13-12-07 自分を日々、ホメちゃいましょう!

わたしたちが必要としている言葉とは何でしょう?
何を言われたくて、わたしたしは日々努力しているのでしょう?

「あなたが必要だ」と誰かに言ってもらうこと?
「大切な人だ」「かけがえのない存在だ」「あなたじゃなくちゃダメなんだ」と・・・それは職場でも親密な人間関係でも同じです。わたしたちは「そのままの自分で大切にされたい、認められたい、かけがえのない存在だと言われたい」のです。

そのために、日々努力しています。ときには、本当の自分とは違うものになってもいい・・・認められるためならば・・・と。

でも人はあてになりません。あなたに感謝していても口に出してくれるとは限らないし・・・なによりもみんな、人生をサバイバルすることに忙しくって、「人を認めている」ヒマがあったら「わたしが先に、認められたい」とさえ思っているわけです。(かなり余力がないと、人をほめられません。)

だから、自分が欲しいものが「外からやってくる」のをじっと待っていると、いつまでたってもやってこないことにガッカリするし、やってこないのは自分に価値がないからと思ってしまいます。

なのに、わたしたちは常に外を気にすることを覚えてしまいました。「何かはいつも外からやってくる」と思っているから。コワイものも、与えられるものも、みんな外からくると・・・。だから、外を気にすることに全部のエネルギーを使ってしまうのです。

・・・じつは・・・「外と内は同じ」であること。「外側と自分は、じつはつながっている」ということを誰も教えてくれなかったから。

ほんとうは、「外側は自分の内側の合わせ鏡」。

よ〜く、よ〜く気をつけて見ていると、外側の世界は自分のココロの世界を追いかけてきているのがわかります。自分の持っていた気持ち・感情をなぞるように、象徴するような何かが起ってくるのです。

外側のことにびっくりして、反応すればするほど、じつはその渦の中に巻きこまれて、何がなんだかわからなくなってしまいます。

さて・・・そもそも、なぜそんなに外側から認められたいと思うようになってしまったのでしょう?

わたしたちは幼少の頃、家でも学校でも、常に「ちゃんんとできているか」「できていないか」をジャッッジされてきたし、常に採点されてきたのです。・・・だから、うまくいっているのか、これでいいのか、ここに存在していていいのか、間違っていないのか・・・取り返しがつかないうちに、誰かに何かを言ってほしいのです。

誰かの言葉を待っていると、たとえその言葉がきたとしても、その言葉の主に依存してしまうことになります。その言葉なしではいられなくなっちゃう。

基本的には人生、「自給自足」なのです!外からやってくるのを期待をしてもんもんとするよりも、まずは自分に自分で与えてあげることが大切なのですね。

なにはともあれ、まずは自分で自分にOKを出してあげましょう!

自分で自分をホメてあげましょう!自分で自分にハイタッチしてあげましょう!自分で自分にハグしてあげましょう!・・・そして、自分で自分にちゃんとごほうびをあげましょう!

わたしたちは自分の大切な人だと一生懸命ねぎらうけれど、こと自分に関しては、まるで存在していないようにないがしろにしがちです。

なかなかすぐに大きな承認はできないかもしれませんが、夜、眠る前に「きょうの努力」をちゃんとホメたたえてあげること。「雨の中、よく会社に行ったよね〜」「あの上司、機嫌がわるかったけど、よくガマンして仕事したよね〜」「8時間も働いて偉いね〜」「あのレポート、間に合ったね!すごいね」(実際、わたしたちは日々たくさんの努力をしているのです。ひとつひとつ、「あたりまえだ!」なんて冷たく言い放たずに、ねぎらってあげましょう。)

こんなシンプルな自分をホメるクセでも、じつは心にはとても大きな癒し効果、平安効果があります。

こまめにやっていると・・・外から賞賛されるか、認められるかなんて、あまり気にならなくなるし、人に対して、腹がたったり、ひがんだりしなくなるし。・・・そして、なによりもよいことは、自分が自分をホメていると、あら不思議、まわりも自分のことをホメてくれるようになってくるのです。(そうそう!外は自分の合わせ鏡!ホメられる自分を見せてくれる。)

もうすぐクりスマスですね。この一年の自分の努力やいろいろをねぎらって、是非、自分自身にすてきなクリスマスプレゼントを買って、お疲れさま会でもしてくださいね〜。自分との望年会も!

まわりの人よりも、まずは、自分にやさしく♡やさしく♡


(「気づきの日記」バックナンバーはこちら
: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

気づきの日記「自分を日々、ホメちゃいましょう!」

わたしたちが必要としている言葉とは何でしょう?
何を言われたくて、わたしたしは日々努力しているのでしょう?

「あなたが必要だ」と誰かに言ってもらうこと?
「大切な人だ」「かけがえのない存在だ」「あなたじゃなくちゃダメなんだ」と・・・それは職場でも親密な人間関係でも同じです。わたしたちは「そのままの自分で大切にされたい、認められたい、かけがえのない存在だと言われたい」のです。

そのために、日々努力しています。ときには、本当の自分とは違うものになってもいい・・・認められるためならば・・・と。

でも人はあてになりません。あなたに感謝していても口に出してくれるとは限らないし・・・なによりもみんな、人生をサバイバルすることに忙しくって、「人を認めている」ヒマがあったら「わたしが先に、認められたい」とさえ思っているわけです。(かなり余力がないと、人をほめられません。)

だから、自分が欲しいものが「外からやってくる」のをじっと待っていると、いつまでたってもやってこないことにガッカリするし、やってこないのは自分に価値がないからと思ってしまいます。

なのに、わたしたちは常に外を気にすることを覚えてしまいました。「何かはいつも外からやってくる」と思っているから。コワイものも、与えられるものも、みんな外からくると・・・。だから、外を気にすることに全部のエネルギーを使ってしまうのです。

・・・じつは・・・「外と内は同じ」であること。「外側と自分は、じつはつながっている」ということを誰も教えてくれなかったから。

ほんとうは、「外側は自分の内側の合わせ鏡」。

よ〜く、よ〜く気をつけて見ていると、外側の世界は自分のココロの世界を追いかけてきているのがわかります。自分の持っていた気持ち・感情をなぞるように、象徴するような何かが起ってくるのです。

外側のことにびっくりして、反応すればするほど、じつはその渦の中に巻きこまれて、何がなんだかわからなくなってしまいます。

さて・・・そもそも、なぜそんなに外側から認められたいと思うようになってしまったのでしょう?

わたしたちは幼少の頃、家でも学校でも、常に「ちゃんんとできているか」「できていないか」をジャッッジされてきたし、常に採点されてきたのです。・・・だから、うまくいっているのか、これでいいのか、ここに存在していていいのか、間違っていないのか・・・取り返しがつかないうちに、誰かに何かを言ってほしいのです。

誰かの言葉を待っていると、たとえその言葉がきたとしても、その言葉の主に依存してしまうことになります。その言葉なしではいられなくなっちゃう。

基本的には人生、「自給自足」なのです!外からやってくるのを期待をしてもんもんとするよりも、まずは自分に自分で与えてあげることが大切なのですね。

なにはともあれ、まずは自分で自分にOKを出してあげましょう!

自分で自分をホメてあげましょう!自分で自分にハイタッチしてあげましょう!自分で自分にハグしてあげましょう!・・・そして、自分で自分にちゃんとごほうびをあげましょう!

わたしたちは自分の大切な人だと一生懸命ねぎらうけれど、こと自分に関しては、まるで存在していないようにないがしろにしがちです。

なかなかすぐに大きな承認はできないかもしれませんが、夜、眠る前に「きょうの努力」をちゃんとホメたたえてあげること。「雨の中、よく会社に行ったよね〜」「あの上司、機嫌がわるかったけど、よくガマンして仕事したよね〜」「8時間も働いて偉いね〜」「あのレポート、間に合ったね!すごいね」(実際、わたしたちは日々たくさんの努力をしているのです。ひとつひとつ、「あたりまえだ!」なんて冷たく言い放たずに、ねぎらってあげましょう。)

こんなシンプルな自分をホメるクセでも、じつは心にはとても大きな癒し効果、平安効果があります。

こまめにやっていると・・・外から賞賛されるか、認められるかなんて、あまり気にならなくなるし、人に対して、腹がたったり、ひがんだりしなくなるし。・・・そして、なによりもよいことは、自分が自分をホメていると、あら不思議、まわりも自分のことをホメてくれるようになってくるのです。(そうそう!外は自分の合わせ鏡!ホメられる自分を見せてくれる。)

もうすぐクりスマスですね。この一年の自分の努力やいろいろをねぎらって、是非、自分自身にすてきなクリスマスプレゼントを買って、お疲れさま会でもしてくださいね〜。自分との望年会も!

まわりの人よりも、まずは、自分にやさしく♡やさしく♡


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: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)

最近のゴチソウ♡トリュフ

と〜ってもおいしいピザをいただきました。

トリュフ・ピザ!

チーズとトリュフって本当に仲良し。残念ながらワインの飲めないわたしは、ブラッドオレンジのカンパリで。(それも、あう!)

「これって、プランターで栽培できないのかな〜」「いや、ブタもセットで飼わなくちゃ」「ミニブタ!?」なんて、笑ってました。トリュフ、おうちでできたらいいのにね。

海老のパスタや、大きなポルチーニがのったステーキもおいしくいただき、

デザートもなんと、トリュフののったアイスクリーム♡(なぜなら、トリュフづくしというメニューなのです。)

トリュフをスプーンでつついて、ダシ(?)を出しながらいただきました。意外ですが、トリュフとアイスの相性は抜群!

わたしの「ちょっと嬉しいこと」をお祝いして、Sちゃんが Congratulations(おめでとう) プレートを頼んでくれました。

「おめでとう」プレートはもう一枚。Sちゃんも大きなイベント終了で、おめでとう & お疲れさま会でした。(こういうふうに、自分のこともちゃんとねぎらってあげられるのはステキなことです!)

こちらのピザは、パレスホテルのセラフィーナ NYというお店でたべられます。ワイン好きにはオススメ。レギュラーメニューではないかもしれないので、ご確認を!

PS.  このパレスビルは、かつての職場があった場所。去年、建て替えられていますが、懐かしかった〜!行列ができる IVY HOUSE というカレーのお店があって、ちょっと早めに行ってよく並んだ思い出があります。カレー屋さん、もうないみたい・・・残念。

 

黄色いオーラに包まれて・・・

夕方、外苑前を通ったら・・・・

わあ♡ ここだけ別世界。黄色い暖かなオーラに包まれています。

ふだん、わりと静かな散歩道のこの銀杏並木。オリンピック競技場の建設がはじまったら、また雰囲気が変わるのでしょうね。

しばし、黄色い絨毯をふみしめて、枯葉の匂いを楽しみました。

13-11-28 赤ちゃんが欲しいのに・・・悩みの本当の理由は?

赤ちゃんが欲しくて、永らく不妊治療を続けていらっしゃるA美さん。どうしてもあきらめきれず、年齢を考えながらもその精神的なつらさと身体的な痛みに耐えながらの治療・・・でも、落胆の連続・・・。ずっと、そのお姿を拝見し、また応援させていただいてきました。

今回のご相談は、「自分が今や何を感じているのか、この先どうしたいのか、わからなくなってしまった・・・」ということ。

じつは最近、体温の高温期が続き「もしや・・・!!」という期待を抱かれた時期があったそうです。でも、すぐにそれは間違いであることがわかりました。A美さんいわく、「勝手に想像妊娠しちゃうなんて・・・。そんな自分がいやなんです。やっと、どうでもいいと思えていたのに」と肩を落とします。

今は、子どもが欲しいのかさえもわからないし、どんな気持ちでいていいのかもわからない・・・と。そして、そんな自分を責めているご様子。

A美さん、「どんな気持ちでいるべきか」よりも、今、自分が抱えている気持ちをまずちゃんと感じてあげなくちゃね。そうしたら、自然と次が見えてくるはずです。

A美さんに「本当にいつも赤ちゃんのことで心を痛めて、その上治療でたくさんの苦痛を味わって、それでも一生懸命続けてきたのだもの。がっかりしてあたりまえ。悲しくってあたりまえ。そういうふうに感じてあたりまえだよね」と声をかけると、A美さんの目からみるみる涙が溢れて、それは30分ほど続きました。(家ではぜんぜん泣けなかったというA美さん。きっと、感じちゃったら大変なことになりそうで、無意識に気持ちを押さえ込んでいたのでしょうね。)

「今、泣いているA美ちゃんの隣に、もう一人の自分が見守っていたらどんなかな?」と声をかけると、「隣に寄りそっていてくれている」とA美さん。「そうだね。頑張ってきたから、たくさん泣いていいんだよって言ってるよね」

もう一人の自分に見守られながら、ひとしきり涙を流したA美さん。そこで、わたしがふとひらめいたことがあったので質問してみました。

「自分の子どもじゃなくても欲しいのかな?赤ちゃん。それとも・・・もしかすると・・・赤ちゃんが大切なのではなくって、赤ちゃんを通して手に入る何か別のことを望んでいるのかな?・・・たとえば、だんなさんにもっと注目してもらったり、認めてもらったりすることとか・・・」

するとA美さん、「そう!そう!そうです!まさに認めてもらうこと。・・・わたし、赤ちゃんがいてこそ一人まえ、ってずっと思っていました。そうしたら認められるって・・・ああ、だから赤ちゃんが欲しかった。認められたかったんです。・・・そうです。すっきりしました」と。

さらにうかがってみると、幼い頃、A美さんのお母さまが「あなたってお父さんにそっくりだわ」とよく口にしていたそう。「もしや、ご両親、夫婦仲が悪かったのでは?」とうかがうと、「そうです。母は、父を認めていなかった」とA美さん。「そうなんですね。お父さんに似ているから、お母さんはA美さんを認めていないってずっと信じてきたんですね。ということは、近しい人、だんなさんも自分を認めていないと思ってるんだ」「はい、彼は子どもはいなくていい、って言ってくれているのに、受け入れられなかった」とA美さん。

なるほど〜。「お父さん似=大切な人には認められない」と深い意識にインプットされてしまい、A美さんなりの解決策は何が何でも母になること。つまり、自分が考える一人前になることだったのです。

結局、「赤ちゃんができない苦しみ」のご相談の本当のテーマは、「認められること」だったわけです。

でもね。A美さん、まず自分を自分がちゃ〜んと認めてあげなくちゃ。そうしたら、人が自分を認めるかなんて、けっこうどうでもよくなるかもしれません。自分を認めるためには、今日やったように、自分が感じていることをちゃんと感じるように、自分に許してあげること。しっかりと自分の感情を受けとめること。自分にやさしくしてあげましょうね。

セラピーの最後には、「わたしは自分を認めている」「人からの愛情も無条件に受け入れている」という新しい信念をインプットして終了したのでした。

さっきまで言えなかった言葉、「わたしは赤ちゃんがいなくてもいい」を今は言うことができます!とA美さん。

今後、赤ちゃんがまた欲しくなっても、きっとちょっと違った心の余裕が出てくるかもしれませんね。

(ご本人のご了解をいただいたうえで、ブログにさせていただいています。)

 

 

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気づきの日記「赤ちゃんが欲しいのに・・・悩みの本当の理由は?」

赤ちゃんが欲しくて、永らく不妊治療を続けていらっしゃるA美さん。どうしてもあきらめきれず、年齢を考えながらもその精神的なつらさと身体的な痛みに耐えながらの治療・・・でも、落胆の連続・・・。ずっと、そのお姿を拝見し、また応援させていただいてきました。

今回のご相談は、「自分が今や何を感じているのか、この先どうしたいのか、わからなくなってしまった・・・」ということ。

じつは最近、体温の高温期が続き「もしや・・・!!」という期待を抱かれた時期があったそうです。でも、すぐにそれは間違いであることがわかりました。A美さんいわく、「勝手に想像妊娠しちゃうなんて・・・。そんな自分がいやなんです。やっと、どうでもいいと思えていたのに」と肩を落とします。

今は、子どもが欲しいのかさえもわからないし、どんな気持ちでいていいのかもわからない・・・と。そして、そんな自分を責めているご様子。

A美さん、「どんな気持ちでいるべきか」よりも、今、自分が抱えている気持ちをまずちゃんと感じてあげなくちゃね。そうしたら、自然と次が見えてくるはずです。

A美さんに「本当にいつも赤ちゃんのことで心を痛めて、その上治療でたくさんの苦痛を味わって、それでも一生懸命続けてきたのだもの。がっかりしてあたりまえ。悲しくってあたりまえ。そういうふうに感じてあたりまえだよね」と声をかけると、A美さんの目からみるみる涙が溢れて、それは30分ほど続きました。(家ではぜんぜん泣けなかったというA美さん。きっと、感じちゃったら大変なことになりそうで、無意識に気持ちを押さえ込んでいたのでしょうね。)

「今、泣いているA美ちゃんの隣に、もう一人の自分が見守っていたらどんなかな?」と声をかけると、「隣に寄りそっていてくれている」とA美さん。「そうだね。頑張ってきたから、たくさん泣いていいんだよって言ってるよね」

もう一人の自分に見守られながら、ひとしきり涙を流したA美さん。そこで、わたしがふとひらめいたことがあったので質問してみました。

「自分の子どもじゃなくても欲しいのかな?赤ちゃん。それとも・・・もしかすると・・・赤ちゃんが大切なのではなくって、赤ちゃんを通して手に入る何か別のことを望んでいるのかな?・・・たとえば、だんなさんにもっと注目してもらったり、認めてもらったりすることとか・・・」

するとA美さん、「そう!そう!そうです!まさに認めてもらうこと。・・・わたし、赤ちゃんがいてこそ一人まえ、ってずっと思っていました。そうしたら認められるって・・・ああ、だから赤ちゃんが欲しかった。認められたかったんです。・・・そうです。すっきりしました」と。

さらにうかがってみると、幼い頃、A美さんのお母さまが「あなたってお父さんにそっくりだわ」とよく口にしていたそう。「もしや、ご両親、夫婦仲が悪かったのでは?」とうかがうと、「そうです。母は、父を認めていなかった」とA美さん。「そうなんですね。お父さんに似ているから、お母さんはA美さんを認めていないってずっと信じてきたんですね。ということは、近しい人、だんなさんも自分を認めていないと思ってるんだ」「はい、彼は子どもはいなくていい、って言ってくれているのに、受け入れられなかった」とA美さん。

なるほど〜。「お父さん似=大切な人には認められない」と深い意識にインプットされてしまい、A美さんなりの解決策は何が何でも母になること。つまり、自分が考える一人前になることだったのです。

結局、「赤ちゃんができない苦しみ」のご相談の本当のテーマは、「認められること」だったわけです。

でもね。A美さん、まず自分を自分がちゃ〜んと認めてあげなくちゃ。そうしたら、人が自分を認めるかなんて、けっこうどうでもよくなるかもしれません。自分を認めるためには、今日やったように、自分が感じていることをちゃんと感じるように、自分に許してあげること。しっかりと自分の感情を受けとめること。自分にやさしくしてあげましょうね。

セラピーの最後には、「わたしは自分を認めている」「人からの愛情も無条件に受け入れている」という新しい信念をインプットして終了したのでした。

さっきまで言えなかった言葉、「わたしは赤ちゃんがいなくてもいい」を今は言うことができます!とA美さん。

今後、赤ちゃんがまた欲しくなっても、きっとちょっと違った心の余裕が出てくるかもしれませんね。

(ご本人のご了解をいただいたうえで、ブログにさせていただいています。)

 

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マイブームのあぶら

今、フラックスオイルというあぶらにはまっています。またの名を亜麻仁油。友人にまとめ買いしてもらいました。

このあぶら、友人と朝ゴハンについて語りあっていたときに知ったもの。「パンにはフラックスオイルつけてるの」「え、何それ?」って。

このオイル、オメガ3 というものが含まれていて、なにやら人体にはいろいろとありがたい恩恵があるようなのです。わたしがふだん摂っている Eye サプリのバージョンアップされたものは、オメガ3入り。つまり、眼、網膜の再生にいいらしい。

視力のケアの他には、高脂質、高血圧、糖尿病、心臓病、ダイエット、美肌、血液サラサラ・・・などといいことがいっぱい。

味も、ちょっとクセがあるけど、苦いオリーブオイルが好きなわたしにはうってつけ。

アメリカ人の流行のダイエット本を書いている男性が「良い油は身体にいい!一日にたっぷり摂ること」と言っていたので、大きなスプーンで一日に2杯ぐらい摂っていたのですが、いくらなんでもカロリー高い油なのでダイエットに効果があるといっても、ちょっと摂りすぎ?(油をちろちろなめてて、まるで妖怪みたい?油すましっていうのがいたな〜。)

今は、ちっちゃいティースプーン2〜3杯に変更しました。

友人との会話って、ちょっとしたことからいい情報がもらえるので有り難いですね。(^_-)-☆

クリスマスいろ

銀座に出向きました。

もっとクリスマスな雰囲気かと思ったら、どこもけっこうふつう。うちの近所のほうがよっぽど盛り上がっています。

昔はソニービルのクリスマスツリーがとっても大きくて、可愛くて、センスがよくて、人だかりでした。リーマンショックあたりから消えてしまって残念・・・さびしいです。

でも、もうひとつの大きなツリー、ミキモトは健在です。

今年はこんな感じ。

大きいんですよ〜。

有楽町のイトシアにも、立派なツリーがありました。

13-11-18 “怖がり”さんな私たち、さてどうする?

「明日、授業で短編のリーディングをするんだけど、“怖れ”がテーマなんだ。“怖れ”について何か生徒に教えてあげられることあるかな?」とアドバイスを求められました。

ふむふむ、怖れね〜・・・。

古代の賢人曰く、「わたしはずいぶん長いこと人間をやってきた。今まで心配のタネは尽きなかった。しかし、そのほとんどが“現実には起らなかった”」。また、アメリカの学者さんの研究では、「わたしたちの心配ごとの97%は実際には起らない」という統計があります。

ということは、わたしたちは無為に怖がり過ぎ、ってこと?

それもそのはず、怖れは本能で、その昔、ほら穴に住んでいた頃、闇の中で自分よりも強い動物に食べられちゃわないためにたっぷりと怖れをもって警戒して、命をつないできたのでした。

でも現代には、恐竜もいないし、街にクマも歩いていないしね。そんなに年がら年中怖れている必要もないわけです。(原始人の時代からずっと、わたしたちのDNAの「怖れスイッチ」は入りっぱなしなのかも。)

だからといって、まったく怖れがなくてもちょっとマズいことになります。スカイツリーに登って、「大丈夫、こっから飛び降りられる」と思っちゃうかもしれないしね。なので、適度な怖れは自分のお守りになっているのですね。

セラピーをしていて感じるのは、「怖れ」が薄紙のように人生をおおっていて、なんだかいつもぼんやりと怖れの色に人生が染まっている人が多い、ということ。スッキリ、サッパリ、元気に生きたいのに、そこはかとなくいつも「怖れ」ているのです。そうなると、発揮できる才能や力さえも封印してしまいます。

じつは、怖がっているのは「本当の自分」ではありません。そもそも、わたしたちの中には二種類の自分が存在していて、ひとつは何も怖いものなんてない、のびのびして、ありのままな「本当の自分」。そしてもうひとつは、いつも人と競争して、臆病で、問題が大好きな「エゴの自分」。

まさにいつも怖がっている正体は「エゴの自分」のほう。何かを見ると、すぐに問題にしたくなるし、戦いたくなるし、被害者になりたくなる自分です。「エゴの自分」は大騒ぎが大好き。物事のなにげないプロセスや変化にさえも、これは大問題だ!恐ろしいことが起る!といい張るのです。

なので、まずは「怖がっているのは本当の自分ではない」ということを知り、怖がっている正体は恐ろしくネガティブが大好きだということを認識することが大切です。(「怖い」と感じているとき、客観的に「あ、もう一人の自分が怖がっている」と眺めてみてください。この眺めている存在がホンモノの方です。)

そして、「エゴの自分」がいい張る怖れをリストアップしてみるといいと思います。怖れが引き起こすであろう結末も書いてみて、客観的にながめてみます。

そもそも「怖れ」って、得体がしれないから怖いのであって、スポットライトを当てちゃうと、そんなにこわくなかったりします。紙に書き出すのはスポットライトを当てる作業。書いているうちに冷静になって、「これは確率的にそんなに起こりえないな〜」とか、「そうなる前に、これもできるし、あれもできる」・・・と頭が明晰になってきます。

ひとしきり書き出したら、解決策だけ残して、怖れの部分のリストアップは破いて捨ててしまいましょう。サッパリします。

他に怖れ解決策としては・・・

怖れを感じているときには「今」にいない状態で、まだ来ていない「未来」にお出かけしている状態です。わたしたちは、「今、ここ」に根を張っていないと、すぐに精神状態があやうくなります。なぜなら、生命エネルギーは、今、自分が生きている「ここ」にしか存在しないからです。

だから、しっかりと「今、ここ」に戻ってきて、「今、ここ」で自分ができること、それがどんなに小さなことでも、行動を起こしてみましょう。行動を起こしていないと怖れは大きくなります。いったん行動を起こすと、おもしろいもので次のステップが自然と見えてきたりしますよね。

あと、おもしろがってお遊び的に「思いっきりコワがる」のも、怖れ解消には有効です。その場合、部屋をおもいっきり転げ回るなど、ハデハデしくやるのがポイントですよ。

そんなこんなで「怖れ」について考えたひとときでした。

 

 

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気づきの日記「“怖がり”さんな私たち、さてどうする?」

「明日、授業で短編のリーディングをするんだけど、“怖れ”がテーマなんだ。“怖れ”について何か生徒に教えてあげられることあるかな?」とアドバイスを求められました。

ふむふむ、怖れね〜・・・。

古代の賢人曰く、「わたしはずいぶん長いこと人間をやってきた。今まで心配のタネは尽きなかった。しかし、そのほとんどが“現実には起らなかった”」。また、アメリカの学者さんの研究では、「わたしたちの心配ごとの97%は実際には起らない」という統計があります。

ということは、わたしたちは無為に怖がり過ぎ、ってこと?

それもそのはず、怖れは本能で、その昔、ほら穴に住んでいた頃、闇の中で自分よりも強い動物に食べられちゃわないためにたっぷりと怖れをもって警戒して、命をつないできたのでした。

でも現代には、恐竜もいないし、街にクマも歩いていないしね。そんなに年がら年中怖れている必要もないわけです。(原始人の時代からずっと、わたしたちのDNAの「怖れスイッチ」は入りっぱなしなのかも。)

だからといって、まったく怖れがなくてもちょっとマズいことになります。スカイツリーに登って、「大丈夫、こっから飛び降りられる」と思っちゃうかもしれないしね。なので、適度な怖れは自分のお守りになっているのですね。

セラピーをしていて感じるのは、「怖れ」が薄紙のように人生をおおっていて、なんだかいつもぼんやりと怖れの色に人生が染まっている人が多い、ということ。スッキリ、サッパリ、元気に生きたいのに、そこはかとなくいつも「怖れ」ているのです。そうなると、発揮できる才能や力さえも封印してしまいます。

じつは、怖がっているのは「本当の自分」ではありません。そもそも、わたしたちの中には二種類の自分が存在していて、ひとつは何も怖いものなんてない、のびのびして、ありのままな「本当の自分」。そしてもうひとつは、いつも人と競争して、臆病で、問題が大好きな「エゴの自分」。

まさにいつも怖がっている正体は「エゴの自分」のほう。何かを見ると、すぐに問題にしたくなるし、戦いたくなるし、被害者になりたくなる自分です。「エゴの自分」は大騒ぎが大好き。物事のなにげないプロセスや変化にさえも、これは大問題だ!恐ろしいことが起る!といい張るのです。

なので、まずは「怖がっているのは本当の自分ではない」ということを知り、怖がっている正体は恐ろしくネガティブが大好きだということを認識することが大切です。(「怖い」と感じているとき、客観的に「あ、もう一人の自分が怖がっている」と眺めてみてください。この眺めている存在がホンモノの方です。)

そして、「エゴの自分」がいい張る怖れをリストアップしてみるといいと思います。怖れが引き起こすであろう結末も書いてみて、客観的にながめてみます。

そもそも「怖れ」って、得体がしれないから怖いのであって、スポットライトを当てちゃうと、そんなにこわくなかったりします。紙に書き出すのはスポットライトを当てる作業。書いているうちに冷静になって、「これは確率的にそんなに起こりえないな〜」とか、「そうなる前に、これもできるし、あれもできる」・・・と頭が明晰になってきます。

ひとしきり書き出したら、解決策だけ残して、怖れの部分のリストアップは破いて捨ててしまいましょう。サッパリします。

他に怖れ解決策としては・・・

怖れを感じているときには「今」にいない状態で、まだ来ていない「未来」にお出かけしている状態です。わたしたちは、「今、ここ」に根を張っていないと、すぐに精神状態があやうくなります。なぜなら、生命エネルギーは、今、自分が生きている「ここ」にしか存在しないからです。

だから、しっかりと「今、ここ」に戻ってきて、「今、ここ」で自分ができること、それがどんなに小さなことでも、行動を起こしてみましょう。行動を起こしていないと怖れは大きくなります。いったん行動を起こすと、おもしろいもので次のステップが自然と見えてきたりしますよね。

あと、おもしろがってお遊び的に「思いっきりコワがる」のも、怖れ解消には有効です。その場合、部屋をおもいっきり転げ回るなど、ハデハデしくやるのがポイントですよ。

そんなこんなで「怖れ」について考えたひとときでした。

 

 

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