furukawaさんのブログ

クラクラするのはこれのせい?! (@ . @)

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

今まで食べたワッフルのなかでも「超」がつくメガ盛り!

ワッフル3枚に、2スクープのアイスクリーム、砕いたオレオ、山盛りの生クリーム、イチゴのソース。さすがの私ものけぞりましたよ!

以前、スウィーツパスをプレゼントしてくれたMちゃんが「そろそろ期限がきれるから・・・」と新しいスウィーツパスを下さったのです♡。そこで、期限が重なっているから二人で使えるじゃない?!と、表参道東急プラザのハンズカフェにやって来ました。(コーヒーセットで、1440円が1000円!)

写真ではもっとふつ〜に見えたけど、出てきたらかなりすごかった。Mちゃんはスウィーツが大得意ではないので、大丈夫でしょうか? このサイズ。

「けっこうさっぱりしていておいし〜♪」と二人とも余裕のすべりだし。

でも途中で、なんかクラッとしたのです。まさか、目まい? さすがにメガ盛りはすごすぎたかしら?

と、思っていたらMちゃんが、「今、地震がきた? 私、目まいがしたかと思ったんだけど・・・」と。あらあら、同じ症状(笑)。

すかさずケ〜タイで地震情報を調べたら、「あ〜、やっぱり地震だ〜!目まいじゃなかった!」とふたりして笑ってしまいました。

いや〜、スウィーツで意識がとびそうになったのははじめてですよ〜。とんでなかったけどね・・・  (;´∀`)

この新しいスウィーツパス。期限は来年1月までなので、たっぷり楽しめそうです。付箋をいっぱいつけて、行く気満々!

Mちゃん、 いつもありがと〜♡

 

 

お茶の間シネマトーク「音楽あり、冒険あり、“シング・ストリート ”」

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友人に誘われて予備知識ゼロでお出かけした映画。それが、朝いちにもかかわらずメチャ混み。なんと満席ですと(かなり早く行ったのに・・・)。無事、次の回で観ました。

観たのは「シング・ストリート 未来へのうた」。'80年代のダブリン、コナー少年の人生は早々と崩壊しはじめていた。両親の失業、離婚話、転校、いじめ・・・。

そんな心痛の日々に、街角でひとめぼれした女の子。自分にはとうてい不釣りあいな大人びてミステリアスなその子に、「ぼくのバンドのPVに出てくれ」とウソぶいてしまったコナーくん。それもすべて、連絡先をゲットするための口実。

さあ、そこからが大変! バンド結成に走りまわります。集まった面子はまったくパっとしないオタク集団。 ・・・ ところがオタクゆえにすごかった! ひきこもりで鍛えた音楽の知識、楽器の演奏。

憧れの女の子を迎えてPVを撮るためだったら、がんばる!がんばる! あっというまにオリジナル曲を作って、その女の子にも気に入ってもらえて、無事街角でのPV撮影にこぎつく。

このバンドの成長を通して、超ダサダサだったコナーくんやメンバーたちがだんだんロッカーらしく垢ぬけてくるとともに、イジメにも負けない自信をつけて輝きはじめる・・・。

これはジョン・カーニー監督がこんな青春時代をやりたかった! という妄想&願望実現ストーリーだそうな。

コナーくんたちがギターをつまびきハミングしながら、どんどん紡いくオリジナル曲が、'80年代のUKロックの匂いがぷんぷんしていて、とってもリアリティがあります。「あれ?こんなのむかし流行っていたんじゃない?」というような耳なじみのいい曲。

バンドに人気がでるかどうかって、たんにカッコいいだけじゃダメだし、ただ歌がうまいだけでもダメ。バンドは、ボーカルの声の質に魅力があることがすごく大事だと思うのです。このコナー少年はとってもステキな声をしています(彼はじつはソプラノのソリストだそうな)。ビジュアルも適度にキュートでスター性があるので、もし '80年代にバンドとしてデビューしていたらけっこうな人気者になっていたかもしれません。それぐらい、この「シング・ストリート」バンドは完成度が高いのです。そのどんどん垢ぬけていく様が楽しい♪ ワクワクします♪

満席のお客さんたちは、10代からシニアまで年齢層が広いのが特徴。'80年代の青春をなつかしむ方々から、音楽あり、ロマンスあり、冒険ありのストーリーに目をきらきらさせる若人まで。

ストーリーにおりこまれたデュラン・デュランやAhaの楽曲も楽しめるけど、このバンドの完成度の高いオリジナル曲がイイです。'80年っぽいPVの出来も楽しいです。

DVDが出たら、また観たいな〜♪

涙壷度:★☆☆☆☆(ちょいホロリ・・・)

 

 

ふれあい(?)の一日

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お出かけしようと外にでたら、玄関まえにナントひとが倒れてる!

