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お茶の間シネマトーク「世界で一番美しい少年」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

「ベニスに死す」のビョルン・アンドレセンをはじめて見たとき、「わあ!ベルバラのオスカルに似ているわ♡」と思いました。

とくに、軍服風のコスチュームに身をつつみスッと視線を送る表情など、「ベルバラ実写版は彼で決まり!」と思ったものです。

・・・が、じつは逆でした。オスカルこそビョルン・アンドレセンがモデルだったのですね!

「ミッドサマー」のトレイラーで彼の姿を数十年ぶりに目にして(そう、あの少年の姿以来50年ぶりですと!)、予想外の仙人チックな風貌にびっくり。

この仙人さんの役柄は、まるであの最高峰の美少年といういまわしい(?)過去を一撃で破壊してしまうような役柄でした(ああ、ビックリ☆視聴にはくれぐれもご注意を!)。

「世界で一番美しい少年」というこの作品は、当時の彼のオーディション映像からはじまって(いきなり服を脱げと指示され、とまどう姿が痛々しいです)、彼の生い立ち、そして現在の生活や心境を撮影したビョルン・アンドレセンのドキュメンタリーです。(→予告を見る

世界中で「彫刻のような少年」を探し求めていたヴィスコンティに見出され、「世界で一番美しい」と彼に認められた少年はさぞ幸せな人生を歩んできたのか・・・と思いきや、15歳にして大人の社会のあれこれに翻弄されたあげzくに、鬱やアルコール依存に悩まされてきた日々でした。

「ベニスに死す」撮影当時は、まだ初々しい風貌の15才。翌年のカンヌ映画祭で世界にお披露目されたときにはすでに「彼は完璧だったが、今はふけてしまった」というヴィスコンティの衝撃おはらい箱発言。(ヴィスコンティ、なにをのたまう?!汗)

撮影中はヴィスコンティに守られていたものの、その後は美しいがゆえに同性愛者のマスコットにされ、そこから救い出し守ってくれる家族もいずに苦労も多かったようです。

現在、仙人のような風貌で(といっても、十分にダンディですが)、かなり不器用に暮らす様子が写し出されています。

彼がプールで泳ぐ姿は手足がまるで棒っきれのように頼りなげで、あの浜辺のタジオ少年よりももっと幼く感じてしまいました。

彼の目を見ていると、白髪のはずなのにあのときの少年の顔にしか見えなくなってしまいました。

年のはなれた恋人が何から何まで面倒をみる様子が、お母さんと小さな男の子のようでした。

PS ビョルン・アンドレセンが日本をふたたび訪れる場面。
満開の八重桜をバックに写っているのですが、すぐご近所の目黒川の風景でした。なんか嬉しいわ♪

 

 

涼やかな癒しのひと皿

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

氷のようなガラスのプレートにもりつけられたゼリー寄せ。

新鮮なお魚や海老とともにオクラやベビーコーンがお星さまのようにちりばめられていて、色鮮やかなズッキーニで形が整えられています。

なんという繊細なお仕事☆

この日いただいたお料理はどれも「わっ♡」と歓声をあげてしまうような美しさでしたが、いちばん印象に残った目も舌も癒される涼やかなひと皿でした。

ひさしぶりに訪れた箱根。大きな窓から見渡せる深い緑も、もうひとつのご馳走ですね。

お友だちとゆったりとすごすとてもゼイタクなひととき。終始、目がハートになるようなお姫さま気分の一日でした♡感謝♡

 

 

気づきの日記「怖れや不安の本当の原因 〜クレー射撃の名手になる〜」

 

こころが怖れや不安を感じているとき・・・その原因とはいったい何なのでしょうか?

「もちろん、今起きている状況、あるいはこれから起きるかもしれない状況です!」と言われるかもしれません。

仕事がうまくいかない、人間関係で問題が起きている、体調が思わしくない、先行きに不安を感じる・・・というように。

私たちはこのような状況に対して、環境を変えたり、能力向上をはかったり、相手をどうにかしようとしたり、健康対策をとったり・・・改善をはかる努力をします。

そうすることに問題はないのですが、これらが怖れや不安の原因であり、解決策もここにあると信じてしまうと、結局同じ問題をくりかえすことになってしまいます。ほんとうの原因が放置されたままだからです。

そもそも、怖れや不安を感じているのは「自分」なので、たとえものごとや人が変わろうとも、怖れや不安は新たな状況のなかでも簡単に姿を現すことになります。処理しないかぎり、いつまでもどこまでもつきまとってくるのです。

 

怖れや不安はもともと自分のこころにあるもので、ものごとと結びつくことでそれが原因のように感じられてしまうのです。

では、なぜ自分はこんなに怖がりで、不安を感じてしまうのでしょう?

