気づきの日記「夜、なかなか寝つくことができません」

 

夜、なかなか寝つくことができない、という方も多くなってきています。

寝つくことができない原因はさまざまですが、そのひとつとしてあげられるのが「あれこれ考えてしまってアタマが休まらない」ということがあります。

眠ろうするとさまざまな思考やイメージが浮かんできて、それに対して不安な気持ちになり、その不安から新たな思考やイメージが浮かんできて、寝つけずにイライラしてしまうのです。これでは、不安とイライラの悪循環におちいってしまいます。

一方、思考やイメージが鎮まっていれば、呼吸はしだいに深くなり、自然に眠りにはいることができます。

では、寝つこうとするときについついあれこれ考えてしまうときには、どのように対処したらよいのでしょうか?

思考やイメージについて、私たちは「自分が思考やイメージを思い描いている」と考えがちです。しかしそうではありません。

もし自分がそうしているのなら、「もう、やめたい!」と思ったときにやめたり、上手に思考やイメージをコントロールできているはずです。

それができないとするならば、じつは思考やイメージは自分の意志とはまったく関係なく自然発生的に湧きあがってくるものだ、ということです。

たとえば、外で車の音や工事の音がしていても、まったく影響されずに眠りに落ちてしまうこともあります。

それは、その音に対して自分が注意をはらっていないからです。注意を向けていないものは、自分にとっては存在しなくなってしまいます。

もし発生している音に対して、「この音はうるさ過ぎる」とか「私の邪魔をしている」など、自分の注意がその音に固定されると、その音は自分にとってより鮮明で「うるさく」「邪魔をする」ものとして感じられるのです。

とりわけ、抵抗を感じるものに対しては、注意が固定されてしまい、自分の世界においてはそれがより強い力をもつようになります。

外から聞こえる音と同じように、思考やイメージがただ流れてゆく音と形であるのなら、闘わずにそのまま行かせてあげましょう。

今もこの文章を読んでいるときに、いろいろな音が存在しているかもしれません。けれども、そのように音に注意を向けるまで、まったく音の存在に気づいていなかったかもしれません。

思考やイメージを自分自身が作りだした所有物だと思うことで、私たちはそれらを私物化し、その内容に感情的に大きく影響を受けてしまいます。つまり、それらの思考やイメージを単なる音や形ではなく、ほんとうのことだと信じてしまうのです。すると、すっかりそれらに取りこまれて、一体になり、思考やイメージが示唆する不安な未来を受けいれてしまうのです。

そうすると、その架空の言葉やストーリーから、さらに別な言葉やストーリーが生まれ、どんどん本当ではない物語が紡がれてゆきます。

しかし、思考やイメージが自分とは関係のないランダムなものであるのならば、そこから距離をとって離れるようにしてみましょう。

それは、出てくる思考やイメージを客観的に眺めてみることです。

自分を不安にさせる言葉やイメージが出てきたら、それらに気づいて、カギかっこ「 」や枠 □ でくくって、客観的に距離をとって鑑賞してみましょう。

一体になっていたものからそのように離れてみると、それはじょじょに薄らいで消えてゆきます。注意を注がないことで静かになるのです。

このように、自分のなかで次々に湧きでてくる思考やイメージをカギかっこや枠を使って、離れてながめてみることで、思考やイメージは勢いを失ってゆくのです。それに取りこまれて、さらなる不安なストーリーをねつ造するのを止めることができます。

思考やイメージが出てくるのが減少したら、思考やイメージが出てきていたスペース(意識のスペース)へとゆったりと広がって、深い呼吸をしてくつろいでみましょう。

もしまた再び思考やイメージが出てきたら、ただカギかっこや枠でくくって、距離をおいてながめてあげるだけでよいのです。

自分自身は、その思考やイメージがあらわれてくるスペースとして、安らかにどこまでも広がってゆくイメージをしてみましょう。

このように、思考やイメージと距離をおいて客観的にながめることで、思考やイメージの勢いは和らぎ、静かになってきます。

そうすると、こころもしだいに落ち着いて、意識の広がりとしてゆったりとくつろぐことができます。

この意識のスペースを感じてあげることで、睡眠時間の長さに関係なく、深いリラックスを感じて心身ともにエネルギーを取りもどすことができます。

このスペースの広がりをたびたび感じることで、こころの落ち着きをとりもどすことができるのです。

また、このスペースの中にこそ、今抱えている問題を乗りこえてゆくためのインスピレーションや、あなたに幸せをもたらすためのひらめきが与えられます。

このスペースの安らぎのなかで、あなたの人生を導いてもらいましょう♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

