15-03-18 誰もがもってる○○されちゃう怖れ

声楽を教えている友人からのメール。「風邪をひいた生徒さんがレッスンにやってきて、どうやらその風邪をもらってしまったみたい(汗)。風邪のときはご遠慮くださいとお願いしてたのに・・・」と。

そうですよね〜。思いっきり声をはりあげて歌うレッスンでは、ひどい風邪っぴきはそりゃ気になるでしょう。じつはわたしも小さなカウンセリングルームで、クライエントさんがマスクもされずひどい風邪をひかれているとやっぱり気になることがあります。

友人の場合は「お願いしてたにもかかわらず、来ちゃった!」 そうな ・・・。そうなんですよね。こうしてほしいと思っても、自分以外のことは完璧にコントロールすることはまずできません。だからといって、ビクビク被害者でいるのもね。

実際わたしも「いやだな〜。風邪うつったらどうしよう」と思っていると、ただちにもらってしまったものです。「ノロウィルスから回復しました」とおっしゃっているクライエントからも、しっかりともれなくいただきました。

いいえ、これはもらったのではなくって、私が私のためにつくったのです。つまり、自作自演!

なぜなら、「私以外は、誰ひとりとして私に影響を及ぼすことはできない」のです(ほんとうは被害者なんて、誰にもなれっこないのです)。

そして、「怖れるものは、もれなく確実にやってくる」ということ。

かつて風邪をひきやすかった私は(毎冬、ひいてました)、あるときハタと「私ってもしかすると、けっこう被害者チックなのかも・・・」と思い当たり、自分の考えを調べてみました。

というのは、そもそも私たちは身体ではなく、エネルギー体。そしてふだん自分自身がどんな存在か、まったく記憶喪失者のごとく忘れているのですが、じつはそのエネルギーとしての自分は宇宙にも入りきらないほどの広大さがある存在です。なぜなら、私たちはみんな創造の源とひとつだから。宇宙をつくったものは、宇宙よりも当然大きいのですよね。

それがどうしちゃったことか、何の間違いか、ひとの目にも見えないほどのちっぽけな細菌に怯え、あっというまに征服されるなんて・・・ど〜ゆうこと? それって、ゾウさんとムシの戦いよりも話しにならないものです。宇宙以上の存在と菌なんてね。

私たちの体験はすべて、「わたしたちが世界をどのように見るか」にかかっています。自分の見ようとしているものしか見ることができません。

怖れの目を通してみれば、自分を攻撃し迫害し、死にいたらしめるものがうようよしているように見えて、戦々恐々として、日々守り、戦わねばなりません。

もし安らぎ(愛)という目を通してみれば、じつはそこには何の戦いもなく、されば怖れるものも、自分の身を守らなければならないものも存在しない、平和な世界が広がって自分が安らいでいるのがわかるのです。

見たいものを見せてもらえる自由があるのが、この世界です。

ついつい自分の広大さを忘れてしまうと、自分のことを細菌よりもちっちゃくて、ちっぽけで、すぐさま破壊されてしまうようなはかない存在だと勘違いしてしまいます。勘違いからは勘違いな体験がもれなくやってきて、その思いこみから、どんな小さなものにもこてんぱんにされてしまう自分という自己イメージをでっちあげ、さらに自分が小さくなり恐ろしものだらけになり・・・延々と悪循環におちいります。

なんだ! 宇宙以上のもの(私)と細菌(風邪)の戦いか〜。勝敗は見えている。 ・・・と冷静に考えるようになってから、去年も今年も風邪をひかなくなりましたよ〜。ちょっとだけ、被害者を脱したみたいです(いやいや、まだまだ無意識でいろいろやってますがな ・・・苦笑)。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

 

気づきの日記「誰もがもってる○○されちゃう怖れ」

声楽を教えている友人からのメール。「風邪をひいた生徒さんがレッスンにやってきて、どうやらその風邪をもらってしまったみたい(汗)。風邪のときはご遠慮くださいとお願いしてたのに・・・」と。

