furukawaさんのブログ

20年ぶりの・・・

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

きょうはとっても暖かかった〜♪ 
コートもぬぎすて、カーデガン一枚でお散歩することがでました。サクラのつばみもふっくらしてきたし。

本日のランチはラーメンでした〜!

ラーメンって年に一度も食べないメニュー。まして、わたしから誘うなんて! じつは、TVで神田さやかちゃんがお気に入りラーメンメニューをエキサイトして食べている様子を見て、むしょうに食べたくなったのでした!

それは「九州じゃんがらラーメン」。

表参道のお店に足を運ぶのは、なんと20年ぶりです。

わたしはマイルドとんこつ全部のせ、連れはニンニクがきいてる辛めのもの。

どっちもとってもおいしかった。明太子もたっぷり。それに細麺がいいのです。

後半はテーブルの紅ショウガを投入していただきましたが、トンコツと紅ショウガってあう〜。

これではずみがついて、他のラーメン屋さんにも足を運びたくなりました(スープに興味があるというよりは、麺好きみたい)。中目、恵比寿は有名ラーメン店の巣窟。今にして目覚めたか?!(笑)

いきなり活動的!春の準備

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加湿器って、いったいいつ片づければいいのでしょうね?

三月に入ると、天パーの前髪がいきなりカールしてくるので、もう湿度十分!? と思い片づけてしまいました。でも、片づけたら片づけたで、なんか肌がかさかさするし・・・。

加湿器にとどまらず、

冬のブーツたちを磨いて、つめものをしてしまいこみ・・・

ソファーのカバーをはぎとって、きれいにお洗濯・・・

そして、手洗いしたいダウンやマフラー、セーターはひとつづつ丁寧に・・・

あちこちにたまっていた書類やらDMやらもねこそぎ一掃・・・

植木鉢の枯葉を刈りこんですっきりと・・・

まだシーツも洗いたいし、家具もどけてお掃除したい ... けど、今日はここまででタイムアップ。(かなり頑張ったほうです!!)

まるで冬眠からハタと覚醒したクマのように、いきなり活動的。さっぱりしたくなるのですよ〜、春にむかって。

そして春らしいお花を買いに・・・。ストックにしました♪

確定申告とポイントカード

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確定申告の準備も大詰め。それとともに、やっと春だ〜!という気分です。(これが終わらないことには、まったく ♪春♪ などやってきません。)

毎年、レシートや領収書を受けとったらすぐに仕訳しておこう!と思うのですが、これができそうでできない・・・(汗)。大きな袋にガサガサためこんだすえ、ちまちまと支出項目別に仕訳することになります。

それに、近頃のお財布は容量も大きくなったので、ここにも領収書が潜んでいるし・・・ と思ってお財布を調べたら、あらら、ポイントカードがた〜くさん!

それもすでにポイントがたまったものばかり。

そういえば・・・ポイントってためるのに情熱(?)を燃やしますが、使わないのですよね〜。たまったとたん興味がなくなってしまって。(それって、振り向いてくれない人をせっせとおいかけまわし、振り向かれたら「もうどうでもいい」みたいな・・・・(^。^;  )

というわけで、さっそくカフェでポイントを使ってスウィーツをゲット!!(まあ、立派ですこと!)

スウィーツ食べながら、確定申告の仕上げをしま〜す!

お仕事のミーティングのときに、みなさまのご協力をえながらバシバシためこんだサンマルクのポイント。本日はデニブランのベリーを頂戴しました。この大きさですが、デニッシュはさっぱりしていてサクサク、そこにさっぱりめのソフトクリームで、意外とさわやかなお味でした〜!

お蔭さまで、お仕事はかどって、確定申告終了〜〜!!

 

 

三角定規の抗菌って?!

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定規を使おうと思ったら・・・あれ、見当たりません。

そこで新しい三角定規を買ってきました。そこにはシールがデカデカと、「抗菌」ですと!

まさか三角定規の菌で死ぬことはないと思うのですが(笑) ・・・貼ってあるということは、これが重要、あったほうが売れるということなのでしょうね。

なんでもかんでも、「抗菌」「除菌」とうたわれるこの頃、これってわたしたちの弱体化のあらわれでしょうか?

