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気づきの日記「すべて”わたし”・・・だったのね!ヽ(;▽;)ノ」その2

抵抗している自分の一部は、さっさと自分から切り離されて潜在意識にためこまれます。

この場合、「まどろっこしく」「くどい」というカッコよくない自分に耐えられなかったからこそ、その部分を切り離して心の闇に葬り、なかったことにしたのです。そして、それ以降はそんな自分がいたことすらすっかり忘れ、まったく反対のキャラクターであるテキパキ、打てば響く自分を演出し、それこそが本当の自分だと信じてきたのです。

そう話すと、A子さんは涙をポロポロこぼしながら、「十歳ほど年の離れた兄と姉に、いつも必死で話しをしていた。彼らはわたしが一生懸命話してもまったく理解してくれなかったし、そのうえバカにしはじめたり意地悪だった」と思い出しました。彼女は理解してほしいと話せば話すほど、まどろっこしくなる幼い自分をバカみたいに感じて恥じ、またそれによってどんどん機嫌が悪くなり意地悪になってゆく兄と姉を憎み、そういう不器用な自分さえも恥じていたのです。

同僚二人の中に見えたのは、葬り去ったものの、まだうずいている自分の中の古いキズそのものだったのです。

この場合、ふたりの同僚(男女)にすっぽりと兄と姉の役柄をかぶせていたわけです。A子さんは実際の二人の同僚の真の姿を体験することなく、兄と姉へのキズをすっぽりかぶせて彼らを見ていたのです。だから、この二人がとても意地悪に感じるし、二人といると自信はなくなり、気持ちが不安定になってくる。自分がどんどん無力に感じられて、その頃の小さな女の子に退行してしまっていたのです。「異動になってからイラつく、情緒不安定になる」というのはこれが原因だったわけですね。

何が起っていたのか理由を知るだけでも、もう解放が始まっています。そして、「ああ、まだこんな自分がいたんだね」と抵抗せずに認めて受け入れてあげることによって、抵抗して切り離されていた自分の一部が「反抗するのをやめて」自分の中に戻ってきます。いろんな感情を引き起こして暴れていた自分の一部が、気づいてもらって受け入れられておとなしくなるのです。

A子さんいわく、「この部署にきてから、まるで人が変わったみたいと言われていました。前みたいなパワーがなくなって、おとなしくて静かになっていたのですよね」と。この二人の同僚を兄と姉にみたててしまっていたので、二人と一緒にいると十歳上の兄と姉に抑圧されているように苦しくなってしまったのです。(実際、十歳違いだと、考え、腕力、口でもまったく歯がたちません。当時のA子さんは自分らしさを失っていたのだと思います。)

その兄と姉に抑圧されていたこども時代、A子さんは傷ついたすえにどのようなことを心に決めてしまったのでしょう?何が現実だと決心したのでしょう?(このこども時代に心の傷から決めたことは、パワフルな「信念」となり一生を通してその人の人生を支配します。まさに、三つ子(おさな子)の魂、百までですね。)

兄、姉との心の痛みによってA子さんの心の深いところで決めていたことは、「わたしなんていないほうがいい。誰もいないんだ。わたしはひとりぽっちだ」という心の叫び。それが、しっかりと潜在意識に刻み込まれていたのです。

このような無意識の中に隠された「信念」はとてもパワフルな威力をもちます。このままでは、まわりに愛があふれていても、いくら愛されようともまったく気づくことがなくひとりっぽちの人生になってしまいます。わたしたちの人生は、頭で考えていることよりもこうしたこどもの頃に刻み込まれた無意識の信念につき動かされているものなのです。

もちろん、この「ひとりぽっち」信念はすみやかに除去され、「愛し愛されている」信念におきかえましたよ〜。・・・サッパリした〜!と笑顔をとり戻したA子さん。

キズを手放す準備ができたとき、宇宙はちゃんとキズが浮上する場面を用意してくれます。それは、「もう自分を隠しながら生きる必要はない。そのキズの存在を認めて、自分の中に統合して終わりにしましょう。そして、ありのままの自分で生きなさい」ということなのです。丁寧な言葉遣いでもコミュニケーションがうまく成立しなかったのは、まさに彼女に本当の自分で生きなさいというメッセージだったのですね。A子さんの高い意識はさらなる魂の成長を求めて、「異動」と「男女ふたりの同僚」をセットアップし、それを利用して自分の足をひっぱるいらないプログラミングを消去する手伝いをしてくれたのでした。まさに、成功、うまくいきました。(^O^)/パチパチ!

