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求めよ、さらば与えられん

前回の日記で書いた「自責の念」にかられている友人に、「何か心から納得できる気づきを!」と祈っていたのですが、するとこんな話が。数年前「るん」にいらしていた生徒Cさんが昨秋突然亡くなった、という情報。健康でパワフルな女性だったのでビックリ。その後、霊感の強い友人を通してメッセージがやってきて、なんとそれはCさんからだったそうです。Cさんいわく、「自分が死ぬとは思っていなかったので、こちら側の世界に慣れるまで混乱した。でも、次第になぜ自分がこちらに戻って来たのか理解できた。それは、自分の決めた学びによるものだ」このメッセージから、死んでも自分自身は変わらず存在しただ居場所が変ること、私たちは自分の選んだ場所で学びをしていること、そして人の死にはその人なりの完璧な時期・理由がありそれは計り知れない大きな意味があるということ。他の人の生あるいは死にかかわることも、私たちに大きな学びの機会を与えてくれるのです。自分の決めてきた学びのために、いろいろな物事(例えば大災害)を通して学びなさい、と。さっそくピンときた私は、この気づきを「自責の念」の友人に伝えてみた。案の定!どんな素晴らしい本や理論よりも、やはり素朴な事実こそ人に大きな気づきや勇気、癒しを与えてくれるのです。

回復への信頼

スマトラ沖地震のほとぼりが冷めやらぬうちに、ロスの大雨土砂崩れ。まったくどこから何がやってくることやら。皆様のご家族、ご友人は無事でしょうか?じつは、私の友人の親友が津波の犠牲者となってしまいました。友人は霊感が強くいろいろな情報をキャッチする人ですが、親友との別れ際にいいようもない危険が迫っている感じを察知したそうです。あいにく電車が来てしまったことと一笑にふされるのではないかという怖れから、言わずじまい。それがこんな結果につながり、自分を責め続けています。「伝えてさえいれば救えたのか?」という問いに、「これはその人の選択で、どこかのレベルですでに決めていたこと。去ってゆく時だった。誰も被害者にはなりえない」と私。しかし、しょせん頭での理解であって、友人の深い悲しみをどうすることもできない。やはり人を救うことはムリであることを痛感する瞬間です(セラピストも人を救えると思う奢りが、結局はコントロールにつながるのです)。ただできることは、救おうとすることではなくて寄り添うこと。その人の中で進行している大いなる学び、気づきが完成することを信じつつ見守ることだけです。そして、近しい人がある学びをすることは、私もともに深く学ばせていただくことだな〜と実感しています。合掌

年賀状がおしえてくれること

故 E・キューブラー=ロス博士が「ライフレッスン」という本の中で「私たちは一生のあいだに学ばなければならないレッスンが15ある」と書いています。個人によって、とっくの昔にマスターしてしまいレッスンのうちに入らないこともあれば、それを学ばなければならないという概念すらない場合もありますが。この時期、一年に一度のお年賀状でご無沙汰の旧友・知人から近況が入りますが、年ごとのコメントを客観的につなげてゆくとある方向性が見えてきます。レッスンをひとつひとつクリアしている感じとでもいいましょうか。私たちは日々「あること」に気づくためにいろいろな物事に出会い成長を果たしているのだな〜と感じます。歳をふるごとに徐々にコントロールを手放し、最後はなすがままに感謝の海に身を投げ出して無心に流されることを心から味わい楽しむような。だから、若人の年賀状はまだまだ「私」が自ら頑張って流れを逆流するほどの元気があるのですが、お年を重ねると感謝やゆだねた言い回しが多くなり力を抜いて流れにまかせているのです。私はまだまだみなさまとご一緒にこの肉体で今の自分を楽しみたいので、レッスンはほどほどにゆっくり学んでゆくことにいたしましょう。(怠惰のいいわけ!?)

