ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ
いただきものの FRISK です。
かわったデザインの缶に入っているのですが、これポップアーティストの村上隆さんの作品。カラフルな目玉がいっぱいです♪
なかの FRISK も、なんと目玉柄です。
お味はミックスフルーツ。ふんわり甘いので、FRISK 特有の「Sharpen you up !! (シャッキリ!)」という感じはありません。
バッグに入れておくのに可愛いな〜♡
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いただきものの FRISK です。
かわったデザインの缶に入っているのですが、これポップアーティストの村上隆さんの作品。カラフルな目玉がいっぱいです♪
なかの FRISK も、なんと目玉柄です。
お味はミックスフルーツ。ふんわり甘いので、FRISK 特有の「Sharpen you up !! (シャッキリ!)」という感じはありません。
バッグに入れておくのに可愛いな〜♡
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朝いちのデパ地下。
めったに立ち寄らない時間帯です。渋谷にあるマダム御用達のデパートですが、さすがにまだガラガラ・・・
と思ったら、一カ所だけすごい行例。60〜70代のマダムが、ざっと30人以上。
なんだろ〜?・・・お菓子のようです。
並んでいたマダムのひとりに聞いてみました。「これ、買ったことありますか?」って。すると、「これね、おいしいチョコレートなのよ。いつもは売ってないから」って。神戸のチョコなんですと。みなさん、山もりかかえて10袋以上の爆買い。
「お友だちに会うとき、ちょっとさしあげるのに便利でしょ」って。なるほど〜。山の手マダムの女子会はこんな手みやげの交換ではじまるのですね〜。
がぜん興味をそそられて、並んでひとつ買ってみることに。時間があったからね。それに、愛するスウィーツのためなら♡
こんなちっちゃな巾着が、袋にいっぱい。
なかは、葉っぱのかたちのチョコ。わたしが買ったのはおススメされた、ミルクと抹茶バージョン。いろんな味があるらしいです。
ちょっと食べたいときに巾着ひとつ。小さいのに、ひらくとこまごま入っている。ブラック、ミルク、ホワイトというように・・・ これは楽しいかも♪
とってもクリーミーな味わいのチョコでした。(by チョコレートハウス Mon Loire )
わたしたちは、幼い頃の人間関係や体験から『人生とはこういうものだ!』という自分なりの見解をうちたてます。そして、まさにその考えに沿って人生を生きていくようになります。幼い頃に信じたことこそが、人生の青写真。
とくにそのなかで大きな力を持っているのは、兄弟との関係。そこで培われる信念です。兄弟関係をとおして、「親しい人間関係とはどういうものか」「人生とはどうやったら安全にサバイバルできるのか」という生きるための自分なりの智恵をつけていくのです。
しかし残念なことに、こどもの智恵 = サル智恵に近く(汗)、その当時は少しは役にたつのですが、のちのち自分の首をしめることになってしまいます。
兄弟関係には、兄弟葛藤といわれるさまざまな問題が存在します。つまり、上の子には上の子なりの痛みがあり、下の子には下の子なりの傷があります。
じゃあ、ひとりっ子は問題ないのか ・・・ というとそんなことはなく、ひとりっ子にはひとりっ子の問題があります。そして兄弟葛藤はトラウマというよりは、もっと無意識で静かなもの。しかし、何度もその兄弟葛藤に直面し、なんとかサバイバルしようとしているうちに、そこで使った方法が自分が幸せになるための手段に違いないと勘違いしてしまうのです。
たとえば、わたしの場合 ・・・ 兄がいてわたしは下、妹です。
さて、兄弟葛藤からどんな信念をつくりあげ、その信念がその後の人生にどう影響したのでしょうか? (あくまでもわたし目線ですが。)
