カーリング女子チームのおやつとしていちやく有名になったアレ!
今でも、即完売で入手するのが大変だそう。お友だちが「話のたねに!」と、お福わけを届けてくれました。
これがその「赤いサイロ」というチーズケーキです。
さっそくのもぐもぐタイムを〜♪
しっかりチーズ味かな?と思いきや、チーズがふんわり香る優しい口どけのケーキ。いくつでもいただけそうです。おいしい♡
トラピストのバターも!
北海道ものは、なにをいただいても間違いありませんよね ( ・◡・ )v
わざわざありがと〜♪
カーリング女子チームのおやつとしていちやく有名になったアレ!
今でも、即完売で入手するのが大変だそう。お友だちが「話のたねに!」と、お福わけを届けてくれました。
これがその「赤いサイロ」というチーズケーキです。
さっそくのもぐもぐタイムを〜♪
しっかりチーズ味かな?と思いきや、チーズがふんわり香る優しい口どけのケーキ。いくつでもいただけそうです。おいしい♡
トラピストのバターも!
北海道ものは、なにをいただいても間違いありませんよね ( ・◡・ )v
わざわざありがと〜♪
A: セラピーを受けて、自分の中心に戻れたように感じています。今後の生活のなかで、どのようなことに気をつけたらよいでしょうか?
Q: セラピーを受けられてお気づきになったと思うのですが、癒しとは何かをつけたすことではなく、あくまでもいらないものを「捨てるさる」作業でした。自分のこころにある間違った考えや感情を取りさることです。
なぜなら、完全さ・安らぎ・幸福感はすでに自分のなかにあるからです。
ただおおい隠しているものを取りはらいさえすれば、それは輝きを放ち、広がり、自分の知覚を照らしてくれます。
そういった意味で、日常において気をつけるべきことは、
1、どうでもいいものをつけ足そうと走りまわるのではなく、こころのなかの「捨てさるべきものを見逃さない」覚悟。
2、自分の外側にあるものはほっておいて、「あくまでも自分のこころとだけ向き合う」こと。
1 は、私たちは「足りない」という信念がベースにあるため、どうしても「つけ足す」ことにしか注意がむきません(あれを買って、これをやって、あそこに行って、あの人に会って ・・・全部つけ足すためです)。でも、先ほども書いたように、必要なことはただ「捨てさる」ことだけなのです。
2 については、外側は自分のこころのイメージです。外側にばかり気をとられて批判したり、どうにかしようとしていると、自分が作りだしたものの結果にふりまわされ、おおもとの原因は忘れさられます。
自分が幸せになろうとして、自分の外側にあるものを追い求めたり、どうにかしようとすることはなんの役にもたちません。むしろ、本来の自分からズレてしまうことなのです。
なぜなら、「追い求める」ことじたいがすでに「不足感」のあらわれなので、外に追い求めれば追い求めるほど、さらに自分のこころのなかの空虚感を自分にとってシリアスなものにしてしまいます。
それよりも、何かをなさなければならない、手にいれなければならない、どうにかしなければならない、という「変わるためには何かが必要である」という不足の思いを認め、そのさらにおおモトで信じていることに気づいて、受けとめ、感じて、それをとりのぞくために高い意識にさし出すことが必要となります。
そのために大切なことは、自分のこころをしっかりとモニタリングしていることです。自分のこころで何が起こっているのかをしっかりと把握することです。
なぜなら、自分のこころこそが、自分の目にするもの、感じるもの、体験すること、すべてを作りだしているからです。
そして、そのこころの誤作動がどのように起こり、その結果として自分自身を攻撃してしまっていることを見極めなければなりません。
なぜならば、自分の考えのほとんどは無意識にうめこまれています。まして、自分にとって堪えがたいと感じる思いは、自分がいっさい目にできないところに埋めこまれて、ほぼ自分にとって「ない」に等しいものとなっているからです。
その存在に気がつくことができるのは、こころの思いが形となって自分の外の世界に映しだされるとき、つまり「問題」という形をとったときだけなのです。
