furukawaさんのブログ

お花見ふたたび、八重桜

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

サクラ並木もいまやあさぎ色にかわり、街には日常の風景が戻ってきました。

満開のときにはテレビクルーやら、他の街からのお客さんたちで、押すな押すなの大混乱でしたもの。地元民は、この時期はなるべく近寄らないのです。

そしていまひっそりと、次なる桜が満開。はじっこの方にある八重桜です。

ぽってりした姿がかわいい!ちょっと遅れて開きます。

みなさま、こちらはあまりご存知ないようで、最近めっきり増えた中国や韓国からの若者たちが、しきりにシャッターをきっていました。

 

気づきの日記「DVD鑑賞とモグラたたきな人生」

映画にしてもDVDにしても、どっぷり感情移入ができて、ドラマにはまりこめる作品ほど楽しめるものはありません。ドキドキ、ハラハラ、まるで違う人生をもうひとつ生きたような気になれる。だからみんな、映画が大好き。

でもこれも度をこしたら、バーチャルとホンモノの区別がつかなくなり、架空のドラマのなかに生きている困った妄想癖のある人になってしまいます。

そして「その困った人こそがあなたです!」・・・ といわれたら びっくりしますか?

どうやらわたしたちも、この人生ドラマというDVDにどっぷりと感情移入して夢中になりすぎているうちに、ほんとは自分が誰だったのか、ほんとはどこにいるのかさえわからなくなってしまったようです ・・・(大汗)。

つまり、DVDを鑑賞していた自分はどこへやら、ストーリーのなかの人物と一心同体。ワクワク、スリルがあったはずのドラマ展開も、楽しんでいる余裕などなくなり ・・・。今や、このドラマのなかでサバイバルすることこそが最重要課題、唯一の問題なのですから。

でもいま観てるDVDは、すでに脚本が書かれているし、そのとおりに演じられているし、わたしたちはだまって観ていることしかできないはずなのに・・・ドラマの渦中にいると勘違いしてしまったわたしたちは、このドラマの筋書きをなんとか自分好みにコントロールしようと必死にいどみかかっています。(映画の筋書きは変えられませ〜ん!)

どんな努力をしてもなぜか水のあわ、結果がでません。筋書きを変えようとあせればあせるほど、どんどんホラーの様相を呈してきます。(あらら、ポップコーンを食べながら余裕で楽しめるはずだったはずなのに、おかしいですね〜。)

ここでできるひとつのことは、ただちに「スクリーンのまえの椅子」に戻ってくること、それだけです。

じつはセラピーでできること、していることは、まさにこれ! なのです。

ストーリーにのみこまれてホンロウされている状態から、その外側、眺めている冷静な自分に戻ってくること。

そして「すでに脚本がきまっていることに抵抗しても、何も変えられないんだ」と気づき、「このDVDは好きじゃないわ。あまりハッピーなストーリーじゃないもの。他のディスクを選ぼう」、あるいは「もうDVD鑑賞はあきたわ!や〜めた!」ということもできるのです。

わたしたちが見ているものを何でもリアルに感じることができるのは、ひとつの才能でもあるけれど、でもそれが自分を脅かしているのであれば、それに気づかなければなりません。オロオロとただ感じることから、もっと客観的になることもできるし、さらに自分が何を観るのかを決めるという選択肢もあるということなのです。

人生にはいろ〜〜んな問題が、モグラたたきのように次から次。これに騙されて、ひとつひとつのモグラに対処しようとすると、より混乱することになるし、果てしない問題にぐったりと疲れはてます。

モグラたたきというゲームじたいから降りることだって選んでもいいのす。「このゲームはもうつまらない。だってぜったい終わらないんだもん。もうその手にはひっかからないぞ。それに、このマシーンで遊ぶほどもう子どもじゃないよ!」といいう具合にね! (^_^)v

 

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

お野菜どーなつ

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

ここ中目黒はこの数年でぐーんとメジャーになってきました。テレビでもよく紹介されています。

そのおかげで新しいお店も続々。

でも、けっこう灯台下暗しで、セッションの前後にこのあたりをお散歩されるクライエントさんのほうが、わたしよりもよっぽどお店に詳しかったりします。なのでこのあたりのおいしいもの情報もクライエントさんから教えていただいています。「え、そんなお店あったんですか?」って。

きょうはYさんのお気に入りの野菜ドーナツをいただきました。ご近所の川沿いにあるカフェ「SOAKS」さんのもの。野菜ドーナツがあるなんて知らなかった!