そうですよね〜。思いっきり声をはりあげて歌うレッスンでは、ひどい風邪っぴきはそりゃ気になるでしょう。じつはわたしも小さなカウンセリングルームで、クライエントさんがマスクもされずひどい風邪をひかれているとやっぱり気になることがあります。

友人の場合は「お願いしてたにもかかわらず、来ちゃった!」 そうな ・・・。そうなんですよね。こうしてほしいと思っても、自分以外のことは完璧にコントロールすることはまずできません。だからといって、ビクビク被害者でいるのもね。

実際わたしも「いやだな〜。風邪うつったらどうしよう」と思っていると、ただちにもらってしまったものです。「ノロウィルスから回復しました」とおっしゃっているクライエントからも、しっかりともれなくいただきました。

いいえ、これはもらったのではなくって、私が私のためにつくったのです。つまり、自作自演!

なぜなら、「私以外は、誰ひとりとして私に影響を及ぼすことはできない」のです(ほんとうは被害者なんて、誰にもなれっこないのです)。

そして、「怖れるものは、もれなく確実にやってくる」ということ。

かつて風邪をひきやすかった私は(毎冬、ひいてました)、あるときハタと「私ってもしかすると、けっこう被害者チックなのかも・・・」と思い当たり、自分の考えを調べてみました。

というのは、そもそも私たちは身体ではなく、エネルギー体。そしてふだん自分自身がどんな存在か、まったく記憶喪失者のごとく忘れているのですが、じつはそのエネルギーとしての自分は宇宙にも入りきらないほどの広大さがある存在です。なぜなら、私たちはみんな創造の源とひとつだから。宇宙をつくったものは、宇宙よりも当然大きいのですよね。

それがどうしちゃったことか、何の間違いか、ひとの目にも見えないほどのちっぽけな細菌に怯え、あっというまに征服されるなんて・・・ど〜ゆうこと? それって、ゾウさんとムシの戦いよりも話しにならないものです。宇宙以上の存在と菌なんてね。

私たちの体験はすべて、「わたしたちが世界をどのように見るか」にかかっています。自分の見ようとしているものしか見ることができません。

怖れの目を通してみれば、自分を攻撃し迫害し、死にいたらしめるものがうようよしているように見えて、戦々恐々として、日々守り、戦わねばなりません。

もし安らぎ(愛)という目を通してみれば、じつはそこには何の戦いもなく、されば怖れるものも、自分の身を守らなければならないものも存在しない、平和な世界が広がって自分が安らいでいるのがわかるのです。

見たいものを見せてもらえる自由があるのが、この世界です。

ついつい自分の広大さを忘れてしまうと、自分のことを細菌よりもちっちゃくて、ちっぽけで、すぐさま破壊されてしまうようなはかない存在だと勘違いしてしまいます。勘違いからは勘違いな体験がもれなくやってきて、その思いこみから、どんな小さなものにもこてんぱんにされてしまう自分という自己イメージをでっちあげ、さらに自分が小さくなり恐ろしものだらけになり・・・延々と悪循環におちいります。

なんだ! 宇宙以上のもの(私)と細菌(風邪)の戦いか〜。勝敗は見えている。 ・・・と冷静に考えるようになってから、去年も今年も風邪をひかなくなりましたよ〜。ちょっとだけ、被害者を脱したみたいです(いやいや、まだまだ無意識でいろいろやってますがな ・・・苦笑)。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

 

20年ぶりの・・・

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

きょうはとっても暖かかった〜♪ 
コートもぬぎすて、カーデガン一枚でお散歩することがでました。サクラのつばみもふっくらしてきたし。

本日のランチはラーメンでした〜!

ラーメンって年に一度も食べないメニュー。まして、わたしから誘うなんて! じつは、TVで神田さやかちゃんがお気に入りラーメンメニューをエキサイトして食べている様子を見て、むしょうに食べたくなったのでした!