セッションの翌日、A子さんからメールが届きました。
「あの男性同僚はお菓子をくれ、味方になり、女性のほうも優しくなりました!!!!!すごいね!!!o(^-^)o人間て、ほんとに面白いですね。マインドひとつで人生が変わるなんて!!周りまでも!!まさかあの二人が味方になる、仲間になるなんて。相思相愛っていいね〜(^^)ららら〜♪♪♪」

よかったね〜、A子さん。(^_^)v

気づきの日記「すべて”わたし”・・・だったのね!ヽ(;▽;)ノ」

本日のA子さんのご相談は、「最近、突然泣きたくなったり、感情がとても敏感です。それに、異動で憧れの仕事についたものの、二人の同僚にイラついてばかりで苦しい」とのこと。

なるほど、なるほど。一日のほとんどの時間を過ごす職場で精神状態が悪いのは、人生の大きなロスになりますよね。

まず、仕事でイラつく状況について調べてみることにしました。

新入りでまだわからないことだらけなのA子さん。「わからなかったら、なんでも聞いて!」という同僚二人(男女)に質問するのですが、その答えは「まどろっこしく」「くどい」そうで、そのうえ意地悪。彼女は聞いているとイライラしてしまい二人へ嫌悪感がつのってゆくそう。

それでは、コミュニケーションレベルで何か起きているのか実際の場面を調べてみました。いったい、どんなふうに話しかけているのでしょうか?わたしがA子さん本人になり、A子さんに会社の同僚になってもらいます。そして、わたしがいつもA子さんが使っている言葉で、同僚役のA子さんに話しかけてみました。

(おずおずと)「あの〜・・・、お忙しところ大変すみませんがちょっと教えていただけますでしょうか・・・」とわたし。この言葉は、彼女のキャラとは違いかなり下手でかなり丁寧な言葉遣いです。

その後、「そう話しかけられてどんな感じでした?」と同僚役のA子さんに感想を聞いてみました。

「ん〜・・・なんかイラっとくる・・・」とA子さん。

そうなんですよね。文字にすると丁寧で何の問題もないセリフに聞こえますが、実際の場面にあてはめてこの言葉を使ってみると丁寧さ、気の遣い方、下手に出る感じがイラっとくるのです(あくまでも、この場面での話しです。他の方が他の場面で使ったらなんの問題もありません)。

まるで腫れ物にでもさわるようなこわごわした話し方。「おもわず、何なんだよ〜!」と言い返したくなります。人は卑屈だったり、怖がられていたり、バカ丁寧だったりする態度にはムカっときて、そんなに下手に出ているなら・・・とその相手をいじめたくなるものなのです。(そうなんですよ〜。結局は被害者のようにみえる自分の態度が相手の反応の呼び水になっているのです。)

そこでA子さんに、「この丁寧さは相手の神経を逆撫でするので、ここはA子さんらしく”明るく、軽く、さわやかに”聞いてみましょうよ。”すみませ〜ん!わからないので教えてくださ〜い!” これでOKだと思いますよ」と提案してみました。

A子さんも、まったく自分らしくなくなっていた自分に気づきました。まったく別物になっていたのですね。よし、今後はなんの小細工もやめよう!素のままの自分でいよう!と自分にOKを出すことができました。

さて、次のステップです。「二人に対して嫌悪感がつのってゆく」・・・とのこと。

はい!この場合は、心理学の基本中の基本、「投影」の原理が働いています。外側に見えるいいモノもいやなモノも、すべて自分の一部。そこで、彼女にきいてみました。

相手が「まどろっこしく」「くどい」のが許せないというA子さんに、「小さい頃、何か言おうとすればまどろっこしくなってしまう自分を恥じていたときはある?もう、そんな自分でいるのはやめようって思ったことはある?」と。

「まわりに見えるものはすべて自己の反映」であると知っている彼女は、「この二人は自分の反映かもしれない」とも思ってみたそうです。でも、こんなイヤなやつが自分であるはずがない・・・とすぐにその考えを却下したとか。そうですよね、自分自身が自分が嫌悪している人であるはずがない・・・と誰もが思います。さて‥‥‥ほんとうにそう?でしょうか。
(その2に続く)

だいじょうぶか・・・?!

