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サクラのお散歩

今年もサクラが、もりもりです。
下から見上げて写真を撮っていると、ひとつひとつの花がきそうようにこちらを向いてみんなでカメラ目線なのですよ。そろって「撮って〜!撮って〜!」と声をあげているよう。

こちらはわたしのお気に入りのお散歩道。サクラ並木の間隔、舗装されていない小径の感じが好きなのです。さまざまな表情のあるサクラ並木があちらこちらにあり、知らないうちに三時間も歩き回ってしまいました。

塩漬けにしたサクラの花や葉っぱはとてもいい香りがしますが、咲いているサクラは匂いがないと思っていました。でも、あまりにたくさんのサクラの木に囲まれていると、ふっといい匂いがするのです。とってもほのかにあわ〜く。梅の花は小さくひとつふたつ開いていると、ふっといい香りがして花に気づいたりします。でも、サクラは香りで人をひきつける必要がないのですね。

気づきの日記「“ちょーだい、ちょーだい”の心のブラックホール」 その2

(その1より)
ここまで、それはまるで女性だけの問題のように書いてきましたが、この「満たされなかった」と信じているものを「相手からむしりとる」という行為は男性も同じ。つまりみんなが持っているパターンです。

さて、こんな自己パターンに気づくためにはどうするのか?

まず自分が幼少時代「何を与えて欲しくて」「与えられなかったのか」を意識にのぼらせることにより、自分がどんな要求を強くもっているのかに気づくことが大切です。そのためにはよくワークショップで行うちょっとしたエクササイスが有効です。

【喪失体験をケアするワーク】

1, 親(あるいは、愛してほしかったのに愛がえられなかった相手)に対して手紙を書きます。
相手がすでに亡くなってしまっていてもかまいません。

2、まず相手への感謝の気持ちからはじめ、してほしかったけれどしてもらえなかったこと、あるいはえられなかったものなどについて書きます。
「お母さん、わたしをここまで育ててくれてありがとう。あなたとはたくさんの楽しい思い出があります。しかし、あなたはわたしをめったに褒めてくれませんでした。褒めるよりも、いつも指示されたり正されたりしていた気がします。だからわたしは自分がどこか欠陥があるのかと信じてきました。わたしはただそのままの自分を無条件に愛してほしかったのです。・・・云々」というように、語りかけるように書いてゆきます。

3, 書き上がったら、声に出して読みあげます。
これは自分の癒しのために書いているので、相手に渡すことはしません。もし信頼できる人がいたら自分の前に坐ってもらい、親のかわりに手紙を読むのを聞いてもらいます。一人で読んでもかまいません。声に出してください。

4,  読み終わったら、しばらく静かに自分の感情を感じます。
その頃の感情が再び甦ってきて涙が流れるかもしれません。感情、涙とともにいる時間を十分とってください。

5, 落ち着いたらふたたび手紙にもどり、そのなかに書かれている自分の要求(無条件に認めてほしかった、信頼してほしかったなど)に丸をつけます。
この手紙だと、「ああ、褒めてほしかったんだな〜」とか、「指示されたり正されるのではなくて、そのままの自分でいいと言ってほしかったんだな〜」と手にできなかったものに気づいてゆきます。

6, 自分の満たされなかった要求を、どのようにしたら自分で満たせるか考えます。
たとえば、親に「無条件に認めてほしかった」場合は、自分が自分に対してどれだけつらくあたっているか、否定しつづけているのかに気づきます。そしてきょうから失敗しても、理想の自分でなくても、明るく自分を認めることを自分に約束し、実行してゆきます。

おわかりのように、わたしたちは足りないものを外に調達しにゆこうと必死でしたが、結局外には見つけることができなかったのです。なぜなら、みんながみんな「足りない」と思っていて、人に真に与える余裕などないからです。すると親でさえも、自分のブラックホールを埋めるためにこどもを利用してしまいます(これ、意外によくあるパターンです。たとえば親から十分愛してもらえなかった穴埋めに、こどもを自立させず自分につなぎとめて依存させることで愛されてると感じようとするパターンなど・・・)。だから、自分のブラックホールは自分でリペアするしか方法がない、ということなのです。

どこがうまくいっていないかわからなければ、それをうまくいかせる方法は皆目検討がつきません。しかし、自分にはどんな穴があるのかがわかれば、まずそれだけでも他人にこっそりとその穴を埋めさせようとしてかなりのエネルギーを費やしている自分に気づくことができます。

実は心の世界でも、モノの世界でも、足りないものは外から調達することは出来ないのです。なぜなら、すべては自分の心のなかからはじまり、それが外へと広がってゆくからです。自分が見ている世界は、すべて自分の心の中の世界なのですね。だから、「愛」にしても「豊かさ」にしても「幸せ」にしても、外からやってくるのを手ぐすねひいて待つのではなく、「自給自足」の心意気を持たなければなりません。自分でちゃんと面倒をみてあげなければならないのです。

それには、まず自分の心の欠乏、要求に、自分がちゃんと寄りそうことからはじめてみることをおススメいたします。(^_^)v

気づきの日記「“ちょーだい、ちょーだい”の心のブラックホール」その1

セラピーを受けにいらっしゃる方の中には、彼氏やだんなさまに「おまえ、行ってこい!」と言われて予約される方も少なくありません。(ホントは、相手だけ変えようとしてもムダな抵抗ではあるのですが・・・汗)。

それはさておき、そんな「送りこまれちゃいました!(+_+)」な女性をみているとある共通点がうかがえます。それは、まず彼氏なりだんなさまに「ああして、こうして」と注文・要求が多く、思いどおりにならないとご機嫌ナナメになるということ。

その女性のなかには「理想の彼氏、だんなさまとはかくあるべし!」という確固とした刷り込みがあり、それにそっていないといちいちつっかかってきて、ついには口で言ってもダメだとわかると引きこもる、黙りこむ、むくれる、というエネルギーによる武力行使に出るわけです(注・引きこもる、黙りこむ、むくれるは決して弱さの表現ではありません。れっきとした攻撃のひとつで、使用する本人にとってはいちばんなじみがある定番の攻撃方法。また、有効に相手をコントロールできると知っていて使われるものです。男性にとっては言葉で論理的に議論できないというのは、わけがわからずお手上げなわけです。また引きこもられると、扱い方も男性にはわかりません)。

やってるご本人、女性にとってはいたってふつ〜、定番の反応なのです。そうです、わたしたちは何をしていようと、いつだって本人にとってはごくあたりまえのこと。だから、「このように反応して何が悪い」と開き直り、話しあいにもなりません。

もともと女の子というものは理想の王子さまを思い描きながら育つものですし、自分がお姫さまになりたい願望も強いもの。で、いったん彼氏ができると、「よしきた!」とばかりに相手の現実はさておいて、「理想の彼氏とはこういうものである」、「そうあらねばならない」をかかげて迫ってくるわけです。

すると、レストランに入るときドアをあけてくれない、自分だけずんずん行っちゃう彼氏に・・・・ちがうだろ〜!とムラムラ腹が立つ。もちろん、つきあいはじめの初々しいころは何も言いませんが、あるところから理想にそぐわない現実に対して怒りが炸裂しはじめるわけです。

その遠慮が薄らいできたあたりから、女性は自分のなかでずっと不足してきた愛情の埋め合わせをするために、必死で相手に「与える」ように要求してきます。それは、モノにしろ愛情にしろ、まるで底なし沼。この場合、いくら与えても、いくらやさしくしても、決して満足することはありません。

このいっくら与えても満腹にならない「欠乏感」は、じつは今にはじまったことではなかったのです。それは、幼少の頃から耐えていた痛みであり、おりあらば、あわよくば、埋めるチャンスを今か今かと伺っていた心の中のブッラクホール。両親とのあいだで決して満たされることのなかった「要求」であり「期待」であり「無条件の愛」なのです。

この「欠乏感」という心の穴は誰でも持っているものですが、とくにこどもの頃、親に十分な、そして健全な注意を向けてもらえなかったこどもは、深くて暗い底なし沼なブラックホールを抱え、それが心の真ん中に君臨しているわけです。

誰だってちいさな頃の自分はひとりになれば不安だし、わからないこと、対処できないことがいっぱい。そんなときに、ともに寄り添い、ただ見守ってくれる眼差しがあったか、なかったかは、その後の人生への安心感、自分に対する自信、そして未来への希望などに大きな影響を与えます。そこで与えられなかった無条件の愛はブラックホールとなり、つねにそれを埋めるためのチャンスを虎視眈々とねらうことになります。つまりその後の人生のなかで、足りなかったものを手に入れるためにあらゆるエネルギーを使うことになってしまうのです。

しかし、当の本人はそのような愛情の欠乏を相手に投影しているとはさらさら気づいていません。いつもあたりまえの行動・反応をとっているとしか思っていないのです。本人にとってはあくまでも、それが当たりまえですから。

なので、ついには彼氏やだんなさまに「重すぎる!」「要求が多すぎる」と嫌われてしまうハメに。彼らはブラックホールに吸い込まれ、ついには自分がなくなっちゃう恐怖を感じているわけです。

シッポを巻いて逃げられちゃうまえに、女性は自分が手に入れられなかったものを相手から力いっぱいむしりとろうとしている事実にしっかりと気がつかなければなりません。(むしりとろうとしても、往々にして、相手も足りないと思っているので、お互いむしりとる戦いになったりします。ふたりとも丸裸・・・汗。)

さて、このような悲惨な自己パターンにみずから気づくためにはどうしたらよいのでしょうか?
(その2につづく)

見ぃ〜つけた♪

朝から郵便局、銀行めぐり。

帰りに、ひょっこりスーパーをのぞいてみました。

あった〜!ずっとありつけなかったヨーグルト。それに納豆も山のように積まれているじゃありませんか。

仕事が終わってスーパーに行くと、ヨーグルトのヨの字もないし、納豆の姿もとんと見かけない。そして、あちこちの棚がカラカラで、「こんなものまで?」というものがなかったりします。

さいわい23区は計画停電に入っていないので助かってはいるものの、夕方のモノ不足は予想外。

ヨーグルトはヨーグルトでも、それぞれに定番がありますよね。とくにこれは女性に人気なのですが、計画停電で生産が追いつかず、紙パックの工場にもダメージがあったようで品薄です。「おひとりさま二個まで」なので、また来週も朝スーパーに気合いを入れます!

開店したてのスーパーはすっきりと人も少なく、商品もお行儀がよく、すがすがしいものです。ちょっと行動を変えると、気分もかわりますね。

トラウマ・コラム

きょうから、いよいよ四月です。近所の目黒川の桜も大分ふくふくしてきました。ここからは、景色が一気に変わってゆきますね。楽しみです。

ところで、セラピーコモンズ・ネットモールさん(セラピー専門のポータルサイトです)にたかちゃんコラムが掲載されました。

「トラウマ」について書いて下さいとお題目をいただいていましたので、今のご時勢の震災PTSDやストレス障害とからめて「今こそ、自分でできるトラウマセラピー」というタイトルです。

じつは震災前に原稿ができていてアップするのみだったのですが、この地震で「トラウマ」という言葉がよりインパクトを持つものとなり、書きなおしました。

コラムはセラピーコモンズさんのトップページ「新着!セラピストのコラム」3/31日分「心理療法家/セラピスト  古川貴子」という項目です(わからない方は、こちらから)。

じつは、このセラピーコモンズさんにも「オフィス・るん」のページがあります。「クチコミ掲示板」というみなさまのお声を書き込みいただける掲示板もありますので、みなさま、そちらのページにも遊びにいらしてくださいね♪

お茶の間シネマトーク「カズオ・イシグロの世界 "わたしを離さないで”」

日本国民総ストレス障害・・・とさきほどTVのコメンテーターが話していました。ホントです。あの震災の映像を繰り返し見ているだけでも、心にはかなりの負担です。

そして、今のご時勢、おいしいものを食べたり、楽しいことをするのも気がひけてしまうところがあります。住むところがない、ゴハンさえない人がいっぱいいるのに・・・と。

でも、日本国民全体があらゆることを自粛していると、こんどは経済がたちゆかなくなります。だから、今こそどんどん稼いで、どんどん使って、経済を元気にして、そしてじゃんじゃん義援金を送って、復興に手をかすこと。ですよね!

そんなわけで、二週間ぶりに仕事以外のおでかけ。カズオ・イシグロ原作の映画「わたしを離さないで」を観てきました。う・・・ん、ちょっと今のご時勢にはストーリーがヘビーでした。

でもカズオ・イシグロなので、早く観たかったのです。

昔、貴族とそこに仕える執事を描いた「日の名残り」という映画がありました。執事役のアンソニー・ホプキンスが素晴らしくって大好きな映画です(レクター博士とは思えないひかえめな紳士ぶり!)。上映後エンドロールをぼ〜っと観ていたとき、原作者の名前が日本人「カズオ・イシグロ」であることに気がつきました。

びっくりしました。こんなこてこての英国の貴族社会を描いた作家が日本人?!と。そのあと知ったのは、カズオ・イシグロは長崎に生まれて両親とともに英国に移り住んだということ。彼の短編はいくつか読んだことがあるのですが、アメリカ、ハンガリー、日本などさまざまな国を舞台にした独特な感性の作品です。

そしてこの「わたしを離さないで」は彼がかつて受賞した英国のブッカー賞の候補に再び選ばれた話題作。

イギリスの厳格な寄宿学校。ここで暮らしているのは裕福な家庭のこどもたち・・・ではなくて、ある目的のために秘密裏に管理されているこどもたち。かれらは、ある年齢に達したらドナーとなって生を終えることを運命づけられているのです。しかし、ほんとうに愛し合っているものたちにはしばらくの猶予があたえられると・・・。運命を受け入れながら生きるひとりの男の子と、彼に恋するふたりの女の子。

ショッキングな内容ですが、おさえめな映像のトーンがどこか遠いところのことに感じさせることと、この三人の役柄がたんたんと演じられているところがまだ救いでしたよ。

震災のあとでもあります。今のところは、アンソニー・ホプキンスがステキな「日の名残り」のDVDからおすすめというところでしょうか・・・。

ひさびさのお出かけ

昨日、熱海の友人と電話で話しながら、「わたしたち、気がつかないようでも、ボディーブローのようにけっこう参っているよね」と。

ねぐらや食料は危険にさらされていないものの、「毎日二回、計6時間の計画停電はヘコみます」と友人。「水、空気、野菜に電気の心配。そのうえしょっちゅうユラユラ揺れてるのもすごいストレス。無意識のうちにすごくエネルギー使ってるみたい・・・」とわたし。表面意識では頑張っていても、潜在意識的にはいまだ地震のトラウマや迫りくる目に見えない危機にかまえて疲れているようです。

被災地のかたは、それはそれは大変な苦労をされています。さいわい被災しなかったわたしたちは元気をださなくっちゃ!と思いつつ、なんかダウンなこのごろなのです。

そんななか久々の遠出。東京駅までミーティングに出かけます。じつは、地震の当日、夕方からこのミーティングを予定していて、もし地震がもっと遅かったら静岡、千葉からやってくるみんなとともに帰宅難民になっていたことでしょう。

代官山周辺もやっと人が戻ってきました。ここ二週間は、余震や放射線の影響で地元民しか歩いていなかったのです。カフェも閑古鳥でした。ふだんは人が多くてわずらわしいと思っていたけれど、ふつうに人が歩いていることのありがたさ、あたたかさを感じます。

では、ちょっと緊張しつつ、お出かけしてきます。

 

それぞれにとっての意味

今になって気づくのですが、この大地震の起る前、突然の体調不良に陥っていた方が何人かいらっしゃいましたっけ。頭痛がする、めまいがする、ウツ状態だ・・・。みなさまの中にもいらっしゃるかもしれませんね。身体はただならぬエネルギーの異変をキャッチしていたのでしょうね。

わたしは・・・というと、地震の前も後も、ただ、ただ「眠い!」。身体が地べたにはりついたようになかなか起きられないのです。あ・・・これは今にはじまったことではありませんでした。それに、春だからよけい眠いのですよね (^^ゞ。

地震後、クライアントさんに会っていて思うのですが、今回の出来事はそれぞれの内面でさまざまな変化を生み出しているのを感じます。それはとても個人的なことですが、完璧なタイミングで作用しているのです。

たとえば・・・ずっとすれ違いながら過ごしてきたAさんとだんなさま。ついに離婚の危機に直面しながらセラピーにいらしていたのですが、地震を機に「家族の大切さ」や「ただ、ここに存在していることの尊さ」に目覚め、夫婦が自然と歩み寄るようになり癒しが起きつつあります。長いあいだ忘れられていた「正直さ」や「感謝の心」がお互いの中に再び芽生えはじめたのでした。

一方、「生きている意味が感じられない」「空虚だ」と心にぽっかり穴があいた感覚をもてあましセラピーにいらしていたBさん。彼は地震の報道を日々目にしているうちに、自分の中で忘れさられていた「感じる心」が目を覚ました、といいます。こんなに涙が流れ、こんなに心が痛むことは今までなかった、と。幼い頃に傷ついてから「感じる」ということを封印してきたBさん。ついには、心にフタをして日常のささいな喜びさえも感じることができなくなっていたのです。それが、この地震をきっかけにそのフタがふっとび、感じるセンサーが目を覚ましはじめたのでした。きっと、彼のセンサーは悲しみだけでなく、喜びにもたくさん反応してくれるとことと思います。

ここまではっきりしていなくても、この地震はおひとりおひとりの心の中に石を投げ込んで、その波紋がそれぞれの心の中に広がって、今までとは違う何かを創り出したり、あるいは解放したりしているようです。

とくに今感じられる大きな変化は、ついにそれぞれが「個」という意識をのり越えて、みんなが私であること、”すべてがひとつである”ということを深い部分から理解しはじめていることです!(^o^)/

傷ついていたんだよね

夜、静かに目を閉じて、病んでいる福島原発を感じてみました。

なんだか小さなこどもが泣いているようなイメージ。

たくさんの折り合いのつかない感情をかかえつつ、それを表現するすべも知らず、そのことを気遣ってもらうこともなく・・・これは小さいこどもに限ったことではありませんが・・・ついには感情の爆発を起こしてしまいます。癇癪を起こしたり、いきなり暴力的になったり・・・。

福島原発は東日本の電力を一気に背負って、それによってわたしたちはありとあらゆる恩恵に浴し、でもそれは誰にとってもまるであたりまえのことで、原発に感謝やお礼などすることもなく、それどころか「あんなもの、危ない!危ない!」とうとんじられ、まったくいいように使われるだけ。感謝はもとより愛されたこともないのです。

これじゃ、誰だって傷つくし、癇癪を起こしたくなります。原発にもたくさんの悲しみがたまっていたのかな〜。セラピーが必要だね。

キラキラ、原発の上に愛を送って、たくさん愛してあげました。「愛」に救えないものなし!「愛」はすべてのものを一瞬で修復してしまうパワーを持っているのです。

心配は心配を増幅し、ついには怖れに姿を変え、それを現実にしてしまいます。それよりも、病んでいる福島原発に「愛」と「感謝」をたっぷりと送ってあげましょ♡♡

愛と癒しを!

夕べ仕事が終わって、ハタ!と思いついてスーパーへ。・・・案の定、コンブの棚はすでに空でした。

再度、ハタ!と思いつき、急ぐはセブンイレブン。

あった〜!!「都こんぶ」(なつかしいっ!)と「おやつ昆布」。まだ、手つかずの状態です。まあ、このぐらいなら買い占めにはならないかな、と6つお買い上げ。

そして今日、延び延びになっていた美容院へと出かけてきました。放射能対策のコンブの話しをしていたら、アシスタントのオニイサンいわく、わたしの担当のK氏は薄毛対策のためにいつもコンブを買い占めているとか。「だから、後ろから襲うとコンブ手に入りますよ」とアドバイスされ笑いましたよ。

カラーリングをしながら、「パーマやカラーの途中で大地震になったらどうするの?」と聞いてみると、そのまま近所の児童公園に避難だそうです。そうなったら頭皮はボロボロ、髪はまっ赤。まちがいなくパンチパーマはまぬがれない。笑えないですよね・・・と話しているそばから、おおっ地震だ!結構大きい!

しかし、すでに震度5ぐらいには動じない体質になっているわたしたち。そのまま平然と坐っていると、オニイサンも「このまま続けます」とひと言。

もうしょっちゅう揺れているので、携帯のバイブが気になるように、いつも震動しているように感じてしまいます。さいわい地震はおさまり、赤毛はまぬがれました。

米、仏大使館は日本の居住者に母国への退去を勧告しているそうで、外国人の友人は帰国を手配しはじめています。そうですよね。四六時中揺れていて、さらに放射能の危機にさらされ、物資不足という三重苦、逃げたくなります。

でも、ここはわたしのいるべき場所。今こそ、日本の大地、そして病んでいる原発に癒しを送らねば。みなさま、やさしい愛と癒しの光で日本の大地と原発を包みこんであげましょう。