それは、自分で自分を脅すのをやめられないからなのです。

そもそも、その状況そのものが怖いのではなく、自分の「その状況に対するでっちあげ」こそが怖いのです。

私たちはいつもこころのなかで、自分自身を脅すのをやめることができません。

 

 

一日のうちにアタマに浮かんでくる思考の数は、数万個という膨大なものです。そのほとんどが日々、同じセリフのくりかえしです。さらに、思考の80%は、自分を幸せにしない否定的な内容となっているのです。

ということは、年がら年中飽くことなく、自分の考えで自分を攻撃していることになります。それなら、怖れや不安を感じてあたりまえです。

「最近太ってしまった醜い私」

「過食や飲み過ぎをやめられない意志の弱い私」

「友人との会話でバカみたいな発言をしている私」・・・ダメな私、みっともない私、価値のない私。

一日のうち、アタマに現れる意識的、無意識的な思考をチェックしてみると、他の人に対しては決して口にしないような辛辣なセリフであふれています。

このような否定的な思考のオンパレードは、何ら検閲もされず、無条件に丸ごと信じられてしまっているのです。

だからこそ、そこからネガティブな妄想が発展し、怖れや不安がふくらんでいってしまうのです。

 

 

はっきりしておかなければならないことは、「思考はただ浮かんでくるものであって、自分自身ではない」ということです。

自分が考えているように感じていますが、そもそも「考えを止めることができない」ことを考えると、自分でもコントロールがきかない思考は勝手に湧いてくるものにすぎません。

たった3分後にさえ、どのような考えが浮かぶのかさえも予測することができません。また、内容のほとんどが否定的となれば、それは事実ではないし、簡単に受け入れるべきものではないのです。

このような得体の知れないものはそのまま放っておくことで、タバコの煙のようにふわふわと消え去ってゆきます。大切なのは、「かかわらない」、「うのみにしない」ことです。

わざわざその煙にまかれる必要はありません。煙にまかれれば、具合が悪くなってしまうのです。

 

 

自分ではない思考に影響されてしまわないように、浮かんでくる思考に気づいて、モニタリングしてみましょう。モニタリングとは、離れて眺めることです。

眺めているとき、そこに距離が生まれ、巻き込まれてしまうことを防ぐことができます。

放っておけば、それはただ消え去ってゆくのです。

このように自分のなかに現れてくる思考を客観的に気づくことで、クレー射撃をしているように自分にとって有害な思考を退治することができます。

気づきというビームを照射するだけで、それらの思考を見抜き、撃破することができるのです。

 

 

まずは、自分だと信じていた思考から距離をとりましょう。

いままで、無条件に受け入れてきた否定的で有害な思考に気づき、眺めてみることです。

それらに対して、「いったい何を言っていることやら・・・私は信じません」と、ひとごとのように観察してみましょう。

思考の支配から逃れることこそが、怖れや不安から解放されることであり、自然と安らぎを感じることができるようになります。

そして、怖れや不安が邪魔しないからこそ、ものごとに対する解決策が直感的にやってくるのです。

すべては安らぎのなかで手放しておくことで、正しい方向へと導かれてゆきます。

怖れや不安を手放すために、思考に気づき、静かにながめる習慣をもってみましょう。

 

 

おそとディナー♪

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ひさしぶりのおそとイタリアンです。

まずは、前菜のもりあわせ〜♪

ナポリの街角のようなお店で、カポナータやら生ハム、サラミ、トマト、ポテトサラダが楕円形の大きなお皿にワイルドに盛られてどっさりやってきました。

そして、お次はピザ・・・

またピザ・・・

さらにピザ・・・

全部同じに見えますが(汗)・・・

王道のマルゲリータに、お次はカビっぽいゴルゴンゾーラと辛いサラミのトッピング、さらにお次はキノコとオリーブとソーセージ・・・

これだけ食べたらドルチェとカフェでしめたいところですが、そのようなものはございません。

メニューを見れば、前菜一種類とあとはひたすら二十数種のピザのみです。(ワインリストはけっこう充実!)

なので、ピザ食べまくりです!(汗)

こちらは世界ピッツア選手権で二連覇した山本さんのピッツエリア da ISAさん@中目黒。

ビルの一階にあるのですが、まるでナポリの街角のほったて小屋(?)のような気分が味わえるお店です。もちろんピザは、イタリアの職人さんが作ったお釜で山本さんが一枚一枚焼き上げるイタリアのお味♡

壁はあるようでないようなお店なので(今の季節はほぼ全開)、コロナのご時勢、安心して時間をすごすことができます。

小麦粉を欲しているときには、是非味わってみてくださいませ♪ おいしいですよ〜♡

 

 

 

気づきの日記「こころのおしゃべりをスルーする」

 

こころはつねにおしゃべりで満ちています。

そこで、こころのおしゃべりをスルーして、こころを静かにする習慣をもってみましょう。

なぜなら、こころの声は火のないところに煙をたたせる天才だからです。

こころの声に耳を傾けつづけていると、なんでもないことがみんな問題となってしまうのです。

たった今、問題に感じていること・・・ それは、こころの声が「それは問題だ」「そんなんじゃダメだ」と言ったのではないでしょうか?

