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お忙しのあたみんDAY

きょうは熱海に出張で〜す!

駅でタクシーに乗ろうとしたら大きいお札しかなかったので、あわててお買い物をしてくずしました。

何を買ったか?ふふふ・・・熱海のご当地QP!しょっちゅう来ているわりにはチェックしたことがなかったな〜。さて、どんなQPか?・・・なんと「熱海限定、貫一・お宮」。ふ〜ん、貫一・お宮って熱海海岸だったの!知らなんだ。(’◇’)

さて、本日は急遽クライアントさんが増えたため、朝いちから夕方まで休憩なしのノンストップセッションとなりました。品川の駅中で買ったおいしそ〜な「なだ万」弁当も手つかずのまま。

でも、こういうときに限って妙な直感が働くものです。今朝出がけにわけもなくバナナをわっしとつかみ、無造作にバッグに放り込んでいたのです。これで、なんとか夕方まで食いつなぎました。サバイバルに関してはぬけめなく冴えわたっております(笑)。

この直感をもっと実務に活かせたら・・・・。(~.~)*

宙ゆく海老さま

歌舞伎にお誘いいただきました。今まさに旬のお方、海老蔵さんの「義経千本桜」。それも、特等のお座敷席です。

先週、海老蔵さんのドキュメンタリーを見ていて、「わあ、是非ナマで観たいな〜」と思っていた演目です。海外公演でもスタンディングオベーションをあびた作品。

歌舞伎ならではの歌や舞いはもちろん、きらびやかな舞台装置や衣装に耳も目も心もわくわく。そして、なによりもアクロバティックな海老蔵さんにびっくり仰天。歌舞伎役者って、アスリート?!雑技団?!あのカツラと重たくて長い衣装で、目を見張る軽快な動きを見せてくれます。

海老蔵さんはキツネの役なのですが、自分の両親の皮で張られた鼓を慕って人間に化けて鼓のそばに姿をあらわします。最期にはキツネであることがバレてしまうのですが、その鼓を与えられ歓喜しながら桜吹雪のなか客席の上を宙乗りで去って行きます。両親の鼓に愛おしそうに頬ずりしながら喜びを全身であらわすキツネ海老蔵さんの姿が涙を誘います。

近頃の海老蔵さん人気で、ビギナーにも歌舞伎鑑賞の敷居がぐっと低くなって気軽に楽しめるようになった気がします。楽しかった♪少しお勉強して、また行きたい! (桜吹雪→)

 

 

画家さんだったの?!

国立新美術館に行ってきました。写真家としては有名すぎるこの方、「マン・レイ展」です。未公開作品を含め写真、絵画、版画、彫刻など400点余りと、数種の映像も上映されているみごたえのある回顧展。

びっくりしたのは、彼はもともと画家だった!ということ。そして、自分の作品を記録する目的で写真を撮りはじめたそうです。経済的な理由から写真でお金を稼いでいるうちに、写真家としての顔のほうがどんどん有名になってしまったという皮肉な結末。しかし、彼は人生の最期の最期まで画家である自分にこだわっていたようです。

おもしろいですね。ぜったいこうしてやる〜!という力みがない「写真家の顔」はすんなり世間に受け入れられ、世界的にまで有名になってしまうとは・・・。やっぱり力みやエゴは百害あって一利なし、ですね。

写真って不思議なもので、ただシャッターを押すだけなのに撮り手がしっかりと映し出されてしまいます。自分の経験からも、たとえば旅に出て写真を撮っているとき、たっぷり時間があって対象物とつながりながら本当に撮りたいものを撮った写真と、時間がなくてとりあえずバシバシ撮った写真とはまるで違うのです。雲泥の差。「心のこもってない」写真は、やっぱりうったえかけてくるものもなく、いくら綺麗にとれても味気がありません。

マン・レイがパリに住んでいた頃の恋人、あの多くの芸術家が愛し、こぞって作品にした「モンパルナスのキキ」を撮った写真はやっぱり美しいし、なによりも存在感があります。彼の情熱、憧れ、愛情、崇拝・・・のすべてがこめられた作品。そして、やはりこれらの作品によって、マン・レイの写真家としての地位も不動なものになっているのですね(芸術家にとってミューズの存在は創作の源泉そのもの。シャガールのベラとか、ダリのガラとかね!)。キキの背中がバイオリンのモチーフになっている作品と、彼女の目からころがり落ちる完璧な涙を撮影した作品、どちらもあまりにも有名。(それにしても、名だたる芸術家にこぞって愛されたキキって、いったい何が魅力だったのでしょうね?!)