見慣れない光景に一瞬、「ケータイからの119番って?」と通報の仕方にアセったけど、あまりにきれいな大文字焼きスタイルで倒れているので、これはどちらかというと寝ているのか!?

それは30代ぐらいのスキンヘッドの男性で、そのいでたちはかなりなオシャレさん。近くには帽子と白いサングラスもふっとんでいる。

帽子とサングラスを拾いあげながら「大丈夫ですか!」と声をかけてみたら ・・・・ カッ!と両目を見開くなりガバッと起き上がって、「アラ〜、だじょうぶよぉぉ。だいじょうぶだったらぁぁ!」といいながら、スキンヘッドのエアヘア(?)をかきあげるしぐさ。 ・・・ おネエさん系おにいさん?!

帽子とサングラスを渡すと、あれこれひとしきり喋りまくって、「あなた、じゃあまたね〜♪またね〜♪」とおもいっきり手をふってさって行った。 ・・・ ま、またね!って言われても?! ・・・ (苦笑)。

その午後、買い物帰りにファッションビルの一角の小さなカフェでアイスコーヒーを飲んでいたら、年配の品のいいご婦人がやってきて「こちらよろしい?」とまえの席に腰かけた。

わたしは静かに携帯をながめていたら、そのご婦人、バッグからなにやらゴソゴソ取りだして「どうぞ♡」とわたしの目のまえにおいた。

保冷剤とよく冷やされたゼリー2個。(ご婦人のおやつタイムのおすそわけ?!)お言葉に甘えていただいてみたら、果汁か濃くっておいし〜♪ (高級ゼリー?)

このご婦人、近所の山種美術館で日本画を見てきたという日本画ファン。若沖がお好きとか。ちょうど友人から9月にある若沖の箱根の展覧会に誘われていたところだったのでその情報をさしあげたら、お礼に山種美術館の割引チケットをくださった。

なにやら、知らないかたとふれあいの一日なのでした〜。(笑)

 

 

気づきの日記「あるがまま♪ あるがまま♪」

「私はゆるす。だから、これは消えてゆく」(ACIM L193)

「ゆるす」とは ・・・ それがそのように存在することをゆるすこと。自分がそんなふうに感じていることをゆるすこと。それがそのままであることをゆるすこと。受け容れること。味わいめでること。

「あるがままに感じてくださいね」 ・・・ これはセラピーでもよく口にする言葉であり、じつは癒しにおいてはとても大切なこと。

でもそう言われて、「そうなんですね!わかりました。そうします」とはなりません。たいてい、「え?あるがまま?それより、変えたいんですけど?!」ということになります。

だから、「あるがまま」ってすごく不人気なんです。みんなやりたくない。(やりたくないからこそ、そこに問題の原因があるのですが・・・。)

なぜ「あるがまま」がそんなに不人気なのか・・・

わたしたちがなにかをするとき、それはほとんど「あるがままになにかを感じること」を避けるためだから。

「やだ〜! わたしは、自分が気分がよくなるように感じたい!」 「あるがままなんて、つまらないし退屈。もっと違うなにかがいいんだ!」 「それをあるがままにほっとくなんて、すごく無抵抗で無力で、無能に感じる。まるでダメ人間みたい。変えるために挑むことこそ人生でしょ!」・・・ こんなセリフが聞こえてきます。

だから、わたしたちの日ごろの活動や思考は、このあるがままから逃れるためにする抵抗そのものであり、つねに違った自分になろうとする努力なのです。自力でもっと違う自分になる、もっと違う体験をする、もっと違う感じ方をする・・・。だから「あるがまま」なんてゴメンなんですよ〜 ・・・と。

じつは、これこそが「苦しみ」の元凶。

たとえば思考を例にとってみると、思考は一日に何万個も意識にあらわれます。もしも、そのひとつひとつにかまっていたら、実際、しなければならないことがなにひとつできなくなってしまいます。

だからというわけではないけれど、わたしたちはじゃんじゃん出てくる思考をそのまま行くにまかせています。「一瞬まえの思考ですって? 覚えてませんよ〜」と。つまりスルーしてるのです。

目のまえのさまざまなものごとも、日々感じる感情も ・・・ じつはこの思考と同じ原理です。意識のなかにやってきては、自然に消え去っていく。現れては、また去って行く。そのくりかえし。

どうでもいい考えに対してはすぐにスルーするすべを身につけているわたしたちですが、ついものごと、人、感情など、よりリアルに見えるもの、そして自分が好まないと決めたものに対しては、どうもスルーができません。同じように扱えないのです。

そう、あの「絶対かえてやるぞ!」モードに入っちゃう。

この「変えてやる!」モードのちょっかいが、ただ現れては消えてゆくものをじつはよりリアルなものに変えてしまうのです。

つまり、「変えるべきものだ」と抵抗することで、それをガン見して、判断して、いじくりまわして、さらにそのなかに飛びこんで、格闘して、離れられなくなって、まるでひとつになっちゃう。

抵抗してるときって、じつはこんなふうに問題に完全に食われている状態です。「スルー」どころではありません。

現実をささえているもの、ものごとをよりリアルにするもの ・・・・ それはじつは「注意」です。

だからこんなふうに抵抗して、問題をガン見して、いじくりまわして、かかわり続けることこそが、問題にしっかりと注意という栄養を与えることになっちゃうのです。ほんとうだったら、現れては自然に消え去っていくもののはずなのに・・・。

そこで「あるがままに感じてくださいね」という言葉が出てくるわけです。注意をめいっぱい注いでそれを育てずに、あるがままにしてあげ注意が注がれずにすぐになくなります。本来の場所へと消え去えさっていきます。

リラックスして、ただ「あるがまま」。

こんなに簡単に言うけれど、問題が起きているときにこれをするととてつもなくキョーフを感じます。言うほどにやさしくないのですね〜。

それでも、そんな気持ちさえ「あるがまま」「あるがまま」、ただ自分の意識のなかで両手を広げてそのまま感じてあげます。

すると、ちゃんと消えていきます。あのどうでもいい思考が知らないうちに消え去っているように。

そして、いつもそこに居座っているように感じていた慢性的な問題も、この「あるがままに感じる」ことを続けていくと、だんだん台風の精力が弱まるように弱体化してきて、自分を捕らえて放さないようなパワーななくなり、ついには姿を消していきます。

けれど、このプロセスの途上は「きゃ〜、死んじゃう」っていう気持ちに直面するかもしれません。この「死んじゃう」思いこそが、わたしたちが全力でものごとに抵抗する原因です。怖すぎるからこそ、今まで全力で避けてきたのです。思いっきり抵抗してきたのです。そして、その気持ちこそが、問題を慢性化させていたのです。

さあ、「死んじゃう」も両手を広げて感じてあげてください。新しい体験です。大丈夫、バッタリ死にません!

「死んじゃう!」が迫ってきたとき、それをよけないと、体のなかを通過してゆくのです。「あれ?すごいパワーがありそうだったけど、透明だった?」みたいな。

そして、「死んじゃう!」をそのままにしてあげると、新しい自分、自分のなかにあった平和とか愛とか幸せ感とかが新しく誕生してくるのです。

もしかすると、ちょっと難産に感じるかもしれません。でも、チャレンジするんだったら、「抵抗」にエネルギーを使うよりも、「死んじゃう!」に挑んでみましょう! Welcom 死んじゃう感じ! そして、あるがまま♪ あるがまま♪

 


「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

お茶の間シネマトーク「日本人でもどこか懐かしい“ブルックリン”」

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きっちりかっちりカールをほどこした髪型(イメージとしてはサザエさん)、くっきり描かれた赤い唇、真っ白なブラウスにはギャザースカートをあわせて、肩にはカーディガン・・・。

1950年代の N.Y. を舞台に、アイルランドの田舎から移民してきた女の子、エイリシュの成長を描いた「ブルックリン」。

新しい地で砂をかむような思いをしながらも、愛する人に出会い、どんどんニューヨーカーとして変化していくエイリシュ。でも、母の死を機に、故郷と新しい地とで引きさかれそうになります。暗くて行きどまりのように感じていたアイルランドでの生活は、ブルックリンで成長した彼女にとってはまったく新しいチャンスをたくさん見せてくれるのです。はたしてエイリシュは、ブルックリンで待つ恋人のもとに再びもどれるのか・・・?

この時代のファッションは、なんてカラフルでエレガントなんでしょ! 古いどころかとってもオシャレに見えます。ストーリーのなかでエイリシュがブルックリンで自信をつけて洗練されていく様子が、ファッションの色合いで表現されています。(どんどんポップなファッションになっていきます!)

N.Y. 生まれの友人は、この映画には郷愁を感じると言っていました。おじいちゃん、おばあちゃんがこんなふうに様々な思いを胸に海を渡ってやってきたこと、また自分にとっても生まれ育ったなつかしい時代を思い出すのでしょう。

それを聞いて「なるほど〜。アメリカ版 “ALWAYS 三丁目の夕日”か〜」と思って観てみたけれど、日本人のわたしにとっては、この主人公が新しい環境のなかでひとつひとつの出会いによってみるみる変わっていく姿が、まさに20代の頃の自分と重ねあわせて共感できた気がします。

このエイリシュを演じたシアーシャ・ローナンは、ちょっとふっくらとしていて、往年の女優さんのようなエレガントで美しい雰囲気があるのです。彼女自身、じつはアイルランドにルーツを持つという N.Y. 育ちで、まさにご両親がこの映画と同じストーリーを生きているそう。

あとで調べたら、キーラ・ナイトレイの「つぐない」で妹役を演じていたあの女の子なのですね! 細かいことはあまり覚えていないけれど、悲しくって残酷なストーリー展開と、若干13歳ぐらいだった妹役(シアーシャ・ローナンだったの!)のたたづまいがひどく印象的だったのでした。

「ブルックリン」はアカデミー賞にノミネートされたけれど、日本ではそんなに大々的に興行していないようなので、うっかり見過ごすところでした。最近観た映画のなかでは、とっても好きな一本となりました。

涙壷度:★★☆☆☆(やっぱりラストに泣かされました!)

 

 

ポーズのとりかた

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「どのポーズでお撮りしましょうか?  お好きなタイプをお選びくださ〜い。尚、スパイダーマンにつきましては、スーツは別料金となっております」

PS. 「How to pose with a statue」というタイトルで友人が送ってきたもの。おかしかったのでシェアさせていただきました。 (´▽`) '`,、'`,、

 

 

パス、大活躍♪

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仕事のあとのカフェ通いは、わたしの日常からはずせません! 気分転換タイム♪

行きつけはほぼ4軒ほど。・・・ でも、この本のおかげで、行動パターンが変わっています。

これ、今話題のランチパスポートとスウィーツパスポート。お友だちにいただきました♡

掲載されているお店で割引が受けられるのです。ランチだと500円引きぐらいで、スウィーツだと300円引きぐらい。

いただいたのは、ばっちり中目・代官山・恵比寿というわたしの出没エリアをカバー! だから、時間があるとこの本をながめては新しいお店を開拓しては、割引の恩恵にあずかっております。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

この一ヶ月余で、こ〜んなお店に足を運んでみました。(値段は割引後のもの。)

銀座 Cafe IZUMI アップルシナモンワッフルセット ¥770
代官山 ASSEMBLAGE パウンドケーキセット ¥630

中目 Cafe ファソン サクランボのケーキセット ¥800
渋谷 FREEMAN Cafe ホワイトチョコチーズケーキセット ¥600

有楽町 Cafe Illy ティラミス&カプチーノ ¥680

ランチパスはね、残念ながらまだ未使用。下さったお友だちもランチパスは持っているので、二人で使おう!と言っているのですが・・・。ちょうどお仕事まっただなかの時間帯ということもあって、なかなか二人でタイミングがあいません。なので、もっぱら「これ、安い!」「これ、おいしそう!」と日々ながめては、行ったつもりに(笑)。

 

 

気づきの日記「ヒプノ(催眠)にかかる?かからない?」

先日、映画を観ていたとき、それはとっても静かなストーリーだったのですが、話しの展開にはそぐわない地鳴りのような音がしたり、地震かと思うような揺れを感じたりするのです。

最初はほんとうに地震かと思ったのですが、あまりにも回数が多すぎる。 ・・・ どうやらすぐ隣にあるシアターで4D映画の上映をしていたようで、あれって、映像にあわせて椅子が揺れたり、ミストが噴射されたり、匂いもついてるらしいのです。臨場感満載!