兄はわたしが生まれてくるまでは、はじめてのこどもで、まるで王子さま、スターでした。しかし、わずか一年で王子さまの座が危うくなります。まるまる太った、ものおじしない、たくましくうるさいやつ(わたし)が突然登場するのです。それは乳飲み子なので、すごく手がかかる。昼だって夜中だって、お母さんのおっぱいとおひざを一人じめ。
兄からみればひとつ違いは心理的にも脅威になります。なによりも、今まで100%注がれていた愛情を奪われたように感じて不安になります。(親からしたら、少しも愛情は減っていないよ!というでしょう。)
そのころ父がとりためていた8ミリ(ビデオ)を見ると、わたしが寝ているベビーベッドのなかに兄が乱暴にオモチャを投げ入れていったり、庭で砂遊びをするわたしの背後に兄が静かにしのびより頭から砂をかけるといった姿が写っていました。これは兄が特別いじわるだったわけではなく、下が生まれたときの上の子の反応はたいていこんなものです。だから、この8ミリを見たとき、家族もわたしも笑っていたものです。
けっして仲が悪かったわけではなく、むしろよかったと思うのです。ふつ〜に仲のよい兄弟でした。しかし、そこにはつねにこどもにとって神、あるいは生きるための源ともいえる両親からの愛情をめぐって、兄弟葛藤というある種の攻防が繰り広げられていたのです。その攻防のなかでわたしたちは、人生とは、人間関係とは、「どうすればサバイバルできるか」「幸せでいられるのか」という、自分なりのある考えをつくりだしていきます。そして、これこそがその後の自分の人生の「方針」ともいえるものになるのです。
たいていは仲よく遊んでいるのですが、でもケンカがはじまると(こどもにケンカはつきもの)、兄の手が出る、足も出る。男の子のケンカはちからづく。たまったものではありません。そこで「たちうちできない」と感じたわたしは、サバイバル方法として何をするようになったのか? はい!それは、最強の手段 ・・・ 大声で泣くこと。そうすれば、すぐにわれらの神(母)がかけつけてきて、救いだしてくれるのです!
さきほど、「こどもの頃の信念にそって、その後の人生を生きる」と書きましたが・・・じゃあ、これがどのようにわたしの後々の行動に影響したのか?
兄とのケンカの体験からわたしが信じたのは、「仲のいい相手(兄)でさえ、ときには容赦なく攻撃してくるから、それに対してわたしができるのは泣くことによって助けがやってくるのを待つこと。そうすれば窮地を脱する」ということ。
つまり、「自分の愛する人は自分を攻撃してくるものだ。それは避けられない。それに対してわたしが唯一できることは、かわいそうな犠牲者になりすまし、助けをえることである」。
冷静に考えたらあまりよいアイデアとは思えないのですが、当時のサル智恵ではベストなサバイバル方法だったわけです。
この信念によって、人生において安全に幸せになるには ・・・ 助けてもらうことが必須である → それをえるためには犠牲者になる必要がある → 犠牲者には攻撃が必要である ・・・ というわけで、幸せになりたいわたしは大切な人間関係のなかで無意識に攻撃されるためのいさかいをわざとつくりだして、かわいそうな自分という役をになっていたのです。
「ゲゲ〜!こんな幸せのなり方なんてイヤだ!」と思いますが、じつはみんなもれなく、そんな不毛な役にたたないパターンで幸せをめざしています。やり方はさまざまですが、意識化されていないだけです。
こんなことを自分が信じていたことに気がついたとき、自分の愛する人とのあいだで繰りかえしているパターン化している争いやら、なかなか解決しない問題の理由がわかったのです。幸せのために、攻撃こそ大切!と思っていたのですから。
わたしが自分はかわいそうな犠牲者であるいう役まわりを手放さず、助けをえるために犠牲者でいたがっていたという。まさに、自分に痛みを与えることこそ、自分が幸せになる道だと思っていたのですね・・・(大汗)。
誰のこころにも、探求してみるともれなくこんな不毛な、幸せとは逆方向に向かう信念を握りしめていて、それこそが自分に幸せをもたらすと信じています。努力しながら逆方向に向かっているのです。
信念というのは、意識化されることでようやく手放すことができます。自分の手のひらのうえにのせて「え〜!わたしはこんな悲惨なことを信じていたのね。まさか、首をしめながら幸せになろうとしていたなんて」と気がついて笑いとばすことができたとき、それを終わりにすることができます。わたしも、もちろん手放しました。
