furukawaさんのブログ

気づきの日記「プチな感情を見逃さない」

プチなるものは、かんたんに見過ごされがちです。

たとえば、こころのなかのプチもやもや、プチざわざわ、プチいらいら・・・。

こんな感情もしょせんプチなので、さっさと楽しいことに集中したり、お酒やスウィーツで気をまぎらわせたり、スポーツで発散すれば・・・「ホラ、もうぜんぜんOK!わたしってポジティブ」となるのです。

気分転換はまったく悪くないのですが・・・問題なのは、プチなる不快感は依然としてまだそこにあるということ。無視してもけっしてなくならないのです。このプチなるものを軽く扱うと、あとでしっぺ返しがやってきます。

なぜかというと、プチなる不快感は全然プチなどではないからです。表面の意識と、隠れている意識の大きさを比べたら、がぜん隠れている意識のほうが巨大で、プチ不快感はガチにそこに根をはっていて、それがチクリと表面意識を刺激してきます。だからほんとうの姿はかなりパワフルで、人生の障害物となってたびたび姿をあらわします。

プチだという理由で無視してしまったがために、わたしたちはこのプチが発する問題に足をとられつづけるのです。

このプチなる不快感こそが、わたしたちが隠している本当の気持ちや、本当に信じていることを教えてくれるシグナル。そして、プチとして表面化する目的は、隠されつづけたその不快感を片づけてほしいといっているのです。

自分の中で放置され、見捨てられた感情が、ケアされることを要求しています。これはちゃんと見てもらえるまで、手をかえ品をかえシグナルを送りつづけるのです。

人生にあまり問題をつくらないようにしようと思ったら、このプチなるもやもややざわざわと丁寧に向きあうことが大切です。

かすかにいやな感じがしたときに、いったん立ち止まり、「あれ?なんでこんな気持ちになった?」「なにをいやがってる?」「どうあるべきだと思ってる?」 ・・・と、ずっと無視してきた自分の中の声と向きあってあげます。その弱さ、悲しみ、ふがいなさを無条件に受けとめて、ただそのまま感じてあげます。

すると、それはあんがい簡単に消え去ります。わたしたちの生きる目的は「感じること」なので、こうしてちゃんと向き合って感じてあげると、それは消滅して、自分の大きな部分とひとつになります。そして、弱さだったものがパワーや強さへと姿を変えます。

これを繰り返しやっていると、クセになるのです。なぜかというと、このプチなる不快感をしっかりと受けとめて感じたあとに、なんか笑っちゃうような軽やかさがやってくるとこと。(ひとりでクックックと笑っていて、かなり不気味な人になったりしていますが・・・)

そして、いったん片づけるともうそれは戻ってこなくなります(片づくまで同じパターンは戻ってくることがあります)。勝手にこころがもやもやしたり、ざわざわすることがなくなって、スッキリしてくる感じがあります。

こうして、潜在意識を占領して、圧力をかけていたエネルギーの付加をどんどん減らしていくことができます。このプチ不快感が隠れていたスペースがすっきりするほど、どうやら本来の働きであった平和な感じとか、喜びとか、愛情とか・・・喜ばしいものがやっと姿をあらわせるようになります。

わたしたちのこころは、いつも「ひとつである(Oneness)」の状態に恋いこがれています。だから、この抵抗されて切り離されているプチ不快感を自分の中に戻して、ひとつにしてあげなければならないのです。こころの中でこの「ひとつである」の感じが達成されればされるほど、外の世界も「ひとつ」になり、対立や不和、不調和な問題が消えていくのです。

外側の問題を物理的に解決することも大切ですが、こころの中にある不快感としっかりとむきあってあげることは意外なほどに人生をスムーズにするパワーがあります。

ざわっときたら、もやもやっとしたら、気分を変えるまえに、是非一度、その感情を受けとめて、ひとつになって、感じてみることをしてみてください。それが終わったら、いつもの気分転換へどうぞ♪

 

 

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ぶらりお散歩@元町中華街

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梅雨入りしてから、ホントよく降りました。雨あがりの午後、LちゃんとR子さんと横浜中華街&元町へお出かけ。

お二人おすすめのブティックへ。いや〜、三人そろってすこぶる売り上げに貢献しちゃいました(汗)。

わたしが飛びついたのは、ウィンドウにディスプレイされていたロングのサマードレス(ひとめボレ♪)。

しかし、いったいいつ着るんでしょうね〜? 仕事のときに着たら、水晶玉も必携な雰囲気だし・・・。でも、モノは使ってなんぼ。楽しんであげなくっちゃ! この夏、是非、着たいと思います。

三人お揃いの、きらんきらんのキーチェーンも!

