ブログ

静物画の師匠

お友だちにいただいたチケットで「セザンヌ」展に行ってきました。

セザンヌというと静物画。今にも、絵の具とテレピン油の匂いがしてきそうな作品です。

油絵に取り組んだものなら、このくちゃっと広げたクロスや、無造作にころがしたリンゴやオレンジ、そして水差しは必須、そんなセザンヌ風静物を一度は描いたことがあると思います。描いてみてはじめて、セザンヌのすごさを思い知るのでした。この空間の扱いやら、モノの存在感!

晩年の作品は、赤い土と彩かな松の緑、そしてヴィクトワール山がメインのモチーフ。ひと目でセザンヌとわかる作風と色彩。若い頃の作品はまったく別人でびっくりします。試行錯誤の末の自分探しだったのでしょうね。

展示の中にセザンヌのアトリエを再現したものがありました。ああ、あの静物画に描かれていたテーブル、水差し、果物皿・・・ホンモノです!そして、セザンヌが亡くなる日まで使っていたパレット。

使い込んだパレットに、一カ所とてもきれいな部分が。これはセザンヌの親指がのっていたところ。わあ、けっこうごっついしっかりとした親指のイメージです。そしてパレットに絞り出された使いかけの絵の具に、最期の最期まで創作に喜びを感じていたセザンヌの情熱が伝わってくるのでした。死の瞬間まで好きなものを追求し続けるパワーがある・・・うらやましい人生です。

PS. 朝の新国立美術館、お花と緑が爽やか。気持ちのいいお出かけのひとときでした。

ポンポン船?いえ、ローカル線

東北本線というローカルな電車に乗りました。

たった二両のかわいい電車で、ポンポン船みたいな音がします。

窓から見える景色は、かわずが啼いている田んぼやうっそうと繁った山ばかり。吹く風も土や緑のどこかなつかしい匂い、

乗車するときドアが開かず、突っ立っているわたしの傍らから女子学生がボタンを押してドアを開けてくれました。なるほど〜・・・ボタン開閉か〜。

下車するときに学習成果を活用しようと意気揚々とボタンを押したのですが、あれ、あれ?開かないぞ〜!!(一時間に一本しかない電車なので、降りられなかったなんて笑い話にもなりません。かなりアセる!)

すると、どうやら一両目しかドアが開かないらしい!あせって移動(汗)。海外でもこの手の電車はありましたが、こんなにあせらなかったな〜。

かくして、目的地に無事にたどり着いたのでありました(ホッ!)。

二頭のく〜ま

暖かいを通りこして、すっかり初夏らしくなってしまいました。

この季節、水分補給が大切!

なので、水筒(なんて、今の時代いわないか・・・タンブラーとかマイボトルですね)買ってきました。

「マグボトルく〜ま」といいます。

あけてみると手書きのナンバリングがあって、884頭目と2961頭目でした。

旭川円山動物園のシロクマ応援グッズらしい。

それぞれ「一緒に飲もうよ」「水分補給忘れずにね」とクマちゃんからのメッセージもつき。

あはは・・・かなりゆるいボトル。持ってるだけでなごみます♪

あたらしもん好き?

ようやく気持ちのいいお天気になりました!

新緑やつつじも雨に洗われ、気持ちよく陽の光の中で輝いています。

そんなお天気に浮かれ、昨日はSちゃんと渋谷にオープンした New スポット、「ヒカリエ」にお出かけしてきました。

二人ともそんなにミーハーでもないし根性もないので人混みは苦手なのですが、いざ行くと決めたら入場制限もなんのその、ずんずん押し入り11階までくまなく探検してきましたよ〜。

お店やグッズのチョイス、ディスプレー、パッケージ、インテリア、み〜んなオシャレ。上の方には、シアターもあります。

この日は体感型ショッピングをきめこみ、試供品で遊んだり、試食したり、五感で楽しんできました。(じつは、もっと楽しみたかったけど、このあと別の予定があり、ちょっと心残り・・・。)

たとえば、「SABON」というボディケア用品のお店。丸い泉のようなところに女の子が群がって一心に何かをしています。はたから見ると、浅草寺でお線香を浴びている図のような・・・。じつはお水が出るところを囲んで、ソープやらボディスクラブ、クリームなどが体感できるスペースなのです。

わたしも指輪をはずしてスタンバイ。いちばん人気だというラベンダー&バニラの香りを試してみましたよ。手を洗っているだけなのに、いい匂いですごく癒されます。(全身に使いたい!しかし、高っ!)