れんこん、そしてごぼうのドーナツです。(他にもあしたばとか、しょうが、とまとなど。)

かたちもコロンとしてて可愛いです。まずはれんこんから。

ザックリとした食感は私好み。さっぱりとしてて、手作りのようななつかしいお味です。

こちらのお店はお砂糖や揚げ油、ベーキングパウダーにも、こだわりがあるようです。

お仕事してると、ホントしょっちゅう小腹がすくのですよ。いいお店を教えていただきました〜!ありがとうございます♪

 

しばらくトモコで・・・

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

おみやげいろいろ from USA。See's のチョコやキャンディー・・・このほかにサプリメントも。

とくにお気に入りは、この子。

ライオンさんですが、めちゃくちゃ気弱そうなところがいい(笑)。

あと、コレ!わたしのイニシャルのスワロフスキーのネックレス。

「Tomoko だったよね!」と言って渡されました・・・ははは。

その後もわたしに話かけるときに、いちいちこのネックレスを確認して「Tomoko!  あ、ごめん、Takako だったね」とボケてくださる・・・・。ご要望におこたえして、しばらく Tomoko になっておこうか・・・(苦笑)。

 

もりもりぎっしり!

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きょうは春爛漫をとおりこして、いっきに初夏でした。

明日からしばらく曇り空のようなので、お仕事のまえにお散歩をかねてお花見を。

何年かまえから、お花見シーズンになるとこのあたり(目黒川)はまったく歩けないほどの混雑ぶり。テレビの紹介ですっかりメジャーなお花見スポットになっちゃったようです。なので、早朝に!

わあ〜♪もりもりぎっしり咲いています! 

数日まえまで枯れ木のようだったのに。まさにミラクル!耳を近づけたら、花たちのにぎやかなお喋りが聞こえてきそうですね〜。

青空にバンザ〜イって感じ! (^o^)/

 

チョコピザ♪@Max Brenner

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チョコ好きふたりが向かったさきは、表参道の人気店、マックスブレナー チョコレートバー 。チョコレートチャンクピザです♪

今だに大行列のようで、激しく待ちたくなければ開店前から並ぶしかありません。でも、朝のすきっ腹にいきなりチョコピザもね〜。

なので、近くにあるお気に入りベーカリーでパニーニの朝食をとってから挑戦することに。ここのプロシュート&モッツアレラのパニーニ、めちゃおいしい!Lちゃんに教えてもらってからやみつき!(@表参道 パンとエスプエッソと

で・・・ 無事、開店まえにチョコレートバーに到着。それが ・・・すでにすんご〜〜い行列!平日なのに? しまった!小中学校が春休みに入ったんでしたっけ。ナント、すでに1時間半待ちは確実とか。・・・とほほ。

といって、ここでそうそう簡単に引きさがらないわたしたち。そうだ!テイクアウトしちゃおう。

待ってる人をとびこえて、あっというまに受けとれました。

そして、そのあつあつチョコレートピザをかかえて向かった先は・・・ ビルの上にあるお庭のようなス○バ。スミマセ〜ン、飲み物買うのでお邪魔させてくださいな。

とってもあったかかったので、お外の席でピクニック気分。

チョコレートチャンクピザは、マシュマロがたっぷり、生地はもちもちふわふわ。ポイントはコクがあって、でもさっぱりしてるたっぷりのチョコソースのおいしさ。美味です、美味です♪

このぐらい待たずに食べられるんだったら、また食べたいな〜♪ (・・・ス○バで・笑)

パニーニにピザに、そのあとまたスウィーツが・・・きょうは激しく粉食い女なのでした。

気づきの日記「アトピーやじん麻疹、すべて心の問題」

春先になったせいでしょうか? じん麻疹やアトピーのご相談がふえてきました。 ・・・といっても、ここは皮膚科のお医者さんではありません。こころのセラピーをするところ。

繰りかえされるじん麻疹や消えないアトピーというしつこい皮膚トラブルに対して、飲み薬や軟膏、○○療法などの外から何かすることでは解決にはならないということがだんだん理解されてきているようです。そうなのです。わたしたちが経験することで、「こころ」が原因になっていないものなど、なにひとつ存在しません。

皮膚トラブルをもつクライエントさんのカウンセリングをしていて、共通点に気がついてきました。

それは、みなさまとても「よい方」なのです。人あたりがよくて、頑張り屋さん。だからこそ、人と争いたくないので自分の「感情をのみこみ」がち。

「それはちがうでしょ」と理不尽さに腹がたっても、すごくイヤなことがあって落ち込んでも、すぐに気持ちを切りかえて「ハイ!もう大丈夫!全然わすれちゃったよ。立ち直りの早いわたし」とまったくこだわらずさっぱりした明るい人に見えます。(そう、タフに見える人ほどじつはデリケートだから、さっさといやなことはなかったことにしたいのです。でもぜんぜん大丈夫じゃないのです。ほんとうのところは。)

いっけんこだわらないように見える人は、お酒の力を飲んで気分を変えたり、友人にちょっとばかりグチってすっきりしたような気になったり、ゲームをしたり映画を見たり趣味に注意を向けて気をはらしたり。まあ、世にいわれている「気分転換でもしてきなさい!」なのですが、いずれにしても「解決した」というよりは「押し入れにつめこんで」見えなくしたから、ハイ、部屋はきれいになったよ〜!メデタシ、メデタシという感じです。 ・・・でも、遅かれ早かれ、押し入れの扉がふっとび、なかに隠しもっていたものが爆発的にあらわになるときがやってきます。

いままで何回もブログのなかで書いてきましたが、感情は飲みこんでも、無視しても、なかったことにしても、なくなりません。しっかりと受けとめて、味わって、経験してあげたときに、すべてきれいに跡かたもなくなくなり、未来にも影響を与えなくなります。感情は感じたが勝ち!なのです。

その押し入れの扉がついにふっとんですべてがぶちまけられるとき、だからといってそのむかし理不尽に扱われた相手につかみかかるわけではありません。もうちょっとひかえめな(腰がひけた?)表現方法。

・・・ それが皮膚トラブル。まさかおデコに「○○さん、わたしは怒っているんだぞ〜!」というテロップを流すわけにもいかないので、まるで怒って攻撃しているカメレオンやトカゲのように皮膚の色や状態を変えることを「武器」にして、攻撃をしかけているわけです。

もちろんご本人、これを意識的にやっているわけではありません。まあ、わたしたちの行動のほとんどすべては無意識です。だから、この皮膚をつかって抗議するという策も、もちろん無意識でやっています。しかし、残念ながらあまり功を奏していません。

ちゃんと理性的になっていたら、こんな相手には抗議とも受けとられず無視され、苦しむのはそれをやってる自分だけの方法なんて、とてもじゃないけれどやっていられません。でもここで大切なのは、「こんなにかわいそうなわたしを見てちょうだい!」「こんなひどいことになっています!」なのです。そして無言のうちに「あなたが気づいて反省するまで、わたしはこれをやめません」と。

しつこい蕁麻疹やアトピーでいちばんこころを痛められるのは、ご本人以上にその方のご両親です。そして、そのご本人が「忘れてくれるなよ!」と思ってメッセージを送っているのも、じつはご両親に対してのことが多いようです。

傷つけた相手に抗議するだけでなく、その傷ついた本人は「もう二度とこんなふうには傷つきたくない」とこころに決めています。皮膚トラブルは人との問題が起きて再び傷つかないように、まさに人との距離をとる方法なのです。痛いから触れてくれるな!、近よってきて見ないで!・・・ 深い意識は自分を守ろうと、危険なもの(つまり傷つけるだろう人たち)は近づけないようにしています。まるでヤマアラシのトゲトゲ状態。でも、ヤマアタシのジレンマといいますが、ヤマアラシは孤独なのです。自分のことはまんまと守れたけど、その代償に人とつながる、親密感を持つことを犠牲にしています。

傷つけられたことへの怒りを持ち続けるリスクは、冷静になってみるとぜんぜんわりにあわないことがわかります。知らないうちに、孤立感だけでなく、人生の自由も失ってしまったりしするのです。

そもそもの傷ついたむかしの記憶をたとってみると、だいたいそんなにたいしたことではありません。たいてい子供時代、それも幼児の頃の出来事です。そのぐらいのこどもは、ものごとの全体を見ることができないし、起っていることにたいして説明してくれる人がいないので、出来事が実際よりもシリアスにとらえられているし、また誤ったものの見方で解釈されているものです。

だからイメージのなかでもういちどその場面にもどって、現在の大人の自分がその困っている小さな自分を助けて、導いてあげて、それを正しく再体験させてあげることによって、そこからの人生の展開が大きくかわってきます。ようやく、トゲとしての皮膚トラブルをひっこめる決心をすることができるのです。

わたしたちが現在目のまえに抱えている問題(身体のことであろうと、他の人がかかわることであろうと)、それらはみんな「今」のことが原因というよりは、もっともっとむかしに培われた「幼い自分のものの見方」が、あらゆるバージョンで形をかえて人生の問題としてあらわれているだけなのです。ですから、目のまえにあることを一生懸命いじくっても、じつはほんとうの解決にはなりません。

じん麻疹やアトピーも、まずは「怒ってるんだぞ!!」と叫んでいる自分のなかの癒されていない小さなこどもに気ついてあげて、その子の声をちゃんとききとってあげることによって、その問題も解決できるし、またほんとうの自分自身に対する自信もともに手に入るものなのです。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

中目のサクラも open♪

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

靖国の標本木も開花して、いよいよですね。一夜にして景色が一変する “花さか爺さんマジック” の季節♪

目黒川の桜も、ところどころ開いてきました。今宵はこんな感じ。

でも毎年、開花しはじめるとひと波乱あります。春の嵐とか、大雨とかね。

ほら、ちょうど今冷たい雨が降ってきました。気温も真冬のよう。もうしばらくおあずけかな〜。

お名残惜しさいっぱいに、あっというまにいってしまうより、待ってる時間もよいものです。

お彼岸のお茶カプセル

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

お彼岸ですね。おはぎを頂戴して、やっと気がつきました(ホント季節感なくって・・・汗)。

そこで、きょうのティータイムはお茶マシーン「スペシャルT」で緑茶を。

エスプレッソマシーンの「ネスプレッソ」とはじゃっかん使い方が違うので、片方ばかり使っていると手順がおかしくなります(フィルターつけ忘れたり、カプセルが落ちないままになっていたりね)。

じつはこのふたつのマシーン、まったく違うもの。カプセルのコーヒーとお茶だから、同じメーカー製かと思いきや違ったのです。ネスプレッソブティックでコーヒーカプセルを買ったとき、「ついでにティーも下さい」とお願いしたら、「会社が違います!」と冷たくいわれてしまいました(汗)。

ほんとだ!ネスプレッソとネスレでした。ネスプレッソはお店をブティックとよび、コーヒーカプセルをグランクリュと名づけ、ブティックに行けば好きなだけ好きなコーヒーをふるまってくださり、いちいちオシャレじゃありませんか。ティーのほうはまだ路面点がないような・・・?

本日は霧島煎茶を。苦くならずに良いあんばいにはいりますよ。

そうはいっても、お茶タイム、しめにやっぱりコーヒーが欲しくなったりして・・・(ビール好きが締めにビールをまた飲むようなものです・笑)。では交代、こんどはネスプレッソさん、お願いしますよ〜。

 

気づきの日記「誰もがもってる○○されちゃう怖れ」

声楽を教えている友人からのメール。「風邪をひいた生徒さんがレッスンにやってきて、どうやらその風邪をもらってしまったみたい(汗)。風邪のときはご遠慮くださいとお願いしてたのに・・・」と。

そうですよね〜。思いっきり声をはりあげて歌うレッスンでは、ひどい風邪っぴきはそりゃ気になるでしょう。じつはわたしも小さなカウンセリングルームで、クライエントさんがマスクもされずひどい風邪をひかれているとやっぱり気になることがあります。

友人の場合は「お願いしてたにもかかわらず、来ちゃった!」 そうな ・・・。そうなんですよね。こうしてほしいと思っても、自分以外のことは完璧にコントロールすることはまずできません。だからといって、ビクビク被害者でいるのもね。

実際わたしも「いやだな〜。風邪うつったらどうしよう」と思っていると、ただちにもらってしまったものです。「ノロウィルスから回復しました」とおっしゃっているクライエントからも、しっかりともれなくいただきました。

いいえ、これはもらったのではなくって、私が私のためにつくったのです。つまり、自作自演!

なぜなら、「私以外は、誰ひとりとして私に影響を及ぼすことはできない」のです(ほんとうは被害者なんて、誰にもなれっこないのです)。

そして、「怖れるものは、もれなく確実にやってくる」ということ。

かつて風邪をひきやすかった私は(毎冬、ひいてました)、あるときハタと「私ってもしかすると、けっこう被害者チックなのかも・・・」と思い当たり、自分の考えを調べてみました。

というのは、そもそも私たちは身体ではなく、エネルギー体。そしてふだん自分自身がどんな存在か、まったく記憶喪失者のごとく忘れているのですが、じつはそのエネルギーとしての自分は宇宙にも入りきらないほどの広大さがある存在です。なぜなら、私たちはみんな創造の源とひとつだから。宇宙をつくったものは、宇宙よりも当然大きいのですよね。

それがどうしちゃったことか、何の間違いか、ひとの目にも見えないほどのちっぽけな細菌に怯え、あっというまに征服されるなんて・・・ど〜ゆうこと? それって、ゾウさんとムシの戦いよりも話しにならないものです。宇宙以上の存在と菌なんてね。

私たちの体験はすべて、「わたしたちが世界をどのように見るか」にかかっています。自分の見ようとしているものしか見ることができません。

怖れの目を通してみれば、自分を攻撃し迫害し、死にいたらしめるものがうようよしているように見えて、戦々恐々として、日々守り、戦わねばなりません。

もし安らぎ(愛)という目を通してみれば、じつはそこには何の戦いもなく、されば怖れるものも、自分の身を守らなければならないものも存在しない、平和な世界が広がって自分が安らいでいるのがわかるのです。

見たいものを見せてもらえる自由があるのが、この世界です。

ついつい自分の広大さを忘れてしまうと、自分のことを細菌よりもちっちゃくて、ちっぽけで、すぐさま破壊されてしまうようなはかない存在だと勘違いしてしまいます。勘違いからは勘違いな体験がもれなくやってきて、その思いこみから、どんな小さなものにもこてんぱんにされてしまう自分という自己イメージをでっちあげ、さらに自分が小さくなり恐ろしものだらけになり・・・延々と悪循環におちいります。

なんだ! 宇宙以上のもの(私)と細菌(風邪)の戦いか〜。勝敗は見えている。 ・・・と冷静に考えるようになってから、去年も今年も風邪をひかなくなりましたよ〜。ちょっとだけ、被害者を脱したみたいです(いやいや、まだまだ無意識でいろいろやってますがな ・・・苦笑)。

 

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