身体が弱体化しているのではなくって、心の弱体化。

ついには定規の菌にまでおびえるとは・・・。これぞまさに、無意識のなかにある被害者意識のあらわれ。 → 「どんなものにでも、わたしって簡単に攻撃されちゃうのよ!とくに、三角定規の菌はもっとも危険」・・・というぐあいに(苦笑)。(あのどこでも生きていける横井庄一さんを見習いなさいって?! それも極端 ・・・汗)

そして、何にしろ、怖れることによって敵にパワーをあたえ、敵はどんどん強くなります。すると、「あれもコワイし、これもキケン。あれと戦って、これも防いで、それも退けて・・・ああ、忙しい!」・・・ どんどん不自由になります。

ホントは、「怖れなければ、敵もなし」 ・・・なのですが。(病気を怖れて、食べ物に神経質な人のほうが病気になりやすかったりします。逆に、なんの怖れも罪悪感もなく、お肉もお酒もタバコも「おいしいね♪」と豪快に楽しんでいる人はいつまでもすこぶる健康だったりして。)

アフリカに蔓延するあのわけのわからない熱病も、わたしたちの無意識の怖れと被害者意識のあらわれのように思えてなりません。

 

お茶の間シネマトーク「めずらしく邦画、“桐島、部活やめるってよ”」

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めったに観ない邦画です。

タイトルの不思議さから選んじゃったDVD、「桐島、部活やめるってよ」。

バレー部のエースであり、成績優秀、学校いちのスター、桐島くんが部活をやめるらしいって・・・そこからストーリーが始まります。

なんの予備知識もなく観たのですが ・・・ふつうに学園ものだと思って観るとモヤモヤします(笑)。なぜなら、最後の最後まで、「桐島、部活やめるってよ」のままだから。(なに言っているかわかりませんね。笑)

消化不良感がのこる人はたぶん、最後まで「桐島くん」にふりまわされる人。「おい!桐島、どうしたって?!」って。

わたしの場合はそっちよりも・・・「高校生って、こんなに面倒だったかな〜? 」っていうこと。

「今どきの」高校生独特のむずかしさなのか、それとも「共学特有」のめんどくささなのか? ・・・ 高校時代がウン十年前で、さらにオヤジ女子の温床、女子校育ちのわたしにはわかりかねますわ。

そういえば、最近、15~16才のクライエントさんが目白おし状態。(ふだんは、30代から50代前半がいちばん多いのですが。)

この「桐島・・・」は高校生の日常の会話のやりとりがセリフというよりもリアルさ、今どき感があるのですが、もし日々こんなやりとりしてるんだったら、さぞ疲れるだろうな〜と感じましたよ。(こりゃ、セラピー必要になるわ。)

ちょっとモヤモヤ感の残る一作でしたが、いにしえとなった高校時代の日々を理解するうえではよかったかも。お仕事には大いに役立ちました。

次はなんかスッキリ完結するものが観た〜い!

 

気づきの日記「”怖れ”のデトックス」

わたしたちにとって「ニュース」というと、悲惨や怖れ、戦いしか対象にならないのでしょうか? ・・・

暗いニュースのオンパレードにそんなふうに感じてしまうこの頃です。世のなかでは、すばらしいことだってたくさん起きているはずなのに・・・。

ひっきりなしにテレビで流されていた IS (イスラム国)による戦慄の映像がおさまってきたと思ったら、こんどはこどもが河川敷で殺害されるという悲惨な事件。ふたたびあの IS の処刑イメージと重なって、胸が苦しくなりました。

もちろん真実を報道することは大切だし、それを知ることも必要です。でも、まるでヒプノティックに暗示をかけるがごとく四六時中同じニュースが流されると、ひとつの事件が何倍にも増幅していくように感じてしまうのです。たった一回だったことが、まるで何回も起きたように心は錯覚し傷つきます。(あの 9.11 や 東北の津波のときもそうでした・・・。まさにこれこそ擦り込み。)

じつは、わたしたちのエゴは怖いことが大好き。怖いことを糧にエゴは生きのびる、とさえいえます。

だからこそ、テレビ番組はこぞって「怖れ」をテーマにしているともいえます。「主治医が見つかる・・・」とか「本当は怖い家庭の・・・」とか、「直下地震で生きのびるには」とか、「富士山の噴火」がどうとか。わたしたちのなかのエゴには、おおいにうけるテーマですからね!

人の怖れをあおり、罪悪感を刺激すれば、確実にモノは売れるし、視聴率もあがるわけです・・・。

わたしたちは自分の「思い」というのがどのぐらいのパワーがあるのか、ということを忘れすぎている気がします。

わたしたちの「思い」こそがここまで文明を発達させ、いろいろなものを創りだしてきました。「思い」はさまざまなものを創造し、影響を与えます。それはひとりひとりの人生にもいえることです。

しかし、「怖れ」の思いからは怖ろしい現実しか生まれえないし、一方、「愛」や「喜び」「平和」な思いからは、そのような世界が必ず生まれます。わたしたちは、それぞれを意図したとおりの現実しか体験することができません。完全に「怖れ」に動機づけられてしまったからこそ、このような悲惨な事件が続発したともいえるのです。

「怖れ」や「悪」といわれるものを分析することに時間を費やすのではなく、それよりもわたしたちは「何を望むのか、何を見たいののか、何を体験したいのか」にもっと敏感になるべきだし、時間を費やすべきなのでしょうね。