だからこそ、自分にとって不快なもの、喜ばしくないもの、嫌いなもの、無視したいものは、自分の見ることができないこころが外に映しだされたものであり、こうして知覚できてこそそれを処理するための唯一のチャンスでもあるのです。
しかし、そこで自分がそれを批判して、被害者になってしまってはもともこもありません。せっかくの解決の糸口が示されたのに、自分は背をむけてしまったのです。そして、「それは自分とは関係がない!」と言ってしまったことで、もうそれを自分から取りさる力を失ってしまいます。
このように、自分がほんとうに片づけなければならないものは自分のこころの奥深くに埋めこまれ、ほうむりされてしまったため、それが目のまえの不快感としてあらわれたときにしか、それを処理することができるチャンスはありません。
イヤなものを見つけてしまったときこそ、「ああ、自分が真に癒されて、自分の当然の権利である幸せをうけいれるためのチャンスがここにやってきている。ありがたく真っ正面から受けいれて、こころのなかのゴミを捨てよう!」と前向きに受けとめなければならないのです。
だから・・・
* 自分がイヤな気分になっているとき、いつものクセで自動的に被害者になり外側を責めることはやめて ・・・ なぜこう感じてるのだろう? このおおモトとなっている思いとは何なのかを探求してみます。
かならず、自分に対してやさしくない考えがそこにあります(私は無価値だ。悪いやつだ。孤独だ。好かれていない。)そして、その考えがあると自分に価値がないように感じたり、未来が不安になったり、まわりが敵のように感じてしまいます。
そんなふうに、自分の考えが自分自身を攻撃しない限り、私たちは穏やかさ、幸福感を感じることができるのです。自分の考えが自分を攻撃して、自分をみじめにしたり、不安にしたり、暗くしているのに気づいてみましょう。
** そして、自分が幸せになるためにふさわしくない考えは高い意識に手渡して、自分のこころから取りさってもらいましょう。
自分の考えに敏感になるためには、なるべく何か自分の外側の刺激で自分をごまかさないことも大切です。忙しくする、出歩く、ゲームをする、買い物をする、過食をする、だらだらおしゃべりをする、ネットをみつづける、人のことばかりに気をとられる、お酒をのむ、恋愛に没頭する、人やものごとを批判する、同じ考えを考えつづける・・・・ これらは全部、自分の感じていることから気をそらせるための手段であり、イヤな感じを煙にまいて温存させることができます。
*** 勇気をもって、なるべくごまかさず、自分の感じていることに直面して、探求し、高い意識に委ねる習慣をつけましょう。
私たちの本来の状態は安らぎそのものです。
そうでないものを断じて見逃さない、という意欲が本来の自分に戻るためのカギです。
でも、最初のうちは、ズレまくっていてほぼ安らいでいない自分にびっくりするかもしれません。しかし、それに気づくことこそが大切なのです。「ああ本来の自分でないものにずっぽりとはまりこんで、自ら悲惨になっていたのね」と愛をもって認めましょう。
自分がズレてることを逐いち認めることができる正直さこそが、一歩一歩正すための近道です。
そして、正すことができれば、何もつけ足すことなく「安らぎ・幸福感」は自然とやってくるものなのです。それは、自分の外側へと広がり、自分の見る世界を平和にしてくれます。
そのために、自分の不快感、イライラ、不安感を見逃さないようにいたしましょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
クリント・イーストウッド、ひさびさの監督・主演作です。
家族から完全に浮いている孤独な老人 ・・・ という設定は、前作の「グラン・トリノ」と同様。
仕事に没頭することこそが男の人生・・・ と信じてつき進んできたら、気がついたときには大切なすべてを失っていた ・・・ という。
その孤独な老人が家族とのあいだに横たわるミゾを埋めることができるように感じたのが、お金。孫娘の学費を払ったり、パーティを開いたり、家を買い戻したり・・・。
ひょんなことから手をそめたコカインの運び屋はそんな財源としてはうってつけであるとともに、彼にとってはけっこう簡単な役回りだったのです。となれば、この仕事は今までの間違いを修復するための最後の手段なのです。
