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るん・る・るん♪

雨のお出かけ、楽しいな♪

夏のささやかなイベント

いつもこの時期にやってくるニューヨーク グリル。パークハイアット東京の53階にあります。

ここに上がってくるまでのインテリアも、とってもシックでお気に入り。そして、N. Y. グリルのお料理もサッパリしていて大好きです。

前菜とデザートはブッフェスタイル。ホテルのブッフェって揚げ物とかパスタとかグラタンとか、ありきたりのメニューだったりしますが、こちらは野菜たっぷりのイタリア風アンティパスト。パリパリ、ふわふわ、あつあつの黒オリーブのパンもついつい手がのびてしまいます。でも、食べ過ぎると大変・・・。

メインがドド〜ンとやってきます。けっこうなボリューム。わたしはコリアンダーたっぷりと海老のグリルにしました。もう一皿は、お魚のグリル。

デザートは、カフェスペースのソファで景色を楽しみながら、心ゆくまでまったりと。(都庁が見えます。イノセさ〜ん!)

帰りは、毎度のことですが直立歩行ができないほど苦しくなります。そうしたら、お隣のビルにある イギリス発の THE CONRAN SHOP へ。インテリアフロアで、あれこれソファーや椅子の座り心地をチェックしながら適度に休憩。そして雑貨フロアを歩き回って、ようやくお腹が少しラクになる次第です。

帰りにパークハイアット のテラスカフェでお茶をして帰る予定でしたが、いささかお茶さえも受けつけないほどのポンポコ腹でおとなしく帰路についたのでした。

気づきの日記「憑依されてる(?)わたしたち」

心配ごとを考えすぎて、頭がぱんぱん!そして、頭の中の声が止まらないっ!自分でさえ、その声にヘキエキしてしまう、ってことありますよね。

「誰か、このおしゃべりを止めて〜!」と思っても、止まりません。コントロールしようとすると、さらにうるさくなります・・・・おかしいですよね。自分の頭の中の声なのに。

自分の声が制御不能って、どういうことでしょ?

こんなとき、じつは「本当の自分はお留守」・・・というか、スミに追いやられて、他の人格(怖れ、不安、怒り、悲しみなど)が自分を乗っとっている状態。つまり・・・感情の憑依状態。

そもそも、わたしたちの中には二人の自分が住んでいます。「感情的で怖がりでおしゃべりな自分」と「それをじっと観察している静かで穏やかな自分」。でも悲しいことに、わたしたちはたいてい、ニセモノの方を自分だと思っているのです。つまりニセモノとは、おしゃべりな自分、次から次へと沸き上がる頭の中の声。ひっきりなしに心配したり、怒ったり、人も自分も責めて、文句を言う。そのうえ、めったに褒めてはくれません。しょっちゅう登場してきて、常にああだこうだ言うけれど・・・、じつは、この声を冷静に聞いているもう一人の自分がいます。「ああ〜、またはじまったね」と、静かにそれを眺めている自分。

考えているんだから、それがホンモノじゃないの?と思いますか?考えていても、冷静に「そう考えている自分」に気づいている意識があります。

そうです!この後ろから冷静に眺めているのがホンモノの自分。でも・・・この二人は共存できないのです。ぶつぶつうるさい「感情の憑依くん」にパワーを渡してしまうと、あっというまにホンモノはかき消えて姿をなくしてしまいます。一方、ぶつぶつ「感情の憑依くん」にパワーを渡さず、ホンモノの自分がずっとそれを静かに観察していると、ぶつぶつくんは消えていってくれるのです・・・が、これがなかなかできなかったりします・・・汗。

わたしたちは本当の自分でいることよりも、ほとんど感情の憑依状態で過ごしているようなものなのです。ある感情に乗っとられている・・・でも感情は、じつは自分自身ではないとは・・・。刺激が加わると現れる、条件反射的なもの。そして、その感情に支配されて、無意識的に次々と行動を起こしてしまいます。(ちゃんと考えてるよ!って?いえいえ、憑依した声に従っているにすぎません。)

この声は、仕事も人間関係も、そして自分自身さえも、めちゃくちゃにしてしまうことがあります。なぜなら、その声は怖れに満ちていて、近視眼的で、自分にも人にも、とてもイジワルです。この声に従っていると、どんどん被害者チックで可哀想なわたしになっていきます。

