furukawaさんのブログ

熱海のオススメ

熱海にお仕事に行くと、友人宅でお夕食をご馳走になることもあるし、また友人の行きつけにご案内いただくこともあります。

今回は彼女が小さいときから通っているというイタリアンへ。

いつも思うのですが、洋食屋さんにしろ、中華しろ、そしてこのイタリアンにしろ、熱海にはステキなお店が多いということ。あか抜けているというよりは、古くからある居心地のいい雰囲気。それもそのはず。どこもご家族で永年経営していて、お店にしろお料理にしろとても大切にしている感じなのです。

これは、東京にぽっとできてぽっとなくなる個性のないお店とは大違い。それに東京のお店は商売(利益)のためにやっている感じ大ですが、熱海の家族経営のお店は親から子へと誇りをもって守られている感じなのですよね。

だから、もれなくとってもおいしいし、質がよいのです。「食べログ」を観たら、絶品とかNo1 イタリアンなどとコメントされていますね〜。はい、うなづけます。たしかにすご〜くおいしかったです!

まず、あじのマリネ。

そしてウニとマグロのカルパッチョ。(色どりがキレイ!)さすが目の前が海、めちゃくちゃ新鮮!

さくさくのパイ生地にシーフードをたっぷりのピザも独特でおいしいし、このウニのパスタ。おかわりしたかったです。

小さな厨房でおとうさんが一人でせっせと調理していて、まだあどけない娘さんがオーダーをとりにきます。ちょっとおっちょこちょいなのがカワイイ!お客さまはみなさま常連さんのようでお互いお話ししたりしています。お隣のテーブルは友人のお知り合いでした。

たくさんいただきすぎて、帰りの新幹線では予想外の暴睡。品川を通りこして東京まで行っちゃいました・汗。(20分で帰れるところが、かなりのロス!)終点だったのが不幸中の幸いですが。逆方向だったら、コワイね。

そうそう、お店の名前わすれるところでした!「MON」というお店です。おいしいお魚が食べられるイタリアンです。

お茶の間シネマトーク「そこまでやっちゃう?エル・ブリ」

先日、「エル・ブリの秘密」という映画を観ました。

エル・ブリとは、世界でいちばん予約がとれないといわれた伝説のレストラン(残念ながらすでに閉店しています)。45席しかないにもかかわらず、年間200万件もの予約が殺到したとか。わあ〜、宝くじ並の難関。そのお店のかつての姿のドキュメンタリーです。

エル・ブリは一年の半分ほどしか営業しません。あとの半分は、その年のメニューを創作するための時間なのです。

それだけ時間があればのんびりやっているのかと思いきや、50名近い厨房スタッフが毎日コマネズミのごとくくるくると走り回り、常に緊迫した空気が漂います。まったく新しいものを創り出すって、それだけの真剣勝負なのですね。

そして厨房は研究室さながら。お料理を生み出しているというより、化学実験の様相。いかに使用している食材をくらますか、びっくりする形状、食感を生み出すか・・・。おいしさというよりは、驚きを追求しているようです。だから凍らせたり、すりつぶしたり、ジュレにしたり・・・食材は原型をとどめません。

日本の食材もけっこう使われていて、マツタケ、ユズ、ミカンなどはそのまま日本語でした。お料理も懐石にならってか、ほんの一口。ふだんナイフとフォークを使いなれた人たちが指でつまんで食べられるのです。また、レストランのお庭には熊手で砂紋を描いたり、かなり日本を意識している感じです。しかし、お料理は液体窒素で固めたり、オブラートでくるんだり・・・かなり不思議ちゃんな世界。

この映画を観たらさぞおいしいものが食べたくなるかと思いきや、ぜんぜんでした。なんせ観ていて想像できないのです、お味が。すご〜くアートしているけれど、そこまでやっちゃっておいしのか?

