furukawaさんのブログ

お遊び?いえいえ、ミーティングですってば!

いつもセミナープロディースでお世話になっているオフィス Solaさんとランチミーティング。

駅まで三分ほど地上を歩いたものの、あとは地下鉄&地下通路を経てモグラのごとく六本木ミッドタウンへ潜入。この猛暑の折りには、暑さ知らずで快適、快適!

さて、本日のランチは窯焼きピザがおいしい「Napule」。涼しくなったら是非坐ってみたい素敵なテラス席のあるお店です。マルゲリータとショートパスタをいただきながら、前回のセミナーの反省会。

そして、お腹が満たされたらウィインドーショッピングへ。お店を眺めるのははじめてのわたしに、ミッドタウン・ツウであるSolaさんのご案内でおススメ和テイストのお店を次々物色。見ているだけでセンスアップできそうな洗練されたセレクショップの数々に時のたつのも忘れそう・・・・とふと気づいたら、すでに夕刻。あらら、浦島さん気分。Solaさん亀子に連れられて、どっぷり竜宮城にハマりまくりました(笑)。

疲れた足を休めにカフェに立寄り、またまたおしゃべり、というかミーティングです。次回セミナーのお題目&内容について、次々繰り出される鋭い質問&ツッコミの数々に、鍛えられますな〜・・・おかげさまで「ま、こんな感じかな〜」という域を越えてさらに進化せざるをえません・・・汗。ありがたいです、ハイ。

次回予定のセミナー(11月ごろ)では、男女コミュニケーションをメインに人間関係を扱いたいと思っています。また、詳細がきまりしだいブログでご案内させていただきますね〜。

気づきの日記 「”喰われた”ら最期!ご注意を?!」

先日、セミナーにご参加になったCさんから、ご質問をいただきました。
「夏にピッタリ怪談話よりも怖いかも??しれない質問が有ります。それは・・前回セミナーで、その対象にこだわっていると「喰われる」という表現をされていました。その際に、喰われるというのは、まだ相手の方の魂が悪戦苦闘されている、もしくはいつも愚痴を言ったり、と超ネガネガなその相手の存在から自分のエネルギーを喰われるという理解でよろしいでしょうか?」

はい、確かに。わたしは、セミナーやセッションの中で、「喰われる」という表現を使うときが多々あります。「物事に執着したり、抵抗すると、喰われるので気をつけてくださいね」というように。それは、べつにホラーな意味合いではないのですが(笑・夏だからホラーのほうがいい?)。

もちろん、Cさんの解釈も正しいものがあるのですが、この場合はこんな感じです。

日々、わたしたちの目のまえにはさまざまなことが繰り広げられます。楽しい出来事もあれば、金輪際体験したくないようなつらい出来事もあります。しかしそのいずれもが、そこにとどまり続けることはできません。「すべては流れてゆく」 ・・・それがこの世のならわし。そしてまた、流れさせてあげなければなりません。流れれば次の体験、学び、成長がやってくるのです。

しかし、ときにわたしたちは、その流れをせき止めてしまうことがあります。

それは、わたしたちがある特定の出来事に過度に反応してしまう場合に起ります。たとえば、恋人に突如別れを告げられた女性がいたとします。もちろん、誰でも落ち込みます。そして、別れの原因は、たいてい双方に同じだけあるものです。でも、いつまでたってもクヨクヨジメジメ執着から抜け出せない場合。「なんで彼は別れるなんて言ったのかしら?ひどすぎる。わたしの何がいけないっていうの?そもそも、わたしってまったく価値がないのかも。そういえば、昔の彼にもひどいことを言われたことがあった。やっぱりわたしなんて、誰も愛してくれない。親がちゃんと育ててくれなかったから。どうせ、一生誰にも相手にされないわ。・・・」

というように、「二人の関係はうまくゆかなかった」という事実を受け止めることをせず、結果に激しく抵抗します。過度に反応するあまり、ネガティブさがどんどん肥大化していくのです。それは、今起っていることにとどまらずに、過去の同じような痛みをひっぱりだし、はたまた幼少期の体験にまで及び、思考はどんどんネガティブ化し、悲惨な感情は雪だるま式に大きくなってゆきます。

これが、ものごとに「喰われてしまった」状態です。流れてゆくはずのものが、べったりと膠着状態。まるでアロンアルファでくっついたようです。それもそのはず、注意を注げば注ぐほど、体験に抵抗すればするほど、それは大きくなってそこに居すわり続けます。そして、事実とはかけ離れて大げさになったドラマの中に、ついに取り込まれ、どっぷりその気持ちにつかり身動きができなくなります。受け止めるべき事実は、「ただ二人はうまくいかなかった」・・・それだけなのに、自分がふくらました妄想の中に取り込まれてしまっているのです。