マン・レイの絵画群や映像はかなりシュールですが、女性のポートレート写真などは当時独特の雰囲気があってステキ。どうぞたっぷりとお時間をとってお楽しみくださいませ。六本木で9/13までで〜す!(夕刻、ねらいめ!)

 

気づきの日記 「”あなたのためだから”・・・の甘いワナ」

TVコマーシャルにこんなのがありました。

スウィーツを食べようとしている女の子に友人たちが、
「たしか、ダイエット中だよね?」と声をかけます。
「じゃ、甘いものはよくないね。食べてあげる!」といって取り上げるのです。

そのときのひとことが・・・「あなたのためだから」。

「あなたのためだから・・・」って言われると、なんだか「気遣ってもらっている」ような、「大切にされている」ような、そんな錯覚に陥ります。が、そこはかとなく相手のエゴが感じられる言葉でもあります。

これと似ているのが、「あなたのことが心配なのよ」。心配だから・・・「それはやめてくれ」「わたしの言うことを聞いてくれ」と。「心配だ」という言葉に人は弱いものです。小さい頃から「人に心配をかけるのはよくないことだ」と教えこまれ、この言葉を聞くなりスンナリ相手の要求を受け入れてしまったりします。そして、「ああ、気にかけてもらっているんだ。大切な存在なんだ」とちょっと嬉しくなったり、おもいやってくれる相手に感謝する場合もあるでしょう。

しかし、ほんとうに「あなた」、つまり相手のことが心配なのでしょうか?

否!これはつきつめれば、こういうことです。「あなたが好きなようにふるまうと、わたしの心が乱されたり、パワーを奪われるの。そんなことは耐えられないから、勝手なことをするのはやめてちょうだい」という、相手への気遣いどころか、自分自身を気遣った言葉なのです。わたしが不快に感じることを人はすべきではない、ということを遠回しに表現したわけです。

「心配」という言葉をくっつけると、相手をコントロールしやすくなります。戦ったり、支配的な顔を見せることなく、「良い人」「やさしい人」として、まんまと思いどおりにコトをすすめてゆくことができるのです。もっとも、「心配」という言葉を使っている本人も、それが「心配」などではなく「コントロール」だと気づいていない場合も多々あります。自分を守るために無意識のうちに使っているのですね。

子供のときには、このひとことにのせられて、自分の自主性を捨て去り、親の鋳型にまんまと納まってしまう子供も多々みかけます。子供は、相手のコントロールをすでに見破っている場合もあります(子供は鋭いです)。それでも好きなお母さんを嫌な気分にさせたくない、嫌われたくない、という一心で我慢しちゃったりします。すでに顔色をみる習慣がついているわけです。不条理だけど、愛されるためにこの言葉を受け入れるのです。

これは、夫婦間で相手を意のままにしたいときにも使われます。直球で何かお願いして無下に断られよりも、心配の仮面をつけて、うまくコントロールしちゃうという方法。つまり、先ほども書いたように「なにごとも自分の思い通りになってあたりまえ」という考えがその人の根底にあり、自分の満足のためには相手を都合のいいように扱ってもよいのだ、と感じているのです。

「ふ〜ん・・・そういう人もいるのか・・・」とひとごとのように読んでいるあなた。もしかするとご自分でも気づかずにちゃっかり相手をコントロールする癖がついているかもしれません。

ご自分のコントロールの度合いを調べるには、日常の中で「すべてのことにサレンダーする」というチャレンジをしてみてください。サレンダー、つまり「身を任せる」こと。やってくるもの(人や物事、出来事)に対して、すべてにOKを出す、受け入れる、身を委ねる。そのときに、意見したくなったり、抵抗したくなったり、逃げ出したくなったり、戦いたくなる自分を観察します。本来だったら、この場面こそコントロールが顔を出しているときです。いったいどんな場面にあなたのコントロールは顔を出すのでしょう?

これはとっても受け身的な生き方に見えますが、やってみると案外ご利益が多いことに気がつきます。簡単に欲しいものが手に入ったり、起ってほしいことがスムーズに起ったり、相手が思うとおりに動いたりします。ということは、わたしたちはどれだけ「しなくてよい抵抗を日常的に繰りかえしているのか」「ムダな努力をして戦っているのか」ということです。すごいエネルギーのムダづかい。自分の人生がうまくゆかない・・・あらら、気がついたら邪魔をしていたのは自分だったの〜!?ということになります。

ほんとうは力を抜いてゆるゆる生きていると、天がちゃんと必要なところに導いて行ってくれるようです。ヘタに手をだすよりも、大きな流れに身をまかせる。信頼する。つまり「エゴ」「我」を捨てなさいということですね。川の中をスルスル流れて行く感じ。

「あなたのため」とか「あなたのことが心配だから」を使いたくなったとき、自分はいったい何を避けたいと思っているのか、何を守りたいと思っているのか、何を怖がっているのか・・・自分の心をのぞいてみると、大きな力(流れ)と自分との関係を改善することができます。そうすると、まわりの大切な人をコントロールすることなく、尊重しながらお互いに心地よい関係を築いてゆくことができるようになることでしょう。そして、なによりも自分の行く手を阻むこともなくなるのですね。その後にご自分の人生に何がやってくるのかを見てみませんか?