それは「九州じゃんがらラーメン」。

表参道のお店に足を運ぶのは、なんと20年ぶりです。

わたしはマイルドとんこつ全部のせ、連れはニンニクがきいてる辛めのもの。

どっちもとってもおいしかった。明太子もたっぷり。それに細麺がいいのです。

後半はテーブルの紅ショウガを投入していただきましたが、トンコツと紅ショウガってあう〜。

これではずみがついて、他のラーメン屋さんにも足を運びたくなりました(スープに興味があるというよりは、麺好きみたい)。中目、恵比寿は有名ラーメン店の巣窟。今にして目覚めたか?!(笑)

いきなり活動的!春の準備

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

加湿器って、いったいいつ片づければいいのでしょうね?

三月に入ると、天パーの前髪がいきなりカールしてくるので、もう湿度十分!? と思い片づけてしまいました。でも、片づけたら片づけたで、なんか肌がかさかさするし・・・。

加湿器にとどまらず、

冬のブーツたちを磨いて、つめものをしてしまいこみ・・・

ソファーのカバーをはぎとって、きれいにお洗濯・・・

そして、手洗いしたいダウンやマフラー、セーターはひとつづつ丁寧に・・・

あちこちにたまっていた書類やらDMやらもねこそぎ一掃・・・

植木鉢の枯葉を刈りこんですっきりと・・・

まだシーツも洗いたいし、家具もどけてお掃除したい ... けど、今日はここまででタイムアップ。(かなり頑張ったほうです!!)

まるで冬眠からハタと覚醒したクマのように、いきなり活動的。さっぱりしたくなるのですよ〜、春にむかって。

そして春らしいお花を買いに・・・。ストックにしました♪

確定申告とポイントカード

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確定申告の準備も大詰め。それとともに、やっと春だ〜!という気分です。(これが終わらないことには、まったく ♪春♪ などやってきません。)

毎年、レシートや領収書を受けとったらすぐに仕訳しておこう!と思うのですが、これができそうでできない・・・(汗)。大きな袋にガサガサためこんだすえ、ちまちまと支出項目別に仕訳することになります。

それに、近頃のお財布は容量も大きくなったので、ここにも領収書が潜んでいるし・・・ と思ってお財布を調べたら、あらら、ポイントカードがた〜くさん!

それもすでにポイントがたまったものばかり。

そういえば・・・ポイントってためるのに情熱(?)を燃やしますが、使わないのですよね〜。たまったとたん興味がなくなってしまって。(それって、振り向いてくれない人をせっせとおいかけまわし、振り向かれたら「もうどうでもいい」みたいな・・・・(^。^;  )

というわけで、さっそくカフェでポイントを使ってスウィーツをゲット!!(まあ、立派ですこと!)

スウィーツ食べながら、確定申告の仕上げをしま〜す!

お仕事のミーティングのときに、みなさまのご協力をえながらバシバシためこんだサンマルクのポイント。本日はデニブランのベリーを頂戴しました。この大きさですが、デニッシュはさっぱりしていてサクサク、そこにさっぱりめのソフトクリームで、意外とさわやかなお味でした〜!

お蔭さまで、お仕事はかどって、確定申告終了〜〜!!

 

 

三角定規の抗菌って?!

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

定規を使おうと思ったら・・・あれ、見当たりません。

そこで新しい三角定規を買ってきました。そこにはシールがデカデカと、「抗菌」ですと!

まさか三角定規の菌で死ぬことはないと思うのですが(笑) ・・・貼ってあるということは、これが重要、あったほうが売れるということなのでしょうね。

なんでもかんでも、「抗菌」「除菌」とうたわれるこの頃、これってわたしたちの弱体化のあらわれでしょうか?