そうしたら、あきらかにムダな戦いがなくなりました(戦いがなくなってみて、はじめて戦っていたことに気づくことも・・・)。そして、幸せになるためにわざわざつらいめにあって犠牲者になろうとする気持ちがなくなり、生活がシンプルに自然に、安らかで平和になってきたと感じます。
なぜかいまひとつ人生がすっきりしないとき、もっと幸せ感を感じたいとき、是非、兄弟関係のなかで、あるいは兄弟がいないことで、幼い頃にどうしたら自分が傷つかずに安全にサバイバルできると考えてきたか? そのために何をしてきたか? を探求してみてください。そこからきっと、今の人生のパターンや、繰りかえし起こる問題などとの間のつながりを発見することができると思います。
それがどんなパターンか? ・・・気づいちゃったら、もうそれは終わりです!パチパチ♪
ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ
すっかり秋が深まってきましたね〜。大好きな季節です。
さて、こちらは先日いただいたピザ。
かなり地味なビジュアルですが・・・、
Sちゃん、口にするなり聞いたことのない音を発した(奇声? )。(^。^;
「ええっっ? そんなリアクションになっちゃう味なの?」・・・ といぶかりつつ、わたしもひと口いただいたら ・・・ ほぼ同じ反応でした(汗)。
これは、トリュフのピザ。
すご〜く香りがいいのです。口にするたびにうなってました。おいしさって、香りなのですね〜。
食事中に匂いをかぎながらいただくってあんまりないことですが、二人でおもいっきりクンクンしながらいただきましたよ〜。トリュフ狩りのオーディション(そんなのあり?)に、ブタちゃんに負けることなく参戦できそうな勢いでした・笑。
ここはチーズのお店なので、ピザにのってるチーズもおいしい!
お店の売りでもあるモッツァレラチーズは、さっぱりしていていくらでもいただけそうでした。
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もう20年以上前になるのですね。あの「ジュラシック・パーク」が公開されてから。
「観に行こう!」と誘われたとき、えらく抵抗しました。・・・だって、恐竜なんて映画で観てもおもしろくなさそうだったから。ゴジラのほうがよっぽどスター性がありそうな。
ところがどっこい!(笑)
予想外にコワかった! すごくコワかった! ドキドキしっぱなしだった〜。 恐竜ごときがあんなに俊敏で(高速!)、あんなに獰猛で、あんなに残酷だなんて・・・ショックを受けましたよ。エイリアン級じゃありませんか?!
あれからずいぶん経ちましたが、さて「ジュラシック・ワールド」とはどのように進化したのでしょうか?
観て思ったのは ・・・これ、ホラー?!
どこから、いつ、どんなふうに、獰猛で容赦のない恐竜が飛びだしてくるのか、いつ食われちゃうのか ・・・なんだか筋書きもへったくれもありません。とにかく、逃げる、逃げる、サバイバル オンリー。さもなければ捕食される。
恐竜は巨大化してて、ハイブリッドで知的、さらに残酷に進化しておりましたよ(汗)。
3D なので椅子は動かないはずなのですが、なぜかグラっとくる。まるで4D ばりではありませんか。なぜか? ・・・それは椅子が横並びなので、みんながいっせいにのけぞると椅子がいっきに傾くせい。(六本木ヒルズさん、しっかりしてくださ〜い!けど、4D 終わってしまって残念だったのでよかった? )
あまりにもつぎつぎ捕食場面(もちろん人間がエサ)を見すぎたせいで、映画のあとのお夕食は肉料理でなくてよかったわ〜、ホッ!(しかし、パスタに入っていたチキンのピースがどうも気になって、いまひとつパスタはすすまず・・・。)
そして、ゴハンを食べながら大ツッコミ大会。
おもしろいもので、映画のなかで違和感を感じていた場面がほぼ一致。
たとえば、命からがらに恐竜からのがれて、まだ完全に逃げきっていないのに、なぜあそこであんなに陽気に笑いあえるのか? そんな場合じゃないでしょ? さっさと逃げようよ! とか。ほとんど捕食されそうなギリギリで逃げているのに、ハイヒールであのアスリートなみのみごとな走りはどうしたことか? 恐竜がそこに迫っていたら、もっとボロボロの腰砕けになるでしょうに・・・。