ランチは北京飯店さんにて。

三個オーダーしたはずの小龍包が九個もあらわれた!(心のなかではもっと食べたかったのね・・・) 他のお料理もたっぷりで、すごい勢いで平らげましたよ〜。

たくさん食べて、お買い物して、お茶して、おしゃべりして、笑って・・・ひさびさに典型的女子の休日なのでした。

シンクロ・ドーナツ

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スタッフミーティングの差しいれおやつ。「かりんとうドーナツ」。

ほんとはもっとスター性のあるおやつを選びたかったけど、いろいろ迷ったあげく「ドーナツがかりんとうって、どうよ??」という疑問とともに買ってしまいました。

すると、なんとSちゃんが持ってきたおやつもまたまた「かりんとうドーナツ」。きゃ〜、シンクロしてる! Sちゃんも食べたことがないからって。

にわかに、かりんとうドーナツ祭り!(笑)

いや〜、巷にはゴマンとスウィーツがあふれているのに、よりによって二人そろって「かりんとうドーナツ」などというマニアックなシロモノを選んでくるとは・・・どうしたことか。それもほぼ同じ時刻に違う場所で、「かりんとうドーナツ」をじっと見つめて、不思議そうに購入していた二人。

でも、友人同士、同時に電話をかけあってて通じないとか、マンションのお隣同士、同時に外に出てくるとか・・・けっこう人とシンクロしちゃうことって多いかもしれません。

魚や鳥が群れをなしていっせいに同じ方向に進んでいくように、人間はあそこまでダイナミックではないにしてもプチ・シンクロはしているのだな〜と感じます。これだって、れっきとしたテレパシー(使いこなせてませんが・・・汗)。

気づきの日記「 あなたへのプチ メッセージ 1 」

もし、あなたがまったく問題とは無縁の悩みのない人だったら、どんなふうに感じているでしょうか?
たった今、イメージして、その感覚をつくりだしてみてください。
・・・あなたはその状態を自分に引き寄せはじめています。

一生懸命心配したとしても、今の状況を変えるなんの役にもたちません。むしろ、その状態にエネルギーを注ぎ、長続きさせてしまいます。
それよりも、いま自分が望む状態をイメージして、それに意識を向けてみましょう。
それが方向転換する方法です。

「いま」というときは、あなたのパワーの源です。
あなたがしっかりと「いま」に存在しているとき、あなたは宇宙のパワーにとつながっています。そこは、あなたが必要とするすべてで充たされているところなのです。

毎瞬、あなたは「思考」というメッセージを宇宙へと発信しています。毎瞬、毎瞬、いつも、いつも・・・。そして、発信したそのものを受けとっているのです。
少し意識的になってみましょう!自分が考えていること、感じていることに。
意識して、安らぎや平和、思いやりや愛を選びましょう。

たとえ今、悩みや問題があったとしても、それは自分の人生のなかのほんの小さな一部分です。
それにすべてのパワーを与えて、乗っとらせないように気をつけましょう。
人生のなかには、他にもたくさんのいいことや、嬉しいこと、感謝することが日々存在しています。それらに注意を向けて味わい愛でましょう。そのうちに、あなたの人生の流れが穏やかにかわってくるのを感じることでしょう。

 

 

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ほんものの楽天家

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信じましょう!宇宙のサポートを、自分の力を!

 

森のくまさん

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すてきな代官山のお料理屋さん「 米花」さん。

こちらは、たくさんのお米のブランドの中から、土鍋炊きしてほしいお米をチョイスできるお店なのです。6〜7種類ぐらいあったでしょうか?

ネーミングが可愛かったので「森のくまさん」にしました。

やわらかめということでしたが、お米がしっかりとしていて、噛むと味わいがあります。なるほど〜、じょうずな土鍋炊きってこんな歯ごたえがあるのですね。(土鍋炊きはひとつ間違うとたいへんなことに!)

