わたしの仕事仲間が・・・(涙)

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

なぜだろう? パソコンやドライブの調子が悪くなるのはいつも11月。

それも、かなり重要なペーパーワークをしているとき起こる。

今回も、新しくなった「日本ヒプノセラピー協会」のための、新コースのテキストを100ページほど書いたところで、バックアップ用のドライブが拒絶反応を起こしだした。(あ〜、コワイ!コワイ!)

ほとんど私のおかかえパソコンDr.になっているYちゃんにみてもらうと、「生きてはいるけど、もうダメだね」と。つまり、重篤な内蔵疾患のため余命いくばくか・・・といったところ。

いつもだったらYちゃんちに入院して治療を施してもらうけど、その必要もないと。そのお言葉で、新しいドライブを購入する決断にいたったものの・・・。

さて・・・この子、どうしましょ。「燃えないゴミでいいんだよ」とYちゃん。でも、まだ電源が入るのでデータが心配・・・。

すると、Yちゃんいわく「そ〜だね〜。車にひいてもらうか、フライパンで炒めるか、熱湯ぜめだね。ゾウにふんでもらうのもいいかもしれないな(つまり、物理的にメチャクチャにしろ)」と。

きゃ〜!!それって、ほとんど猟奇的殺人犯な気分!(汗)

「そんなことできないよ〜!さんざんお世話になってきた仕事仲間なのに〜」と私。そう、休むことなくパソコンのバックアップをとり続けてくれたのに、そんなムゴイ仕打ちはとてもとても・・・。

「じゃあ、お線香でもたてて、チーンってやってからだね」となんともクールなご意見(笑)。

というわけど、お座布団の上にのせてお別れを惜しんでいます・・・(涙)。長年、ありがとね〜♡

 

新しい「日本ヒプノセラピー協会」への道! 3

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

新しい「日本ヒプノセラピー協会」への道! 2 より

先週に引きつづき、今週もまた、新しい「日本ヒプノセラピー協会」立ち上げのための理事会ミーティング。

お昼すぎに集合して、ポカポカ陽射しをあびながらお仕事をしていたのに、ふと気がつけばもうとっぷり暮れています。秋の日はつるべ落としですね。

書類上では、はじまりの数字、1が3つも並ぶ11月1日に、めでたく「(社)日本ヒプノセラピー協会」が設立され、無事私たちの船は出航いたしました! ヒャッホ〜!(o^∀^o)

理事長ののんこ(酒井さん)はこの日、箱根に出向き、芦ノ湖から出航してくれました(遊覧船ですが・笑・さすが理事長!)。出航のステキなお写真♡

やっていきたいことやセミナー内容について、インスピレーションがばんばんやってきて三人で歓声をあげる日もあれば、新しいHPの作成や、協会の運営、会員さんのことなど、山ほどの煩雑な仕事にうもれそうになって、「もう、やってられません!」と言いたくなる日もあり(笑)。ホント、山あり、谷ありですが・・・。

日々、三人みつどもえになって、頑張っております。

1月のキックオフに向けて、あたらしいホームページも作成中。そちらのブログも充実させていきたいと思っています。また、サイトがオープンしたらお知らせいたします!

 

16-11-04 「 ブリジット・ジョーンズの日記 」 みたび!

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もう、あれから15年?! 3作目です。(シリーズ 1作目が2001年。)

なつかしいな〜。で、思わず観てしまいました!(笑)

今回のサブタイトルは、「ダメな私の最後のモテ期」

ハリウッドの女優さんて、ふつうに女の子役をやってもキラキラ感が隠しきれず、それがステキではあるけどリアルさに欠け、距離感がぬぐえなかったりします。けれど、レニー・ゼルウィガーのブリジットの場合は、かなり等身大。ぽってり気味の体型で、どこか垢抜けず、けっこうドジで、でも上昇志向が強くて、めげずに頑張る ・・・そう、「いる!いる!」こういうひと、「ある!ある!」こんなこと、とみんなが親近感をもてちゃうキャラこそがブリジット・ジョーンズ人気の秘密。

そして、あの時代もまさにストーリーそのものの頑張ってる時代だったし・・・。

でもそれからリーマンショックもあり、いろいろな荒波にさらされて、ひとびとの価値観もかわり、2016年をむかえている私たち・・・。

32歳だったブリジットはいまや43歳になり、独身のキャリアウーマン。そして、まさかの妊娠!! ところが、父親候補が二人いて、最後の最後まで混迷をきわめます。これは昔のラブコメ感まんさいでしょ〜!

