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ハマってます、小林賢太郎さん

小林賢太郎さんの演劇「振り子とチーズケーキ」を観てきました。

「ロールシャッハ」「POTUNEN」と、この一年でハイペースに舞台を繰り広げています。

いつもながらのシュールな舞台装置。そうです、この方は美大出身なので、大道具、小道具、絵画、衣装など、とても個性的でアートしています。

今回もシンプルな舞台装置ながらも、それが図書館に、公園に、アパートの一室にも早変わり。でも、いちばんおもしろいのは、やっぱり賢太郎さんのテンポのいい「言葉」あそび。言葉の使い方、選び方が独特のリズム。ついつい引き込まれてしまいます。

すごくおかしけれど、ご本人はいたって細身で長身、色白、整ったお顔だちの王子さま風のいでたち。

「ロールシャッハ」のときは、左右対称のインクのしみ、ロールシャッハ・テストになぞらえたストーリー。

今回の「振り子・・・」は、振り子がふれると逆に力をたくわえる・・・つまり、あまりにもポジティブになろうとする男がどんどんネガティブにハマる様子を描いています。これは心理学的にも正しくて、ポジティブな自分になろうなろうとすると、潜在意識的にはネガティブになっていき、ついにはそれが足をひっぱるのです。

そんなふうで、賢太郎さんの舞台はちょっとサイコ的でもあるのです。

こんなちょっと小難しいタイトルのついている舞台ですが、めちゃくちゃおかしくって、笑いっぱなしでした。

ああ、花柄くん、可愛かった♪カイピリーニャ♡

スカイツリーにお登りさん

地下鉄から地上に上がると、ジャジャ〜ン、東京スカイツリー出現!

ふもとまで来てしまいました。さすがに大き〜い。そして、ライトアップが綺麗です。

混雑を考えると、あと2〜3年は訪れることがないだろうと思っていたのが、本日は登頂しちゃいます♪じつは、これから展望デッキでのディナーにお呼ばれ♪

その前にまずは、展望台へ。

さすがに高〜い!地平線の丸みを感じることができます。街はキラキラ輝きを放つだけでなく、動きがあるので見ていて飽きないのです。空にかかる三日月が可愛らしくちっちゃく見えます。

ちょうど三日月の下あたりが目黒区。こっから一直線に飛んで帰れそうです。

アンディ・ウォーホルのスープ缶

アンディ・ウォーホルといえば、キャンベルスープ。一度は目にしたことがあるかもしれません。

今回、200個バージョンを初めて見ました。すごい!いろんなスープが大集合。 

彼が作品にすると、赤と白のなにげない缶詰がとってもチャーミングに見えるのです。1個バージョンもかわいい!(うちにもキャンベルスープがごろごろしていますが、そんなに可愛くないな〜・・・。)

アンディ・ウォーホルのセクションは、スープ缶やマリリン・モンロー、毛沢東などのカラフルなポートレイトで埋められています。どの作品も大きいので迫力。

アメリカン・ポップ・アートというと、まったく意味不明なオブジェがあったりして、「どこが芸術なのか・・・(汗)」という感想をもちますが、アンディ・ウォーホルはわかりやすい。そして、大胆な色遣いや構図がお気に入りです。

今回足を運んだのは、国立新美術館で開催している「アメリカン・ポップ・アート展」。不思議なオブジェもいくつかありましたが、気軽にながめられる作品がいっぱい。

一枚だけ購入したポストカードは、ウォーホルのこんな作品。おもちゃのロボットです。ブルーとピンクが可愛らしくて、おもわず買ってしまいました。

美術館から見える木立は、秋らしくトーンダウンしてきました。そして、外はほんのり金木犀の香り。これからどんどん木々も色づいて、いい季節すね。

 

お茶の間シネマトーク「そして “ようやく” 父になる」

息子の取り違えが発覚。その子は六歳・・・。まだ、六歳・・・、もう、六歳・・・だから、よかったのか、悪かったのか・・・。

先日、カンヌで受賞した「そして父になる」を観てきました。本編上映前にカンヌでの是枝監督と福山さんたちの様子が流されて、このスタンディングオベーションをみているだけでうるうるきちゃいました。

ベビーブームに多発し、世の中を騒がせた赤ちゃん取り違え事件。そんなこともあってか、わたしの母はわたしが小さい頃「取り違えてないから大丈夫よ!」と言ったことがありました。(それ以前に、わたしは父似なので疑惑の余地なしです・笑)

