イブニングセミナーのゆうべ

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

昨日はイブニングセミナー  「 頑張っているけど報われない・・・そのわけは? 」のキャリア編、大野美樹さんのセミナー。わたしは、司会とご案内役でした。

夜のセミナーの備えて夕方から腹ごしらえ。「j.s. pancake cafe 青山 」にて。

わたしは、レモンリコッタパンケーキ。美樹さんはストロベリーとバナナ。

リコッタパンケーキとしては、ここのお味は気に入りました。

まわりの十代の女子たちは喜々としてぺろりとたいらげておりましたが、これはかなりのものです。使命感に燃えて全部いただきましたが、最後のほうは意識がかすみそう・・・(笑)。

おかげさまでセミナー終了の21:00 まで、空腹知らず。(いえ、正しくは翌朝まで!)

さて8/29日(金)は、イブニングセミナー  「 頑張っているけど報われない・・・そのわけは? 」のこころ・人生編。わたくし、古川貴子がセミナーをさせていただきます。まだ、お席に余裕がございますので、どうぞお時間がありましたらご参加お待ちしております。 (^-^)ノ (詳細・お申し込みはこちら)

14-08-03 魂のうた声 “「ザ・テノール 」

艶やかで、ふくよかで、聴いているだけでこちらの心がどこまでも広がっていくような歌声・・・アジア史上最高のテノールといわれたオペラ歌手、ベー・チェチョルさん。

この映画は、天才とうたわれキャリアを着実に築きつつあったチェチョルさんが、甲状腺ガンで声を失い、絶望のどん底から奇跡的に復活をとげる実話をもとにした物語、試写会で拝見してきました。

まず冒頭で流れる彼の歌声がほんとうに素晴らしい!

でも今回、彼の魂は天性の歌声や磨き上げた技術にあきたらず、もっとたかみを目指すチャレンジを心に決めてきたのです。それは、あらゆる感情・・・挫折、絶望、どん底の苦しみ、怒り、自暴自棄、悲しみ・・・希望、愛、感謝、信頼、喜び・・・を自分の魂に刻み深く込み、そこから溢れ出てくるすべてを歌として表現すること。

そして彼の魂が決めた今回の人生の筋書きは、すべての感情を一気に深く経験するために、まさに自分の「宝」である天性の声を一度失うということだったのです。

でもそれだけのチャレンジを決めてきてくるとき、ちゃんとそれを越えられるだけの応援団も用意してきているのです。

彼の場合は、どこまでも再起を信じてやまず、背中を押し続けてくれる音楽プロデューサーの存在であり、また再起不能といわれた彼の声帯を調整することができる技術をもったお医者さんの存在。(お二人とも、試写の会場にいらしていました。)

わたしたちの人生には、ときとしてとても越えられないように思える壁がたちはだかります。それは外からやってきたように見えたとしても、じつは自分の魂がたかみを目指して設定してきたハードル。そして、もちろんそれを越えるための手段もちゃんと用意してきているのです。その助けは自分の中にある・・・というよりも、たいてい外からてやってくる、そんな自分の守護天使さんたちを自分のまわりに用意しているのです。でもそれに気づくには、自分がちゃんと心を開いて、周りからの助けを受け入れる必要があります。

復帰したチョチェルさんの声は以前とはもちろん同じではないと思うのですが、きっと聴く人の魂の奥深くにしみこんで、彼がこの困難きわまる道のりで手にしてきた彼の魂の光をぞんぶんに伝えてくれるのだと思います。

試写はオペラを歌う友人とご一緒しました。プロの歌い手さんにはかなり辛口の彼女ですが、その歌声にとっても感動していました。10月に行われる東京での演奏会に行ってみるそうです。

テノールの響きも堪能できますが、映画として画面も美しいです(チェチョルさん役の俳優さん、ユ・ジテさんがとってもステキです)。また、このストーリーを見ることで、きっと自分自身の天使さんたちの存在にも気づくことができるようになるかもしれません。

「ザ・テノール 真実の物語」予告はこちら

お茶の間シネマトーク「 魂のうた声 “ ザ・テノール ”」

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

艶やかで、ふくよかで、聴いているだけでこちらの心がどこまでも広がっていくような歌声・・・アジア史上最高のテノールといわれたオペラ歌手、ベー・チェチョルさん。

この映画は、天才とうたわれキャリアを着実に築きつつあったチェチョルさんが、甲状腺ガンで声を失い、絶望のどん底から奇跡的に復活をとげる実話をもとにした物語、試写会で拝見してきました。

まず冒頭で流れる彼の歌声がほんとうに素晴らしい!