たしか、ディズニーランドだったか、ユニバーサルスタジオだったかに、そんなのあったっけな〜。坐っているだけなのに、急降下したり、高速で飛び回ったり、地底を突き進んだり・・・。危機一髪な場面がいっぱいあったけど、不死身のように死なずに生還いたしました。(ああ、不死身ってこんな感じか〜と思いましたよ・笑)。

でも、あまりのスピードと揺れに途中思わず酔いそうになって、目をつぶってしまいました。そうしたら・・・ あれ? ただ椅子が揺れてるだけか〜。なんにも起ってないじゃないか・・・ なんて、妙にクールになって、こども騙しっぽく感じられましたよ。なにひとつ怖いことなんて起ってないじゃな〜い(笑)。

知覚のトリックって、かんたんに欺かれます。

しかし、まさかね、わたしたちも毎日、こんなアトラクションに乗ってるとは思わないですよね〜!(笑)毎日ですよ〜!飽きることなく。(笑)

どういうことかというと、

もし ・・・「 わたしはドアを明けて外に出る」と思っているときに、自分は1ミリも動いていないのにドアが自分の方に近づいてきて、勝手に開くと外が広がっていて、立ってるだけなけなのに周りの景色がどんどん後ろに流れていったとしたら。そのうえ、歩いているような震動を感じたり、頬をなでる風とか、陽射しのような暖かさを感じたとしたら・・・ きっと自分は外に出て歩いているって思うかもしれません。でも1ミリも動いていない ・・・。

そして朝になって、またまた1ミリも動かずここにいるのに、ベッドから起き上がったような映像、つまり90度ぐらい部屋の映像が回転して、そして部屋の景色が自分の横を流れ、目の前で朝食作りの場面が展開され、そして仕事場ではたくさんの人たちがいて動きまわっているように見えたり 。あるいは、上司なる人が自分のまえで怒鳴っているように見えたり・・・ などなど。けれど、依然として1ミリも動いていなくって、そのうえもしかしたら、まったく時間も流れていないのかも・・・。時間も空間も止まってる。

わたしたちは知覚によって、いろんなことをごまかされています。壮大なるイリュージョンのなかで生きているともいえるのです。

ほんとうは、何も起っていない?! (全部錯覚?  アトラクションの中?)

でも、イリュージョンが楽しいうちは、まあいっか!という感じです。夢のようなものをいっぱい見せてくれるうちは、別に変える必要もなし!

でもね、そうもいかないのです。なぜかイリュージョンは、だんだんホラーになってくるのですよ〜。容赦なく。 ・・・ あるいは、ちょっと楽しい映像で喜ばせて、そのあとは手いたい仕打ちがくるとか。でも人はまた「きっとよくなるはず」と期待して待っているので、待つことをやめない限りはなかなかこの「苦楽」の循環から抜け出すことができないのです。

わたしはヒプノセラピストなので、お仕事のセッション中、日々催眠を使います。(といっても、テレビのショーのような催眠術ではありません。ヒプノセラピーとは、深いリラクゼーションを使ったセラピーのこと。)

で、クライエントさんは「わたしって、催眠にかかるでしょうか?」とよく質問されるのです。

ショーのように、いきなり犬になっちゃったり、平気で恥ずかしいことをしちゃったりするようなそんな場面を想像するのなら、わたしは「そうなるのか」「ならないのか」という疑問はあると思うのですが、実際のセラピーとしての催眠療法(ヒプノセラピー)は違うものです。まったくリラックスできない人がいないのと同じように、それが「できる」とか「できない」というものではないのですね。もっと自然です。ただくつろいでいる状態だけで十分です。

