ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ
なにを入れようかな? 手もとにおいて使いこみたくなるような、そんな愛着を感じる小ぶりのブリキ缶。
カファレルのチョコが入っていました。
イタリアのお菓子って、キャンディにしろ、ミントにしろ、プリントがかわいいブリキ缶に入っているものをよく見かけます。入れものに惹かれて買ってしまうことも。
カフェレルのチョコは、おうちの屋根のような形をしたヘーゼルナッツの濃厚な味。食べると「ああ、イタリアだわ!」って思います。カプチーノ飲みたい♡ ごちそうさまでした♪
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なにを入れようかな? 手もとにおいて使いこみたくなるような、そんな愛着を感じる小ぶりのブリキ缶。
カファレルのチョコが入っていました。
イタリアのお菓子って、キャンディにしろ、ミントにしろ、プリントがかわいいブリキ缶に入っているものをよく見かけます。入れものに惹かれて買ってしまうことも。
カフェレルのチョコは、おうちの屋根のような形をしたヘーゼルナッツの濃厚な味。食べると「ああ、イタリアだわ!」って思います。カプチーノ飲みたい♡ ごちそうさまでした♪
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寒いとお出かけするより、おうちでDVD が多くなります。
立て続けに観た三本は、はからずもお年寄りもの、おばあちゃん大活躍ムービーでした。
「あなたを抱きしめる日まで」
これは10代で未婚の母となり、不本意に息子を手放した女性(ジュディ・デンチ)が老年になって、ひと目息子に会いたいと海外まで息子を探す旅にでる・・・という実話をもとにした話。息子ははたして幸せな人生を送っているのか、自分のことをどう聞かされているのか・・・。50年間の空白を埋めようと、さまざまな思いにゆれながら旅を続けるのですが、息子は・・・。
「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」
こちらは、それぞれ訳ありのご老人たち(ジュディ・デンチ、マギー・スミス)が新しい人生を求めて、全財産をはたいてインドにある高級老人ホーム、マリーゴールドホテルをめざす話。安泰な老後を夢見たはずが・・・じつは、そのホテルは限りなくボロだった・・・いまや財産もなく、埃まみれのインドの喧噪の中でご老人たち、さあどう生きる?!
「カルテット!人生のオペラハウス」
引退した音楽家たちが暮らす老人ホーム。そこへやってくるかつてのプリマドンナ(マギー・スミス)。しかし気まずくなって別れたかつての夫も、そこの住人。ホーム存続をかけたチャリティコンサートで、カルテットとしてともに舞台に立たねばならない二人なのですが・・・。(素晴らしい音楽もたっぷりと楽しめます。)
どうやらわたしは、イギリスの女優さん、それもご年配が好きみたい。
三本ともシュディ・デンチとマギー・スミスです。お二人とももうかなりお年ですが、なんてチャーミングなのでしょう。凛とした強さのなかにも、もろさや悲しさを秘めていて、また少女のような可愛らしさや純粋さも感じられます。二人ともかわい〜♡と見とれました(おばあちゃんフェチ)。
お二人ともイギリスの女優さんですが、すごいのは眉毛の一ミリぐらいの動きですべての感情を語ってしまうようなところ。そして、ただ黙って立っているだけでもさまざまな感情があふれています。さすがアカデミー賞女優さん!