観ていてこのノリ、ちょっと違和感を感じてしまいましたよ〜。2016年っぽくないな〜。前作の時代のまま?

11年前の2作目が公開された時代だったら、「ブリジット43歳の姿」として「そうだよね〜。ブリジットらしいよね〜」とありだけど・・・。今、このストーリーってどうなの?! って感じてしまいました。じゃっかん昔風女子像(ああ、でもだからこそ、ブリジット・ジョーンズなのかもね)。

まわりも、そして自分も含めて、女性の30代から40代への11年間って、もっと複雑で、もっと堅実に成長しているよね・・・と感じるのは私だけ?(ブリジットは30代と同じレベルのノリではありませんか!?(笑) でも、そこがブリジットか?)

最近の映画事情では、この手のラブコメはほどんどお目にかからなくなったので、ラブコメのお決まりっぽくつくられているところが、かなりなつかしくもあり、安心感もあり、おもしろおかしいのだと思います。

PS イケメンでモテモテのチャラオ上司だったヒュー・グラントが、ナントのっけから事故死させられているのはどういうことでしょう?!(なにも殺さなくたって・笑。ヒュー・グラント好きなのに!)以前のようにコリン・ファースとブリジットとの三つどもえになってないところがちょっと残念。しかし・・・これには最後にオチがつき・・・ってことは、もう一作できそうですよ〜。

 

お茶の間シネマトーク「 “ ブリジット・ジョーンズの日記 ” みたび!」

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もう、あれから15年?! 3作目です。(シリーズ 1作目が2001年。)

なつかしいな〜。で、思わず観てしまいました!(笑)

今回のサブタイトルは、「ダメな私の最後のモテ期」

ハリウッドの女優さんて、ふつうに女の子役をやってもキラキラ感が隠しきれず、それがステキではあるけどリアルさに欠け、距離感がぬぐえなかったりします。けれど、レニー・ゼルウィガーのブリジットの場合は、かなり等身大。ぽってり気味の体型で、どこか垢抜けず、けっこうドジで、でも上昇志向が強くて、めげずに頑張る ・・・そう、「いる!いる!」こういうひと、「ある!ある!」こんなこと、とみんなが親近感をもてちゃうキャラこそがブリジット・ジョーンズ人気の秘密。

そして、あの時代もまさにストーリーそのものの頑張ってる時代だったし・・・。

でもそれからリーマンショックもあり、いろいろな荒波にさらされて、ひとびとの価値観もかわり、2016年をむかえている私たち・・・。

32歳だったブリジットはいまや43歳になり、独身のキャリアウーマン。そして、まさかの妊娠!! ところが、父親候補が二人いて、最後の最後まで混迷をきわめます。これは昔のラブコメ感まんさいでしょ〜!

観ていてこのノリ、ちょっと違和感を感じてしまいましたよ〜。2016年っぽくないな〜。前作の時代のまま?

11年前の2作目が公開された時代だったら、「ブリジット43歳の姿」として「そうだよね〜。ブリジットらしいよね〜」とありだけど・・・。今、このストーリーってどうなの?! って感じてしまいました。じゃっかん昔風女子像(ああ、でもだからこそ、ブリジット・ジョーンズなのかもね)。

まわりも、そして自分も含めて、女性の30代から40代への11年間って、もっと複雑で、もっと堅実に成長しているよね・・・と感じるのは私だけ?(ブリジットは30代と同じレベルのノリではありませんか!?(笑) でも、そこがブリジットか?)