在日観光日本人の正しいお正月のすごし方

新年の鎌倉を散策してまいりました。たしか一昨年あたり、江ノ島で遊んで由比ケ浜でお昼寝をし江の電で鎌倉まで辿りついたまではよかったのですが、まったく土地勘がなく「お寺はどこぞ?」と駅前商店街をうろつくうちに力尽きてしまった苦い思出があります。今回、常連の水先案内人がかなり心強いです。まず、混雑をさけて長谷寺で初詣。しっかり厄よけのお守りを購入し、立派な観音様に手をあわせ、弁天窟のプチ探検に歓声をあげる。お次は、二十数年すっかりご無沙汰の美男子にご挨拶にうかがう。あいかわらずパンチパーマの横顔がステキ。でも、こんなに小さかった?(奈良の大仏とごっちゃになってる!)そして、お豆富のお店でお豆富づくしの昼食。湯豆腐がお風呂のようなセットで出てきて、まるで金魚すくい気分。そして、突風の由比ケ浜で海風に吹かれて黄昏れる。その後、鎌倉のメインストリートで初スウィーツのガトーショコラに舌鼓をうち、とっても正統なお正月気分!今年は、少しニッポンを堪能してみようと思っております。

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。今年も、みなさまのお顔にた〜くさんのスマイルが花開きますように。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
どんなお正月をお過ごしでいらっしゃいますか?私は、実家のコタツにはまりっぱなしの数日間。おそろしいもので、まったく動かなくってもちゃんとお腹はすくし、食べたら食べたで次の瞬間にはもう脇腹あたりにお肉が増殖しているんですよね〜。でも、こちらに戻って来てあわてて体重計にのると、きまって以前よりも軽くなっているのはな〜ぜ?う〜ん、この七不思議、いまだ解明されていません!(い〜えっ!筋肉が消滅して、脂肪になっただけですよ〜)

どんな一年でしたか?

本年度のお仕事も、きょうで終了された方が多いのではないでしょうか?お疲れさまでございました。私も、年賀状書きをなんとかなしとげ、恒例の「るん」の大掃除もお馴染みの助っ人をえてつつがなく終了し、いよいよゆく年くる年気分が盛り上がってまいりました。平和に新年が迎えられそうです。今年は、日常の中で自分自身の深い部分の癒しを体験した一年でした。それとともに、小さな一歩に足を踏み出す勇気をもったとき自分の決めたゴールよりももっと大きなものが自ら歩み寄ってきてくれることも体感しました。一年のあらゆることを通してひとこと確かにいえることは、「あきらめなければ必ず夢は叶う」ということ!たいてい私たちは、あきらめることに関しては天才的な早さをもっているようです。生きてるうちはあきらめちゃいけません(かなり、自分にいいきかせている)。ホント、実感しました。この一年、ほんとうにありがとうございました。どうぞ、よい新年を迎えられますように。来年もまたよろしくお願いいたします。愛と感謝をこめて!

今年もさいごまで、甘やかしてます

12月も中旬をすぎると、毎日同じことをしているにもかかわらずなぜかやたらと気ぜわしい。ボーっとお茶なんか飲んでる場合ではないような(と、いいつつ只今お茶タイム中)。そこで、少しでも気休めになれば・・・と、いちばん嫌いなお風呂の大掃除に着手してみることに。でも、今から一気に進めちゃうのはまだ時期尚早というもの。何を手加減してることやら・・・(早くお掃除しちゃうと、年内にまた汚れちゃうのだ)。そこで、毎日タイル50センチ四方分づつカビ取りハイターをすることに。一部だけキレイにするとそこだけ際立って他と比較できるので、ちょっとした満足感が味わえます。ということは、掃除の達成感をめいっぱい感じたいときは、ちょっとだけ汚いトコを残しておくのもいいかもしれません(笑)。そんなこんなで、再びお茶タイム突入!