わたしはテレビのドラマはほとんど観ないのですが、ひとつだけ例外があって、それは今 NHK で放送されている「ダウントン・アビー」。
イギリスの貴族の館で繰り広げられるドラマ。貴族の一家、執事、従者、メイド、後継者・・・この館にかかわる人だけで、人生のありとあらゆる人間模様、ありったけの心理状態が描きだされていて、「毎週、まあよくもこれだけ次から次へと・・・」と関心してしまいます。
このドラマにも、この館のおばあちゃん役バイオレットとしてマギー・スミスが出ています。当時のドレスがなんともよく似合っていて、立ち居ふるまいも気品があって貴族そのもの。見とれてしまいます。
おばあちゃんウォッチングだけでなく、この貴族の館の三姉妹がまとっているドレスが毎回なんとも素晴らしい。ロセッティやミレイの絵画にでてくる女性、そのもの。お屋敷の調度もビクトリア調の雰囲気が楽しめて、もっか楽しみなドラマです♪
昨日電車で、前に立っていた女の子ふたりのおしゃべり・・・。
「新しい彼氏、どう?」 「うん・・・忙しそうであまり会えないけど。でも国際的な仕事してるみたいで、三ヶ国語ぐらい話すんだ。だから、将来海外に連れて行ってもらえそうだし...」 「いいな〜、私の彼はぱっとしないから。そういう人選ぶべきだよね」「デートのときもワインとかよく知ってるし、段取りも完璧なんだよね」 「へえ〜、すごい!うらやましい」 ・・・。
こんな感じでえんえんと彼氏の有能さや将来性が話題にのぼり、そのお方の性格や人間性が語られることはついぞありませんでした。
焦点があたるのはもっぱら、どれだけ「おお、すごい!」と思えるか、どれだけ有能であるか、どれだけ特別感があるか・・・それを手にすることで、自分がランクアップ、バージョンアッップする感じ。
う〜ん、それって「道具」選びとさほど変わらないような。・・・彼氏って、結婚って、自分が密かに足りないと思っているところを一気に挽回してくれる魔法のお道具感覚??
そうなんです。自分のパートナー選びって、(意識していなくっても)「自分に役立つお道具」選びのよう。(まあ、わたしたちは何にしろ、自分にとって「何かを手に入れられるもの」にしか飛びつきませんが。だから、地味に隠されているほんとうの輝きや感動や喜びやすばらしさというものを、やすやすと見逃してしまいがちなのですよね。)
パートナーとは・・・ (わたしが隠しもってきた劣等感を補ってくれる)有能さがあって、(わたしの飽きあきした日常に魔法をかけて一変させるという)ニーズにあっていて、(平凡なわたしがキラキラと輝きだしそうな)スペシャル感もあって・・・。自分の人生をランクアップさせてくれて、自分の隠しもった劣等感をカバーしてくれる、そんな魔法のお道具。自分を救いだしてくれる白馬の王子さまなのです。
だから自然と相手に対する要求が大きくなるし、期待もふくらんで、こうであるべきという勝手な理想のイメージを相手にすっぽりとかぶせちゃいます。もう、そういう人だと思ってしか見ないのです。ここがその後のバトルの元凶・・・(汗)。
そもそもワインを知っているからステキな人であるはずもなく(いえ、もちろんワインを知っているすご〜くステキな方もいます!“るん”スタッフのようにね♡)、バイリンガルだからって性格がいいわけでもなく・・・でもなぜか、そんな一点スペシャルなところをみつけると(それは自分の劣等感をうめあわせてくれるポイントなのですが)、全部が全部ステキに違いない、輝いているに違いない、違う世界を知ってるステキな人、この人がわたしを引き上げてくれる・・・と勘違いして、すべてのイメージを勝手にでっちあげちゃうのがこのお年ごろ。(いや、一生やってる場合もあります・・・!)
最初に理想にあてはめちゃうと、あとはボロが出るだけになります。ボロが出るのではなく、相手のほんとうの姿を知るだけなのですが・・・、それがまたゆるせない。
相手のありのままの姿なのに、「そんなはずじゃなかった!」と怒りが爆発(最初からそんな人じゃななかったからね!)。自分がでっちあげたとおりに振るまうようにと攻撃をしかけます。・・・でも、「話が違うじゃない!」とつっかかられても、たんにもともとの姿でそこに存在しているのに過ぎないのですよね。
カウンセリングやセラピーのなかで取り扱われるパートナーシップ、夫婦の問題も、みんなこれが出発点です。そもそも、誤解していたのです。相手のほんとうの姿をちゃんと知ろうとさえしていなかった。