昨日、ちょうどNHKの番組で「食と化学の融合」をとりあげた番組をやっていました。いまや世界的においしさというものを科学的に解明して、新しい調理法を生み出そうというもの。また、化学技術を食に導入することも進んでいます。

この食材は何度で調理するといちばんおいしく感じるかなどを科学的に解析して、それをふまえて料理人が調理するというように、京都では研究室とお料理屋さんがコラボして「おいしさ」を追求しつつ和食文化を広めようとしています。

今のこどもたちはファストフードやコンビニ弁当でとりあえずお腹を満たして塾や習い事に通うような忙しい日常。でも、ていねいに作られたものを五感をふるに使って味わいながらいただくという体験は、食べたものがしっかりと全部栄養になってくれそうな感じで大切ですよね。

こんな映画や番組にふれると「へえ〜、料理人って思ったよりもクリエイティブでおもしそう!かっこいい!」と、料理人志望の若人が増えるかもしれませんね〜。

しかし、エル・ブリのあの不思議なお料理の数々、いったいどんなお味がしたんだろ〜?

日本列島に整体エネルギーを!

昨日は熱海でお仕事。今週、二回目の熱海です。

富士山は真っ白で空の色と同化しています。寒そう・・・。

しかし、熱海の友人いわく、富士山にスキーに行ったら例年ほど雪がなくハゲちゃんになっていたそうです。そしてまわりに水蒸気がただよっていて、どうやら雪が蒸発しているような。もしや、富士山は微熱があるのでは・・・と語っていましたよ。

そんなそばから、セッション中にも富士五湖を震源とする地震が!ひゃっっ!

たしかにニュースにはならないものの東京では一日に何回もゆさゆさ揺れを感じるし、身体にへんな磁気を感じて寝苦しかったりします。(地震の前って、ヘンな磁気を帯びている感じがするのですよね〜。)

日常生活における問題だけにかかわらず、地震もわたしたちの意識のエネルギーが引き起こします。だから地震がまたくるかもしれないといってそれぞれが怖れを抱いていると、それが巨大な集合意識になって怖れている地震をつくってしまいかねません。

3.11のあとグキッと背骨がずれちゃった日本は、かなりストレッチが必要なようです。そして、日々ストレッチ中。だから怖れるよりも日本列島に癒しのエネルギーを送ってあげることが必要ですね。

米国で入院患者に対してとったデータがあるのですが、入院患者をふたつのグループに分けて、一方のグループには何も知らせずに癒しの祈りを送り、もうひとつのグループには何もしなかったのです。両者の退院までの期間を調べると、本人たちは何も知らないにもかかわらず祈ってもらった人々はダントツに退院が早かったのですね。祈りのパワーってやっぱりスゴイ!

地震コワイ!とおびえるよりも、日本列島に、そして地球に、癒しの気持ちを送ってあげましょう。

一生見つからないお店

身内でゴハンです。

めずらしく乃木坂。お店の場所を調べて行ったのですが、それがぜんぜん見つからない。番地からはこのビルかな〜と思うのですが、サインボードもなく、お店を一軒一軒見ても見当たらず・・・。そこへ通りがかった他のお店のオニイサン。目のまえの怪しげな入口を指さして、「そのお店ならここですよ」と教えてくれたのでした。

ガラっとあけて中に入ってみると、ホッ・・・ちゃんとした和食のお店でした。しかし、すでに坐っている何組かの人たちはどうやってたどり着いたのだろう・・・?

