気づきの日記「凹みますぅ・・・他人のひとこと」

まわりの人の言葉が気になるというクライアントのA子さん。「あなたって八方美人ね」と近しい人から言われ、ずっとそれを気にしているのです。

あなたにもそんなことありませんか?まわりからのあまり嬉しくない自分に対するコメント。それが心のトゲとなり、ずっとちくちく痛むのです。それは短所として自己イメージに加えられ、自分に対して悪い印象を持ってしまいます。「わたしって八方美人なんだ・・・誰にでも調子のいいいやなヤツなんだ」と。

しかし、ものごとには表と裏というふたつの側面があることを思い出さなければなりません。すべては短所にもなれば、また長所にもなる。「八方美人」だって他の人に言わせれば、「人あがりがよくて素敵な方」「誰とでもわけへだてなくつきあえる気持ちのいい方」と、長所にもなりほめられちゃうのです。

人からの意見は、あくまでも「その個人」の「そのとき」の「ひとつの意見」にすぎないのです。その人は、独自の信念、経験、生育環境、教育、心の状態、その日のご機嫌でものを言います。地球上のたった一人の意見を自分の真実として受け入れてしまうのは危険です(その意見が自分を気持ちよくしてくれるものだったら大歓迎ですが)。

世界には今や68億もの人がいて、そのうちのたった一つの意見です。68億分の1!もし、まわりの意見を聞き入れてしまうなら、68億通りのあなたが必要になってしまうでしょう。これは七変化の帝王カメレオンも真っ青。

だから、意見の丸呑みは危険です。まわりの意見はあくまでも「意見」として客観的に聞く習慣をつけましょう。「この人はそう思っているのだな〜」と。じゃあ、なぜこの人はそう思うのでしょう。たいてい、あれこれ他の人を批判したり価値判断するときは、そのひとが幸せではないときです。誰かを自分よりも下に見て優越感を感じたい、自分の自信のなさをうめたい、と思っているわけです。あるいは、「人とうまくやれないコンプレックス」をうまくやれるA子さんに投影して、自分へのいらだちを相手を責めることで解消している場合もあります。

人からのコメントに対しては、ちょっとクールになりましょう。「なるほど、この人はそう思うのか。ひとつの意見として聞いておこう」と。しかし、それがあまりにもひどいコメントの場合は、そもそも「受けとりを拒否する」ことです。勝手にその意見を却下しちゃいます。「それはあなたのもの(考え)であって、わたしのものではありません。あなたにまるごとお返しいたします。以上」と心の中でつぶやきお返しします。何から何まで受け取る必要はありません。自分にふさわしくないものはお返しする、という毅然とした態度は自分の尊厳を守ることでもあるのです。注・返却はあくまでもイメージ。ケンカは売らないでね(^。^;。

しかし、人に言われたことであなたが猛烈に怒りを感じるときは要注意。なぜなら・・・。
(その2に続く)

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サクラ、見〜つけた♪
もうすく、ここの景色は一変します。

10-03-18 くるんであるお店(恵比寿)

Sちゃんと「アバター」をリピートしてきました。彼女はチーズでワインをちびちび(いや、ゴクコク?)、一方わたしはキャラメルポップコーンをバリバリ。
ストーリー展開を気にすることなく美しいCGを堪能。でも、おもしろいことに、よく観るとつじつまがあわないとこにも気つきはじめたりして・・・(リピー
トもほどほどに・・・)。

その後、恵比寿に見つけていたイタリアンに足を運んだのですが、あれ?お店がない?いや、改装中なのか、シートがぐるりとはりめぐらされていて、お店の形跡がありません→。

でも、シートの一カ所に「Entrata(入口)」という文字が。そこからおそるおそる覗いてみると、あら〜灯りが煌々。ぜんぜんふつ〜に営業しています。それも、予約していないわたしたちは最後の一席。こんなに完璧に存在を消しているお店でもこの盛況ぶり。すごいですね。聞いてみたら、寒さ対策としてシートでくるんでいるらしいです。しかし、入口は勇気をもって分け入らないと入れないぐらいの、いさぎよいくるみ具合です。