使用後は一皮むけたように手が色白、ふわふわつるつるでした。このあと、アロマのお店「ニールズヤード」でローズウォーターまでつけてもらって、さらにすべすべでした。毎日通ってもいいかしら?(*^_^*)

昨日ちょっと不思議だったのは、Sちゃんと二人で話しをしていると、いつのまにか三人連れになってしまっていること。たとえば、「これなんだろうね〜」「おもしろいね〜」と会話していると、知らない女の子が会話に加わっていて「ほんとですね〜。なんなんでしょうね。云々・・」としばし三人での会話。

その後も、11階から外を眺めて景色についておしゃべりしていたら、知らない男性が「あそこはね、地下鉄つくってるんですよ〜」と。「へ〜、どこ行まで行くんだろう?云々」と自然と三人の会話が成立。

ほっといたら、三人でゴハン食べることにもなりそうな・・・(笑)。

こんなことが二、三あり、なぜだか知らぬまに三人になっちゃうSちゃんとわたしのヒカリエ探検なのでありました(笑)。

こちらはオシャレなカフェ♪

Orb シアター、入口 (Sちゃんがこの写真をみて、まだ完成していないマンションのパンフレットにありそうなイラストに見える、と。たしかに・・・この床と天井、遠近法のお手本みたいですね。)

GWのあれこれ

みなさま、GW、どのようにお過ごしでしょうか?

あいにく、スカッと皐月晴れにはほど遠く、ドンヨリしたりドシャドシャ降ったり・・・。わたしは、通常どおりのお仕事をしつつも、連休のうかれ気分にもあやかっていますよ〜。

○日
以前にも朝ゴハンをしにきた近所のカフェ、IVY  PLACE アゲイン!

カウンター席がお好みだったのですが、本日はカフェスペースのみだったので、そちらで朝ゴハン。

パンケーキとスクランブルエッグをシェアしました♫

天井が高くって、気持ちのいいスペースです。

×日
本日は IVY  PLACE お隣のスタバにて朝ゴハン。屋内はエアコンが妙に寒かったので、今年初のオープンカフェです。

 

ソファーのあるウッドデッキのテラスはご近所の方々なのでしょうか、まるでワンちゃんの品評会状態。

みんなお洋服を着せられて、近頃のキッズ同様、とてもオシャレです。それにもましてびっくりするのは、今まで見たことがないような犬種がたくさんいること。目黒区在住のワンちゃんて在日外国犬が多いのね。

△日
オステオパシーに行ってきました。前回とは違うお店で、徒歩圏内の恵比寿にある「クライムオン」さんです。

施術してくださる方によってだいぶやり方が違うようですが、本日は腕や足をふ〜らふらと軽くまわされて(いえ、ほんとは自分で勝手に回っているそうです)、さらに頭にある緊張をとりながら自律神経をブロックしているストレスを、これも自分で勝手に動いてしまいながら癒してゆきます。

ちょっとトランス状態なのか、白昼夢を勝手にみていました。(ヒプノセラピーみたい!)

揉んだり押したりも気持ちはいいですが、これはもっと深い脳の信号という部分から調整してゆくようです。

一時間ののち、立ち上がってみると、あれ?腰から背中にかけていい具合の弓なりになり、身体全体の重力を感じません。手のひらが真っ赤でぽかぽか。

人の癒しばかりやっているので、こうして人の手で癒しをしてもらうのはいいものですね〜。身体が喜んでいます!

□日
毎年連休の頃は、表参道のけやきの新緑を楽しみながらお散歩するのがならわし。

いつものように表参道ヒルズのサルヴァトーレさんで、ブッフェランチ。

しかし、あまりの土砂ぶりのためフラフラと散歩する意欲もなく、franc franc に行ってウィンドーショッピング。さすがにお天気のせいか、平日のごとく人が少ないのでした。

X日
さてさて、一念発起して、長い冬中お世話になった暖房器具とコートなどのお手入れ。

一心不乱にお掃除とかお片づけってちょっとした瞑想状態で、気持ちのいい集中力。それに、片付いた成果も目でたしかめられるので、ちょっと止まらなくなっています。

さて、次はどこを片付けよう?!

みこキュー

ふと・・・・おもいたって、おみくじをひいてみました。

と、言っても、わざわざ神社に出かけていったわけでもなく、うちにいた巫女さんが持ってたおみくじ。

え?うちに巫女さん??

