17-05-02 人生に刺激的な出来事がやってくるとき・・・

先日、MS4Dで「美女と野獣」観てきました。MS4Dってどれだけ臨場感がますのだろう!と期待していたら、ひとつ間違うとシラケた体験になってしまうことも・・・。

まぶしいピカピカや、テーマパークのアトラクション顔まけのゴトゴトゆれる椅子、さらに突如ブシュッと顔に向かって噴射されるミストなど ・・・ 不自然な刺激で、あっというまに映画から注意が引き戻されて、劇場で坐っている自分へとさめてしまうのでした。

これと同じようなことが、じつは人生でも起こっています。

私たちのほとんどは、この人生ドラマにメリメリとのめりこんだ結果、はまりすぎていることにすら気づくことができません。映画に熱中しすぎたために、ながらく椅子にすわっている自分を忘れてしまったような状態。

自分にとっての「本当の現実」よりも、架空のドラマのなかに住みついてしまい、そのことに違和感さえ感じることがないのです。

でもある日「とき」が満ちてくると、人生ドラマ(画面)からの引き戻しが始まります。

「引き戻し」とは、映画館で不自然なミストやストロボで正気に戻ってしまったように、人生ドラマのなかでも正気に戻すようなことが起こりはじめるのです。

今までにないような刺激が、人生ドラマのなかに現れはじめます。今まで体験したことがないような不快感。まるでいきなりブシュッと顔にミストを噴射されるような、いやおうなくドラマから引き戻されるような刺激が・・・(お目覚めミストの洗礼!)。

そうすると、この人生ドラマの画面からふと離れることが起こり、「あれ?このなかで生きてるとずっと思っていたけれど、じつはここになんていなかったんだ〜・・・汗」という気づきが生まれたりします。

いきなりそのような気づきにはいたらなくても、ミストやストロボ的な不快な刺激が続くうちに、今までのやり方(生き方)ができなくなり、自然と生き方が修正されつづけて、気づきにいたる場合もあります。

私がMS4D映画で体験したように、せっかくストーリーのなかに入りこんでいたのに、不意の刺激によってそのストーリーから引きはがされて ・・・ そして、「人生ドラマと一体になってそのなかに生きていたはずなのに、あら〜、人生ドラマのワクの外に出ちゃったじゃない」っていうような。

私たちはもう何千回(?)も人間として人生ドラマをやっているうちに、この一個の身体こそが自分であるという考えに洗脳されて、自分のまわりにこそ世界がある、と信じて疑うこともしません。

まさか「自分の知覚しているすべてが自分」で、身体としての自分はその一部だとは気がつくことがありません。

万がいち、本当のことに気づいてしまって「私、身体じゃないんです〜」なんて言おうものなら、好ましくない待遇を受ける病院に入れられてしまいかねません(汗)。

「誰もここにはいないんです」とか「何も起こっていないんです」なんて言おうものなら、精神疾患のレッテルをはられるのがオチで、そうなると自分自身でも「頭がおかしくなった」と疑うことになるかもしれません。

でもね、不思議と「そのとき」が近づいてくると、MS4D映画のミストやら、椅子の震動やら、ストロボのごとく、むりやりこのストーリーへの耽溺から引き離すような刺激がじゃんじゃんやってくるようになるのです。

そして映画館で「あ、ここで椅子に坐っていたんだったわ」と気がつくように、人生ドラマから引き離されてまったく違う視点から自分を見ることが起こります。そして知るのです。「あ〜、自分は人生ドラマのなかになどいなかったんだわ」と。

私たちは、ミストやストロボのような不快な出来事が起こらない限り、このストーリーにどっぷりとはまりすぎていて、なんの疑問も抱くこともなく、かえってこのストーリーへの耽溺を深めていくようにも感じます。

でもいったん、このストーリーのなかで歯車がうまくまわらなくなったり、さらにそれが悪化して何が本当のことかわからなくなると、ふと正気に戻るというか、「この世界で本当のことって何だろう?」「本当のことを知りたい」と考えるようになるのです。

だから、今自分の人生ストーリーを生きていて、不快なミストやらストロボやら震動がやってきているとしたら、それはそろそろ「本当のことを知りましょう」「本当の自分に戻りましょう」というお知らせサインでもあるのです。

このようなアラームがならない限り、私たちはこの幻の人生ドラマのなかで、あと何千回でも輪廻できちゃうほど深い催眠状態です。

もし今、不快なことがやってきているのだとしたら、それらを無視してむりやり人生ストーリーを続けようとしたり、それに抵抗して闘ったりしようとするより、ただ起こっていることに身を投じてしまいましょう。

ミストにさらされ、ストロボ攻撃にあって、椅子の上で振りまわされて ・・・ しまいには、人生ストーリーの外にひっぱり出されて、シラフになっている自分に気づくことが起こるかもしれません。