疑惑浮上・・・

たまには日常のリズムを変えてみるのも、リフレッシュにはよい方法です。

たとえば、おそと朝ゴハン。それも近所のおなじみカフェはパスし、わざわざ電車に乗って緑がながめられるホテルのティールームにやってきました。

連れはフレンチトースト、わたしはパンケーキ。

しかし、このパンケーキ、顔色悪いし、ホテルメイドとは思えないほどパサパサで味気なし。遠路はるばるやってきたのに、いきなり冷凍食品疑惑が浮上。あまりのNGさに、連れのフレンチトーストを略奪するはめになりました。こちらはあつあつ、ジューシー。「さすが、○○ホテルさん!」と認められるものでした。

翌朝、スタバでコーヒーをしていたら、パンケーキが朝食メニューに並んでいるのを発見。しっとりしていて、おいしそう♪そのうえ、あの疑惑パンケーキの五分の一の値段。食べたかったけど、残念感がつのるのでじっとガマン。

デパートで買い物する人が少なくなったように、いまやホテルだからヨイ!、オイシイ!という時代も終わったのかもしれませんね。今度は、電車に乗ってどこかのスタバに行こう!いや、デニーズのパンケーキも捨てがたい!?

気づきの日記「街角の天使さんたち」その2

海外を旅していると、たまに危機的な状況に出くわすことがあります。もちろん自力で脱出したこともありますが、そのときこそ見えない天使さんが守っくれていたのでしょう。

さて、こちらは危機的状況+地元の女の子天使さんのお話しです。

旅をするときは、お気に入りと未踏の地を組み合わせてお出かけします。そのときの未踏の地はブルガリア。でも、どこか気分がのらなかったのですよね・・・・すると、こんなことが。

はじめての土地は勝手がわかりません。到着早々、市街地行きのバスの切符を購入したら、いきなりお金をごまかされ慌てて取り返すという、ハナから緊張をしいられる展開。そして、発車しようとするバスに大きなスーツケースとともに飛び乗って・・・やれやれ・・・と一服していると・・・。

大柄の強面オトコがやってきて言うのです。「お前は違反している。罰金として一万円払え!」と。「なんじゃ?このオッサンは?」と思ったら、どうやらバスの車掌なのです。乗車したときにチケットを取り忘れている・・・と。あらら?わたしの前のアメリカ人のお兄さんたちだって取ってないと思うよ〜。世界の果てからやってきた女の子だと思ってバカにしてるんじゃないの〜?こんな不条理な要求、断固として応じません。だって、あとにやってくる日本人がまた標的にされてしまいますもの。(そのむかし、不条理なレストランから全力疾走で逃げて、つかまえられてしまったこともありましたっけ・・・汗。まだ、ちゃんと生きています。)

「一万円払え!」「ヤダ!」ともめているうちに、ついにバスを途中で降ろされてしまうことに。こうなったらオジサンを警察にひっぱって行くしかない・・・と思っていたら、なんとオジサンいわく「おまえを警察につきだす」と。「なんですってぇ〜?!」それはワタシのせりふでしょ?!

なおも、「払え!」「払わない!」が続いているときに、後ろからブルガリア人の女の子、二十代後半ぐらいでしょうか、がわって入ってきました。あ・・・この女の子、さっきまでバスに乗っていた子。そして、いきなりブルガリア語でオジサンと口論をはじめたのです。

つまり、からまれているのを見て、一緒にバスを降りてきたのです。そして、この華奢なうら若き女の子はオジサンを口でねじふせ、あのしつこいオジサンはしぶしぶ去ってゆきました。

わたしはあっけにとられるばかり・・・。彼女いわく、車掌も警官もみんなグルだから、と。この国ではまだこういうことが行われいるのだと。そして、彼女はすぐさまタクシーを止めてホテルまで送りとどけてくれたのです。