でも今回、彼の魂は天性の歌声や磨き上げた技術にあきたらず、もっとたかみを目指すチャレンジを心に決めてきたのです。それは、あらゆる感情・・・挫折、絶望、どん底の苦しみ、怒り、自暴自棄、悲しみ・・・希望、愛、感謝、信頼、喜び・・・を自分の魂に刻み深く込み、そこから溢れ出てくるすべてを歌として表現すること。

そして彼の魂が決めた今回の人生の筋書きは、すべての感情を一気に深く経験するために、まさに自分の「宝」である天性の声を一度失うということだったのです。

でもそれだけのチャレンジを決めてきてくるとき、ちゃんとそれを越えられるだけの応援団も用意してきているのです。

彼の場合は、どこまでも再起を信じてやまず、背中を押し続けてくれる音楽プロデューサーの存在であり、また再起不能といわれた彼の声帯を調整することができる技術をもったお医者さんの存在。(お二人とも、試写の会場にいらしていました。)

わたしたちの人生には、ときとしてとても越えられないように思える壁がたちはだかります。それは外からやってきたように見えたとしても、じつは自分の魂がたかみを目指して設定してきたハードル。そして、もちろんそれを越えるための手段もちゃんと用意してきているのです。その助けは自分の中にある・・・というよりも、たいてい外からてやってくる、そんな自分の守護天使さんたちを自分のまわりに用意しているのです。でもそれに気づくには、自分がちゃんと心を開いて、周りからの助けを受け入れる必要があります。

復帰したチョチェルさんの声は以前とはもちろん同じではないと思うのですが、きっと聴く人の魂の奥深くにしみこんで、彼がこの困難きわまる道のりで手にしてきた彼の魂の光をぞんぶんに伝えてくれるのだと思います。

試写はオペラを歌う友人とご一緒しました。プロの歌い手さんにはかなり辛口の彼女ですが、その歌声にとっても感動していました。10月に行われる東京での演奏会に行ってみるそうです。

テノールの響きも堪能できますが、映画として画面も美しいです(チェチョルさん役の俳優さん、ユ・ジテさんがとってもステキです)。また、このストーリーを見ることで、きっと自分自身の天使さんたちの存在にも気づくことができるようになるかもしれません。

「ザ・テノール 真実の物語」予告はこちら

きけん!ポットばくだん

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

土用の丑の日を迎え、暑さもたけなわですね〜。

熱中症にならないように、お出かけには水分がかかせません。わたしはウィルキンソンの炭酸水が好きなので持って行きたいのですが、500mlはさすがに重い。

そうだ!マグボトルに移しかえよう!ちっちゃめだったので、なみなみになっちゃいました。ちょっといやな予感がしたけど、きっちりとフタをしめて、いざ出発!!

途中電車でひとくち・・・と思ったら、フタがびくとも回らない。異常なかたさだ。それにこころなしか、フタが傾いている・・・。こ、こ、これって・・・勢いよく歩いているうちにウィルキンソンのパワフルな炭酸がシェイクされて、中がパンパンになってフタがまわらない・・・?

ひゃ〜、なんかこういうの爆発した事件ってなかったですか?!・・・車内でバクハツされたらたまったものではありません。バッグのファスナーをきっちりとしめて、おおいかぶさるように持ったものの・・・それはそれでバクダンを隠し持つ自爆テロ犯のようなへんな心理状態 ・・・(汗)。

そのうち、乗り換えやら目的地でのあれこれですっかり忘れてしまったのですが・・・。

帰りのバスを待ちながらスマホを取り出そうとしたら、きましたよっ!いきなり!「パッカ〜〜〜ン!!」という大きな音とともに、上空に何かが飛び去った。

きゃ〜〜、マグのフタがっっっ!!

さいわい、あたりに人がいなかったことと、わたしのおでこも直撃しなかったので命拾いしました。

マグのフタは、ちょっと離れた舗道に静かに転がっていたので、なにごともなかったごとく回収に成功!