「そのとき」がやってきたらそれは自然に起こり、そして新たなステージへと私たちを運んでくれるのです。

そのとき、私たちは過去何千年も「自分」であると思っていた自分から、ようやっと引きも戻されて、ほんとうの「正気」というものがどのようなものなのか知ることになるのだと思います。

刺激的な出来事が次々おしよせてくるように感じるとき ・・・ おびえてその出来事に飲まれてしまうのではなく、ついにお目覚めのベルがなっていると腹をくくり(といっても、リラックスして)、こころを開いて、その体験と向きあってみます。

不快な体験をちゃんと調べてみると、コワイと思っていたものが「な〜んだけっこうこどもだましのミストやストロボや震動だったわ〜!」と気がつくことになるのです。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング )

 

気づきの日記「人生に刺激的な出来事がやってくるとき・・・」

先日、MS4Dで「美女と野獣」観てきました。MS4Dってどれだけ臨場感がますのだろう!と期待していたら、ひとつ間違うとシラケた体験になってしまうことも・・・。

まぶしいピカピカや、テーマパークのアトラクション顔まけのゴトゴトゆれる椅子、さらに突如ブシュッと顔に向かって噴射されるミストなど ・・・ 不自然な刺激で、あっというまに映画から注意が引き戻されて、劇場で坐っている自分へとさめてしまうのでした。

これと同じようなことが、じつは人生でも起こっています。

私たちのほとんどは、この人生ドラマにメリメリとのめりこんだ結果、はまりすぎていることにすら気づくことができません。映画に熱中しすぎたために、ながらく椅子にすわっている自分を忘れてしまったような状態。

自分にとっての「本当の現実」よりも、架空のドラマのなかに住みついてしまい、そのことに違和感さえ感じることがないのです。

でもある日「とき」が満ちてくると、人生ドラマ(画面)からの引き戻しが始まります。

「引き戻し」とは、映画館で不自然なミストやストロボで正気に戻ってしまったように、人生ドラマのなかでも正気に戻すようなことが起こりはじめるのです。

今までにないような刺激が、人生ドラマのなかに現れはじめます。今まで体験したことがないような不快感。まるでいきなりブシュッと顔にミストを噴射されるような、いやおうなくドラマから引き戻されるような刺激が・・・(お目覚めミストの洗礼!)。

そうすると、この人生ドラマの画面からふと離れることが起こり、「あれ?このなかで生きてるとずっと思っていたけれど、じつはここになんていなかったんだ〜・・・汗」という気づきが生まれたりします。

いきなりそのような気づきにはいたらなくても、ミストやストロボ的な不快な刺激が続くうちに、今までのやり方(生き方)ができなくなり、自然と生き方が修正されつづけて、気づきにいたる場合もあります。

私がMS4D映画で体験したように、せっかくストーリーのなかに入りこんでいたのに、不意の刺激によってそのストーリーから引きはがされて ・・・ そして、「人生ドラマと一体になってそのなかに生きていたはずなのに、あら〜、人生ドラマのワクの外に出ちゃったじゃない」っていうような。

私たちはもう何千回(?)も人間として人生ドラマをやっているうちに、この一個の身体こそが自分であるという考えに洗脳されて、自分のまわりにこそ世界がある、と信じて疑うこともしません。

まさか「自分の知覚しているすべてが自分」で、身体としての自分はその一部だとは気がつくことがありません。

万がいち、本当のことに気づいてしまって「私、身体じゃないんです〜」なんて言おうものなら、好ましくない待遇を受ける病院に入れられてしまいかねません(汗)。

「誰もここにはいないんです」とか「何も起こっていないんです」なんて言おうものなら、精神疾患のレッテルをはられるのがオチで、そうなると自分自身でも「頭がおかしくなった」と疑うことになるかもしれません。

でもね、不思議と「そのとき」が近づいてくると、MS4D映画のミストやら、椅子の震動やら、ストロボのごとく、むりやりこのストーリーへの耽溺から引き離すような刺激がじゃんじゃんやってくるようになるのです。

そして映画館で「あ、ここで椅子に坐っていたんだったわ」と気がつくように、人生ドラマから引き離されてまったく違う視点から自分を見ることが起こります。そして知るのです。「あ〜、自分は人生ドラマのなかになどいなかったんだわ」と。

私たちは、ミストやストロボのような不快な出来事が起こらない限り、このストーリーにどっぷりとはまりすぎていて、なんの疑問も抱くこともなく、かえってこのストーリーへの耽溺を深めていくようにも感じます。

でもいったん、このストーリーのなかで歯車がうまくまわらなくなったり、さらにそれが悪化して何が本当のことかわからなくなると、ふと正気に戻るというか、「この世界で本当のことって何だろう?」「本当のことを知りたい」と考えるようになるのです。