はい、いるんです。

巫女さんのみならず、くりからもんもんを背負ったヤクザものとか、兜をかぶった将軍さまに、まだまだた〜くさん同居しています。

ぜんぶ、QPのはなしですけど・・・。

はい、我が家のQP村の人口たるや、だいぶはなばなしいものになってきました。

最近にいたっては、はるばる島根からこの巫女さんですもの。年に一回、日本中の神様がサミットする出雲大社から、ありがたいおみくじを携えて・・・。

開けるにあたって、「こういうおみくじって、全部“大吉”なんじゃないの〜?」と思ったのですが、・・・おお、中吉でした♡

運勢・・・青い鳥は、そこに・・・(え?どこ、どこ?)
商売・・・もう少しで、左うちわ(これ、気に入ったわ!笑)
恋愛・・・ステキな出会いがあるかも(え?かもって?わたし、断定形が好きなんですけど・・・)

などなど、なんかゆる〜いおみくじで癒されました。
(GNTくん、ありがと〜)

いただきものばかり。みなさん、大切に可愛がっていますよ〜。

気づきの日記「やめられないんです♪被害者は!」その3

その2より

どうやら、わたしたちには「被害者」をやめられないという哀しいサガがあるようです。(ハイ!かく言うわたくしも「被害者」楽しすぎて(?)当分やめる予定はありません。苦笑・・・トホホ。)

でも「被害者」になることとは、「可哀想なわたしでいることを自ら許す」ということなので、結局は自分が欲しかったものを遠ざけてしまうという悲しい結末に行きつきます。

前回も書いたように自分の人生に問題が勃発するのは、自分の深い意識(潜在意識)にためこんできたネガティブなエネルギーがパンパンの飽和状態になっいる時です。自分のことを怖れに満ちた価値のない愛されないやつだと信じていて、そんな気持ちを抱えているのには耐えきれず、とりあえず外へ廃棄するのが目的なのです。そのうえ、その目の前の問題は、たんに「汚物処理」のためのダミーの問題だときているし・・・。

そのときに、できるだけ他人にも自分にも“自分が汚物をまき散らした本人”だとバレないようにしなければなりません。だから被害者という煙幕をはって、「あなたのせいよ〜」と自分のモノを相手になすりつけちゃいます。それでも、深い部分では自分を嫌っているので、結局は自分を傷つけ罰する顛末へと行きつきます。

そして被害者になれば、ふがいないと思っている自分に対して自分の手を汚さずにおしおきができる・・・という、うまくいっているのかいってないのか、まったく摩訶不思議なシステムですね。

そして、こんなに複雑なことをしているので、自分さえもそのカラクリに騙されちゃう。

だから、被害者意識が出てきたときにはご用心。これにひっかかっちゃうと、自分のためこんでいた痛みのために現在の関係やら仕事やらを破壊しかねません。

しかし、こんな問題が起きているときだからこそ、わたしたちは自分の「心のパワー」に気がつかなければなりません。わたしたちのココロには、常に新しいものを「創り出す」という強力なパワーがあります。

しかし、それも諸刃の剣。自分が怖れにはまっていれば、恐ろしい未来を自分の眼前に繰り出してしまうということになりません。自分がそのとき選びとっているものしか創り出せないのですね。

だから、ここはハタ・・・と立ち止まって、ちょっと頭を切り替える必要があります。恐ろしいクリエイションをストップさせるために、モードの切り替えが必要なのです。

問題が起るとどうしても、過去の経験やら、今までの流れやら、すでに起ったことやら、「過去」のことをもとにして「未来」を予測しようとしてしまいがちです。しかし、アインシュタインの言葉によると「問題というのは、問題を作ったときと同じ考えのレベルでは解決はできない」のです。

ということは、今までの流れから出てくる結果は、今までの流れの延長にすぎません。「ああなって、こうなって」とだいたい予測がつくA子さんがもっとも怖れている流れです。

しかし、忘れてはならないのは、いつだって「未来は自分で選べる」し「ココロが未来を創る」という大切な事実。

まず、牛さんがくちゃくちゃと食べたものを反芻するように「つらかった出来事をグルグル反芻しつつ、こうなったら次の未来はこうだよね」と予測するのをやめなければなりません。このままだと、だいたい次に起ることは予想がつきます。被害者には被害者なりの人生が待っています。自分が怖れていることがもれなく起ってくるでしょう。

