんよ〜」と。つまりスルーしてるのです。

目のまえのさまざまなものごとも、日々感じる感情も ・・・ じつはこの思考と同じ原理です。意識のなかにやってきては、自然に消え去っていく。現れては、また去って行く。そのくりかえし。

どうでもいい考えに対してはすぐにスルーするすべを身につけているわたしたちですが、ついものごと、人、感情など、よりリアルに見えるもの、そして自分が好まないと決めたものに対しては、どうもスルーができません。同じように扱えないのです。

そう、あの「絶対かえてやるぞ!」モードに入っちゃう。

この「変えてやる!」モードのちょっかいが、ただ現れては消えてゆくものをじつはよりリアルなものに変えてしまうのです。

つまり、「変えるべきものだ」と抵抗することで、それをガン見して、判断して、いじくりまわして、さらにそのなかに飛びこんで、格闘して、離れられなくなって、まるでひとつになっちゃう。

抵抗してるときって、じつはこんなふうに問題に完全に食われている状態です。「スルー」どころではありません。

現実をささえているもの、ものごとをよりリアルにするもの ・・・・ それはじつは「注意」です。

だからこんなふうに抵抗して、問題をガン見して、いじくりまわして、かかわり続けることこそが、問題にしっかりと注意という栄養を与えることになっちゃうのです。ほんとうだったら、現れては自然に消え去っていくもののはずなのに・・・。

そこで「あるがままに感じてくださいね」という言葉が出てくるわけです。注意をめいっぱい注いでそれを育てずに、あるがままにしてあげ注意が注がれずにすぐになくなります。本来の場所へと消え去えさっていきます。

リラックスして、ただ「あるがまま」。

こんなに簡単に言うけれど、問題が起きているときにこれをするととてつもなくキョーフを感じます。言うほどにやさしくないのですね〜。

それでも、そんな気持ちさえ「あるがまま」「あるがまま」、ただ自分の意識のなかで両手を広げてそのまま感じてあげます。

すると、ちゃんと消えていきます。あのどうでもいい思考が知らないうちに消え去っているように。

そして、いつもそこに居座っているように感じていた慢性的な問題も、この「あるがままに感じる」ことを続けていくと、だんだん台風の精力が弱まるように弱体化してきて、自分を捕らえて放さないようなパワーななくなり、ついには姿を消していきます。

けれど、このプロセスの途上は「きゃ〜、死んじゃう」っていう気持ちに直面するかもしれません。この「死んじゃう」思いこそが、わたしたちが全力でものごとに抵抗する原因です。怖すぎるからこそ、今まで全力で避けてきたのです。思いっきり抵抗してきたのです。そして、その気持ちこそが、問題を慢性化させていたのです。

さあ、「死んじゃう」も両手を広げて感じてあげてください。新しい体験です。大丈夫、バッタリ死にません!

「死んじゃう!」が迫ってきたとき、それをよけないと、体のなかを通過してゆくのです。「あれ?すごいパワーがありそうだったけど、透明だった?」みたいな。

そして、「死んじゃう!」をそのままにしてあげると、新しい自分、自分のなかにあった平和とか愛とか幸せ感とかが新しく誕生してくるのです。

もしかすると、ちょっと難産に感じるかもしれません。でも、チャレンジするんだったら、「抵抗」にエネルギーを使うよりも、「死んじゃう!」に挑んでみましょう! Welcom 死んじゃう感じ! そして、あるがまま♪ あるがまま♪

 


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16-07-30 日本人でもどこか懐かしい「ブルックリン」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

きっちりかっちりカールをほどこした髪型(イメージとしてはサザエさん)、くっきり描かれた赤い唇、真っ白なブラウスにはギャザースカートをあわせて、肩にはカーディガン・・・。

1950年代の N.Y. を舞台に、アイルランドの田舎から移民してきた女の子、エイリシュの成長を描いた「ブルックリン」。

新しい地で砂をかむような思いをしながらも、愛する人に出会い、どんどんニューヨーカーとして変化していくエイリシュ。でも、母の死を機に、故郷と新しい地とで引きさかれそうになります。暗くて行きどまりのように感じていたアイルランドでの生活は、ブルックリンで成長した彼女にとってはまったく新しいチャンスをたくさん見せてくれるのです。はたしてエイリシュは、ブルックリンで待つ恋人のもとに再びもどれるのか・・・?

この時代のファッションは、なんてカラフルでエレガントなんでしょ! 古いどころかとってもオシャレに見えます。ストーリーのなかでエイリシュがブルックリンで自信をつけて洗練されていく様子が、ファッションの色合いで表現されています。(どんどんポップなファッションになっていきます!)

N.Y. 生まれの友人は、この映画には郷愁を感じると言っていました。おじいちゃん、おばあちゃんがこんなふうに様々な思いを胸に海を渡ってやってきたこと、また自分にとっても生まれ育ったなつかしい時代を思い出すのでしょう。

それを聞いて「なるほど〜。アメリカ版 “ALWAYS 三丁目の夕日”か〜」と思って観てみたけれど、日本人のわたしにとっては、この主人公が新しい環境のなかでひとつひとつの出会いによってみるみる変わっていく姿が、まさに20代の頃の自分と重ねあわせて共感できた気がします。

このエイリシュを演じたシアーシャ・ローナンは、ちょっとふっくらとしていて、往年の女優さんのようなエレガントで美しい雰囲気があるのです。彼女自身、じつはアイルランドにルーツを持つという N.Y. 育ちで、まさにご両親がこの映画と同じストーリーを生きているそう。

あとで調べたら、キーラ・ナイトレイの「つぐない」で妹役を演じていたあの女の子なのですね! 細かいことはあまり覚えていないけれど、悲しくって残酷なストーリー展開と、若干13歳ぐらいだった妹役(シアーシャ・ローナンだったの!)のたたづまいがひどく印象的だったのでした。

「ブルックリン」はアカデミー賞にノミネートされたけれど、日本ではそんなに大々的に興行していないようなので、うっかり見過ごすところでした。最近観た映画のなかでは、とっても好きな一本となりました。

涙壷度:★★☆☆☆(やっぱりラストに泣かされました!)

 

 

お茶の間シネマトーク「日本人でもどこか懐かしい“ブルックリン”」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

きっちりかっちりカールをほどこした髪型(イメージとしてはサザエさん)、くっきり描かれた赤い唇、真っ白なブラウスにはギャザースカートをあわせて、肩にはカーディガン・・・。

1950年代の N.Y. を舞台に、アイルランドの田舎から移民してきた女の子、エイリシュの成長を描いた「ブルックリン」。

新しい地で砂をかむような思いをしながらも、愛する人に出会い、どんどんニューヨーカーとして変化していくエイリシュ。でも、母の死を機に、故郷と新しい地とで引きさかれそうになります。暗くて行きどまりのように感じていたアイルランドでの生活は、ブルックリンで成長した彼女にとってはまったく新しいチャンスをたくさん見せてくれるのです。はたしてエイリシュは、ブルックリンで待つ恋人のもとに再びもどれるのか・・・?

この時代のファッションは、なんてカラフルでエレガントなんでしょ! 古いどころかとってもオシャレに見えます。ストーリーのなかでエイリシュがブルックリンで自信をつけて洗練されていく様子が、ファッションの色合いで表現されています。(どんどんポップなファッションになっていきます!)

N.Y. 生まれの友人は、この映画には郷愁を感じると言っていました。おじいちゃん、おばあちゃんがこんなふうに様々な思いを胸に海を渡ってやってきたこと、また自分にとっても生まれ育ったなつかしい時代を思い出すのでしょう。

それを聞いて「なるほど〜。アメリカ版 “ALWAYS 三丁目の夕日”か〜」と思って観てみたけれど、日本人のわたしにとっては、この主人公が新しい環境のなかでひとつひとつの出会いによってみるみる変わっていく姿が、まさに20代の頃の自分と重ねあわせて共感できた気がします。

このエイリシュを演じたシアーシャ・ローナンは、ちょっとふっくらとしていて、往年の女優さんのようなエレガントで美しい雰囲気があるのです。彼女自身、じつはアイルランドにルーツを持つという N.Y. 育ちで、まさにご両親がこの映画と同じストーリーを生きているそう。

あとで調べたら、キーラ・ナイトレイの「つぐない」で妹役を演じていたあの女の子なのですね! 細かいことはあまり覚えていないけれど、悲しくって残酷なストーリー展開と、若干13歳ぐらいだった妹役(シアーシャ・ローナンだったの!)のたたづまいがひどく印象的だったのでした。

「ブルックリン」はアカデミー賞にノミネートされたけれど、日本ではそんなに大々的に興行していないようなので、うっかり見過ごすところでした。最近観た映画のなかでは、とっても好きな一本となりました。

涙壷度:★★☆☆☆(やっぱりラストに泣かされました!)