だって、これですよ、これ! →
こんな形相の巨大な恐竜が背後まで猛スピードで迫っているのですよ〜!(汗)ただごとではありません。
というように、恐竜のCGに力をいれすぎた(?)ために、人の感情表現やら反応はちょっとアレレという感じでリアルさに欠けていたようなところも。
そしてエンディングで、ジュラシックワールドにはまだ大ものの恐竜が元気に生き残っているのですよね。ということは、次回はN.Y. にでも上陸しちゃってくれるのでしょうか?? どんなにパワーアップするのだろうと次回作を楽しみにしています。
まったく同じ体験をしていても、その経験のインパクトは人によって人生の明暗をわけるほど違っていたりします。ある人にとっては、記憶に残らないほどささいなことであっても、別の人にとっては一生消えないようなトラウマ的な出来事になってしまったり。
それは前回のブログでも書いたように、出来事じたいが問題なのではなく、体験した人がそれにどんな色づけ(意味づけ)をするのか・・・によるものでした。
私たちはそのときどきで自分で色づけ(意味づけ)を決めていると思っていますが、実はこれは自動的に行われます。
脳科学でも言われているように、私たちの知覚は自分の信じていることによって歪められているからです。正しくものごとを見ているどころか、じつは自分が信じていることにあったドラマをでっちあげています。自分の知覚に騙されているのですね。だから、もし自分は悲惨であると信じていれば、悲惨さばかりが目につく・・・というように、自分の無意識の思いで見るものは決定されています。
そんなわけで、自分のくだす判断に従うということは、じつは同じところをぐるぐる回るはめになります。新しい人生が展開をしているように見えながらいつも同じ信念に従っているので、基本的にはどの道も「いつかきた道」、知ってる道。何をしても「あれれ?また同じ結末になった!いつも同じだわ(汗)」ということになります。
「も〜、いつもなんでこうなるの?」「結局、いつも同じ結果になっちゃうよね!」「うまくいっていると思ったのに、やっぱりダメだ!」というとき、通いなれている道をグルグルしている証拠なのです。
なんせ同じプログラミングだからね。・・・まさに、私たちは自分のなかの同じプログラミングに従って、いっけん違うように見える同じ道を歩きます。
違う道を行くには、やり方を変えないといけません。 ・・・ それは、同じ道しか選べない「自分の判断に頼らない」こと。
「自分の判断」以外に頼るべき存在がいるのです! いつも自分とともに。
それは、いつも自分で判断することによっておおい隠されてしまっています。だから自分の判断の後ろには、もっと大きな存在、高い知性が存在しています。そこからは自分にとってのすべてにおいてのベストな回答が得られるのです。
その秘密の存在ともいえる大きな存在、高い知性に接続するには、そもそもその存在を知って、信頼して、それに対してこころを開いていなければなりません。
そして問いをインプットすることによって答えが得られるコンピューターのように、自分からつながって問いかけなければなりません。
その高い知性は、まったく違う目線で私たちがベストな幸せへたどりつく方法をしっかりと見通してくれています。だから、同じ出来事が起きていても、まったく違う体験にする色づけ(意味づけ)する方法を教えてくれるのです。それによって、まったく違ったストーリーを紡ぎ出されることになり。「最悪」に違いないと思えたことでも、じつは「人生最大の贈り物」に変わっちゃったりするのです。
高い知性は、問いかければ今までとは違う新しい世界の見方を教えてくれます。
これは実際体験してみてわかるのですが、じつはその出来事には数えきれないほどの別バージョンの現実がすでに存在しているのだな〜とわかります。なぜなら、高い知性からの回答によって出来事の流れがまったく変わってしまうことが多々あるからです。それって、無限に創造されてるパラレルワールドのひとつを選ぶように!