しかしこの事件、「前例では100%、交換の選択肢を選ぶ」・・・って本当でしょうか?赤ちゃんならまだしも・・・・、六歳のこどもにしてみたら、親とは自分の全宇宙、神様のような存在。そして自分が育った環境、習慣、考え方こそ、自分のアイデンティティを支えるすべてです。それを大人の都合で、突然何もかも変えられたら・・・。

このストーリーの中では、親の気持ちだけで、こどもに対して説明するどころか、気持ちを聞くことすらしていないのです。まだ六歳だから・・・?六歳のこどもだって、ちゃんと自分の気持ちがあるし、理解だってできるはず。(こんなふうに、“まだこどもだから”という意識こそが、こどもの心を傷つける最大のポイントだと感じます。)

十月十日、自分の一部としてお腹の中でこどもをはぐくみ、苦しい思いをして出産し、四六時中ミルクをあげ面倒をみるという、こどもとまさに一心同体の時期を長くすごくてきた女性はそのプロセスを通して自然と「母」の実感を身体全体で感じるのだろうけれど、男性、とくにこの福山さん演じる仕事一途のエリートサラリーマンはこどもが生まれたからといっても、まるで手のかかるペットかなにかが増えただけで、まだまだ自分中心で父親にはなりきれていないのだと感じます。

このゴタゴタがあって、こどもと真剣に向き合わざるをえなくなってはじめて、この福山さん演じる男性は“ようやく、やっと父になる”のでした。

劇中に流れていたブルグミュラーのなつかしい音色。そうそう、六歳ぐらいで弾いていたピアノ練習曲です。この音色とともに自分も六歳のこどもの心になって、画面を見つめていたのでした。

ハンカチ必携。涙壷度:★★☆☆☆(じわじわ、はらはら、静かな涙でした)

ひさびさお外カフェ

お彼岸すぎてからめっきり秋らしくなり、お外が気持ちのいい季節。

先日お茶をしたのは、あのフレンチのお料理学校、ル・コルドンブルーの一階にある「La Boutique Cafe」。

裏通りに面しているテラスは静かで、秋らしくなった空気を楽しみながらのんびりできます(オモテは大使館通り)。

いつもヒルサイドパントリーにパンを買いに行く途中に横目で眺めていたカフェ。ついに念願達成、気になっていたシュー・ア・ラ・クレームをいただきました。

コルドンブルーはフランス菓子も教えているので、さすがにフレンチスタイルの濃厚なシュークリームでした。

寒くならないうちに、いっぱいお外カフェして秋を楽しみたいものです♪

絶妙な塩味、お魚ランチ

いつも行ってるご近所のアゴスティーニさん。久々です。

ランチがお休みのことが多かったけど、復活していて嬉しい♪  なので、ランチ・デートのお約束があったMちゃんをご案内しました。

ほ〜ら、やっぱり好きになる!Mちゃんもとってもお気に入りで、すぐにでもまた来たいご様子。

特に手がこみいってはいないように感じるのですが(って、勝手な推測・・・)、「腕がいい」ってこういうことを言うんでしょうね。シンプルなお塩とオリーブオイル味がおいしくって、しばしMちゃんと「世界の塩」について語らってしまいました。(彼女はザルツブルグの岩塩をお土産にくださる“塩好き”。)

イタリアン・ミネストローネは、オリーブオイルと野菜のお出汁が絶妙。

カリカリにローストされた真鯛とジャガイモ、そしてたっぷりのブロッコリー。塩味だけなのに、なんでこんなにいいお味なんだろう?そして、このクオリティで ¥1500でおつりがくるのも感動します。(コーヒーもついてね!)

しかし・・・こ〜なると、お友だちが近所に来てくださると「このイタリアンに行きたい!」というリクエストの確率がどんどん増えるのであります。でも飽きないのは、やっぱりおいしいから♡

気づきの日記「あなたは変わるべきだ!って、ホント?」

「夫はむかしと変わってしまったんです。だから別れてたいんです」

「こんなはずじゃなかったんです。彼女にはもうガマンができません」

「彼が(彼女が)変わってくれないと、もうムリです・・・」

パートナーシップにおいて、こんなご相談が多く持ちこまれます。

ほんとうに、相手は変わってしまったのでしょうか・・・?違う人になったのでしょうか・・・?