しばらく前まではお料理の食材の産地がいちいちメニューにのっていたりしましたが、こんどはお米のチョイスですか〜。

お隣のテーブルでは、違うブランドでおかわりの土鍋炊きをオーダーしていました。完全にゴハンが主役です。といっても、お料理もとても繊細で、お上品で、新鮮。器もシンプルで美しいものです。

お玄関脇には、たっぷりと生けられた芍薬のいい香り。大好きなお花です。

お昼のランチもあるそうです。さすがに土鍋ひとつは独占できないと思いますが、きっとおいしいゴハンが楽しめると思います。

ごちそうさまでした。

気づきの日記「悩めば、ものごと解決する・・・?」

問題があるとき・・・わたしたちは、「あ〜でもない」「こ〜でもない」と考えて悩むことでそれを解決できると信じています。

ちゃんと心配しないと、問題を放置しているような、真面目にやっていないような、サポっているような後ろめたさがあるようです。問題があるんだから、ちゃんと悩まなくっちゃ・・・って。あれこれ悩めばきっと解決策があるのでは・・・と考えるのです。

悩んだり考え続けるのって、ものすご〜くエネルギーを消耗します。だから、頭も身体もぐったり疲れるし、新たなアクションを起こすエネルギーも奪われかねません。

でも残念なことに、ひっきりなしに考えるということは「それにエネルギーをがんがん注ぎ続ける」ということなのです。次の瞬間も、そしてその次の瞬間も・・・同じものを持続させているようなもの。解決したいと思っているのに、逆にいっしょうけんめい創りだしているなんて・・・これは悪循環。

わたしたちは「未来はどうなるんだろう」「過去のあのことさえなければ」と悩んでいるときには必ず、「今、ここ」に存在していません。あ〜だ、こ〜だ、と心配しているときには、自分がいるべき時間から消えていなくなっているのです。

でも、「時間」というのは、「今、ここ」「この瞬間」しか存在しないといいます。物理学的にも。

だから、わたしたちがすべてのものを手にできる源も、「今、ここ」この瞬間においてしか存在しません。わたしたちは自分のパワーを「ここ」でしか供給できないのですね。「今、ここ」こそパワーの供給源なのです。

「あ〜だ、こ〜だ」の瞬間は、いつもその人はからっぽです。心はここに存在せず、未来や過去にお出かけ中。となると、あらゆるものを創り出せる「今、ここ」から残念ながら脱落しちゃっているわけです。パワーも供給されず、宙ぶらりん。これはなおさら不安定になります。

問題があるときこそ、エネルギーを消耗して、パワーの電源から切断されちゃう「考える」ことをしっかりとストップして、「今、ここ」に戻ってくるときです。

「考える」必要があるときだけしっかり考えるようにして、思考のスイッチはいったんオフに。

そして、せめてたった今だけでも「悩みはすべて解決された」「わたしには何の問題も存在しない」という感覚をつくりだしてみます。そうするとより「今」にいやすくなります。

風を感じて、光を感じて、匂いを感じて、音を感じて、温度を感じて・・・ここにいる感覚を強めてあげると「頭」の中から出てきて、ここにしっかりといられるようになります。「今、ここ」は頭の中にくらべたら、ぜんぜん怖いところではありません。

さあて、じゃあ、「今」「きょう」できる小さなことを見つけて、こころをこめてやってみましょう。

何にしても今に集中してできることをはじめると、次のステップが自然と姿をあらわします。・・・ちゃんと「今、ここ」にいるとこころが軽くなってきます。

かならずや、「今、ここ」がエネルギーを供給してくれて、次にしっかりと導いてくれるのです。

 

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最近人気のミニブレンダー

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オシャレなキッチングッズ屋さんの前をとおるたびに気になっていたのが、ちっちゃなブレンダー。

少しまえまではミキサーが通称で、それはふ厚いガラス製で持ち上げるのも大変でした。(そのわりには、地震でこっぱみじんに・・・汗。)

でもこれは軽〜いプラスチック製。ジュースを作ったらそのまま一人分のグラスになるタイプ。ちょっと手間がはぶけるだけで、ぜんぜん使い勝手が違うものです。

そんなブレンダーをいつもジッとながめては調べていたのですが、本屋さんの帰りだったり重たい荷物がいっぱいで、「じゃあ、この次ね」とその場を離れることに・・・。

そうしたら・・・ブレンダーさんから来てくださいました♪

本当にいつも思うのですが、「純粋な注意」(興味を持ったり、よく調べたり) を注ぎつづけると、それはすみやかに現実になるのですよね〜。注意とは、ものごとを創造するエネルギー!