運び屋としてえんえんと運転するハイウェイも、鼻歌なんか歌って気楽です。ドライブスルーに入ってスナックは買うは、道すがらパンクの車も助けるは・・・ 運び屋としての緊張感はゼロ。密売組織にしたら、そんな危険な行為はもってのほかです。
麻薬密売のチンピラに「おまえ、ふざけるな!ぶっ殺すぞ!」と言われようとも、よわい九十を数える彼は「殺せ!」とひとこと。まったく脅しがつうじません。朝鮮戦争の退役軍人である彼は、そんな若造よりもずっと度胸も智恵もあるのです。
これほどの高齢であることがまんまとカモフラージュとなり、運び屋としてのファースト ランはなんなく成功。目を丸くするほどの破格の報酬を受けとった彼は、人生を立て直すべくお金を使いまくります。 ・・・ となれば、二回めも。
しだいに運ぶ量も、ケタはずれとなり・・・。しかし、捜査の手がおよばないわけもなく・・・。
この作品は、超高齢、九十歳の運び屋おじいちゃんの実話をモチーフにしているそうです。
♪ 時間はお金じゃ買えない♪ という歌詞が最後に流れてきます。
この高齢でありながらどこか無垢な少年のようなおじいちゃんの佇まいに、クリント・イーストウッドが重なり(彼も今年九十歳ですね)、「ああ、次の監督・主演作がまた観られたらいいな〜」とちょっと切なくなりました。
彼の出演作、監督作はいろいろありますね。私は「ミリオンダラー・ベイビー」「クラン・トリノ」がお気に入りです。
ここ10日ほど排水管工事のため天井やら壁がなくなってしまい、セッションルームが使えない日々でした(現在はほぼ終了です)。
そんなわけで、ありがたく連日のお出かけです。
○曜日
お友だちと有楽町でランチ@24/7 cafe apartment。おうちのリビングのような雰囲気のお店です。
フレンチトーストを目指して行ったのに、なぜか和食屋さんでした(ってことは「和食を食べなさい」っていうことね!)。
私たちが選んだランチは一汁三菜で、十五種類のお惣菜のなかからチョイスすることができます。
あれこれ目うつりして選んだのが、あまりおうちで作らないカキフライと角煮の卵とじ、そしてキノコの揚げ物のポン酢にしてみました。にぎにぎしく、お盆にぎっしりと。
その後のお茶タイムには、甘味がかかせません。
サクラのお餅がはいったお汁粉であったまりながら、とっぷりと陽がくれるまでおしゃべりを楽しみました♪
△曜日
ホームタウンの吉祥寺で、学生の頃によく行ったカフェ、くぐつ草さんへ。
木製のメニューも、重たい灰皿も、ぜんぜん変わってな〜い! でも、あの頃には気にならなかったタバコの煙が、いまはちょっとシンドイです。
人気のレアチーズケーキ。
お話しがはずんで、スウィーツのおかわりも。ラムレーズンアイスです。器がかわいい♡
私たちが何かしらの行動をとるとき、かならず自分のある考えにもとづいています。
ある感情を感じるときにも、何かしらの考えにもとづいています。
そのもととなる考えは、たいていは気づかれていないのです。
そこで、自分が無意識のうちに信じている考えを調べてみると、私たちは自分自身を決して幸せにしない考えにかなり固執していることがわかります(自分の首にヒモをかけて、少しづつしめているような感じです)。
たとえば・・・
Aさんは、大好きな習い事があって一生懸命つづけられてきました。
Aさんがその習い事のことを話されるとき、いつもお顔がぱっと明るくなることから、「ああ〜、ほんとうに好きでやっていらっしゃるのだな〜」と感じたものです。好きだからこそ、努力も苦にならないのですね。
コツコツ学ばれて、ついに指導者レベルというところまできたとき、「やりたい気持ちもあるけれど、ふみ出せない・・・」と。
よくよくうかがってみると、先生に「つぎはレベルが高くなるから大変よ」とクギをさされたそうで、「ああ、私は一回で覚えられないからついて行けないにちがいない・・・」と意気消沈して、これを学ぶのが好き!というキラキラ感が消えてしまったのでした。
「一回で覚えられなきゃ学ぶ資格がない」とAさんは信じていて、どうやらそれに自分自身がかなっていないと決めてしまったようなのです。
けれど・・・「一回で覚えられなきゃ学ぶ資格がない」いうのは、じっさいホントのことなのでしょうか?