たんなる炭酸水がこんなにも命をおびやかす凶器になろうとは・・・・。くれぐれも移しかえにはご用心です。

それにしても、このふっとんだマグボトル、また再起できるかしら・・・(汗)、でも炭酸は入れないぞ!

美人のわんちゃんたち

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

熱海でお仕事でした〜。

いつも到着すると三匹のトイプーたちが弾丸のように飛んできて、体当たりのご挨拶をしてくれます。おうちの前でタクシーを降りて、門を開けようとする頃には、おうちの中でキャンキャン大騒ぎしているのが聞こえてくるのですよね〜。

とってもかわいいんだけど、まったくじっとしててくれないのでそのお姿をとらえられません。

モコモコ・・・

スカートをがぶり・・・

実はこの子たち三匹とも、すんでのところで処分されそうだった子たちなのです。ある子はマリー・アントワネットのように白髪になっていたし、ある子は抱っこしても四肢がつっぱって、飛行中のモモンガのようだったし、どの子もとってもおびえていたのです。

でも愛情をかけてケアしてもらうと、ほんとうに元気いっぱいになったし、お顔も美人になったし、みんな幸せそう。なんといっても、人なつっこい。

そのなかの一匹が、わたしのお仕事部屋でおしっこしちゃったのですが、まったく怒られることなく「ここはしなくていいんだよ〜」と優しくさとされていました。これを見ていると、しつけと称して怒りをぶつけてしまいがちだけど、ただ静かに言ってあげれば犬でもわかるのだな〜と思いましたよ。

このわんちゃんたちに「いや〜、昔は○○だったのに、今やゴージャスになっちゃって」なんて話をすると、ちょっといやな顔をされちゃいます。「もう、過去のことはいいの。今、ハッピーだからそれでいいの」と言っているようです。ほんとだね!

14-07-25 人生をよくするカギは子ども時代にあり

日々、カウンセリング・セラピーというお仕事をしながら、クライエントさんとともにさまざまな人生の問題を紐といていくうちに、ほんとうに私たちは子どもの頃の間違った思い込み(誤解)を、宇宙の普遍的なルールのように後生大事に意識のなかに抱えこんで生きているんだな〜と感じます。

そしてそれは、自分にとってあまりに「あたりまえ」すぎて、本当かどうか疑ってみる機会さえありません。当然のあまり自分の一部になっています。

幼い頃はそのルールに従っていれば、親の保護やら愛情らしきものがもらえたように思えたかもしれません。でも、お子ちゃま向けだったルールが大人にとって役に立ち続けるとは、誰が考えてもおかしな話。・・・私たちが握りしめている子どものルールは、大人のわたしたちの首をしめて、それはそれは生き心地を悪くします。なぜなら、それは本当の自分でいることを許さないからです。

私たちは何が子どもの頃のルールかも調べることもせず、ただただそれを持ち続けることによって、同じストーリーを再生し続けます。

たとえば・・・あまりにもはしゃぎすぎて元気がよすぎて、ほとばしるエネルギーで母親をぶってしまった男の子は、「もう、なんて乱暴なの、この子は!」と母はカッとして力いっぱい払いのけるかもしれません。するとその動作とひとことによって、その子は「自分のなかから湧き上がるエネルギーを表現すると一気に愛を失うのだ」と、心に決めるかもしれません。「ボクがほんとうの自分でイキイキしてると、嫌われて一人ぼっちになる」・・・。

でも、母は母で、子どもが荒っぽく飛びついてきた瞬間に、もしかすると幼い頃、男の子にいじめられた体験が甦ったのかもしれません。無邪気な表現を、無意識のうちに攻撃と解釈してしまったのです。

とくに大きなトラウマ的な体験がなくっても、こんなたった一回の経験で子どもだった私たちの無邪気なハートは一生閉じてしまったりするのです。 ・・・ 「あの日、お母さんはお父さんとケンカしていらいらしていたんだよ」とか、「ひとりぼっちの子育てに疲れて、誰かにあたりたかったんだよ」とか、「子どものとき、いじめられたのを思い出したの」とか・・・誰かが誤解をといてくれるまで「ありのままでは愛されない自分」というレッテルを貼り続けてしまうのです。