身体が弱体化しているのではなくって、心の弱体化。

ついには定規の菌にまでおびえるとは・・・。これぞまさに、無意識のなかにある被害者意識のあらわれ。 → 「どんなものにでも、わたしって簡単に攻撃されちゃうのよ!とくに、三角定規の菌はもっとも危険」・・・というぐあいに(苦笑)。(あのどこでも生きていける横井庄一さんを見習いなさいって?! それも極端 ・・・汗)

そして、何にしろ、怖れることによって敵にパワーをあたえ、敵はどんどん強くなります。すると、「あれもコワイし、これもキケン。あれと戦って、これも防いで、それも退けて・・・ああ、忙しい!」・・・ どんどん不自由になります。

ホントは、「怖れなければ、敵もなし」 ・・・なのですが。(病気を怖れて、食べ物に神経質な人のほうが病気になりやすかったりします。逆に、なんの怖れも罪悪感もなく、お肉もお酒もタバコも「おいしいね♪」と豪快に楽しんでいる人はいつまでもすこぶる健康だったりして。)

アフリカに蔓延するあのわけのわからない熱病も、わたしたちの無意識の怖れと被害者意識のあらわれのように思えてなりません。

 

15-03-03 めずらしく邦画、「桐島、部活やめるってよ」

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

めったに観ない邦画です。

タイトルの不思議さから選んじゃったDVD、「桐島、部活やめるってよ」。

バレー部のエースであり、成績優秀、学校いちのスター、桐島くんが部活をやめるらしいって・・・そこからストーリーが始まります。

なんの予備知識もなく観たのですが ・・・ふつうに学園ものだと思って観るとモヤモヤします(笑)。なぜなら、最後の最後まで、「桐島、部活やめるってよ」のままだから。(なに言っているかわかりませんね。笑)

消化不良感がのこる人はたぶん、最後まで「桐島くん」にふりまわされる人。「おい!桐島、どうしたって?!」って。

わたしの場合はそっちよりも・・・「高校生って、こんなに面倒だったかな〜? 」っていうこと。

「今どきの」高校生独特のむずかしさなのか、それとも「共学特有」のめんどくささなのか? ・・・ 高校時代がウン十年前で、さらにオヤジ女子の温床、女子校育ちのわたしにはわかりかねますわ。

そういえば、最近、15~16才のクライエントさんが目白おし状態。(ふだんは、30代から50代前半がいちばん多いのですが。)

この「桐島・・・」は高校生の日常の会話のやりとりがセリフというよりもリアルさ、今どき感があるのですが、もし日々こんなやりとりしてるんだったら、さぞ疲れるだろうな〜と感じましたよ。(こりゃ、セラピー必要になるわ。)

ちょっとモヤモヤ感の残る一作でしたが、いにしえとなった高校時代の日々を理解するうえではよかったかも。お仕事には大いに役立ちました。

次はなんかスッキリ完結するものが観た〜い!

お茶の間シネマトーク「めずらしく邦画、“桐島、部活やめるってよ”」

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

めったに観ない邦画です。

タイトルの不思議さから選んじゃったDVD、「桐島、部活やめるってよ」。

バレー部のエースであり、成績優秀、学校いちのスター、桐島くんが部活をやめるらしいって・・・そこからストーリーが始まります。

なんの予備知識もなく観たのですが ・・・ふつうに学園ものだと思って観るとモヤモヤします(笑)。なぜなら、最後の最後まで、「桐島、部活やめるってよ」のままだから。(なに言っているかわかりませんね。笑)

消化不良感がのこる人はたぶん、最後まで「桐島くん」にふりまわされる人。「おい!桐島、どうしたって?!」って。

わたしの場合はそっちよりも・・・「高校生って、こんなに面倒だったかな〜? 」っていうこと。

「今どきの」高校生独特のむずかしさなのか、それとも「共学特有」のめんどくささなのか? ・・・ 高校時代がウン十年前で、さらにオヤジ女子の温床、女子校育ちのわたしにはわかりかねますわ。

そういえば、最近、15~16才のクライエントさんが目白おし状態。(ふだんは、30代から50代前半がいちばん多いのですが。)

この「桐島・・・」は高校生の日常の会話のやりとりがセリフというよりもリアルさ、今どき感があるのですが、もし日々こんなやりとりしてるんだったら、さぞ疲れるだろうな〜と感じましたよ。(こりゃ、セラピー必要になるわ。)

ちょっとモヤモヤ感の残る一作でしたが、いにしえとなった高校時代の日々を理解するうえではよかったかも。お仕事には大いに役立ちました。

次はなんかスッキリ完結するものが観た〜い!