でも、こんなふうに答えたくなるときがあります。

「大丈夫です! だって、世の中のみんなはすでに催眠状態なんですもの。だから、すでにかかっている人にこれ以上かけることなんかできないのです。ヒプノセラピーをするというのは、どちらかというとその “すでにかかっちゃっているココロの催眠をとく” ことといえるのです。ただココロを正気に戻してあげることなので、なにもコワくないし、心配もいらないのですよ」と。

ほんとにほんとに冷静に調べてみると、わたしたちはどうやら正気じゃないようなのです。4D映画に没頭しているか、あのアトラクションに乗りっぱなし・・・。降りられな〜い(泣)。

ありもしなかった架空のストーリーに執着し、なんの根拠もない自分のアイデンティティを気に病み、その他あれやこれやでどんどんでっち上げがふくらみ、もはやほんとうのことがわかりません。バーチャルな世界にひたりきっています。

だからヒプノセラピスとのお仕事は、壮大なイリュージョンという催眠からさますこと、解放されるようにすること、それがほんとうのお仕事なのです。

ヒプノセラピストとは、「催眠をかける人」ではなくって、ねむったココロという「催眠をとく人」。さまざまなアイデンティティや信念、観念、思考、ストーリー、記憶、過去、未来、身体、世界・・・などという催眠から。

だからヒプノセラピーを受けるときには、「かかる?」「かからない?」なんて、まったく心配する必要がありません。ほんとうに!

それよりも、わたしって「目覚める?」「気づける?」ということのほうが気になることなのかもしれません。  (○´―`)ゞ

 


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気づきの日記「学ばれていないレッスンはくりかえす」

「まだ学ばれていないレッスンは、それが学ばれるまでくりかえす」とか・・・、「それがくりかえし起こるなら、そこには学ばれていないレッスンがある」などといわれています。

つまり、自分の人生に何度も起きてくる問題があるとき、どうやらわたしたちは何かを学びそこなっているらしいのです。

「同じパターンで何度もくりかえす人との不和」、あるいは「慢性的になってしまっている身体の不調」、そして「なかなか解決しない経済的な問題」などなど ・・・「ああ〜、またか?!(汗)」とタメ息をつきたくなってしまうときがあります。

解決のために努力していないわけではないのです。

たとえば「経済的な問題からどうしても抜けられない」というあるクライエントさん。

「学びそこねているレッスンがあるということはわかっていました。だから積極的に取り組んでみたんです。“与える”ということに。“与えることは受けとること”、そして“与えるまでは、自分が持っているものに気がつけない”っていうじゃないですか。じゃあ、気前よくプレゼントに精をだしてみようって決めたんです」と。

「で? どうなったんですか?」とわたし。

「与えることは実際、気分がいいことでした。でも、経済的な状況には特に変化はありませんでした。だから、問題は解決していません。こんなに与えているのにちゃんと戻ってこないじゃないか、という葛藤を感じずにはいられません」とクライエントさん。

もちろん「与えることは受けとること」であり、「与えるまでは自分が持っているものに気がつけない」ということは本当ですが、不足感から与えてしまったので、不足感を受けとることになってしまったようです。

「与える、受けとる」というのは、モノというよりも「思い」をあらわしているのですね。だからこの場合には、「豊かな気持ちとか、喜び」という「思い」を分かちあうほうが、結果としての豊かさにつながったのだと思います。

こうなってくると、「いったい学ばなくちゃいけないレッスンって何なんですか〜? いっそのこと、問題と一緒に“レッスンのポイント”とか、“解決のカギ”とかいうプリントでもくっつけてくれたらわかりやすいのに。 神様って不親切!」って思っちゃったりします。

どうやら、レッスンのポイントとは ・・・ どの問題にも共通しているようなのです。

端的にいってしまうと、「あなたが誰であるのか知りなさい」ということ。そして、そのことにおいていちばんズレが生じている状況(人間関係、身体の扱い、経済的なこと・・・)に、問題はあらわれるようです。

たとえば経済的な問題の場合、「生存する」ということに対して戦々恐々とした気持ちを感じているということがいえそうです。

「ここは危ないところだ」という信念があり、生きることはサバイバルであり、そのためには危険をかいくぐって自力で生存していかなければならない。ある意味、「生きることは戦いだ」という感じです。決して、守られ、育まれ、導かれて、愛されている存在としての自分を自覚していません。