この自分に対する間違った思い込みは、のちの人間関係の中で何度も痛みをつくりだします。何度も、何度も、同じように戻ってくるのです。

なぜなら、自分の高い意識は「どうしてもこれを癒したい」と思っているからです。そのためには、問題を目の前にぶらさげて、自覚してもらう必要があるからです。「ねえ、ねえ、早く問題に気がついて、この誤解を癒そうよ」と。

そしてさらに高い目線から見ると、子どものときの母からの傷ついた一言でさえ、じつはもっと昔の魂レベルの痛みを浮上させるために起きています。つまり、もっと前の人生での課題が、子どものときの親との関係に再生されて、それが人生での癒しのテーマとなるのです。

私たちがここに生まれてくるのは、「すべての誤解をといて、本当の自分を取り戻すため」。そのために、ここにやってきて、早いうちから親に問題提起をしてもらい、その後の人生で同じ問題を繰り返すことにより、自分が今回どんな問題のどんな誤解を解かなければならないかを問題に直面しながら気がついていく・・・ということです。

でも、問題を外型のせいにして、「あいつが悪い!」と言ってしまうと、延々と自分が自由になるチャンスを逃します。

外に何がみえようとも、「これはいったい、わたしの中で何が起きているのだ?小さいころの痛みとこの問題の関連性は何?何が繰り返されているの?」と自分に問いかけると、だんだんと自分の誤解をとくポイントが見えてきます。高い意識も気づきに参加してて、誤解のからくりが見えてきます。

何かあったときに外側と戦うことをやめて、自分の中に何があるかお問い合わせする習慣をもつと、もう同じパターンの問題で苦しめられることはなくなります。

さてさて、あなたの幼少期の心の痛みとは何だったのでしょう?(トラウマというものがなくっても、私たちの子ども時代はフラストレーションがいっぱいあったはずです)、それはどんな形で再生され続けているのでしょう?そして、そこにはどんな誤解がひそんでいるのでしょうか??

探偵になったつもりでナゾときをしてみると、「あ〜〜!・・・なるほどね」という気づきがやってくるかもしれません。そうしたら、ついに固くとじていた環がとけるときです。

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

 

8月のイブニングセミナー「頑張っていいるのに報われない・・・そのわけは?」
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気づきの日記「 人生をよくするカギは子ども時代にあり 」

日々、カウンセリング・セラピーというお仕事をしながら、クライエントさんとともにさまざまな人生の問題を紐といていくうちに、ほんとうに私たちは子どもの頃の間違った思い込み(誤解)を、宇宙の普遍的なルールのように後生大事に意識のなかに抱えこんで生きているんだな〜と感じます。

そしてそれは、自分にとってあまりに「あたりまえ」すぎて、本当かどうか疑ってみる機会さえありません。当然のあまり自分の一部になっています。

幼い頃はそのルールに従っていれば、親の保護やら愛情らしきものがもらえたように思えたかもしれません。でも、お子ちゃま向けだったルールが大人にとって役に立ち続けるとは、誰が考えてもおかしな話。・・・私たちが握りしめている子どものルールは、大人のわたしたちの首をしめて、それはそれは生き心地を悪くします。なぜなら、それは本当の自分でいることを許さないからです。

私たちは何が子どもの頃のルールかも調べることもせず、ただただそれを持ち続けることによって、同じストーリーを再生し続けます。

たとえば・・・あまりにもはしゃぎすぎて元気がよすぎて、ほとばしるエネルギーで母親をぶってしまった男の子は、「もう、なんて乱暴なの、この子は!」と母はカッとして力いっぱい払いのけるかもしれません。するとその動作とひとことによって、その子は「自分のなかから湧き上がるエネルギーを表現すると一気に愛を失うのだ」と、心に決めるかもしれません。「ボクがほんとうの自分でイキイキしてると、嫌われて一人ぼっちになる」・・・。

でも、母は母で、子どもが荒っぽく飛びついてきた瞬間に、もしかすると幼い頃、男の子にいじめられた体験が甦ったのかもしれません。無邪気な表現を、無意識のうちに攻撃と解釈してしまったのです。