だから、今自分の人生ストーリーを生きていて、不快なミストやらストロボやら震動がやってきているとしたら、それはそろそろ「本当のことを知りましょう」「本当の自分に戻りましょう」というお知らせサインでもあるのです。

このようなアラームがならない限り、私たちはこの幻の人生ドラマのなかで、あと何千回でも輪廻できちゃうほど深い催眠状態です。

もし今、不快なことがやってきているのだとしたら、それらを無視してむりやり人生ストーリーを続けようとしたり、それに抵抗して闘ったりしようとするより、ただ起こっていることに身を投じてしまいましょう。

ミストにさらされ、ストロボ攻撃にあって、椅子の上で振りまわされて ・・・ しまいには、人生ストーリーの外にひっぱり出されて、シラフになっている自分に気づくことが起こるかもしれません。

「そのとき」がやってきたらそれは自然に起こり、そして新たなステージへと私たちを運んでくれるのです。

そのとき、私たちは過去何千年も「自分」であると思っていた自分から、ようやっと引きも戻されて、ほんとうの「正気」というものがどのようなものなのか知ることになるのだと思います。

刺激的な出来事が次々おしよせてくるように感じるとき ・・・ おびえてその出来事に飲まれてしまうのではなく、ついにお目覚めのベルがなっていると腹をくくり(といっても、リラックスして)、こころを開いて、その体験と向きあってみます。

不快な体験をちゃんと調べてみると、コワイと思っていたものが「な〜んだけっこうこどもだましのミストやストロボや震動だったわ〜!」と気がつくことになるのです。

 

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17-04-27 実写版、おとぎの世界「美女と野獣」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

映画を観に行ったとき、「地震?!」と思うような揺れをたびたび感じたことがあったのです。どうやらそれは、隣にある別の劇場の MX4D の震動だったようなのですが。

なので、楽しみにしてた実写版「美女と野獣」を MX4D で観てみることにしました♪

予告編でカークラッシュばりばりの映像があって、椅子がぐわんぐわん、どしんどしん、突風がびゅ〜。「え〜!これじゃ、2時間もちこたえられないわ」と不安になりました。

MX4Dは、震動や突き上げなどの椅子の動きに加えて、匂い、風、水しぶき、ストロボ・・・など 4D の刺激がもりだくさん。一緒に行った友人は MX4D はおろか、3D でも観たことがないそうで、隣から叫び声やら笑い声が ・・・(笑)。私も予告での激しい動きで、叫びまくっていましたよ。

ところで、匂いってなんだろ?「チャーリーとチョコレード工場」だったら、もれなくチョコの香りだろうけど・・・。

本編がはじまって、画面の真んなかに一輪のバラが映しだされたとき、きました、きました! バラの香り♡

「美女と野獣」は、アニメより格段にパワーアップしておりました。

ポット婦人もチップちゃんも、あの燭台と置き時計のコンビもそのまんまだけれど、実写になってさらに美しいです。幻想的です。キラキラなおとぎ話の世界にひたれます。そして、まったく手抜きなしなので、大人が満足できる仕上がり。男性が観てもじゅうぶん楽しめることでしょう。

でも、MX4D のミストやストロボが激しくて、椅子の震動もおおざっぱで画面とズレがあったりするので、「臨場感が増す」というよりは、MX4Dが作動するたびにかえって画面から引きはなされて、椅子に坐っている現実に連れ戻されてしまうようでした(汗)

ところで、実写にすると野獣ってどんなよ? って思っていたのですが、ホント、アニメどおりです。メーキャップで仕上げているせいか、ちゃんと目に表情があって、それによってより感情が伝わってきます。

野獣役は、あのドラマシリーズ「ダウントン・アビー」のマシューさんじゃありませんか!

婚約者のメアリーとお互いに好意をよせながら、ふたりとも意地っ張りでなかなかくっつかず、ようやく結婚した!と思ったら、マシューはあっというまに悲惨な事故死・・・。なんとか戦争も生きのびてきたという矢先に、かなり理不尽な急展開で不自然さを感じていたのですが、そうか〜・・・ マシューさんハリウッドを目指していたのですね。天国経由であっというまにハリウッドに行ってしまったというわけです。・・・そのわりには、ほとんどがむさい野獣姿で、せっかくの丹精なるお姿を見ることができません。

その美しいお姿が見られるのは、ラストのほんのちょっとだけ。上品な英国貴族がはまり役だったので、王子さま役はぴったりです。

しかし・・・ベルはあの野獣とのあいだにこそ愛を育んだのであって、いきなりの美しい王子の容姿に「あら、タイプじゃなかったわ・・・」ってなことにならなかったのでしょうか(笑)。

MX4D のあれこれの仕組みにすっかり気をとられてしまったので、もう一回落ち着いて、ファンタジーの世界に酔いしれたいものです。

涙壷度 ・・・★★☆☆☆(しっかり泣かされます!)

