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お茶の間シネマトーク「神様はそうとう偏屈だった! 〜神様メール〜 」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

世界を創造した「神様パパ」は、頑固! 偏屈! 短気!イジワル! そのうえむさ苦しくって、さえないおやっつぁんです。

部屋に閉じこもってはパソコンで世界を操作し、気晴らしをする毎日。さまざまな事故や天災をこしらえては、意地悪な笑みを浮かべて満足し、またいろいろな法則もあみだしています。

たとえば、「トーストはジャムをぬった面から床に落ちる」法則。(あるある!笑)「湯船につかったとたんに電話が鳴る」法則とか、「お皿は洗ったあとに割れる」法則 ・・・ などなど。

神様パパには二人のこどもがいて、長男は超有名人。いまや、チェストのうえのおきもの状態。(イエス・キリストです!)そして娘のエマは、反抗期の真っ最中。

エマは神様パパと大ゲンカをして、神様パパのパソコンから全世界の人に一斉メールを送ってしまいます。それは、それぞれの余命を通知するメール。

メールを受けとった人たちは、突然の余命宣告にビックリするとともに、どんどん減っていく残り時間にガクゼンとします。そして、突如本当に生きることに目覚めてしまいます。

ここまで書くとコミカルな映画だとわかりますが、最初は映像はさえないし、神様パパはむさ苦しくって意地悪だし、キリスト教で育ったわたしとしては「こんな神様像、笑えないんですけど〜(汗)」と若干嫌悪感。

でも、画面は暗いくせにやたらポップなので、かえってユーモアのセンスが光ります。

娘のエマは、自宅の洗濯機を化繊洗いにすると人間界に行かれることを知って、余命メールにてんやわんやになっている人たちをサポートしに、妙ちくりんな奇跡をおこしに地上に向かうのです。

自分に正直な生き方をしはじめちゃった人は ・・・ たとえば、余命がまだたっぷりあると知ったとたんに飛行機からダイブしちゃったり・・・ でもちゃんと生きてるし(笑)。ブルジョワのマダム(カトリーヌ・ドヌーブ)は夫に愛想をつかして、ゴリラを恋人に選んじゃったり。

ハリウッドの笑いとはまったく違う笑いですが、可笑しいです。そして、最後にはいつのまにかホロリとさせられてしまうし ・・・。イジワルな神様のわりには、ほんわかした気持ちで観終えました♪

ハデさはありませんが、笑える楽しい一本です。(「神様メール」

PS  じつはわたしたちって「神様は気まぐれで、サディスティックで、わたしたちは操り人形のようにホンロウされている可哀想な被害者にすぎない」って心のどこかで恨みを抱いているのです。だってみんな、「わたしのこの人生の災難は何なんですか!」「この世の中で起きている天災を神様どうにかしてください!」って懇願しなかった人はいません。だからこそ、ホントのことを見ちゃったようなこのストーリーって、「そう思ってたよ〜。やっぱりそうか・・・ 」とヘンに納得のいく笑いになってしまうのです(汗)。

涙壷度:★☆☆☆☆(ちょいホロリ)

 

 

梅雨の朝カフェ@ローダーデール

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梅雨らしいお天気が続いていますね。

いまにも雨粒がおちてきそうな空ですが、どこからともなく“くちなし”の甘い香りが漂ってくるこの季節はけっこう好きだったりします。

昨日は雨のなか、朝からお出かけ。

粉もの大好きなスウィーツ男子、 INちゃんと朝カフェのお約束。

INちゃんは二十数年来のお友だちですが、今回は初めて奥さま、K子さんをお連れくださいました。はじめまして〜♪ (はるばるありがとうございます!)

本日のカフェは、六本木のローダーデール。テラスへの扉が開け放たれて、雨ふりをながめながらの朝ゴハン。

わたしは、マッシュルームとグリュイエールチーズのスフレをチョイス。

大きなスフレは焼けるまでけっこう時間がかかります。サラダをいただいたり、 INちゃんのおすそわけパンケーキをいただいているうちに焼き上がりましたっ! わあ、よくふくらんで立派です♡  しぼまないうちにいただきま〜す。(‥ºั⌔ºั‥ )

表面はカリカリでスウィーツのように甘く、下にいくとクリームのような濃厚なチーズ味になります。けっこうお腹いっぱい!