ブレンダーの場合は、「いいな〜、これ便利」という純粋な注意と、それを使っていることろが簡単にイメージできます。そこには「よ〜し、ぜったい手にしてみせる」という力みも、「いや、ムリかもしれない」という葛藤も、「でも、どうしても欲しいんです〜!」という執着もありません。相反する気持ちが少なければ少ないほど、すんなりと現実がやってきます。

このブレンダーに向けたぐらいの「これいいな」という純粋な注意と、使っているところのシンプルなイメージ、そして「あ〜だ、こ〜だ」の葛藤さえなかったら、ここまで簡単にものごとって現実になるものなのですね〜。

わたしたちは「どうしても叶えたい」と思ってしまうと、力みや、期待や、葛藤や、執着が入り混じって、シンプルに注意というものを使えなくなります。たんに強〜く興味をもって、ワクワクして、そしてすんなり忘れちゃう・・・ブレンダーで覚えたこの感覚を、もうちょっと大きなものにも試してみることにいたしましょう!

プレゼントしてくださった方も、以前からサイキック体質でちゃんとわたしのイメージをキャッチしてくださったのでした。ありがとうございます!

気づきの日記「 大学生のお悩み相談 その2 」

(その1より)

先日、大学で授業をしたとき、Q&A タイムにとくに多かったご質問。

「人のことをどうしても見下して、バカにしてしまうんです」、そしてもうひとつは、「人がこわいんです」というご相談。

 

●「人がこわいんです」

ある特定の人に対して「こわさ」や「脅威」を感じる人はあんがい多いもの。「こわさ」とまでいかなくても、苦手意識であるかもしれません。

じつは「こわい」と感じる目のまえの相手は、その「こわさ」の直接原因ではありません。そして「こわい」と感じているときは、幸いにも「より自分がバージョンアップする」ための「サイン」を受けとっているときでもあるのです。

さて、それはどういうことでしょうか?

「こわい」と感じるからには、たしかに傷ついた経験があるのです。しかし、それはもっともっと昔のこと。無力な子どもだったときのことです。

目のまえの人や状況は、そのときに似ているのです、なにかが・・・。たんに顔が似ているだけかもしれないし、状況がどこか似ているのかもしれません ・・・。その昔、幼い自分がその体験に圧倒されて、湧き上がってきたおそろしい感情をどうしていいのかわからなかったため、そのこわさを心の奥にねじ込んでもう無いことにしようと決めたのです。「ほ〜ら、目のまえにもうないじゃない。だからぜんぜ〜ん平気。傷ついてなんかいないし」・・・って。 でも、それはどこかに行ったわけではなくて、いまも心の中にありありと存在していて、ちょっとした共通点があると痛みが浮上してくるのです。

いま目のまえの人はその「こわさ」とは関係がないので、ここで勘違いをして「相手を変えよう」としたり、その人から「逃げても」まったく解決策とはなりません。その「こわさ」はいつも自分と一緒で、どこまでも追いかけてきます。そのたびに、無力感やおそろしさが甦ってくるのです。

放置しておいたこわさは、時間の流れとともに肥大化します。もうこころの押し入れには収まりきれなくなって、意識の表面に浮かび上がってはうろうろします。何度も、何度も・・・。

それは、「もう押し入れを掃除しましょうよ!そろそろ身軽になってもいいんじゃないですか?」というメッセージです。「向き合っても大丈夫なぐらいあなたは成長したし、強いし、もう荷物を整理して自由になるときがきましたよ」と教えてくれているのです。次のステップへの、成長へのご招待状。

解放してあげるためには、「認めて」「感じて」「安心させる」・・・
1、 ああ、この怖れは今のことじゃないんだな〜。自分の過去のどこかからきてたマボロシなんだ〜と「認め」ます。
2、 解放するために、その怖れをあるがままに「感じて」あげます。すべては体験するために存在します。なので、ただ受けとめて、「ああ、こんな感じか〜」と体験してあげると感情の任務が終わって消えていきます。(ここでは、言葉は使わないで感覚だけで感じてあげるとラクです。)
3、 そして、自分の中のこわがっている子どもをイメージして、「もう、大丈夫。わたしがあなたを守るから。もう一人じゃないよ」と声をかけて安心させてあげてください。