「こんなはずじゃない」「なんでちゃんとできないの?」というバトルが10年、15年と繰りかえされ続けて、ようやく「そうか、もともとこういう人だったのかも。そういう人をわたしは選んじゃったのかも」と気づけるか、気づけないか・・・。(なかなか、自分のなかで起っていることは気づきにくいものです。)
「要求」や「期待」が災いしているのです。だから何に対してもそうですが、もうほんとうに「要求するのはやめよう」「期待するのはやめよう」と決めると、ぜったい裏切られることがありません。怒りもわいてこないし、責める口実もなくなります。
わたしも、なにかとコントロールしたくなったり、イラついてしまうような相手に対して、もう金輪際いっさい「この人のしていることを批判しないし、この人に対して要求しないし、期待もしない」と決めたことがありました。
そもそも腹が立つときって、「要求」や「期待」がかなえられないことで腹が立つので、それをいっさいしなくなるとまったく腹が立つ、イライラするということがなくなりました。
この人がどのように生きていようとも、この人のあるがままなんだからこれでいいんだ。わたしがそれに対して何かを言いたくなるとしたら、自分の利益のために道具化しようとしているに違いない、と気づくようになってきたら、それによって関係がしだいによくなり、ついにはこの「要求」や「期待」によって手にしたいと思っていたものがすべて自然にやってくることになりました。
ものごとは「あるがままに」ほっといてあげる・・・ そこから不思議なことが見えてくる、芽生えてくるのだな〜と実感した体験でした。
パートナーにしろ、子どもにしろ、何にしろ、「要求」や「期待」をしているときには、自分にとって都合のいい「お道具」に仕立てあげようとしているとき。「要求」「期待」がないときには、今まで見えなかったものが見えはじめます。つまり、それによってどれだけ大切なことを見えなくしていたか思いしらされます。
何に対しても「要求しない」「期待しない」というのは、自分の心に平和をもたらしてくれるし、よい関係を運んできてくれるだけでなく、不思議とほっておくことですべてがちゃんと整っていくという「流れ」というものを感じることができるのでした。
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さいわい東京は大雪にはいたりませんでしたが、今朝も冷えてますね〜。
そんななか、ご近所へ朝ゴハンにお出かけ・・・。何度もテレビで紹介されているハワイ発のパンケーキのお店、「Moke's」さん。
いつもは長い行列できてますが、さすがにこの寒さ、人はまばらでした。Lucky!
徒歩5分と近いわりには、いちども来たことがなくお初です。でも気になっていたのですよ、パッションフルーツソースたっぷりのリリコイ パンケーキが・・・。
コレコレ!
どど〜ん、とかなり大きい!四つに切って、四分の一でも満足できちゃう大きさ。朝ゴハンというよりも、これはおやつですね。
そして、エッグベネディクトとコナコーヒーも!
新鮮なお野菜たっぷりでカリカリのポテトもあって、これもかなりボリューミー!スモークサーモンとハム、そしてとろとろ玉子がとてもおいしかったです♡ いろんなお店のエッグベネディクトを食べたけど、ここのはけっこうお気に入りバージョンでした。
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美容室で髪をカットしてもらいながら雑誌をパラパラめくっていたときのこと。
「美的」という美容雑誌に人気コスメのランキングがのっていました。
見ればどれも高いのなんの。そりゃ効果があってあたりまえでしょっ。一位になっているクリームなんて、ナント19,000円。
二位は・・・ え〜〜〜っっ、 248円ですと!? なんですか、この落差は?!
まさかのニベア青缶、堂々二位にランクインです。そして、三位はやっぱり一万円を下らないクリームです。
どうしちゃったの、ニベア青缶!!(笑)
・・・ って、わたしが知らなかっただけで、女子のあいだではそんなにも人気だったのでしょうか?
ニベアには申し訳ないのですが、手やひじ、ひざ、かかとにしか使ったことがなかったし、顔は恐ろしすぎて使ってみる気にもならなかったのでした。(だって、なんかすごく油な感じがして・・・)
その晩、意を決してつけてみましたよ。
どんなに高いクリームでもそうそう違いを感じたことがないのに、一回でなんかイイです!違いを感じましたよ。
まず思ったほどベタベタしない。重くない。さらっとしてて、もっちりも感あり。きゃ〜!なんなの、この248円。すごいコスパ。(え?今さらですか?みんな知ってた?)