人で賑わう渋谷のスクランブル交差点にしろ、ごったがえす原宿の竹下通りにしろ、自分の感情にのっとられた憑依状態の人たちがわやわやとひしめきあっている・・・というわけです。(ゾンビ映画のようですね〜・・・)

わたしは常々、「セラピストって、エクソシストだ」って思うのです。セラピーもエクソシストも似ているのです。なぜなら、どちらも、何かに乗っとられ、その乗っとられた人は完全に何かに支配されて、別人格。それを、セラピーするわたしは毎日、その感情に憑依されたクライエントさんから「悪魔払い」をしているのす。(オドロオドロしい?・・・)

なんてったって、ココロが「過去」や「未来」に漂い出したがために、お留守のうちに怖れや欲望や自分を苦しめる感影にすっかり乗っとられてしまいます。その乗っとっている感情や考えを取り除き、「今、ここ」の正気に戻すという・・・まあ、ある種のお祓い。

霊であろうが、ネガティブな考え、怖れ、欲望であろうが、とにかく憑依されないためには、ココロがお出かけしないこと。ちゃんと自分の身体と一緒に、「今、ここ」に根をはっていることが大切です。

それは、過去をイジイジ思い出して後悔したり、未来をざわざおもいやってわ心配したり、あるいは人を批判したり、指図したり、誰かに夢中になりすぎたりして、人さまの現実にちょっかいを出しすぎないことです。これらをしているときには、わたしたちは自分がお留守になっています・・・過去へ行ったり、未来へ飛んだり、人さまの現実に介入したり。

ひたすら、「今、この瞬間」の自分と仲良くすること。

この瞬間とお友だちになればなるほど、もちろんココロがお出かけして憑依されなくなるし、何よりも今まで気がつかなかった美しいものが見えてきます。

そして・・・そして・・・今、ここにいればいるほど、わたしたちはパワフルになることができます。存在感が色濃くなって(そうですよね、身体の中にちゃ〜んといるんですもの!)、人への影響力も大きくなるし、なによりも、ココロのパワーが強くなるので、自分の思いがあちこちにくまなく届きやすくなり、自分と現実が仲良くなって、どんどん動き出す感じがします。

夏はお化けの季節。へんな感情に憑依されて、頭がぱんぱんになったり、それに気づかず突き動かされる、なんてことにならないように、「今、わたしは何を考えているかな?ちょっと観察しててみよう」とココロの門番さんに見張ってもらいましょう。

 

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

フライド グリーン トマト

表参道のカフェでスタッフミーティング。

オーダーしたお料理のひとつに、「フライド グリーン トマト」というのがありました。

そーいえば、むかし、そんなタイトルの映画観たな〜。Sちゃんも覚えていて、「おばあさんが出てきた気がする」と。わたしもそのぐらいしか覚えてませんが、「フライド グリーン トマト」ってどんななんだろ〜? おいしいのだろ〜か? と興味津々でした(1987年の映画。旧いね。おばあちゃんはジェシカ・タンディでした)。

そして、26年もの時を経て、ようやくその味を知ることになりました!

う〜ん・・・オニオンリングをジューシーにして、ちょっと酸っぱくしたみたいな。

完熟トマトにこそ価値がある!という日本人には「なぜに、青いうちに食べちゃうの?」という不思議なメニューに感じられます。オニオンリング好きなアメリカ人にはウケるのでしょうね。

トマトのアヒージョも。なんだか、トマトづいてます。

ビールとワイン半本が入ったところで、エンジン全開、お仕事モードのYちゃんとSちゃん。サイトの設定変更もろもろもサックリ終わり、またふたたび飲みタイムに。びっくりトピックもあり、盛り上がった楽しいスタミでした♪

 

つながってるね〜♪

先日、電車の中でふと目にとまった女性・・・。

ベージュ、というよりは肌色に近い色のカーディガンを着ていました。生成りとかベージュは選ぶけど、「肌色」ってめずらしいなと思ってまじまじチェックしてしまいました。

黒のタンクトップとあわせて、それがとても上品でオシャレ。・・・「なるほど・・・無難な色に走りがちだけど、こんな色もありか〜。今度、着てみようかな」・・と考えた3日後・・・

友人から届いたレゼント。あけてみたら・・・あら、あら、ナント肌色のカーディガン。ビンゴ!!

エネルギーを注ぐとそれは必ずや、やってきます!