 

 

お茶の間シネマトーク「実写版、おとぎの世界 “美女と野獣”」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

映画を観に行ったとき、「地震?!」と思うような揺れをたびたび感じたことがあったのです。どうやらそれは、隣にある別の劇場の MX4D の震動だったようなのですが。

なので、楽しみにしてた実写版「美女と野獣」を MX4D で観てみることにしました♪

予告編でカークラッシュばりばりの映像があって、椅子がぐわんぐわん、どしんどしん、突風がびゅ〜。「え〜!これじゃ、2時間もちこたえられないわ」と不安になりました。

MX4Dは、震動や突き上げなどの椅子の動きに加えて、匂い、風、水しぶき、ストロボ・・・など 4D の刺激がもりだくさん。一緒に行った友人は MX4D はおろか、3D でも観たことがないそうで、隣から叫び声やら笑い声が ・・・(笑)。私も予告での激しい動きで、叫びまくっていましたよ。

ところで、匂いってなんだろ?「チャーリーとチョコレード工場」だったら、もれなくチョコの香りだろうけど・・・。

本編がはじまって、画面の真んなかに一輪のバラが映しだされたとき、きました、きました! バラの香り♡

「美女と野獣」は、アニメより格段にパワーアップしておりました。

ポット婦人もチップちゃんも、あの燭台と置き時計のコンビもそのまんまだけれど、実写になってさらに美しいです。幻想的です。キラキラなおとぎ話の世界にひたれます。そして、まったく手抜きなしなので、大人が満足できる仕上がり。男性が観てもじゅうぶん楽しめることでしょう。

でも、MX4D のミストやストロボが激しくて、椅子の震動もおおざっぱで画面とズレがあったりするので、「臨場感が増す」というよりは、MX4Dが作動するたびにかえって画面から引きはなされて、椅子に坐っている現実に連れ戻されてしまうようでした(汗)

ところで、実写にすると野獣ってどんなよ? って思っていたのですが、ホント、アニメどおりです。メーキャップで仕上げているせいか、ちゃんと目に表情があって、それによってより感情が伝わってきます。

野獣役は、あのドラマシリーズ「ダウントン・アビー」のマシューさんじゃありませんか!

婚約者のメアリーとお互いに好意をよせながら、ふたりとも意地っ張りでなかなかくっつかず、ようやく結婚した!と思ったら、マシューはあっというまに悲惨な事故死・・・。なんとか戦争も生きのびてきたという矢先に、かなり理不尽な急展開で不自然さを感じていたのですが、そうか〜・・・ マシューさんハリウッドを目指していたのですね。天国経由であっというまにハリウッドに行ってしまったというわけです。・・・そのわりには、ほとんどがむさい野獣姿で、せっかくの丹精なるお姿を見ることができません。

その美しいお姿が見られるのは、ラストのほんのちょっとだけ。上品な英国貴族がはまり役だったので、王子さま役はぴったりです。

しかし・・・ベルはあの野獣とのあいだにこそ愛を育んだのであって、いきなりの美しい王子の容姿に「あら、タイプじゃなかったわ・・・」ってなことにならなかったのでしょうか(笑)。

MX4D のあれこれの仕組みにすっかり気をとられてしまったので、もう一回落ち着いて、ファンタジーの世界に酔いしれたいものです。

涙壷度 ・・・★★☆☆☆(しっかり泣かされます!)

 

 

春色チョコ

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「家族がお気に入りのチョコレートなんです」とRさんがくださったのは、TAKANOフルーツパーラーの袋。

そのむかし、鮮やかな桃がプリントされたTAKANOの袋は憧れでしたっけ。

TAKANOでは、フルーツやケーキ、紅茶はよく買っていたけれど、おいしいチョコがあったのですね。

わあ!カラフルな春色のチョコレートです。

なるほど〜。フルーツパーラーのTAKANOならでは、フルーツチョコなのです。

ストロベリー、レモン、オレンジ、バナナ、ブルーベリー、ミルク・・・。では、メロンからいただいてみます。

あ☆ とってもいい香りのメロン味! さすが、フルーツパーラーさん!

会津塗りのシャンパン色のきれいなボンボン入れがカラッポだったので、さっそく入れてみました。

ぴったり!