23-04-03 人まえで話すの苦手です!(汗)

 

四月になりました。新しい環境で学びやお仕事を始められる方もいらっしゃると思います。

自己紹介をしたり挨拶をしたり、発表やプレゼンのお仕事がまわってきたりと、人まえで話す機会も多くなります。

誰にとっても人まえで話す、発表することは、緊張をしいられるものです。そんな苦手意識からまったく自分らしさが出せなかったり、能力が発揮できなかったり、はたまた失敗をしてしまったりします。

どうしたら、少しでも緊張をやわらげて自分らしく話すことができるのでしょうか? 三つの解決方法をあげてみましょう。

解決方法 その1、 緊張してあたりまえ。

多くの方は、「緊張しない方法を知りたい」とおっしゃいます。しかし、緊張しないでいよう、とすればするほど、じつは緊張を作りだしてしまいます。

緊張と闘いながら完璧さを目指そうとするよりも、「緊張は自然なことだから、70点の出来でよしとしよう!」とゆるく考えて自分らしくいられるようにしましょう。

背伸びをして完璧さを演出しようと頑張るよりも、ちょっとぐらいミスってもその人らしさが出ている方が、じつは人は好感を抱くものです。自分ではないニセものになろうとするよりも、リラックスして自分でいましょう。

解決方法 その2、 今の自分は、もう大丈夫!

人まえで話すのが苦手とおっしゃる方は、たいてい子どもの頃に失敗経験があったりします。授業中、発表したけれどしどろもどろになってしまって笑われたとか、固まってなにも言えなかった・・・とか。

そして、そのときの動揺がこころのなかに封印されたままになっています。

今はもう、ちゃんとやり遂げる力があるにもかかわらず、似たような場面に遭遇すると、その過去の未解決の感情が今の自分を支配してしまうため、簡単にそのころの自分に戻ってしまうのです。

自分を過去に引き止めている未解決の感情は、手放すことができます。それは、その感情にストーリーをつけずにそのまままっさらな感覚として感じてあげることで消え去るのです。

人まえで話す怖れを感じているのであれば、そこにあがってくる感情をそのまま、あるがままに受け入れて感じてあげましょう。

まったく防御することなく、丸ごと感じてあげることで、感情はしだいに薄れて消え去って、あなたから離れてゆきます。

今の体験に過去の感情を被せないだけでも、前向きに向き合うことが容易になります。今のあなたは、もうあのときの子どもではないのですから。

解決方法 その3、 実際に、人まえで話す場面では、そこにいるみんなとつながってみましょう。

私たちが人まえで緊張するのは、自分 VS 多数 という対立関係が緊張を生み出すからです。自分は多数によって傷つけられるかもしれない、という人に対する危険なイメージをもってしまうのです。

それならば、その多数を受け入れて、つながって、対立のないひとつになってしまいましょう。

人まえに立ったとき、ついつい圧倒されて下を向いたり、一点しか見ることができなくなってしまいがちです。これでは、まだ 1 対 多数 のままです。

人まえに立ったら勇気を出して、まずは全体を見渡してみましょう。一番後ろの席にいる人から、ひとりづつアイコンタクトをしながらゆっくり前へと目線を動かします。未知なものこそが恐ろしく感じるので、このように全体を眺めることによって未知なる感覚はしだいに和らいでゆきます。

そして、こころのなかでこのようにつぶやいてみましょう。「私はみんなを受け入れている」と。じつは、自分こそがみんなを怖がって敵対し、危ないものにしていたのです。

そして、「みんなも私を受け入れてくれている」とつづけます。

さらに、話しはじめるまえに自分が話しやすいと感じる人、あるいはすでに知っている人を一人選んで、その人に向かって話しかける気持ちで始めてみましょう。

最後にいちばん忘れてはならないこと、それは人まえで話すことに限らず、なにをするときにも大切なことです。

それは、「手放す」ことです。「手放す」とは、どういうことなのでしょうか?