最近の映画事情では、この手のラブコメはほどんどお目にかからなくなったので、ラブコメのお決まりっぽくつくられているところが、かなりなつかしくもあり、安心感もあり、おもしろおかしいのだと思います。

PS イケメンでモテモテのチャラオ上司だったヒュー・グラントが、ナントのっけから事故死させられているのはどういうことでしょう?!(なにも殺さなくたって・笑。ヒュー・グラント好きなのに!)以前のようにコリン・ファースとブリジットとの三つどもえになってないところがちょっと残念。しかし・・・これには最後にオチがつき・・・ってことは、もう一作できそうですよ〜。

 

 

新しい朝カフェどころ@恵比寿

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恵比寿ってよそいきオシャレカフェはいろいろあるけど、ちょっとお茶っていうときにゆったりできるお店って少なかったのです。

ところが、駅のそばに使い勝手のいい「EBISU FOOD HALL」という NY スタイルのフードコートがオープン。

朝はコーヒーとクロワッサンなどのペストリー、お昼はサラダやデリ、そして夜は生牡蠣やプロシュート、ワインなどが楽しめるバルに変身。好きなものを自由に楽しめるお店です。

わたしは朝カフェ利用派なのですが、広々した店内でゆっくり過ごせるのがお気に入り。

まずは、飴焼き状態のハニーバタートーストにトライしてみました。カリッカリです☆ 恵比寿ブレンドというコーヒーは、「あれ、これティー?」というぐらいライトな味わいです。

週に2回は朝カフェするので、使えるお店がふえるのはウレシイ! 次回はモーニングセットのクロワッサンをためしてみたいと思います♪ 夜の生牡蠣も興味あるな〜☆

 

 

「楽屋」さんでライブ♪

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お友だちのSちゃんのお誘いで、アコースティックライブを聴きに行ってきました。

場所はとっても近所、中目黒のライブハウス「楽屋(RAKUYA)」さん。

いろいろなアーティストに楽曲の提供もしているというシンガーソングライター、来嶋けんじさんの軽妙な関西弁トークも楽しめるボーカルとギターのライブ。リピーターさんもいっぱいいて、満席でとっても盛りあがりました。

歌や語りも楽しめたけど、アコースティックとエレクトリックのギター演奏が素晴らしかった!(THE BOOMの宮沢さんにもらった自慢のギターだそうです。)

そして、わたしたちは2ステージの合間に、がっつり食べました。みんな飲みながらつまむ程度で、こんなに食べてる人は皆無!(汗)

「楽屋」さんは、ゴハンがとってもおいしいのです♪ エスニックはあまり得意じゃないわたしだけど、「おいしい!」を連発。

とくに、トムヤムフライドチキン(パリッパリのトムヤム味)と、海老と野菜がたっぷりのグリーンカレーがお気に入り ♡  ゴハンだけでも食べに来たいぐらい。

Sちゃんは来嶋けんじさんとお知り合いで、ステージのあとには気さくにわたしたちのテーブルにお喋りに来てくださいました。

とっても楽しいステージだったし、ゴハンもおいしいので、また「楽屋」さん出演のときには聴きに行ってもいいな〜♪

「楽屋」さんはさまざまなライブを提供しているようで、ポップス系からジャズ、ミュージカル、ベリーダンスまであるようです。

 

 

16-10-26 怖れとサヨナラする

「怖れ? 自分にとって不都合なことや脅かすことが起こったときには、感じるかもしれないけれど・・・ あまりピンときません」と言われるかもしれません。

私たちは本当の感情を誤摩化すのがとても上手なので、怖れはおろか、ちょっとでもイヤな感じ(空虚感、孤独感、無価値感など)を感じると、すぐさま「何か他のもの」でそれをメイクアップして、注意のホコ先を変え、イヤな感じを感じないようにしてしまいます。

友だちと楽しくおしゃべりしたらもう大丈夫!、お酒を飲んだら、買い物をしたら、恋愛をしたら、ギャンブルをしたら、趣味に没頭したら、仕事や家事で忙しくしたら、ホラもう大丈夫!