でも・・・ すぐカラにしてしまいそうだわ!(笑)

 

 

私たちの恒例イベント♪

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毎年恒例、確定申告終了のご褒美でお寿司屋さんへ。自営業のMちゃんと「今年も終わったね〜」と、お疲れさまをするのが昔からの定例イベント。

やっぱり「すし大」さんのお寿司はおいしいな〜♪ 「すし大」さんはいくつかありますが、わたしたちは決まって築地本願寺横の本館へ。

お酒は飲めないし、かなりの空腹で、けっこうなハイピッチでいただいてしまいます。おいしいお味噌汁もしっかりおかわり。

本日のハンサムくんはあじの握り♪

食事も終わって大満足な気分のはずが・・・目のまえにおかれたアツアツ出来たての玉子焼きにMちゃんの目がハート♡に。

すると、カウンターのお隣に坐っていた女性がそれに気がつき、ナント自分の玉子焼きを指さして「どうぞ!」と目線をおくる。

あらあら、なんと親切な! 彼女は一人でお店にやってきていた香港からの中国人でした。

そこから、ときおり板さんを交えて、かたこと日本語と英語とアニメソング(笑)で、異文化交流。大阪、アメ横、上野など、彼女が観光しながら撮った写真を見せてもらったり、楽しく一時間ほどおしゃべりに興じてしまいました。

日本人だったら、いくら食べたそうにしている人がいても「私のをどうぞ!」とはなりませんよね〜。

そういえば、その昔、アメリカの大学のカフェテリアで夕食を食べていたときのこと。まだやってきたばかりだったわたしは、若干おおざっぱなカフェテリアの味に慣れていなくって、その日のメインであるターキーをまるごと残していたのです。

すると隣のテーブルの男子学生が、「もう終わり? 食べないの?」といきなり声をかけてきたので、何だろう?と思いつつうなずくと、次の瞬間わたしのターキーにぐっさりと彼のフォークが刺さって、あっというまにターキーは連れ去られていきました(いささか、目が点)。

人のお皿の食べ物に対する感覚が日本人とは違うのか?! いや、たんにめちゃくちゃお腹がすいていただけ?

この「玉子焼きどうぞ!」で思い出したけど、あっけにとられたし、忘れられない場面でした。

お寿司を食べにいった翌日は冷たい雨だったけど、香港の女の子、桜楽しめたかな〜?

Mちゃん撮の玉子焼き。さすが愛情が入っているのでおいしそうに撮れています!(笑)

 

 

ローズマリーちゃん♡

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

K子さんからいただいた愛らしいリスちゃん。

この子は、ローズマリーちゃんといって、K子姫にいつもお花を調達するお役目なのだとか。

わたしたちは日々、自分をかわいがり、大切にするレッスンとして、「お姫さまごっこ」をしております。だから、メールのはじまりはいつも、「姫、ご機嫌うるわしゅう」なのです。

「お姫さまごっこ」は、クライエントさんにももれなくオススメする楽しいレッスン!具体的な「お姫さまごっこ」については、こちらのブログをご覧になってくださいまし

ちなみに、うちにはラルフという心優しく献身的な執事がおります。↓

お友だちと遊びに行くときには、ステキなお店を予約してくれたり、疲れているときには「姫、ただいまお好きなスウィーツをご用意致します!」と気づかってくれたり、「姫、きょうのお召しものは格段にお似合いですよ」などとポジティブな言葉かけをしてくれます。

みなさまも是非ご一緒に!(*´∀`*)ノ

 

 

17-04-15 すでにみんな催眠状態・・・

出会った初対面の方に、「ヒプノセラピーという軽い催眠を使ったセラピーを生業にしています」と自己紹介をすると、みんなおもしろいリアクションを示してくださいます。

最近は昔ほどではないのですが、私がこの仕事をはじめた二十数年前など、まるで要注意キケン人物のような目で見られましたもの(笑)。

日本人はそうそうあからさまではないのですが、海外で「Hyphosis(催眠)を使うセラピーをしています」といおうものなら、「ああ、きみと話していると、自分を失いそうになる。助けてくれ!」とか(なんのこっちゃ!笑)、「きみはぼくを犬にするつもりだろう!」とか(犬になりたいんですか? 笑)。あるいは、私のまえで直立して目をつぶり、思いっきり緊張して、「さあ、準備はできた。やってみてくれ!」とか(なにを?! 笑)。

Hyphosis (催眠)という言葉は、やっぱりテレビの催眠ショーしかイメージできないのだろうな〜と思います。そして、本人の意志に関係なく、好き勝手にコントロールされちゃう、したくない恥ずかしことをしちゃう、というお決まりのなりゆきを思い描きます。

だから、はじめてヒプノセラピーを受けられたクライエントさんは、セッションが終わるなり「失敗だったみたいです!」とがっかりしておっしゃいます。「だって、ずっと意識があって、貴子先生のいっていることが聞こえてました」って ・・・ (気絶したほうが、よっぽど失敗です・笑)。