あっというまの時間! ゆったり楽しい朝カフェタイムでした。K子さん、またご一緒いたしましょ〜ね!
( •ॢ◡-ॢ)-♡

 

 

気づきの日記「人生は飛びだす絵本!?」

先日、お友だちの家を訪問したとき、幼稚園児の息子さんが得意げに見せてくれたもの、それは「飛びだす絵本」。いろんな場面がぴょんぴょんポップアップしてくる立体絵本です。

いや〜! 近頃のはたいそうよくできています(わたしの頃とは大違い!)。いろんなカラクリがあったりして、思わずその不思議な美しい世界に入りこみそうになりました。一冊わたしも欲しいな〜と思うほど。

といいつつも、わたしたちは日々「飛びだす絵本」に夢中! 「飛びだす絵本」を生きています。

どういうことか ・・・ というと、

わたしたちの本棚には、いろんなストーリーの「飛びだす絵本」がぎっしりと並んでいて、その背表紙にはたとえばこんなタイトルがあります ・・・「2016年6月20日 古川貴子の一日」。

つまり、朝目覚めると、その日の「飛びだす絵本」がパラリと開き、それを読みはじめます。その臨場感や不思議さ、連ドラ顔まけのハラハラドキドキに、もう夢中! すべてを忘れてのめりこんでいきます。

そしてついつい、自分が「読み手」であることを忘れて、すっかり絵本のなかの主人公になりきっちゃう。

そして夜になり一日が終わる頃になると、その絵本はパタンと閉じられ、そのストーリーは店じまい。本は棚にもどされ、眠りにつくわけです。

もしその晩に夢を見ることを選ぶなら、「2016年6月20日 古川貴子の夜の夢」という絵本がまたパラリと開かれます。「夜の夢」」シリーズは若干辻褄があわなかったり、話がとんだりして、手抜きっぽく感じるかもしれません。

あるいは夢を見ないことを選ぶなら、どの絵本も開かれることがないままとなり、安らかに休息します。

こんな「飛びだす絵本」をくる日もくる晩も、ワクワクク喜々として開く日々がつづきます。

そしてお姉さん、お兄さんになるにしたがって、「2016年6月20日 古川貴子の一日」という一冊でも、ダークバージョンとライトバージョン、ミディアムバージョンなどいろいろな筋立てが存在することに気がついて、自分で選択できるようになってきたりします。

でも、いつしかこどもは成長します。そしてついに、絵本に興味を示さなくなる日がやってくるのです。昼の絵本にしても夜の絵本にしても、まあ、どれも似たりよったりだな〜と。

ワンパターンのアップ&ダウンのストーリーで盛りあげ、「めでたし、めでたし」で終わりそうになるところを話しを続かせるために、「じつは、その話しにはまだ続きがあった」という急転直下のどんでん返しが繰りだされ、そして地の底をはいまわったあとの栄光という陳腐なパターン ・・・。

そんなストーリー展開も、手あかがついたこども騙しのように感じてまったく心が動かされなくなるときがやってくるのです。心底あきあきするのです。「もう、いいよ!」って投げ捨てちゃう。

そう、もう絵本はいらない。 ・・・ 絵本はおはらい箱にされてしまいます。永久に ・・・。

絵本が閉じられドラマが終焉したとき、なんという静寂・・・。静けさ ・・・ 。平和 ・・・。それは永遠に。

絵本の主人公は、自分がすべてのストーリー運営に責任があると信じて、日々がむしゃらに、力いっぱい奔走し続けます。

けれど、本当のところは、その一冊のストーリーはすでに書かれているもの。主人公が話しの詳細や結末を決めるのではありません。でも、その筋書きどおりに動かされていることにまったく気がついていません。だから必死!(汗)

さしあたって「飛びだす絵本」を生きる毎日のあいだは、登場人物である主人公のわたしとしては楽しいわくわくするストーリーのなかで活躍したいな〜♪ お気楽なのがいいな〜♪

毎日、毎晩、絵本を選んでくる人(読み手)に、ライトバージョンの絵本を選ぶようにお願いしておきましょう!