私の場合だと、なにごとも自分の感覚に落としこまないと理解できないタイプなので、スラスラとはいかず人よりもじっくりペースです。ウサギではなく、かめタイプ。
ピアノを習っていたときも、一曲まともに弾けるようになるのにもかなりの時間がかかりました。
九九だって、毎晩パジャマに着替えながら地道に練習させられたものです(七の段が苦手で、そこばかり何度もやっていたし)。
大人になって、海外のセミナーやワークショップに行くと、ダンスを何曲も覚えるハメになるのですが(これは一日の終わりに、リラックスのためにみんなで踊るのです)、このフリが見ただけじゃぜんぜん覚えられなくって、ホテルの部屋でお仲間にレッスンしてもらったり・・・(笑)。
というように、どれもこれも一回でなんてとっても覚えられていません。
でも、もしも「ものごとは、一回で覚えられなかったら習う資格がない」と信じてしまっていたとしたら、自信喪失と大きな挫折感を味わっていたと思います(さいわい、かめさんペースの自分にひらきなおれたのがよかった! 汗)。
「ものごとは、一回で覚えるべき」と信じていたとしたら、その考えは自分を傷つける刃になってしまいます。そこから、恥じの感覚や、劣等感、罪悪感が生まれます。
でも、その考えがなかったとしたら ・・・ まったくそんな考えがアタマに浮かばなかったら、自分を劣ったものとも、価値がないものとも感じることはなく、ただたんたんと学ぶのだと思います。そして、早く覚えるためにはどうしたらよいのかを考えることができます(誰かの助けをかりるとか、ひとりで復習するとか、教材を探すとか、上手な人にアドバイスをもらうとか・・・)。
Aさんの信じていた「一回で覚えられなきゃ学ぶ資格がない」というは、残念ながらほんとうのことではなかったのでした。
そもそもAさんにそれができていないのですがら、その考えがほんとうであるはずがありません。私も一回でできなかった経験が数多くあるし。子育てをしている方だったら、こどもが一回教えてちゃんとできるようになるなんて不可能に近いことがわかります。
誰も、一回で学べないことがふつうなのです。
Aさんはこどもの頃に、なにかの拍子にこれがほんとうだと信じてしまっただけでした。たいていは、母親のひとことが原因だったりします。こどもにとって、母親は真実を語るように感じられるのです。でも、このお母さん自身も彼女の母親にそう言われていたのかもしれません(このように、ひとつの考えは代々、無意識のうちにうけつがれていきます)。
このように、知らず知らずのうちに受けついだほんとうでなない考えを「自分の常識」として握りしめていることが、自分の苦しみや生きづらさ、制限を生む原因となっています。
なにかモヤモヤしたり、意気消沈したり、不安になってしまっているとき、
その目のまえにある状況に対して、いったい自分がどんな決めごとをしているのかをチェックしてみる必要があります。
そして、それがほんとうのことなのか? 自分だけでなくて、他の人にも同様にあてはめることができるのか? (私たちは、自分にはツラくあたるので、同じ考えを友人とか他の人にあてはめようとすると「それは違うよね!」とすぐにまちがいに気がつくことができます)
自分の考えのまちがいに気がついたら、その考えを正しい考えに訂正してノートに書きとめておきましょう。Aさんの場合だったら、「ものごとは一回で覚えられなくってあたりまえ」と。
そしてさらに、訂正した考えから導きだされる新しいものの見方も書き出してみます。「できないからこそ、私は今学んでいるんだ」「学ぶスピードは人それぞれで、それは自分の価値とはなんら関係がない」「遅いといわれても、それはその人の考えだ」「私は自分のぺースで、学ぶことじたいを楽しもう」 ・・・