(注):この誤解をとくためにも、声を大にして申し上げておきましょう! セラピーにおける催眠は、たんなるこころと身体の深いリラックスです。ちゃ〜んと意識があって、聞こえるし、しゃべれるし、身体も自由に動かせます。でも、じゅうぶんリラックスしているとかえって意識は明晰になり、「わかっちゃいるけどやめられない」というこころのプログラミングに達して、それを自然に解放してあげることができるのですね。

でもね、ヒプノセラピーの催眠状態で犬にされちゃうことを心配するよりも、じつはもっと心配しなくちゃいけないことがあります。

それは、催眠にかけられることを心配するより以前に、「すでにあなたはずっと催眠状態だった!」ってこと。

その催眠状態で、(犬ではなく)「あなた」に同一化しすぎて、もうやめられなくなっているってこと。

やめてもいいし、やめられるのに、そしてやめることのほがずっとラクなのに、「やめる」という考えすら浮かんでくることができない・・・ というのは、じつはかなり重篤な症状。「わたし」という着ぐるみを着たら、一体化しすぎて、一生脱げなくなっちゃった!みたいな(汗)。

その「じつは存在してはいないあなた」に同一化しつづけることこそが、なんでもかんでもシリアスになっちゃうほんとうの原因であり、「あなた」に絶えずふりかかってくる「問題」というものが生じる原因である ・・・ということに気づくことができません。

でも誰も、幸せになるために「あなた」をやめたほうがいいですよ、なんて教えてくれません。むしろ、そんなことをいっているわたしのほうが、よっぽどアタマのおかしなセラピストに聞こえます(笑・はい、かなりキケンなセラピストです)。

だから、世の中は「あの人のせいで、私は困っている」という被害妄想患者であふれ、また自分(スピリット)と身体を同一視する依存症も発症し、さらにほんとうの自分のアイデンティティがわからない認知症まで併発している人たちであふれています(というか、全員そうなのですが)。

ほんとうのことを言おうものなら、そのほうが精神疾患のように聞こえます(でも、容赦なくセラピーでは、ほんとうのことを教えますが・笑)。

それでも、この窮屈な個人という自分に執着する病も、準備が整うと「ほんとうの自分への誘い」という癒しの時期がやってくるようです。

そのなかで、徐々に徐々に、ほんとうのことを耳にする機会がふえ、「そうかもしれない!」と感じるようになり、そう思うとそのような世界が顔をあらわし、しだいにその本当のことが自分の真のアイデンティティを呼び覚ましてくれます。

それこそが、わたしたちの慢性的な催眠状態からの目覚めのときです。

だから、ヒプノセラピー以前に、私たちはすでに深く催眠状態なのです。そして、ヒプノセラピーという心地よい催眠(リラッックス)をつかって、慢性的な催眠状態(被害妄想、依存症、認知症・・・etc)から目覚めて、ほんとうの自分へ気づくという新たな旅をはじめるのです。

私がヒプノセラピーをはじめた当時は、まったくキケン人物だったけど、二十数年をへてようやく、少しは生きやすくなってきました! (*´∀`*)ノ

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

気づきの日記「すでにみんな催眠状態・・・」

出会った初対面の方に、「ヒプノセラピーという軽い催眠を使ったセラピーを生業にしています」と自己紹介をすると、みんなおもしろいリアクションを示してくださいます。

最近は昔ほどではないのですが、私がこの仕事をはじめた二十数年前など、まるで要注意キケン人物のような目で見られましたもの(笑)。

日本人はそうそうあからさまではないのですが、海外で「Hyphosis(催眠)を使うセラピーをしています」といおうものなら、「ああ、きみと話していると、自分を失いそうになる。助けてくれ!」とか(なんのこっちゃ!笑)、「きみはぼくを犬にするつもりだろう!」とか(犬になりたいんですか? 笑)。あるいは、私のまえで直立して目をつぶり、思いっきり緊張して、「さあ、準備はできた。やってみてくれ!」とか(なにを?! 笑)。

Hyphosis (催眠)という言葉は、やっぱりテレビの催眠ショーしかイメージできないのだろうな〜と思います。そして、本人の意志に関係なく、好き勝手にコントロールされちゃう、したくない恥ずかしことをしちゃう、というお決まりのなりゆきを思い描きます。

だから、はじめてヒプノセラピーを受けられたクライエントさんは、セッションが終わるなり「失敗だったみたいです!」とがっかりしておっしゃいます。「だって、ずっと意識があって、貴子先生のいっていることが聞こえてました」って ・・・ (気絶したほうが、よっぽど失敗です・笑)。

(注):この誤解をとくためにも、声を大にして申し上げておきましょう! セラピーにおける催眠は、たんなるこころと身体の深いリラックスです。ちゃ〜んと意識があって、聞こえるし、しゃべれるし、身体も自由に動かせます。でも、じゅうぶんリラックスしているとかえって意識は明晰になり、「わかっちゃいるけどやめられない」というこころのプログラミングに達して、それを自然に解放してあげることができるのですね。