もしもご本人に尋ねたら、きっと「いや、昔からこうですよ」「何も変わっていません」と言うに違いありません。

じゃあ、何が問題なのでしょう?

わたしたちは「誰かを好きになるとき」、じつは妄想たくましくなっています。

☆「彼は向井理似だ」(事実) → つまり「性格もいいはずだ」「女性に優しいはずだ」「スマートな振る舞いをするはずだ」(これは勝手な妄想)
☆「彼女は色白だ」(事実) → つまり「おしとやかに違いない」「素直なはずだ」「男性を立ててくれるだろう」(これは勝手な妄想)

わたしたちはあることがらを手がかりに、相手に対して勝手なイメージやストーリーをでっちあげ、ふくらませてしまいます。

本当は、「色白」であることは「おしとやか」とは何ら関係がありません。「向井理」に似ていようとも、どうしようもなくイヤミな男性かもしれません。つまり、相手の「真実」には一向に目をむけず、自分にとって好ましい手がかりを見つけるやいなや、そこから都合のよいストーリをでっち上げ、「相手はこういう人に違いない、いや、そうなのだ!」という妄想に溺れていくのです。

でっち上げたストーリーはしだいに、強固なイメージとして一人歩きをはじめます。でも、そのイメージと本人はまったく何のつながりもないのです。たんなる妄想・・・.

でも、そこに気がつかず、彼を(彼女を)そのイメージ・ストーリーの中にはめこみ、ちょっとでも相手がそのイメージからはずれようものなら、ソクそれを修正するために戦いを挑みます。「なんであなたはそんなこと言うの?」「どうしてそんな振る舞いをするの?」(向井理のようにふるまわなくっちゃダメでしょ!)。「どうして君はそんなにガサツなんだ」「どうしてそう勝手なんだ」(色白だったら、そんなはずはない!)。つまり、なんであなたはわたしのイメージどおりに生きられないの?!と。

・・・・答えはただひとつ・・・「だって、わたしはそういう人じゃないんだもん」。

いや〜、どこでどう間違っちゃったんだか・・・。

でも、わたしたちは「こんなはずじゃない。相手は間違っている。だから変えねばならない」と信じていて、日々、妄想した相手に近づいてくれるようにプレッシャーをかけ、相手を非難し、変えようとします。

相手にしてみたら、たまったものではありません。いったいいつから「あるがままの自分」でいる権利を失ってしまったのでしょう?そのままの自分で生きてはいけなくなったのでしょう?そして、相手の妄想の中の人物を演じなければならなくなったのでしょう?

そもそも最初の最初から、「本当の相手の姿」などまったく見ていなかったのです。そんなことよりも、、理想の彼(彼女)に出会ったと勝手に思い込み、自分がでっちあげた架空の誰かに恋をしていたのです。相手にしてみれば、架空の誰かを強要されたらたまったものではありません。


わたしたちは相手に対して、何を期待しているのでしょう?期待に答えてくれないと、何に腹をたてているのでしょう?何を与えるべきだと信じているのでしょう?相手はそれを本当に与える「べき」なのでしょうか?それは本当に自分では持っていないのでしょうか?

「相手がそれを与えるべきだ」と信じると、わたしたちはとたんに不自由になります。相手の好みの自分でいなくちゃならないし、相手にあわせなくちゃいけないし・・・自分のパワーを相手に渡して、すべてのことが相手しだいになってしまいます。

わたしたちはそれぞれ、自分で自分の面倒をしっかりみて、自分で自分の人生を豊かにし、自分で自分を幸せにして、自分で自分を成長させなければなりません。それをするために生まれてきました。その役は誰も変わってくれません。つまり、自分としっかり向き合って、自分の人生をちゃんと生きること。その大切なお仕事を誰かに丸投げしてしまうと、とたんに人生は不自由になって、相手しだいになってしまうのです。

・・・ということは、「相手がどうの、こうの」とちょっかいを出しているヒマがあったら、まず自分の面倒を見なくてはなりません。今までの自分の人生で足りなかったものを自分で自分に与えてあげること。

人は自分の人生を生きる、責任を持つという意味で「自己完結型」であり、また自分に必要なものは自分にちゃんと与えるという意味で「自給自足」を心得なければならないものだと感じます。