つまり、「本当の感情なんて、それを直視しなければぜんぜん問題ない!」というわけです。

だから、誤摩化しのために使っているものがなくなると不安になり、すがりついたり、代替を探すかすることになります。失ったときの乗り換えがうまくいかないとき、怖れに直面し不安になるのです。

そして、また探します。本当の気持ちにフタをできる何かを。怖れをカバーしてくれるものを。

私たちは、「怖れている」「不安になっている」「怯えている」自分を、どこか間違っていると感じて、弱くてはずかしい、もっと強くならなくちゃ、と思います。だから、なんとかそれを誤摩化したり、隠したり、強がったり、なくしたりしようとします。

私もむかしは、「学びを続けていけば、あるいはセラピーを続けていけば、いつかは怖れがなくなるに違いない」と思っていたときがあったけれど、いつまでたっても怖れはなくなりません。

シンプルに言ってしまえば、「生きること = 怖れをもつこと」かもしれません。だって、個体という身体を維持するために、つねに危機にさらされ、その孤立感から宇宙遊泳なみの怖れと向き合っているわけだから ・・・ 人間でいる、この世に生きているっていうこと(生存本能があること)じたいが、怖れに満ちた体験なわけです。

生存本能からくる怖れだけでなく、心理的な分離感、孤独感、見捨てられ感というもの、潜在的に抱えています(母体からの分離や、もっと深いワンネスからの分離という)。

でも、「本当の自分」や「本当のこと」への認識が深まると、たしかに怖れの強度は格段に弱まります。でも、分離した個体である・・・という根本的な怖れからは逃れることができません。

だから、「怖れとサヨナラする」のはムリはなはし ・・・ なのです。

そんなとき、「怖れながら、怖れとともに生きなさい」というメッセージを受けとりました。

「怖れがあってあたりまえなのだ」と。「無くそうとすると、敗北感を味わいますよ」と。

怖れを忌み嫌って、なんとか自分の人生から消え失せてもらおうとするのではなくって、「怖れがあってかまわない」と思って生きること。

たった今、車の走る音がして、向かいのカレー屋さんからは下ごしらえの野菜を煮る匂いがただよい、きょうはかなりお寝坊したので頭がぼ〜っとしていて、さらに少し空腹でもあります。これが今わたしの意識に登場しているものたち。

毎瞬、毎瞬、こんな調子でいろんな感覚、感情が登場しては去っていきます。私が握りしめない限り。

でも「怖れ」に関してはなぜか、登場するやいなや「ちょっと、ちょっと、待ってください。なんでこんなところをウロウロしているんですか?あなたは立ち入り禁止ですよ。早く出て行ってください」とばかりにつっかかるわけです。

「つっかかる」=「注意が注がれ」、それが意識に固定され、よりフォーカスされる、より色濃くなるわけです。

これが車の音やカレーの匂いだったら、「ん?匂いがしてる」・・・そして3秒後にはどうでもよくなっています。(ああ、たしかに、どうでもよくないときもあります。「また、カレーの匂い?毎日、強制的にこの匂いにさらされて・・・」みたいな不平不満をエゴが申し立てて、それでも5分もその思考はもちません。

つまり、「怖れ」もこれらの登場人物と同等で、やってきては、さって行くもの。私が頓着さえしなければ。まったく他の思考や感覚、記憶のレベルと同じなのです。

でも、「怖れ」はすぐさまそこから独自のストーリーが展開されたりするので(怖い、こうなっちゃうかも、ああなっちゃうかも、そうしたらこんな最悪なことも!そして、さらにああなって・・・)、飽きのこないおもちゃのように、いつまでもかかわっていられるのですね。かかわればかかわるほど、それがだんだんリアルに思えてくるし・・・。

今朝教えられたのは、「学ぶにつれて、癒すにつれて、簡単に怖れに騙されなくなるのは事実ですが、完全に怖れと縁がきれると信じていると、また自分を責めることになりますよ。それよりも、怖れと仲良くなりなさい。毎朝してくるカレーの匂いと同じです。それがあってもあたまりまえだし、自分にはまったく害をもたらさないものだと思いなさい。実際、怖れには何のパワーもありません。通行人と同じです。あなたが、そこからありもしないストーリーをでっちあげて、それに執着しないかぎりは。怖れはやってきては、ただ通り過ぎ、去っていくだけのものなのです。ただ、ただ、あなたのなかを通り抜けさせてあげなさい」と。

たしかに・・・。怖れがなくならないといけないと思っていると、ずっと敗北感、不完全さを感じることになります。

だから、ただ「スルーすること」を学ぶということ。

最近、わたしが好きなのは、「あなたはザルです」という言葉。

酒豪ということではありません(笑・私はぜんぜんアルコールだめです)。

「なにがやってきても、ただあるがままを体験して、自分のなかを通過させてください」ということ。まったくの抵抗、コントロール、価値判断、避けたい気持ち、なしで!