 

15-02-28 「怖れ」のデトックス

わたしたちにとって「ニュース」というと、悲惨や怖れ、戦いしか対象にならないのでしょうか? ・・・

暗いニュースのオンパレードにそんなふうに感じてしまうこの頃です。世のなかでは、すばらしいことだってたくさん起きているはずなのに・・・。

ひっきりなしにテレビで流されていた IS (イスラム国)による戦慄の映像がおさまってきたと思ったら、こんどはこどもが河川敷で殺害されるという悲惨な事件。ふたたびあの IS の処刑イメージと重なって、胸が苦しくなりました。

もちろん真実を報道することは大切だし、それを知ることも必要です。でも、まるでヒプノティックに暗示をかけるがごとく四六時中同じニュースが流されると、ひとつの事件が何倍にも増幅していくように感じてしまうのです。たった一回だったことが、まるで何回も起きたように心は錯覚し傷つきます。(あの 9.11 や 東北の津波のときもそうでした・・・。まさにこれこそ擦り込み。)

じつは、わたしたちのエゴは怖いことが大好き。怖いことを糧にエゴは生きのびる、とさえいえます。

だからこそ、テレビ番組はこぞって「怖れ」をテーマにしているともいえます。「主治医が見つかる・・・」とか「本当は怖い家庭の・・・」とか、「直下地震で生きのびるには」とか、「富士山の噴火」がどうとか。わたしたちのなかのエゴには、おおいにうけるテーマですからね!

人の怖れをあおり、罪悪感を刺激すれば、確実にモノは売れるし、視聴率もあがるわけです・・・。

わたしたちは自分の「思い」というのがどのぐらいのパワーがあるのか、ということを忘れすぎている気がします。

わたしたちの「思い」こそがここまで文明を発達させ、いろいろなものを創りだしてきました。「思い」はさまざまなものを創造し、影響を与えます。それはひとりひとりの人生にもいえることです。

しかし、「怖れ」の思いからは怖ろしい現実しか生まれえないし、一方、「愛」や「喜び」「平和」な思いからは、そのような世界が必ず生まれます。わたしたちは、それぞれを意図したとおりの現実しか体験することができません。完全に「怖れ」に動機づけられてしまったからこそ、このような悲惨な事件が続発したともいえるのです。

「怖れ」や「悪」といわれるものを分析することに時間を費やすのではなく、それよりもわたしたちは「何を望むのか、何を見たいののか、何を体験したいのか」にもっと敏感になるべきだし、時間を費やすべきなのでしょうね。

わたしたちの思いは、「愛」か「怖れ」のふたつにひとつしかありえません。

ちょっとだけ「怖れ」で、あとは「愛」というのはなく、選べるのはどちらかきっぱりとひとつのみです。そして自分が選んだとおりに体験することになるのです。「怖れ」を選んでおいて、「愛」や「平和」を体験することはできません。

たくさんの恐ろしい映像や怖いニュースにあふれていようとも、ちょっとテレビからはなれて・・・ 自然のなかで太陽をあびてゆっくり過ごすとか、のんびり音楽を聴くとか、家族や友人と暗い話ではなく楽しいことについて語り合うとか、こころあたたまる本を読む、映画をみるとか、自分にやさしくしてすごすとか、誰かにやさしくするとか・・・温泉やマッサージもいいかも。

さまざまな自分のための怖れのデトックスがありますよね。それぞれが自分のこころを平和に保つだけでも大きな力があります。その平和は必ずまわりにも影響を与えるし、連鎖していくものです。バタフライエフェクトのように・・・。

一週間に一回は、心から「怖れ」の気持ちや重苦しい気持ちを追い出して自分にやさしく過ごす ・・・ 「怖れ」がはびこる日常ではそんなデトックスタイムがぜひ必要ですね。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

気づきの日記「”怖れ”のデトックス」

わたしたちにとって「ニュース」というと、悲惨や怖れ、戦いしか対象にならないのでしょうか? ・・・

暗いニュースのオンパレードにそんなふうに感じてしまうこの頃です。世のなかでは、すばらしいことだってたくさん起きているはずなのに・・・。

ひっきりなしにテレビで流されていた IS (イスラム国)による戦慄の映像がおさまってきたと思ったら、こんどはこどもが河川敷で殺害されるという悲惨な事件。ふたたびあの IS の処刑イメージと重なって、胸が苦しくなりました。

もちろん真実を報道することは大切だし、それを知ることも必要です。でも、まるでヒプノティックに暗示をかけるがごとく四六時中同じニュースが流されると、ひとつの事件が何倍にも増幅していくように感じてしまうのです。たった一回だったことが、まるで何回も起きたように心は錯覚し傷つきます。(あの 9.11 や 東北の津波のときもそうでした・・・。まさにこれこそ擦り込み。)

じつは、わたしたちのエゴは怖いことが大好き。怖いことを糧にエゴは生きのびる、とさえいえます。

だからこそ、テレビ番組はこぞって「怖れ」をテーマにしているともいえます。「主治医が見つかる・・・」とか「本当は怖い家庭の・・・」とか、「直下地震で生きのびるには」とか、「富士山の噴火」がどうとか。わたしたちのなかのエゴには、おおいにうけるテーマですからね!

人の怖れをあおり、罪悪感を刺激すれば、確実にモノは売れるし、視聴率もあがるわけです・・・。

わたしたちは自分の「思い」というのがどのぐらいのパワーがあるのか、ということを忘れすぎている気がします。

わたしたちの「思い」こそがここまで文明を発達させ、いろいろなものを創りだしてきました。「思い」はさまざまなものを創造し、影響を与えます。それはひとりひとりの人生にもいえることです。

しかし、「怖れ」の思いからは怖ろしい現実しか生まれえないし、一方、「愛」や「喜び」「平和」な思いからは、そのような世界が必ず生まれます。わたしたちは、それぞれを意図したとおりの現実しか体験することができません。完全に「怖れ」に動機づけられてしまったからこそ、このような悲惨な事件が続発したともいえるのです。

「怖れ」や「悪」といわれるものを分析することに時間を費やすのではなく、それよりもわたしたちは「何を望むのか、何を見たいののか、何を体験したいのか」にもっと敏感になるべきだし、時間を費やすべきなのでしょうね。

わたしたちの思いは、「愛」か「怖れ」のふたつにひとつしかありえません。

ちょっとだけ「怖れ」で、あとは「愛」というのはなく、選べるのはどちらかきっぱりとひとつのみです。そして自分が選んだとおりに体験することになるのです。「怖れ」を選んでおいて、「愛」や「平和」を体験することはできません。

たくさんの恐ろしい映像や怖いニュースにあふれていようとも、ちょっとテレビからはなれて・・・ 自然のなかで太陽をあびてゆっくり過ごすとか、のんびり音楽を聴くとか、家族や友人と暗い話ではなく楽しいことについて語り合うとか、こころあたたまる本を読む、映画をみるとか、自分にやさしくしてすごすとか、誰かにやさしくするとか・・・温泉やマッサージもいいかも。

さまざまな自分のための怖れのデトックスがありますよね。それぞれが自分のこころを平和に保つだけでも大きな力があります。その平和は必ずまわりにも影響を与えるし、連鎖していくものです。バタフライエフェクトのように・・・。

一週間に一回は、心から「怖れ」の気持ちや重苦しい気持ちを追い出して自分にやさしく過ごす ・・・ 「怖れ」がはびこる日常ではそんなデトックスタイムがぜひ必要ですね。

 

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