幼い頃のわたしたちは、手に負えないように感じる自分の感情に対して、どうやって向き合ったらいいのか誰も対処法を教えてくれませんでした。そうなると、わからないものは無視してほっておくしかなかったのですね。

またわたしたちは、まわりの期待に答えることが愛されることだと勘違いして、自分の感じている正直な感情を無視して一生懸命大丈夫なふりをしようとします。ほら、「さっきの感情jはもうない!わたしはもう大丈夫!」と言い聞かせるけれど、じつは痛みの塊をこころの奥深くに押しやって見ないふりをしていただけなのです。

日々の生活の中でこころに痛みを感じるときはいつでも、幼い自分がこわがって泣いているときです。本当は「今」の自分はぜんぜんOKなのです。

そして、その痛みは成長しなさい、といつも促てくれています。その痛みを手離すチャンスが訪れているということです。もうあなたはこわさに支配される必要はありません、身軽になりなさいと。痛みは、こころの荷下ろしをして軽くなって、本来のくったくのない自分に戻る作業を促しているといえます。

痛みを感じたら、ネガティブにとらえるよりも、「ああ、またひとつむかしの痛みの残骸を処分するサインだな〜。これをちゃんと感じて片付けて、より軽やかでくったくのない自分になろう」と前向きにとらえてみましょう。

 

 

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気づきの日記「 大学生のお悩み相談 その1 」

先日、大学で授業をしたとき、Q&A タイムにとくに多かったご質問。

ひとつは、「人のことをどうしても見下して、バカにしてしまうんです」というもの。もうひとつは、「人がこわいんです」というご相談。

じつはどちらも、「自分の小ささ」「不十分さ」というところで根っこは同じものなのです。

●「人のことをどうしても見下してしまうんです」

「見下す」ということは、相手を自分よりも下においておきたい気持ちです。同じレベルであってはいけないし、ましてや自分よりも上だなんてもってのほか!

「見下して」自分よりも下におくことで、自分よりもデキの悪い人をしっかりとつくっておく必要があるのです。すると「自分よりも下」な格付けができて、自分は偉い人になれる。

それは「自分の価値」を自分自身で認めてあげることができず、つねに劣等感でくすぶっている証拠です。自分よりもデキが悪いと言い放っておけば、おのずと自分の価値があがるし、そんなひとことを言えちゃう自分も偉いのだわ・・・と錯覚します。なので、相手を批判したり、ダメだししたり、あるいはコントロールすることで、自分の傘下においておけば優越感が感じられて安心なわけです。

これって一見、自分のために役立っているように見えますが、じつはとんでもないことが起っています。なぜなら、「こころの中は一人称である」という大切なことを忘れているからです。つまり、「こころは人に対して考えたことは、自分に対して考えたこと」として受けとるということ。

そうなると、「人を見下す」というのは自分の価値をおとしめる行為で、自分をバカにして自分の首を締めていることになります。わたしたちは自分に対する価値を外側に投影して、それが人からの扱いという形をとって戻ってきます。となると、自分の価値を下げて、いいかげんに扱われる原因をつくっていることになるのです。

本当に自分に対して「ありのまま」の自分を認めてあげると、おのずと他人のことはどうでもよくなります。他の人がどのような生き方をしていようとも、「ああ、それがその人の生き方なんだな〜」「その人の自由なんだな〜」とそのままにしておくことができます。

気に障るのは、自分の中の劣等感も相手の中に見えちゃうと、何か言いたくなっちゃうのですね。

どんな生き方であろうと本人が納得しているのなら、その人にはその人を生きる権利があり、誰からも指図をされたり侵害されたりするものではありません。わたしたちは、あまりにも安易にそれぞれの人が持っている「境界線」というものを踏みこえて、「あ〜だ、こ〜だ」と言ってしまいがちですなのですね。

まずは自分に注意を向けて可愛がってあげることで、自分が心地よく安心できるようになります。すると、おのずと人へのちょっかいは減ってくるのです。

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もうひとつのお悩み相談、「人がこわいんです」はまた次回に!!

 

 

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