いままで結構ムゲに使っていたのですが、こんなに優秀だったとは ・・・ 態度をあらためます。・・・ それにしても、500円でおつりがくるニベアさんはスゴイ。お願いだから、ある日1万数千円なんていわないでね。
先日、ネットでレストランを予約したときのこと。
待てどくらせど返事がこない ・・・。なので、もう一度メールをしてみた。 ・・・が返信なし。 ・・・しょうがなしなし、お店に電話をかけてみると、あっけらかんとした様子で「ああ、メール、見てませんでした!」と (おいっ!メールでご予約ください、って書いてあるじゃありませんかっ)。
まったく反省の色がないと、こちらもイラっとくる。こごとのひとつも言いたくなった。・・・けど、わたしがしたいのはこの人を教育しなおすことではなくって、「ただ、予約がとれるかとれないかを知ること」だったのだ!と思い直し、怒りをひっこめたのでした。
このところ世間を騒がせた、あの「ナッツリラーン騒動」だってそう。ナッツを袋のままじゃダメなんじゃないの?、が彼女が確認したかったであろうことであって、あの「怒り」はほんとうはまったく必要ないのですよね。(でも、彼女の場合は本当はナッツが問題じゃないのです。怒りたかった!)
ことほどさように、わたしたちはまったくもって「自分の権利だ!」とばかりに怒りをふりかざすことが大好きなようです。
相手が間違っていると気づいたら、ここそとばかりに「怒り」で攻めこむ。「ここで怒って当然でしょ!」と。
・・・でも、ほんとうはただ「それ、間違ってますよ」と静かに教えてあげるだけで十分で、わざわざ「怒り」のトッピングはいらないような。
ただ教えてあげればすむことに、なんでこんなにももれなく「怒り」がドッキングされてしまうのでしょう?
それはさっきもナッツ姫のところで書いたように、わたしたちがじつは「怒りたい」から。
メールを見忘れたレストランの店員も、ナッツを袋のまま出してしまったCAも、ほんとうは相手の「怒り」の原因などではないのです。
じゃあ、なにがその「怒り」の原因なんでしょ?
じつは、原因なんてなくって、わたしたちはたんに口実がほしいだけなのです。「怒り狂う」ための。
なんと、そこまでわたしたちは無意識のうちに怒りをためこんでいるし(怒りというよりも、自分の無力感にうんざりしていて本当は当たり散らしたい気持ちでいっぱいなのです)、また自分のある部分では「自分のことを絶対幸せにするものか!」と企んで人生をメチャクチャにしようとしています。
なぜなら、自分にとってすべてが一人称のこの世の中では、攻撃的になればなるほどその結果として自分を攻撃するする人をつくりだすし、また自分の発した攻撃性が人生の行く手に多くの山や谷をつくりだし、自分の歩む道を険しくします。これこそが、自分の幸せをぜったい認めないエゴの策略なのです。
むやみに人にイライラしたり、攻撃的になることが、どれだけ自分の人生にとって運を悪くしたり問題を勃発させることになるかわかっていたら、世の中もうちょっと平和で穏やかになるかもしれません。
世間をゴミ箱あつかいにして自分の「怒り」をなげすてても、結局はご丁寧に自分にもどってくるのでした。(ハイ!「与えるものは、受けとるもの」・・・)
どこかこころの中でわたしたちは、「この場面では怒ってあたりまえでしょ!」という常識のように考えている怒りのガイドラインがあるように感じますが(たとえば、レストランで待たされたら怒ってあたりまえ、店員が不手際だったら怒ってあたりまえ)、けれど自分に戻ってくることを考えたら「あたりまえ」の怒りなどないのですね。
まだまだ日常で、自動的にイライラしている自分を見つけてハッとします。身に染みついた習慣は、かなり意識的にならないとなかなか改善できませんよね〜(汗)。
でも、自分のイライラを世間にまき散らすのをやめるだけでも、じつは自分の人生の流れってずいぶんと穏やかに変わるものなのです。自分の人生に平和をもたらすために、自分のこころのイライラ、ムカっをちょっと気にしてみるのをおススメします!
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包みをあけたとたん、「わあ、かわいい!」と声をあげてしまいました。
コレ!