というように、「一回で覚えられなきゃ学ぶ資格がない」という考えを手放すことで、まったく違う見方ができるようになるのです。「ダメな私」から、「楽しむ私」に変えることができます。
他にも、「何においても一番にならないと価値がない」とか、「ちゃんとやらないとダメ」とか(そもそも “ちゃんと” ってなんなんでしょう??)、「みんなに受けいれられないとダメ」とか、「認められないとダメ」とか、いろいろなルールがあります。
この自分独自のルールは、自分自身が怖れを感じがちな状況を調べてみると、見つけられるかもしれません。
結局、自分が強く信じていることにしか自分は従わず、それを生きているのだとしたら、
自分がちょっとシンドく感じているときには、すかさず自分の考えを点検して、「それが自分に優しいか」「自分を楽しくさせてくれるのか」「自分のなかに元気がわいてくるものなのか」をみきわめなければなりません。
「自分に優しくない」考えは、持っていても自分の首をしめて生きづらくするだけです。それをしっかりとチェックしてみるときっとほんとうのことではなないのに気がつくと思います。
自分がこだわっている考えしか自分にさし出すことができないのであれば、是非とも自分に対して優しく、いたわりのあるこだわりをもちたいものです。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
リンゴとバナナのタルトです♡ どちらも美味♪
こちらは、お友だちとお茶をしたHuitさん@中目黒 です。ビストロなのですが、スウィーツもオススメ。
レトロなインテリアがおちつく雰囲気。そこで、お茶をもう一杯。ジンジャーのきいたチャイを蜂蜜で。身体がぽかぽかになりました。
こちらのお店は、大きな窓から目黒川ぞいの桜並木が見渡せます。今は、ほぼ枯れ木ですが・・・もうすぐ魔法がかかって、目をみはることになります。
もう一ヶ月もしないうちに、花盛りですね。ああ、楽しみだな〜♪
マダムいわく、四月の下旬ごろまでソメイヨシノとボタン桜が楽しめるそう(期間中は、すっと要予約だそうです)。
きょうも、陽ざしがさんさん! コートがいらない暖かさです。
お友だちと「サクラが咲いていないかな〜」と歩いていたら、あら! 咲いていました♡
可愛らしいピンク色にこころが踊ります。
今年は本格的に暖かくなるのも早そうですね。
こちらは、お友だちにいだいた手のひらサイズの小箱。こちらにもサクラ。赤い千代紙が可憐ですね。
ナント、ナント、こんなミニ鏡台に早がわりするのです! かわいい〜〜♡
テーブルにおいて、メークなおしに使えますね〜!
引き出しには淡い色あいのお菓子が入っています。
そういえば、もうすぐお雛さま。春がどんどん近づいてきます。
「るん」のかくれスタッフ Yちゃん、Sちゃんと新年会 @アシエンダ デル シエロ、ご近所のおしゃれメキシカンです。
ふだんはまったくメキシカンをいただきません・・・ なぜだろう?
昔セミナーでたびたび長期滞在していたフロリダで、外食となるときまってメキシカン。でも、その量がハンパなくって、いつも 3/4 ほど残してしまうのです。で、巨大なドギーバッグでお持ち帰りとなり、翌日の朝ゴハンもお昼もメキシカン攻撃にあっていたため、すっかりヘキエキしてしまったのでした(汗)。
さて・・・本日はどうなることやら??
ステキなながめのテーブル。代官山からこんなにまっすぐ東京タワーが見渡せるとは!
店内は天上が高く広々としていて、テーブル席とボックス席があります。季節がいいときは、テラスのソファでゆったりと風にふかれてお食事、なんていうのも気持ちよさそう♡
本日のメニューはこのお店のリピーター Yちゃんまかせで! まずは、ワカモレ。アボカドをチョイスさせてくれて、目のまえで作ってくれます。山盛りのディップに、香ばしいコーンチップスがとまりません!(やだっ!メチャおいしいじゃない?!)