例えば、ドラゴンを退治するにしても、喰われてしまったらもともこもないわけです。退治するためには、ドラゴンの外側にいなくちゃいけない。食べられちゃったら、ドラゴンに吸収されて、しまいには一体化するしかないのですね。

思い出してください、すべての出来事は、”ほっておけば”通り過ぎてゆくのです。それは、目の前を行き過ぎる雲のかけらのように、ただ右から左に流してあげれば過ぎ去るもの。しかし、それに抵抗するやいなや、わたしたちは雲の中に突入して、視界を奪われどこにいるのかもわからなくなってしまいます。気がついたら、にっちもさっちもいかない問題のさなかにいることでしょう。そして、ただちょっと通過するはずだったアンハッピーといつのまにか一体かしているのです。つまり、「アンハッピーそのものなわたし」になっているのです。

行き過ぎる雲をスルスル通過させるためには、「価値判断」をしないこと。特に、ネガティブな反応をしないことです。もともと、ものごとはそうあるだけでなので、そのまま流してあげましょう。「ぎゃ〜、いやだわ!こんなことが起るなんて許せない。あいつのせいにきまってる。こんなことがあっていいはずがない」・・・な〜んて、バリバリに抵抗すると、不穏な雲の中にあっという間に吸い込まれてしまいます。そうしたら、あたり一面、真っ暗で「信じられない」ことだらけ。

そうはならないように、何がやってきても、「あら〜、こんな雲がやってきたわ。おもしろいね。・・・でも、ま、いっか。さっさと、行っちゃってね〜。バイバ〜イ!」と流れさせてあげてください。すると、遅かれ早かれ、注意をひけなかった雲はただ流れていなくなるしかないのです。

雲を流すのが上手になると、青空が澄みわたってきます。つまり、気分が明るく、こだわりなく、クリアになる、ということ。そうすると、地上にも影のない世界が見えてくるようですよ〜。楽しみですね。

なんかヘンです!

きょうは涼しくって、ほっと一息。(^-^)ノ

こんな日は、萎えていた身体も元気を取り戻します。じつは、わたしは夏風邪以来、ちょっとヘン!味覚が変わってしまったよう・・・。

その最たるものが、朝ご飯。小さい頃から続けてきたトースト&フルーツ、これがまるでダメ(いじけたバナナは冷蔵庫で真っ黒になっています・・・泣)。じゃあ、何が食べたいのか・・・?それは、お米粒でもなく、なぜかパスタ。朝からめんどくさいですね〜。

はじめは出来合いのレトルトソースのお世話になっていたのですが、それもついに在庫が尽き、本日は自分で具を作らねば・・・。

冷蔵庫には、幸いにもゴーヤとトマトが。いいですね〜。夏野菜のペペロンチーノ。そして、タラバガニ缶なるものも発見!このお汁と身があればコクがでます。

ということで、パスタにお邪魔してゴーヤもさっと茹で、フライパンにはたっぷりのバージンオイルにニンニク&鷹の爪、そこにカニ缶とお汁。そして、茹であがったパスタ&ゴーヤを投入し、パスタの煮汁も少し加えて乳化させます。おいしいお塩で味をつけて、最後の最後に湯むきしたざく切りきりトマトをさっと加えて、出来上がり〜〜♪

タラバガニ缶が実力を発揮してくれて、なかなかおいしいパスタになりました。ゴーヤの苦みと鷹の爪の辛み、そしてニンニクのパンチがほどよく調和しています。

よくアスリートやオペラ歌手が、試合やコンサートの前にパスタを食べるといいます。たしかにこれだけがっつり食べると、一日気合いが入りますね〜。でも、いつまで続くのか・・・(朝からやってらんないぞ〜・汗)。

さらに、おやつに紅茶&クッキーが定番でしたが、なぜかこれもアウト。びっくりするなかれ!クッキーが、なぜかカマボコに。それも、カニカマがお好み。仕事の合間にクッキーをつまむのはサマになっても、カニカマだと・・・なにやら「妖怪」チックになるのはなぜ?(笑)

お茶の間シネマトーク「歌も楽しめるB・ミドラーのおすすめ二本」

その昔、知り合いにたのまれて英語の詩を翻訳したことがありました。あまり何も考えずに、たんたんと作業をしたのを覚えています。

その後、「フォーエバー フレンズ」という映画を観ていたとき、ベット・ミドラーが歌うとっても素敵な曲がいっぺんで好きになりました。それは、はじめて耳にした曲。でも、強烈なデジャヴ体験。この歌詞知ってる・・・それも全部・・・なぜ?・・・よくよく考えてみたら、あの詩なのです。歌詞であり曲がついてることも知らずに、たんたんと訳した詩。

それは、「Wind beneath My Wings (私の翼をささえる風)」という曲。もちろん歌詞はとってもいいのですが、ベット・ミドラーの素晴らしい歌唱力で心に残る一曲になっています。

その一節に、
Did you ever know that you're my hero?
You're everything I wish I could be.
I could fly higher than an eagle,
for you are the wind beneath my wings.
Thank you, thank you,
thank God for you, the wind beneath my wings.

「あなたはわたしのヒーローだって知ってた?
あなたは、わたしがなりたいすべて。
わたしがタカより高く飛べるのは、
あなたがわたしの翼をささえる風だから。
ありがとう、ありがとう、
神さま、感謝します。わたしをささえるあなたという風に.。」

わたしは、友人や近しい人に感謝したいとき、この曲を贈ります。と、言ってもYouTubeからですが・・・(^^ゞ。

ベット・ミドラーがこの曲を歌っていた映画「フォーエバー フレンズ」、久しぶりに観てみました。育ちも感性もまったく違う異質な女の子二人の、山あり谷あり野原あり・・・の長い友情を描いた作品。ベット・ミドラーはとびきりの美人とはいえないけれど、とってもチャーミング。映画の中でシンガーを目指す女性も、彼女そのもののようなキャラクターです。

そして、彼女が従軍慰問の歌手として美しい歌声をたくさん披露している「フォー ザ ボーイズ」もおススメの一本です。さすがグラミー賞歌手、聴かせます!戦場を訪れながら歌手としてどんどん成功してゆく一方、夫も最愛の息子も戦争で失い深い心の傷を負う彼女。毒舌コメディとしっとりした演技、どちらも彼女ならではです。しかし、ベット・ミドラーが年をとったシーンでの、ハリウッド年寄りメイクがどれもフランケンシュタイン風なのには興ざめです・・・。ジェームス・カーンのちょい悪オヤジもかわいくっていい味だしています。

どちらも笑って泣いて、そして歌も楽しめる二本です。涙壷度:★★★☆☆

PS いつも、わたしをささえてくれている「風」さんたちに改めて感謝です。
ちなみに、オフィス・るんの「るん」とは「風」のこと。わたしも、みんなをささえる風でいたい!

あじゅい〜・・・・

午前中、ちょっと美術館に行ってこよう♪と思ったら、これが大きな間違いでした。おそろしくあつい〜・・・。とける〜・・・。

向かった先は目黒の庭園美術館。けっこう徒歩が長く、行き倒れるかと思いましたよ。緑に囲まれて涼しいだろう・・・なんてとんでもない。この酷暑の中、どこにいたって変わりはないのです。そして、セミがじゃんじゃん鳴いてて、気絶しそうでした(いつも室内労働なので、とてもやわになってます。)

お目あての「有元利夫展〜天空の音楽〜」はとってもよかったです。

以前から、この人の描く絵は漆喰の上に描かれたようなあたたかみがあるな〜と思っていたのですが、やっぱり。フレスコ画に影響され、それに日本画の岩絵具や金箔を使っているのです。38歳で亡くなられているので、たった10年の間にひと目見たら彼の作品だ、とわかる作風を確立しています。

どこかルネッサンス絵画をおもわせる背景、切り取られた空やふわふわ浮かぶ球体はシュールレアリズム風。そして、まるで時を経てはげ落ちたようなフレスコ風の絵肌。ファンタジックでとても気に入りました。

「才能というのは、内にあるものではなく自分の外にあるもの。それは、郵便や小包のようにある日届けられる。わたしは、それをぶらぶらしながら待つだけだ。」という有元さんのコメントがありました。そうなんですよね〜。才能があるといわれる人はみなさんそうおっしゃいます。それは、やってくるのだ!と。内側をどうにかしようとするよりも、リラックスしながら楽しみながらぶらぶら・・・(ふっふっふ。もっとぶらぶらする口実ができたわ〜♪) 

 