あ、パラレルワールドと聞いて、笑ってはいけません。SFでもなんでもありません。物理学者ミチオ・カク氏の本のなかにもパラレルワールドが紹介されているのですが、想像できる以上の別バージョンの現実が存在していて、ひとつひとつは密接にくっついるそうな。そして簡単に移動できるとか。だから思考を変えることで、あっというまに別の展開にワープすることも可能なのでしょう。
自分の高い知性につながるって判断をゆだねるのは、他のストーリーがあるのを知っている高い存在に、自分にとってベストなストーリーを選んでもらうこと。完璧な幸せを願っているわたしたちの高い知性はそのお願いを聞いて、すでに存在している無数のパラレルワールドから今いちばんベストな筋書きを私たちのために選んで、そこに接続してくれるのです。
つまり、自分でものごとを勝手に解釈しない。(自分で判断すれば、いつもワンパターンになる。)高い知性は、「自分でやらないで、すべてゆだねて渡しなさい。私が正しい道を指示します」と言ってくれています。誰よりも完璧な幸せを願ってくれる高い知性に、もっともっと甘えてよいのですね〜。
高い知性へゆだねるには・・・
なにかものごとが起きていて自動的に反応してしまったとき、
それに気づいて、いったん立ち止まる・・・
そして「わたしは今、目のまえの出来事を〜〜だと判断していいます。でも、これはいつものパターンにつながる道です。私は自分にとってのベストな判断がわかってはいません」
「私の高い知性、わたしのためにこの出来事を判断して、それをわたしに教えてください。あなたに決定のすべてをゆだねます」
そして、なるべくこころをからっぽにして答えを待ちます。
答えは「声」が聞こえる、というよりも、自分の感情や直感で納得するという場合が多いです。あとは、親しい人の言葉からくる場合もあるし、読んでいる本が教えてくれる場合もあります。いずれにしろ、こころを開いているときっとキャッチすることができます。
というように、自分でやろうとすることを手放して、自分のスーパーコンピューターである高い知性を意識しながら、そこに判断をゆだねます。
大切なのは、「自分ではやりません。お願いします」という GO サインです。
さて、GO サインを出したら、あとは高い知性が無限のバージョンのなかからどんな新しい筋書きの幸せのドラマを提供してくれるのか ・・・楽しみに答えを待ちましょう♪
ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ
気持ちのいいお休みですね〜♪
曼珠沙華を目にすると、いよいよ秋本番という感じです。
そして、秋には読書も!
本棚の整理をしていたら、買うつもりだった本が三冊も出てきてラッキー☆ なんだかプレゼントしてもらったようないい気分。(喜んでるけど・・・すでに読んだの覚えてないとは、ど〜ゆ〜ことでしょ? 付箋までたくさんついてるのに・・・汗)
さっそく、その本を抱えてカフェで読書タイム。
お店の方オススメ、季節の栗のタルト、キャラメルマロン。大当たり!
わたしの秋は、花より、読書より ・・・ やっぱり迷わず、団子だわ〜♡♡
先日、レンタルDVD屋さんでのこと。
パッケージの違う二本のDVDが目に入りました。どちらも同じストーリーのよう。違うのは、一方は女性の目線から、もう一方は相手の男性の目線からその恋愛をとらえたもの。二本立てにしたということは、視点が変われば同じなりゆきも違ったドラマになる・・・ということ。(DVD「ラブストーリーズ コナーの涙 / エリナーの愛情」)
そういえばむかし、「冷静と情熱のあいだ」という同じような小説(映画)がありました。辻仁成さんと江國香織さんという二人の作家が同じ筋書きの恋愛ドラマを男女それぞれの目線から書いていましたっけ。ひとつの恋愛も二人の目線から見ると、二つのまったく違うドラマが存在しているのです。
まさに、「人生で起ることはニュートラル」。なんの意味もない。「意味は体験する人が与えるもの」。与えた意味のとおりのドラマになる、ということです。
まっさらな出来事に、見る人が色あいをつける。・・・ということは、わたしたちは日々自分の人生に色をぬっていて、それが人生の明暗をわけていることになります。
決して最初から色のついたもの(意味があるもの)をさし出されて、それに対して一定の反応を求められているのではないということです。