とくに大きなトラウマ的な体験がなくっても、こんなたった一回の経験で子どもだった私たちの無邪気なハートは一生閉じてしまったりするのです。 ・・・ 「あの日、お母さんはお父さんとケンカしていらいらしていたんだよ」とか、「ひとりぼっちの子育てに疲れて、誰かにあたりたかったんだよ」とか、「子どものとき、いじめられたのを思い出したの」とか・・・誰かが誤解をといてくれるまで「ありのままでは愛されない自分」というレッテルを貼り続けてしまうのです。

この自分に対する間違った思い込みは、のちの人間関係の中で何度も痛みをつくりだします。何度も、何度も、同じように戻ってくるのです。

なぜなら、自分の高い意識は「どうしてもこれを癒したい」と思っているからです。そのためには、問題を目の前にぶらさげて、自覚してもらう必要があるからです。「ねえ、ねえ、早く問題に気がついて、この誤解を癒そうよ」と。

そしてさらに高い目線から見ると、子どものときの母からの傷ついた一言でさえ、じつはもっと昔の魂レベルの痛みを浮上させるために起きています。つまり、もっと前の人生での課題が、子どものときの親との関係に再生されて、それが人生での癒しのテーマとなるのです。

私たちがここに生まれてくるのは、「すべての誤解をといて、本当の自分を取り戻すため」。そのために、ここにやってきて、早いうちから親に問題提起をしてもらい、その後の人生で同じ問題を繰り返すことにより、自分が今回どんな問題のどんな誤解を解かなければならないかを問題に直面しながら気がついていく・・・ということです。

でも、問題を外型のせいにして、「あいつが悪い!」と言ってしまうと、延々と自分が自由になるチャンスを逃します。

外に何がみえようとも、「これはいったい、わたしの中で何が起きているのだ?小さいころの痛みとこの問題の関連性は何?何が繰り返されているの?」と自分に問いかけると、だんだんと自分の誤解をとくポイントが見えてきます。高い意識も気づきに参加してて、誤解のからくりが見えてきます。

何かあったときに外側と戦うことをやめて、自分の中に何があるかお問い合わせする習慣をもつと、もう同じパターンの問題で苦しめられることはなくなります。

さてさて、あなたの幼少期の心の痛みとは何だったのでしょう?(トラウマというものがなくっても、私たちの子ども時代はフラストレーションがいっぱいあったはずです)、それはどんな形で再生され続けているのでしょう?そして、そこにはどんな誤解がひそんでいるのでしょうか??

探偵になったつもりでナゾときをしてみると、「あ〜〜!・・・なるほどね」という気づきがやってくるかもしれません。そうしたら、ついに固くとじていた環がとけるときです。

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

 

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懐かしの珈琲の香り

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

お友達の息子さん、Pちゃんがバイトをしている珈琲屋さんにお邪魔してきました。

ちょっとお高めだけど、おいしい珈琲を出すお店というイメージの椿屋さん。わたしはモンブラン、Pちゃんママはコーヒーゼリー。そしてPちゃん珈琲。

わあ!たっぷりだ〜!(わたしたちがトクベツではありません。)

一口ふくんで、とっても懐かしいお味。そう、ここはサイフォン珈琲なのです。最近はどこもエスプレッソマシンであっというまにできあがるコーヒーが主流ですが、サイフォンはまったく違った香りです。

Pちゃんはバイトといっても珈琲豆を管理しつつ、一杯一杯すべての珈琲をまかされているプロフェッショナル。いれるのにこだわりがあります。

マシンとはまったく違う、ふんわりやさしく懐かしいお味のコーヒーに癒されました。

新宿高島屋の椿屋さんでは、もしも運がよければ・・・長谷部選手似のさわやか男子、Pちゃんがおいしいコーヒーをたててくれます。

14-07-20 わたし、使命を知りたいのですが・・・

しばしばクライエントさんから尋ねられるご質問、「わたしの使命って何でしょうか?」「わたしは何をするため生まれてきたのでしょうか?」と。

自分がここにいる意味を自覚したい・・・ということですよね。もちろん、セラピーのなかにはそのような内容も含まれるのですが・・・。それはわたしが答えることではなく、自分の中で感じること。