Sooo cute !! クマちゃん好きにはたまりませんわ☆(笑)コンフィチュールの瓶のうえにのっていたクッキーなのです。
ナチュラルなコンフィチュールもとってもおいしそう。
ゆずと、ルバーブ&ブルーベリー。小金井公園と書いてあります。
小金井公園といえば・・・幼少の頃のわたしの庭でした。幼稚園の遠足にはじまって、ドングリひろい、凧揚げ(電線がないので、凧が点になるまでどこまでも上がります)、遺跡見学、お花見、・・・ 。井の頭公園についで、よく連れて行ってもらった自然豊かな遊び場でした、なつかしいな〜。
いただくのが楽しみです♪
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日々、日常をかさねていくうちに、あれやこれやが積み重なって人生がおもたくなり、ここでちょっとリセットして身軽になりたい・・・なんて思うことがあります。
パソコンでファイルをゴミ箱に捨てるように、人生でもわずらわしい記憶をポイと捨てられたら ・・・データを消去するように邪魔っけなものごとや人を削除できちゃったら・・・ はい、是非しちゃいましょう!
ご参加のみなさまに「今日が人生のいちばん最後の日だったら」とイメージングをしていただきながら、ここまでの人生をふりかえっていただきました。
それぞれが「自分のためにには生きていなかったな〜」とか、「まわりばかり気にしていたな〜」と気づきはいろいろ。そのいずれも共通する原因は、じつは自分のなかにある「怖れ」なのでした。
わたしたちは無意識のうちにすべての行動の動機が「怖れ」となってしまっています。たとえば、人と関係を持つのも一人ぽっちにならないため(孤独への怖れ)、収入のいい仕事を探すのもお金に困らないため(貧困への怖れ)、自分を向上させようと努力するのも人に受け入れられ尊敬されるため(見捨てられる怖れ) ・・・というようにさまざまな「怖れ」から自分を守るために行動しています。
でも、意図が「怖れ」であるならば、おのずと結末も「怖れ」となります。それが、どうも人生がうまくいかなくなる、恐ろしいことがはびこる原因なのでした。
みなさまに、自分の中にある怖れを明らかにしていただきながら、それを手放し、もう一度新しい人生を選択して生まれかわるプロセスを体験していただきました。
生まれかわるのはたった10分のイメージングだったのですが、深い体験、おもしろい体験をされている方もいらっしゃり、みなさま無事に自分らしい愛と喜びを動機として、新しい人生をスタートされたのでした。
今回もみなさまに「隠された自分のパターン」と「その解決策」、そして「未来に待っているギフト」に関する三枚の手書きメッセージカードをひいていただきました。別々にひいた三枚のメッセージがひつのストーリーとしてつながり、その方のための独自のメッセージとなるのがいつもながら不思議なところです。宇宙からのメッセージはいつも完璧ですね!☆☆ みなさま、深く納得されていました。
ご参加のみなさま、楽しい時間をありがとうございました。
ご参加のみなさまからのご感想
♪ 今日はありがとうございました。本当に来てよかったです。モヤモヤ考えていたことが、スッキリしました。気持ちが軽くなりました。いつも楽しく参加させていただいています。またよろしくおねがいします。
♪ とってもタイムリーというか、この時間に出会うために昨日も今日もあった気がいたします。今後も参加させて下さい。ありがとうございました。
♪ 短い時間でしたがとても充実していました。今日で自分の人生が終わると思うと大切な人の顔がたくさん浮かび、その人たちと過ごせた時間が幸せで感謝の気持ちがわいてきました。貴子さんの言葉は、頭でなく心にひびきます。すてきな時間をありがとうございました!また次回も参加させて下さい♡
♪ 今日はマンツーマンのレッスンのようで、とくに納得できました。一年のはじまりに心穏やかになりました。いつも暖かいセミナーをありがとうございます。HPをいつも見ています。楽しい教科書のようですね。
ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ
このゴハンは、粒山椒をゴリゴリひいていただきます。あうんです。
うなぎ? ・・・そんなお味ですが、もっと濃厚、もっととろとろ。
これはフォアグラのせごはん。
粒の山椒をひくと不思議とミントのようなスースーとした清涼感があって、かければかけるほど爽やか。これがこってり感とよくあいます。全部をよくまぜて食べるととてもおいしい♪