こころの声は、なんの問題もないところに平気で問題をでっちあげ、さもほんとうのことのように見せかけるのです。

問題に直面しているとき、よくよく調べてみると、

結局は自分のこころの声が「そりゃ、まずいんとちゃいますか?」「ダメっしょ、ぜったい」「いったいどうすんの?」「はずかしいなぁ〜」と、目のまえで起きていることにダメだしをくり広げているのです。

ほんとうはそれでOKであるにもかかわらず・・・。

私たちは自分のこころの声を無条件に信頼してしまっているので、もちろんそれが間違ったダメだしだとは気づかずに、すぐさま「まあ、どうしましょ?」「たいへん!」「なにか手をうたなくちゃ」「ほんとうに私ってダメだわ・・・」とアセりまくり、自信を失い、そして問題として認識されアタフタと解決に走るのです。

こころの声は終始、ダメだしにあけくれています。それしかやることがないからです。

でも、それを真にうけるかどうかは、自分自身の自由でもあるのです。

そもそも、こころの声はほんとうの自分の声ではありません。ニセものなのです!ほんものの自分には声がありません。

こころの声は混乱しか招かないと覚えておきましょう。まったくもって、ほんとうのことは語らないからです。

むしろ、こころの声をいさぎよく無視して静まったときにこそ、はじめて高い自己であるハイヤーセルフからの導きがあらわれることができます。

でも、ハイヤーセルフの導きはエゴのように声をもっていないことのほうが多いのです。言葉としてではなく、ただ直感として確信するのです。

もちろん声として受けとることもありますが、決して怖がらせたり否定的な表現をすることはありません。

ハイヤーセルフからの声なき導きを受けるためには、こころの波だちであるおしゃべりを鎮めてシンとしている必要があります。

ハイヤーセルフに導かれるために、まずはうるさいエゴの声をスルーする習慣をつけましょう。

アタマのなかのおしゃべりに気づくようにして、それに気づいたら「おお〜、ウソつきさんがしゃべってるわ」と静観することで勝手におさまってきます。

そしてこころに静けさのスペースができたとき、ハイヤーセルフに委ねる気持ちをもって、ただリラックスして自然体でいましょう。

自分で頑張らずに明け渡して導かれる感覚をもつことで、自然とものごとがスムーズに流れるようになります。そして、より平和な世界を目にすることができるようになってくのです。

 

 

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紫陽花の季節ですね♡

 

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あちこちで紫陽花を目にするようになりました。あっというまに今年も梅雨の季節。

紫陽花の種類も、今までよりもずいぶんふえてきました。 

この頃の紫陽花が、いちばん生き生きとしていて綺麗です。

他にも夏を感じさせるお花が一気にひらいていました。

お花をながめながらお散歩していると、しぜんとたくさん歩いてしまいます。

 

 

 

蒼いチョコ

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少しまえ、ルビーチョコレートという鮮やかなピンク色のチョコレートが流行りましたね。

ストロベリー味を連想して口にすると、しっかりとしたチョコレート味が広がり不思議でした。

「青いのもあるのですよ♪」と頂戴したのが、こちらのチョコレート。

ホントだ、とってもきれいなブルー! お店もBLUE CACAOさんといいます。

さて、お味は・・・というと、

ブルーチョコレートじたいはとてもマイルドな味わいで、チョコを引き立てるラズベリーのフィリングとよくマッチしていました。

他にも抹茶やシトロンなどのチョコレートがあり、どれも口どけのよい上質なチョコレート♡

やっぱりチョコレートは濃いめのコーヒーで! 大好きなキンボにぴったり。ごちそうさまでした♪

 

 

 

気づきの日記「頑張って解決しようとしない 〜注意のコンセントを抜きましょう〜」

 

私たちの目にするすべて、体験するすべては、私たちのこころが紡ぎ出している映像の世界です。

 

私たちは自分のこころの中から投影された世界を生きているのです。

 

しかし、自分が生み出しているものを目にしているわりには、気に入らないものばかりだ・・・と感じてしまうかもしれません。

 

それは、こころのなかの癒されていない怖れや罪悪感を、外へと映し出してしまうからなのです。

 

さらに、その映し出されたものに対して自らが抵抗して闘ってしまうとき、私たちはそれらをさらにリアルでパワフルなものにしてしまいます。自分で自分を脅かすということが起こってしまうのです。

 

抵抗するということはまさに、抵抗している対象にエネルギーを注入することになるので、それは自分にとってまぎれもなく現実と感じられ、支配力があるように思われるのです。