相手に求めなくなったとき、不平不満がなくなり、相手とのバトルがなくなりよい関係を築くことができます。なによりも、相手を「あるがまま」に解放してあげることによって、ココロが平和になります。そして、自分も「あるがままでいいんだ」という安心感を感じられるようになります。

自分に足りないものは自分で満たす・・・すると「ちょ〜だい!」ちょ〜だい」の欠乏やコントロールや怖れに満ちた関係から、相手と自分の「あるがまま」を楽しめるリラックスした関係になってゆくのでしょうね。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

秋のにおい

東北に向かっています。

台風が通りすぎたら、空も、田んぼも、吹く風までもが、いっきに秋色。

夏のおてんばな空気から、秋のちょっとおしとやかな空気に入れかわったよう。

お茶の間シネマトーク「それでも赤いマントは手放せない、進化したスーパーマン」

その昔、「Super」という単語は、ホントに Super で「ありえなくスゴイ」ことを表わしていたのでしょうね。しかし、このご時勢、 「Wow, super!」って言ったら、「ちょっとイイネ!」ぐらいになってしまいました。

なので、「スーパーマン」のありがたみ(?)、ガタ落ち・・・。

「なんで今、スーパーマンなの?」という気持ちはいなめません。それに、あのコバルトブルーのタイツに赤パンに赤マントって、お子ちゃまのヒーローだったら許せるけど、今やとても強そうには見えません。そんな姿で敵の前に立ったら、笑いとばされそうな・・・(汗)。

なるほど〜、だからタイトルは「スーパーマン」じゃなくって、「マン・オブ・スティール」なのね。

冒頭は、「ん?これってスーパーマン?スターウォーズの間違いじゃ?」と思うほどSF満載。

ここまで進化した話なのに、なお、青タイツ?胸には「S」マーク?・・・といぶかっていたら、青タイツの素材は綿ジャージではなく(以前、本当に綿ジャージだったかは不明・・・)、スパイダーマンと同じようなタイトでダークなメッシュのスーツにバージョンアップ。そして、ちょっと滑稽にもなりかねない「S」マークは、決して「Super」の「S」ではなく、スーパーマンの故郷、クリプトン星で「希望」を表わすマークになっておりましたよ。(でも、いくら進化してもマントの着用は必須なのか??)

それにしても、アバターやスパイダーマンから3Dはどんどん進化して、音といい、スピードといい、とてつもないことになっています。バトルシーンなんて、投げ飛ばしたらビルの5~6個は平気で破壊されているし。そんな超人的な戦いをしててまったくの不死身なのに、最後はなぜ首を閉められただけであっけなく死んじゃう、という不思議・・・。(あ、スーパーマンじゃなくって、悪役がね!)

というわけで、一緒に観たSちゃんと、またまたゴハンを食べながら、ゲラゲラと大つっこみ大会は尽きません。かなり、つっこみがいがありました。

なので、あまりストーリーはこだわらず、進化した特撮を楽しむエンターテイメントと思えば、かなりスッキリ感が味わえるかもしれません。

まだまだ自然がいっぱい@Tokyo

ようやく 30℃ を下まわった東京。ホッとするとともに、急に秋を感じます。そんななか、東京の秘境(?)、秋川渓谷にある素敵なお店にご案内いただきました。

黒茶屋」・・・その響きだけでも、わくわくする風情を感じます。

それは、渓谷を望むうっそうとした竹林の中にあらわれる古民家。なんと、築250年。床も柱も天井も、どっしりと黒光りしています。広々とした個室のお座敷で美しい季節のお料理をいただいてきました。

お料理はテーブルに置かれたお献立よりもさらにたくさん、次から次へと運ばれてきてびっくり!黒茶屋さんの広いお庭でとれる竹や葉っぱが、美しく食器がわりになっています。

なかでも、チーズのようにこっくりとした自家製のお豆腐が絶品。お料理にも使われていたけれど、黒蜜を添えてデザートになっていたのがとても美味でした。

こちらは前菜の籠もり。

鮎の炭焼きも。

窓に広がる深い竹林を眺めながら、楽しいお仲間との癒しのひとときでした。

食後はお庭の散策。湿った苔の匂い、水車の水音、川のせせらぎ、そして深い緑・・・・わあ、ここが東京だなんて・・・。

こちらの敷地にはいくつかのお店があるのですが、帰りに「糸屋」さんという素敵な珈琲屋さんにも立ち寄りました。大正ロマンを感じるレトロな店内。時間が止まったような豊かなひとときでした。