@お友だちが見つけてくれた広尾の「ワインバー ぺりかん」さん。ご夫婦(?)でやっていらっしゃるようなこじんまりアットホーム感のある店。しっぽり飲みながらおいしいものがが食べたいとき、あるいは女子会にもよさそう。
お料理は気どらずほっとするお味で、ひとつひとつがとてもおいしかったのでした。
他のお料理は、前菜、焼き車エビとキノコのサラダ、メインはサバと秋刀魚をトマトとお野菜のソースで、そして鴨と温野菜、デザートはカシスリキュールのパフェ&カフェでした〜♪
お店に向かうとき、お友だちにiPhoneのナビゲーションの手ほどきを受けながら向かっていたのですが(ホントはただオンにして使えばいいのでしょうけど、行きついたためしがない・・・汗)、iPhoneが「川を渡ってすぐ右です」というので、その右の煌々と灯りのともったお店に勢いよく一歩をふみいれて ・・・ ふと、お店の名前が目に入ったら、げっ全然違う!ここじゃない!二人であわてて退散。(笑ってるシェフたちと目があった・・・。iPhone さん、たのむよ〜。)
帰りもiPhoneに頼りすぎたせいで、ぜんぜん道順がわからないのです。便利だけどあまりに依存しすぎると、もともとない能力がもっと失われることに気がつきました(苦笑)。
最近の子育ては、少し変わってきているのだな〜と若いお母さんを見ていて感じました。
以前はひとりっ子で過保護にされすぎで、まるでこどもがコワレモノ扱いだったような。転べば大騒ぎ、ひざをすりむいたりケガをしようものなら事件にもなりかねない ・・・。
へんに大切にされすぎたこともは転んで泣けば「痛かったのね〜。かわいそうに」とより大切にされる、注意をいっぱいもらえると勘違いして、すっかり「かわいそうな無力な被害者」な自分を演じはじめます。そんなに痛くないのにわざと泣くとか。
でもそれを演じているうちに、だんだん自分が無力なのだと信じはじめてしまうのがこわいところ。
昨日、カフェの隣のテーブルにいた若いお母さんはちょっと違っていました。
よちよち歩きのこどもがテーブルに思いっきり頭をぶつけて烈火のごとく泣き出したとき、そのお母さん、それはそれは冷静に「あら、自分でぶつけたのにおかしいな〜(泣いてるなんて)」、そして「ほら、痛い痛いの飛んでけ〜」と宙に放りなげるジェスチャーをすると、こどももそれを見てもうニコニコしていたのです。
「このお母さん、やるな!」と思いましたよ。
自動的に「痛くてかわいそうなわたし」になりそうなところを、さっさと自分で責任をとらせているのです。「ぶつけたのはあなたですよ。それは外から襲いかかってきたのではありませんよ。あなたの不注意です」と。そして痛みはさっさと放り投げるようにして処理をして、「被害者意識」と「痛み」がいっしょにならないようにしているのですよね。
こどもが「痛み」を感じたときに、「かわいそうに」と言ってそれに注意をむけすぎると、こどもは「痛がれば」いつもにはない余分な愛がもらえるんだと勘違いしてしまいます。「愛」は「かわいそうな人」にならないともらえないと擦りこまれてしまうのです。
また、わたしたちは、おうおうに「痛み」をかんじるとその痛みをそのままにはせず、そのあとに頭で考えた判断をつけ加えます。「ついてない自分」とか「いつもこうなっちゃうわたし」「これは罰にちがいない」とか・・・自分のよけいな考えを「痛み」にくっつけて、「痛み」に意味を与えてしまいます。ほんとうは、「痛み」はただシンプルに「痛み」、ただそれだけなのです。頭でいろいろとセリフを考えなければ、わたしたちは被害者にも、かわいそうな自分にも、報われない自分にもなっていないはずなのです。
この若いお母さんは、あざやかに「こどもに自分の人生の責任をとらせる」ということを理解させ、なおかつ「痛みはそのまま手放せばいいのだ」ということも教えていました。
わたしたちのこころの中にある「わたしこそ、かわいそうな存在」という(すでに無意識にまでなっている)思いこみこそが、じつは自分の人生の山や谷をつくっているのですよね。「かわいそうなわたし」と思えば思うほど、それに答えてくれるわたしたちの「創造力」!
(これこそ、自由意志)。
わたしもお店の店員さんの態度がよくないときとか、何かが思ったようにいかないとき ・・・ いまだに被害者、かわいそうな自分をやっていることに気がつくときがあります(腹を立てていることじたい、すでに被害者になっているのですよね)。しみついた習慣はなかなか消えない・・・。まだまだ、気をつけないといけないな〜と感じます。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー )
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