たとえば・・・「今、あなたがたくさんのネコに囲まれているイメージが浮かびました。ネコにかかわるお仕事がいいでしょう」なんて答えたとします(ぜったいありえませんが・・・汗)。でも、その方はネコアレルギーかもしれないし、イヌの方が好きかもしれません。万がいちネコが好きだったとしても、仕事にはしたくないかもしれません。

たしかにセラピーでお話ししているうちに、ご本人よりも客観的に長所や短所をとらえられたり、才能がみえてきたり、深い意識の中で表現されたがっているものに気づいてしまうことは多々あります。

それでも、占いであろうとセラピーであろうと、外から一方的に与えられたものは本当の意味で自分に役に立つことはありません。たとえそれに従ったとしても、与えられたものには真の喜びやイキイキ感、自分がつき動かされるエネルギーはがないのです。

わたしたちが本当にお腹の底から「わかった」「知った」「実感した」とき感じられたときこそ、それが自分を突き動かしてくれるもの。そのお腹の底からがっつりと気がつくプロセスをお手伝いするのが、セラピーの役割。だからそれは与えられるというよりも、セラピーを進めていくプロセスのなかで自分の深い部分と通じるようになってなじめて、自ずと自分のなかに明かされてくるもの。ご本人の深い部分につなげていくのが、セラピーセッションなのです。

セラピーはいわば、「ほんとうのすべてを知っている自分」の上にかぶさったた〜くさんのホコリ、仮面(それは今生のものだけではないかもしれません)を、きれいに取りのぞいて、そのホコリや仮面でさえもエネルギーとして自分の中に取りこみ一体化し、真の部分の輝きをのびのびと取り戻すこと。

生きてくる中で怖れから築いてしまったたくさんの防御やまちがった考え方に気づいていくうちに、傷つかないように奥へ奥へと追いやった本当の自分が少しずつあらわれはじめます。これこそが、わたしたちの人生を導いてくれる水先案内人でありパワーなのです。

その部分こそが、自分は何をしたくてここにいるのか、どうやって生きたいのかをちゃんと知っていて、そしてその部分に耳を傾けるほどにそれは語りはじめ、魂がふるえるほどの愛情や感動やイキイキした感じを人生にフィードバックしてくれることろでもあるのです。

ついついわたしたちは、何かが欲しいときに外へ外へと探しに出かけます。でも、外には実際何ひとつ答えはありません。外に頼るということは、そこにあるほんとうの自分の力を信頼せず、ないがしろにすることでもあるのです。いつまでたっても、そこにある燃え上がるようなパワーを見つけることはできません。

外に探しに行くとき、もはやわたしたちの深い部分の叡智はすでにあなたに語りかけることができなくなります。あなたが耳を傾けなくなってしまったから・・・・。

自分を信じるスタート地点は「自分が何を感じているのか」常に気遣ってあげること。「ほんとうのところはどうなの?」と自分の本心を包み隠さずくみとってあげること。たとえそれが最悪に落ち込んでいようとも、元気づけるよりはただ感じて一緒にいて、「そうだよね。感じてあたりまえだよね」とそう感じることを許してあげること。

嬉しいときは簡単ですが、つらいときにはわたしたちはさっさとその感情をなかったことにして潜在意識の中へ深くしまいこみます。あるいはニセの感情とすり変えようとします。これこそが自分の輝きを阻止するホコロや仮面へと変わってしまいます。

しかし、丁寧に感じることをしていくうちに、ひとつひとつの自分の秘密を明かしてくれるようになるのです。

生きることは、つねに自分対自分との関係。それが世の中に投影されてきます。それをわたしたちは常に見ているのです。

そろそろ外側にばかり答えを探しに行くのをやめて、静かに自分の中にある本当のことへと目線を移してみましょう。もっともっと、自分の内側を感じ、大切にして、たとえそれが最悪でも、やさしい友のようにただ受けとめて、よりそってあげましょう。

そうすると、あなたの中心から大切なことが解き明かされて、パワーや愛とともにそれを感じられるようになってくるのです。

 

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

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気づきの日記「 わたし、使命を知りたいのですが・・・ 」

しばしばクライエントさんから尋ねられるご質問、「わたしの使命って何でしょうか?」「わたしは何をするため生まれてきたのでしょうか?」と。

自分がここにいる意味を自覚したい・・・ということですよね。もちろん、セラピーのなかにはそのような内容も含まれるのですが・・・。それはわたしが答えることではなく、自分の中で感じること。

たとえば・・・「今、あなたがたくさんのネコに囲まれているイメージが浮かびました。ネコにかかわるお仕事がいいでしょう」なんて答えたとします(ぜったいありえませんが・・・汗)。でも、その方はネコアレルギーかもしれないし、イヌの方が好きかもしれません。万がいちネコが好きだったとしても、仕事にはしたくないかもしれません。

たしかにセラピーでお話ししているうちに、ご本人よりも客観的に長所や短所をとらえられたり、才能がみえてきたり、深い意識の中で表現されたがっているものに気づいてしまうことは多々あります。

それでも、占いであろうとセラピーであろうと、外から一方的に与えられたものは本当の意味で自分に役に立つことはありません。たとえそれに従ったとしても、与えられたものには真の喜びやイキイキ感、自分がつき動かされるエネルギーはがないのです。

わたしたちが本当にお腹の底から「わかった」「知った」「実感した」とき感じられたときこそ、それが自分を突き動かしてくれるもの。そのお腹の底からがっつりと気がつくプロセスをお手伝いするのが、セラピーの役割。だからそれは与えられるというよりも、セラピーを進めていくプロセスのなかで自分の深い部分と通じるようになってなじめて、自ずと自分のなかに明かされてくるもの。ご本人の深い部分につなげていくのが、セラピーセッションなのです。

セラピーはいわば、「ほんとうのすべてを知っている自分」の上にかぶさったた〜くさんのホコリ、仮面(それは今生のものだけではないかもしれません)を、きれいに取りのぞいて、そのホコリや仮面でさえもエネルギーとして自分の中に取りこみ一体化し、真の部分の輝きをのびのびと取り戻すこと。

生きてくる中で怖れから築いてしまったたくさんの防御やまちがった考え方に気づいていくうちに、傷つかないように奥へ奥へと追いやった本当の自分が少しずつあらわれはじめます。これこそが、わたしたちの人生を導いてくれる水先案内人でありパワーなのです。

その部分こそが、自分は何をしたくてここにいるのか、どうやって生きたいのかをちゃんと知っていて、そしてその部分に耳を傾けるほどにそれは語りはじめ、魂がふるえるほどの愛情や感動やイキイキした感じを人生にフィードバックしてくれることろでもあるのです。

ついついわたしたちは、何かが欲しいときに外へ外へと探しに出かけます。でも、外には実際何ひとつ答えはありません。外に頼るということは、そこにあるほんとうの自分の力を信頼せず、ないがしろにすることでもあるのです。いつまでたっても、そこにある燃え上がるようなパワーを見つけることはできません。

外に探しに行くとき、もはやわたしたちの深い部分の叡智はすでにあなたに語りかけることができなくなります。あなたが耳を傾けなくなってしまったから・・・・。

自分を信じるスタート地点は「自分が何を感じているのか」常に気遣ってあげること。「ほんとうのところはどうなの?」と自分の本心を包み隠さずくみとってあげること。たとえそれが最悪に落ち込んでいようとも、元気づけるよりはただ感じて一緒にいて、「そうだよね。感じてあたりまえだよね」とそう感じることを許してあげること。

嬉しいときは簡単ですが、つらいときにはわたしたちはさっさとその感情をなかったことにして潜在意識の中へ深くしまいこみます。あるいはニセの感情とすり変えようとします。これこそが自分の輝きを阻止するホコロや仮面へと変わってしまいます。

しかし、丁寧に感じることをしていくうちに、ひとつひとつの自分の秘密を明かしてくれるようになるのです。

生きることは、つねに自分対自分との関係。それが世の中に投影されてきます。それをわたしたちは常に見ているのです。

そろそろ外側にばかり答えを探しに行くのをやめて、静かに自分の中にある本当のことへと目線を移してみましょう。もっともっと、自分の内側を感じ、大切にして、たとえそれが最悪でも、やさしい友のようにただ受けとめて、よりそってあげましょう。

そうすると、あなたの中心から大切なことが解き明かされて、パワーや愛とともにそれを感じられるようになってくるのです。

 

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

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