人生を、自分自身を、ザルにする。

これをはじめてから、なんかとってもち力が抜けました。( ̄。 ̄)ボ~ッ  とくに、このザルをイメージするたびに。

「そうです。私は、ザル人間です!何でも通り抜けちゃう」(笑)

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「怖れとサヨナラする」

「怖れ? 自分にとって不都合なことや脅かすことが起こったときには、感じるかもしれないけれど・・・ あまりピンときません」と言われるかもしれません。

私たちは本当の感情を誤摩化すのがとても上手なので、怖れはおろか、ちょっとでもイヤな感じ(空虚感、孤独感、無価値感など)を感じると、すぐさま「何か他のもの」でそれをメイクアップして、注意のホコ先を変え、イヤな感じを感じないようにしてしまいます。

友だちと楽しくおしゃべりしたらもう大丈夫!、お酒を飲んだら、買い物をしたら、恋愛をしたら、ギャンブルをしたら、趣味に没頭したら、仕事や家事で忙しくしたら、ホラもう大丈夫!

つまり、「本当の感情なんて、それを直視しなければぜんぜん問題ない!」というわけです。

だから、誤摩化しのために使っているものがなくなると不安になり、すがりついたり、代替を探すかすることになります。失ったときの乗り換えがうまくいかないと、怖れに直面し不安になるのです。。

そして、また探します。本当の気持ちにフタをできる何かを。怖れをカバーしてくれるものを。

私たちは、「怖れている」「不安になっている」「怯えている」自分を、どこか間違っていると感じて、弱くてはずかしい、もっと強くならなくちゃ、と思います。だから、なんとかそれを誤摩化したり、隠したり、強がったり、なくしたりしようとします。

私もむかしは、「学びを続けていけば、あるいはセラピーを続けていけば、いつかは怖れがなくなるに違いない」と思っていたときがあったけれど、いつまでたっても怖れはなくなりません。

シンプルに言ってしまえば、「生きること = 怖れをもつこと」かもしれません。だって、個体という身体を維持するために、つねに危機にさらされ、その孤立感から宇宙遊泳なみの怖れと向き合っているわけだから ・・・ 人間でいる、この世に生きているっていうこと(生存本能があること)じたいが、怖れに満ちた体験なわけです。

生存本能からくる怖れだけでなく、心理的な分離感、孤独感、見捨てられ感というもの、潜在的に抱えています(母体からの分離や、もっと深いワンネスからの分離という)。

でも、「本当の自分」や「本当のこと」への認識が深まると、たしかに怖れの強度は格段に弱まります。でも、分離した個体である・・・という根本的な怖れからは逃れることができません。

だから、「怖れとサヨナラする」のはムリはなはし ・・・ なのです。

そんなとき、「怖れながら、怖れとともに生きなさい」というメッセージを受けとりました。

「怖れがあってあたりまえなのだ」と。「無くそうとすると、敗北感を味わいますよ」と。

怖れを忌み嫌って、なんとか自分の人生から消え失せてもらおうとするのではなくって、「怖れがあってかまわない」と思って生きること。

たった今、車の走る音がして、向かいのカレー屋さんからは下ごしらえの野菜を煮る匂いがただよい、きょうはかなりお寝坊したので頭がぼ〜っとしていて、さらに少し空腹でもあります。これが今わたしの意識に登場しているものたち。

毎瞬、毎瞬、こんな調子でいろんな感覚、感情が登場しては去っていきます。私が握りしめない限り。

でも「怖れ」に関してはなぜか、登場するやいなや「ちょっと、ちょっと、待ってください。なんでこんなところをウロウロしているんですか?あなたは立ち入り禁止ですよ。早く出て行ってください」とばかりにつっかかるわけです。