おはやいお越しで♪

当分じめじめすると覚悟していたら、あっさり梅雨明けしてしまいましたね。

きょうもかなり気温が高かったけれど、雨降りのムシムシベタベタにくらべたら、潔い暑さがかえって心地よいです。

暑かったぶん、夕暮れの色も印象的。これこそ夏ですね〜♪

ぷち☆Be-塾、終了

二回シリーズのセミナー「Be-塾 ぷち☆セミナー  "とびら”を開ける」が終了しました。(^-^)ノ 暑い中、足をお運びくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。

わたしが一方的に話しをする大きなセミナーにくらべ、今回は「ぷち」を目指し、井戸端会議風にお茶を飲みながら膝よせあうようなセミナーとなりました。

一回目は、特にお題目も決めずにみなさまからの質問を足がかりに、そこから話しを発展させてゆくような形の二時間半。

おもしろいもので、グループにひとつの共通項があったりして、お題目はおのずと決まってゆきます。この日は、「価値判断する」ということに関するトピック。ふだん自分自身から発せられる無意識の価値判断が自分の感じ方や体験をどれだけ左右しているのか、ということに気づき、すべてのものはじつはもとから「意味などなく」、自分が意味を与えることによって自分の体験を導いてゆくのだ、つまり幸せに感じるのも、不幸せに感じるのも、その前に自分の価値判断がある、というお話しをしました。

そして、今回二回目は、このセミナーのタイトルにもなっている「”とびら”を開ける」こと。ふだん同じように過ぎてゆくこの人生の終わりの日をイメージすることによって、今いちどルーテインな生活をリセットすることをしてみました。

瞑想の中で自分の人生の最期の日を思い描き、慈しみ別れをつげる、そして最期に「ありがとう」と言いたい人と、「わだかまり」のある人に会いにゆきます。その後、天国で再度ありのままの自分を見つめ直し、再びこちらに生まれ変わってくる、というようなワーク。ふつうは、1DAYワークとしてたっぷりの時間をとりつつやるのですが、今回はダイジェスト版。でも、みなさまとてもいろいろなことを感じられたようですし、愛と感謝の涙がいっぱいのセミナーとなりました。

セミナー後、ご参加のみなさまとともに、近所の「Canal Cafe」に足を運びました。ここは異国情緒いっぱいの、とっても素敵なデッキカフェです。お堀端を吹き抜ける夏の夕暮れの風が心地よく、またセミナーとは違ったさまざまなお話しもできて、ご参加のみなさまととても楽しいくつろいだひとときをご一緒することができました。

大きなセミナーも楽しいけれど、みなさまとコミュニケーションしながらもっともタイムリーな話しができるこんな「ぷち」なセミナーもいと楽し♪です。今回のセミナーで、やってみたいお題目も浮かんできているので、また「ぷち」もトライしてみようと思っています。みなさま、ありがとうございました。

そして、主催をしてくださった「オフィス Sola」のみなさま、あたたかなプロディースをありがとうございました。

酔えば酔うほどさえわたり・・・

スタッフミーティングで〜す。

5回に1回まじめにやればいいほうだという、わたしたちのスタッフミーティング。本日はかなりというか、相当マジメです。五月に行われたBe-塾セミナーのCD編集。

ミーティングとなるとまずお題目になるのが、ゴハンのメニュー(^^ゞ。Sちゃんのご要望で、宅配パエリアしてみました。もちろんはずせないのがビールと赤ワインのボトル。これは、るんスタッフの脳の活性化にかかわる大切なアイテム。ワインがなければ、はじまらぬ。そして、酔えば酔うほどほど、脳力全開。(わたしは飲めないので、もっぱらお茶ですが・・・。)

ということで、ビールをちびちびしながら編集をはじめて、途中パエリアが到着し、チョリソーやら、オリーブサラダ、チキンやら、ワインとともにゴハンタイム。その後、ワインをぐびぐびしながら、作業続行・・・。

その間、わたしはといえば毎度のことですが、からだ巡り茶をすすりつつちんまり坐っているばかり。アル中ハイマー状態で暴走する(?)るんスタッフにまかせておけば、万事OK!出る幕などないのです。

なんとか二時間半の録音を一時間までカットすることに成功。きょうのところは、しめしめ・・・です。

ホントにこの「るんスタッフ」は不思議な方々で、わたしがどんなに行き詰まっていようとも、落ち込んでいようとも、彼らに話すと一気に「ど〜でもいいこと」のように感じられて、数分後には大笑いに変わっています。「どんなことでもたいしたことでなくなる」あの不思議は空気感はなんなんでしょう?彼らに聞いたらそんなつもりはないと言うかもしれませんが、わたしがいつもノ〜テンキでいられるのも、彼らのバックアップあってこそ。じつは、それってセラピーよりもすごいな〜と思います。

 PS パエリア、宅配にしては華やか。でも、色がオレンジなのは、サフランごはんじゃなくって、ケチャップごはん?という疑いが・・・。そういえば、パエリア鍋もサフランもあるので、今度はわたしが作りましょ!