お店の人に聞くと「看板を作るお金がない」と笑っていましたが、実は近くにTBSがありギョーカイ人も多いのでお忍びのお店として使ってもらっているとか。

さて、きょうはお魚ゴハンです。

金目鯛のハーブ蒸し焼き。これはかなり巨大ですよ!Before↓

After

あらら〜、ネコもまっ青なみごとな食べっぷり (^^; 。かろうじてシッポがありますが、背骨のみならず頭すら見当たりません。お店の人もこれにはびっくりして笑ってましたよ。

ワタシのお魚の食べ方は「大名ネコ」と言われていたぐらいズサンなもので、これはワタシのしわざではありません。もしやあなたさまは前世ネコだったのでは?!てっきりイヌだと思っていたけど・・・。ここまでくると気持ちがいいです。

こちらのお店は下田にある本店から毎日お魚を運んでくるそうで、伊勢エビやサザエ、アワビなど海の幸たっぷりでした。おいしかった!(^o^)

おみやげにお店の手作りセッケンをいただきました。サカナとセッケンって・・・どういう関係?

気づきの日記「「あなた」と「わたし」の人生の境目」

セラピーセッションの中で、「あなた」と「わたし」の境界線があいまいになっていることによって問題や悩みが起きていることが多々あります。

ということは、それだけわたしたちの中では人と自分との境界線が自覚できていないということです。

身体の境界線なら一目瞭然ですが、目に見えない相手との境界線ってなんでしょう・・・?

境界線の問題は、恋人や家族という近しい間柄に顕著です。

つまり、「わたしの夫」「わたしの妻」「わたしの恋人」「わたしのこども」という名のもとに、相手の思考やら人生にズカズカと勝手に介入してしまうということです。

「あなた、そんなことするべきじゃないわよ」という文句、「あなた、こう生きるべきでしょ」というコントロール、「あなた、ちゃんとできないならもう知らないわよ」という脅し・・・。これ全部、自分のことではなくって、相手の人生に関することです。

ほっといてくれ〜、と言いたいけれど、けっこう日常で無意識のうちにこの文句やコントロールや脅しは使われています。

近しい関係では、相手を思うあまり相手に自分のパワーを明け渡してしまい、相手と自分を同一視した結果、相手を自分の一部のように錯覚してしまいます。ひどくなると、自分自身は完全にお留守で相手の人生を生きようとします。(これは恋愛初期に見られる症状。自分はもぬけのカラで相手のことばかり考えています。あるいは、自分はそっちのけで尽くしすぎたりします。一見、熱愛のように見えますが、たんに相手に憑衣しているだけです。)

そもそも「自分」と「相手」は別の存在。さきほど書いたように、身体を見れば一目瞭然、別個の存在です。そして、個人としてわたしたちは「自分」の人生を好きなように「自由に生きて体験する」、という目的のためにここにやってきているのです。あくまでも主役は自分、自分の人生とまっこうから向き合って体験し充実させなければなりません。ほんとうは、人の人生にお出かけしているヒマはないのです。

でも、自分への自己評価が低いと、自分の人生なんてとるにたらない、よし!この人(夫、妻、恋人、こども)の人生でわくわくしよう!ということになり、ズカズカ境界線を越えてもの申したり、ちょっかいを出したり、コントロールしたりすることになるのです。

そしていったん自分の手綱を相手に渡したなら、相手(夫、妻、恋人、こども)は、勝手をするなんて許されない、自分の期待に答えるべき、と信じます。自分のことをわくわく喜ばせるような生き方をするべきだし、自分の自己評価の低いところの埋め合わせもすべきなのです。(だから、おちこぼれもカッコわるい人生ももってのほか!)

でも、わたしたちは自分個人が、いわば好き勝手なやりたい人生を思う存分謳歌するためにここにいるのですね。そもそも、それぞれが相手の期待に答えるための存在ではない、ということです。

もし、夫、妻、恋人、こどもがそれぞれの人生を生きていることに関して不満を言いたいのであれは、もしかすると、自分が自分の面倒をちゃんと見てあげていないのかもしれません。自分をからっぽにしておいて寂しいから人の人生にお出かけするのではなくって、ちゃんと自分のところに戻って、自分の気持ちを聞きながら喜ぶような人生にしてあげなければならないのです。

