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富士山てセラピスト

秋はグズグズとお天気が悪かったし、夏は靄ばかりで、ずっと姿が見られなかった新幹線からの富士山。

とっても久しぶり!!

何回見ても見えた日は嬉しくなるし、雪をいただいた姿は気品にみちてエレガントです。

毎日、それも長〜いあいだ、見る人すべてにパワーを与え続け、また姿を見せるだけで元気や勇気を与えるって、究極のセラピーですね(尊敬!)。

PS それにしても、静岡。揺れまくっています。セッションの最中にも地震が数度あったようですが、わたしがが揺れてる(?)からわからなかった・・・。

お茶の間シネマトーク「飛び出すカールじいさん」

久しぶりに3Dの映画を観ました。そう、この眼鏡がミソなのです。予告の途中、「ここからは眼鏡をかけてご覧ください」というテロップが出ると、客席から「おぉっ・・・!」というどよめきが。きれいなのです。映像が以前の3Dよりもずっと美しい!ちょうど、ジョニー・デップ主演の「アリス イン ワンダーランド」の予告で、きゃ〜、ジョニデプが画面から飛び出して目の前にいる〜!たまりまへん。ティム・バートン監督の映画で、それがまた妖しくって楽しそう。これ、来年の4月の封切りですって(わくわく・・・)。

さて、鑑賞しにきたのは「カールじいさんの空飛ぶ家」。

これは、テレビの予告でもおなじみ。「愛する妻が死にました」という老妻を亡くしたおじいちゃんが「妻との約束の旅」に出るお話。それも、家ごと、たくさんの風船をつけて。

じゃじゃ馬の女の子と出会い、ともに成長し、結婚し、子どもをなくしながらも苦楽をわかちあい愛しあってきたカールじいさん夫妻。ふつうだったら、それで一本の映画に仕上がりそうです。でも、ここまでたったの数分、それも予告で全部見せちゃっています。

その後、よぼよぼのカールじいさんはどうしたのか?愛する奥さんとのほのぼのしたくだりからは予想もできない、とんでもない冒険へと突入。なんとかカールじいさんを支えていた歩行器は、いつしかカールじいさんの必殺凶器と化します(ひえ〜、おそろしや・・・汗)。

人はいくつになってもチャレンジと冒険があれば、じつは老いないのかもしれません。「災いといえども、結局はおくりもの」、つねづねそう感じてはいますが、カールじいさんの場合も妻を亡くしたことから人生のまったく新しい次なる章へと突入したのでした。

およそ、あの予告のようなさめざめとした内容ではありません。しかし、ディズニーはなんでも主人公にしたてるのが上手。おじいちゃんもので1時間半もたせるのはスゴイ(笑)。

涙壷度:★★★★☆(この涙は、はじまって直後、つまり予告のところだけです)

PS こう言ってはなんですが、アニメのカールじいさんよりも、実写のジョニデプが飛び出してくるほうが興奮しましたわ(^。^;)。3Dではない劇場もあるようなのでご注意。ちなみに、わたしは六本木ヒルズでした。

今年の漢字は?

恒例の「今年の漢字」が発表され、いっきに年末気分です。

今年は”新”! ですって。政治も経済も変化のさなかなので、ちょっと意外でした。

さて、みなさまの一年はいったいどのような漢字におさまるのでしょうか?わたしは・・・”崩”。

え?どうしちゃったの?大丈夫?と思われそうですが(笑)、これはわたしにとっては喜ばしい漢字。

長年、目の前に立ちはだかっていた大きな壁。飛びこえることも、迂回することも、破壊するすることも、ましてや引きかえすこともできず、相対すること早何年・・・。それでも、壁にアタックして玉砕したこと数知れず。もう、うんざりするとともに、今後一生、壁とともに生きるかぁ・・・とあきらめかけていたところ、ナント突然壁崩壊のきざしが見えはじめたのです。おそらく、何もすることができないと思いつつ、わずかながらにクサビを打ちこんできた成果でしょうか?

その不動の壁に変化が見えてから、ほかのいくつもの分野で変化が起りました。

実際、変化を起こしたいという気持ちはいつでも持ちつづけなければなりませんが、それが”いつ”なのかは”神のみぞ知る”。わたしたちの理性を越えたところからベストタイミングを携えてやってくる気がします。だから、願望や頑張りや努力がすぐに実を結ぶとは限らないのですね(ほんと、そういえばものごとって「もう、あきらめよう」と執着が切れたころ、まるであとを追うようにやってきます。)

あ〜、長かったぞ〜と思いつつ、ある確信が生まれました。わたしたちは表面の結果をみることだけにやっきになって急いでいるけれど、実はまだそのときは自分の内側の準備がととのっていないのです。おそらく、その結果を手にしても、結局はモノにできないで破棄してしまいかねません。あるいは、ありがたみがわからないのでフイにしてしまいます。待ったあげくにやってくるものは、味わいが一段と深いし、いとおしい。あせるわたしたちを横目に、宇宙は気長に寛容にわたしたちを育ててくれているんだな〜と感じます。(^_^)

余は満足じゃ!

学生時代、英検にはチャレンジ。けれど、いま就職や留学で主流のTOEICには縁がなかったな〜。そこで、ちょっと出来心というか、ま、お遊びで次回の試験を受けてみることにしました。

お遊びといえどもせっかくお金を払うのだから、ちょっとは準備なぞしてみましょ〜か?ということで、公式問題集を購入。これは、TOEICを行っている財団が発行している正式な試験と同じスタイルのもの。自分で時間を計って、本番さながらに回答します。

トータルで120分。なが〜い!!こんなに集中力がもつかしらん。ウワサによると、リーディングはそうとう速度をあげないと最後までたどりつかないとのこと。

まず、CDをかけてリスニング問題。お〜・・・次ぎから次ぎへとやってきて、最後のほうはもうどうでもよくなっています。意識がモウロウとしたころ100問目まで終えると、間髪を入れずに75分のリーディング。これも100問。(@_@)

長いビジネス文章が目白押し。これは、はしょってナナメ読み。でも結局、しっかり内容を把握していないと答えられず、再読!時間のロスが・・・。

最後はやっぱり時間との戦い(ああ・・・自宅模擬試験なのに、なんなのこのプレッシャー・・・汗)。結局、5問残してタイムアップ。

そして、200問、地道に採点。リスニングはすこぶるいいのですが、リーディングがねぇ・・・。いかに文法に頓着していないかが如実にあらわれていますね〜。それにテキトー読みがバレバレ。

それにしても、こんな心血を注いだ濃ゆい90分、ひさしぶりに過ごしました。このスピード感、ボケの防止にはいいかもしれません。低体温と低血圧にも効果ありそう。スコア?・・・はじめてなので、これはいいのか?悪いのか?(笑)

この問題集、もう一回分のテストがついてるけど、なんだかもうお腹いっぱい・・・。この試験だけでTOEICへの興味と好奇心は十分満たされてしまいました。うう・・・本番あやうし!(笑)。

(よりよい本番に備えてせっせと練習問題をしたのに、それで十分満足して受験しない人・・・・って、おそろしく本末転倒、目的にそぐわない努力の人だわ・・・汗。)

気づきの日記 「グッサリ心の傷、それはすべて誤解から」その2

こうしてわたしたちは、自分自身の贈りものである純粋なやさしさや無条件の愛というものを閉ざしながら成長します。

そして、「傷つくなら違う自分になる!」と誓ったこともいつしか忘れて、「人の気持ちがわからない」(正しくは、「わかりたくない」のですが)と言われる大人になったわけです。

ほんとうは、わからないどころではなく、「わかりすぎ」てしまっていた。「わかりすぎる」自分を守る手だてとして、自分のやさしさを切り離して「わからなく」するしかなかったのです。

この男性のお母さまは小さい頃いじめられていたようで、どうやら泣いていたその日も知人にいじめられたかいやがらせをされていたようなのです。泣いているところを見られた無防備な母は、とっさに少女のような気持ちになり、恥ずかしさから防御したのがあの冷たいひとこと。それに、やさしくされることに慣れていないので必死で助けの手を振り払おうとしたのです。

お母さまもまた幼少の頃の心の傷があって、愛されるのがコワイのです。誰かが自分の見方になってくれるなんて思いもよらないし、まさか幼い息子にその姿を見られて声までかけられて動揺したのでしょう。

その男性は、「ああ、母の中の小さな女の子が傷ついていたのか。自分が間違ったことをしたから怒られたわけではなかった。あれは母の幼少期からの問題なのだ。自分がとった行動はあれでよかったのだ」とあらためて気がつくことができました。そして、現在の大人の自分がその頃の少年だった自分にやさしく事情を説明していたわってあげることによってその痛みを解放することができたのです。

こうして、自分にとって悲しい出来事がなぜ起きたのかを広い目線で理解することにより、自分の中で起きていた機能不全を解消することができます。母親の背景にある出来事を理解することで、プッツリ回線が切れていた自分の良さ、自分のやさしさ、自分の豊かさとようやくつながりなおすことができたのです。

あとは、しめたもの。いったん「そっか〜!そういうことだったのか」と気づいてしまうと、もうもとの自分には戻れません。せき止めていたブロックは取り去られます。心のカラクリはとはそんなもの。気づかないからやり続けられるのですが、気づいてしまったら、それは The End。

もう誰にも「人の気持ちがわからない人」「勝手な人」なんて言わせないし、すべてのことを感じるままに感じることができる誰よりも心豊かな男性がそこにいることでしょう。

その男性にいちばん初めのカウンセリングでお目にかかったとき、「ああ、なんて純粋で優しい心をもった方なのだろう」とすぐに感じとることができました。そして、その男性の本当の自分という素晴らしさの上に降りつもっていたホコリをはらいのけたことで、今、もっともっとその優しさが光を放ちはじめました。少年のままの純粋なやさしさと、お年を重ねた厚みのあるやさしさと。まずは、きっとご自身自らがその光(ご自分らしさ)に癒されることでしょうね。

PS 人に対して、えてしてひどい態度をとってしまうとき、深い部分で傷ついているかハッピーではないときです。やさしくしてくれる人に対しても怒りや悲しみをぶちまけて、そしてその相手さえも汚染してしまうことがあります。あつあつのピザが手のひらにのっていて、その熱さに耐えきれずに誰かに投げつけたい・・・そんな感じです(やってから反省してます。許してね・笑)。これはじつは、環境汚染よりも悪質です(ハイ、反省してますってば・・・m(__)m)。

気づきの日記 「グッサリ心の傷、それはすべて誤解から」その1

セッションやセミナーの中で、「あなたの短所は、じつはあなたらしさの宝庫!贈りものなんです」という話をよくします。

短所が自分のかけがえのない長所・・・だなんて、頭がこんがらかりそう?

だからこそ、カウンセリングルームでクライアントさんの問題をひとこと伺っただけで、だいたいの見当がついてしまいます。「なにを取り戻しに、この方はここに坐っているのか」と。

たとえば、ある男性クライアントさん。「人の気持ちがわからない、自分勝手だとまわりに言われます」と。そこでわたしは思うわけです。「ああ〜、この方はなんて純粋で誰にも負けないほど人の気持ちがわかる方なんだろう」、「わかりすぎるぐらい、わかってしまったんだな〜」と。

なぜなら、すべての問題は幼少期か、さらに遡って(もしあるなら)過去生に由来します。そこで傷つく体験をして、気持ちが閉じてしまい、「だったらもういいよ!たくさんだ!こんな気持ちを味わうなら、違う自分になってやる」と本当の自分とは逆さまの生き方をはじめるのです。

と、いうことは、この男性を例にすると、「人の気持ちがわからない」どころか、「人一倍、人の気持ちに敏感だった」・・・けれど、あるとき最も愛する誰かからそれを拒絶されているのです(もちろん、その誰かにも心の痛みがあってこそ、なのですが・・・)。傷ついたその男性は、「こんなにつらいなら、この感情というやっかいなものにはフタをしてしまおう」と感受性豊かな自分をプッツリ切り離し、今にいたる、というわけです。

案の定、幼児期のセッションを行ったところ、男性が4~5才だったころ、おうちの中でお母さまが泣いている場面が登場します。少年はもちろん母を愛していますから、びっくりしているし、可哀想だし、助けたい。そこで、その気持ちに従って母に近寄って声をかけます。

ところが、思いもよらぬ母からの反応が少年をうちのめします。『子どものくせに!』、という拒絶のひとこと。

その少年は、愛する母を助けようとしたとき、子どもというよりは「一人のたのもしい男性」になっていたのだと思います。でも、母からの反応は予想を裏切る冷たく突き放すもの。少年は愛する人からのその反応に深く傷つき、「もう人の気持ちにかかわるのは金輪際やめにしよう」と心に決めたのです。
(その2に続く)

ひろび〜ろ

久しぶりに二階建て新幹線に乗りました。

さいわいすいていて楽勝で二階席へ♪混雑でやむなく下に坐ったりすると、目線ぴったりにホームのフロア&人の足が現れてぎょっとしますが。

お天気がよくって高いところからの眺めはさらに良好です。稲穂も紅葉もとっくに終わっていますが、居眠りもせずに空を眺めていました。

ぱ・ら・ぼ・ら

ブラウン管テレビがお亡くなりになった ・・・。地デジ移行日まで頑張ってもらうつもりだったのに。

そこで、ちょっと大きめのデジタルテレビを購入。ブルーレイ付き!テレビっ子ではないけどシネマ観賞用です。

取り付けのお兄さんがやってきて、「もう、これ使えませんよ!」と長らく愛用してきたスカパーチューナーを指さして言うではありませんか。パラボラも変えなきゃでしょって。え〜、ショック!

さっそくチューナーとアンテナを処理するため、粗大ゴミの引き取りを予約。結構混んでる・・・2週間も先だわ。

その間、それらはベッドの下に押し込まれていたのですが、あるときふつふつと疑問がわいてきました。「そんなに簡単に使えない?なわけないでしょ〜?」無視しようにも繰り返されるこのセリフ。

しょうがなしなし、チューナーの会社に電話してみた。そうしたら、逆に「何で使えないんですか?」ときた。・・・それは、わたしのセリフでは?

ってことは、取り付けのお兄さんの大勘違いの独断だったわけ??ちゃんと確認しないわたしもわたしですが・・・汗。間に合ってよかった〜!寸前でゴミと化するところでした。コードだけは勢い余って捨ててしまったのですが・・・。

しかし、以前もこんなことあったな〜。マックをデスクトップからラップトップに変えたとき、iBook用のマウスじゃないとダメだとビックカメラの人に言われて購入。やっぱりこのときも、「そんなわけないだろ〜」コールが心の中に鳴り響き、新しいマウスを開封する前に古いマウスの作動を確認することができましたっけ。

「自信たっぷり」な人にはついついのせられがち。そして、さも知っていそうな人にはすぐ頼っちゃうワタシ。

でも、異常に自信たっぷりっていうのは、あんがいアブナイ。自信のなさの裏返しだったりします。ほんとうに「ちゃんと知ってる」人は、それを誇張する必要もなく「ふつ〜」にしているのですよね。

なんにしても、ちゃんと自分の頭で考えて、自分の気持ちに正直に!人の自信たっぷりはかえってあやしいのだ。それに、何かにおうかがいをたてて頼ろうとすると、どんどんズレてゆきます。しまいに、自分の直感も枯れはてて。・・・はいはい!!気をつけま〜す!

PS もしパラボラアンテナが不要になったら・・・おたま付き中華鍋(三人前用)として使用できるらしい。洗ったら、そくベランダで乾かせるしね♪(なわけないでしょ〜・笑)

おっ散歩〜♪

午前中の暗い雨がうそのように、ポカポカのお陽様が顔をだしました。

こんな季節、むかしはイーゼルをたててキャンバスに向かったものです。きょうも、いろんな葉っぱの色を眺めながら頭の中で絵筆を動かしておりました(笑)。

秋の日はつるべ落としといいますが、陽が傾いたと思ったらあっというまに闇に沈んでしまいます。濡れ落ち葉の匂いを楽しみつつ、つかのまのお散歩でした。

イケメンシェフのおいしいイタ〜リアン♪

本日のスタッフミーティングはSちゃんオススメ、渋谷イタリアン「Tharros(タロス)」さんで。

ミーティングでお店に来てテーブルにメモ帳が出てくるのは、十回、いや十五回に一回あればいいほう。でも、きょうはなぜだかしっかり筆記用具、そしてパソコンがわりのiPhoneまで!やる気まんまん。

さて、本日は陽気なサルディーニャ家庭料理です。小皿に盛られた前菜いろいろ。お店に入ったときからその匂いに魅せられた白トリュフのカルボナーラ(パスタが極太チューブのよう!)。薫製チーズのとろとろオーブン焼きも大人の味・・・その他いろいろ、とってもおいしかったです♪

こちらがイケメンオーナーシェフの馬場さん。馬場さんは、テレビや雑誌でもご活躍。以前から感じていましたが、人柄とお料理の味ってかならず相関関係にあるって。人相がよくて、人柄のいいシェフの作るお料理はぜったいにハズレません。納得!

お店も暖かな雰囲気で心地よくって、ついつい長居。ミーティングのほうも、ばっちりキメ玉が繰り出され、やっぱり酔っぱらっているときのわたしたちってサエてるな〜。しか〜し、たいてい議事録は翌日には読解不能で何がどうだったか思いだせません・・・笑。今回は大丈夫か?!

ここのイタリアンはBanco という立ち飲みもやっているようです。エスプレッソ¥100ですと!夕方にカウンターで一杯なんて、ちょいワルな感じでよいですね。フラミンゴが飾ってあったり、チェ・ゲバラやサルサ・・・と、ちょっとおもしろいイタリアンです。

PS お買い物ついでのランチもためしてみた〜い!