でもね、ヒプノセラピーの催眠状態で犬にされちゃうことを心配するよりも、じつはもっと心配しなくちゃいけないことがあります。

それは、催眠にかけられることを心配するより以前に、「すでにあなたはずっと催眠状態だった!」ってこと。

その催眠状態で、(犬ではなく)「あなた」に同一化しすぎて、もうやめられなくなっているってこと。

やめてもいいし、やめられるのに、そしてやめることのほがずっとラクなのに、「やめる」という考えすら浮かんでくることができない・・・ というのは、じつはかなり重篤な症状。「わたし」という着ぐるみを着たら、一体化しすぎて、一生脱げなくなっちゃった!みたいな(汗)。

その「じつは存在してはいないあなた」に同一化しつづけることこそが、なんでもかんでもシリアスになっちゃうほんとうの原因であり、「あなた」に絶えずふりかかってくる「問題」というものが生じる原因である ・・・ということに気づくことができません。

でも誰も、幸せになるために「あなた」をやめたほうがいいですよ、なんて教えてくれません。むしろ、そんなことをいっているわたしのほうが、よっぽどアタマのおかしなセラピストに聞こえます(笑・はい、かなりキケンなセラピストです)。

だから、世の中は「あの人のせいで、私は困っている」という被害妄想患者であふれ、また自分(スピリット)と身体を同一視する依存症も発症し、さらにほんとうの自分のアイデンティティがわからない認知症まで併発している人たちであふれています(というか、全員そうなのですが)。

ほんとうのことを言おうものなら、そのほうが精神疾患のように聞こえます(でも、容赦なくセラピーでは、ほんとうのことを教えますが・笑)。

それでも、この窮屈な個人という自分に執着する病も、準備が整うと「ほんとうの自分への誘い」という癒しの時期がやってくるようです。

そのなかで、徐々に徐々に、ほんとうのことを耳にする機会がふえ、「そうかもしれない!」と感じるようになり、そう思うとそのような世界が顔をあらわし、しだいにその本当のことが自分の真のアイデンティティを呼び覚ましてくれます。

それこそが、わたしたちの慢性的な催眠状態からの目覚めのときです。

だから、ヒプノセラピー以前に、私たちはすでに深く催眠状態なのです。そして、ヒプノセラピーという心地よい催眠(リラッックス)をつかって、慢性的な催眠状態(被害妄想、依存症、認知症・・・etc)から目覚めて、ほんとうの自分へ気づくという新たな旅をはじめるのです。

私がヒプノセラピーをはじめた当時は、まったくキケン人物だったけど、二十数年をへてようやく、少しは生きやすくなってきました! (*´∀`*)ノ

 

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17-04-11 人生がコワくなるとき・・・ その2

(その1より)

存在しているのは、「今」という時間だけ・・・

だから、いつだって私たちが生きたことがあるのは「今」しかなく、いつも私たちが存在しているのは「今」だけです。そして ・・・今までも、そして今も、「今」はいつでも大丈夫なのです。

未来の不安にアタマまでどっぷりつかるあまり、目のまえ真っ暗で、右も左もわからなくなってしまっているクライエントさんにこんなふうに尋ねます。

「今、たった今、この瞬間に、なにか困っていること、不足してものはありますか?」と。そして一緒に確認します。

「たった今、どこか痛いですか?」「いいえ」、「たった今、この瞬間、死にそうなぐらい危険ですか?」「いいえ」、「たった今、飢え死にしそうですか?」「いいえ」、「たった今、この瞬間にみじめな体験をしいられていますか?」「いいえ」、「たった今、服をはぎとられていますか?」「いいえ」、「たった今、お財布がカラですか?」「いいえ」、「たった今、死んじゃいそうですか?」「いいえ」、「たった今、この瞬間になにか必要なものがありますか?」「いいえ」

「・・・今は、ぜんぜん大丈夫です」とクライエントさん。「じゃあ、いつ大丈夫じゃないんでしょうね?」「・・・?? それはいつかわかりませんが ・・・ああ、今は本当に大丈夫です(笑)」と。

私たちが不安を感じているときには、すばらしく想像力がたくましくなっていて、瞬時にストーリーをでっちあげます。そして、何が起こっていることなのか、何が想像にすぎないのか、まったく見分けがつかなくなってしまうのです。だから、今にいるにもかかわらず、ありもしない未来のバーチャルリアリティを信じきっています。

私たちはどうやら、「瞬間、瞬間」にOKであれば、それでよいようなのです。他の瞬間なんてあるのかどうかわかりませんが、それを心配するのは私たちのお役目ではないようなので、心配しはじめると今にある豊かさが見えなくなり、一気にこころのバランスを失います。