相手にムカっとくるポイントがあるときには、かならず「抑圧した痛み」という自分のお宝が隠れています。相手が好き勝手して頭にくるなら、おそらく「わたしはガマンしているのに、あなただけ好き勝手するな!」という自分につけている足かせが明らかになるだろうし、相手の能力不足やだらしなさを責めたいなら、「あなたのその能力のないところをみていると、わたしの中にある劣等感がちくちくするからそれを見せないで!」ということかもしれません。

わたしたちはこんな痛みがあると、すぐさま「あなたがその痛みの元凶だ!」と相手を責めたくなります。だから、そこを正してあげるために相手に介入しなくちゃ!と。

でも、いつだって目の前にぶら下がっているのは、自分の中の何か。そしていつだって相手に挑みかかるより、自分と向き合うことによって解決しなければならないことなのです。

相手をコントロールしたいと感じたとき、文句を言いたいと感じたとき、間違っていると感じているとき、ちょっと思い出してみましょう。相手はどんな人生であっても、そのままの人生を生きる権利があること。そして、その人生は自分が思うようなステキな結果は出ていないかもしれないけれどそれは自分の判断であって、その人にとってはこの時点ではベストな選択、結果であること。もし、問題があれば本人が気づいて何かを学ぶことによって、修正する必要なあるときに修正されるということ。そして相手がサポートを必要としている時にだけ、相手を尊重しながらその手伝いをすること。

「相手をどうにかしたい」を手放せば手放すほど、相手に明け渡していたはずの自分のエネルギーが戻ってきます。すると、不思議!あんがい自分の人生が軽やかに流れ出すのを体験するかもしれません。

気づきの日記「オールを放せ!放しなさいってば!」

二十年来のおつきあいのある友人のお誕生日と新しいお仕事のお祝いです。アイスクリームにささった花火、そしてお店のオニイサンたちがみんなでBDソングを歌ってくれましたよ♪

彼とは古くからの学びの同志。国内のみならず国外にまでせっせと修行に出かけた仲です。

しかし昨年秋、仕事を辞めてからなんか様子がおかしい。自分で仕事をはじめる新たなチャンスにわくわくしてると思いきや、どよよ〜んとして、とにかく暗い!重い!この世の終わりみたいな顔つき。聞けば、何も仕事がない状況がこわくてこわくて仕方ないと。「とにかく俺に仕事をくれ〜」と叫びたい状態らしい。

その怖さに耐えきれず、あせって葬儀屋に就職しようとしたり(おくりびと?)、あるときは深夜に魚のエサを運搬するバイトで心を慰めたり・・・。そして、ついに頭を丸めることまで考えたそうな(きゃ〜・・・、生ぐさ坊主・・・)。

クライアントさん以外の人生には頼まれなければコメントしない主義なのですが、いささか言いたくなりましたよ〜。「ちょっとぉ?あなた何やってるの?」って。以前から自分で仕事をする夢を語っていたので、さすがに「違うでしょ〜」って「喝」を入れたくなりました。

そして年も明けて、その後どうしているかな〜と連絡してみたら、どうやら万策尽きはてたあかつきに、なんとチャンスはあらぬ方から降ってきた様子です。最終的には、もともと自分がやりたいと思っていた個人事業をはじめる機会が予期せぬところから現れたそうな。

ほんとうにおもしろいもので、わたしたちは自分のオールで力の限り漕ぎまくって、しかしそのときにはぜんぜん思う方向に進まず、なぜか同じところをグルグルしているか、まったくあらぬ方向へとたどり着いてしまう始末。頑張れば頑張るほど、結果がでない、という悲惨な状況。

しかし、これってどうやら、漕ぎまくった末に力尽き果てて「もう、どうにでもなれ!」とぐったり静かになる瞬間を神様はねらっているような・・・(たちワル!笑)。なぜかって、この人に力尽きてもらわないと、あれこれ抵抗して神様が計画したせっかくのベストなプランを行使することができないから。(まあ、殴って気絶させて、いちばんいいコースへひきずって行くよりはお手柔らかですが・・・。あ、でもそういうケースも目にしたことはあります。神様も見るに見かねたのでしょうね。)