まっさらな下絵に対して、わたしがどんな色づけ(意味づけや選択)をするかでホラーにもコメディにもなっちゃう。暗い色合いを選べば、それは当然鬱々とした絵になるけど、同じ下絵でもきゃりーぱみゅぱみゅ的なカラフル&ポップな色柄をつけたら、「まあ♡ とってもラブリー!ステキだわ」ということになるのです。
だから「ヒドイ体験に見まわれた!」というときは、無意識のうちに自分なりの色つけが完了していて、それに対してあらためて自分が反応していることになります。
どうやらわたしたしはほっておくと、自動的にものごとに対してダークな色つけ(意味づけや選択)をしてしまうようです。たしかに、何かを見ればすぐに「あ〜だ、こ〜だ」という価値判断がはじまり、そのものごとが自分にとって役に立つのか立たないのかが唯一の判断の基準となります。
つまり、自分の自己保存とサバイバルにとってプラスになるかどうかで、ものごとをばっさばっさと切り捨てているのです。(サヨナラする彼氏彼女、妻、夫は、自己保存においてもはや役に立たなくなったので、じゃあレプレイスしましょ!ということです。・・・あじゃ〜・汗)
自分を守るためにする解釈は当然、怖れのこころに基づいています。そして、怖れが動機となっていれば、行きつくところはやはり怖れの結末。 ・・・だから気がついてみたら、結局は失敗、悲しみ、痛み、苦しみ、怖れ、罪悪感、無価値観、怒り、後悔などなど・・・ 残念な結果にたどりつきます。
成功に見えた転職も、仕事がきつくて地獄の職場に ・・・。ついに運命の人だ!と思った出会いも、メッキがはがれて史上最悪、バトルの絶えない間柄に ・・・。マイホームさえ手にすれば完璧と思っていたのに、天災にみまわれた ・・・というように。
けれども、わたしたちにはもっと別なハッピーな人生の色づけ、ストーリー展開につながる選択もすることができるのです。
それはあまり使ってなかったので、すっかり忘れられている選択の仕方なのですが。さて、それは・・・。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー )
ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ
人形劇か紙芝居か?! そんなセッティングのなかにはいっちゃったわたしたち。(^^;;
テーマパークではありません。 ・・・これはお食事中のひとこま。
ここは不思議の国のアリス御用達(らしい)、フレンチのクイーン・アリスさん。内装もお料理も、どこかメルヘンチックなのです。
クリーン・アリス好きの友人のバースデー祝いにきました。
フレンチといえどもどことなく和のテイストがあって最後までさっぱりといただけるお料理は、彩りも盛りつけも美しかった〜。
以前もバースデー祝いでクイーンアリスにきたけど、それは日吉のお店。こちらは横浜にある本家といえます。
お料理の名前も「アリスの○○」という名前がついていたり、撮ってくださったお写真にもアリスがついています。
○ちゃん、この一年も不思議の国で楽しい日々を♪
ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ
あしげく通う輸入食材屋さん。その日によって品揃えが変わっているので楽しいのです。
本日の収穫は・・・黒トリュフポテチ。
トリュフ好きとしてはとっても惹かれたけど、たまにトリュフエッセンスでトリュフ風の味だったりするとガッカリなのです。
でも、ながめているうちにどんどん売れていくので、勢いで買ってしまいました。
さて・・・お味は?!
一口め ・・・まぎれもなく、トリュフだ〜♡
しかし、二枚め、三枚めになると ・・・ふつ〜のポテチとなんら変わらない。完全に鼻が慣れちゃう??
なので、一枚食べては、しばし休憩。そして、また一枚。
でも、結局、あっというまに完食。(小さめの袋でよかった!これキケンだわ。)
あと味、たしかにトリュフです♡
トリュフ同好会(そんなのいつつくったの?)のメンバー、○ちゃんにもおすそわけしよう♪
〒153-0061 東京都目黒区中目黒1丁目3-11-1005 Tel 03-3719-6414
nakameguro Meguro-ku, Tokyo 153-0061
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