それは、どのような行為でも「自分がやる!」という気張りを捨てることです。そのかわりに、自己の高い意識(なんと呼んでもかまいませんが)ハイヤーセルフにまるごと委ねてしまいましょう。

「私がちゃんとやらなければならない」という思いこそが緊張を強めています。じつは、私たちは自分に対してかなり懐疑的だからです。信じられないものに委ねている感覚になるのです。

信じることができないものではなくて、絶対的に信頼できる存在であるハイヤーセルフ(あるいは源、宇宙、天使・・・などの高い存在)に丸ごとおまかせしてしまいましょう。そうすれば、なにがあろうとも自分にとっても、誰にとってもいちばんよいようになるのだ!と確信できます。

ただ自分が手放しさえすれば、他の力(じつは万能の力)がよろこんであとを請け負ってくれます。

ハイヤーセルフには、私たちがイメージしているストーリーよりも、全員にとって間違いなくいちばんよいストーリーを選択し、切り替えてくれます。その切り替えの GOサインこそが明け渡しです。安心しておまかせしてしまいましょう。

人まえに立つまえに、「このことについてすべてを委ねます。どうか私のかわりにしてください」と、すべてを委ねてしまいましょう。

もし、時間があれば、人まえで話す前日にでもこのすべてをイメージングして、ゆったりと自分らしくやり終えて安心している自分の姿を見てみましょう。

これで大丈夫です♪

 

 

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気づきの日記「人まえで話すの苦手です!汗」

 

四月になりました。新しい環境で学びやお仕事を始められる方もいらっしゃると思います。

自己紹介をしたり挨拶をしたり、発表やプレゼンのお仕事がまわってきたりと、人まえで話す機会も多くなります。

誰にとっても人まえで話す、発表することは、緊張をしいられるものです。そんな苦手意識からまったく自分らしさが出せなかったり、能力が発揮できなかったり、はたまた失敗をしてしまったりします。

どうしたら、少しでも緊張をやわらげて自分らしく話すことができるのでしょうか? 三つの解決方法をあげてみましょう。

解決方法 その1、 緊張してあたりまえ。

多くの方は、「緊張しない方法を知りたい」とおっしゃいます。しかし、緊張しないでいよう、とすればするほど、じつは緊張を作りだしてしまいます。

緊張と闘いながら完璧さを目指そうとするよりも、「緊張は自然なことだから、70点の出来でよしとしよう!」とゆるく考えて自分らしくいられるようにしましょう。

背伸びをして完璧さを演出しようと頑張るよりも、ちょっとぐらいミスってもその人らしさが出ている方が、じつは人は好感を抱くものです。自分ではないニセものになろうとするよりも、リラックスして自分でいましょう。

解決方法 その2、 今の自分は、もう大丈夫!

人まえで話すのが苦手とおっしゃる方は、たいてい子どもの頃に失敗経験があったりします。授業中、発表したけれどしどろもどろになってしまって笑われたとか、固まってなにも言えなかった・・・とか。

そして、そのときの動揺がこころのなかに封印されたままになっています。

今はもう、ちゃんとやり遂げる力があるにもかかわらず、似たような場面に遭遇すると、その過去の未解決の感情が今の自分を支配してしまうため、簡単にそのころの自分に戻ってしまうのです。

自分を過去に引き止めている未解決の感情は、手放すことができます。それは、その感情にストーリーをつけずにそのまままっさらな感覚として感じてあげることで消え去るのです。

人まえで話す怖れを感じているのであれば、そこにあがってくる感情をそのまま、あるがままに受け入れて感じてあげましょう。

まったく防御することなく、丸ごと感じてあげることで、感情はしだいに薄れて消え去って、あなたから離れてゆきます。

今の体験に過去の感情を被せないだけでも、前向きに向き合うことが容易になります。今のあなたは、もうあのときの子どもではないのですから。

解決方法 その3、 実際に、人まえで話す場面では、そこにいるみんなとつながってみましょう。

私たちが人まえで緊張するのは、自分 VS 多数 という対立関係が緊張を生み出すからです。自分は多数によって傷つけられるかもしれない、という人に対する危険なイメージをもってしまうのです。

それならば、その多数を受け入れて、つながって、対立のないひとつになってしまいましょう。

人まえに立ったとき、ついつい圧倒されて下を向いたり、一点しか見ることができなくなってしまいがちです。これでは、まだ 1 対 多数 のままです。

人まえに立ったら勇気を出して、まずは全体を見渡してみましょう。一番後ろの席にいる人から、ひとりづつアイコンタクトをしながらゆっくり前へと目線を動かします。未知なものこそが恐ろしく感じるので、このように全体を眺めることによって未知なる感覚はしだいに和らいでゆきます。

そして、こころのなかでこのようにつぶやいてみましょう。「私はみんなを受け入れている」と。じつは、自分こそがみんなを怖がって敵対し、危ないものにしていたのです。

そして、「みんなも私を受け入れてくれている」とつづけます。

さらに、話しはじめるまえに自分が話しやすいと感じる人、あるいはすでに知っている人を一人選んで、その人に向かって話しかける気持ちで始めてみましょう。

最後にいちばん忘れてはならないこと、それは人まえで話すことに限らず、なにをするときにも大切なことです。

それは、「手放す」ことです。「手放す」とは、どういうことなのでしょうか?

それは、どのような行為でも「自分がやる!」という気張りを捨てることです。そのかわりに、自己の高い意識(なんと呼んでもかまいませんが)ハイヤーセルフにまるごと委ねてしまいましょう。

「私がちゃんとやらなければならない」という思いこそが緊張を強めています。じつは、私たちは自分に対してかなり懐疑的だからです。信じられないものに委ねている感覚になるのです。

信じることができないものではなくて、絶対的に信頼できる存在であるハイヤーセルフ(あるいは源、宇宙、天使・・・などの高い存在)に丸ごとおまかせしてしまいましょう。そうすれば、なにがあろうとも自分にとっても、誰にとってもいちばんよいようになるのだ!と確信できます。

ただ自分が手放しさえすれば、他の力(じつは万能の力)がよろこんであとを請け負ってくれます。

ハイヤーセルフには、私たちがイメージしているストーリーよりも、全員にとって間違いなくいちばんよいストーリーを選択し、切り替えてくれます。その切り替えの GOサインこそが明け渡しです。安心しておまかせしてしまいましょう。

人まえに立つまえに、「このことについてすべてを委ねます。どうか私のかわりにしてください」と、すべてを委ねてしまいましょう。

もし、時間があれば、人まえで話す前日にでもこのすべてをイメージングして、ゆったりと自分らしくやり終えて安心している自分の姿を見てみましょう。

これで大丈夫です♪

 

 

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I LOVE さくら色

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

今年の桜は駆け足で、あっというまに満開。

明日こそは、早朝お花見をしよう!と決めていたら、あいにくの雨とビュービューの強風。

今朝は雨があがったものの、目黒川ぞいの並木道は花びらの絨毯でした。でも、まだキレイ♪ ツボミもあるようです。

毎年、桜を見るたびに思うのですが、ピンクでもなく白でもない、日本にしかないサクラ色って美しいな〜♡と感じます。

そして、この季節にでまわるサクラの香りのお菓子も大好き。

このトシになって、日本っていい国だわ♡としみじみと感じることが多いこのごろです。

 

 

 

激安お買い物ツアー in 埼玉

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

埼玉在住のお友だちが、地元の激安店をめぐるお買い物ツアーを計画してくれました。

以前にも買い出しに行ったことがあるのですが、とにかくいいものがビックリなお値段で手に入っちゃうので、中国人さながらの暴買いをしてしまったものです。

今回は衣料品店を中心にまわり、お買い物のあいまにはお友だちがチョイスしておいてくれたおいしい激安イタリアンと雰囲気のあるカフェにも立寄りました。

レストランは広々としたフロアで、ロボットウェイトレスさんの接客です。

わ〜い、ロボットさんが接客するお店ははじめて! それだけで盛り上ります。まるでおのぼりさん(苦笑)。

都心のお店は狭いので、ロボットさんが自由に動きまわれるスペースがないのかもしれません。

うちのテーブルの担当はミラノちゃん。かいがいしく給仕してくれます。こちらは、サーモンとほうれん草のクリームパスタ。サーモンごろごろでとっても美味でした。

他にはローマくんも働いていました。最初から最後まで、お店の方を見かけませんでした。

お茶に連れて行っていただいたのは、竹林のなかにたたずむ山小屋カフェ。

ひっそりとした避暑地にあるような山小屋で、木漏れ日がさしこむ窓辺のテーブルでゆったりお喋りを楽しむことができました。

お買い物だけでなく食欲にも勢いがついてしまった私たちは、いちごのシフォンケーキではあきたらず、フレンチトーストとホットサンドまで。部活帰りか?!(お買い物ってお腹がすくのね・笑)。

朝から夕方まで車を走らせてくださって、5つもお店をめぐることができました。どこも、ゆったりのんびりな雰囲気で、オシャレな掘りだしものがリーズナブル。もう、やみつきになりそうです。

お友だちは、もう次回のお店プランをたててくれているようです。しっかりおこづかいをためて、またお邪魔したいです♪ Kちゃん、一日ありがとうございました♡

 

 

 

夕暮れの空の色

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

きょうは、雨がじゃんじゃん降りました。

おかげで、花粉ですっかりかすんでいた窓ガラスがきれいさっぱりクリアに。

夕方、雨があがったかな〜?と外をのぞいてみると、水でといたインクを筆でのばしたようなグレイッシュブルーの空の色。

遠くにうすいピンクがきらきらしていて、とても綺麗でした☆

 

 

23-03-12 “すべてはひとつ” ってどういうこと?

 

「すべてはひとつ」「あなたと私は同じもの」・・・こんな言葉を聞いたことがあるかもしれません。

しかし、「アタマではわかっていても、私にはそのようには感じられません。どうしたらひとつだとわかるのでしょうか?」というようなご質問を受けることがあります。

この「ひとつである」ということは、隣にいる人がまさに自分自身であるかのように感じられるに違いない、と思われたりします。もちろん、そのような一体感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、「すべてはひとつである」「あなたと私は同じである」というのは、このような感じ方とは少し違うものです。

それは、自分という個人が「ああ、世界はひとつだな〜。あなたを私のように感じる」というものではないのです。

私という個人の観点からではなく、今ある自分の意識、その意識のなかですべてのものとの一体性を知っている、ということなのです。

私たちがとても幼い頃、まだ自分がどういう名前なのかを自覚しておらず、自分の顔や見た目がどのようであるのかを意識していなかった頃、見るものすべては自分のなかでひとまとまりの現れでした(おそらくそれが当然で、ひとまとまりだとも感じていなかったことでしょう)。

自分の意識のなかにすべてが含まれていて、それを無条件に受け入れていました。

この感覚においては、「すべてはひとつ」などとわざわざ言わなくても、ただひとつの現れであるあらゆるものがあったのです。

なので、「すべてはひとつ」であるというのは、頑張って達成するようなすごい境地ではありません。

ただその昔、体験していたようなまっさらなあるがままの世界、あれこれを比べたり価値判断をしたり好き嫌いをくっつけたりしない、素のままの世界を受け入れるということなのです。

どのようなラベルもなく、価値判断もなく、ひとつのものごとだけが切りとられて大切にされたり軽んじられたりすることもありません。ラベルがついていないのでバラバラになることがなく、すべてがひとまとまりとなっています。

そして、バラバラになっていないので、それは対立することもなく、闘いを生みだすこともありません。

このような見方においてこそ、安らぎや平安が達成されます。

誰でもきっと、自分がふと静かになった瞬間に、深い安らぎや解放感を感じたことがあると思います。

それは、こころのなかでラベリングや比較、切り取りが行われず、自分というものと世界とのあいだに葛藤や闘いが起こっていなかったからです。

意図的に思考やアタマのつぶやきをお休みにして、静かになる時間をつくってみましょう。

自分が退くと、退いたところに神さまがやってきてくれる、といいます。

次から次へと問題をねつ造するアタマのつぶやきがお休みすると、平安という神さまがさまざまなお土産を携えてやってこられます。

それは平安や安全の感覚だけでなく、嬉しいインスピレーションがやってきたり、シンクロニシティがたびたび起こるのに気がつくかもしれません。

もし、自然のなかでこれをするのなら、自分と自然がまったくひとつであることをシンプルに感じとれるかもしれません。

広い野原に寝転がって、どこまでも広がる青い空とひとつになってみるのもおススメです。

このように、世界をばらばらにしてしまうアタマのおしゃべりが休止されると、静かな安らぎの時間がやってきます。

「すべてはひとつ」という紋きりがたの言葉ではなく、自身の感覚として「ひとつである」ということがどのようなことかわかるでしょう。

それと同時に、自分と人や世界とのあいだの葛藤や闘いがしだいに影をひそめ、安心や解放の感覚とともに自分に対して優しく穏やかである世界を感じられるようになるかもしれません。

 

 

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気づきの日記「“すべてはひとつ” ってどういうこと?」

 

「すべてはひとつ」「あなたと私は同じもの」・・・こんな言葉を聞いたことがあるかもしれません。

しかし、「アタマではわかっていても、私にはそのようには感じられません。どうしたらひとつだとわかるのでしょうか?」というようなご質問を受けることがあります。

この「ひとつである」ということは、隣にいる人がまさに自分自身であるかのように感じられるに違いない、と思われたりします。もちろん、そのような一体感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、「すべてはひとつである」「あなたと私は同じである」というのは、このような感じ方とは少し違うものです。

それは、自分という個人が「ああ、世界はひとつだな〜。あなたを私のように感じる」というものではないのです。

私という個人の観点からではなく、今ある自分の意識、その意識のなかですべてのものとの一体性を知っている、ということなのです。

私たちがとても幼い頃、まだ自分がどういう名前なのかを自覚しておらず、自分の顔や見た目がどのようであるのかを意識していなかった頃、見るものすべては自分のなかでひとまとまりの現れでした(おそらくそれが当然で、ひとまとまりだとも感じていなかったことでしょう)。

自分の意識のなかにすべてが含まれていて、それを無条件に受け入れていました。

この感覚においては、「すべてはひとつ」などとわざわざ言わなくても、ただひとつの現れであるあらゆるものがあったのです。

なので、「すべてはひとつ」であるというのは、頑張って達成するようなすごい境地ではありません。

ただその昔、体験していたようなまっさらなあるがままの世界、あれこれを比べたり価値判断をしたり好き嫌いをくっつけたりしない、素のままの世界を受け入れるということなのです。

どのようなラベルもなく、価値判断もなく、ひとつのものごとだけが切りとられて大切にされたり軽んじられたりすることもありません。ラベルがついていないのでバラバラになることがなく、すべてがひとまとまりとなっています。

そして、バラバラになっていないので、それは対立することもなく、闘いを生みだすこともありません。

このような見方においてこそ、安らぎや平安が達成されます。

誰でもきっと、自分がふと静かになった瞬間に、深い安らぎや解放感を感じたことがあると思います。

それは、こころのなかでラベリングや比較、切り取りが行われず、自分というものと世界とのあいだに葛藤や闘いが起こっていなかったからです。

意図的に思考やアタマのつぶやきをお休みにして、静かになる時間をつくってみましょう。

自分が退くと、退いたところに神さまがやってきてくれる、といいます。

次から次へと問題をねつ造するアタマのつぶやきがお休みすると、平安という神さまがさまざまなお土産を携えてやってこられます。

それは平安や安全の感覚だけでなく、嬉しいインスピレーションがやってきたり、シンクロニシティがたびたび起こるのに気がつくかもしれません。

もし、自然のなかでこれをするのなら、自分と自然がまったくひとつであることをシンプルに感じとれるかもしれません。

広い野原に寝転がって、どこまでも広がる青い空とひとつになってみるのもおススメです。

このように、世界をばらばらにしてしまうアタマのおしゃべりが休止されると、静かな安らぎの時間がやってきます。

「すべてはひとつ」という紋きりがたの言葉ではなく、自身の感覚として「ひとつである」ということがどのようなことかわかるでしょう。

それと同時に、自分と人や世界とのあいだの葛藤や闘いがしだいに影をひそめ、安心や解放の感覚とともに自分に対して優しく穏やかである世界を感じられるようになるかもしれません。

 

 

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パッケージも花ざかり

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

つい先週までダウンに手袋姿だったのに、今週は春のコートも脱ぎすてたいあたたかさです。年々、季節が一気にすすむようで、春と秋はどこへいってしまうのでしょう。

街角の白い沈丁花も満開で、通るたびに深呼吸してしまいます。

これから景色が一変してゆきますね。

いただきもののパッケージも春めいていてウキウキします♪

こちらは海老せん。パッケージもかわいいけど、おせんべいもプリントがキュートです♡

そして、こちらも花ざかりなパッケージ♡

台湾のお土産でいただいた黒烏龍茶なのですが、とってもオシャレ。

キリリとしたお味で、シンプルなお菓子によくあいます。

ハコは捨てずに飾っておきましょう♪

 

 

23-03-04 いま、自分にフィットすることをする

 

私たちはつねに未来のことを心配したり、過去のことをあれこれ思いあぐねたり、さまざまな混沌とした思いでこころがいつも占領されています。

「この先、(仕事、体調、家族、お金、人間関係・・・)をどうしたらいいんだろう?」「あのとき、こうしておきさえすれば・・・」「あんなことは起きるべきじゃなかった」「あの人はいったいどう思っていたんだろう?」・・・。

すべて、存在しない時間について気にやんでいるのです。

残念なことに、私たちは「いまここ」というリアルなときから離れてしまうと、心理的にも体調的にもバランスを崩してしまいます。

なぜなら、真の自己の力の源は「いまここ」であり、「いまここ」にしかないからです。

過去や未来へと思いがふらふらすると、自分自身がコンセントから抜けた状態になってしまい、力や豊かさ、安らぎの供給が止まってしまい、えらく消耗した状態になります。存在じたいが干上がってしまうように感じるのです。

ほんとうは、ものごとはとてもシンプルです。

シンプルだからこそ省エネであり、こころもからだもムダにすりへることがありません。

あるのは「いまここ」だけ。

「いまここ」だけがリアルであり、いのちに満ちています。

だから、「いまここ」だけのお相手をいたしましょう。

それは、とりあえず置かれた状況のなかで、そのときの自分のこころにいちばんすんなりとフィットすることをするだけです。

何かを頑張るということではなく、ただ昼寝をすることや、だらだらすることも含まれます。どれが生産的かとか、価値があるかとか、そのような優劣や価値判断はまったく意味がありません。

そして、次の瞬間もその次の瞬間も、そのときにこころにフィットすることをただする(それについては、こころがいつも教えてくれているはずです)。

するべきことはただそれだけです。

「とりあえず、目のまえのことに自分らしく向き合えばいいんだ」とわかれば、一瞬一瞬がつむがれてゆきます。

罪悪感や無力感の重圧もへってきます。

この瞬間、この瞬間、 ♪それでいいのだ〜♪ と受け入れると、とってもシンプルになります。

そして、こころが少し軽くなると、こころにスペースが生まれ、自然にインスピレーションや新たなエネルギーが湧いてくるのを感じるかもしれません。

奮闘や操作がおさまると、自己の源エネルギーとのつながりが確かになってきます。

そして、こころが整うことで調和が生まれ、自分の目にする世界も同様に調和をかもしだします。

このようにして、あなたをサポートするすべてのピースが、このいまというときにきれいに整列しはじめるのです。

 

 

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