神様はせっかく彼のために計画したとっておきのプランを邪魔されたくないから、オールを放棄する気がないなら、ちょっとエネルギーを使いそうなあれこれを用意しておいて、ようやく力尽き果ててもうどうにでもなれ!と静かになる瞬間までじっと待っていたのでした。

ほんと、こういうことってよくあります。わたしも、あ〜でもない、こ〜でもない、とやりすぎて、「ああ、もう疲れた!どうにでもなれ!」と思って放棄したときに、たいていいちばんよい道がおのずとやってきたことが何度となくありましたっけ。

つまり、オールは自分で握らんでいい、流されてちゃってください、行き先は秘密だけどかなり楽しいよ〜♪と。邪魔になるから、ジタバタしないでおとなしくしていなさい。まかせなさい、信頼しなさいってこと。

なぜって、漕ぎまくっているときには何か「抵抗している体験」があって、そこにたどり着きたくないからこそ漕ぎまくる。けれど、『あなたの人生に何かを実現させたかったら、それに抵抗しまくりなさい』っていうぐらい、じつは「抵抗」は確実に抵抗していることにたどり着いてしまうベストな方法なのです。(何かを手に入れたかったら、それに抵抗しましょう!)

セラピーでのクライアントさんを見ていても、また周りの友人を見ていても思いますが、結局は力を抜いて「来るもの拒まず」の態勢が、じつはベストな道への最短距離のよう。宇宙はわたしたちの頭では予測できない抜け道、欲しい結果へワープできる入口を用意してくれているのだけれど、それは一見洗練されていない道のように感じたり、効率悪く感じたり、間違っているように感じたり、なかなかわたしたちのお好みにはあっていないようなのです。

でもそこはつべこべいわず、とにかく目の前やってくるものに素直に「YES! 」と言うこと、そして信頼してそれを地道に体験してゆくこと。「ぜんぜんわたしの希望とちがうじゃな〜い」とふてくされず、怒らず、たんたんと目の前にある「今」を「ありがたく」受け入れてゆくことが大切です。(「ありがたく」受け入れる、はキーポイント。わたしたちの人生は褒めたたたえないと、先に進まないのです。褒めたたえてない時は不満があって抵抗しているとき、するとそこにエネルギーが集中して重くなり進まなくなります。)

そうです、ついついシリアスになるとエネルギーがどよよ〜んと重くなって、とたんに流れが悪くなり、ひっつき、いつまでたっても同じ場所に停滞してしまってメビウスの環をグルグル!とうことに。なので、とにかく人に何を言われようとノーテンキ!軽く、楽しく、朗らかに、そして目の前のことに感謝する。

人生、サクサク進んでゆくには、なにごともギャグにしてわらっちゃうこと(その点に関して、“るんスタッフ”は天才的なのでずいふん助けられています。一緒にぎゃはぎゃは何でも笑いに変えてしまうと、あっというまに嵐はすぎさっちゃうことしばしば。)

今回、旧友K氏を見ていて、オールをさんざん振り回したあげく、ついには地面につっぷし、その途端に地割れがするように新しい「彼の欲しかった」現実が現れるのを目の当たりにしましたよ〜。(彼が書いていいというので、書かせていただきました。)

気づきをありがとう。そして、Happy Birthday and Congrats for your new job! (もう、オールはへし折ったかな?)

PS 豆乳しゃぶしゃぶ、おいしかったです♡

お台場で Good morning!