きょうの空

この雲、何に見える?!(ロールシャッハテスト?)

わたしは、キリンビールの麒麟に見えた。けど・・・これガーデンプレイスのエビスビールの上に出ていたのがザンネン・・・(笑)。

気づきの日記 「感情の洗面器になっていませんか?」その1

あなたの近しい人が超不機嫌なとき、あなたはどうしますか?そりゃ、たま〜にだったら相手をしてあげるけど、コンスタントに不満やグチ、文句たらたらな人はいただけません。

そんなとき、
・黙って聞く(そうしなければならないと思っている、あるいはヨイ人でありたいと思っている)
・さっさと逃げ出す、あるいは聞くふりをして聞いちゃいない
・相手にどうして欲しいのか聞く

たいてい、ちゃんと聞いてあげるのがよきパートナーや友の証だと思っていたりします。わたしも以前はそうでした。無防備に全部聞いていたのです。すると、だんだんそれがエスカレートして次から次へと吐き出される。まるでわたしは、具合の悪い人に洗面器をさし出している人のよう。きゃ〜ん!キミはさぞすっきりしただろうが、その後わたしはこれをどうすりゃいのだ!?・・・ってことに。誰かの感情の洗面器になってしまうことはよくあることではないでしょうか?

注意したいのは、感情はSARSやノロウィルスなみの感染力あり。不機嫌さやイライラが発せられるやいなや、それはあっというまにまわりの人の気分を汚染して、その広がりは津波のよう。(キケン警報を発令しなくっちゃ)

もし、自分がハッピーでいたいと思うなら、わたしたちは病原菌から身を守るようにこの無防備にまき散らさせるイライラやら不機嫌菌からも身を守らなければなりません。無防備でいてはいけないのです。とくに、近しい人に対しては。なにしろ、汚染はすこしづつ忍びより、気がついたらすっかりアンハッピーなわたしになっているかもしれません。

そもそも、感情は相手が好きで感じているものであって、その責任を誰かがとってあげる必要はないし、ましてや同じように感じてあげる義務もないわけです。同じように感じてあげても、「最悪な人」がもう一人増えて感染力がアップするだけです。それに、感情をまき散らす人は環境汚染そのもの。このエコな世の中、自分の感情の処理だってちゃんとできなければならないのです。

さて、イライラ、ブツブツ、プリプリ、タラタラなネガティブ人間にはどう対処しましょう?

わたしの場合は、相手がめちゃくちゃ機嫌が悪くて感情を垂れ流しているな、と感じたら、すかさず尋ねます。
・ただ、黙って聞き役になってほしいのか?
・やさしくなぐさめてほしいのか?
・解決策を一緒に考えてほしいのか?
・ただ、あたりちらしたいのか?

黙って聞く場合には、「じゃあ、三分でめいっぱい怒りや不快感を出し切って!全力でね。三分たったらおしまい!」と手短かに盛り上げちゃいます。長々やるよりも、一気に解消するのが効果的。もし、あたりちらしたいのであれば、人間相手はご遠慮いただいて、サンドバッグとか、枕とか、モノにあたっていただきましょう。

この選択肢は結構効果的です。なかには、感情は人にぶつけてあたりまえと思っている方もいらっしゃるので、その場合は教育も必要になってきます。「感情は、そもそも本人が感じているのだから、その本人の責任であること。だから、たれ流しは公害なのです」「そして、機嫌が悪いとき、上に書いた選択肢の中から人に助けを求めることができる」ということ。つまり、しばし聞いてくださいとか、傷ついています、なぐさめてください、とか。「まき散らしてあたりまえ」と思っているとしたら、それは大きな間違いです。

そこで、上手なグチり方も学ばなければなりません。上手なグチり方とは・・・?
(その2へ続く)

PS 本日は柿の木坂「Quatre(キャトル)」で書いていま〜す。静かなのでMy書斎です。ここのスウィーツはおいしいけど、応対してくれるおねえさん、そしてアイスティーのグラスが華奢すぎることがイマイチなのです。が・・・きょうは、なんと極上の笑顔のおねえさん & アイスティーも大ぶりなしっかりしたグラスにたっぷりでした。(^_-)-☆ ノドの痛いのをいたわって、きょうはクレームキャラメル♪