若いのに、なんというたくましさ、なんという気配り。タクシーの中での短い会話で、彼女は政府の教育庁のようなところで働いているのがわかりました。この国では教育のあるエリート層。フェアじゃないことには、フェアじゃないと言えるセンスの持ち主だったのです。あっというまにホテルに着いてお別れになってしまったのですが、連絡先と名前を聞かなかっことが悔やまれます(それだけ、こっちもテンパっていたのでしょう)。

彼女が登場しなかったら、警察もあてにならず、あの先しつこいオジサンに何をされていたか。彼女も道を急いでいただろうに、もめごとを見るや、一緒にその場に降りてしまう勇気には脱帽しました。彼女は自分の国を愛していて、そこを旅する人にいやな思いをしてほしくなかったのでしょう。

こんないろいろな体験で、わたしも人のトラブルに敏感になりました。けれど、総じて今の日本人は知らない人に無関心すぎる感じがします。彼女の存在はわたしにとっても大きな贈り物であり、その後のわたしの人生に役立つレッスンとなりました。ブルガリアン天使さん、ありがとう。

こんな危機的な場面でなくても、ちょっとした親切がずっと心に残っていることもあります。たとえば、スイスのチューリッヒでのトラム。

このトラムは停車しているときに外側から乗車する人がボタンを押して、自分でドアを開いて乗るようになっています。

道の向こうに停車しているトラムに乗りたいのに、信号で足止めをくってしまいました。今にも発車しそうなトラムめがけて疾走していたら、それに気がついた地元の男性がトラムの横を通りかかるついでに何気なくドアボタンを押しておいてくれたのです。おかげで扉が再び開いたため停車時間が長くなり、無事そのトラムに乗ることができました。男性はそのまま何ごともなかったように去ってゆきました。

ちっちゃな親切だけれど、こんな気遣い、ヨーロッパではよく出会いました。

助け船を出してくれた天使さんたちは、助けたとさえ思っていないのですよね、きっと。でも、助けられた人は一生忘れません。ときには、助けられた人の人生そのものが変わってしまうこともあります。

もしかすると、あなたがして、もう忘れちゃってるちっちゃな親切も誰かの心にずっと灯をともしているかもしれません。

気づきの日記「街角の天使さんたち」

日々の暮らしで、ふ・・・と人の優しさにふれて、それがず〜と心の片すみに灯をともし続けるような体験になることがあります。ほんのささいな心のなごむ親切から、ほんとうに救われた!と手をあわせたくなるような出来事まで。そんなとき、日常の中に姿をあらわした天使の存在を感じるのです。

私の場合は、海外であたふたしているときほど天使との出会いが多いよう。それはささいなことから、とても大きな救助といえることまで。そんな天使たちを数名ご紹介しましょう。

まず、ちっちゃな灯りをともしてくれた天使さん。

フロリダでお土産ショッピングをしてたときのこと。

支払いの段になってドルが足りないのです。それも数ドル。お財布やらカバンのあちこちをひっくりかえして、どこかに余分なドルが隠れていないかあたふたしていると・・・・ふっと後ろから静かにさし出された数ドル札。

見るとそこにはオジサンが立っていて、「数ドル?あるある、大丈夫!」という表情で無言のままごく自然に払ってくれたのでした。もうその場限りで会うこともないのに、オジサンは「よかったね。買い物ができて」というように微笑んでいました。

相手にまったく罪悪感や申し訳なさを感じさせないで受けとらせてしまうオジサンのテクニック(というか、雰囲気)、すごいな〜と感じましたよ。フロリダのオジサン天使さん、ありがとう!わたしもこんな場面があったら、ごく自然に楽しく与えられる人になりたいな〜と感じさせてくれた体験でした。

そして、もうひとつアメリカから。それは、サンフランシスコに朝早く到着したときのこと。

じつは、成田の出国ゲートを出たときから、自分が現金を持ってこなかったことに気づいていたのです。(代官山では、よくお財布を持たないで買い物に出かけますが・・・あは)。一人旅、頼る友もなし。で、「スミマセ〜ン!ATMに行きたいので、ロビーに出させて」と係官にお願いしたら、何をバカなことを・・・、もうキミは出国してるんだ!という目で見られましたよ。

しょうがなしなし、文無しでサンフランシスコ行きの便に搭乗。でも落ち着かないったら。ちょっとそこまでのお散歩じゃあるまいし・・・。そして、早朝のサンフランシスコに到着。やっぱり誰もいないし、ATMもクローズ。ここからすみやかに長距離バスに乗らなければならないし、降りたらタクシーも必要。

でもね、いったいどうやって文無しでバスに乗せてもらったのか、今や記憶が定かではありません。そのうえ、バスの運転手さんがちゃんとホテルに連絡をとってくれて、わたしが降りたターミナルにバンをまわしてくれたのです。

