ブログ

「るん」発、世界に広がる波

うぅっ・・・・て、手が震えるぅ、禁断症状かも?近頃、完全にあそびがたりないのです。この私が、ここ数日カフェでまったりする時間がないなんて!?でも、世の中急速に目覚めに向かっているようで、ほんとうに自分らしい生き方に妥協しない姿勢がクライアントさんからひしひしと伝わってきます(だからセラピーを受けられるコミットメントも並々ならぬものがあるし、変化も早いのです)。変化といえば、約一ヶ月前に親友を亡くして気落ちしている友人に精神世界系の本を何冊か渡したのですが、そこから火がついてご本人はもちろん、NYのお姉さん、LAの家族、UKの友人・・・とわずかな期間にその本は海を渡ってどんどん広がっています。一人の人が変るとまわりも変るといいますが、この本が広がってゆく様子でその変化の波をはっきりと実感しました。形はなくても、私たちのちょっとした優しい一言や、心遣いもこんなふうに波のように伝播してゆくのでしょう。

素直に言おう!「手伝って〜!」

同じことを何度書けば気がすむのか、今年も領収証の山に埋もれながら途方にくれる確定申告シーズン。おなじみのパターンにはまっています。そして、陣中見舞いにスウィーツの差し入れに来てくれた友人にさえ、まんまとレシートの束をお土産に持たせて計算させてしまうというこのチャッカリさ、これも毎年のおきまり。よく考えてみれば改善しようなんてさらさら考えてないようです。だって、助けてもらうためにはそれなりのシリアスな状況が必要なのですから。だから、よくなったらいけないのです。今までもらってたヘルプがなくなるし、一人で人生頑張らなくちゃいけなくなるし、そのうえ他人の世話までみなくちゃならない事態になるし、ろくなことはないと信じ込んでいるようです。だから、計算なんてまっぴらだという私は、まんまと助けを借りるためにどんどん悲惨になる!悲惨であればあるほど自分でやらなくていい!というこのカラクリ。でも、なにもこんなことしなくても、いつでも力はかりられるのにね。

コワいときこそ扉をこじあけてみよう!

その昔、エクアドル人のCちゃんにスペイン語でアバターを伝授したことがありました(もちろん特訓したすえにです)。今回は米国人にレイキ伝授、英語です。まぁ、生徒さんである友人とはふだんから英語で話しているので、なんということはないのですが。ただ、私のレイキは波動やら量子力学をまじえながらエネルギーをわかりやすく説明してゆくので、どうしても普段はおめにかからない専門用語が必須。前もって単語ぐらい調べておこうと思ったのですが近頃おそろしく多忙で、あっというまに当日に。思いましたよ。案ずるより産むが易しです。何かが完璧になってからじゃないとやらない!と尻込みするより、ただやってみること。私のボキャブラリーは小学校レベルだったかもしれないけれど、かえっていろいろなたとえを使ったのが功を奏したようでで、受講した彼はもうレイキ街道まっしぐら、レイキ大絶賛!かなり傾倒しております。きっと、完璧にスラスラやるより念がこもっていたのかも(笑)私も、また別の可能性が広がりました(クライアントさんの国籍とわず?!)。皆さんも、まだ準備OKじゃない!と思っても、お誘いがきたらとりあえず飛び込んでみてください。きっとおもわぬ成長のきっかけになりますよ〜!

良き友よ、またのおいでをお待ちしております

代官山には、ガイドブックや雑誌にのっているおいしいスウィーツのお店がいっぱい。シェ・リュイやらキルフェボン、カピにパッション・・・。私にいわせるとどれも美味だけど、まだ唸りはしないし叫びもしないのです。しかしあるのですよ〜。「Sweets 命」のタトゥーをもつ私を、しばし忘我の境地に陥れ、さらに雄叫びをあげさせるお店が二つも。両者に共通しているのは、スポンジを舌にのせると雪解けのようにふわぁ〜んとやさしい感触であること、また生クリームが生クリームでない味わい(説明になってないね)。ひとつは、南青山の根津美術館方面にあり看板もない暗いビルの一角。なのにいつも売りきれ続出。もう一方は、登戸の友人宅前にあり、何十年もおじさんが心をこめて作っているお店。二つともお味がとてもよく似ています。この世のものではない感じ。そして、とにかくおいしいお菓子を作りたい!というハートが味に顕れているのですね。ともに大好きな友人のお土産なので、さらに好きになってしまうわけです。ああ、甘党でよかったわぁ!

マイ・ダイニングみっけ!

昨晩はスタッフYちゃんのBirthday Dinner!五つ星つき食いしん坊軍団は、ついに六本木へと繰り出したのでありました。めざすはイタリアン、イル・ビアンコ!ここはワイン持ち込み可、という奇特なお店です(るんスタッフ約2名はソムリエ級ワイン好きなので、これはかなり嬉しい)。それに、コースの前菜、パスタ、メイン、デザートがチョイス可能で、またリーゾナブル。パスタ系は三種類も楽しめるのですよ。メニューもちょっとかわってて、仔牛の心臓フォアグラソースとか(イメージするとエグいですが、歯ごたえがあっておいしい!)、イベリコ豚とか・・・(何回聞いても、いぶし子豚としか聞こえない)。そもそもこの四人、興奮すると口々に何か勝手にさけんで人の意見なんて聞いちゃいないので、メニューを選ぶだけでもかなりの大騒ぎ。食事中も、始終ハイテンションでありました。持ち来んだワインは2本ともカラになり少々酩酊ぎみで、心もいっぱい腹いっぱい。次回はワインに加えて、悪酔いどめポカリスウェットも持参したいし、多菓子御用達のデザート用生クリームとリキュールとか、それにシャンパンと氷もはずせない。大荷物になりそうだわ。(お客さん!ワインだけですよっ!!)

よわってて、やっとふつ〜

ふつ〜に話して笑っているだけで、カフェの窓ガラスをびりびりいわせてしまうMちゃんと私。声楽家である彼女と腹式呼吸歴十数年の私は、「声がデカすぎっ!」と注意されてしまうほどの最強コンビです(でも、私たちはうるさいオバサンが大嫌い・・笑)。しかし、現在彼女は強度の貧血、私は仕事が立て込んで疲労ぎみ。お互い「パワー全開.炸裂」とまではいかないのです。とりあえずおうちでまったり雑談しながら、Mちゃんのお持たせケーキ&ポテチを食べつくす。食料がほぼカラになったころ映画鑑賞を思いつき、むりやり早めの夕食へ(ぜったいはずせない)。これも、完食。そして太鼓腹をかかえて映画に出向き、ポップコーンをバリバリ、ドリンクをゴクゴク。その後、お茶をして解散。いつものようにガハガハゲラゲラドヒャドヒャ・・・とアウトプットしなかったぶん、エネルギーのインプットには余念がない一日でした。そうはいっても、二人ともパワー半分でちょうど社会に適応できた感じでしょうか。

すべて、ちゃんとワケがある!

大好きな白いごはんを我慢して、ようやっと体重を減らした友人。シェイプされたお腹をながめて、それがえらくガッカリしたそうな。「あぁ、キューピーちゃんじゃなくなっちゃった」って。目標達成の果ての落胆・・・それはなぜなのでしょう? そこにはこんなストーリーが隠されていたそうです。小さい頃、お母さんがキューピーちゃんにお洋服を作ってあげてるのをすごくうらやましい気持ちでながめていたとか(働いてたお母さんの気晴らしだったのでしょうね)。そこで、その子は「キューピーちゃんにさえなれば、新しいお洋服(=母の愛情)が手に入る」と、刷り込みをしたわけです。そして、自らがキューピーちゃんでい続けることを一生懸命選択していたそうす(と、なると身体は勝手に太ろうとするわけです)。そういえば私も、忙しくて一食抜いてしまうと「大変っ!痩せちゃう!」とあわてるのです(やせるのOK、それに簡単に餓死するわけがありません)。そういえば昔、「お月さまのようなまん丸の顔が可愛い」と言われたのでした(笑)。つまり、まん丸=いい子。ああ、いまだにそのホメ言葉を欲しているらしい・・・。

お茶の間シネマトーク「じつはすご〜くハッピーだったレイさんの人生」

去年亡くなったレイ・チャールズのアルバムがグラミー賞をとりましたね。映画「Ray」はアカデミー賞候補だし。でも、いまひとつ日本人にはピンとこない存在かも。とくに私たち世代には。アメリカ人にとっては心の音楽そのものなのかもしれません(美空ひばりさんみたいに)。映画では、彼の人生をすべて網羅しようとするあまりかなり長すぎてインパクトに欠ける作品になっているのが残念。それに、弟の死のトラウマやら突然の失明、母の厳しい教育、そして麻薬中毒に女性問題、人生すべてが戦いであるかのようなストーリーで彼の喜びの瞬間に焦点があてられていないのですよね。まあ、どうしても故人のストーリーを描くとなると、本人はいないのでモロ他人の視点になるのはいたしかたないのですが。でも、それだけ世を動かし人々を感動させた音楽の神様の人生、その創造の源っていうのは決して「つらさ」ではないでしょうに。きっと、そんな様々な体験のうしろに本人にしかわからない輝くような瞬間が光を放っていて、それが彼をつき動かしたのでしょう。「真」のすばらしさは過酷さからは決して生まれないと思うのです。ねっ!レイさん!

ちょこっとチョコ太り

バレンタイン、いかがお過ごしでしたでしょうか?私のバレンタインは数日前からもうはじまっていて、早くもビシビシにチョコの食べ過ぎでしっかりニキビをこしらえて笑われています(チョコをたべるたびに育ってゆくのですよね〜)。そのうえ今日も、おいしそうなチョコを3箱も頂戴しチョコレートケーキも平らげて大満足(えっ?男性がもらう日なんでしたっけ?・・・おとぼけ)。私にとってのバレンタインは男女とわず自分にとって大切な人に感謝と愛をつたえる日です。なので、きょうは昼間はダーリンAとランチをし、夜はダーリンBとディナーをするというかなり大っぴらな二股(?)デートの一日でありました。ようは、大切な人と分かち合う、これがポイント!そして、私のまわりにいる大切な人たちとの不思議な「えにし」にあらためて感謝し、また出逢いの完璧さに感動するのでした。本当に大切な人に支えられてこそある今の自分、ありがたいですね〜。

発言にはゆめゆめ注意すべし

明日は女友達とデート。六本木ヒルズで「オペラ座の怪人」を観る約束です。そうなんです。先日、試写ですでに観ているので二度目。前回、鑑賞し終わってロビーに出たら「オペラ座の怪人」のチケットを販売しているのをみて「(試写会に来たのに)また観る人いるんだねぇ〜?」などと言ってたら、じつはそれは私でした(笑)。たいてい人のことをとやかく言うと、遅かれ早かれ自分がそれをやっている、というハメになるのです。だから、「あんなことする人の気が知れないよ〜」とか「まったく信じらんないよね!」などと言おうものなら、私たちの深い叡智は『それなら「気が知れる」ように「まったく信じられる」ように導いてさしあげましょう!』ということになるのです。つまり、自分の価値判断は自分で背負い込むことになるわけです。結局、私たちは何の価値判断もなくすべてのことを受け入れて、理解し、慈しむ、そんな旅路をあるいているのでしょうね。人のことはおいといて、とにかく自分のものの考え方に気を配るほうが先決のようです。自分の手で自分の首をしめないようにいたしましょう。