寒い日が続いていますね。そろそろ東京にも雪が降りそうな気配です。

そんななか、お台場まではるばる朝ゴハンに行ってきました。

「こんなに寒いのに、海を越えて朝ゴハンだなんて!」と大ブーイングにあいましたが、行ってみたら予想外に気持ちがいいこと。

「ゆりかもめ」(モノレールみないな乗り物)からは海が見えてちょっとした旅行者気分だし、朝食のダイニングからもどど〜んとレインボーブリッジが見渡せ開放感を満喫。

シーズンオフのホテルは静かでなかなかの穴場でした。それにきょうは少しは暖かかったのでさらなるブーイングにあわずにすみましたよ。

そうそう、ブーイングといえば、先日挑戦したストレートヘア。

親しい人々のほとんどが、「なに?その20代 OLヘアは?」とか、「あ〜あ、トレードマーク台無しにして、どこの誰だかわかんなくなっちゃったね」とか「変っ!!」などと、ブーイングの嵐でありました・・・トホホ(けっこう元手がかかってるっていうのに)。

しかしそんななか、「この方がいいよ」と約一名。

おもしろいもので、そう言われれば言われたで困惑している自分がいるのです。だって、これ完全にフェイクなのにフェイクの方がいいっていうわけ?みたいな・・・。複雑なおんなゴコロなのでありました。

しかし、今更ながら悟りました。やっぱり持って生まれたものには意味がある。デキゴコロを起こさず、あるがままの天パーを慈しみます。(-_-)

スタッフ新年会 2012

わたしたちの新しい年は、辛〜いお鍋から。この時期、必食!もうこれは「るん」スタッフ定番メニュー。

今回は赤坂にある「火鍋屋本店」。

代官山にあったマーラータンが山椒・唐辛子ざくざくで劇的に辛くお気に入りだったのですが、残念なことに閉店。それ以来、火鍋難民。あちこちのお店を点々としています。が、いまいち決め玉がないのです。はっきりいって、どれもあまい!ぬるい!本気じゃない!(・・・ていうか、わたしたちの味覚がすでに正常範囲をこえてる?!)

今回のお店は全員が中国人スタッフ。お店に漂う匂いも、妖しさがあってなんかいい感じ。それに、お鍋の辛さはチョイスできるときています。迷わず「激辛」!(もともと辛いのぜんぜんダメですが、ここ何年かの特訓の成果。)

しかし、中国人が出す本場の「激辛」をなめてはいけない。ひさびさに悶絶鍋。むせてます。怪しい汗を流してます。奇声も発してます。

それなのに・・・それなのに・・・さらにお鍋にこんなことを!これ↓、これを投入。これは海老の唐辛子炒め。といっても、唐辛子の山に海老が埋もれてます。(この料理自体が理解不能。こんなに唐辛子を使う意味がどこにある?)Yちゃん、この唐辛子をすべて鍋に投入。さらにグツグツ煮詰まって、この世の食べ物とは思えないありさま。

口は痺れるし、ヘンなところに頭痛がしてきて、しまいにわたしはギブアップ。すると「たかちゃん、変わっちゃったね!」とSちゃんが冷たく言い放つ。そんな腑甲斐ないあなたは知らない、と言われているようで寂しくもあり・・・(笑)。しかし、どうして、これは正常な反応ですよ〜。

唐辛子が煮詰まった真っ赤な地獄鍋の汁を持ち帰りたそ〜に残念さいっぱいで眺めるSちゃん。次回はタッパーを持参しましょ。

他にもお料理た〜くさん。お安くておいしくて辛くって、大満足のわたしたちでした。

ショーロンポー&北京ダック&白身魚の甘酢あん etc

(う〜・・・脳細胞目覚めたね・・・いや、死滅してる?)

PS じつは、この日の前日もわたしはこのお店にいたのです。「約束の時間になってもみんな来ないな〜」と。しばらくするとお店のおねえさんがきて、「アナタノ予約、アシタダヨ!」と。ゲッ、どうりで・・・!自分で予約しておきながら、新年早々おもいっきりボケてます・・・。(^。^;  いい年になりそうです(笑)。

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オフィス・るん
古川貴子

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オフィス・るん 古川貴子