わたしたちの思いは、「愛」か「怖れ」のふたつにひとつしかありえません。

ちょっとだけ「怖れ」で、あとは「愛」というのはなく、選べるのはどちらかきっぱりとひとつのみです。そして自分が選んだとおりに体験することになるのです。「怖れ」を選んでおいて、「愛」や「平和」を体験することはできません。

たくさんの恐ろしい映像や怖いニュースにあふれていようとも、ちょっとテレビからはなれて・・・ 自然のなかで太陽をあびてゆっくり過ごすとか、のんびり音楽を聴くとか、家族や友人と暗い話ではなく楽しいことについて語り合うとか、こころあたたまる本を読む、映画をみるとか、自分にやさしくしてすごすとか、誰かにやさしくするとか・・・温泉やマッサージもいいかも。

さまざまな自分のための怖れのデトックスがありますよね。それぞれが自分のこころを平和に保つだけでも大きな力があります。その平和は必ずまわりにも影響を与えるし、連鎖していくものです。バタフライエフェクトのように・・・。

一週間に一回は、心から「怖れ」の気持ちや重苦しい気持ちを追い出して自分にやさしく過ごす ・・・ 「怖れ」がはびこる日常ではそんなデトックスタイムがぜひ必要ですね。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

まん丸、どうアプローチする?

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なんだか人生の取り組み方にも似たものがあるな〜。

何のことか・・・というと、ホットケーキの食べ方!(笑)

友人のMちゃんは、まん丸のホットケーキを一刀両断。スパッと真ん中からまっ二つにし、さらに横にまっ二つ。その切りくちの美しいこと。なんの迷いもありません(笑)。そしてきれいな三角形にして、最後まで美しく食べていました。

かたやわたくしめは・・・というと、端からその場その場でちまちまとひとくち大。三日月型だったり、台形だったり、長方形だったり。切りくちも、ざくざくぼろぼろ、あまり潔ぎよさが感じられません(汗)。

なんでも計画的に丁寧にしっかりと成しとける彼女らしいし、なんにしろすべて出たとこ勝負っぽいわたしの食べ方はこうか〜とあらためておかしくなりました。

ケーキなどのスウィーツを食べているときにはあまり気にしないけど、まん丸てこれだけの面積があるものだと、あからさまにアプローチの違いがでるのがおもしろいです。カップのアイスクリームもそうですよね〜。周りからせめるのか、ざっくり真ん中か、またはまぜて食べるのか・・・なんて。相手の知らない一面を知る機会になるかもしれません。

こちらのお店は、恵比寿にある「備屋珈琲店」さん。

Mちゃんと江ノ島初詣をしたあとにいつも立ち寄っていたお店の姉妹店。昔ながらのホットケーキがおいしいし、いつも様々なカップでお茶をだしてくれます。珈琲もとてもおいしい。

この日はふたりとも、ウェッジウッド。Mちゃんはミッドナイトブルーにピンクの小薔薇。わたしはミレニアムというソーサーの真ん中に太陽が輝いているカップでした〜!

春のまえに・・・定例行事

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まだまだ寒さ厳しいものの陽射しもぽかぽか、夕暮れどきも明るさをましてくる二月の後半。

おっと!冬の定例行事がまだすんでいませんでした。それは、から〜い火鍋を囲んでのスタッフミーティング。

春を迎えるにあたって、あわててお鍋してきました。

むかしは山椒や唐辛子でおおわれたような地獄鍋が主流だったけど、最近はやさしいお味の薬膳路線が多くなったような(あれだけ山椒やら唐辛子いれてたらコストが高くついたことでしょうよ)。

おかげさまで鍋行事で、火を吹く勢いでころげまわったり、雄叫びをあげたり、意味不明なことをつぶやく・・・なんていう奇行はなくなりましたが、あの頭に突きぬけるような刺激はちょっとなつかしくもあり・・・なんて、いっちょまえなこと言っていますが、ホントはわたしは辛いのはダメ。これも、かなり鍛えられた結果です。

今回は、胃にやさしいコラーゲンたっぷりスープと、真っ赤な唐辛子、そして激辛の山椒の三色ナベをチョイス。わたしは三回ほど叫んだだけで、わりと平和な鍋タイムでした。

鍋奉行もワイルド。お鍋の真上から、お野菜をドサドサとひと皿まるごと投入。勝手に三カ所にわかれてくれるでしょ・・・みたいな。(「国境なき野菜団」などと、笑っているSちゃん。)

これじゃ、お鍋をしている・・・というよりも炊き出しか?(笑)

う〜ん、すごくあったまりました。おナベが終わる頃のスープなんて、そりゃお出汁がでてて、もらって帰りたかったです。

これが冬のお決まり行事。これで心おきなく春をむかえられそうです。 (^_^)v

@六本木 小尾羊蒙古薬膳火鍋さん

いったいいつ夢から目覚める?