くださった友人は、わたしに似合うと思ってチョイスしてくださったそう。いつもわたしの新境地を切り開いてくれる友人ですが、すごいタイミング!わたしの心の中の、ちょっとした好奇心をしっかりとキャッチしてくれたのでした。

色もステキでわたしの肌色によくあいます。背中がこんな綺麗なレースになっているので、こんな猛暑でも軽くって、涼しくって、ヘビロテしています。

あまり意識していないときには、へんな邪気(?)が入らないので引寄せる力は自由にのびのび働いてくれるものですね。だから、いろいろ考えず、シンプルに、欲しいものにほんの数分注意を向けて、あとは忘れちゃう。心配も怖れも、疑いもなければ、こんなに早いんだな・・・。(いや、もっと早くできる!)

そして、親しい人とはとくにそうだけど、ココロはいつもつながっているんだな〜って感じます。(^_^)  ありがと〜♡

涼しいんだか、暑いんだか?

ここ連日、出張やら、お勉強やらで、お出かけ続き。この猛暑にいささか、溶けそうです。低体温症には、なおさらツライ・・・。

冷え性改善でずっと続けてきたジンジャラー(=ショウガ食いおんな)も、あまりに暑くて休業しようかと思っていたところ・・・いいこと思いつきました〜。

いただきもののショウガシロップ♪

アイスクリームにかけようと思っていたけれど、最近、はやりのタンサンで割れば爽やかで涼しく、そのうえジンジャー効果と炭酸効果のダブル美容効果が期待できます♪

大好きなウィルキンソンの辛口ジンジャエールをイメージして、シロップをウィルキンソンのかなりパンチのある炭酸水で割ってみました。そして、レモンもたっぷりと!

く〜〜、けっこう、辛っ!!かなりいい感じでウィルキンソンの辛口の雰囲気。フルートグラスに注いで、シャンパンっぽく優雅に♪

シュワシュワ、ひえひえ〜・・・のちに、ぽかぽか、カッカ!!・・・クールダウンしたのか、さらにヒートアップしているのか・・・?

気づきの日記「人の話なんか聞いちゃいません、私達」その2

(その1より)

幼児や小学生の頃は、正すことも、教えてあげることも必要だけれど、思春期にもなったら独立したひとりの人間として考えを尊重してもらう必要があります。(大人であったら、なおさらです!)

それは必ずしも言っていること全部にOKを出すことではなくって、たとえその意見が間違っているように思えても、「一人の人間の感じ方、考え方」としてまずは大切に受け入れて理解しようとしてあげること。わたしたちは「それは違っている」と思うと、ソク、切り捨てたり、却下したりしたくなってしまいます。でも、「今のあなたは、そう感じているのね」とまずは受けとってあげることが大切。

全部まるごと判断しないで受けとったあと、「自分とは違うな・・・」と思うところがあったらあとから、「この部分は、わたしはこう感じたんだけど、こんなふうにも考えられないかしら?」と提案して話しあってみることになります。これだと、会話はキャッチボールが続いて、しっかり「聴いてもっている」感を持つことができます。

つまり、幼児の頃は教育する(教え、さとし、導く)ことはしなければならないけれど、思春期をすぎたら見守り、応援し、話しあう。(幼児であっても、このキャッチボールのボールはちゃんと受けとってあげないといけませんよね。)

わたしたちはみんな自分が正しいと思っているので、相手が間違っているのをそのままにしておくのはイヤなのです。とくに、それが自分が「生んで」「育ててきた」対象だと、なおさら。未熟なイメージしかありません。とにかく、とっととコンントロールをして、修正して、自分が安心したいのです。自分の理想の道筋に乗せたい。・・・でも、これは自分と相手の境界線を越えている行いです。人間の間には、一個の個人として尊重すべき、おかしてはいけない境界線があります。こどもといえども、自分の考えを大切にしてもらう権利があるし、自分の考えで間違えてみる権利もあるのです(危険や生命をおかさない限りで)。

そうやって見守ることで育っていく、見守ることで本当の自分を思いだしていく、その成長のプロセスを信頼してあげなければなりません。・・・見守ることって、とってもエネルギーがいりますね。

「さっさとアドバイスしたいわたしはじつはネガティブを怖れている、ネガティブに感染するのがいやなのだ」と「その1」の中で書きましたが、わたしたちはネガティブに侵食されるのを極度に怖がっています。まるで悪い伝染病にかからないようにしているみたいに。

それは、「小さいときから、ネガティブさを感じることを自分に許していないから」。つまり、落ちこんだ感情、自己否定的な感情、現実逃避的な感情、破壊的な感情・・・。これらの感情はよくないと教育されているので、ほんとうに自分が感じていることを自分に感じさせることを許してきていません。すぐに理由をつけて他の感情にすりかえたり、ムリやり大丈夫だと思わせようとしたり、その感情をなかったことにしたり・・・自分の中にネガティブさを見つけると、さっさとそれを処理しにかかります。

そんなクセがついているので、人の中にネガティブを見つけると、ソワソワしてきて耐えられず、自分のものじゃないのにさっさと片づけにとりかかろうとするわけです。

カウンセリングやセラピーにおいても、クライエントさんに対して「この人は悩んでいるかわいそうな人。助けてあげなくてはいけない人」として改善しようとすると、セッションはうまくいきません。相手から抵抗が出てきます。

「あなたはダメだから、変えてあげよう」という考えは、そもそも相手への否定から始まっています。そして、人は変えられたくなんかないのです。変わるんだったら自ら気づいて、自分で変わりたい。

そして、わたしたちは、たった一人でもいいから、誰かに自分の潜在的な力(まだ見えていない力)を信頼してもらうことによって、それを確実に自分のものにしていく力があります。

潜在的な力とは、その人の奥に眠るどんな状況も乗りこえて、成長してゆける逞しさ、完璧さ。「あなたは大丈夫なんだ」という見方を貫いてあげることによって、潜在的にその人の中に眠るお宝を発掘してあげるこことができるのです。そしてそのお宝は、それを信じられる人のもとにしかやってきません。

「まだうまくできていないあなただけれど、でもちゃんとプロセスの上にいるから大丈夫。あなたの中にはうまくやる力がちゃんとある。わたしはそれを知っているし、わたしはそれを見守っているよ。だから、今は弱音を吐くこともOK。こころおきなく、安心して吐き出してごらん」こんなふうに言ってもらって、気持ちを判断されたり、切り捨てられたりすることなくしっかりと受けとめて聴いてもらえると、「よ〜し!もう一度、頑張っちゃおうかな〜」と自分の中から力が湧いてくるものです。

そして、その人の可能性・完璧さを信じてあげることは、同時に自分自身の可能性・完璧さを信じるという、自分への大きな贈りものにもなるのです。わたしたちは、いつも自分が信じているものを受けとります。

信じることは、相手への、そして自分への、何にもかえがたい贈りもの。そして、それをしてあげられるのは、やっぱり、親であり、パートナーであり、親友であり・・・。だから、近しい人を修正しようとやっきになるよりも、手放しで最高の応援団長になってあげることが、その人のスゴイ力へと目覚めさせ、変身する呼び水になるのですね。そして、自分も同じ方向に導かれていく・・・。

さてさて、あなたは誰の応援団長になりますか?そう、まずは・・・自分、ですよね!Wink

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

気づきの日記「人の話なんか聞いちゃいません、私達」その1

急に猛暑がやってきましたね。まだ夏の準備ができていない体はびっくりしています。みなさまは大丈夫でしょうか?

さて、このところ思春期のお子さまとのコミュニケーションのご相談が続いているので、きょうはそんなテーマです。

お母さまいわく、「思春期の娘に気をつかって、以前よりも時間をとって娘の言うことに耳を傾けているんです。なのに、“お母さんはまったく私の話を聞いていない”といわれてしまって・・・」

「う〜ん、おかしいですね?時間までさいて聞いているのに・・・。ちなみに、どんな聞き方をされているのでしょうね?わたしが娘さんになりますから、ちょっとやってみましょうか」と最近の問題を再現してみることに。

娘役のわたし「もう、学校行きたくなくなっちゃった」
お母さま「行きたくないなんて・・・突然どうしたの?まだ三ヶ月だし、それに頑張って受検した学校じゃない」
娘役のわたし「でも、行きたくないんだよね・・・」
お母様「何が問題?あんなに入りたいって言って入った学校じゃない」
娘役のわたし「・・・・」
お母様「ここの学校がいいって言ったのはあなたよ。この学校じゃないと大学受験も不利になるでしょ」

たった一分やりましたが・・・お母さん、ダメです〜。これだと娘役のわたしはすでに話せなくなりました。

なぜなら、行きたくない気持ちを打ち明けたら、いきなり「それはおかしい」といわんばかりの否定モードで、「そこを選んだのはあなただ」とさとされ、そのあとに続くのは「あなたの将来はだめになる」という脅しモード。これは「聞いている」というより、「もう、あなたの言い分なんか聞きたくない」と言っているようなものです。

娘さんが「学校に行きたくない」という場合は、「行きたくない」という事実よりも、そのウラにある気持ちが重要で、自分でもその気持ちに葛藤しているのです。だから、迷いを汲みとって共感して欲しいと思っています。

でも、たいていお母さま方は「この子は未熟だから、何かを間違えてしまっている。だから、教えたり、正したり、いましめたり、指示をしなければいけない」と考えていて、その子が口を開くやいなや、その子の言葉の間違い探しを始めてしまいます。正しいとことは聞くけれど、そうでないところはまったく聞かないのです。

これは、「聞いている」というよりは、「一方的に正されている」としか感じません。せっかく時間をとっても娘さんが満足しないのは、この一方的に結果を決めつけて押しつけられているような、上から目線の態度がいやなのかもしれません。

わたしもこんなことがありました。近しい人がえらく落ちこんでその気持ちを話してくれたとき、「何か、早くいい気づきを与えなくちゃ!」とばかりに、さっさとアドバイスしようとしたら怒られました。「何も言わなくていいから、ただ聴いてくれ!」と。「聴いてくれるだけでアドバイスはいらない」とまで言われたのでした。

そのとき、ハッと気づきましたよ、まったく「聞いちゃいない自分」に。そして、アドバイスしたいわたしはじつはネガティブを怖れている・・・と。ネガティブに感染するのがいやで、さっさとこの場を切り抜けようとしていたのです。そして、聞いているといいつつも、じつは自分に都合のいいことしか聞こうとしないのです。(セラピストと言えども、日常はこんなもんです・・・苦笑。)

落ち込んだり、悩んだりしている人はその気持ちを吐き出したいのです。

では、話をちゃんと聞く、ってどういうことでしょうか?

(その2につづく)

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

POTSUNENライブ♪

コントのライブを観てきました。

「コント」といっても、TVで目にするようなお手軽コントとはちょっと違って、とってもクリエイティブだし、インテリジェンスだし、ひねりがある舞台、小林賢太郎さんの「POTSUNEN  2013」。なんと、パリ、モナコを経ての凱旋ライブです。

う〜ん、このタイプの笑いはフランス人にはかなり受けそうです。わたしも大好き!去年の秋は賢太郎さん作、出演の舞台「ロールシャッハ」を楽しみました。これもDVDが出るらしいけど、また観たい!

いつまでも観ていたい♡ と思わせる、彼独特な不思議な世界観。いや〜、やっぱりスゴイです。

♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•*¨*•.¸¸♪

劇場が新大久保のグローブ座だったので、帰りはコリアンタウン・デビュー!

以前は韓国に長く滞在しつつも、あまり好きではなかった韓国料理。最近は鍛えられて、すっかり好きに。サムギョプサル(豚の三段腹?ちがう、ちがう、三枚肉!)おいしかった〜!! 

 

この日のハンサムくんは♡

ふわとろのアナゴさん♪

炙りトロくんも負けずにハンサム。

お友だちに教えてもらって以来、かよっている築地のお寿司屋さん。もう、何回もブログに登場している「すし大」さんです。

ご一緒するお友だちも毎回決まっていて、でもお互いの予定がなかなか合わないため、いつもおあずけの期間がつづくのです。(じゅるる・・・やっとだ♪)

最初から最後まで、わたしたちの爆談トークに楽しくおつき合い下さった、店長の中村さん。

いっけん、苦みばしった無口そうな方ですが、隣の板さんが心配するほど、炸裂する女子トークにおもいっきりご参加いただきましたよ。

わたしたちのオーダーしたメニュー、「店長のおまかせ握り」の「おまかせ」こそ、このしゃべりだ!と笑いました。

ここのお店は、ランチでもネタのクオリティをおとさないとのこと(サイズは弱冠小さめとか)。「次はお値打ちランチに行こう!」といいつつ、これもなかなか実現できず。大盛りでも1500円!・・・なのに、今だ夢のランチです(笑)。