グルグル反芻すれば、それだけたくさんのエネルギーがそこに集中して、その怖れをどんどん現実のものにしてしまいます。

問題が起って「被害者」になりそうになったら、あるいはネガティブなことをグルグル反芻しそうになったら、

1、【立ち止まる】 まずは立ち止まって「あ、被害者やってた」「また、同じ怖れをグルグルしてたな」と気がつきます。

2、【キャンセルする】 そして新しい流れを選ぶためには、今までの流れがどうであれ、「ハイッ!ここでいったんキャンセル! 」と今までの流れを放棄します。つまり、怖れの自動意味づけシステムが勝手に起動し、作動しはじめるのを阻止します。

3、【何を体験したいのかを明確にする】 いったん止まったら、そこから自分がなにを未来に望むのかを明確にします。「ああ、嫉妬や怖れや怒りではなくって、愛と平和がほしい、信頼がほしい」というように未来の体験に目を向けます。

4、【新しい意味づけをする】 そうしたら、「今、ここから」その新しい目線でものごとを眺めるようにします。自動意味づけ装置のソフトを怖れから愛・平和の目線に変えてあげるのです。つまり、起ることに対して戦々恐々とした意味づけをしてたのを、寛大で余裕な「いつでも愛し愛されているわたし」「幸せであたりまえのわたし」からの意味づけに変更します。

すると、「彼の帰りが遅い=デートだ」という怖れの意味づけが、「彼の帰りが遅い=仕事大変だね、疲れて帰ってくるね、ねぎらおう」とやさしい目線になります。だんなさまが夜遅く帰ってきたときに、疑心暗鬼な怒りの目線で見られるのと、疲れが増すし、うんざりするでしょう。

でも、ほんとうにデートだったらどうなんですか?というご意見がありそうですね。

もちろんそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、「今ここから」「自分で」未来を選びます。そして創り出します。わたしたちは自分が意味づけをしたとおりに未来を創りあげ、体験してゆくのです。

だから、今、何が起っていようとも、つねに『ここから』スタートすることが大切です。早く言ってしまえば、「過去はどうでもいい」んです。それよりも、いつも今、ここから何を体験したいかを選びとってゆけるのは、常に自分自身なのですね。

怖れを持っていたら、怖れの証拠ばかりが目のまえに目白押しになります。誰かに怒りをもつと、その日一日、怒りたいことばかりが押し寄せます。でも、イイコトがあってハッピーな日には、なぜだか誰もが優しくしてくれるように感じます。

だったら、だったら、ためしに「やさしい目線」を持ってみる、「思いやりのあるまなざし」で解釈してみる・・・・すると、きっと自分の未来の中にやさしくさや思いやりの証拠がいっぱい見つかることと思います。

ホントに世界は、自分のココロのあわせ鏡・・・。さし出したものしか見られない、もらえない・・・。

わたしたちのココロはほっておくと、必ずや「被害者ごっこ」をはじめてしまいます。そのときは可哀想なわたしに酔っていられるかもしれませんが、あとでかならず「孤独」や「自己嫌悪」「罪悪感」のツケがまわってきます。「ごっご」遊びで傷つくのははやめて、ちょっと違う新しいやり方、「今、ここから、未来を選びなおす」という習慣を作ってみてくださいね。

どんな過去のストーリーがあってもOK!それでも、いつだって「今、ここ」に選択のチャンスがあるのです。

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

ふくふく

雨つづきですね。

すっかり淡い緑におおわれたサクラ並木も、あいにくのお天気にけむって見えます。

そんなサクラ並木のはずれがほのかなピンク色に・・・。

八重桜のファミリーでした。ふくふくと可愛い花をたくさんつけていましたよ。

気づきの日記「やめられないんです♪被害者は!」その2

しばし時間があいてしまい、何を書いているのか忘れちゃいました・・・汗。(^^;  
気を取りなおして・・・!

(その1より)

だんなさんの浮気が心配で彼の携帯を見てしまったA子さん。彼女の二つめの NG とは何でしょうか?