それが、ケッサク!ホテルのバンでお迎えに現れた女性は、まさに天使だったのです。真っ白の丈の長いつやつやのローブ、背中には大きな羽、頭の上には輪っかがふわふわ。つまり、天使コスチューム。わお!ホントに天使が助けに来ちゃった。これは困りはてたすえの幻覚ではありません。じつは、その日はハロウィーンだったのです。でもね、文無しのわたしが東京からオレンジカウンティまで無事に届けられたということは、やっぱり天使さんのしわざとしか言いようがありません。しっかりと守られていたのを今さらながら感じます。

PS その後、スーパーに買い物に行ったのですが、レジを待つ列の前も後ろもキャットウーマンだったりドラキュラだったり・・・。そんなアブナイ衣装の彼らに「なぜ、あなたは何もしていないのか?」と聞かれ、逆に恥ずかしさを感じたのを思い出します。

次回Part2では、かなり危機的な場面での天使さんの出現をご紹介いたしましょう。

QP村、新人紹介

このたびご紹介するおふたかたは、凛々しい顔ぶれです。

まずは、政宗くん。杜の都から都会のQP村へようこそ。さすがダテ男、アイパッチにしろダースベイダー風カブトにしろ、ぬり絵ではなく、ちゃんとフェルトであつらえてあります。伊達政宗はなんとお料理好きだったそうで、QP村の料理番をお願いしようかな〜。あら?エプロン持参?気が利くこと!(ちがう、ちがう、それは鎧の胸当てです。)

もう一人は・・・スコット隊員!きゃ〜、なつかしのサンダーバード。彼はしっかりもののお兄ちゃんでしたね。しかし、お顔色がかんばしくありませんがお疲れでしょうか?彼いわく、「ボクは、白人!」なんだそうです。たしかに、今までのQPシリーズと肌の色や顔立ちが違い、欧米人の赤ちゃん顔、つまり大人顔。よく見ると、胸のワッペン、お道具などもとても細かく描かれています。なんだったら、他のお仲間もお連れいただいてもよいですよ〜。

Iちゃん、Lちゃん、我がQP村にご協力いただきありがとうございま〜す♪

ヒルズめぐりでダイエット?

先日は東京ミッドタウンで一日をすごし、こんどは六本木ヒルズにやって来ました。こんな季節は広くて涼しい複合施設が便利です。しかし、ちょいと難点もあったりしますが・・・。

本日はフレンチベースのハワイアン、Roy's でゴハン。真っ正面に東京タワーが見渡せる素敵なロケーション。

暑さでお腹がすかないので冷たいジャガイモのスープから。しかし、ひとたび口にしたら食欲メラメラ、お魚にお肉にデザートの盛り合わせまで。頭とお腹は、まったくの別人格ですね。

食事を終え、満腹のお腹をかかえて階下へするする移動すること3分余。間髪入れずに、カフェ HERBSでデザートpart2に突入。ここのケーキの大きさってありえない・・・と言いつつも難なくクリア。またまた、頭とお腹は別人格。

とどめは、さらにそこから5分ほどのアイスクリームショップ、COLD STONE。まったく労力を使うことなく、ひとところで立て続けに楽しめちゃうのも問題ありです。罪な六本木ヒルズ・・・。さすがに、アイスクリームはお持ち帰りにしましたが。

翌日、おそるおそる体重計にのってみると・・・ホッ=3・・・200g減っていました(減ってるうちに入る?)。めったに減少しないわたしの体重。この期に及んで痩せてるなんて、理不尽な身体ですな〜。一気に大食いしすぎて、消化のために相当なエネルギーが必要だったのでしょうか?ん〜、そういうダイエットもあり?「ドカ食い」ダイエットのススメとか・・・。万が一、肥満街道まっしぐらになっても何の保障もいたしませんが・・・汗。

Just let them go!

きょうも暑〜いけど、空が青いです。

街路樹がぴゅ〜ぴゅ〜風になびいて、そのむこうで雲がつぎつぎに流されてゆきます。

そう、この白い雲のようにすべてのものごとはやってきてはどんどん通り過ぎてゆくもの。そして、わたしたちの頭の中に浮かぶあれこれも、浮かんでは消えて行くもの。

わたしたちは、ただ青い空のごとく、そこにいて静かにそれを見守ってあげるだけでいいのですよね。文句を言うことなく、ジタバタすることなく、またしがみつくこともなく・・・。

空はもともと澄み渡っているのだから。すべてを流れさせてあげましょう。