え? ・・・ 絵本を選んでくるその人が「本当のわたし」ですって? じゃあ、登場人物のわたしって誰よ、いったい?! (笑)
(ꐦ ´͈ ᗨ `͈ ) '`,

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

特大の・・・

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おまんじゅうをいただいたのですか?

いえいえ、これは梅の実。セッションにいらしたR子さんにいただきました。

直径5,5cm という大きさにビックリ! 金粉などまぶされていて、有り難いかんじも。

甘くつけた梅のお菓子だとばっかり思っていたら ・・・ ん?なんかすっぱい匂いがする?

え?!コレ梅干?

「こぼれ落ちる寸前の樹上て完熟した特別A級4L.5Lサイズの特大特上南高梅を 熟練した職人さんによってつけたもの」だそうな。 (•ө•)

完熟梅干し? どんなお味なのだろ〜? 楽しみです。

それにしても、おにぎりをひとくち頬ばってこれが出てきたら、ビックリします。おにぎりの三分の一は梅干しになっちゃう。

だんだん暑くなってくると、梅干しがむしょうにほしくなります。R子さん、ありがとうございました。 PS お庭のお花も♪ ╰(*´︶`*)╯

ホ〜タル来い♡

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ホタルの夕べにお誘いいただきました。

ところは、こんな緑がうっそうと生い茂る山ふかく ・・・

ではなくて、文京区という都会のど真ん中です。

ここは、ホテル「椿山荘」のお庭。

まずは腹ごしらえをして、ホタルの出現を待つことに。イタリアン「 IL TEATRO 」にて。ここも眺めがいいステキなお店です。

魚介が中心のお料理をいただいて ・・・

最後はデザートワゴン♡ それも、ワゴンが二台! (スウィーツ好きにはたまりませ〜ん!)

こんなにお願いしちゃった〜! と思ったけれど、まわりのテーブルにはさらに上手がたくさん。さすがホテルスウィーツ、どれをとっても丁寧につくられていてとても美味。濃いめのコーヒーによくあいます。楽勝でいただきました♡

じつは、お誕生日のお祝いをしていただいたのでした♪

さて、日が暮れてきてホタルはいずこに?!

すでにお庭の「ほたる沢」にはたくさんの人が、今か今かとほたるのお出ましを待っています。でも、今はいちばん日が長いときですよね。7時をまわってもなかなか暗くなりません。橋から沢を見下ろしても、ホタルの気配は感じられず ・・・。

「ほたる沢」はあきらめて、わたしたちはホタル宿泊所にお邪魔して、ホタル三兄弟が光るのを見てきましたよ〜。沢での鑑賞はまた来年、こんどはもっと遅い時間に見ようね!とおあずけとなりました。

楽しいイベントをありがとうございました♪

(ホタル鑑賞は、今月末までできるそうですよ。)

 

 

お茶の間シネマトーク「人生の“選択”についての物語」

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マリーゴールド ホテル -幸せへの第二章-」「グランドフィナーレ」「君がくれたグッドライフ」「或る終焉」・・・最近、なんとなくチョイスした映画には共通項が。

はからずも、人生のエンディング、そしてその選択についてのストーリー。

たとえば、「君がくれたグッドライフ」。

これは、気ごころ知れた仲間たちが毎年恒例で出かける自転車旅行のお話。

その年、旅の計画を担当したのはハンネス。彼が選んだ行き先はベルギー。「なんだ、チョコレート以外はなにもないじゃないか!」とブーイングをうけながらも、目的地を目指すハンネスと仲間たち。

じつは、ハンネスにとってベルギーとは重要な意味のある場所であり、決して変更することができない目的地だったのです。

そこは「死の権利」のある国、つまり合法的に尊厳死がゆるされる国だったから。不治の病を隠しもつ彼にとって、このベルギーへの道のりは最期の旅であり、決して戻る道などない永遠への旅立ちだったのです。

旅の途中でその事実を告げられた5人の仲間は激しく動揺し、葛藤のなかに投げこまれます。一日、一日と目的地に近づきながら、あふれ出す様々な思いにそれぞれが直面することになります。 ・・・

そしてもう一本、「或る終焉」。こちらも人生の最期についてのお話し。

在宅のターミナルケアを職業とする看護士の男性、デヴィッド(ティム・ロス)。その介護の熱心さ、親身さは、まるで彼にプライベートな生活などないほどなのです。

それは看護士という職業をこえる献身の度合いで、患者にとっては痛みや苦しみを含めすべてをゆだねる、家族よりも近い大切な存在となっていたのです。

そんな親密さから、家族の勘違いをさそい、セクハラで訴えられることも。

彼のそこまでの献身にはじつは理由があって、彼の心はぬぐいきれない罪悪感を抱えていたのです。

そんなある日、面倒をみている一人の患者から「あること」を懇願されます。いったんは拒んだものの、患者と一心同体そのものの彼は、その患者の絶望感も苦しみもじつはわかりすぎるぐらいにわかっているのです。

さて、彼はどうするのか?・・・

最近、ラブストーリーものがめっきり減って、こんなテーマを扱う作品がぐっとふえてきたのを感じます。実際、それが今、起きていることなのだからでしょう。

私にはこの次元から早々に旅立っていってしまった親しい友人たちがいます。でも、私の心には悲しみや喪失感というものがありません。

感じているとすれば、それはちょっとご無沙汰な懐かしい感じ、愛しい感じ。なぜなら、どちみち、またすぐに会うからね。あっちで。十年、二十年、三十年はあっというまなのです。友人との再会だって、「あら、気がついたら、二十年もご無沙汰だったわ!」ということが多々あります。

だから送るときには、「よい旅になりますように。向こうでも楽しんでね。たまには、便りをちょうだいね〜。そっちの住み心地を教えてね」そんな気持ちになります。

今までタブーであったり、あまり語りたくなかったり・・・という部分にだんだん光があてられるようになって、怖れのない違った目線から見られるようになるのだと思います。

そして、今までは人生でいちばん悲しいこと、避けたいことであったことも、どこから光をあてるのかによって、違う意味があらわれたり、贈りものとしてさえ感じられるようになるのかもしれません。 ・・・ そうしたら、最期についても、ずいぶん意識が変わってくるのでしょうね。

 

 

気づきの日記「けなしてしまう自分がイヤなんです・・・」

クライエントAさんのご相談は、「私はネガティブで、目にするもの何でもけなしてしまうんです」ということ。「こんな自分をやめたい。幸せを感じられるようになりたい」といらっしゃいました。

たしかに ・・・ 幸せを感じたいAさんにとって、「けなす」ことは決して幸せには近づけてくれません。

つねに「けなしてしまう」行為は、たとえ口に出さなくても、ケンカを売っているようなもの。「けなす」ことは攻撃であり、攻撃をしたからには心安らかでいられるはずがありません。平和はやってきません。

じゃあ、Aさんにとってなぜ攻撃が必要なのか? 自分は苦しくなるにもかかわらず、なぜ攻撃を選ぶのか・・・?

私たちは、「こんな自分はいやだ!」「やめたいんだ!」と思っても、なぜかやり続ける自分がいます。それは、「やめる」よりもやり続けるほうがじつはずっとメリットがあるから。トクをしているから。そのトクは、「こんな自分はいやだ!」と自分を嫌いになる気持ちをゆうにうわまわるほど魅力的なのです。

さて、Aさんが「自分を嫌いながらも、なおもけなすことをやめられない」、そのメリットとはどんなものなのでしょう?

Aさんの潜在意識(ふだんは感じることのない意識)のなかを調べてみると、幼いころのお母さまとの関係のなかで不協和音が存在していました。

お母さまの自分に対する態度から、「私は邪魔だから、見向きもされない」と信じ込み → 「そのままだと、まるで透明人間だ」と感じ → 「何か、自分に付加価値をつけなければならない」と思いたち → 「はっきりとした考えをもっている人は、存在感があるし、賢くみえる」と気づき → 「何を見ても、なるべく辛辣な意見を言おう」と決心し → 「瞬時にものごとを裁かなくてはならない」という結論にいたりました。そうすれば、透明人間である(と思っている)自分に必要な付加価値を与えられ、賢い価値ある人になれるだろうし、母にも認められるかもしれないと決めたのです。

こんな幼少のころの自分に対する無価値感から、けなすこと、価値判断すること、辛辣な意見を持つことは、価値ある人間になるため、一目おかれ愛される自分になるためには必要なことになってしまったのです。

こうして文章にしてみると、まったく筋がとおっていないことは明らかですが、なんせ三歳とか四歳のこどもが決めていることですから ・・・ 。冷静に、客観的にみてみると「これヘンでしょ!」ということが、あんがい私たちをつき動かし、操っていいる信念なのです(まったく役に立たない信念です)。

だからこそ、その役に立たない信念のシッポをしっかりとつかんで、明るい場所に引っぱり出して、「これ、おかしいでしょ〜」と笑ってあげることが必要なのです。

Aさんは、まったく無価値でも、ダメな人でも邪魔な人でもありません。

私たちが親だと信じていた人も、一人の人間であり、その人なりの心の痛みやものの見方、トラウマがあったりします。まったく自分と同じなのです。

親も同様に、こどもの頃からの痛みを今だに抱えていて、そのの気持ちにとどまっていて、そのこどものままで子育てをしていることになります。

そうなんです。私たちが親だと思っている人はしばしば、まだこどものままで、包容力があって、愛してくれて、守ってくれる人という「親のイメージ」にあてはまらない人もたくさんいるということなのです。

ヒプノセラピーのセッションのなかで幼児期退行をしながら、幼い自分につらくあたる親に涙するクライエントさんに対して、「ごめんね〜、○○ちゃんがお母さんだと思っていた人は、まだ五歳のこどもだったんだよ。五歳の女の子に、ちゃんと子育てはできないよね〜。だから○○ちゃんが悪いからこんなことになったんじゃないんだよ。自分を責めちゃだめだよ」と教えてあげます。

こどもは、相手が自分につらくあたると、自分が悪いからだ、欠陥があるからだと決めて、自分を責めるようになります。そうじゃないのです。しばしば、クライエントさんよりも、その親のほうが、もっとセラピーが必要なことが多々あるのです。いえ、多々あるというよりは、親もまったく同じなのです。

親との関係のなかでの間違った自分に対するイメージに気づいて、それを手放してあげると、だんだんそのままの自分でリラックスすることができるようになります。

クライエントのAさんも、ふと見せる笑顔がとってもチャーミングな方で、その笑顔がのぞくたびに「ああ、こんなに純粋で、素直の方だからこそ、傷つかないように必死で自分を守る必要があったのだな〜。自分を守る方法こそが、攻撃という形をたったのだな〜」と感じます。

けなしてしまうクセが出てくるたびに、「私は価値のない人ではない」「透明人間ではない」「付加価値はもはや必要ない」と、自分の思いを訂正していくことで、だんだんリラックスして心を開けるようになり、本来のAさんの純粋さ、素直さ、優しさ、楽しさが輝き出してくることでしょう。

もし攻撃をしかけてくるように見える人がいても(つらくあたる、厳しいことを言う、明らかに攻撃してくる、無視する・・・など)、攻撃を受けている自分を責めたり、卑屈になったりするのではなく、「ああ、この人は攻撃することで、自分の価値を必死に高めようとしている。それだけ、この人は自信がないし、おびえているんだ。ほんとうは愛してほしいのに、どのようにふるまっていいのかわからないのだ」 ・・・ こんなふうに思ってみてください。

相手の攻撃に巻きこまれて、自分も同じようになってしまうのを避けることができます。そんな人こそ愛にふれると、かたまっていた心が一気に解凍されて、本来の愛や優しさがあふれ出しきます。

みんな「愛」がほしいのです。そのために頑張っています。

しかし、それを手にするために、しばしば間違った表現になってしまうのですね。それを理解できるようになると、自分にもやさしくなり、心も穏やかになるし、人のこともより理解できるようになると思います。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

風にふかれて朝ごはん

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五月の最後の休日、風がここちよいカフェのテラスでゆっくり朝ゴハン。

いつもはシェアしながらいくつかのメニューをためしてみるけど、「きょうは誰のバースデーであろうとも、パンケーキ丸々ひと皿はゆずれない!」と宣言され・・・。

はいはい、いくらでも心ゆくまでお召し上がりくださいまし。 (ꐦ ´͈ ᗨ `͈ ) (じつは、わたしのバースデーなのでした〜。)

しかしここのリコッタパンケーキ、一枚が尋常でない ・・・。ぶあつい!デカイ! すごい威力です。

メープルシロップをかけるそばから、力強くじゃんじゃん吸いこみます(汗)。半分いただいて、さすがのわたしも、あ〜・・・しょっぱいものがほし〜。おとなりのテーブルのカツサンド(ここの人気メニュー)を見て、目がハートに♡。

パンケーキ大好きさんは、「これ Pancake じゃないでしょ。これは、日本でいう ほぉっとぉ けえき でしょ〜?」って。あはは、アメリカのパンケーキはぺらぺらだからね。日本のパンケーキは、日々進化しているのです。

このカフェ、こんなに緑がモリモリなのに、東京のど真んなか六本木です。

カフェのまえの並木も、まだ人影がまばらで気持ちがいいこと。

夏じゅう、こんな爽やかさだったらどんなにステキか・・・。この夏の猛暑の予報に、お外でまったりも今のうちです。

Randyさん

 

愛しのポンポン

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

友人があるものを海外からお取り寄せして送ってくださったという。

友人いわく、「一緒に出かけた英国のヴィクトリア&アルバートミュージアムを思い出したよ。ぜったい好きなテイストだと思う」って。

ヴィクトリア&アルバートといえば、ウィリアム・モリスかな〜? たしかにわたしの大好物で、モリスの額をセッションルームにもおいています。

ほどなくして届いたのがコレ!

たしかにっ!ヴィクトリア&アルバートにあったモリスの部屋の壁紙みたい♡ 大好きな感じです♡

これチェーンのついたミニバッグのように見えますが ・・・ じつはスマホケース。こんなオシャレなスマホケース、見たことない! さっそく、翌日のお出かけにスマホをお着替えさせて連れて行くことに。

出先で電話がかかってきて、このスマホをとりだして歩きながらしゃべっていたのです。そして到着したらナント、かわいいポンポンアクセサリーが消えてる〜! (ꐦ°д°) ガーン いなくなった〜!

待ち合わせ相手をほっぽらかして、あわてて捜索に戻りましたよ。

5分ぐらい歩いたところに花壇があって、そのレンガのうえに発見! 大切そうにおかれていました。よかった〜。

ポンポンがなおさら愛しく感じます。しっかりとイヤホンジャックにつけなおして、また一緒にお出かけしようね〜!

 

亜鉛同好会 @ Ginza

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牡蠣はビタミン、ミネラルなど女子にうれしい栄養の宝庫! まさに食べるサプリ。

今回の亜鉛同好会は、銀座の「Oysterbar&Wine BELON」さんにて。

オイスターのお店は素材を生かしたシンプルなお料理が多いのですが、こちらは牡蠣をメインにしたおいしいイタリアン。

イチ押しでおいしかったのは、コレ! おっきな牡蠣のうえにフォアグラがのったココット。

どっちも大好物〜!❤(。☌ᴗ☌。)   磯の香りとフォアグラの濃厚さがたまりませぬ。おかわりしたいっ♡

二番手は、生牡蠣。

産地別に左から順ぐりに味が濃厚になっていきます。サラリとした塩味から、どんどんミルキーに。

そして、殻つきオーブン焼き。にんにく香草風味&黒オリーブ。ちょっとアヒージョっぽい感じで、オイルたっぷり。

あとは、生ウニのムース風前菜やらボタン海老の生パスタトリュフソース、鴨のロースト、そしてムースとアイスクリームでした〜♪

牡蠣は5月ぐらいがいちばん栄養をためこんでまるまる肥っておいしいらしいです。たしかにぷくぷくでした。(あ・・・牡蠣にかぎらず、この季節、脂肪ためこんでぷっくぷくなひと、ひとり知っていますわ・・・汗。)