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きょうはお休み。

朝、気持ちよ〜く二度寝をしました。

・・・が、二度寝って、あまり夢見がよくありません。

夢のはしばしがとってもヘンで、奇妙なできごとの数々。

夢の世界にいつつも「これは夢だわ」ってわかってて、動揺しつつも「もう、起きるぞ〜!目覚めるぞ〜!」って思ってる。

・・・やっと目覚めて、「夢なのにすごくリアルだったわ。現実よりもコワかった!」って感心しちゃうのです。

 

そして、いつものように一日がはじまって・・・ 日常生活においてもまたまたどこかでわかっているのです。なんか気づいているのです。

「これって夢だわ。すご〜くリアルに見えるけど、夢だわ」って。(夢から目覚めて、まだ夢ですかい?!)どこか、遠いところからふかんしている自分に気がつきます。

さらに「なんだかもうすぐ起きちゃう、目が覚めちゃう気がするな〜」って思ってる。

「いや〜、身体もモノもすごくリアルに見えてたけど、夢だったか〜。長〜い物語だったわ〜。ふぁ〜あ・・・」なんて、のびをしてるかも。

どこで?!

 

気づきの日記「千切りは天につながる道?」

「野菜の千切りをしていたら、はじめて声がきこえたんです!」とY子さん。

昨年ヒプノセラピーを受けられてからいろいろと気づきがあったそうですが、頭のなかで「自分のものではない声」が聞こえたのはこれが初めてだとか。その声は「もっと自分を大切にするように・・・」と教えてくれたそうです。

Y子さんの野菜の千切りの話で、はたと思い出しました。そのむかし、セラピーでたくさんの方にお会いしたり、ちょっとこみいったセッションがあった日には、よく野菜の千切りをしていたな〜と。あるいは、粉をこねることにもはまっていたときも。

野菜を刻むことも、粉をこねることも、心を空っぽにしてくれるのですよね。

Y子さんの場合は、その空っぽになった心に高い意識からの声がぽとりと落ちてきたのだと思います。

とはいっても、高い意識は野菜の千切りをしているから話しかけてくれるのではなく、いつでも年がら年中、365日、語りかけ続けてくれているのですが、わたしたちがまったく聞く耳をもっていません。頭のなかの雑音がうるさすぎて、その声をすくいあげることができないのです。

単純でリズムのある作業をしているとき、ふとトランス状態になって、いつも聞きのがしているその声が浮かびあがってきます。高い意識にしてみたら、「おお〜、やっと静かにしてくれたか!」という感じでしょうか?

そう、わたしたちの頭はあまりにもうるさすぎ。人の話もあまり聞いちゃいないけど、自分の高い意識の語りかけにはまったく耳を傾けていません。

以前にこんなことがありました。それは、「貴子さん、あなたのガイドスピリット(高い意識)があなたに話しかけようと頑張っているのですが、まったく聞い
てもらえないといっています。だから、わたしのところに話しかけてきたのですよ。これこれ、しかじかだそうです」と、親しくさせていただいていた「いろん
なものが見えて聞こえちゃう」男性にいわれたことがありました。それは、そのときにいちばん必要だったひとことで、それがわたしの背中を押してくれました。

その頃のわたしは、まだこの仕事をはじめたばかりでいろいろとパニクっていて、心の声に耳を傾ける余裕などまったくない状態で、まさにそんな迷走状態のわたしだからこそ、わたしの高い意識は「聞いてほしい大切なこと」があったのでしょう。こんなふうに、他の人の口をかりて重要なメッセージがやってくることもあります。

なにも不思議な力を持っている方だけがメッセンジャーになるのではなく、ふつ〜の友人から語られることも自分の高い意識からのメッセージです。お友だちとの雑談で高い意識が語ってくれることも多いのです。

また、メッセージを受けとりたい!とかまえて瞑想しようとすると、かえって力が入って、頭のなかに期待がふくらみ、うまくいかない体験をすることがあります。だからこそ、野菜を刻んだり、粉をこねたりという修道僧の黙想のような単純作業のほうが、簡単に頭をからっぽにできるようです。

野菜を刻む、粉をこねるほかにも、拭き掃除をする、アイロンかけをする・・・なんていうのもいいかもしれません。そうそう、以前ぬり絵をいただいたことがあるのですが(それはマンダラぬり絵という、モチーフに色をつけるものでしたが)、ひたすら色をぬるというのも身体がリラックスして、心も空っぽになるので、おススメです。

「セッションルームの出口のところにキャベツを並べておいたら売れるかもしれませんね!」とY子さん。セラピーが終わると、みんな千切りにするキャベツを大事そうに抱えて帰るのを想像したら笑ってしまいました。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー