まん丸、どうアプローチする?

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

なんだか人生の取り組み方にも似たものがあるな〜。

何のことか・・・というと、ホットケーキの食べ方!(笑)

友人のMちゃんは、まん丸のホットケーキを一刀両断。スパッと真ん中からまっ二つにし、さらに横にまっ二つ。その切りくちの美しいこと。なんの迷いもありません(笑)。そしてきれいな三角形にして、最後まで美しく食べていました。

かたやわたくしめは・・・というと、端からその場その場でちまちまとひとくち大。三日月型だったり、台形だったり、長方形だったり。切りくちも、ざくざくぼろぼろ、あまり潔ぎよさが感じられません(汗)。

なんでも計画的に丁寧にしっかりと成しとける彼女らしいし、なんにしろすべて出たとこ勝負っぽいわたしの食べ方はこうか〜とあらためておかしくなりました。

ケーキなどのスウィーツを食べているときにはあまり気にしないけど、まん丸てこれだけの面積があるものだと、あからさまにアプローチの違いがでるのがおもしろいです。カップのアイスクリームもそうですよね〜。周りからせめるのか、ざっくり真ん中か、またはまぜて食べるのか・・・なんて。相手の知らない一面を知る機会になるかもしれません。

こちらのお店は、恵比寿にある「備屋珈琲店」さん。

Mちゃんと江ノ島初詣をしたあとにいつも立ち寄っていたお店の姉妹店。昔ながらのホットケーキがおいしいし、いつも様々なカップでお茶をだしてくれます。珈琲もとてもおいしい。

この日はふたりとも、ウェッジウッド。Mちゃんはミッドナイトブルーにピンクの小薔薇。わたしはミレニアムというソーサーの真ん中に太陽が輝いているカップでした〜!

春のまえに・・・定例行事

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まだまだ寒さ厳しいものの陽射しもぽかぽか、夕暮れどきも明るさをましてくる二月の後半。

おっと!冬の定例行事がまだすんでいませんでした。それは、から〜い火鍋を囲んでのスタッフミーティング。

春を迎えるにあたって、あわててお鍋してきました。

むかしは山椒や唐辛子でおおわれたような地獄鍋が主流だったけど、最近はやさしいお味の薬膳路線が多くなったような(あれだけ山椒やら唐辛子いれてたらコストが高くついたことでしょうよ)。

おかげさまで鍋行事で、火を吹く勢いでころげまわったり、雄叫びをあげたり、意味不明なことをつぶやく・・・なんていう奇行はなくなりましたが、あの頭に突きぬけるような刺激はちょっとなつかしくもあり・・・なんて、いっちょまえなこと言っていますが、ホントはわたしは辛いのはダメ。これも、かなり鍛えられた結果です。

今回は、胃にやさしいコラーゲンたっぷりスープと、真っ赤な唐辛子、そして激辛の山椒の三色ナベをチョイス。わたしは三回ほど叫んだだけで、わりと平和な鍋タイムでした。

鍋奉行もワイルド。お鍋の真上から、お野菜をドサドサとひと皿まるごと投入。勝手に三カ所にわかれてくれるでしょ・・・みたいな。(「国境なき野菜団」などと、笑っているSちゃん。)

これじゃ、お鍋をしている・・・というよりも炊き出しか?(笑)

う〜ん、すごくあったまりました。おナベが終わる頃のスープなんて、そりゃお出汁がでてて、もらって帰りたかったです。

これが冬のお決まり行事。これで心おきなく春をむかえられそうです。 (^_^)v

@六本木 小尾羊蒙古薬膳火鍋さん

いったいいつ夢から目覚める?

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

きょうはお休み。

朝、気持ちよ〜く二度寝をしました。

・・・が、二度寝って、あまり夢見がよくありません。

夢のはしばしがとってもヘンで、奇妙なできごとの数々。

夢の世界にいつつも「これは夢だわ」ってわかってて、動揺しつつも「もう、起きるぞ〜!目覚めるぞ〜!」って思ってる。

・・・やっと目覚めて、「夢なのにすごくリアルだったわ。現実よりもコワかった!」って感心しちゃうのです。

 

そして、いつものように一日がはじまって・・・ 日常生活においてもまたまたどこかでわかっているのです。なんか気づいているのです。

「これって夢だわ。すご〜くリアルに見えるけど、夢だわ」って。(夢から目覚めて、まだ夢ですかい?!)どこか、遠いところからふかんしている自分に気がつきます。

さらに「なんだかもうすぐ起きちゃう、目が覚めちゃう気がするな〜」って思ってる。

「いや〜、身体もモノもすごくリアルに見えてたけど、夢だったか〜。長〜い物語だったわ〜。ふぁ〜あ・・・」なんて、のびをしてるかも。

どこで?!

 

15-02-13 千切りは天につながる道?

「野菜の千切りをしていたら、はじめて声がきこえたんです!」とY子さん。

昨年ヒプノセラピーを受けられてからいろいろと気づきがあったそうですが、頭のなかで「自分のものではない声」が聞こえたのはこれが初めてだとか。その声は「もっと自分を大切にするように・・・」と教えてくれたそうです。

Y子さんの野菜の千切りの話で、はたと思い出しました。そのむかし、セラピーでたくさんの方にお会いしたり、ちょっとこみいったセッションがあった日には、よく野菜の千切りをしていたな〜と。あるいは、粉をこねることにもはまっていたときも。

野菜を刻むことも、粉をこねることも、心を空っぽにしてくれるのですよね。

Y子さんの場合は、その空っぽになった心に高い意識からの声がぽとりと落ちてきたのだと思います。

とはいっても、高い意識は野菜の千切りをしているから話しかけてくれるのではなく、いつでも年がら年中、365日、語りかけ続けてくれているのですが、わたしたちがまったく聞く耳をもっていません。頭のなかの雑音がうるさすぎて、その声をすくいあげることができないのです。

単純でリズムのある作業をしているとき、ふとトランス状態になって、いつも聞きのがしているその声が浮かびあがってきます。高い意識にしてみたら、「おお〜、やっと静かにしてくれたか!」という感じでしょうか?

そう、わたしたちの頭はあまりにもうるさすぎ。人の話もあまり聞いちゃいないけど、自分の高い意識の語りかけにはまったく耳を傾けていません。

以前にこんなことがありました。それは、「貴子さん、あなたのガイドスピリット(高い意識)があなたに話しかけようと頑張っているのですが、まったく聞い
てもらえないといっています。だから、わたしのところに話しかけてきたのですよ。これこれ、しかじかだそうです」と、親しくさせていただいていた「いろん
なものが見えて聞こえちゃう」男性にいわれたことがありました。それは、そのときにいちばん必要だったひとことで、それがわたしの背中を押してくれました。

その頃のわたしは、まだこの仕事をはじめたばかりでいろいろとパニクっていて、心の声に耳を傾ける余裕などまったくない状態で、まさにそんな迷走状態のわたしだからこそ、わたしの高い意識は「聞いてほしい大切なこと」があったのでしょう。こんなふうに、他の人の口をかりて重要なメッセージがやってくることもあります。

なにも不思議な力を持っている方だけがメッセンジャーになるのではなく、ふつ〜の友人から語られることも自分の高い意識からのメッセージです。お友だちとの雑談で高い意識が語ってくれることも多いのです。

また、メッセージを受けとりたい!とかまえて瞑想しようとすると、かえって力が入って、頭のなかに期待がふくらみ、うまくいかない体験をすることがあります。だからこそ、野菜を刻んだり、粉をこねたりという修道僧の黙想のような単純作業のほうが、簡単に頭をからっぽにできるようです。

野菜を刻む、粉をこねるほかにも、拭き掃除をする、アイロンかけをする・・・なんていうのもいいかもしれません。そうそう、以前ぬり絵をいただいたことがあるのですが(それはマンダラぬり絵という、モチーフに色をつけるものでしたが)、ひたすら色をぬるというのも身体がリラックスして、心も空っぽになるので、おススメです。

「セッションルームの出口のところにキャベツを並べておいたら売れるかもしれませんね!」とY子さん。セラピーが終わると、みんな千切りにするキャベツを大事そうに抱えて帰るのを想像したら笑ってしまいました。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

気づきの日記「千切りは天につながる道?」

「野菜の千切りをしていたら、はじめて声がきこえたんです!」とY子さん。

昨年ヒプノセラピーを受けられてからいろいろと気づきがあったそうですが、頭のなかで「自分のものではない声」が聞こえたのはこれが初めてだとか。その声は「もっと自分を大切にするように・・・」と教えてくれたそうです。

Y子さんの野菜の千切りの話で、はたと思い出しました。そのむかし、セラピーでたくさんの方にお会いしたり、ちょっとこみいったセッションがあった日には、よく野菜の千切りをしていたな〜と。あるいは、粉をこねることにもはまっていたときも。

野菜を刻むことも、粉をこねることも、心を空っぽにしてくれるのですよね。

Y子さんの場合は、その空っぽになった心に高い意識からの声がぽとりと落ちてきたのだと思います。

とはいっても、高い意識は野菜の千切りをしているから話しかけてくれるのではなく、いつでも年がら年中、365日、語りかけ続けてくれているのですが、わたしたちがまったく聞く耳をもっていません。頭のなかの雑音がうるさすぎて、その声をすくいあげることができないのです。

単純でリズムのある作業をしているとき、ふとトランス状態になって、いつも聞きのがしているその声が浮かびあがってきます。高い意識にしてみたら、「おお〜、やっと静かにしてくれたか!」という感じでしょうか?

そう、わたしたちの頭はあまりにもうるさすぎ。人の話もあまり聞いちゃいないけど、自分の高い意識の語りかけにはまったく耳を傾けていません。

以前にこんなことがありました。それは、「貴子さん、あなたのガイドスピリット(高い意識)があなたに話しかけようと頑張っているのですが、まったく聞い
てもらえないといっています。だから、わたしのところに話しかけてきたのですよ。これこれ、しかじかだそうです」と、親しくさせていただいていた「いろん
なものが見えて聞こえちゃう」男性にいわれたことがありました。それは、そのときにいちばん必要だったひとことで、それがわたしの背中を押してくれました。

その頃のわたしは、まだこの仕事をはじめたばかりでいろいろとパニクっていて、心の声に耳を傾ける余裕などまったくない状態で、まさにそんな迷走状態のわたしだからこそ、わたしの高い意識は「聞いてほしい大切なこと」があったのでしょう。こんなふうに、他の人の口をかりて重要なメッセージがやってくることもあります。

なにも不思議な力を持っている方だけがメッセンジャーになるのではなく、ふつ〜の友人から語られることも自分の高い意識からのメッセージです。お友だちとの雑談で高い意識が語ってくれることも多いのです。

また、メッセージを受けとりたい!とかまえて瞑想しようとすると、かえって力が入って、頭のなかに期待がふくらみ、うまくいかない体験をすることがあります。だからこそ、野菜を刻んだり、粉をこねたりという修道僧の黙想のような単純作業のほうが、簡単に頭をからっぽにできるようです。

野菜を刻む、粉をこねるほかにも、拭き掃除をする、アイロンかけをする・・・なんていうのもいいかもしれません。そうそう、以前ぬり絵をいただいたことがあるのですが(それはマンダラぬり絵という、モチーフに色をつけるものでしたが)、ひたすら色をぬるというのも身体がリラックスして、心も空っぽになるので、おススメです。

「セッションルームの出口のところにキャベツを並べておいたら売れるかもしれませんね!」とY子さん。セラピーが終わると、みんな千切りにするキャベツを大事そうに抱えて帰るのを想像したら笑ってしまいました。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

どこかなつかしいブリキ缶

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

なにを入れようかな? 手もとにおいて使いこみたくなるような、そんな愛着を感じる小ぶりのブリキ缶。

カファレルのチョコが入っていました。

イタリアのお菓子って、キャンディにしろ、ミントにしろ、プリントがかわいいブリキ缶に入っているものをよく見かけます。入れものに惹かれて買ってしまうことも。

カフェレルのチョコは、おうちの屋根のような形をしたヘーゼルナッツの濃厚な味。食べると「ああ、イタリアだわ!」って思います。カプチーノ飲みたい♡ ごちそうさまでした♪

 

15-02-05 こころ暖まるおばあちゃんムービー

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

寒いとお出かけするより、おうちでDVD が多くなります。

立て続けに観た三本は、はからずもお年寄りもの、おばあちゃん大活躍ムービーでした。

あなたを抱きしめる日まで
これは10代で未婚の母となり、不本意に息子を手放した女性(ジュディ・デンチ)が老年になって、ひと目息子に会いたいと海外まで息子を探す旅にでる・・・という実話をもとにした話。息子ははたして幸せな人生を送っているのか、自分のことをどう聞かされているのか・・・。50年間の空白を埋めようと、さまざまな思いにゆれながら旅を続けるのですが、息子は・・・。

マリーゴールド・ホテルで会いましょう
こちらは、それぞれ訳ありのご老人たち(ジュディ・デンチ、マギー・スミス)が新しい人生を求めて、全財産をはたいてインドにある高級老人ホーム、マリーゴールドホテルをめざす話。安泰な老後を夢見たはずが・・・じつは、そのホテルは限りなくボロだった・・・いまや財産もなく、埃まみれのインドの喧噪の中でご老人たち、さあどう生きる?!

カルテット!人生のオペラハウス
引退した音楽家たちが暮らす老人ホーム。そこへやってくるかつてのプリマドンナ(マギー・スミス)。しかし気まずくなって別れたかつての夫も、そこの住人。ホーム存続をかけたチャリティコンサートで、カルテットとしてともに舞台に立たねばならない二人なのですが・・・。(素晴らしい音楽もたっぷりと楽しめます。)

どうやらわたしは、イギリスの女優さん、それもご年配が好きみたい。

三本ともシュディ・デンチとマギー・スミスです。お二人とももうかなりお年ですが、なんてチャーミングなのでしょう。凛とした強さのなかにも、もろさや悲しさを秘めていて、また少女のような可愛らしさや純粋さも感じられます。二人ともかわい〜♡と見とれました(おばあちゃんフェチ)。

お二人ともイギリスの女優さんですが、すごいのは眉毛の一ミリぐらいの動きですべての感情を語ってしまうようなところ。そして、ただ黙って立っているだけでもさまざまな感情があふれています。さすがアカデミー賞女優さん!

わたしはテレビのドラマはほとんど観ないのですが、ひとつだけ例外があって、それは今 NHK で放送されている「ダウントン・アビー」。

イギリスの貴族の館で繰り広げられるドラマ。貴族の一家、執事、従者、メイド、後継者・・・この館にかかわる人だけで、人生のありとあらゆる人間模様、ありったけの心理状態が描きだされていて、「毎週、まあよくもこれだけ次から次へと・・・」と関心してしまいます。

このドラマにも、この館のおばあちゃん役バイオレットとしてマギー・スミスが出ています。当時のドレスがなんともよく似合っていて、立ち居ふるまいも気品があって貴族そのもの。見とれてしまいます。

おばあちゃんウォッチングだけでなく、この貴族の館の三姉妹がまとっているドレスが毎回なんとも素晴らしい。ロセッティやミレイの絵画にでてくる女性、そのもの。お屋敷の調度もビクトリア調の雰囲気が楽しめて、もっか楽しみなドラマです♪

 

お茶の間シネマトーク「こころ暖まるおばあちゃんムービー」

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

寒いとお出かけするより、おうちでDVD が多くなります。

立て続けに観た三本は、はからずもお年寄りもの、おばあちゃん大活躍ムービーでした。

あなたを抱きしめる日まで
これは10代で未婚の母となり、不本意に息子を手放した女性(ジュディ・デンチ)が老年になって、ひと目息子に会いたいと海外まで息子を探す旅にでる・・・という実話をもとにした話。息子ははたして幸せな人生を送っているのか、自分のことをどう聞かされているのか・・・。50年間の空白を埋めようと、さまざまな思いにゆれながら旅を続けるのですが、息子は・・・。

マリーゴールド・ホテルで会いましょう
こちらは、それぞれ訳ありのご老人たち(ジュディ・デンチ、マギー・スミス)が新しい人生を求めて、全財産をはたいてインドにある高級老人ホーム、マリーゴールドホテルをめざす話。安泰な老後を夢見たはずが・・・じつは、そのホテルは限りなくボロだった・・・いまや財産もなく、埃まみれのインドの喧噪の中でご老人たち、さあどう生きる?!

カルテット!人生のオペラハウス
引退した音楽家たちが暮らす老人ホーム。そこへやってくるかつてのプリマドンナ(マギー・スミス)。しかし気まずくなって別れたかつての夫も、そこの住人。ホーム存続をかけたチャリティコンサートで、カルテットとしてともに舞台に立たねばならない二人なのですが・・・。(素晴らしい音楽もたっぷりと楽しめます。)

どうやらわたしは、イギリスの女優さん、それもご年配が好きみたい。

三本ともシュディ・デンチとマギー・スミスです。お二人とももうかなりお年ですが、なんてチャーミングなのでしょう。凛とした強さのなかにも、もろさや悲しさを秘めていて、また少女のような可愛らしさや純粋さも感じられます。二人ともかわい〜♡と見とれました(おばあちゃんフェチ)。

お二人ともイギリスの女優さんですが、すごいのは眉毛の一ミリぐらいの動きですべての感情を語ってしまうようなところ。そして、ただ黙って立っているだけでもさまざまな感情があふれています。さすがアカデミー賞女優さん!

わたしはテレビのドラマはほとんど観ないのですが、ひとつだけ例外があって、それは今 NHK で放送されている「ダウントン・アビー」。

イギリスの貴族の館で繰り広げられるドラマ。貴族の一家、執事、従者、メイド、後継者・・・この館にかかわる人だけで、人生のありとあらゆる人間模様、ありったけの心理状態が描きだされていて、「毎週、まあよくもこれだけ次から次へと・・・」と関心してしまいます。

このドラマにも、この館のおばあちゃん役バイオレットとしてマギー・スミスが出ています。当時のドレスがなんともよく似合っていて、立ち居ふるまいも気品があって貴族そのもの。見とれてしまいます。

おばあちゃんウォッチングだけでなく、この貴族の館の三姉妹がまとっているドレスが毎回なんとも素晴らしい。ロセッティやミレイの絵画にでてくる女性、そのもの。お屋敷の調度もビクトリア調の雰囲気が楽しめて、もっか楽しみなドラマです♪

 

15-02-03 彼氏は「お道具」?

昨日電車で、前に立っていた女の子ふたりのおしゃべり・・・。

「新しい彼氏、どう?」 「うん・・・忙しそうであまり会えないけど。でも国際的な仕事してるみたいで、三ヶ国語ぐらい話すんだ。だから、将来海外に連れて行ってもらえそうだし...」 「いいな〜、私の彼はぱっとしないから。そういう人選ぶべきだよね」「デートのときもワインとかよく知ってるし、段取りも完璧なんだよね」 「へえ〜、すごい!うらやましい」 ・・・。

こんな感じでえんえんと彼氏の有能さや将来性が話題にのぼり、そのお方の性格や人間性が語られることはついぞありませんでした。

焦点があたるのはもっぱら、どれだけ「おお、すごい!」と思えるか、どれだけ有能であるか、どれだけ特別感があるか・・・それを手にすることで、自分がランクアップ、バージョンアッップする感じ。

う〜ん、それって「道具」選びとさほど変わらないような。・・・彼氏って、結婚って、自分が密かに足りないと思っているところを一気に挽回してくれる魔法のお道具感覚??

そうなんです。自分のパートナー選びって、(意識していなくっても)「自分に役立つお道具」選びのよう。(まあ、わたしたちは何にしろ、自分にとって「何かを手に入れられるもの」にしか飛びつきませんが。だから、地味に隠されているほんとうの輝きや感動や喜びやすばらしさというものを、やすやすと見逃してしまいがちなのですよね。)

パートナーとは・・・ (わたしが隠しもってきた劣等感を補ってくれる)有能さがあって、(わたしの飽きあきした日常に魔法をかけて一変させるという)ニーズにあっていて、(平凡なわたしがキラキラと輝きだしそうな)スペシャル感もあって・・・。自分の人生をランクアップさせてくれて、自分の隠しもった劣等感をカバーしてくれる、そんな魔法のお道具。自分を救いだしてくれる白馬の王子さまなのです。

だから自然と相手に対する要求が大きくなるし、期待もふくらんで、こうであるべきという勝手な理想のイメージを相手にすっぽりとかぶせちゃいます。もう、そういう人だと思ってしか見ないのです。ここがその後のバトルの元凶・・・(汗)。

そもそもワインを知っているからステキな人であるはずもなく(いえ、もちろんワインを知っているすご〜くステキな方もいます!“るん”スタッフのようにね♡)、バイリンガルだからって性格がいいわけでもなく・・・でもなぜか、そんな一点スペシャルなところをみつけると(それは自分の劣等感をうめあわせてくれるポイントなのですが)、全部が全部ステキに違いない、輝いているに違いない、違う世界を知ってるステキな人、この人がわたしを引き上げてくれる・・・と勘違いして、すべてのイメージを勝手にでっちあげちゃうのがこのお年ごろ。(いや、一生やってる場合もあります・・・!)

最初に理想にあてはめちゃうと、あとはボロが出るだけになります。ボロが出るのではなく、相手のほんとうの姿を知るだけなのですが・・・、それがまたゆるせない。

相手のありのままの姿なのに、「そんなはずじゃなかった!」と怒りが爆発(最初からそんな人じゃななかったからね!)。自分がでっちあげたとおりに振るまうようにと攻撃をしかけます。・・・でも、「話が違うじゃない!」とつっかかられても、たんにもともとの姿でそこに存在しているのに過ぎないのですよね。

カウンセリングやセラピーのなかで取り扱われるパートナーシップ、夫婦の問題も、みんなこれが出発点です。そもそも、誤解していたのです。相手のほんとうの姿をちゃんと知ろうとさえしていなかった。

「こんなはずじゃない」「なんでちゃんとできないの?」というバトルが10年、15年と繰りかえされ続けて、ようやく「そうか、もともとこういう人だったのかも。そういう人をわたしは選んじゃったのかも」と気づけるか、気づけないか・・・。(なかなか、自分のなかで起っていることは気づきにくいものです。)

「要求」や「期待」が災いしているのです。だから何に対してもそうですが、もうほんとうに「要求するのはやめよう」「期待するのはやめよう」と決めると、ぜったい裏切られることがありません。怒りもわいてこないし、責める口実もなくなります。

わたしも、なにかとコントロールしたくなったり、イラついてしまうような相手に対して、もう金輪際いっさい「この人のしていることを批判しないし、この人に対して要求しないし、期待もしない」と決めたことがありました。

そもそも腹が立つときって、「要求」や「期待」がかなえられないことで腹が立つので、それをいっさいしなくなるとまったく腹が立つ、イライラするということがなくなりました。

この人がどのように生きていようとも、この人のあるがままなんだからこれでいいんだ。わたしがそれに対して何かを言いたくなるとしたら、自分の利益のために道具化しようとしているに違いない、と気づくようになってきたら、それによって関係がしだいによくなり、ついにはこの「要求」や「期待」によって手にしたいと思っていたものがすべて自然にやってくることになりました。

ものごとは「あるがままに」ほっといてあげる・・・ そこから不思議なことが見えてくる、芽生えてくるのだな〜と実感した体験でした。

パートナーにしろ、子どもにしろ、何にしろ、「要求」や「期待」をしているときには、自分にとって都合のいい「お道具」に仕立てあげようとしているとき。「要求」「期待」がないときには、今まで見えなかったものが見えはじめます。つまり、それによってどれだけ大切なことを見えなくしていたか思いしらされます。

何に対しても「要求しない」「期待しない」というのは、自分の心に平和をもたらしてくれるし、よい関係を運んできてくれるだけでなく、不思議とほっておくことですべてがちゃんと整っていくという「流れ」というものを感じることができるのでした。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

気づきの日記「彼氏は “お道具” ?」

昨日電車で、前に立っていた女の子ふたりのおしゃべり・・・。

「新しい彼氏、どう?」 「うん・・・忙しそうであまり会えないけど。でも国際的な仕事してるみたいで、三ヶ国語ぐらい話すんだ。だから、将来海外に連れて行ってもらえそうだし...」 「いいな〜、私の彼はぱっとしないから。そういう人選ぶべきだよね」「デートのときもワインとかよく知ってるし、段取りも完璧なんだよね」 「へえ〜、すごい!うらやましい」 ・・・。

こんな感じでえんえんと彼氏の有能さや将来性が話題にのぼり、そのお方の性格や人間性が語られることはついぞありませんでした。

焦点があたるのはもっぱら、どれだけ「おお、すごい!」と思えるか、どれだけ有能であるか、どれだけ特別感があるか・・・それを手にすることで、自分がランクアップ、バージョンアッップする感じ。

う〜ん、それって「道具」選びとさほど変わらないような。・・・彼氏って、結婚って、自分が密かに足りないと思っているところを一気に挽回してくれる魔法のお道具感覚??

そうなんです。自分のパートナー選びって、(意識していなくっても)「自分に役立つお道具」選びのよう。(まあ、わたしたちは何にしろ、自分にとって「何かを手に入れられるもの」にしか飛びつきませんが。だから、地味に隠されているほんとうの輝きや感動や喜びやすばらしさというものを、やすやすと見逃してしまいがちなのですよね。)

パートナーとは・・・ (わたしが隠しもってきた劣等感を補ってくれる)有能さがあって、(わたしの飽きあきした日常に魔法をかけて一変させるという)ニーズにあっていて、(平凡なわたしがキラキラと輝きだしそうな)スペシャル感もあって・・・。自分の人生をランクアップさせてくれて、自分の隠しもった劣等感をカバーしてくれる、そんな魔法のお道具。自分を救いだしてくれる白馬の王子さまなのです。

だから自然と相手に対する要求が大きくなるし、期待もふくらんで、こうであるべきという勝手な理想のイメージを相手にすっぽりとかぶせちゃいます。もう、そういう人だと思ってしか見ないのです。ここがその後のバトルの元凶・・・(汗)。

そもそもワインを知っているからステキな人であるはずもなく(いえ、もちろんワインを知っているすご〜くステキな方もいます!“るん”スタッフのようにね♡)、バイリンガルだからって性格がいいわけでもなく・・・でもなぜか、そんな一点スペシャルなところをみつけると(それは自分の劣等感をうめあわせてくれるポイントなのですが)、全部が全部ステキに違いない、輝いているに違いない、違う世界を知ってるステキな人、この人がわたしを引き上げてくれる・・・と勘違いして、すべてのイメージを勝手にでっちあげちゃうのがこのお年ごろ。(いや、一生やってる場合もあります・・・!)

最初に理想にあてはめちゃうと、あとはボロが出るだけになります。ボロが出るのではなく、相手のほんとうの姿を知るだけなのですが・・・、それがまたゆるせない。

相手のありのままの姿なのに、「そんなはずじゃなかった!」と怒りが爆発(最初からそんな人じゃななかったからね!)。自分がでっちあげたとおりに振るまうようにと攻撃をしかけます。・・・でも、「話が違うじゃない!」とつっかかられても、たんにもともとの姿でそこに存在しているのに過ぎないのですよね。

カウンセリングやセラピーのなかで取り扱われるパートナーシップ、夫婦の問題も、みんなこれが出発点です。そもそも、誤解していたのです。相手のほんとうの姿をちゃんと知ろうとさえしていなかった。

「こんなはずじゃない」「なんでちゃんとできないの?」というバトルが10年、15年と繰りかえされ続けて、ようやく「そうか、もともとこういう人だったのかも。そういう人をわたしは選んじゃったのかも」と気づけるか、気づけないか・・・。(なかなか、自分のなかで起っていることは気づきにくいものです。)

「要求」や「期待」が災いしているのです。だから何に対してもそうですが、もうほんとうに「要求するのはやめよう」「期待するのはやめよう」と決めると、ぜったい裏切られることがありません。怒りもわいてこないし、責める口実もなくなります。

わたしも、なにかとコントロールしたくなったり、イラついてしまうような相手に対して、もう金輪際いっさい「この人のしていることを批判しないし、この人に対して要求しないし、期待もしない」と決めたことがありました。

そもそも腹が立つときって、「要求」や「期待」がかなえられないことで腹が立つので、それをいっさいしなくなるとまったく腹が立つ、イライラするということがなくなりました。

この人がどのように生きていようとも、この人のあるがままなんだからこれでいいんだ。わたしがそれに対して何かを言いたくなるとしたら、自分の利益のために道具化しようとしているに違いない、と気づくようになってきたら、それによって関係がしだいによくなり、ついにはこの「要求」や「期待」によって手にしたいと思っていたものがすべて自然にやってくることになりました。

ものごとは「あるがままに」ほっといてあげる・・・ そこから不思議なことが見えてくる、芽生えてくるのだな〜と実感した体験でした。

パートナーにしろ、子どもにしろ、何にしろ、「要求」や「期待」をしているときには、自分にとって都合のいい「お道具」に仕立てあげようとしているとき。「要求」「期待」がないときには、今まで見えなかったものが見えはじめます。つまり、それによってどれだけ大切なことを見えなくしていたか思いしらされます。

何に対しても「要求しない」「期待しない」というのは、自分の心に平和をもたらしてくれるし、よい関係を運んできてくれるだけでなく、不思議とほっておくことですべてがちゃんと整っていくという「流れ」というものを感じることができるのでした。

 

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