「つっかかる」=「注意が注がれ」、それが意識に固定され、よりフォーカスされる、より色濃くなるわけです。

これが車の音やカレーの匂いだったら、「ん?匂いがしてる」・・・そして3秒後にはどうでもよくなっています。(ああ、たしかに、どうでもよくないときもあります。「また、カレーの匂い?毎日、強制的にこの匂いにさらされて・・・」みたいな不平不満をエゴが申し立てて、それでも5分もその思考はもちません。

つまり、「怖れ」もこれらの登場人物と同等で、やってきては、さって行くもの。私が頓着さえしなければ。まったく他の思考や感覚、記憶のレベルと同じなのです。

でも、「怖れ」はすぐさまそこから独自のストーリーが展開されたりするので(怖い、こうなっちゃうかも、ああなっちゃうかも、そうしたらこんな最悪なことも!そして、さらにああなって・・・)、飽きのこないおもちゃのように、いつまでもかかわっていられるのですね。かかわればかかわるほど、それがだんだんリアルに思えてくるし・・・。

今朝教えられたのは、「学ぶにつれて、癒すにつれて、簡単に怖れに騙されなくなるのは事実ですが、完全に怖れと縁がきれると信じていると、また自分を責めることになりますよ。それよりも、怖れと仲良くなりなさい。毎朝してくるカレーの匂いと同じです。それがあってもあたまりまえだし、自分にはまったく害をもたらさないものだと思いなさい。実際、怖れには何のパワーもありません。通行人と同じです。あなたが、そこからありもしないストーリーをでっちあげて、それに執着しないかぎりは。怖れはやってきては、ただ通り過ぎ、去っていくだけのものなのです。ただ、ただ、あなたのなかを通り抜けさせてあげなさい」と。

たしかに・・・。怖れがなくならないといけないと思っていると、ずっと敗北感、不完全さを感じることになります。

だから、ただ「スルーすること」を学ぶということ。

最近、わたしが好きなのは、「あなたはザルです」という言葉。

酒豪ということではありません(笑・私はぜんぜんアルコールだめです)。

「なにがやってきても、ただあるがままを体験して、自分のなかを通過させてください」ということ。まったくの抵抗、コントロール、価値判断、避けたい気持ち、なしで!

人生を、自分自身を、ザルにする。

これをはじめてから、なんかとってもち力が抜けました。 ( ̄。 ̄)ボ~~~~ッ  とくに、このザルをイメージするたびに。

「そうです。私は、ザル人間です!何でも通り抜けちゃう」(笑)

 

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ハロウィン チョコ

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

カフェレルのハロウィンBOX いただきました。

カファレルといえば、あの金色の三角チョコ ・・・ だと思っていたら、キュートなお化けが二匹(二人?)でてきました。かわい〜♡

かわいすぎて食べられず、また箱にもどってもらうことにしました(笑)。

 

16-10-20 今いることろが、今いるところ!

きょうは、クライエントのY子さんにいただいたメール、「仕事を辞めたいのに辞められない、というループにはまっている感じ」について ・・・。

私たちはみんな、人生をとおして「ここじゃない、どこか」病にかかっています。

「今の私じゃない、もっと素敵な自分になること」「この人じゃない、もっと理想の誰かと一緒にいること」「この仕事じゃない、もっとワクワクする何かにかかわること」「この今じゃない、もっとエキサイティングな今にいること」 ・・・ とにかく、これじゃない! これじゃない! という感じは、まるで呪文のように繰りかえされます。

「これじゃなければ幸せになれるのに」が、今起っていることに対する決まり文句なのです。

それは、自分の不満足感、欠乏感はいつも、パートナー、収入、仕事、おかれた環境、自分の容貌・性格 ・能力、あの人、その人・・・ のせいであり、それを改善したり、乗り越えたり、切り捨てたりすることで、もっとよい何かを手にすることこそが人生であると教育されてきたから。

そうですよね〜。私たちの両目はいつも「外」という世界、そこに現れるあらゆるもの(自分の身体とイメージを含めて)ばかりを見ているのですもの。これを変えずして何を変える!という感じです。

でも、先に言ってしまうと、今の「これしかない!」のです。他なんてないのです。これが今の自分の人生 ・・・ と言えるまで、これなのです。

なぜその状況が目のまえにあるのか・・・ ということを理解すると、少し感じ方は変わります。

状況を変えようと、人やものや世界に挑んでも思うようにいかず ・・・ コントロールはいつも失敗し、結局、さらに無力感、無価値観がつのるばかり ・・・という結果になります。

じつは、これぞ人生のワナ、エゴのワナ。変えることができないものにつねに挑戦させることで、さらにココロをくじき、自分のふがいなさを強化する ・・・という超イジワルなしくみ。

そう、コントロールしようと思えば思うほど、じつはできないのです。もともとできないものだから。すると、同じ努力をグルグル繰りかえすはめになり、ついには「自分に能力がないせいで」と自分を責めるようになります。そして、さらに変えたい気持ちがつのります。

人生じたいをどうとらえるのか ・・・ 「抵抗すべきこと」とみなすのか、あるいは素直に「体験すること」とみなすのか ・・・ その違いによって、結果が変わります。

エゴは「抵抗しろ!」と大声で言いはります。

でも人生とは、ただそのまま「体験する」こと。やってきたもの、目のまえに現れたものを、そのまま、あるがままに体験すること。

「そっか〜。うまくいかないってこういうことか」「なるほど。ジレンマってこんな感じか」「ふたつの思いに引き裂かれるってこんなふうに感じるのか」 ・・・という具合に。自分が抵抗して、切り離してきた「感じ」を受け入れる旅でもあるのです。

私たちは、自分にとって都合のいいことだけを体験することこそが、うまくいっている人生だと思っているけれど、それは勘違いというもの。

人生はつねに、過去に棚上げにしてきた、体験するのを避けてきた、その感じを「今度こそ。感じてみてくださいね」と提示しつづける ・・・ というわけ。

そして、素直に感じる(受け入れる)と、それは分離感がなくなりひとつになって、自分という広大さのなかに溶けさって、ついには終わりになるから。終わりになったら、それから自由になれます。

だから、「ここじゃないどこか」「これじゃない何か」「もっと他のもの」というのは存在しないのです ・・・ 残念ながら。

今あるこれだけが、自分が体験するために人生にさし出されている唯一のものであって、これを体験することが自分のお役目そのもの。

でも、体験にいろんな「こうであるべき」や価値判断やストーリーやこだわりがくっついていると、それは「抵抗」というものに変わって、苦しいものになるかもしれません。

ただそのままの体験として、なにひとつ価値判断せず、素の感覚の「体験」としてあるがままに受けとめるとき、まったく別のものになります。

そして、そうしたがゆえに、さっさと過ぎ去ってくれて、それは終わりになり、新たな体験がやってくるのです。

そのように体験されるまでは、ものごとは膠着状態。

だから、人生がさし出してくるものを、あれこれ御託を並べずに受け入れて、サクサク体験してみること。

そうすると、人生の流れとひとつになって、「あ!結局、よかったわ!これで」っていうセリフが自然と出てくるようになります。

Y子さんいわく、「このループ感は、自分の心の中の思いが統一されておらず、統合されておらず、ぐちゃぐちゃだから・・・・ではないだろうか?」と。

Y子さんが今、仕事や人生について「他の場所に行きたいのに行けない」感じがあるのであれば、徹底的に今感じているその感じ(葛藤や不満や、矛盾や混乱など)に向きあって、ただただその感じを自分に経験させてあげてください。

そのジレンマやくちゃくちゃ感をしっかりと受けとめたときに、「その感じ」から卒業して、きっと次の扉が自動的にやってきます。次の扉というのは、いつも自分で開くものではなくって、勝手にやってきて開いてくれるものなのですね。

そのためには、人生が「いいよ!」というまで、その感じを堪能(?)しきってみること。

きっと、次なる扉が自然にあらわれて、Y子さんはそれを当然のことのように開くことができるのだと思います。 (✿´ ꒳ ` )

 

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