だから、「現在」というたった今のこの瞬間を離れて、「過去」にも「未来」にもお出かけをしてはいけないのです。

エゴが語る過去の後悔や未来への不安が、どれほど私たちが健全に生きる気力を萎えさせていることか! エゴの意地悪なセリフにばかり耳を傾けて、存在してもいない架空の世界をさまよい続けることが、不安をあおり、見るものすべてに影をおとすようになります。

私たちにできるのは、「今」だけにしっかりと存在し、「今」を体験すること。そして、この瞬間にあらわれるさまざまな好ましくない思考・感情・感覚については、エゴが発するものと認識して、闘うことも抵抗することもなく、ただ受け入れて、赦してあげること。つかむことなく、ただ自分のなかを通過させてあげること。

つまり、こころのなかに浮かんでくる考えを無防備になんでも受け入れないということなのです。はっきりと意識していなくても、私たちのなかには「愛」の自分と「怖れ」の自分という、二人の人格が存在しているからです。そして、いつも「怖れ」の自分であるエゴの声ばかり聞いていると、もうひとつの声はまったく聞こえなくなります。

「愛」の声である本当の自分(高い意識)に、今、この瞬間に起きていることに対する正しい見方を教えてもらうとともに、真の自分の姿を見せてもらえるようにとお願いすることが大切です。「怖れ」であるエゴの脅しの声をスルーして、「愛」である本当の自分の声に耳を傾け続けることで、そちらのボリュームが徐々にあがり、指示を受けとれるようになります。そしてやがて、その声が自分そのものとなるのです。

だから、自分で頑張ろうとするよりも、正気の自分である高い意識にすべてを丸なげして導いてもらうことが大切なのです。

ほんとうは、「痛み、苦しみ」というのは、自分のなかにどんな邪魔っけなゴミがあるのかを教えてくれるのに役立つものです。気づくことができるまでは、ゴミがあってもあることにさえ気づけていないのです。

ついに、お片づけの準備がととのうと、ゴミが意識の表面、気がつけるところに浮上してくるので「あ!ゴミだ!」と気づくことができます。それこそが、わたしたちが日々直面する問題(痛み、苦しみ)というものなのです。

問題が続くようなときには、まだ古い同じやり方をしていて、問題に抵抗し続けているときです。「ゴミを認識して片づける」というお片づけモードにはいっていないのです。

ゴミのお片づけをしたいときには、あの片づけの達人「こんまりさん」の断捨離のように、一回すべてを目のまえに並べて「いるかいらないか」しっかりと見きわめること。

「ああ〜、こんな痛みがあったのだな〜」と確認して、あるがままに感じてから、手放してあげます。

こころの倉庫がまんぱいになっていると、次々と困難に見舞われたり、苦しい気持ちが続いたりします。そういうときには、断捨離の時期ととらえて「認めて、感じて、手放す」というこころのお掃除の時間を意図的にとってあげることです(お部屋に定期的なお掃除が必要なら、こころにとってはなおさら重要なのです)。

そして、「理想の私」「理想の人生」などは手放して、この私の人生が生きてくれるように生きる、つまり流れに明け渡してしまうことが、じつはラクな人生の秘訣のようです。それは、「まさに、すべてはなるようになっている」という宇宙の優しい叡智がしっかりとささえてくれる人生でもあるのです。

人生がどんどんコワくなっていくき、私たちはじつは自分に対して超イジワルなエゴちゃんと仲良くしすぎて、一心同体なとき。まるで恋人のささやきを聞くがごとく、エゴちゃんの恐怖の言葉にしか耳を傾けていないのです。

エゴは黙りません。容赦しません。とくに、私たちが幸せになろうと努力しているとき、そしてなんだかヨイ感じになってきたな〜と思ってるときこそ、思いっきりこころをくじく言葉をささやき始めます。

でも、それに「耳を傾けない」という自由があったのです。たとえ聞こえてしまっても、「受けいれない」という選択肢があるのです。

そのためには、つねに用心深くなることも必要です。すべての思考を鵜のみにすることなく、どれがウソなのかをしっかりと見抜けるようになることも大切なのですね。

そして、見抜いたら、あのひとことです! 遠慮なく、思いっきり言ってやりましょう!

「うるさい!黙れ!」 (*´∀`*)ノ

PS 労働時間を減らされて、収入が減ってしまう・・・と落ちこんでいたAちゃん。息子さんから、「最近、疲れが顔に出てたから、周りが気をつかってくれたんじゃない?」と言われて、「そうかな」なんて思ったそうです。・・・どんなセラピーよりも、息子さんのありのままのひとことこそ真実だし、大きな癒しですね! (*´︶`*)  さらに、今日のご報告では、先走って考えることをやめたら、よいことが見えるようになった♪ とのこと! よかったね〜♡

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング