「スペイン語」を始めました。じつは、ずぶのシロウトさんではなくって学生時代にちょっこり手をそめた経験あり。担当だったフォンテス先生は、血がラテンなもので即答できないとブァンブァン机を叩いて激昂しておりましたが、じつはイエズス会の神父さまだったのですよね〜。私はいつも、一番前の席であたらないようにナムナム祈っていたものです(笑)。そもそもわけのわからない言語を、いきなり英語で習ってしまったことじたいが大間違いでした。はては、どうにもできずに中国語に変更した苦い過去が・・・。この挫折感が今回の学習に結びついているか、というとそうでもなくってたんにスペインに「また行きた〜い!」と思っているだけなのです。しかし、やっぱり日本語で習っても、このクレイジーな動詞の変化には一回目からうんざり。それに、見るからにつまらなそうなこのテキスト!どうにかならんの?!(こんどはテキストにあたる気のようです、笑)おいしいパエリア、サングリア、ペネロペ似のきれいなおねえさんを思い浮かべつつ頑張ります!(完全にオジさん!!)
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また、「るん」に人口がふえました
友人は「ほうきにのった魔女」をコレクションしていて、遊びに行くと部屋のあちこちに大きいのやら小さいのやら、可愛いのやらちょっとコワイのやら、魔女たちがひしめいています。なので、私も海外に行くとつい彼女のおうちにぴったりの魔女っ子を探していたりします。それと同様に、うちには知らないあいだに天使グッズが集まってくるのですよね〜。置物にはじまって(いったい何人いることか?)、マグネットに鉢、小物入れ、傘、オーナメントなどいろいろ。いただきものがほとんど。それぞれ、いただいたときの思出があるのも楽しいものです。さて、本日のNew Face 。あ、主役は花じゃないですよぉ。そのよこのカレ。イグナチオ生まれの LIttle Stevieくん。天国に旅立ってしまった Papa(Pope) さまのために、賛美歌を捧げているところです。
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フォトいっぱつめは、コレ!
スタッフYちゃんのご尽力で、ついに「たかちゃん日記」にもブログが導入されました。このめでたい一枚目、何のフォトで飾ろうかと思案したのですが、スウィーツの女王ときたらやっぱりコレでしょう。これは、先日豆を煮ているあいだに忙しいといいつつ焼いてしまったクッキーです。私が作るチョコレートクッキーは、かなりのこだわり有り。ビターで酸味のきいたカカオマス(カカオ100%)を使っているので、その濃度といったら3枚食べれば鼻血確実ものなのです。でも、ちょっとやりすぎで、たくさん食べたいのに食べられないジレンマ。本日は、残ったチョコでコニャック入りチョコケーキを焼いてみました。友人いわく、「手作りスウィーツの食べられるヒーリングスポットにすればいいのに」。それは、ムリ!!だって、焼いてるそばからじゃんじゃん胃袋におさまっちゃうんだから。
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豆で応援!
きょうは運命のサッカー、日本VSバーレーン戦(あ〜ん!小野くんは出場できないのです。さびし〜い)。と、いうわけで只今、豆を煮ています(サッカーとどういうう関係がっ??)。夜、友人が観戦にやってくるので、じゃあ何か作ろう!と思いたちストック食材を眺めていたらタイムリミットな白豆がどっちゃり出て来てしまい、あわてて煮ているしだいです。しかし、これがなかなかやわらかくならないのですよ。そうでした、豆料理って時間がかかる最たるもであることを忘れてました。なんでまた、よりによってこんなときに悠長に豆なんぞ煮ているんだか・・・・ぶつぶつ。それにしても、煮え立つお鍋を見つめること数時間(べつに見張る必要はないのですが、なぜか見ていたい)。だんだんめんどうみきれなくなって、有無を言わせずブレンダーにおしこんで影も形もなくポタージュにしちゃいました!は〜っ!なんとかカタがついた。どうせ大興奮のバーレーン戦のこと、注意が出っぱなしできっと味覚なんぞはお留守のことでしょうよ。(かなり手抜き!)
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季節には季節のごちそうを
冬の定番ミカンやリンゴが影をひそめて、つやつやの苺が売り場の主役になるこの季節、なんともいえない甘〜い香りです。私の世代は、苺といえば他の果物よりもちょいとよそ行き感があって今だに心をくすぐられます(前の世代だとバナナがそれらしいのですが。今は何かしら?)。で、スウィーツの女王といえども、ついつい無意識のうちにカゴに入れてしまっているしだいです。そこへ、突然届いた宅急便。予期せぬお届けものにわくわく。しかし、きょうは受けとる前にもう中味がわかってしまいました。それも、透視能力者真っ青な100%の確信度で!なぜなら、ドアをあけたところからすでにいい匂い、これはフレッシュな苺に間違いなし!埼玉からやってきたみごとに大きな真っ赤な苺。はるばる異国から運ばれてくるフルーツより、近隣の農家でのとれたてはおどろくほど身体にエネルギーをみたしてくれます。あっというまに1パッククリア!ああ、旨ぁ!ごちそうさまでした。
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「きゃ〜っ!」6階から1階まで急降下
エレベーターで下に降りようとしたら、ちょうど月いちの定期点検中。自動的に階段に足が向いてそのまま下りてる自分を発見して、おもわず「きゃ〜っ!」と叫びそうになってしまいました。3/8日の日記にあるように、このマンションの内階段にすっかり妙な条件づけがなされてしまい、あれ以来一歩も近寄れなかったのです。それが、つい何も考えずに階段に突入してしまったわけです。(ああ、抵抗すればするほど、その体験からは逃れることはできないのは承知ではありましたが・・・)しかし、今だにこんなにありありと拒絶反応がでるとは・・・。好き嫌いの感覚が感情にリンクしているならば、しっかりその刷り込みを書き換えるほかはありません。こうなったら大好きな友人を募って、この階段で「グリコ」でもして大騒ぎするしかないでしょ〜か(笑)。ああ、それほどまでに強い感情とともにインプットされた刷り込みはおそるべし威力を発揮するのですね〜。
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ちょいと被害者になってみました
「おつけしてみましょうか?」この悪魔のささやきを聞いたら一目散に逃げなければいけなかったのに、 ついうっかり。その結果、予想外の出費に!お気に入りのローションが無くなって買いに行っただけなのに、春の新色アイシャドウにはじまって、それにあう口紅やらなにやらのご紹介という芋づる商法で、あっというまに手提げ袋にはこまごま小箱があふれかえるわけです。洋服やらその他だとちゃんと働いてくれる自己制御機能が、化粧品売り場だとなぜか薄弱になってしまうのですよね〜。たぶんその昔、化粧品売り場の前を通ろうものなら「あらあら、お嬢様お肌がそんなに荒れちゃってぇ」と、実際荒れていようがいまいが脅迫的な言葉をあびせかけられてまんまと餌食にされていた過去が、いまだに「化粧品売り場からはのがれられない」という刷り込みになってしまったような?(かなり被害者ちっくになってますが・・・笑)う〜ん、何だかんだいってますが、けっきょくたんに衝動買いに走りたかっただけでした、はい。
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のどもとすぎれば、何とやら・・・
ホテルのデザートブッフェに行ってまいりました。春らしくイチゴを組み合わせたチョコデザートをメインに、ピラフ、スープ、サラダなどの軽食のチョイスも。ブッフェって、性格が出るので見てておもしろいです。甘の女王としては、第一ラウンドから一通りのケーキをお皿に並べてきた私。かたや友人は、お米好きなのでピラフやらサンドイッチのご飯ものでしっかりお腹をこしらえた上でのデザート。そして、小さい頃から食事中にお水を口にするのを良しとされなかった私は(お水飲んじゃうとあまり食べなかったので)コップのお水はいつも手つかずで、逆に友人は食事中はお水を飲みなさいと言われて育ったので、コップはいつもすぐにカラ。私たちって自分が選択して好きなように行動しているように見えても、実はあんがい過去の遺物(教育やら習慣)のかたまりなのかもしれないな〜とつくづく感じます。さて、今回は6回もおかわりを繰り返したすえに、いささか食べ物すら目にできない状態でしたが、翌朝にはらくらく復活!4月はフランスパティシエのデザートブッフェですって〜♪
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ニール・D・ウォルシュ氏来たる!
あのミリオンセラー「神との対話」の著者(と、いうか神様との交信役)のウォルシュ氏の来日講演に行ってきました。今回は韓国の自己啓発団体のゲストスピーカーとしての来日だったので、質疑応答もサイン会もなくちょっと肩すかし。私と友人はしっかり万人のために役にたつ(?)質問を用意して今か今かと待ちかまえていたのですが・・・。それにサインをもらうために本も持参したのに関係者に無碍に断られ、ちょいと楽屋まで潜入を試みたのですがあえなく敗退。でも、友人は講演中しっかりウォルシュ氏に話しかけられ、髪型までほめられてホクホク。本人いわく「きっと、彼が話しかけてくると思った」とのこと。たしかに、わたしはそんな思惑はまったくなかったのです。シンプルに「決めてワクワクする」というのはすごい現実創造力。しっかり威力をみせつけられました。追記:ウォルシュ氏は、頭もおひげも真っ白で、お話の中に描かれる神様みたいな風貌でした。もしや、対話したんじゃなくってじつは「あなた」??
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好きと嫌い、あんがい単純なカラクリ
6階にある「るん」まで階段をのぼる、これが忙しいときの私の健康法。しかし、現在その階段に近寄れなくなってしまいました。何があったのかというと、亡くなった仏さまを運び出す黒服の一団に出くわしてしまったのです。その仏さま自体が怖かったというより、そこにいた人々が創り出している重く悲惨な雰囲気に圧倒されてしまったのです。そして、それは簡単に階段に条件づけされてしまいました。以来、マンションの階段=コワイ!どうもあのおどろおどろしい雰囲気が結びついて拒絶反応。そう考えると、私たちの好きとか嫌いの感情も、そのものに由来するというよりは、それに「自分がどう反応するのか」(どんな感情を刷り込まれたか)ということになります。ユダヤ人は子供を本好きにするために、読書をしながら両親のお膝で蜂蜜をなめさせるという条件づけをしたそうです。それが世界に広がるユダヤ商人となって稼ぎまくっているのですね。ああ、だれか、私を「恐怖の階段」の呪縛から解いてくださいませ。
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