ファフィータも、こんなふうにオニイサンがテーブルにきてパフォーマンスしてくれます。やわらかいお肉とたっぷりのお野菜をイエローとブルーのトルティーヤで包んで、三種類のソースとともに(と〜っても好みのお味♡ おいしすぎて毎日食べられる!)。
私はノンアル サングリア♪(フルーツジュースですね!)モヒートとマルゲリータをひとくちづついただき、それでもうクラクラ・・・。
その後、エビとサーモンのチーズたっぷりナチョス(シーフードとチーズがおいし〜い♡)。リブステーキもいただき(やわらか♡)、まだまだいけそうな雰囲気でしたが残念ながらタイムアップでおひらきに。
さっぱりとした日本人好みのテイストでと〜〜ってもおいしいでした。即、リピートしたいぐらい! 無事、メキシカン攻めの呪いはとけたようで、お野菜たっぷりでトルティーヤがおいしいメキシカンのファンになりました。
こんどは季節がよくなったら、是非テラスで♪
Q: 自己探求のワークをして、被害者になるのをやめようとしています。しかし、だんだん「人のせいにしていたんだ」という罪悪感が出てきてしまいます。
A: 罪悪感が出てきたら ・・・ まずは、喜びましょう!(笑)
それは、自分を解放するためのお宝が見つかったからです。
私たちの思考はかならず、自分に対してある結果(知覚)をもたらします。
思考の結果として、自分が「幸せ・安らぎ」を感じるのか、あるいは「苦しみ」を感じるのか ・・・ 「天国」or「地獄」という二つにひとつです。
つまり、安らぎ100パーで苦しみゼロ。あるいは、安らぎゼロで苦しみ100パー。
この2バージョンしか存在せず、中間のグレーゾーンはありません。「苦しみ」というインクは、一滴たらせばぜんぶ苦しみです!
そうなると、考えというものはちょっとキケンに感じられます。
でも、そのキケンにさらされないようにするためには、意識的に「気づく」ことが大切になってきます。
まずは、自分で自分を「苦しめる」思考の一つひとつに、正直に気づいてゆく段階が必要です(私たちは自分の考えに気づかず、日々、自分を虐待しています)。
今まで思考を無視して、ことなかれ主義をとってきた私たちにとって、自分の考えの間違いに一つづつ気づくということは、気がめいることでもあるかもしれません。
だから、「罪悪感」に出くわすとすぐさまビビってしまい、「ダメな私・・・」というさらなる罪悪感でそれ以上進めなくなってしまいます。
けれども、今はじめてそう感じたのではなく、ずっとそれを抱えながら生きていた、ということなのです。でも、まんまと隠蔽して、ないフリをしてきました(罪悪感はエゴの活力の源ですから、なくなってしまったら困るのですね)。
だから、ついに見つけたら「ラッキー☆」ということになります。間違いに気づかない限り、訂正はききません。
「こんな感覚をもっていたのか〜」と間違いに気づいて、手放すことができます。
間違いは間違いだと認めた時点で、おおかた手放せたようなものです。
だから、必要な第一歩は、「へえ〜・・・私ってこういう場面では、こんなふうに罪悪感を感じるんだ〜」と客観的に気づいて、
あらためて、「じゃあ、なぜそんなふうに感じる必要があるのだろう? 私はいったい自分をどういう存在だと信じているの?」と、さらに一歩探求をおし進めることができます。
たいてい、そこにはエゴが主張している自分像があります(小さくて、無価値でおびえている私というような)。
その答えがほんとうのことなのか? 理にかなっているのか? 高い意識の助けをかりながら冷静にながめてみましょう。
考えはつねに自動的ですが、だからといって正しくはありません(たいてい大間違いです)。
自動的な考え、あたりまえだと思っていることにまんまと騙されていることによって、苦しみが生まれていることに気づく必要があります。
「罪悪感」というイイモノが出てきたら、それこそが自分を無価値な小さなモノに感じさせていたワナだと気づき、逃がさないうちに着ぐるみをはいでしまいましょう。
着ぐるみのなかは ・・・ 誰もいない?!☆
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
やっぱり、この日にチョコをいただくと嬉しいものです♪
キュートなネコちゃんチョコ。
肉球ふたつ入り(笑)。
最近は、チョコ以外も! かわいいハート型のおかきです。
ありがとうございます♡
〒153-0061 東京都目黒区中目黒1丁目3-11-1005 Tel 03-3719-6414
nakameguro Meguro-ku, Tokyo 153-0061
© 2022 office-lun.com All rights reserved.