お料理はおすすめをいただいてみました。季節のアスパラガス、芽キャベツのジェノベーゼ風パスタ、あの大きな半切りパルミジャーノチーズの中でつくるリゾットも。

二十年前ぐらいにも来たことがある、とSちゃん。どうやら老舗のようです。雰囲気がイタリアそのものだし、お料理もお味も量もしっかりとしていて結構高得点。またゆっくり行きたいお店「IL BOCCALONE」でした。

PS 暖かい季節に行くと、このお店の外観はとてもステキだと思います。でも、この時期だけの「こっそり訪れる」感じも楽しいかも。

くるんであるお店

Sちゃんと「アバター」をリピートしてきました。彼女はチーズでワインをちびちび(いや、ゴクコク?)、一方わたしはキャラメルポップコーンをバリバリ。ストーリー展開を気にすることなく美しいCGを堪能。でも、おもしろいことに、よく観るとつじつまがあわないとこにも気つきはじめたりして・・・(リピートもほどほどに・・・)。

その後、恵比寿に見つけていたイタリアンに足を運んだのですが、あれ?お店がない?いや、改装中なのか、シートがぐるりとはりめぐらされていて、お店の形跡がありません→。

でも、シートの一カ所に「Entrata(入口)」という文字が。そこからおそるおそる覗いてみると、あら〜灯りが煌々。ぜんぜんふつ〜に営業しています。それも、予約していないわたしたちは最後の一席。こんなに完璧に存在を消しているお店でもこの盛況ぶり。すごいですね。聞いてみたら、寒さ対策としてシートでくるんでいるらしいです。しかし、入口は勇気をもって分け入らないと入れないぐらいの、いさぎよいくるみ具合です。

お料理はおすすめをいただいてみました。季節のアスパラガス、芽キャベツのジェノベーゼ風パスタ、あの大きな半切りパルミジャーノチーズの中でつくるリゾットも。

二十年前ぐらいにも来たことがある、とSちゃん。どうやら老舗のようです。雰囲気がイタリアそのものだし、お料理もお味も量もしっかりとしていて結構高得点。またゆっくり行きたいお店「IL BOCCALONE」でした。

PS 暖かい季節に行くと、このお店の外観はとてもステキだと思います。でも、この時期だけの「こっそり訪れる」感じも楽しいかも。

ホッパーグラス

グラスホッパーといえばバッタのこと。では、ホッパーグラスって何でしょ?

じつは、先日の代官山開眼ショッピングツアーの戦利品であるサングラスのことなのです。

紫外線が強くなるこの時期、わたしにとってサングラスは必需品。引き出しにはすでに五、六個は確保していますが、どれもいまいちしっくりきません。

でも、見つけちゃったのです。「わたしの顔にはサングラスは似合わない」って思わなくてすむサングラス。

室内でかけると色が沈んで何も見えません。お天気のいい日、外でかけると意外な感覚。景色ははっきり見えるのですが、彩度がおちているせいか別世界のように映ります。そう、あのエドワード・ホッパーの絵画のような不思議な静寂感。たくさんの人が行きかう横断歩道ですら、まるで静止画のよう。そうなると、音もまったく気にならないのです。眼鏡をはずしたとたん、色彩やら動きやら喧噪やら、現実の世界がどっともどってくる感じです。

ちょっと瞑想チックになるサングラスなのでした。

十年たって開眼しました・・・

ブログに幾度か登場した代官山のトマト屋さん、「セレブ デ トマト」。本日はランチミーティングです。

もう一昨年の秋になるでしょうか?Office Solaさんプロディースの「Be-塾」で「強い”心の根っこ”をつくる」というセミナーをさせていただいたのは。たくさんの皆様にご参加いただきありがとうございました。

そして目下、第二弾を企画中です。日時は、5/16(日)の14:00~16:00、神楽坂にて。大まかな内容は、人生の豊かさの創り方、あるいは人生の舵取りの仕方を、豊かさの代表であるお金を例にあげながら実践的に身につけてみましょう・・・というもの。詳細は、また決まりしだいブログでご案内いたします。

打ち合わせランチといいつつ、トマトをめいっぱい楽しんできました。例のトマトジュースの「利きトマト」!ショットグラス一杯目は、おいし〜いトマトジュースなのですが、二杯目でいきなりグレードアップ。ふたりで「おお〜〜!!」とお腹の底から感嘆。さらに三つ目ともなると、「もう、これはトマトではない!」域に達しておりました。ちなみにその日は、「トマト美人」「ことぶき」「あいこ」という銘柄のトマトジュース。「あいこ」さん、相当イケてました。ごちそうさまでした。

ミーティングはサックリ終了。その後、二人でウィンドーショッピングへ。それが予想外のはまりまくりで、のぞいたお店はたったの四軒・・・で数時間。ともにかなりのお気に入りの戦利品を手に、気がつけば日暮れどき。Solaさんが夕方からご予定があったからよかったものの、あやうくエンドレスshoppingとなるところでした。

代官山に十年以上。完璧に灯台下暗しで、いかに地元でショッピングをしていないことか。しかし、いまさらながらの開眼!Solaさん、またミーティングwithショッピングいたしましょうね〜♪

10-03-11 カップル泥仕合に終止符を! その2

結局のところ、どんな人間関係においても「相手を変える」ことはできません。対象(相手)にイライラしているのも、ムカムカしているのも「自分の心」が勝手にしていることであって、相手にしてみたらどんな場面でこの人がイラつくのかムカつくのかなんて知ったことではありません。それをいちいち「あなたのせい」と言ってしまうと、自分が気持ちよく感じるためには世界中の人を正して歩かなければならなくなります。

幸せを感じるか否かは、自分の心の「反応の仕方」がすべてです。外側のものごとにどのような意味づけをしているのか?それによって、「ど〜でもいいや」という反応になったり、「絶対に許せない!」という反応にもなります。また、「相手は自分をハッピーにするべきである」「ロマンス小説や映画のように、パートナーはいつもやさしく愛を表現してくれなくてはならない」「男性とは(女性とは)こうあるべき」・・・と、どっかから持ってきた都合のいい信念を押しつけると現実とのギャップにバリバリ期待が裏切られることでしょう。

少々ムカついても死活問題にかかわることでない限りサラリと水に流し、なかったことに。一方、幸せを感じられそうなポイントではめいっぱいリアクションし、楽しさや喜びを増幅する。いわば、自分の反応の静と動の使い分けをする。これ、幸せを増幅する秘訣です。ものごと何にでもことごとく反応しないことなのです。ときには、無反応(右から左へと受けながし、即なかったことにする)ことを決め込むことも自分を守るうえで大切なのです。自分の感情の照準を、心地よいこと楽しいことに積極的にあわせることです。結局、ネガティブな感情をしょいこむことになるのは自分自身。自分の心の環境汚染は自分でしっかり守るしかないのですね。

わたしたちは物ごとを外側のせいにしはじめると、どんどん自分のパワーを失いはじめます。「あいつが悪い」「こいつのせいだ」・・・と自分には何の力も無いようにふるまい、いつも外側から何かが襲ってくる無力でかわいそうな自分をアピールします。しかし、みずから自分には力がなくて周りが力を持っているのだと言ってしまえば、もともとある自分のパワーを失うことになるのです。自身が本来持っている未来を自在に創りだす力すら放棄することになってしまいます。そして、みるみる自分の人生がコントロール不能に陥ってゆくことでしょう。相手のせいにする、というのはそれだけコワイことなのです。

一見、犠牲者はラクチンそうです。誰かが悪いと言ってしまえば、可哀想な被害者になり同情や注意ももらえそうです。でも、これは自分の人生の操縦桿をみすみすドブに捨てたことと同じです。ですから、たとえ何が起きようとも、何がやってこようとも、「はい、すべてはわたしの責任です。わたしの内面の反映です。わたしの中のものが映し出されているのです」と自分が創りだしたと言い切って責任をとってしまうところから、わたしたちは自分の外側にあることすべてをコントロールする力を自分の手の中に取り戻すことができるのです。

何かがイヤだと感じたら、「ふむ。わたしはいったい何に反応してるのかな?これはどうあるべきだと信じているのだろう?そう思うわたしは、いったい何に抵抗していて、どんな体験を避けたいと思っているのかな?」と自分の内側を探求してみてください。ほったらかしにしていた思わぬ心の痛みを見つけるかもしれません。見つけたらこっちのもの!気づいてしまえば、それはもう終わりを迎えます。そして、外側の抵抗していた敵は姿を消すことでしょう。

相手を責めるのは簡単ですが、自分の成長を考えたら「ちょっとイヤ」でも自分が変わる決意をしてしまったほうがおトクですね。自分が変われば外側はおのずと変わってゆきます。案外、いちばん変えてやりたいと思っていた相手が真っ先に変化しているのに気がつくかもしれません。外側の敵は、じつは自分の心の中の住人だったとは・・・・びっくりですね。責任をとる態度を身につけると心が安らかになり、心の波立ちがなくなれば人生のよい流れにも乗りはじめることでしょう!

気づきの日記「カップル泥仕合に終止符を!」その2

(すっかり書くのを忘れていました!3/2のブログの続きです。)

結局のところ、どんな人間関係においても「相手を変える」ことはできません。対象(相手)にイライラしているのも、ムカムカしているのも「自分の心」が勝手にしていることであって、相手にしてみたらどんな場面でこの人がイラつくのかムカつくのかなんて知ったことではありません。それをいちいち「あなたのせい」と言ってしまうと、自分が気持ちよく感じるためには世界中の人を正して歩かなければならなくなります。

幸せを感じるか否かは、自分の心の「反応の仕方」がすべてです。外側のものごとにどのような意味づけをしているのか?それによって、「ど〜でもいいや」という反応になったり、「絶対に許せない!」という反応にもなります。また、「相手は自分をハッピーにするべきである」「ロマンス小説や映画のように、パートナーはいつもやさしく愛を表現してくれなくてはならない」「男性とは(女性とは)こうあるべき」・・・と、どっかから持ってきた都合のいい信念を押しつけると現実とのギャップにバリバリ期待が裏切られることでしょう。

少々ムカついても死活問題にかかわることでない限りサラリと水に流し、なかったことに。一方、幸せを感じられそうなポイントではめいっぱいリアクションし、楽しさや喜びを増幅する。いわば、自分の反応の静と動の使い分けをする。これ、幸せを増幅する秘訣です。ものごと何にでもことごとく反応しないことなのです。ときには、無反応(右から左へと受けながし、即なかったことにする)ことを決め込むことも自分を守るうえで大切なのです。自分の感情の照準を、心地よいこと楽しいことに積極的にあわせることです。結局、ネガティブな感情をしょいこむことになるのは自分自身。自分の心の環境汚染は自分でしっかり守るしかないのですね。

わたしたちは物ごとを外側のせいにしはじめると、どんどん自分のパワーを失いはじめます。「あいつが悪い」「こいつのせいだ」・・・と自分には何の力も無いようにふるまい、いつも外側から何かが襲ってくる無力でかわいそうな自分をアピールします。しかし、みずから自分には力がなくて周りが力を持っているのだと言ってしまえば、もともとある自分のパワーを失うことになるのです。自身が本来持っている未来を自在に創りだす力すら放棄することになってしまいます。そして、みるみる自分の人生がコントロール不能に陥ってゆくことでしょう。相手のせいにする、というのはそれだけコワイことなのです。

一見、犠牲者はラクチンそうです。誰かが悪いと言ってしまえば、可哀想な被害者になり同情や注意ももらえそうです。でも、これは自分の人生の操縦桿をみすみすドブに捨てたことと同じです。ですから、たとえ何が起きようとも、何がやってこようとも、「はい、すべてはわたしの責任です。わたしの内面の反映です。わたしの中のものが映し出されているのです」と自分が創りだしたと言い切って責任をとってしまうところから、わたしたちは自分の外側にあることすべてをコントロールする力を自分の手の中に取り戻すことができるのです。

何かがイヤだと感じたら、「ふむ。わたしはいったい何に反応してるのかな?これはどうあるべきだと信じているのだろう?そう思うわたしは、いったい何に抵抗していて、どんな体験を避けたいと思っているのかな?」と自分の内側を探求してみてください。ほったらかしにしていた思わぬ心の痛みを見つけるかもしれません。見つけたらこっちのもの!気づいてしまえば、それはもう終わりを迎えます。そして、外側の抵抗していた敵は姿を消すことでしょう。

相手を責めるのは簡単ですが、自分の成長を考えたら「ちょっとイヤ」でも自分が変わる決意をしてしまったほうがおトクですね。自分が変われば外側はおのずと変わってゆきます。案外、いちばん変えてやりたいと思っていた相手が真っ先に変化しているのに気がつくかもしれません。外側の敵は、じつは自分の心の中の住人だったとは・・・・びっくりですね。責任をとる態度を身につけると心が安らかになり、心の波立ちがなくなれば人生のよい流れにも乗りはじめることでしょう!

近ごろのお出かけもろもろ

○曜日

友人に誘われ、シータヒーリングの創始者ヴァイアナ・スタイバルさんの講演会へ。

現在、量子物理学では「観察者がある期待をもって対象を観察すると、その対象は観察者の期待どおりの結果をもたらす」という研究結果があります。また、現実を創造できる場所は(わたしとあなたなどの)二元論を越えた場所だとも言っています。

この地上で何かを現実化するために目標設定をしたりアファーメーションを唱えたりしますが、もうちょっと高い次元(瞑想などのトランス)で行えば、それが簡単になるということです。そこは神が創造を行う領域とイコールなのですよね。

シータヒーリングは、「創造の行われる領域まで意識を上昇させて、そこで期待をもって病なり問題の変化を見届ける」というものです。これは、じつに量子物理学の理にかなっているな〜と感心。スピリチュアルと科学は急速に融合しつつあるのですね。

この考えはわたしもセッションの中や瞑想を教える時にすでに使っていたメソッドですが、改めて納得し確信を持つことができました。

△曜日

徳永二男さんのヴァイオリンコンサートのチケットをいただきました。さて、誰をお誘いしようかな〜と考えていたところ、音楽家、あるいは音楽をたしなむ友人の顔が数人浮かんだものの、それはさておき。どうしてもLちゃんを誘いたい。そこで、お声をかけてみました。すると、「徳永さん!N響のコンマスだった方!」とすごくレスポンスがいいのです。そこで、わたしも「おお!徳永二男さんとは日本を代表するヴァイオリニストだったのだ!」と初めて気づいたしだいです。(^^ゞ

そのうえ、Lちゃんは幼少の頃から鈴木メソッドでヴァイオリンの英才教育を受けていたことが発覚。長いおつきあいなのに、知らなんだ!ということで、もっともふさわしい人選だったわけです。

徳永さんは気さくな方で、トークを交えて世界の名器の弾きくらべをしてくださったりとサービス心旺盛。演奏も、軽々とまるでヴァイオリンと一体化しているようでした。

朝から、「アンコールは、きっとタイスの瞑想曲にちがいない!」という強い確信があったのですが、ビンゴ!!もう、うっとりでした♪

10-03-04 ♥があったかくなる「バレンタインデー」

日本でバレンタインデーというとチョコレート。そして女性から男性への愛の告白というイメージです。欧米では日頃の愛情をさらに表現する特別な一日。男性から奥さんや彼女にプレゼントをしたり、ディナーに連れだしたり、男女で愛情を確かめあうというハートがあたたかくなる一日なのです。

そんな一日のいろいろを描いたのが「バレンタインデー」。超ロマンチックムービーと思いきや・・・ところがどっこいです。まず、バレンタインの朝いちに彼女にプロポースする花屋のアシュトン・カッチャー。彼を中心に、その友人、スタッフ、お客、店を取材するリポーターなど15人の登場人物それぞれの愛の行方を描きます。みんな自分なりに愛する人への気持ちを胸に、この日をワクワクと迎えるのですが・・・。

朝プロポーズした花屋のアシュトンは昼にはあっさり彼女に逃げられ。店では二つのブーケを注文する客によって親友が二股をかけられていることに気づいてし
まい、もちろん親友にあわてて報告。ある人は片思いだったり、ある人は邪魔が入ったり・・・・ステキになるはずの一日はどんどん怪しい様相を呈し、絡まり
まくる人間関係。あら、大変!

「ああ、こんな話、どっかで耳にしたな〜」「こういう人、知ってるよ〜」と自身が目にした耳にしたことがある恋愛話が繰り出されます。

バレンタインの一日が終わる頃には寂しい男と女がため息ついて・・・。思ったようには運ばなかったけれど、でも結局は背伸びしないでいちばん自分らしい結末へと導かれてゆくところに胸をなでおりします(よかった♪)。

監督は、あの「プリティウーマン」のゲイリー・マーシャル。もちろんジュリア・ロバーツも登場。なんと、今回は軍人さん役。彼女が車でロスのロデオドライ
ブを通り過ぎるとき、「昔一回、ここで買い物をしたことがあるわ」とつぶやきます。そう、お金持ちのギアさまに手をひかれてお洋服を買いまくった「プリ
ティウーマン」のジュリア・ロバーツ。有名な一場面でした♪

涙壷度:★☆☆☆☆ (最後の最後、ジュリア・ロバーツが十数時間かけて、たった一晩だけ会いに行った相手に涙がボロリ。そうだったんだ・・・。)

お茶の間シネマトーク ♥があったかくなる「バレンタインデー」

日本でバレンタインデーというとチョコレート。そして女性から男性への愛の告白というイメージです。欧米では日頃の愛情をさらに表現する特別な一日。男性から奥さんや彼女にプレゼントをしたり、ディナーに連れだしたり、男女で愛情を確かめあうというハートがあたたかくなる一日なのです。

そんな一日のいろいろを描いたのが「バレンタインデー」。超ロマンチックムービーと思いきや・・・ところがどっこいです。まず、バレンタインの朝いちに彼女にプロポースする花屋のアシュトン・カッチャー。彼を中心に、その友人、スタッフ、お客、店を取材するリポーターなど15人の登場人物それぞれの愛の行方を描きます。みんな自分なりに愛する人への気持ちを胸に、この日をワクワクと迎えるのですが・・・。

朝プロポーズした花屋のアシュトンは昼にはあっさり彼女に逃げられ。店では二つのブーケを注文する客によって親友が二股をかけられていることに気づいてしまい、もちろん親友にあわてて報告。ある人は片思いだったり、ある人は邪魔が入ったり・・・・ステキになるはずの一日はどんどん怪しい様相を呈し、絡まりまくる人間関係。あら、大変!

「ああ、こんな話、どっかで耳にしたな〜」「こういう人、知ってるよ〜」と自身が目にした耳にしたことがある恋愛話が繰り出されます。

バレンタインの一日が終わる頃には寂しい男と女がため息ついて・・・。思ったようには運ばなかったけれど、でも結局は背伸びしないでいちばん自分らしい結末へと導かれてゆくところに胸をなでおりします(よかった♪)。

監督は、あの「プリティウーマン」のゲイリー・マーシャル。もちろんジュリア・ロバーツも登場。なんと、今回は軍人さん役。彼女が車でロスのロデオドライブを通り過ぎるとき、「昔一回、ここで買い物をしたことがあるわ」とつぶやきます。そう、お金持ちのギアさまに手をひかれてお洋服を買いまくった「プリティウーマン」のジュリア・ロバーツ。有名な一場面でした♪

涙壷度:★☆☆☆☆ (最後の最後、ジュリア・ロバーツが十数時間かけて、たった一晩だけ会いに行った相手に涙がボロリ。そうだったんだ・・・。)