朝、髪を整えていたとき、ケープ(ヘアスプレー)がない! とストック棚から新しいのをむんずとつかんで勢いよくプシュ〜とスプレーしたら・・・うううっ!なに、この匂い?!ケープは無臭のはず。

よく見たら、きゃ〜、きゃ〜、きゃ〜、「消臭力」だわ!!

同じ大きさのものを並べてストックするのはやめよう、と心に決めました。

そして、いつものように朝はやかんに一日分のお茶をわかします。その日の気分で琵琶茶、プーアール茶、杜仲茶、ルイボスティー・・・などいろいろ。

お茶をわかしながら、朝ゴハンの用意。身体があったまるからクノールのカップスープを追加。

スープの粉末をボールに入れて、熱湯をドドっと注いだら・・・・あっじゃ〜っ!これ、わかしてた黒ウーロン茶だわ。お湯はティファールポットだよ〜。

白いきのこのスープは、あっというまにブラウンマッシュルームのスープに変身。でもね〜、意外にもこれ結構イケます。コクがあって、そのままのスープよりもずっとおいしかった。それに、黒ウーロン茶効果で脂肪分もカットされたりして・・・。

とはいいつつも、ケープにしろ、スープにしろ、どうしたことか?

別にどうしたわけでもなく、これこそがボ○のはじまり・・・だったりして? (汗・・・だいじょぶ!だいじょぶ!まだちゃんと自分で気がついているもん!)

さらに・・・その後、追いうちをかけるようなことが。

夜まで仕事が長引き、あわてて近所のコンビニへ夕食を調達しに行ったときのこと。酢豚のお弁当が目に入って、「う〜ん・・・ちょっと油っぽそう。これはありえないな〜」とお野菜がいっぱい入ったものをチョイス。もどって袋から出してみると、え”〜〜 っっっ!コレ、あの酢豚じゃない?!なんで〜?わけわっかんな〜いよ〜。

「抵抗するものはやってくる」と言いますが、それにしてもちゃんとお野菜弁当をチョイスして製造の時間まで確認したのに〜!!だんだん自分が分からなくなってきました(大汗)。だ、だ、だれかっ・・・。

はっぴーばれんたいん ♥

ハートのチョコレートパイ。中はふつうのチョコとホワイトチョコ、そしてナッツがサクサク。いさんで食べてしまったけど、温めたらきっとチョコがとろけておいしかったかも・・・。もう一個、お願い ・・・ (^^ゞ 。

キュートな箱に入ったチョコレートもいただきました。

ドーナッツ、モンブラン、アイスクリームというスウィーツ型のチョコレートのみなさん。むむ・・・かなりわたしテイストを把握されています。(~.~) ごちそうさまです。

そういえば、昨日熱海出張でタクシーに乗ったとき、おじいちゃん運転手さん(熱海はご高齢の運転手さんばかり)に「明日はバレンタインデーだからね♪」と言って手わたされました。リポンのついたミニ温泉まんじゅう二個パック。男性、それもおじいちゃんからおまんじゅう・・・これもありですね。

春色ジャム

マーマレードをいただきました。Yちゃんのお母さまの手作り。

三日間ていねいに煮詰めたジャムはつやつやのオレンジ色で、甘くって、ほろ苦くって、甘夏のいい香り。

箱の中に一緒にリッツクラッカーが入っていて、このクラッカーのほんのりとした塩味にとてもマッチしますよ、とのことでした。

さっそく試してみました。ん〜・・・クラッカーのさくさくの歯触りと、もっちりしたジャム、そして甘くて少ししょっぱい感じがあとをひきます。

Yちゃんは二十年来おつきあいさせていただいているわたしの公私ともにバックアップしてくださるホトケ(カタカナで書くとニュアンスがちがうなあ・・・仏です)のような強〜い味方。Yちゃんママのジャムを食べていて、ふと彼のやさしさのルーツを知ったような気がしましたよ。

気づきの日記「酸欠金魚にならないために・・・今、ここ!」

「今ここのすばらしさを味わえないと、酸欠金魚になる」・・・

これは、昨日のセッションでつくづく感じたことです。

クライアントのMさんは、長年自分でキャリアを築きあげてきたデザイナーさん。おしゃれでお金のかかった外見からはすべてが順風満帆に見えます。

しかし、いつも苦虫をかみつぶしたような表情で、口を開けばネガティブトークがはじまります。「誰それの言動が気にくわない」「あれがいやだ、これがいやだ、状来が不安だ」・・・と。それに、明らかにエネルギーが枯渇しているようで、あまり健康そうには見えません。彼の話しを聞く限りでは、何もかもが不安、そして不満足である・・・と。その抱えている感情がピークに達するとセッションにやってきます。

はたから見たら、誰もがうらやむ華やかな仕事と私生活。誰もが彼を「成功者」とみなすでしょう。でも、彼の心はいつも不安と怖れのベールにすっぽりと包まれているようなのです。

というのも、やってくるなりパートナーの至らさにはじまり、自分がどれだけ仕事で重荷を負っているのか、常に経済的な不安にさらされているのか、それにくらべて彼のスタッフは仕事もろくにできずに不平不満が多い・・・と延々と語られます。

彼の話しをする様子は、頭がぐるぐる回転し、未来や過去を飛び回り、滔々としゃべり続け、心はまったくここに存在していないのが感じられます。すでにすぎさった過去を悔いたり腹をたてたり、まだ起っていない未来のあれこれに心を痛めたり。思考のドロ沼にずぶずぶ足をとられて、かろうじて口から上が沼から出ているような感じです。

そうなんですよね。わたしたちの心って、ほっておくと過去か未来へふらふらお出かけするのが大好きです。しかし、そこには怒りやら罪悪感やら自己嫌悪やら、不安、怖れなど、過ぎ去った否定的な感情や起るはずのない恐怖で満ち満ちているのです。過去や未来への徘徊ぐせがつくと心は不安にさいなまれるようになり、思考のドロ沼にはまりこみます。まさに、思考にぱっくりと食べられてしまっている状態です。

あら・・・この方、ココが完全にお留守だわ・・・と気づいたわたしは、

「はいっ!ちゃんと目を開けて、目の前にあるものをしっかり見て。お腹まで深い息を吸って、はい、吐いて。・・・・さあ、たった今、この瞬間、何があなたを苦しめているのでしょう?たった今、この瞬間、あなたには困ったことがありますか?」と彼を頭の中の幻想から、たった今のこの瞬間に連れ戻すことにしました。

「今、たった今、目の前にあなたを苦しませているその問題はありますか?」と尋ねると、

「ア・・・なんか、ちょっと我にかえった気がしました。そっか〜・・・ボクはどうやら、過去や未来への考えにはまっていたのかな」

そうなんです。わたしたちは身体をもって、今ここに存在しているのに、過去のドラマチック劇場や未来の恐怖劇場にすっぽり引き込まれて、今がお留守になってしまうんですね。

今とつながっていないと、感情の面でも健康の面でも酸欠になります。今につながっていないと、心は不安や怖れでいっぱいになるし、身体はそれを維持するだけのエネルギーを得られなくなります。今、ここにいることでしか、心も身体も魂もエネルギーをチャージできないのですね。物理的な身体を持っているということは、どうやら「今、ここ」をしっかりと体験しなさいということのようです。

「目のまえのものをしっかり見て。深く腹式呼吸してみましょう。そして、しっかりここに存在します。どうですか?」

「今、ここにいると、不思議と怖れがなくなってゆく感じがしますし、リラックスします。”今”は安全なんですね」とMさん。

まず、現実、今ここにしっかりと意識を戻して、自分の頭がつくり出している過去や未来というドラマから抜け出すだけでも、かなりのセラピー効果があるのです。そして、今の一瞬が安全なら、次の一瞬も安全。そして安全が続いてゆくのです。

考えは考え。ほんとうのわたしたちではありません。やってきては去ってゆくもの。それと一体化してしまうと、自分とのつながりが切れてしまい、幻想の世界に突入。身体も心も魂もバランスを崩してしまいます。つまり、心や身体のバランスが崩れるたときには、その方が今にいる割合が減ってしまっているということです。

酸欠金魚のようにアップアップしないように、しっかりと目を開いて、深〜く息を吸い込んで、じっくりと「今、ここ」に向きあってみましょう。

より現実につながっている方法としては、今目の前のこと、ひとつひとつに感謝すること。感謝は自分自身をエネルギーで満たしてくれます。酸欠金魚のようにならないように、今ここの美しさを味わいましょう。

2月のたかちゃん講演会 in 千葉

千葉で講演会 and ミニワークをすることになりました。
宿泊施設のある会場ですので、千葉の方のみならず、みなさまのご参加お待ちいたしております。

・・・ ♪ ・・・ ・・・ ♪ ・・・

〜  「なるほど!おもしろ心理学講座」 〜

はやくも2011年が一ヶ月過ぎました。皆さんにおかれましてはどのような年になるのでしょうか。あなたに起こっていることはすべてにおいて意味があります。何が!どうして! と一人一人が自己を見つめて、あるがままの自分を好きになっていくひと時を体験してみませんか?

日 時: 2月27日 (日)  13:00~16:00

ところ: サンライズ九十九里 【研修室】
千葉県山武郡九十九里真亀4908
電話:0475-76-4151

テーマ: 「ありのままの自分をすきになる」 
「わかっているけどやめられない」
講演及びミニワークショップを行います。

講 師: 古川貴子 【心理学博士・心理療法家】

参加費: 前売1500円  当日2000円  *学生(高校生・大学生)500円

申込み/問合せ:  Tel 0475-58-8275  090-9007-4069  池間まで
(あるいは「オフィス・るん」までお申し込みください)

お茶の間シネマトーク 北欧の静かな映画 「ヤコブへの手紙」

この映画、日本で撮ったらいったい誰がレイラの役ができるだろう?と考えてしまいました。

フィンランドの片田舎を舞台にしたジミな映画です。登場人物がたったの三人しかいません。主役は恩赦で出所してきたばかりのレイラ。えらくふてぶてしく攻撃的でふてくされた中年女性。太ってむくんだ容姿から、彼女の抑圧した心の痛みがにじみ出ています(スゴイね、この役者さん)。

あとは、レイラが身をよせることになった牧師館の主、盲目の老牧師ヤコブ。そして、この老牧師の生きがいである「身の上相談」の手紙を配達してくる郵便配達人。

レイラは牧師館においてもらえることに感謝するどころか、恩赦を申し出たであろう牧師を恨んでいるのです。もちろん、老牧師の手伝いである手紙の返事の代筆もいやいやながらで、老牧師の邪魔さえします。

郵便配達人もレイラをこわがり、牧師への手紙の配達がぱったりやみはじめ・・・生きるよりどころの手紙が届かぬことで、牧師は急速に憔悴してゆきます。

恩赦なんてくそくらえ!で生きているのが苦痛なレイラと、届かぬ手紙によって自分の存在価値を見失ってゆく老牧師・・・・さて、どうなるこの二人?

交わることのないであろう二人が、最後はおもわぬ形でお互いがお互いへのかけがえのない贈りものとなります・涙。

PS 人を支えてきたと思っていた老牧師が、自分こそが手紙によって癒され生かされ続けてきたと気づくシーン・・・身に覚えがあります。

涙壷:★★☆☆☆(最後にしんみり・・・涙)

どことな〜く春

早起きして、近所で朝カフェ読書タイムです♪

いつもの朝のピキーンとした冷気とはうってかわって、きょうはどことなく空気がゆるゆる。陽射しもまぶし〜い。

明日はもう立春ですものね。そしてきょうは、節分、旧正月。

新年の決意とやらもすっかりどこぞに消え失せたこの頃、うまいぐあいに再びお正月がやってきてここで再度しきり直しです。心あらたに春を迎えましょう!

ひざがイタタ・・・

不覚にも、暗がりの中カフェの階段を踏みはずしてしまいました。こんなにダイナミックに転んだのは数十年ぶりです。タイツのひざがぬけて、左は青タン、右は流血。(;▽;)

消毒液はあったものの、その後はどうしよう。あるのは・・・ハンドクリーム(ちがう、ちがう!)、フェイスアップクリーム(もっとちがう!)・・・。長年キズを負っていないので、手当グッズが見当たりません。

あ、そうだ! UFOくんがあった!

これこれ!→

Lちゃんにいただいたマレーシアのタイガーバームのようなもの。器がかわいいのでインテリアになっていました。

おもえば、チェストの上にのせてあったこのUFOくんを見て、「最近、負傷することなんてないから使う機会がないよね。・・・イケナイ!イケナイ!こんなこと考えてると、包丁で手を切って使うはめになっちゃうかも」と思ったのでした。手は切らずとも、落っこちることは想定外。でも、このUFOくん使うことができました。深いメンソールの香りに・・・リラックス♪

そういえば、最近のこども、ひざを擦りむいている子、ひざにカサブタつくってる子って見かけませんね。わたしがこどもの頃は、みんなひざがまっ赤だったのに。(当時、擦りむいたりすると、もれなく赤チンだった。えっ、赤チン、知らない?!)