それは、起っていることを「あるがまま」に見ていない、ということです。

「ものごとをあるがままに知覚しない」というのは日頃誰もがやっている過ちで、じつは苦しみをつくる最大の原因となってしまいます。

この場合、A子さんに実際に起きている事実というのは・・・「彼が知らない女性とメールをしていた」「ゴハンを一緒に食べた」「チョコをもらった」。しかし、わたしたちには「過去の経験の蓄積」というものがあり、それをもとにして現在起こっているコトに自動的に意味づけをし、今何が起きているのかを判断しようとします。

ここで確実に起きていることとは、先ほども書いたように「女性とメールをしていた」「ゴハンを一緒に食べた」「チョコをもらった」以上です。そして、これらにはポジティブな意味もネガティブな意味もありません。自分以外の人とゴハンを食べることはあるだろうし、結婚をしていてもチョコをもらう男性はたくさんいます。異性のメル友がいる方も多い昨今です。

しかし、このことでA子さんの怖れが暴走してしまう理由は・・・

もともとわたしたちのココロは「ものごとをあるがまま」に知覚せずに自分で意味づけをするのが大好きだと書きましたが、何かを見れば、「おお、それってこういうことね!」、何かを言われれば「そうそう、それってこういう意味に違いない」とすかさず自分なりの解釈をくっつけて一件落着します。しかし、残念ながらそれは普遍的な解釈ではなくって、あくまでも「自分個人」の考えと見聞きした情報からくる意味づけです。(世の雑誌、TV番組では、さきほどあげた兆候があるのであれば、それは浮気です!と断定するかもしれません。しかし、それが普遍的な真実でもないのですよね。)

このよく働く自動意味づけシステムを稼働させているココロは、自分のココロの中に被害者願望があると、ちゃんとそれにのっとった意味づけをしてくれちゃいます。つまり、メールしてる?ゴハン食べた?チョコもらってる?+A子さん被害者意識、怖れ = ひどい、TVでも言っていたように浮気に違いない、もうダメだわ、別れようっていつきりだされるのかしら?わたしといるのにウンザリしてるんでしょ?・・・と。

これは被害者として怖れから意味づけしちゃったために、怖れの悪循環にはまり、その怖れの妄想はどこまでも延々と続くわけです。

わたしたちは、この怖れというものはこの事態が起きているからこそ感じている感情だ、と思っていますが・・・おもしろいことにそれは違うのですね。

じつは、この怖れの感情は「今現在」のものではありません!

ですから、この場合も「メール」etc は、本当の不安の原因ではありません。本当の不安の原因は、もっとココロの深いところからやってきます。それはわたしたちが潜在意識の奥底に永〜いあいだ蓄積し隠しもってきたネガティブな感情、誰の心の中にも潜んでいるココロの闇にある怖れからやってくるのです。もちろんココロの闇ですから、それを自覚していることはありません。

しかし、それをいよいよもって持て余しそうになると、それをガス抜きするために「他の口実」を自分でこしらえて不安を感じたり被害者になって、「ほれっ、これこれ!これが原因でわたしは怖いのよ!あなたのせいよ!どうしてくれるの?」と、行き場のなかった心の底の闇を「かわいそうなわたし」を演じつつようやっと発散させることができるというわけです。

だから、今現在起っていることは、じつはダミーの問題。心の底に潜む、怖れや劣等感のガス抜きの道具なのです。

抱えきれなくなった感情の廃棄物を処理するために、手っ取り早く不安を感じそうな出来事を自らのココロが創作して、廃棄物処理を企てていたわけです。そして、自分を被害者にしたてあげておけば、自分が創ったとは思わずにすみます。

そんなダミーの怖れや怒りにひっかかって、現実のパートナーシップがめちゃくちゃになってしまってはたまりません。だって、怖れを解放するためには、ほんとうは他のどんな出来事でもよかったわけですから。

そしてA子さんがしてしまっているように、彼を無言(しかし態度)で責めて彼に罪悪感を抱かせようとしたり、自分がこてこての被害者「かわいそうなわたし」になって彼に謝らせようとしたり、ついにはこのことによってA子さんらしさも失ってゆきます。そして、おそらく彼も失いかねません。

さあ、大変!どうやって切り抜けたらよいのでしょう?

(やたら長くなっちゃったので、その3へ続きます!

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

はしごというよりは・・・

雲の切れ間からいく筋かの光が地上にさしこむ様子を「天使のはしご」とよんだりします。

この一本の光は、

「はしご」というよりは、さしずめ「天使のエスカレーター」という感じでしょうか?

天使さんでも、やっぱり昨今は「はしご」ははやらない?!(笑)

(新幹線車窓より那須塩原あたり)