ライバル登場!その名もMs. A. P. 気だてもよく超グラマー

お友達が遊びに来てくれると、いち押しでご案内するカフェ。以前は、ミケランジェロというイタリアンテイストなお茶屋に通っていて、その後は住宅街の隠れカフェになり、現在はもっぱら「るん」から至近距離の「GAZEBO」に足を運ぶ。と、いうより「こ〜んなメニューがあるんだけど?」とデジカメ映像をみせて、まんまとそちらに誘導するわけです。それは、Apple Pie なのですが巨大なアメリカンサイズ。お林檎ぎ〜っしりで味はかなりさっぱりめ。まぁ、ここまではふつ〜です。そこに2スクープのグラマラスなバニラアイスがドカンドカンとついて、さらにホイップクリームとキャラメルシロップでおめかし。大きなお皿に山盛りで、かなり壮観。きょうも、お越しいただいた友人を誘って(誘導して)行ってまいりましたが、いつになくアイスクリームが巨大化しておりました(小さくなるのはよくあるけど)。幼少の頃の私の泥団子より大きいぞ!先日、イギリスで苦行をしている友人にご機嫌伺いでこのApple Pie の写真をメールしたら、帰国するやたちまちやって来てひとこと,
「あのApple pie はどこ?」。あらら、ご所望は私ではなかったのね。その後も、ことあるごとにこのパイを心から懐かしむ。ああ、Apple pie に完全に負けてるぞ!

ちょっとエゴイスト? X‘masイルミネーション

ここ数年で、街のX'masイルミネーションも大きく様変わり。発光ダイオードのおかげか、今まで目にできなかった色が続々登場。全体的にシルバーっぽい色あいで、白もブルーもピンクもパキーンと冷たい。華やかなのに、どこかよそよそしい感じで人を寄せつけない(人間でもこういう人いますよね〜)。私は、今だに不器用に点滅する豆電球が好き。ほっとするのです。控えめなぶん、こちらが近づく余地があるような。光も、そして人もそうだけれど、たんにとびきりキレイであれば心惹かれるというものでもなく、やっぱりどこかなごませてくれるポイントが必要です。そういえば、近所の老舗のフランス料理屋さん経営のカフェ。以前はそれなりに賑わっていて私もこの界隈に引っ越す前から足を運んだのですが、改装を機に照明を白色(蛍光灯)にしてしまったのです。ほんのりしていた店内は、いっきに排他的な雰囲気に。今ではついに閑古鳥。明るくすればより目立つとう計算は大きくはずれ、逆効果。やっぱり、自分の存在をムリに誇張しようとすればするほどまわりはは引いてゆく・・・。相手を気遣う思いやりがなくっちゃね。これも、人間にもいえることですね。

突然の崩壊

ほんっと、いっつもそうなんですよね〜!クリスマスのお花、ポインセチア(これお花じゃなくって葉っぱだわね)。買ったり頂いたりでこの時期一緒に過ごすのですが、決まってX'masまでサバイヴできないのです。水をやったり日に当てたり気を遣っているにもかかわらず、ある日突然何の前ぶれも無く花びら(いや、葉っぱ!)が一瞬のうちにだだだっと崩壊して茎が寂しく残るばかり。具合だったなら早く言ってよ〜!という感じです。人間にもこういうタイプのお方、見かけます。何の乱れもなく規則正しく生活していたな〜・・・と思うや、いきなりとっぴな行動に出るという(引きこもったり問題行動にでる、あるいはホントに蒸発するなど)。やっぱり何ごとも、水でも空気でも老廃物でも感情でも、溜めるのはよくないです。健康に流さないとね。突然の崩壊を防ぐには、ちょっと勇気をもって正直になること。こんな感情を自分は感じてはいけない!とか、こんな考えをもつのはまちがっている!とか、こんなことが私の人生にあっていいはずがない!と、自分が感じているものを必死に避けよう、隠そうとするのですね。逃げれば逃げるほどもっと怖くなる。最後にはそれを背負いきれななくなって、巨大なおんぶお化けに窒息死しそうになるわけです。怖がってる先の先の先をよ〜〜〜く見てみてください。小さな自分がそこにいるはず。小さな子供は壁のシミでも怖がるものです。でも、その怖いことは「今」の自分にはきっと怖くないはず。