まさにその危険な信念のままに、ここは危なく、こころもとない世界に映ります。自分で頑張って生存を勝ち取らなければならないサバンナのような体験をすることになるわけです。

でも宇宙は是非とも学んで欲しいことがあるのです。ほんとうのことを。あなたの真実を。だから問いかけます。

「あなたって誰なんですか? 壊れてなくなってしまう身体なんですか? そりゃ〜危ないですね。何が起こるかわからないですよね。スピリットだったらよかったのに。形がないから安全です。それに限界がないし。怖いことなんかなくなるでしょう。戦う必要も、コントロールもいらないし。そして、すでにすべてとひとつなのだから、無限であったら欠乏することなんかないですよね。なんせ、すべてですから。・・・ ところで、あなたって、誰でしたっけ? 身体なんでしたっけ??」と、何度も問い直されているわけです。

だから解決としては、スピリットとしての自分に戻ろうとすること。まずはコントロールを手放して、ゆだねて、宇宙という無限の豊かさのなかに浮かぶためにリラックスして力を抜くこと。そうすれば、小さな切り離された断片としての経験ではなく、限りないもののなかですべてが流れてくる体験をすることができる・・・と。

この「本来の自分のありかた」をわたしたちは学ばされているようです。だからどの問題にしても、「こわがらなくていいのですよ。ただ信頼して力をぬきなさい。自分でやろうとしないでゆだねることを学びなさい」といわれ続けているのです。

「なんでも自分でちゃんとやりなさい」「人を頼らないように」と教育されてきたわたしたちにとって、「力をぬいて、ただあるがままにする」って、なんだかサボっているというか、手をぬいているというか、あまり賢く感じられないようです。「自分でやってこそ、でしょ!」って思ってる。

しかし、問題に直面したときにいちばん大切なのは、まったく価値判断せずにただ「そのままにする」こと、「いじくりまわさない」「画策にはしらない」、そして「流れを信頼する」ということなのです。

わたしたちにとって「学ばれていないレッスン」とは、どうやら「力をぬいて、完全にゆだねて、信頼する」というシンプルなことのようです。(まるで泳ぎ方、いや浮き方のレッスンのようだわ。わたしは、今だに水泳が苦手!)

シンプルに思える「信頼」こそが、じつはとってもむずかしい。なんか、真っ逆さまに墜落しそうな、水のなかで溺れ死にそうな、そんな怖さがあります。

でも、空中ブランコだって離さないと次がつかめないように、怖さを手放して信頼したときにこそ、はじめて「体験」として「うまくいくんだ」ということが教えてもらえるようです。

レッスンにパスするために ・・・ただ「信頼」「信頼」「信頼」!! ꒰⁎×﹏×⁎꒱ ༘

 


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カーネーションの香りって?

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先日、お友だちと会って帰る道すがら、ず〜っといい匂いがするのです。まるで生花みたいな。

近くに花束でももった人がいるのかな? あるいは、店先のお花? ・・・ と、あたりを見まわしても、とくにお花は見あたらず。

あれ? うちに到着してもいい匂いがするけど・・・?

じつはこれ、お友だちにいただいた石けんがわたしのバッグに入っていたのです。「サンタ・マリア・ノヴェッラ」の石けん。

サンタ・マリア・ノヴェッラ」は800年もまえからある世界最古の薬局で、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の修道士さんが癒しに使っていたらしいのです。だから、とっても自然ないい匂い。

フィレンツェには数度行ったけれど、サンタ・マリア・ノヴェッラの美しい教会だけを見て、すっかり薬局は見すごしておりました。 残念!

石けんには「garofano」とあり、これはカーネーションのこと。

カーネーションに香りがあるなんて知らなんだ! そして、石けんにまでなってるなんて。

カーネーション石けんは、お花屋さんに一歩足をふみ入れたときのような、ちょっと青っぽくて、みずみずしい匂い。ああ、あのお花屋さんの青っぽい匂いはカーネーションだったんだ〜。

今、ベッドサイドにおいてあるけれど、やっぱりお花を生けてあるようなほのかないい香りがただよってきます。

ああ〜、フィレンツェなつかしいな〜♪