 

その不快さから逃れるため、それらを変えようと頑張るとき、その好ましくない状況にさらに力を与えることになってしまいます。すると、その状況からなかなか脱することができなくなってしまうのです。

 

好ましくない状況に消え去って欲しいのであれば、取るべき行動はただひとつだけです。

 

それは、目のまえで扉をバタンと閉めてしまうこと。それとかかわらないこと。無視してしまうことなのです。

 

無視することで、それらをリアルにしていた抵抗のエネルギーが断ち切られ、エネルギーを失ったものは目のまえから消えてゆくことになります。

 

私たちはついつい、気に入らないものに対して闘ってどうにかするという姿勢をとりがちです。コントロールこそが解決策だと信じているからです。

 

ほんとうの解決策は、それを存在させている注意というエネルギーのコンセントをただ抜いてしまうことなのです。

 

気に入らないものに対して、ドアをぴしゃりと閉めてかかわらないこと、反応しないこと、注意を向けないことが大切です。

 

 

赤ちゃんがなかなか泣きやまないとき、くるくる回る玩具やヘンな音が出るもので気をひくと、赤ちゃんの注意は即座にそれらにクギづけになり、ピタリと泣きやむということが起こります。

 

注意は、中途半端に分散しておくことができないのです。向けられる先は、ひとつだけなのです。

 

大人でも、体に痛みを感じているとき、思わず引きこまれるような映画を観たり、美味しいものを口にしたりすると、痛みのことはすっかり忘れてしまったりします。

 

自分が望まないものは、抵抗や闘いによってどうにかしようとするのではなく、ただこのような注意の転換を使うことがポイントになります。

 

望まないことに対する注意を遮断すべく、ただ注意のコンセントを抜いて無反応状態を作り出しましょう。すると、それらはしだいに消えてゆくことができるのです。

 

 

ふだんの生活のなかでも、目のまえにあらわれるものごとに対して次から次へと反応するのではなく、少し身を引いて画面全体をふんわりとながめることが大切です。

 

世界や出来事に対していちいち意見をしたりジャッジしたりしないで、無反応を作り出します。

 

それは、穏やかで安らかな無関心の状態です。ひとつを掴むことなく、全体をふんわりと見ているだけです。

 

自分というエゴが世界に反応して、抵抗したり、コントロールしようとしなければ、人生にはある流れが存在していることに気がつくかもしれません。

 

それは、もともとそこにある法則であり、宇宙の秩序そのものです。

 

その法則は、自分ひとりで頑張る必要はなく、すべてのことにおいて面倒を見てくれる愛そのものなのです。

 

どんなふうに面倒を見てもらえるかは、それを体験してみないことにはわかりません。必ずやその答えやそのなりゆきに、ちょっとびっくりしながらも、満足することになるでしょう。

 

私たちが何かに反応して、それを掴んだり取っ組み合ったりしなければ、その愛の法則が現れて、解決に向かって穏やかにリードしてくれます。

 

私たちがするべきことは、ただ安心してリラックスしてながら画面の後ろに下がり、「いったいこれはどのように解決されるのだろう?」と面白がりながら、静かに見守っていることです。

 

毎回示されるその結果そのものが、ゆるぎない流れへの信頼を培ってくれることでしょう。

 

 

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ひさしぶりにナマのお歌

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声楽家 瀬尾美智子ちゃんのコンサート「あなたの歌 わたしの歌」におよばれしてきました。

(瀬尾美智子ちゃんとピアノの名取典子さん)

今の時代、さまざまなメディアを通じておうちでコンサートを楽しめる時代ですが、そうはいってもやっぱり、ナマの演奏にかわるものはありません。

そう思うと、演奏というものは音だけではなく、そこでやりとりされるエネルギーや存在感、空気感というものも演奏の大きな一部なのだな〜と感じます。

山田耕筰さんなどのやさしい日本のうたにはじまって、昭和の懐かしいうた、そしてオペラ「ファウスト」のアリアなど・・・さまざまな演奏が楽しめるまるでフルコースのようなプログラムでした。

思えばもう二十数年も美智子ちゃんのおうたを聴かせていただいています。いつのときも、そのときどきの気持ちにそっとよりそって、優しく背中をおしてくれるプログラムであり歌声なのです。

いつもすてきなコンサートをありがとう♡♡♡

 

 

お散歩道で

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今年は四月から雨模様がつづいていましたが、昨日はようやくThe 五月!というすがすがしい風を感じることができました。

いつものお散歩道も、傘をさしていないといろいろなお花に気づきます。

どの子も健気でとっても可愛いです♡

マスクですっかり外気が遮断された生活だったので、マスクをはずしてみると風が薫るってこういうことなのね!と緑やお花や土の香りで満ちているのに気づきます。

風にふかれて、こころがふっくら幸せになるお散歩でした。